※AI学習無断転載禁止
売約済みの薬指
「なァ、コレはずれねーんだけど」
「え?
……え、やば。シャチ、それガチのシンデレラフィット?うける」
左手の薬指。そこにピッタリとはまった銀色の輪っかはどっからどうみても指輪だ。
もともとアクセサリーは好きだ。ただ、指輪はなんとなく触手が伸びずにいた。とくに理由らしい理由もないが。
ならどうして今、そんなおれの指に指輪がはまっているのかと言えば、前の席に座るクラスメイトが面白半分に付けて来たからで。「昨日掃除してたら元カレが部屋に忘れていったの出てきた」と昼飯を食うおれに見せてきたものがこれだった。元カレとやらは随分とアクセサリーにこだわりを持っていたらしく、このゴツめの指輪もなんぞ有名なブランドのものらしい。聞いたことがあるような、無いような。曰く、デザインは嫌いじゃないがサイズが合わないからフリマサイトに出すのだとか。着用画撮るから手タレして!なんて軽く頼まれて、ちょっと古い型だけど3000円ぐらいにはなりそうだとかブツブツ言いながらも冷静にスマホをかざす姿に少しだけ恐怖した。忘れ物なんだろ、返してやれよ、という言葉は飲み込んだ。多分、彼女はそんな意見は糞食らえだろう。
「うっそ、マジか?」
「マジか?はこっちのセリフだろ!どうすんだよコレ」
ぐいぐいと二人で交代で引っ張るも指輪は薬指の根元に食いついたかの様に動かない。写真撮るから5秒だけ指貸して〜、と指に通されたときは何の引っ掛かりもなくするりと通ったというのに、逆になった途端どうしてこうも動かなくなるのだろうか。
何が面白いのか「まじで動かないじゃん!」ときゃらきゃらと笑う女子とは真逆に、冷や汗を垂らしながら動かぬ指輪を前に途方に暮れるおれ。視界の下側に『のろわれたそうびです』のメッセージウィンドウが見える気がした。
「ペンチとかで切るか」
「ちょっとシャチ、人の指輪切ろうとすんなし。売って彼氏とのデート代にするんだからね、それ」
「抜けねーんだからしょうがねーだろ?おれはこれをしたままでいるわけにはいかねーの!」
それは、だめだ。
多分、今すぐ外さないといけない。
そもそも、指輪をはめたのが間違いだったんだ。
ドッ、ドッ、と心臓の高鳴りが止まらない。
「ゼッタイだめ!まだ他の方法試してないじゃん!とりあえず定番は石鹸か糸だよね。アタシは糸探してくっから」
シャチは石鹸試してきて!と教室から連れ出され、ざわざわと騒がしい昼休みの廊下に一人取り残された。
試してこいと言われてもどうすればいいのかは何一つわからない。石鹸の成分が銀を柔らかくしたりするのだろうか。そんな話聞いたこと無いけれど、アクセサリー界隈では有名なのかもしれない。左手をポケットに隠すようにしまいこんで、トイレを目指して歩く。教室から一番近いところで、キレイキレイを手に取るも、中身が空なことに気付く。はぁ、とため息をついて、余計に歩く。左手はまたポケットに隠した。次に近い水飲み場は廊下の端も端。奥まったところにあるせいであまり人が近寄らない場所にある。
「シャチ」
そこで、聞き慣れた声に振り向いた。
「もうメシ食ったか?」
廊下の端から手を上げたペンギンに、おれも軽く手をあげた。自然な流れでするりとポケットから取り出した片手をあげて返事をすれば、まっすぐに向かって来ていたペンギンの足がぴたりと止まった。
「ペンギン?なに、急に止まっ、て
……あ」
ペンギンの視線を辿って自分の現状を思い出す。数秒前まで無意識にポケットに隠していた左手。つられて上げた左手の薬指には、キラリとシルバーの指輪が煌めいていた。
やべ、とあげた手を静かに下ろし、ポケットの中にまたこっそりと戻そうとする。
「なァ
……、シャチ、コレ、何?」
戻そうと、した。
一言一言をはっきりと強調しながら話すペンギンの手が、ポケットに向かうおれの左手をしっかりと拘束している。刺すような視線といつもより低い声色。一瞬前まで少し離れたところにいたのにいつの間に?そう聞きたかったけれど、ペンギンの表情を前に、そんな言葉は口から出ることなく喉の奥に吸い込まれていった。ペンギンの綺麗な瞳から光が消えて、無言の圧に距離を取りたい気持ちになる。しかし、ぎりぎりと音がしそうなぐらいの力で掴まれた腕は微動だにしないせいで間合いは広がらない。
やばい、怒っている。
そりゃそうだ。
怒られる気がしたから、ペンチで早く切りたかったのに。
「コレには訳があって、あのさ、えっと
……怒んねェ?」
「は?シャチがおれの知らない指輪してんのに怒んなとか無理な話だろ。しかも左手の薬指に」
「だァから訳があんだって!」
「どんな理由があっても駄目だ」
取り付く島もなく、指どころか手首があらぬ方向へ曲げられそうで、カクカクシカジカと早巻きに説明する羽目になった。これは自分の指輪ではないこと、クラスの女子の元カレのもの。フリマサイトの着用画を撮るために協力したこと。軽率にはめたのが抜けなくなってしまったこと、決して自分の意思で付けた訳はないことを説明する。一息で言いきってぜいぜいと息を荒げているおれとは正反対に、ペンギンの表情は冷たく怒りを湛えたままだ。
「遊びで薬指にはめるか?シャチに隙があったんじゃねーの?」
「いやいや!そいつ彼氏いるから!」
切り札とばかりに面倒な邪推すんなと反論するも、ふーんとどうでも良さそうにペンギンが返事をした。
ペンギンの指が手首から離れて、おれの指のリングをぐいぐいと引っ張る。容赦のないその力加減に薬指ごと持っていかれそうになった。
「痛ェ
……って!」
加減しろ、指がもげる、と文句を言えばスマンスマンと形だけの謝罪が返ってきた。
「で、シャチはなんで指輪つけたまま、こんなとこをうろうろしてんの?
……外す気ねェとか言ったら手出るけど?」
「石鹸使って取れないか試してこいって教室から放りだされたんだけど、二年のトイレの泡なくて、」
いよいよ工具を借りて指輪を切るか、このままペンギンに指を折られるかの二択が現実味を帯びて脳内に浮かんでくる。
「石鹸?ああ、なるほど。シャチ手伝うからさっさとその指輪外して」
おれの脳内のペンギンより、目の前のペンギンは存外に優しかったようで、石鹸なんてなんの役に立つかわからないもので助けてくれるらしい。
無表情に手を差し伸べてくるペンギンの、その手を取った。
◆
「ねえ、ペンギン。やり方あってんの、これ?めっちゃ痛ェんだけど」
グチュグチュと真っ白い泡で包まれたおれの左手の上をペンギンの両手が滑っていく。結局、石鹸を使って取るというのは石鹸の成分も何も関係なくて、泡で滑りを良くして取るのだということをついさっきペンギンから説明されて知った。
泡が左手に乗せられては、ペンギンの手によってぷちぷちと潰されながら薬指に塗り込められていく。ペンギンによって痛いぐらいの力でぐにぐにと押された指の薄い肉が形を変え、そうして出来た指と指輪のほんの少しの隙間からじわじわと泡を入り込ませては指輪を引っ張る。もう何度も繰り返されている行為だが、それによって指輪は動いているのかはまだわからない。上下に擦り、にゅるにゅると扱かれていく指をただただ見つめてるだけなのに、血が巡り始める感触。
これは、やばい。このタイミングでは、おれが反省していないみたいじゃないか。
シンデレラフィットと女子がふざけて言うぐらいにはぴたりとはまっているせいで、隙間にすぐに泡が入らないらしい。ペンギンは時々苛立ちを隠さずに舌打ちをしながら、執拗に指をぐにゃぐにゅと擦り回している。その度に下半身にダイレクトに伝わる快感のせいで、「もういい、ペンチで切ろう」そう提案したいのに上手くいかない。へたりこみそうになる軟弱な腰と震えそうになる指先になんとか力を入れた。
「ペンギン
……、なァ」
「
……チッ」
不機嫌さを隠そうともしない視線と舌打ちに言葉を封じられる。
「もう、これ、切らない?
……っ、」
ぐちゅ、ぐちゅ、とペンギンの指とおれの指が吸い付くように擦り上げる様から目を逸らした。
だめ、ほんとうに。
そんなおれを追い立てるようにペンギンは薬指と中指の間に、自身の長い指を突っ込んでくる。
まるで、ぐにぐにと入り口を広げ、ひっかけ、ゆすって、嬲る。その行為のようだ。
だめ、無理。一気に心拍数が上がっていくのがわかった。
そこに、ヒヤリと指輪の隙間に冷たい水の様なものが満ちた感覚。ばくん、ばくんと鳴く心臓の音に、はっと我に帰った。
自分の指を、指輪を、見る。さっきまで頑なにその位置を動かなかった指輪が、ぎこちなくだが泡を頼りにその場でクルと少しだけ回転し、思わず「おお!」とでかい声で反応してしまった。
「すげェ、本当に石鹸でとれるんだ」
「
……」
相変わらず口を開かないペンギンの表情はまだ不機嫌さが残っている。向けられた視線はまだ冷たさを孕んでいた。
ペンギンが再びおれの左手をがっちりと固定し、右手で掴んだ指輪を慎重にゆっくりとまわしながら引き上げていく。泡のぬめりで少しずつだが指輪の位置が上へ上へとずり上がっていく。
第二関節に差し掛かった辺りで、ペンギンがようやく口を開いた。
「シャチあのさ、」
「ん?」
「シャチのココに知らねえ指輪あるって想像以上にムカつく」
指のフシを無理やり輪の中に通そうとぐりぐりと今までよりも強い力が伝わってくる。さすがにここまで来ると泡の滑りだけではどうにも出来ないのだろう。引っ張っては回して、回しては引っ張って。ぎちぎちと皮膚が引っ張られる痛みに、耐えきれず「いってェ」と小さく声が漏れ出た。
少しずつ指輪が抜けていく感覚がなければとっくに止めさせている。継続する抓られたようなシンプルな痛みに目尻の辺りが涙で濡れた。
「あと、おれ以外の誰かがここにはめるのを許したにも当然ムカついてる」
わかってるか?と圧を感じる声と共にカクンっと数センチ首を傾けたペンギンにビクッとして、コクコクと頷くことで返事をする。ぐぐ、と関節を一際強く引っ張られ、そして。
「
……とれた?」
「とれた」
待ち望んでいた瞬間に、思わずよっしゃあ!と大きな声をあげてガッツポーズをとる。この喜びを分かち合おうと隣に立つペンギンに腕を伸ばしたが、その身体に触れるより先に掴まれた手首の上で泡がぺしゃりと潰れた。
「喜ぶのは泡流してから」
「あ、忘れてた」
少しのぬるつきも許さないように丁寧に丁寧に流され、ようやく解放されたころにはすっかりと指先へ冷え、皮膚はふやけて薄い皺を残している。
散々引っ張られ捻られとした薬指は赤くなっていたが、数十分ぶりに指輪から解放された喜びの前には些細なことだった。
「まじで指輪切るしかないかと思ってた」
そして、デート代にすると意気込んでいたクラスメイトに一発くらい殴られようと覚悟も決めていた。
カチ、とスピーカーが小さなノイズを漏らしてそれからうるさいぐらいの音量でチャイムの音を流し始めた。予鈴だ。気がつけば騒がしかった廊下は随分と静かになっていて、慌てて辺りを見回したが、廊下にはもう自分以外誰もいない。
「シャチ」
その音に慌てて教室へ向かおうとするおれをペンギンが引き止め、掴まれた左手に残った水滴が二人の手の間で潰れて広がる。出席がやばいのだと離すよう求めたけれども、そんな要望は全て聞こえないように言葉が続けられた。
「遊びだろうとなんだろうと、ここにつけるのおれからの指輪だけにしろ」
相変わらずまだ苛つきを含んだ声でペンギンが言った。掴まれた手がぐいと引かれ、ペンギンの顔の前まで左手が持ち上げられる。薬指の上をペンギンの指がするすると辿るようになぞって、それから。
食われると思ったときにはもう遅い。赤くなった薬指の先はペンギンの口の中へと取り込まれ、そしてそのままがぶりと歯を立てられた。
「
……ッ、てェ、んっ、ふ
……ンン
……」
ペンギンのぬるついた舌がちゅ、ちゅぷ、と歯型の周りを舐めていたかと思うと尖らせた先っぽがツーっと爪先まで移動した。やだ、やめろ、と腰を引こうとしてもがっちり掴まれてしまって逃げられない。そのまま、ぱくっと薬指ごと口に含まれて、指の腹側を厚い舌でじゅるじゅると吸われた。
非難の視線を向ければ、なんのことはなくペンギンは嬉しそうに目を細める。
そして、また歯を立てた。
「ン、
…!」
こんなに優しくて甘い顔をしてるくせに、容赦がなく、甘く切ない腹の中がキュンっと蠢いて、口から漏れた声が死ぬほど恥ずかしい。
「ぁ、
……もう、離せって
……!」
擦られて赤くなった薬指の真ん中あたりにくっきりとペンギンの歯型が残るぐらいの強さに、今日一番の声を出してしまったのも仕方がないだろう。じわりと涙を浮かべるおれとは反対に、ペンギンはさっきまでの不機嫌さが嘘のようににこにこと満足そうな笑みを浮かべていた。「きれいに跡着いたな」じゃねぇよ。
「続きはまたあとでな」
本鈴の音にかき消されるようなセリフとともにペンギンは自身の教室へと戻っていく。
左手に視線を落とせば薬指に歯型だけが残って、唇で触れた証も、指輪の跡も、なにも残っていなかった。
If you make a mistake, you can cancel it by pressing the reaction.