もち屋
2025-04-03 03:30:42
5090文字
Public ファイモス
 

そういうのは素面の時にいってくれ!

食堂軸ファイモス。同棲している二人。
モーディスが成人して初めて飲酒するのに付き合うファイノンのラブコメ。

 どうしてこうなってしまったのか。
 ふわふわと、まるで夢見心地のように蕩けた表情の恋人――モーディスがすり、とファイノンの肩にすり寄ってくる。それはもう、今まで見たことがないくらい眉尻は下がっているし、目元は緩んでいる。上機嫌に綻んだ口元が本当に可愛くて、君こんな表情できたんだなんて言葉が口をついてでてきそうだ。いや、口にしたら絶対に機嫌を損ねてしまうからそんなことは口が裂けても言えないのだけど。
 というか今日のことを彼が覚えていたらどうしよう。明日の朝、正気に戻ったモーディスに怒られる未来さえ見えて、ファイノンはちょっとだけ泣きそうになった。せめて言い訳をさせてほしい。こんなはずじゃなかったんだ。いや、少しはそういう甘い空気になったら嬉しいという下心はあったけど。でも、それはやっぱりそこまで強いわけではなくて。あくまで自分は年上として彼の初めての飲酒に付き合う、という名目だったはずなんだ、本当に。だから許して欲しい。誠心誠意伝えたらちゃんと聞く耳を持ってくれるだろうか。たぶん聞いてはくれるだろうけど、機嫌は直してくれないだろうな。
 そんなことを心のなかで思いながら、ファイノンはぐでぐでになっているモーディスの肩をそっと叩く。

「モーディス、ほら……水、飲んで」

 グラスに注いだ水を手渡すと、「ん、」と何の警戒もせずにそれを受け取って口を寄せる。喉が乾いていたのか、ごくごくと嚥下する姿を認めてファイノンは少しだけ安堵した。ちゃんと水を飲めるなら大丈夫そうだ。すぐに空になったグラスに水を足しておく。

「飲めそうだったらもっと飲んで。君、ずっとお酒しか飲んでないでしょ」
「べつに、このていど……
「うんうん。モーディスがお酒に強いのは分かったから。でも、長くたくさん楽しむためにはちゃんと間にチェイサーも挟まないといけないことくらい、君だって知ってるでしょ?」

 君だって料理人の端くれなんだから、とからかうように続ければ、む、と唇が引き結ばれる。あ、ちょっとまずかったかな。でも本当のことだし、モーディスには適切なお酒の飲み方を覚えておいてほしい。
 彼の言う通り、モーディスは別にアルコールに弱いわけではない。むしろ初めて飲酒したという割にはそこそこ耐性がある方だと思う。でも別にお酒が強いからといって、酔わないわけじゃないことをちゃんと知ってほしくて。いくらアルコール耐性が強かったとしても、無茶な飲み方をすればすぐに酔いが回ってしまうし、体調も影響するものだ。お腹が空いていればそれだけ吸収率も高くなってしまうし、そうすると普段以上に内臓へのダメージも大きくなる。そもそも度数の高いものを何杯も飲めるからといって偉いわけじゃない。お酒は楽しむものだから。
 自分の好きな味を探して、それに合う料理と一緒に口に含んで。大人になると子供みたいに素直に言葉を口にすることが難しくなるから、お酒の酩酊感で普段我慢していることを少しだけ解放したり。単純にお酒の味を楽しんで時間を共有したり。そうやって友人や大切な人と穏やかな時間を過ごすためのツールでしかない。
 そういう意味で「無理に僕に付き合う必要はないよ」と伝えたのだけど、それをモーディスは子供扱いだと受け取ってしまったみたいで。
 ずっと度数の低いカクテルをちびちび飲んでいたモーディスは、その言葉がお気に召さなかったのか、ファイノンが飲んでいたズブロッカを奪うとぐい、と一気に煽ってしまって今に至る。ロックとはいえほとんど氷が溶けていないズブロッカだ。度数は30度を軽く越えている。
 普段から何かとファイノンがモーディスと張り合ったりちょっかいをかけることが多かったから、今回の言葉もそう受け取られてしまったのかもしれない。本心からファイノンはそう思っていたのだけど、これは自分にも非がある。プライドが高いモーディスに対して、変に年上風を吹かせたのが間違いだった。反省。でも、起きた後の彼に、お酒の飲み方について小言を言うくらいは許されるだろうか。
 今日はモーディスの二十歳の誕生日だから、と腕によりをかけてファイノンが料理とお酒を用意した。もちろん、初めての飲酒だというのは聞いていたから度数が低くて彼が好みそうな甘めのカクテルを用意して。
 ファイノン自身はそこまで甘いお酒が好きな方ではない。ただ、モーディスが飲むカクテルに合わせた料理を作っているから、今日は少しだけ甘い香りのするお酒を飲んでいた。それもまずかったのかもしれない。 
 普段は懐かない猫みたいに警戒心が強いモーディスの瞳がゆる、と溶けている。チェイサーを飲んで多少落ち着いたものの、それでも依然として瞳はぼんやりと蕩けているし、耳や目元にうっすらと朱が佩いている。
 
「あ、ダメだよ」

 まだ半分ほど残っているグラスに手を伸ばし、さらに飲もうとするモーディスの手に自身の手のひらを重ね、グラスを取り上げる。カルーアミルクだからそこまで度数が高いものではないけど、今の彼には危険だ。どうみたって泥酔しているのに、これ以上アルコールを追加するのはよくない。モーディスには悪いけれど、これも初めての飲酒に付き合う大人の役割だ。
 ちら、と彼の表情を覗き見る。子供扱いだ、と不機嫌になるだろうかと思っていたが、意外と平気そうだった。むしろ少しだけきょとんとした顔でこちらを見てくるものだから、なんだか悪いことをしているような気持ちになってくる。というか、君そんな表情できたんだ。あどけなさを残したそれは、年相応のもので。普段は眉根を寄せて難しい表情ばかりしているから、あまり年下という感覚がなかったけれど、こんな風に緩んでしまえば、そこにはまだ大人と子供の境に立っているような危うさを残した青年がいるだけで。元々整った顔だとは思っていたけど、これはまずい、とファイノンは唇を軽く噛んだ。あまりにも無防備すぎる姿に、理性試されている気分になる。
 ファイノンとモーディスは、職場を同じくする同僚であり、同居人であり、恋人同士だ。約一年前、キャストリスが店長を務める黄金食堂にやってきたモーディスは、住み込みで働かせてほしいと頭を下げた。福利厚生として社宅が完備されている食堂を探していたのだという。
 ただ、ちょうど直前に採用したサフェルが最後の一室を埋めてしまっていたから、なし崩し的に同性であるファイノンの部屋をシェアすることになって。そうして一年――最初はすぐに出ていくと言っていたモーディスと恋人になって、彼の成人を一緒に祝っている。
 恋人になってから日が浅いことも相まって、まだ一線を越えてはいない。キスくらいはしたけど、それ以上はできていない。そもそも、いくら恋人関係で合意の上だからといって、未成年に手を出すのはやっぱり憚られた。ファイノンも健全な成人男性だけど、そこは節度を守りたい。だから、彼が成人を迎えるこの日を楽しみにしてもいたのだけど。
 だから、こうやってモーディスが甘えてくるのはとても嬉しい反面、ここで手を出すのはまずい、という理性がファイノンにブレーキをかけた。
 恋人の初めての飲酒。泥酔しているのをいいことに手を出すのは、やっぱり嫌だ。一夜の関係とかならまだしも、モーディスとはずっと一緒にいたいし、大切にしたい相手だ。本音を言えば今すぐキスして抱きしめて、彼の身体の隅々まで愛したい。でも、それはやっぱり違う。いくら彼が許したって、ファイノンが自分を許せそうにない。
 そんな自身の葛藤を知ってか知らずか、モーディスはファイノンの手首をそっと握って、こちらを見つめた。

「ファイノン、」
 
 耳馴染みの良い声が、温度を伴ってファイノンの鼓膜を打つ。ゆっくりと開く唇が少し濡れていて、照明を鮮やかに反射している。眩しいな、と思っている間に、モーディスの顔が近づいてきて、やわらかなそれが重なった。少しだけ吐息がお酒臭い。たぶんきっと、自分も同じなんだろうけど。
 ついばむような口づけかと思いきや、モーディスの舌先がファイノンの乾いた唇をなぞる。そのまま肉厚なそれが入ってきて、ぞわ、と表皮が粟立った。
 まずい、まずい、まずい。これは本当にまずい。首に腕を回して、モーディスががっちりとファイノンを抱きしめる。まるでファイノンを味わい尽くすみたいに舌が口内を蹂躙していって、少しだけ苦しい。
 じゅぷ、にゅぷ、と水音が鼓膜を侵蝕していって、じゅ、と舌を吸って。はむ、と小さく噛んで。歯列を一本一本なぞられて、上顎を滑られて。ぞくぞくとした痺れが重たく腰に溜まっていく。
 は、と息継ぎをする間に二人の間を銀糸がゆるく繋いで落ちていく。

「はは……なんて顔してるんだ」

 モーディスが上機嫌にファイノンの頬を撫でる。そのまま手のひらが耳たぶをやわく揉んで、そうして髪にそっと触れた。くしゃ、とかきまぜるように髪を撫でて、モーディスは破顔する。今までみたことがないくらい、まっすぐで綺麗な笑顔だった。

「お前とこうして誕生日を過ごすことができて、本当に嬉しく思う」
……メデイモス」
……覚えていたのか」
「そりゃあ……忘れるわけないよ。大切な人の名だもの」
「そうか……そうだな、うん」

 メデイモス。彼の故郷の名。今はオクヘイマ風に名乗っているけど、やっぱり二人の時は彼の名前をちゃんと呼びたい。
 そうだよな、と何かに納得したようにうんうん、と頷くとモーディスは嬉しそうに目元をゆる、と緩める。ファイノンの頬を両手で抱えて、鼻先にすり、とすり寄った。

「もう一度、呼んでくれ」
……メデイモス?」
「ふっ……もう一度」
「メデイモス、メデイモス」
「ああ、ファイノン……愛してる」
 
 本当に、心から。と柔らかく相好を崩すモーディスの姿を認めて、ファイノンもつられて笑みをこぼす。触れたところが温かくて、ぽかぽかする。きっとこれはアルコールのせいだけではない。

「うん、僕もだよ」
 
 こんな風に直接「愛してる」だなんてモーディスが口にすることは滅多にない。そもそも、名前を呼んでほしいと言われることもない。普段であれば呼ぶと少しだけ困ったように返事をする。まるで馴染みのない名前を呼ばれた時みたいな反応をするものだから、本当は呼んでほしくないのかと思っていた。もっと素直になってくれてもいいのに。そういうところも可愛いと思っているのだけど。

「本当は……もっとお前に触れたいと思っている。お前が少し遠慮をしていることも……年齢差を気にしているのも、しっている。だが、そろそろ腹をくくっても、いい頃じゃないか?」

 不意に落とされた言葉に目を見開いた。モーディスは依然としてふわふわとした表情のままだけど、チェイサーのおかげで少しだけ酔いが冷めているのだろう。意を決したようにこちらを睨めつけて、ファイノンの手をとった。

「お前も男なら、とっとと覚悟を決めろ」

 俺はとっくに決めている。と続けられて、頭の中が真っ白になる。モーディスの言う「覚悟」が何か分からないほどファイノンも朴念仁ではない。手のひらを腹に持っていかれていれば、なおのこと。
 腑抜け、と罵られていることは分かるけど、つまり、モーディスはとっくに準備をしていて――とそこまで思考がいきついたあたりで、モーディスの身体ががくん、と崩れ落ちた。慌てて支えてやると、肩口に小さな寝息が聞こえてくる。うにゃうにゃと何かを漏らしているけれど、それは言葉の形をとるまえに音として霧散していくばかりで。
 
「あ~~~もう~~~!!!」
 
 人の心拍数をあげるだけ上げておいて、この仕打ちだ。ファイノンとて、この状況で手を出すほどがっついているわけじゃない。というか、モーディスの意識があったとしても断ろうとは思っていた。理性が負けてしまったらその限りではないのだけど、それでも心持ちとしてはモーディスを諭そうと思っていたのだ、本当に。
 でも、こんな風に煽るだけ煽られて潰れられると、文句の一つも言いたくなるというもので。
 自身の肩に体重を預けて、気持ちよさそうに眠るモーディスをベッドに運んで、ファイノンは盛大な溜息を吐いた。

 ◆

翌日、ズブロッカを飲んでからの記憶を何一つ残していないモーディスに対し、ファイノンはしばらくの間の飲酒禁止を言い渡したのだった。


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