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もち屋
2025-05-28 12:23:05
5432文字
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ファイモス
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ある穏やかな午後のこと
ファイモス
休日にクッキーを焼いているモーディスの元に石板の解読を依頼にくるファイノンの話。こんな日もきっとあった。
少しだけ3.3やヒアンシーのキャラストの話が含まれます。
二人に穏やかな日常を過ごしてほしいなという祈り。
「あれ、いい匂いがする。もう夕食の時間だっけ?」
カラカラとヤーヌスの錠が回る音にモーディスが視線を上げると、ひょこりと白髮が頭をのぞかせた。今日はオロニクスが目を閉じる安息日。黄金裔としての責務もまた、火急の案件がない限り休みとされている日だ。
たしかファイノンは昨日、今回の安息日は趣味の骨董品漁りでもすると言っていたような記憶があるのだが。
やあ、と片手を上げながら部屋に入ってくる男を認めて、モーディスは僅かに眉根を寄せる。何かあったのなら石板に連絡がくるだろうから、そこまで急ぎの用事ではないのだろう。だとしても連絡の一つくらい寄越してからくれば良いものを。
今日は夕飯の時間までファイノンが来ないと思っていたからモーディスは料理を始めていたのだが。
「部屋に入る前にノックくらいしたらどうだ」
「したんだけど、君が聞こえていなかっただけじゃないかい?」
「
……
それで、何の用だ?」
まぁ、見られたのなら仕方がない。特段、隠し立てするようなことをしていたわけでもないし。
モーディスは生地をこねる手を止めると、小さく息を吐いた。少し寝かせる必要があったからちょうど良いか、と生地を畳むと、暗いところに移動させる。
「ああ、そうだ。君に解読してもらいたい石板があってさ」
これなんだけど、と手渡されたそれは古代クレムノス語で書かれたものだった。曰く、骨董品の買取で持ち込まれたものなのだとか。
ちらりと表面に書かれた文字を一読し、モーディスは僅かに目を見開いた。
クレムノス人はあまり文字を残す習慣がない。日記をつけるのは軟弱な行為だと一笑に付す事が多いし、手紙も同じく。書き物をするくらいなら剣を振るい身体を鍛えろと男女共に教えられるからだ。
それに、古代クレムノスともなれば識字率は今よりもかなり低いはずで。石板に文字を刻むのだって手間がかかる作業でもある。だからこそ、時折こうして見つけられる石板には重要な事項が残されている事が多いのだが。
「
……
そんなに変な内容だったのかい? もしかして、ちょっと刺激が強すぎるようなものだったり?」
「いや
……
ただ、これは
……
少し、驚いただけだ」
「君がそんなふうに言うほどの内容なのか
……
持ち込んだ人は、たしか祖母が王城で働いていた頃にもらったものだと言っていたけど」
「
……
内容自体は大したものではない。クレムノスの伝統料理のレシピが書いてあるだけだ」
赤麦粉に塩を加え、戻しておいた酵母とオリーブ油、ニカドリーのネクタールを加えてよく混ぜる。それをよくこね、木の実や香草を練り込んだら発酵させ
――
少し角の欠けた石板には、伝統的なクレムノスのパン『ニカドリーの勝利の盾』のレシピがつらつらと書かれていた。モーディスの記憶にあるよりも少しだけ工程が多く、盾型に成形した後に荒縄や串を用いて文様を描くなどの手順が加えられている。儀式用のものなのか、それとも作者のアレンジなのかは分からないが、わざわざ石板に刻むほどだ。民間で伝わっているレシピの祖なのかもしれない。
そのまま石板の文字を目で追っていくと、伝統的なレシピの下にはアレンジレシピが書き加えられていた。
子どもでも食べやすいようにチーズを混ぜると良い。その際はチーズを惜しみなく使うこと。羊乳を少し加えると濃厚になり、混ぜ合わせやすくなる
――
筆跡が違うから、これは別の人間が書いたものなのだろう。ザクロを織り交ぜて二層にするものや、香草や塩を多めに加えるアレンジなども違う筆跡で書き加えられている。
「モーディス?」
自身が無言で文字を追っているのが落ち着かないのか、そわそわとし始めたファイノンが頬杖をついて小さく声を上げる。放っておきすぎたか、と声の方を向けば、視界いっぱいに広がる空色がこちらを見つめていた。
「近い」
「あ、ごめん。そんなに近づいてるつもりはなかったんだけど」
あはは、と笑いながらファイノンが離れる。一体何なんだ。それで、と声をかけられ、モーディスは僅かに肩を竦めた。
「
――
赤麦粉500グラム、酵母15グラム、塩10グラム」
「待って待って! 一体何の話だい!?」
「石板の内容だ。知りたかったのだろう?」
「はぁ
……
君って時々本当にびっくりするぐらい大胆だよね」
そういう意味じゃないことくらい分かってるだろう、とファイノンが大げさなため息を吐く。そもそも、モーディスに石板を渡しておいて、急かしたのはファイノンだというのに随分な言い様だ。
書かれている内容を咀嚼する時間を与えなかったのはお前だろうに、とじとりと睨めば、ファイノンはごめん、と小さく両手を上げた。
「それで
……
君は何に驚いてたんだい?」
君が驚くほどのことには見えないけど、と続けるファイノンは穏やかに石板を撫でる。あえてモーディスが言及を避けている事柄にも気づいているのだろう。伝える必要もない事ではあるが、この男に伏せておくのは難しそうだ。こういう妙に勘の鋭いところを評価してもいるが、時折面倒くさいと感じる。
「
――
おそらく、これは母上のものだ」
「
……
それは、」
「より正確に言うのなら、母上の一族に伝わってきた伝統料理のレシピ、だな。ここから先の筆跡が違うのはお前でも分かるだろう?」
「ああ、たしかに。僕もあんまり古代クレムノス語を多く見てきたわけじゃないけど、筆跡の違いくらいならなんとか」
レシピが刻まれた石板は、下の方にいくにつれて徐々に複雑なアレンジが増えていく。伝統料理は時代に応じて人々の口に合うように変化しているものではあるが、ここまでくると基本のレシピだけで良いのではないかと思えるほどだ。
途中から、アレンジの横に小さな日記やメモのようなものが書き添えられるようになっていて、石板を受け継いできた人間がどのような気持ちでこれを作っているのかが垣間見える心地だった。
「この中に
……
ゴルゴー王妃の筆跡が?」
「おそらくは。俺の知る限りの母上の文字と同じ筆跡で最後となっている」
石板の下の方には『もうすぐ生まれてくる愛しい子が、これを少しでも早く食べられるように。赤子でも食べられるレシピの考案』と刻まれており、パンを焼いた後、離乳食として食べられるようにとアレンジ方法が書き込まれていた。
羊乳を多めに入れてパン粥にするとよく食べてくれるらしい、とか。年の近い乳飲み子を持つ女性に協力を要請したのだろう記録も記されていて。これから生まれてくる子への期待と愛に満ちた試行錯誤の形跡がそこにはあった。
きっと、彼女はこれから生まれてくる新たな生命のために。そして、自分が代々受け継いできた伝統のレシピを未来へ繋ぐために書き残していったのだろう。
王城で働いていた侍従にそれを預けたというのも、母上らしいことだ。自身がいつか凋落するとしても、せめてこの伝統のレシピだけは、後世に伝わっていってほしかったのだろう。
「これはもう買い取ったものなのか?」
「ああ、そうだけど
……
君のもとにある方が正しいような気がするな」
「石板としての価値はそれほどないぞ」
「君にとっての価値は、あるだろう?」
お母さんの遺品なら、持っておくべきだ。と蒼穹がやわらかに細められる。そういう風に気を使われるのは、なんだか落ち着かない心地がするが、悪い気はしなかった。
「
……
ならば、受け取っておこう。いくらだ?」
「お金はいいよ。君の貴重な話を聞かせてもらえたし
……
ああ、でも。どうしても、というのなら石板の解読を依頼しても?」
「構わんが
……
ただのレシピだぞ」
解読をしたところで、ファイノンの生活に役立つようなものはない。二カドリーの勝利の盾のレシピなど、別にディアディクティオで検索すればもっと簡単に作れるものがいくつも出てくるはずだ。わざわざ、こんな古い記述のものを知る必要などどこにもない。
「うん。君たちが繋いできた伝統の、ね」
「
……
歴史は苦手だったろう」
「それとこれとは別だよ。人が生きた証というものには、価値があるからね」
骨董品はそういうところが面白いんだよ、なんて男が笑うものだから。きっと自分も少しだけ絆されたのだろう。
「
……
では、今度お前にこのレシピで作った二カドリーの勝利の盾を振る舞ってやろう」
「お、それは楽しみだね。今度はちゃんと食べられる硬さにしておいてくれよ? 君の作る料理、たまに顎を鍛えるためなんじゃないかってくらい固いからさ」
「お前はもう少し、咀嚼回数を増やしたほうがいい。食事の間くらいは静かになるからな」
「君、そういう理由だったの
――
んむ!?」
抗議の声をファイノンが上げようと開いたところで、手元にあったクッキーを放り込む。まだ試作段階だが、ちょうど良い。
いくつかの試作品が完成してから男を呼んで感想を聞こうと思っていたのだが、順序が逆になったとしても大差はないだろうし。
ファイノンは一瞬何が起こったのか理解できないと言った顔をしたものの、もぐ、もぐ、と無言でクッキーを咀嚼する。今回はそこまで硬く作ってはいないから奴でもすぐに食べ切れるだろう。
「あ、れ
……
モーディス、これって
……
」
「お前が散々キメラたちの餌を食べるから、ヒアンシーからクレームが入ってな。あいつが育てている麦の一部をもらって試作したものだ」
部屋に入ってきた時に感じた匂いもそれだろう。と続けながら、自身も乾燥させているクッキーを食べる。ざくざくの全粒粉で焼いたクッキーは、大味だが食べごたえがある。甘味が少し物足りなくはあるが、ファイノンにはちょうど良いだろう。もともとキメラ用のものにはほとんど甘味を使用していないのだから。
口に突っ込まれた分を食べ終えたのか、そわそわと落ち着かない視線がモーディスと手元のクッキーに注がれる。相変わらず、口を開いていない時は視線が騒がしいやつだ。
「まだ粗熱をとったばかりのものだが
……
好きなだけ食べるといい」
「いいのかい?
……
ありがとう」
影で粗熱をとっていたクッキーを持ってくれば、ぱぁ、と表情が明るくなる。美味しいなぁ、美味しいなぁ、といいながらパクパクと食べる姿はなんだか動物の餌付けのようだ。
そんなファイノンを横目に、寝かせている生地の様子をちらりと見る。話していたら随分と時間が過ぎてしまった。そろそろいい頃合いだろうか。
「
……
それで、モーディス。今日の夕飯は何だい?」
「今作っているのは夕飯ではない」
「え?」
「キメラ用のクッキーだ。お前に伝えればつまみ食いをすると思って、お前が来ない日に作っていたのだが
……
」
「あはは
……
それは、ごめん」
分かっているのならその悪癖をどうにかすればいいのに、と思いながら。奴があれを食べる理由は他にもあるのだろうな、とモーディスはそっと目を伏せる。
結局、キメラ用クッキーが焼き上がるまでの間にファイノンのために用意したものは全て彼の胃袋におさまったし、キメラ用クッキーも当初の半分くらいの数しかヒアンシーに渡すことはできなかったのだが。
あの男が嬉しそうに目を細めるものだから、モーディスとしては強く咎めることはできなかったのだった。
◆
黎明を遮るように立てられた衝立の影で、穏やかな寝息が聞こえてくる。
あの後、何故かモーディスの部屋に居着いたファイノンは、そのまま部屋の主のベッドで横になっていた。
眠っているファイノンは、まだあどけなさを残した純朴な青年だ。それこそ、故郷が戦火に巻き込まれ、黄金裔になどならなければ、この男の一生は一面の麦畑と農具に囲まれた生活だったのだろう。穏やかな日差しの下で農作業の合間にひと休憩、とおやつを口にする姿がよく似合うような。
不意に、彼の頬を一筋の雫が流れていくのを認めて、モーディスは僅かに目元を緩めた。
ヒアンシーからもらった麦、の意味をファイノンは正しく理解しているのだろう。もしかしたら、麦の焼ける匂いでこの部屋を訪れたのかもしれない。
言えばいいのに、やはりこの男の中での故郷というのは他人に明け渡すことのできない領域の一つなのだろう。その感覚はモーディスとて理解ができる。
うっすらと浮いた男の目元のクマをそっと指でなぞりながら、雫を払ってやると、ううん、と小さな声がする。最近随分と張り詰めていたから、ろくに休めてもいなかったのだろう。休息をとるのも戦士としての責務なのだが。
モーディスの指をそっと握ってくる姿に、僅かに眉尻を下げる。指先に麦の匂いでも残っているのだろうか。すり、と鼻をこすりつける姿はやはり動物のようだ。
「いつでもクッキーくらい焼いてやる
……
だから、今はその安寧を享受すると良い
――
救世主」
俺達はすぐに、個人のことなど考えられなくなってしまうのだから。ぽつりと落ちた言葉は、誰の耳にも届かず、空中に霧散する。
閉じられたファイノンの瞼にそっと口づけを落とし、モーディスもそっと彼の隣に身体を横たえた。
◆
後日、石板のレシピ通りに作られた「二カドリーの勝利の盾」が硬すぎて、ファイノンが悲鳴を上げるのはまた別の話。
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