ロヒケス
2025-08-15 14:24:47
Public 文章
 

【小説】帰りにくい鳴海さん

3年前に書いた短い話

 鳴海がしたたかに酔っ払いながら帰路に着いたのは夜半過ぎであった。
銀楼閣を目指しながら夢見心地で歩いていると遠目にぼんやりと明かりがついている部屋がある。こんな時間まで真面目なこってと少々皮肉めいた思いにかられたが、嫌な予感がしたので脚を早めて近づくとやはり、光源はビルヂングの三階の窓。あれはうちの事務所の明かりだと合点がいった鳴海は大きなため息をついた。今からでも回れ右をして別の店に行って飲み直そうかと真剣に考え始める。電気の消し忘れ後悔をし、酒に溺れて忘れようとしているわけではない。確かに今月も電気代は若干高くなるだろうが今はそれが大きな問題ではない。
「あれほど先に休んでおいていいと言ったのに――!」
あの堅物の書生が生真面目にも事務所で所長の帰りを待っている。そして帰ってきた上司に対して、
「お帰りなさい、遅かったですね」
と声を掛け自室に戻っていく。ただそれを言うためだけに。休めと言っても休まない、毎度これなのでいい加減にしてほしい、また言われるのかと、すっかり鳴海の気分は落ちてしまった。
 はじめは皮肉を言われているのだと思った。若者は無条件に年上を敬うべきだし、仮であろうがただの従業員のくせに上司に向って何事だ!と鳴海は腹に据えかねていた。しかし、一緒に過ごしてこの書生を知っていくうちに皮肉を言うひねくれ屋でもなく、世辞が言える器用さも無い事が分かった。育ってきた特殊な環境が成せたのか、元来の性質なのか両方なのかは分からない。ただ非常に、厄介なほどまっすぐなだけなやつなのだ。いっそ、嫌味であってくれたらいいのに。
整った容姿はあまりにも動かずギリシア彫刻を思わせる。見目麗しいのは結構だが、表情が読み取れないうえに極端に言葉数が少なくそれがいっそう人間らしさを損ねている。その性格で他人に勘違いされる場面も少なからずあろう、と鳴海は想像する。級友や先生からどのような人間だと思われているのだろうか?奴の素直から溢れた言葉に気づくことができる人間はどれほどいるのだろうか?ただの書生を心配してやる義理はないと思いながらもうまく日常に溶け込めているのかと、鳴海は常々気にかけていた。
「あいつはいちおう表向きは俺の部下で、怪しまれないことにこしたことはないし……
などど独り言で言い訳しながら。
だが人生楽しくをモットーに掲げて生きている鳴海にとって、ライドウが仕事に打ち込む姿を傍で見せつけられるのはたまらない。部下の裏の顔、ではなく『本当の仕事』に合わせていたら自分の生き方が窮屈になってしまう。仕事に縛られて自分の人生を楽しめないなんてのはまっぴらごめん被りたいと、関わりすぎることに恐れているのも事実であった。ライドウの使命に生きる姿は、鳴海が選ぶことのできなかった人生の――
 「ああ、ああ、考えたくない。だめだ酔いが醒めてきやがった。ああ飲み直したい!」
鳴海は足の向きを反転させようとした。しかし事務所の灯りがライドウの待ち続ける姿を連想させる。鳴海が帰ってくるまで姿勢を崩すこともなくきっと休むこともない。必ずお帰りなさいと声をかけるまでは。鳴海は本来情に厚い性質の持ち主である。ひとたびライドウのことを考えてしまえば、自分だけ楽しく酒など飲み直せるはずなどなかったのである。先刻よりも長く大きな息を吐き、
「事務所に酒残ってたっけなぁ」
と頭を搔きながらぽつりとつぶやく。
ライドウが仕事で使ってるやつ貰えばいいや」
 鳴海は銀楼閣に向って一歩ずつ踏みだす。
「俺なんかの帰りを待ってたこと、後悔させてやる!」
 一人だけの影は光の下へ大股で歩いて行った。




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