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もち屋
2025-07-22 13:02:23
5441文字
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ファイモス
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愛を深めるコロン
ファイモス。ハグしようとしたら丸洗いされた話
本編軸。鼻が利く殿下がファイノンの匂いが気になってしまうラブコメ。
「おかえり、モーディス」
「
……
臭い」
遠征から戻ってきたモーディスを出迎え、ハグしようとしたら見たことがないような表情を浮かべた後に、そう言われた。
久しぶりに会った戦友にかける言葉がそれなのか、とか。他に言うことがあるんじゃないのか、とか。頭に浮かんでくる言葉はあるけれど。それ以上に、言われたことをうまく咀嚼できなくて。固まっている僕をよそに、すん、すん、と首筋、胸板、脇、とモーディスの鼻が寄せられる。そうして腰の方へと顔を移したところで、わずかに眉根を寄せ、ザッ、と一歩距離をとられた。次は流石に口にこそしなかったものの、表情にはっきりと書いてある。そんなに臭いのだろうか。
たしかに鍛錬の後で汗はかいているけど、なにもわざわざ匂いを嗅いでまでそんなことを言う必要があるんだろうか。僕だって多少なり傷ついたりするのだけど。
「さ、っき鍛錬終わったばっかだからね。ちょうど今からピュエロスに行こうと思ってたところだけど
……
君も行く?」
「
……
ああ。それが良い」
とっとと行くぞ、と続けて、モーディスに腕を掴まれる。いつもは僕が彼を連れて行くのに、今日はなんだか珍しい。
ぐいぐいと引きずられるようにピュエロスへ連れて行かれた僕は、頭からお湯をかけられ、そこで待っていろ、と洗い場の椅子に座らされていた。モーディスがいつも使っている石鹸を取りに行ったところで、ようやく状況の異様さに頭が追いついてくる。
もしかして、モーディスは僕のことを洗おうとしてるんじゃないのか。流れとしては多分そうなんだけど、どうしてそんなことをしようとしているのか分からない。そもそも、普段は一緒にピュエロスへ行っても、別々に身体を洗うし、湯船に浸かっていても気分で単独行動をすることもあるくらいなのに。
「ちょ
……
っと待ってくれ! 流石に自分で洗うよ」
「放っておけばお前はその辺の手洗い用石鹸で身体を洗うだろう」
「そ、れは否定しないけど
……
それと君が僕を丸洗いしようとするのは話が別じゃないか?」
せめて説明をしてくれ、と弱りきった声をあげれば、ようやくモーディスは石鹸を持っていた手を下ろした。
モーディスとはよくピュエロスに行く仲だし、身体の関係もある。別に互いの身体を洗うことくらい、抵抗はない。とはいえ、熱を交わして興奮したからとか、そういう雰囲気だったなら理解はできるけど、特に理由もないのに一方的にされるのはよく分からない。もちろん、モーディスが積極的なのは嬉しいけど。どうにもそういう意味を孕んだ触れ合いにはみえない。というか、臭いって言われた直後のこれは普通にちょっとショックだ。
「何か香をつけただろう」
「え?」
一歩こちらに近づいてきたモーディスが小さく鼻をならす。汗臭いことを指摘していたわけではないらしい。とはいっても心当たりは全然ないのだけど。さっきと同じように首筋、脇、とモーディスが顔を近づけてくる。鼻腔をかすめたモーディスの匂いと、急に縮まった距離にびく、と身体が跳ねた。今はお互いに何もまとっていなくて、しかもピュエロスの中は温度も湿度も高い。モーディスの肌を伝う雫を認めて、目を逸らす。彼と身体をつなげている時の空気を思い出してしまって、小さく歯噛みした。うっかり気を抜いてしまえば、下腹部が熱をもってしまいそうで。たぶん、気をつけていてもこの距離で触られ続けていたら我慢ができなくなってしまう。本当に、どうして急にこんなことをするんだ。
そんな自分の葛藤を知ってか知らずか、モーディスはファイノンの身体を検分するように下の方へと鼻先を寄せていく。その姿がなんだか、彼が上に乗ってくれた時のそれを想起させて本当に目の毒だった。彼の嗅覚が優れているのは知っているけど、もう少し自分の行動がどう見えるのかくらいは気にしてほしい。一応、一般人用じゃなくて黄金裔のピュエロスに来てはいるものの、いつ誰が入ってくるか分からないというのに。
「やはり臭うな」
「はぁ
……
この石鹸を使えばいいんだろう?」
もう少し言い方を考えてくれ、と続けながら、モーディスの肩を押して身体を離すと、半ば奪い取るように石鹸を受け取る。これ以上続けられたら、公共の場で発情する不審者になってしまう。最近はお互いに遠征が多かったから、あまり触れ合えていなかったし。本当にこのままでは痴態を晒す羽目になる。
モーディスは何か言いたげではあったけど、自分でやるのなら、とそれ以上口を開くことなく別の洗い場へと歩いていった。その姿にほっと胸を撫で下ろしながら、今日は丁寧に洗ったほうがいいんだろうなぁ、と、渡された石鹸を見下ろして小さくため息を吐いた。
◆
黎明を遮った室内は仄かに薄暗い。自身のベッドに身体を横たえて、隣に寝転ぶモーディスの顔を盗み見る。普段はもう少し近いのに、今日はキメラ一匹ぶんくらいの距離があいていた。
あの後、渡された石鹸で全身を洗ったのにもかかわらず、モーディスはずっと眉を顰めていた。一体なにがそんなに気になるんだろう。
香をつけただろう、と言われはしたが、自分ではあまり違いが分からない。モーディスが特に気にしていた辺りを頑張って嗅いでみても、彼と同じ少し甘い石鹸の香りしかしない。うわ、今ってもしかしてモーディスと同じ匂いがするのか、と改めて気づいてなんだか照れくさくなる。同じ石鹸を使っているから当然なんだけど、不思議な心地がした。
僕からすれば同じだと思っているんだけど、モーディスからすれば違うみたいで。といっても、香水をつける習慣はおろか、アグライアにつけるようにと渡されたものでさえも部屋の引き出しの中で埃をかぶっている。つけたところで、すぐに鍛錬で汗をかくわけだし。だから、モーディスが言っていた意味があんまりピンときてはいなかった。
ああでも、そういえば今日の午後に雲石市場で骨董品を見繕っていたら、市民にディアディクティオで人気の『運命の相手が分かるモネータのコロン』を宣伝してほしい、と頼まれたんだっけ。一日過ごすだけでいいから、と振りかけられたけど、もしかしてそれのことだろうか。
その場で嗅がせてもらったけど、自分ではほとんど匂いを感じなかった。曰く、モネータの祝福によって、運命の相手にだけ感じる香りを生み出すものなのだとか。そんな触れ込みの香水が、いまオクヘイマで大流行しているらしい。
そう説明はされたけど、ほとんど無臭なのに特定の相手だけ香りを感じられるというのはどうにもピンとこない。賢い人間にしか見えない服と同じようなものなんじゃないかと思ってさえいた。でも、モーディスが感じ取っているというのなら話は変わってくる。並外れた彼の嗅覚で拾い上げることができるのなら、一応香水としての役割は果たしているのだろう。運命という単語に対しては半信半疑だけど、そういう浪漫も悪くないとは思うし。臭いと言われて距離をとられている現状は、あまり好ましくはないのだけど。
そっと、眠っているモーディスに手を伸ばす。今回の遠征は少し長かった。ちょうど遠征から戻ったファイノンと入れ替わるように、モーディスが遠征へ出ることになって。ようやく今日、一週間ぶりに顔を合わせることができたのだ。遠征先の話や、オクヘイマで起きた出来事。最近見つけた骨董品のこととか、色々話したいことがたくさんあったのだけど。
バニオを終えたモーディスは、珍しくファイノンのプライベートルトロに転がり込んで、一緒のベッドで眠っている。それ自体は別に問題ない。ただ、部屋に戻ってからベッドに押し倒されて、彼も僕のことを求めてくれていたのかなと喜んだのも束の間。くんくんとキメラよろしく匂いチェックをしたモーディスは、不合格だと言わんばかりに「臭い」とぼやいて、早々に横になってしまった。
そんなに気になるなら自分のルトロに戻ればいいのに。こんな風にされるのはちょっと生殺しなんじゃないか、と文句のひとつも言ってやりたくなる。
さらさらと肩を流れる小麦色に触れ、そっと口づける。おかえり、と小さく囁いた言葉は、静かな部屋の空気に溶けていった。たぶん、今日はもう寝るしかないのだろう。明日の朝にモネータのコロンの話をしよう。そう決めて、ファイノンはモーディスの身体に腕を回して目を閉じた。
◆
ファイノンの匂いがおかしい。
遠征帰りの自分の鼻がおかしくなってしまったのかと疑うほどに、目の前の男から漂ってくる爽やかな香りにモーディスは眉を顰めた。
普段の石鹸や奴自身のそれとは別種のもの。金織が奴に香水でもつけるように指導したのかとも思ったが、それにしては質が悪い。こんなものを身に着けさせるくらいであれば、何もつけないほうがマシだ。そもそも、この男は今のままで問題ないと思うのだが。一体どうしてこんな珍妙な匂いをまとっているのか。
思わず反射的に「臭い」と口にしてしまったのは流石に失言だったと思っている。傷ついたような顔をしているファイノンは、すぐに唇を尖らせて不服そうにした。ピュエロスに行く時間でもあったから、ちょうど良いか、と奴を引きずって。全身を洗い終えた頃には、いくぶんかそれはマシになっていた。
ただ、一つ誤算があったとすれば。洗うのならちょうど良いと思って、普段自分が使っている石鹸を使わせたことだろうか。
バニオを済ませ、奴のプライベートルトロに足を運んだところで自身の失態に気がついた。再会した時に感じた香料はほとんど消えていたが、今度はファイノンから香る自身と同じ匂いに戸惑ってしまう。それも、奴自身のそれと混ざっているからなおさらだ。似合わないというほどではないが、あの男にはいささか重すぎる。
ベッドで身体を寄せられると、なおさら香りを意識してしまってよくない。
しばらく会っていなかったし、欲が溜まっていないといえば嘘になる。けれど、この状態で触れ合うのはどうにも落ち着かなかった。
それでも自分のルトロに戻らずに奴のベッドを占領したのは、ファイノンが目に見えて落ち込んでいたからだ。甘えたいという気持ちが態度に出ているのにもかかわらず、この男は強く言ってこない。相変わらずよく顔にでる男だ。そんな風にするくらいなら素直に言ってくれば良いものを。
翌朝になれば多少はマシになっているだろう、と結論づけて、自身の身体に密着してくるファイノンの熱を感じながら、モーディスは強く目を閉じた。
◆
目が覚めたら、モーディスが僕の頭を抱えて眠っていた。視界いっぱいに広がる胸筋に思考が追いつかない。そういえば、ゆうべは彼を抱きしめて眠ったんだっけ。
温かくて少しふかふかとしている彼の胸が呼吸と共に上下している。あれ、モーディスが僕より遅く起きるなんて珍しいな、と思っていると「起きたか」といつの間にか目を覚ましていた彼がこちらを見下ろしていた。
「おはよう
……
もう、近づいてもいいのか?」
「
……
先に抱きついてきたのはお前だろう」
自分でも驚くくらいふてくされた声が出てしまった。モーディスは、ふ、と小さく笑うと僕の髪をかきまぜて、そっと鼻先を近づける。また何か言われるんだろうか。でも昨日一日我慢したんだし、今日は何を言われてもモーディスと触れ合いたいのだけど。
そんなことを考えていたら、チェックが終わったのか、モーディスが離れていく。ちら、と表情を盗み見ると、穏やかな黄金が、まるで愛おしむみたいに細められていて。君ってそんな表情できたんだ、と口をついて出そうになった言葉を慌てて飲み込んだ。
「悪くない。いいだろう」
「
……
そんなに変なにおいしてたかな」
「ああ。お前にアレは似合わん。香水をつけるにしても、金織に相談しろ」
運命の相手にしか香らないって話だったんだけどな、とぼやけば、はん、と鼻で笑われる。
「お優しい救世主は市井の言葉をよく聞き届けるようだな」
「はいはい。僕だって眉唾だと思ってるよ。でも、君がそんなに僕の匂いが好きだなんて知らなかったな」
む、とモーディスの眉が僅かに寄る。そんなことはないと否定されるのかと思いきや、しばらく沈黙していた。あれ、もしかして無自覚だったんだろうか。
「
……
お前には似合わんと思っただけだ」
迷った末に返ってきた言葉は、やっぱりそれって僕の匂いが好きってことじゃないかと思ったけど。多分これ以上言及したら機嫌を損ねてしまう気がして。
「じゃあ、匂いは問題ないって君のお墨つきが下りたところで
……
今日の予定って決まってるかい?」
「いや。今日は休息をとるようにと言われている」
「それじゃあ
……
」
モーディスの頬に手をのばして、そっと唇を寄せる。彼が帰ってくるから、と今日は自分の予定も入れていない。彼とゆっくり過ごせるのは本当に久しぶりのことだから。
「今日は君をいっぱい愛させてほしいな」
何度かついばむような口づけを交わし、そっとモーディスの身体を押し倒した。
◆
後日、『運命の相手が分かるモネータのコロン』は『黄金裔のお墨つき! 愛を深めるモネータのコロン』と改名し、ディアディクティオで宣伝されることになったとかならなかったとか。
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