くこ
2025-08-24 00:00:00
2776文字
Public
 

王最真夏のホラー祭企画

https://x.com/ebiebiosai/status/1946535449776054622

素敵な企画の賑やかしです 雰囲気だけのシロモノ
このあとはきっと、王馬小吉の奮闘が始まるのでしょう




隙間があいている。
腕が入るかどうか、くらいの幅で、向こう側の様子は見ることができない。書類から目線を上げた最原は、その扉を一瞥し、また手元へと視線を戻した。

「無視するなんてヒドイよ! 最原ちゃんの人でなし!」
「わかってたからだよ」

顔は上げずに、最原が答える。最原からは見えていないが、王馬の頬がわざとらしく膨れているのであろうことは、想像に難くない。
王馬が最原の探偵事務所に忍び込み、ビックリやらドッキリやらを企画して実行するのは、一度や二度のことではない。最初の頃こそ律儀に驚いていた最原だったが、今ではこの通り、すっかり慣れっこだ。少しの違和感を読み取ることは、元々得意な方であったし、それの原因が明らかなのであれば、驚くことも、もはや無い。
可愛げがない、と、王馬がぷりぷりと怒って――怒ったふりをして、冷蔵庫から勝手に炭酸飲料を取り出す。その様子も、今や恒例のものだ。ぷしゅ、と二酸化炭素の抜ける音がする。

「僕にも何か飲み物ちょうだい」
「悪の総統を顎で使うとは、いい度胸だね」

言葉とは裏腹に、棚からマグカップを取り出す音がする。ざら、とコーヒー豆の流れ出る音と、しばらくして、ミルの音がする。香ばしいにおいが漂ってきた。
王馬がこうしてちょっかいをかけてくるタイミングは、たいてい、目や肩、首が疲れてきているときだ。休憩しろ、の別言語である。それがわかってから、最原は、あまり逆らうことをしなくなった。稀に、本当に忙しいときに本当に面倒くさい悪戯を仕掛けてくるときもあるが、そこはそれ、王馬小吉なので、仕方がない。
書類を揃えて封筒に入れると、王馬の隣に置かれたコーヒーを飲みに行くため、最原は立ち上がった。




隙間があいている。
突風に書類がいくつか攫われてしまったので、気が付いた。最原は目を細めて、机の下に滑り込んでしまったそれらを、億劫そうに拾う。掃除をしていたときに開けたままにして、窓を閉め忘れてしまったのだろうか。あまり、事務所の窓を開けることは、無いのだが。
ちらりと室内を見回し、侵入者の居ないことを確認する。入口近くの窓であればともかく、さすがに、この小さい窓から入ってきてはいないようだ。空気の入れ替えのために開けたままにしておいてもよかったが、また書類を飛ばされては鬱陶しいので、最原は椅子から立ち上がり窓を閉めた。

「?」

鍵まで閉めたところで、指が濡れていることに気が付く。何か零してしまっただろうか。あるいは、観葉植物に水をやったときの名残か。どちらも心当たりがなく、最原はひとり首を傾げた。まあ、大きな問題はない。次の依頼の時間が迫っていたので、そのまま最原の頭からは忘れ去られた。



隙間があいている。
たしかに、このコーヒーパックは封を切っていた。依頼人へ振る舞う用の、簡易なもの。先日も使って、その後、きちんとクリップで止めていたと思っていたが。失念したのかもしれない。上に向かって口を開けているので、座っている最原の位置から、中身までは見えない。すぐに駄目になるようなものでもないはずなので、少しくらい口が開いてしまっていても大丈夫だと信じたい。
ふうと一息つき、クリップを探す。何本かセットになっているものを買っていたので、どこかに予備が置いてある。おぼろげな記憶を頼りに、棚を順繰りに開けていく。

「あ」

ずる、と、指先に違和感。少し粘度のあるそれは、以前にもどこかで触れたことがある。
何かこぼしてそのままにしていただろうか、周囲に目を向けるが、他は特に濡れていない。自分の指だけだ。どこを触ったせいなのかも、定かではない。とはいえ、濡れていることは事実なので、べたべたと周囲を触るわけにもいかない。被害を拡大させてしまう。

溜息をつき、ティッシュを取りに腰を上げる。
誰かと目が合った。

体をびくんと震わせ、最原は目を見開く。
記憶がはっきりしない。自分はたしか、事務所にいた。しかし、ここは、どこだろう。少なくとも、屋内ではない。首を回し、情報を取り入れようとする。ぱきり、足元で細い枝が折れた。歩いてはいない、重心を変えたせいだ。鬱蒼と生い茂る木々の合間には霧が立ち込めていて、前後も左右もわからない。下手に動いては、二度と戻れない気がした。

戻る――どこへ?

ガシャン!と耳障りな音が、鼓膜を震わせる。
最原の足元に、コーヒーカップが落ちていた。割れている。破片は細かくないが、掃除機で吸った方がいいだろう。どこに仕舞っていただろうか。奥の部屋だった気がする。

隙間があいている。
扉の向こう側は見えない。
こぶしが入るくらいの、空間。部屋の明かりは付いていないはずだが、光が漏れてきている。窓からの日差しだろうか。そもそも、今は、昼間だったろうか。
扉に手を伸ばすことを、躊躇する。これは、開いてよい扉であっただろうか。

ぱちんと静電気が走る。
最原は目を閉じた。




隙間がある。
ビルとビルとの間、体を横にすればギリギリ入れるかどうかの幅だ。壁の向こうに誰がいるかは見えない。何があるかも、わからない。
最原は目を凝らす。
誰かと目が合った。




「最原ちゃん!」




強い力に引かれ、はっとする。
最原は尻餅をついていた。目の前に白い服。彼に腕を引かれたのだと、数秒後に理解した。彼が、慌てた様子を見せるのは、酷くめずらしい。何があったのだろう、他人事のように思う。がらがらがら、と窓を勢いよく閉める音がした。
がっと両手で頬を包まれ、上を向かされる。間近で、紫の瞳が最原を検分する。まるで医者みたいだな、と、ぼんやり思う。

「王馬くん」

最原が名を呼ぶと、王馬の手から少し力が抜けた。意識がはっきりしていることを確かめられて、安心したのだろう。

「ねえ、うすのろおとぼけ探偵さん。いくら寝ぼけてたからって、今のは冗談じゃ済まされないよ?」
「今の……って……

未だに王馬の両手で顔を掴まれたまま、最原が彼を見返す。彼の言う「今の」が、何を指しているのかが理解できない。
ぽけっとしている最原を見て、王馬が柳眉をひそめる。押し黙ったあと、どこかへ連絡を取り始めた。真宮寺、日向、など、高校時代の知人の名前が聞こえてくる。王馬が、最原の目の前で手配の様子を見せることは、滅多にない。いつのまにか準備を整えていて、最原が知るときにはいつも、すべてが終わったあとだった。

指が濡れている。体育座りのまま、自身の両手を見つめた。

……じゃあ、1時間後に駅前のXXで」

出かける準備をしてよ、最原ちゃん。
告げようとした王馬の言葉は、飲み込まれてしまった。

水溜まりだけがそこに在った。