望月 鏡翠
2025-08-13 00:17:18
1019文字
Public 日課
 

#1809 「韋編」「副本」「割木」

#毎日最低800文字のSSを書く


 目の前の書物を手に取ろうとしたとき、学者先生が声を上げた。
「ああ、気をつけてくれ。紐が脆くなっているから、きっとバラバラになってしまう」
 紐と言われても何のことなのかよくわからなかった。私にとって、本といえば背表紙が付いて糊で閉じられたあの形だったからだ。紙に穴を開けて紐で括ってあるという形式の本を、目の当たりにするなんて思っていなかった。
「韋編なんて初めてみただろう」
 かなり古い形式の本だ。本といっても、素材が紙ですらない。木の板や竹を使ってできている。それを糸で結び合わせてあるのだ。糸が切れていたら確かにバラバラになって二度と組み立てられないパズルになるだろう。
 内容を知っていたら、内容に沿って組み立てることができる。しかし、これから内容を読み解こうというのに、正しい順序などわかるわけがない。前後の文脈を推察することもできなくなってしまうのだ。
 自分が歴史を破壊するかもしれないと思うと、恐ろしくてたまらなくなる。
「そこまで緊張しなくていいよ。手元が狂っても困るしね。リラックスして自然体かつ慎重に」
 それが一番難しいのだ。
 わかっていてもやはり緊張で手が震えた。取り返しがつかないものというのは恐ろしい。
「じゃあ、君の緊張がほぐれるいい話を聞かせてあげるよ」
「本当にそんな話があるんですか?」
「その本は副書がある。だからその本がバラバラになってしまったとして、内容が失われてしまうことにはならないし、後で並べ直すこともできるよ」
 私はほっと息を吐いた。
「そうだったんですね」
 学者先生は愛おしそうに、本の表紙を撫でる。
「暗い時代を超えてきた書物だからね。昔は割木の代わりに、火にくべられて端から燃やされてしまった時代だってあったんだよ」
 書を守るために当時の人間が重要だと思った書物を書き写し、それぞれの場所に隠したのだという。原本よりもそれらの散逸した副本がさきに見つかり、その全てが写しだということはどこかに大本となった本があるのだろうという仮説が存在していた。
 大元はすでに消失してしまった可能性だってあったが、今回ついに原本が発見されたのだ。
「それってつまり、過去に残っている記録が、原本と同じものかどうかを確かめることができる貴重な資料っていうことじゃないですか?」
「そうなるねぇ」
 全然気持ちは解れなかった。歴史的資料を前にしているのだ。やっぱり手が震えた。