ミイ
2025-08-15 17:50:09
6320文字
Public 静なつ 誕生祭
 

何度でも、貴女に(ナツキ・クルーガー誕生祭2025)

・舞-乙HiMEよりシズナツです。
・コーラルのナツキさんのお誕生日を、パールのシズルさんがお祝いするお話です。
・なつきさん、ナツキさん、お誕生日おめでとうございます。今日があなたの大切な人と一緒にいられる素敵な日でありますように。

 普段なら、誰かしらの声が聞こえてくるはずの午後。大抵はあの威勢のいいクラスメイトが、耳が痛くなるくらいの大声で

「根性!」

だのと気合を入れながら鍛錬に励んでいるはずだが、今日はしんと静まりかえっていて。己の呼吸音だけが、自身の耳に届いていた。

 時折鬱陶しさを覚えることもある、力のありすぎる声。それが聞こえないとなると、少しばかり寂しいと思う程度には、情が移っていたらしい。

(うちも人の子、いうことやろか)

 心の中で一人ごち、シズルは淡く笑みをこぼした。

 脳内で騒がしく自分の名前を呼んでいる彼女は、現在エアリーズにて家族やユキノさんと過ごしているはずだ。パール二位という成績は全くもって恥じるものではないのだが、彼女は

「次こそ勝ぁつ!」

と気合を発し、自分をびしぃっと激しく指差してから学園を出て行った。おそらく、実家の方でも鍛錬に励んでいるに違いない。熱心なことだ、と思う。

 本を捲る手を止め、傍に置いておいた、紅茶を口に運び、舌で転がす。

 ……あとで淹れなおすことにしよう。自分が思っていたよりも、時間が経ってしまっていたらしい。

 先週、一年生の長距離踏破試験と筆記試験が終わり、ガルデローベの夏休みが始まった。……とは言っても一週間程度のもので、そう長くはない。

 それでも実家に顔を見せに、とガルデローベを離れる生徒も多いため、現在学園内は物を落としただけでも響いてしまうほど静まりかえっていた。

 普段から騒がしい生徒が多い、というわけではないが(例外は除く)三人よればなんとやら。姦しい年頃の娘たちが少しでも減れば、音も減ってしまうらしい。

 静かな方が読書に集中できるものの、雑音ひとつない、というのも少し落ち着かない。ひとつ浅いため息をついて、シズルは手元のページをめくった。

 この夏休み、シズルは学園に残る数少ない生徒として、寮に居座っている。毎年一人か二人だけは残っているが、今年パールで残っているのは、どうやらシズルだけのようだ。……大方、他の生徒たちは進路の相談も兼ねての帰省なのだろう。シズルも一年目は呼び出しを受けたため帰省したが、二年目の今年は断った。

 今年は、家族の業務的な連絡、集まりよりも、優先すべきことがあるからだ。

「そろそろ、やろか」

 シズルはもうすでに数十分ほど目が滑ってしまっていた分厚い教本を閉じ、本棚に戻す。時計を見やれば長針はとうに頂点を過ぎていた。

 ほんの少し。自分でも意識していないとわからないくらいに胸が弾む。普段ではありえないくらいに上がっていく体温を、ナノマシンが循環を早めて、下げていくのを感じる。……こんな気持ち、いつぶりだろう。この身体の異常が、心の昂りが、自分以外の誰にも知られていないといいのだけれど。

 埃一つない廊下を歩いて寮の中を進んでいく。目指すは食堂……ではなく、数ヶ月前まで自分も過ごしていた、一年生の寮だ。

……あん子、部屋におるんやろか」

 いなかったらどうしようと一瞬考えるも、探せばいいだけの話だと思った。あの子がどこにいるのか。真面目なあの子が行きそうな場所は限られているから、見つけるのは割と簡単だと思っている。

 かわいい自分のお部屋係には、事前に夏休みの予定を聞いていた。家を、そして家族を大切にしていると聞いていた彼女だから、きっとこの日には会えないと思っていたのだけれど。せっかくの帰省のチャンスなのに、彼女は実家には帰らないのだと言う。

 そんな暇はないから、と。

 もっともっと努力して、立派なオトメになった暁に、マイスターオトメとして帰るのだと、彼女は決意に満ちた瞳で教えてくれた。

 ……眩しい、と思った。

 赤い瞳をしているのは自分の方なのに、彼女の熱を宿す瞳に見つめられて仕舞えば自分が燃えてしまいそうだった。

 この子の真っ直ぐすぎるところが好ましい、と思うと同時に、自分にはないその情熱に眩暈がする。そして、申し訳なくもなる。

 マイスターオトメになりたくて、この学園に来たわけではない。ただ、ここにいれば二年は時間ができる。この先の身の振り方を考えられる時間が。

 名も知らぬ誰かと契約をし、仕えることが誉であるなら、家の役に立つなら。自分の意思など介さなくても、別によかった。だけど今は、それ以外の道を探そうとしている自分がいる。どうするべきなのか、自分はどうしたいのか。まだ答えは出ていない。

 見慣れたドアの前に立ち、少しだけ意識して深く息を吸う。そっと、音を立てぬようにドアを開ければ、さっきまでの自分と同じように机に向かう背中が見えた。わずかな身じろぎで、手入れの行き届いた艶やかな髪が、美しく流れる。彼女の一部だけにもこんなに心を奪われてしまっていることを、改めて自覚した。

 少しずつ、近づく。視線は、彼女から一切逸らさない。

 ……本を読んでいる、にしては少し前屈みすぎるかもしれない。抜き足差し足と進んでいけば、可愛らしいお部屋係の顔が目に入る。

……こん子、寝たはる」

 もしかして、昨日も夜遅くまで勉強をしていたのだろうか。夜更かしはしない方が良いといつも言っているのに。それとも朝から本を読んで、疲れから眠ってしまったのだろうか。……それにしても。

「かいらしなぁ……

 顔にかかっていた髪を一房。指でよけて、そっと口付ける。起きている時だったら、絶対にさせてくれなかっただろう。少しの触れ合いでも顔を真っ赤にして倒れそうになる彼女を思い浮かべて笑みをこぼす。

 幼さをまだ残した顔をしている、と思っていたが、寝顔となるとさらに幼さが増す。普段緊張して眉の間に寄っている皺すらもなく、あどけないという言葉がよく似合う寝顔。役得だ、と思いながら見つめるシズルの口元は、いつになく緩みっぱなしだった。

 さて、どうしましょ。

 当初は後ろから驚かせてみよう。きっと面白い反応が見られる、と思ってきたものの、寝ているとなると話は別である。

(どのくらい寝たはるんやろか)

 あまり寝過ぎても良くないだろうし、机の上でこんな寝方をしていては体を痛めてしまうだろう。それならば。

「ナツキ」

 隠れたままの耳に口を寄せ、名前を呼んでみる。

 ナツキ、と初めて呼んだ時の表情が思い出され、あの時の自分の必死さに苦笑した。

「ナツキ」

 また、名を呼ぶ。少し身じろぎをした。もう少し、だろうか。

「ナツキ」

 自分でもわかってしまう、砂糖菓子のように甘い声。きっと、この子以外には向ける事のない声だ。

 起きて、くれないのなら。

 己の指で、引っかかりの一切ない髪を梳き、一房とって口づけた。まだ、起きない。さらに近づき、前に流れている横髪を耳にかけ、口を寄せた。

「ナツキ」
「ん……

 真っ白な肌。ここまできたら、なにがどこまでバレないのか。そんな悪戯心が湧いてきてしまって。

 シズルは蠱惑的な笑みを浮かべたまま、ナツキの綺麗な形をした小さな耳に歯を立てた。

 すると意外なことに、飛び上がることも顔を真っ赤にすることもなく、くすぐったそうにナツキは笑う。

「こら……ラン……くす、ぐったい……ははっ」

 ……こん子、うちを誰かと間違えたはる。

 あきません。ラン? どこの女やろか。……聞き覚えがあるような、ないような。

「ちょ、デュラン……まて、ほら……いいこだから……おとなしく、してろ」
……っ」

 こんなにもくっついているのに自分に気づいてくれないナツキに意地になってカプカプと噛み付いていれば、ナツキの小さな手が伸びてきて。そのまま抵抗もせずにいれば、あれよあれよという間に抱きしめられ、ワシワシと力強く頭を撫でられていた。

……ナツキから抱きしめてくれる、なんて初めてやないやろか)

 髪の毛がボサボサになってしまっているがそんなことを気にしている場合ではない。これ幸いと腕を回そうとしたとき、ナツキの形のいい眉がキュッと寄ってしまう。

……あ、れ? ゆめ……?」

 どうやら、夢心地の時には、終わりがやってきてしまったらしい。新緑の瞳が、とろりとした色を纏ったまま、瞼の裏から覗く。自分を捉えた瞬間、翡翠がきょとんと丸くなった。ふふ。ほんにかいらしわあ、こん子。

「シズ、ル……おねえ、さま?」

 言葉通り、目と鼻の先。ほんの少し。自分があと少しでも前に進めば、鼻がぶつかりそうなくらいの距離。

「うわぁっ! も、ももも申し訳ありません!」

 残念。もっと近くで見ていたかったのだけど。

 椅子から転げ落ちそうになるのを手を掴んで止めて、にこりと笑みを貼り付ける。

「おはようさん、ナツキ。ふふ。この時間ならおそようさん、やろか」
「あ、あのっ……

 目を見開いたナツキは言葉らしい言葉は出せず、パクパクと口を開けたり閉めたり。大方、寝起きにこんなことが起きているから混乱してしまっているのだろうけど。

……あんた、なんや夢の中で誰かとえらい仲良さげにしてましたけど……うちのこと、誰と間違えてたん?」
「うえっ……!?」

 白々しく聞いてみるが、彼女は慌てていて、シズルが楽しんでいることに気がついていない。その真面目なところが美徳であるし、シズルもからかいがいがある、と気に入っている部分でもある。

 きっと、彼女の中のナノマシンは、フル稼働で体温を下げるのに忙しいのだろう。一気に赤くなった顔が、青ざめたり赤くなったりと忙しなく繰り返す。

「なんや悲しいわぁ。うちというもんがありながら……
「えええっ!? ご、誤解ですっ!」
「誤解、いうんなら証拠を」

 さあ、あと一押し。そう思ったとき。

「そーですよ、シズルさん。そこの天然タラシはシズルさんのことしか眼中にないんで安心してくださーい」
「!?」

 先程までは気配すらなかったはずなのに。

 部屋の反対側からかかってきた声に振り向けば、ナツキの同室の、明るい髪の色をした少女がこちらを見てカラカラと楽しそうに笑っていた。

 迂闊だった。

 ……ナツキの予定は聞いていたけれど、同室の彼女の予定は聞いていなかったことに今更ながら気がつく。

「あっはは〜。そんなに殺気出さないでくださいって。さぁてと。珍しいもの見れちゃったし、あたしお昼ご飯作ってくるんでごゆっくり〜。あ、そのあとは街に出かけるんでお構いなく! それじゃっ!」
「ま、舞衣!?」 

 バタン、と勢いよくドアが閉まり、今度こそ二人だけになる。ナツキに気を取られていて、もう一人いることに気が付かないなんて……気が緩んでいたのだろうか。それにしても。

 鴇羽舞衣。初めて話した時から感じてはいたけれど。読めないというかなんというか。

 ……強かで聡い子だ。……なかなかに、この借りは大きい。

 そのうちお礼、しなあかんね。

 でもまずは。今目の前にいるこの子に、言わないといけないことがある。

「ナツキ」
「な、なんでしょうシズルお姉様」

 少し怯えたような表情をした彼女を、そして自分の気持ちを落ち着かせるためにそっと、彼女の髪に触れた。手のひらを滑らせるようにして撫でる。戸惑ったように揺れる新緑を捉え、本当は日が変わった瞬間から言いたかった言葉を、シズルはようやく口にした。

「誕生日、おめでとうさん」
「え?」

 目を丸くしたナツキは頬を上気させたまま、卓上のカレンダー見て、また自分の顔を見つめてきた。

「ど、どうして……
「ふふっ。あんた、忘れとるやろうなぁ、思て」

 そう素直に伝えれば、あわあわと言葉にならない言葉を繰り返す。

 ……やっぱり。真面目なこの子は、自分の誕生日すらすっかり忘れて勉学に励んでいたらしい。困ったものだ。まあ、そのくらい鈍いのが好都合というものだけれど。

「プレゼント、なんやけど……ナツキ、目、瞑ってくれはる?」
「は、はい! わかりました!」

 コーラルのGEMが嵌った左耳を指先で掠めると、無意識か、緊張で肩がすくめられる。それを手のひらで撫でてから、シズルはそっとナツキの右耳に触れた。部屋から持ってきていた包みを開けて、以前街に出たときに買ったプレゼントを取り出す。

「お姉様?」
「まーだ。目、開けたらあきませんえ。もう少し、待っといてな」
「は、はい」

 ふにふに、と耳たぶを確かめるように触れてから、手のひらに乗せていたイヤリングを、そっと彼女の右耳に嵌める。……綺麗。

「これ……
「基本的にGEM以外をつけるのは推奨されてませんけど、イヤリングやし、今はお休みの日やし……ええと思います。ふふっ。よう似合うてはるえ」
「わ、私も見たいです」

 肩に手を置いたまま、彼女を鏡の前に連れて行けば、ナツキの瞳がこぼれ落ちそうなくらいに見開かれる。

「これ、お姉様の」
「ふふ。うちの色、どす。あんたはうちのお世話係やさかい。ちゃあんと首輪、つけたらんと」
「なっ、く、首輪って!?」
「冗談どす」
「な、なんだ……

 緊張したり気が抜けたり。ほんにかいらしなぁ。……あらあら、首まで真っ赤。

「あ、ありがとう、ございます……

 アメジストのはまったそれを指先で撫でながら、だんだんと尻すぼみになる礼の愛らしさに笑みをこぼして、シズルは己の色が彼女の体に取り入れられたのを見て満足げに笑っていた。右耳に、絹のような髪をかけたまま、ピンで留める。今日くらい、こうしていてもらおうか。自分が誰のものなのか、他でもない彼女自身にわかってもらうために。
 
 ◇◇◇
 
「ナツキ、ほんまに、デュランに会わんでええの?」
……会いたくはありますが、今の私はこっちでやることがあるので」
……ええ子やなぁ、ナツキは。やったら今日は誕生日やし……ご褒美どす。うちがデュランの代わりになります」
「え!?」
「きゅーん。わんわん? やろか」

 床に膝をつき、上目遣いにナツキを見つめる。口慣れない言葉を紡いだまま、ナツキの反応を待った。

「お、お姉様……一体何を……!? た、立ってください。そんな、お姉様に膝をつかせるなんて。……あれ? でもなんでデュランが犬だって……って知ってたならさっきのは!」
「ふふ。堪忍。ナツキん反応がかいらしゅうて」
「お姉様ぁ!」

 ああ、きっと、これが幸せというものなのだろう。

 ……だけど、こんなふうに二人でナツキといられるのは今年が最初で最後なのかもしれない。自分はもう、来年のこの時期には、学園にはいないはずだから。何も依らず、漠然と生きてきたけれど、この先のナツキがいない世界など、自分がどうなっているのかすら想像できない。

 だから、これはナツキへのプレゼントといいつつ、自分のわがままなのだ。……来年の今頃、自分はどこの誰ともしらない主に、仕えているのかもしれないのだから、今だけは、どうか。

「なぁ、ナツキ」
「なんですか? シズルお姉様」
「誕生日、おめでとうさん」

 もうこの先直接言うことは叶わないのかもしれない。だから、今日は何度でも。

 この先の分も全部、全部。誰より愛しい彼女に、受け取っておいてもらおうと思う。

 生涯彼女以外に捧げることはないと誓う、愛を込めて。