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もち屋
2025-06-20 03:11:45
5061文字
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ファイモス
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寝過ごした午後のこと
ファイモス
モーディスの部屋で寝過ごした日にスープを作ってくれる話。
3.0より前くらいの時系列。付き合っている二人。
穏やかだったり子どもみたいなやりとりをしてほしいなという祈り。
ふわりと鼻腔をくすぐる香ばしい匂いに、沈んでいた意識が緩やかに浮上する。
隣の部屋からわずかに差し込んでくる黎明と、外から聞こえてくる人々の賑やかな声が耳朶を打って、ファイノンの意識が急速に輪郭を伴っていく。
がば、と飛び起き、枕元の石板を起動すると、時計は践行の刻を指している。どうやら寝過ごしてしまったようだ。
昨晩、互いに休日だから、とモーディスの部屋を訪れたことまでは覚えている。今日は火を追う旅の活動もない日だし、二人でゆっくりと過ごそうと思っていたのだけど。
もうじき離愁の刻だ。この時間からでは、どこかに出かけたとしてもすぐに帰る時間になってしまう。モーディスは別にそれでも構わないと言ってくれるだろうけれど、それではファイノンの気持ちが落ち着かない。
昨晩だって、互いにバニオを済ませてベッドに潜り込んだまでは良かったのに。熱を分け合おうと唇を重ねた後、果たしてどうしたんだっけか。
記憶に残っているのは、朦朧とした意識の中でモーディスがひどく穏やかな表情を浮かべていたことくらいで。
仕方がないな、とでもいうように目元を緩めて「ファイノン」と名を呼んでくれた気がする。珍しくモーディスの方から鼻をすり合わせて、口づけを送ってくれたんだっけか。
その声があまりにも優しくて、温かかったから。だから、寝かしつけるようなその声音と仕草に導かれるままに意識を手放してしまったのだ。なんだか申し訳ないことをした。きっと、モーディスはファイノンのために準備をしてくれていただろうに。
そういえば、モーディスはどこにいるのだろう。共寝をしたはずの恋人の姿がどこにも見当たらない。
石板にもメッセージは残されていないから、おそらく部屋の中にはいるのだろう。ふわり、ともう一度強く香ったニンニクの匂いに、ぐう、とお腹が小さく鳴った。
◆
「モーディス、何を作っているんだい?」
ベッドを抜け出してリビングへと向かえば、鍋の前に立つモーディスの姿があった。
ジュウジュウと賑やかな音を立てる野菜を炒めながら、モーディスはちら、と視線をファイノンに投げる。
「スープだ」
「この時期にスープ、か。なんだか珍しいね」
オクヘイマには今、春が訪れている。徐々に気候が穏やかになり、暖かくなっていくこの時期。スープもそろそろ冷たいものが恋しくなる頃だ。
邪魔をしないように彼の近くに寄ると、鍋の中が見えてきた。たっぷりのオリーブオイルと共にみじん切りにされたニンニクとネギが炒められている。台の上には同じように細かく切り揃えられたナスが転がっているから、これも後から入れるのだろう。
その隣に並んでいる蓋をされたボウルをあければ、中でにゅ、と口を開いて触手をのばしている貝が引っ込んだ。
「余計なことをするな」と飛んできた声に、ごめん、と返す。肉を入れたスープはよく作っているけれど、海鮮を使ったものは初めて見たかもしれない。
ファジェイナの加護が失われ、海洋が荒れて久しいから、新鮮な海産物は今や希少だ。たまに市に出回ることはあるけれど、オクヘイマまで持ってくるとなると、それだけで鮮度は落ちる。ましてやまだ生きている貝ともなればなおさらだ。よくよく見れば魚の切り身も並んでいるから、今日はかなりのご馳走だ。
何を作っているのだろうと思案する自身を横目に、モーディスは手際よくナスを鍋に入れ、石板を操作すると、火を弱めてこちらへと向き直った。
「もう少し眠っていても構わん。まだしばらくかかる」
「いや、流石に寝過ぎだと思ってるよ。君と過ごす時間が減ってしまうわけだし
……
」
君が、料理を始めたら止めないことはよく知ってるけどね、と続けて肩をすくめて見せれば、はん、と小さく笑う声が返ってくる。
「一人で待つのが寂しいのか?」
「まさか
……
いや、ちょっと寂しいかも。起きた時に隣に君がいなかったのも、結構こたえた」
昨日はごめんね、と後ろから彼の首に腕を回す。怒られるかなと思ったけど、意外と抵抗されることもなく受け入れられた。
火の前だから、と少しだけ移動した後、モーディスはファイノンの髪をそっと撫でる。
「構わん。休息をとることも戦士の勤めだ」
「君が良くても、僕が構うんだけど
……
」
「なら、自分の身体の状態を常に把握することだな」
昨晩は随分と疲れていたようだしな、と続けられてファイノンはぐう、と押し黙る。せっかく久しぶりに共寝ができる、と昨日は一日張り切っていたのにあの体たらくだ。自分でも気づかないうちに疲労が溜まっていたのだろう。
謝罪を口にしようとファイノンが唇を開いた瞬間、何かが口の中に押しつけられる。反射的にもぐ、と咀嚼して視線をやれば、無言でモーディスがラスクを差し出していた。
固くやきしめられ、口の中でほろほろと溶けるそれをゆっくりと飲み込めば、続けざまにもう一枚差し出される。まるで餌付けだ。
「あ、の
……
モーディス?」
「スープはあと四針ほどはかかる。腹が空いていたのだろう?」
「い、や
……
そう、だけど
……
うん、ありがとう」
言外にファイノンの謝罪は受け取らないといった態度に、なんとも釈然としない。労ってくれるのは伝わるけれど、なんだか面映ゆい。普段よりもやや機嫌が良いように感じられるのは、気のせいだろうか。
窓の外からひときわ大きな歓声が響いて賑やかな音楽が僅かに聞こえてくる。そういえば、今日から歓喜の月だ。
「もしかして君が作ってるのって
……
」
「ああ、祝祭料理だ。オクヘイマの伝統料理だと聞いている」
歓喜の月の訪れを祝うと共に開かれる祝祭。ファジェイナの笑い声と呼ばれるスープを大鍋で作り、皆で飲む。そうして、繁忙期の終わりを労りあうのだ。
クレムノスにそんな文化はないはずなのに、モーディスはわざわざそれを作ってくれている。おそらく、疲れ切ったファイノンのために。なんだか胸の奥がじん、と熱くなってファイノンはそれを誤魔化すように、へにゃ、と笑った。
「君、他の都市国家の祝祭とかちゃんと祝うんだ」
「オクヘイマに移住を決めている以上、その土地の文化は尊重すべきだ。それに、食事に罪はない」
お前も、故郷ではないこの土地のために奔走していただろう、と続けられて、ファイノンは反射的に口元に手を当てた。普段そんなことなんて言わないのに、今日は一体どうしたっていうのだろう。
先日、栽培の月を迎えたオクヘイマは、各地で春の耕作が始まっていた。故郷で農具を振っていたファイノンは、毎年この時期になると各地の手伝いに駆り出される。普段振るっている剣を置き、鍬に持ち替えて、もとより土地を持っている民や、新たに移住してきた難民のための畑を耕すのだ。
毎日違う畑を耕し、種を植え。土壌の改良の相談を受けたり、今年の計画を練ったり。そうして声のかかるままにオクヘイマじゅうを走り回っては、鍬を振るった。
戦場で剣を振るうほどの緊張感はないけれど、新たな土地の開墾をする時はどうしたって力がいるし、普段使わない身体の使い方をする分、疲労の溜まり方も変わってくる。昨日はようやく最後の畑を耕し終えて、へとへとになっていて。だからこそ、モーディスとの久方ぶりの共寝だったのに眠りこけてしまったわけなのだけれども。
モーディスはファイノンのように畑を手伝うことはないが、ファイノンが日夜それらのために奔走していることは知っていたようで。戦でもないのに体力がなくなるだなんて軟弱だ、とでも言われると思っていたからこそ、余計に真っ向から言葉を向けられることが落ち着かない。
「
……
戦でもないのに、とか言われると思っていたよ」
「民のための労働に貴賤はない。戦士が常に戦に出ているわけでもないからな」
「そういうものか」
「そういうものだ。阿呆面を晒して寝過ごしたところで、誰が責めるわけでもないだろう」
「えっ!? 僕そんな変な寝顔してた?」
ファイノンの言葉に、ふは、と堪えきれないといったふうな笑い声が漏れて、モーディスの肩が揺れる。自分としては結構真面目な話なのだけど、そんな風に笑わなくてもいいじゃないか。
自身の不満を読み取ったのか、モーディスは肩を小さく震わせながら「ずいぶんと記憶に残るものだったぞ」なんていうものだから。先程までの落ち着かない気持ちなんてどこかにいってしまって。なぜかずっと笑い続けているモーディスの腹をつついて、小さな意趣返しをした。
◆
「うん、美味しい」
モーディスが作ってくれたファジェイナの笑い声は、初めて作ったとは思えないほど美味しかった。
ファイノンがオクヘイマに来たばかりの頃、歓喜の月に開かれた祝祭で口にしたときのものよりもなんだか美味しく感じられる。香草とブラックペッパーがよく効いていて、貝と魚の出汁がよく出ているそれは、固めのラスクによくあった。ネクタールと合わせるのも良さそうだけど、今日はやめておく。
モーディスは味の調整をもう少しすればよかった、とぼやいているけれど、ファイノンとしては十分だと思う。もう少しだけ香辛料を足してもいいかもしれないけど、そうすると塩味が強くなりすぎてしまうかも。モーディスはどちらかといえば薄味の方が好みだから、それもあるのかもしれない。
そんなことを考えながらスープを飲み干し、皿を片付ける。外から聞こえてくる楽しげな声と音楽は佳境に差し掛かっていた。
「そういえば、クレムノスではこういう時に踊ったりするのかい?」
「あまり踊る文化はない。だが、決して踊らないというわけでもない」
戦に勝てばメーレを飲み、歌い踊る。けれど、定まった型があるというわけでもない。そう続けるモーディスの口ぶりからは、あまりダンスというものを楽しんだ経験があるようには見えない。
「じゃあ、踊ろう」
「は?」
「せっかく歓喜の月なんだからさ」
ほら、とモーディスの手をとって立ち上がる。てっきり振り払われるかと思ったそれは、思いの外強く握り返された。
「オクヘイマの踊りなど知らんぞ」
「はは、大丈夫だよ。こういうのは音楽に乗ることが大事だからね」
それに、ここには二人しかいないし。と続けて、モーディスを引き寄せれば、小さく肩を竦めてこちらに近づいてくる。耳に響いてくる陽気なリズムにあわせてステップを踏めば、モーディスもそれにならって足を動かして。
たん、たん、と靴が地面を叩く音と部屋に響く音楽だけが二人の間に広がっていく。
なんだか楽しいな、とファイノンが笑えば、こちらを観察するように見つめていたモーディスの目元が、ふ、と穏やかに緩んだ。その表情があまりにも穏やかで、きれいだったものだから。ファイノンの鼓動がど、と急速に早鐘を打った。
繋いだ手の指先を絡めて、ぐい、と自分の方に引き寄せる。素直に身体を寄せてくれるモーディスの髪を一房手にとって、そっと唇を落とした。
そのまま彼の背に腕を回して腰を引き寄せ、繋いだ手をそのままにぐる、と回転する。ぎょっとしたように見開かれた金の瞳が、なんだか猫のようで可愛くて。ファイノンはそっとモーディスの唇を塞いで、小さく笑った。
「モーディス! 今からダンスバトルをしよう」
「はあ?」
「僕がステッフを踏むから、ついてきてくれ。指を離したほうが負けだからね」
そういってモーディスの身体を引き寄せたまま、音楽に合わせてリズムをとる。やや不服そうに眉根を寄せていたモーディスは、諦めたように息を吐くと、ずい、とファイノンに近づいた。
バランスを崩しそうになるファイノンの腰をぐ、と抱えてモーディスは、あ、と大きく口をあけてファイノンの鼻先を小さく噛む。
「お前こそ、ちゃんとついてこれるのか?」
「はは、望むところだよ」
それじゃあ、と笑い合って、ファイノンはモーディスの腰を抱え直す。身体の一部を密着させて、動きづらいのになんだか楽しくて。
ふは、と子どもみたいに笑い合いながら、音楽が終わるまで二人で踊り続けていた。
◆
その後、身体を密着させたことで欲に熱が灯ってしまい、そのままベッドにもつれ込んだ結果
――
ベッドを壊してアグライアに怒られるのはまた別の話。
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