もち屋
2025-08-12 02:40:01
7008文字
Public ファイモス
 

あいに行くまで、待っていて

ファイモス/俳優ファイノン×バンドモーディス/転生現パロ
大学生の時に出会った二人が互いの夢に進みながらくっつく話の導入。
ちょっとだけ事後描写があります。ちゃんとハッピーエンドになる。


 初めてモーディスを見た時、派手な男だな、と思ったのを覚えている。
 自分も割と背が高い方だと思うけど、彼も同じくらいの上背があって。その上、明るい金髪は毛先にかけて濃いオレンジのグラデーションになっているし、顔には赤いタトゥーが入っていた。かっちりとしたハイネックからも僅かに赤が覗いている。たぶん全身に入っているんじゃないだろうか。クレムノスからの留学生らしいから、文化の違いなのかもしれないけど。クレムノスの人ってみんなそういう感じなんだろうか。エリュシオンではあまり見ないタイプだからちょっと新鮮だった。
 自分とは違う世界に生きている人。ぼんやりとそう思ったのを覚えている。
 まさか、学部も専攻も違うその男との出会いが、僕の人生を大きく変えることになるだなんて。その時の僕は想像もしなかったんだ。
 




 サークル棟の奥に存在する、今は誰も使っていない小さな部室。許可をとって使っているその部屋で、ギターの練習をするのが最近の密かな楽しみだった。
 最初にその部屋を見つけた時は、まるで自分だけの秘密基地を見つけたような気持ちになったのを覚えている。故郷の森で妖精郷を見つけた時のあの感覚に近い。
 元々軽音サークルが使っていたというそこは、壁が防音仕様になっていて、フルバンドで演奏できるくらいのスペースがあった。今では軽音サークル自体が人数不足で存在していないらしく、かといって防音室を使うようなサークルもないからという理由で空き部屋になっている。曰く、空調があんまり効かないし、遠いから人気がないのだとか。たしかに、サークル棟の端にあるから通うにはやや不便だ。だからこそ、周囲を気にせず練習できるのだけど。サークル棟を空きコマの休憩所にする人も多いと聞くから、そういう需要がないんだろうな、たぶん。
 エリュシオンにいた頃は人目を気にせず歌えたけれど、オクヘイマではそうもいかない。住んでいるアパルトメントは壁が薄いし、楽器演奏が禁止されている。
 それに、ただの趣味だからスタジオを借りるほどのことでもない。でも、自由に歌えないのは不便だなと思っていた。だから、サークル勧誘の波から逃れるように転がり込んだ先で、ここを見つけた時は本当に嬉しかった。
 鍵を開けて部屋に入ると、少しこもった空気が頬を撫でる。窓を開けて空気を入れ替え、背負っていたケースを床に下ろした。真新しいギターケースには傷も汚れもない。
 本当は、故郷を旅立つ時にこいつも置いていくつもりだった。一人暮らし用のアパルトメントは狭くて、物を置くスペースがほとんどなかったから。歌うのは好きだけど、別にそれで身を立てようと思っていたわけでもないし。ほとんど触らなくなるくらいなら、実家に置いてきたほうがいいと思っていた。でも、家を出る日に、父さんがわざわざ進学祝いだ、と新しいギターケースを買ってくれたから。僕はこいつを相棒として連れて行こう、と思ったのだ。
 歌には人の心を癒す力がある。そんなことをいつだったか母さんが言っていたのを覚えている。実家は農家だったから、よく畑の手入れをしている時なんかに父も母も鼻歌を口ずさんでいた。
 種まきの歌、水やりの歌、収穫の歌。野菜に音楽を聴かせると甘く実るだなんてことを言いながら、父さんがギターを持ち出して歌っていたこともある。それが功を奏したのかは分からないけど、うちの畑で獲れる野菜はどれもよく育っていて美味しかった。
 そういえば、父さんの使っていたギターに興味を示した時はとても喜んでいたのを覚えている。そうやって、コードを教えてもらって、簡単なフレーズを弾けるようになって。一応、人前で演奏しても恥ずかしくない程度にはできるようになった、と思う。と言っても故郷ではあまり楽器を弾く人は多くなかったから、比較対象なんて父さんくらいしかいないのだけど。
 ギターを取り出して膝に乗せる。しばらく講義が立て込んでいたから、このあいだ弦を緩めたばかりだ。チューニングしながら喉を開くように声を出す。うん、今日は調子がいいかもしれない。
 よし、と一息ついて椅子に座り直す。演奏できると言っても楽譜が読めるわけではないから、故郷の歌や、たまに街中で聞いたことがある曲を耳コピで再現するくらいだ。そういえば、この間路上でやっていたバンドの曲がなんだか耳に残っているから、今日はそれにしようかな。あの後バイトがあったから、あんまり長くは聞けなかったのだけど。伸びやかな低音が綺麗で、アップテンポのロックだというのにとても優しい曲だと思ったのを覚えている。
 あの時の曲を思い出しながらコードを鳴らしていく。たしか、こんな風に曲が展開していって。フレーズをなぞるようにゆっくりとギターを鳴らしながら、旋律を口ずさむ。歌詞までは流石に一度では聞き取れないから、覚えている範囲のハミングで。
 そのうちに、ああ、こういうのだったなと思い出しながら続ければ、記憶がどんどん蘇ってくる。音の奔流に身を任せて、耳から入ってくる情報と、指先が鳴らすハーモニーに集中した。やっぱりこうやって自由に弾くのは好きだ。今はもう野菜に聴かせる必要もないのだけど。それでも、こうして声を出すことで、上京してからずっと感じていた孤独が僅かに埋まるような気がした。

 そう、その時の僕は曲に夢中になっていて。いつの間にか部屋に入っていた男のことなんて、気づかなかったんだ。
「おい、何をしている」
「へ?」

 やや不機嫌そうな声が背後から降ってくる。振り返ると、いつの間にか部屋の扉は開いていて、首元まで詰まった真っ黒なハイネックに、黒のジャケットを羽織った金髪の男が立っていた。
 クレムノスからの留学生――たしか、モーディスという名前だった気がする。ほとんど接点のない彼が、どうしてここにいるのだろう。ここはほとんど人の来ないような奥地にあって。自分以外にこの場所を訪れるような人なんて、いないと思っていたから。もしかしたら、彼もそういう場所を求めてここに辿り着いたのかもしれないけど。驚いている僕をよそに、モーディスは形の良い眉を顰めて不機嫌そうに鼻を鳴らした。

「ここは軽音サークルの部室だろう? お前はサークルメンバーには見えないが」
「何って……見ての通り、楽器の練習だよ。それに、学校側に許可は取ってる。そもそも、軽音サークルは廃部になってるし」
「廃部……? だが、パンフレットには」
「それは去年までの情報だよ。ここを使っていた先輩方が全員卒業しちゃったから、今は使っている人がいないんだ」
「そうなのか……
「うん。もしかして君、入部希望だったりした?」
「いや、俺は別のバンドを組んでいるからサークルに入るつもりはない」
「そっか。じゃあなんでここに?」
……歌が聞こえたからだ」

 さっきまでの威勢はどうしたのかと思うほど、歯切れ悪くモーディスが答える。この部屋は防音だし、外に漏れ出るほど大きく声を張っていたつもりもない。もしかして、自分では無自覚だったけどそんなに大きな声でも出していたんだろうか。

「うた?」
「先ほどの演奏、お前のものだろう?Nikadoryの曲を歌っていた」
「ああ、あのバンド、Nikadoryっていうんだ。この間路上ライブをしていたのを聞いたんだ」
……好きなのか?」
「んー、そうだね……好きかもしれない。彼らの歌はどれも真っ直ぐで、本当に心に響く歌を作ってると思う。通りがかった程度の僕が、こうやって再現できるくらいには、印象的なメロディだしね」

 手元のアコースティックギターを少しだけ鳴らして、彼らの音を追いかける。そのままコードにのせてハミングをすれば、男は寄せていた眉をゆる、と解いて、柔らかく瞼を持ち上げた。
 その表情にどき、と鼓動が跳ねる。こんなふうに笑うんだ。普段は吊り上げられている眦がやわらかく緩むと、彼の印象もいくぶんか幼くなる。元から顔立ちが整っている方だと思うけど、こうして笑うと年相応に見えるんだな、なんて関係のないことを思った。
 もっとその笑顔を見ていたくて、少ししか覚えていない曲を繰り返す。こんなことならもっと聞いておけばよかった。あれ、この先ってどうだっけ。指がもつれてきたあたりで、鼓膜を激しく叩くエレキの音が飛び込んでくる。
 慌ててモーディスの方を向けば、いつの間にセッティングしたのか、アンプに繋いだエレキを構えて不敵にこちらを見下ろしていた。
 僕が何かを言うよりも早く、モーディスが旋律をかき鳴らす。雷のように鮮烈な音が響いて、肌にビリビリと突き刺さった。うまい。周囲にそんなに楽器をやる人は多くなかったから、比較できるほど音を聞いているわけではないのだけど。背筋を走っていく小さな電流が、脳が。モーディスの音に夢中になっていた。目が覚めるような感覚とでもいうのだろうか。何よりも、ギターを弾いている彼が本当に綺麗で。ハイネックから覗く刺青さえもセクシーに見える。ごく、と生唾を飲み込んだあたりで、呆然としている僕に気づいたモーディスが、はん、と鼻を鳴らした。

「どうした、演奏しないのか?」

 こちらをからかうような響きを含んだ声に、ムッとする。

「君の演奏を聞いてあげていたんだろう?」
「はっ、怖気づいたのかと思ったぞ」
「ちょっとうまいからって調子に乗るなよ!」

 そこから先はもう、売り言葉に買い言葉だった。というか、そもそもその曲をほとんど知らないんだけど、と漏らせば、モーディスは無言で譜面を渡してくれて。楽譜が読めないんだ、と告げても、モーディスはバカにすることなく曲を弾いてくれた。
 初めて彼を見た時に、住む世界が違いすぎるから仲良くなることなんてないと思っていたのに。僕とモーディスは昔からの親友だったと思えるほどに気があって。サークル棟の奥にある部屋が、僕たちの秘密の練習場となるのに、そう時間はかからなかった。








「そういえば、君と初めて話したのはあの部室だっけ。懐かしいな……僕が勝手に部屋を使ってるって勘違いしたんだっけか」
……軽音サークルの部室は使われていないと聞いていたからな」
「君はもうあの頃からインディーズバンドを組んでいたもんな。でも、別に練習するだけならサークル棟じゃなくてもよかったんじゃないのか?」
「練習のためにいちいち学外に出るのは移動時間の無駄だろう。学内に使える場所があるのに活用しないでどうする」
「いや、別に悪くはないんだけど。君だったら別にあの部屋じゃなくてもよかったんじゃないかって思うだけだよ」

 だから拗ねないでよ、とファイノンがやわらかく相好を崩しながら髪に触れてくる。愛おしむように撫でてくるのが心地よい。こうすれば機嫌が取れると思われているのは心外だが、こういう触れ合いは嫌いではない。温かな感覚に身を委ねるようにモーディスはそっと目を閉じた。

「一族の者は俺が音楽をすることに反対していた。サークル棟の一室であれば、中で勉強をしているとでも言えば納得する。あの部屋は都合がよかっただけにすぎん」
「ふぅん……そうなのか」

 いまひとつ分かっていないような声を聞き流しながら、ごろりと身体の向きを変える。背を向けられたことに小さな不満の声が聞こえる。
 本当は、ファイノンがあの部室に出入りしているのを見かけたからだ、と正直に伝えたら、この男はどんな反応をするのだろうか。驚くのか、それとも喜ぶのか。おそらく両方だろう。君ってそんなに僕のことが好きだったんだ、と調子に乗る姿が一瞬浮かんで、小さく歯噛みした。
 はぁ、と一つ息を吐いて気怠い身体を男の方へ僅かに寄せると、強く抱き寄せられる。もうしないぞ、と呟けば、うん、と拗ねたような声が返ってきた。
 身動ぎをして、身体をくっつけてくる男の腕が腹に回ってくる。ファイノンはそのまま自身の足をモーディスのそれと絡めて、鼻先を背中に擦りつけた。

「君とこうやって過ごせるようになるなんて、あの頃の僕は想像もしていなかったな」

 世界的なロックスターの君と、俳優の僕。そんな未来なんて、大学生の頃の僕たちには夢に描いた世界だった。そんなことをファイノンが唐突にいうものだから、夢かどうか確認してみるか、と笑いかければ、腹の前で組まれた腕に力が込められる。

「大丈夫、流石に夢じゃないって分かってるよ」
「そうだな。お前はもっと胸を張るといい。この俺とこうして寝ることができるのだから」
「はは、君って本当にずっと尊大だよな。そういうところも好きだけどさ」

 弱りきったような声がシーツに落ちて、なんだか居心地が悪い。いつもは能天気なくらい笑っている男が、時折いやに感傷的な面を見せることがあることは知っていた。
 ファイノンはよく子供じみた甘え方をする。まるで、こうしていないと自分がファイノンの元からいなくなってしまうとでも思っているかのように。確認するように、慈しむように。肩甲骨よりもやや下に位置する背骨に鼻先を寄せて口付けを落とすのだ。
 何がそんなに不安なのかよく分からない。そこには生まれつきある大きなアザが残っているだけだ。他よりも皮膚がやや薄いからか、くすぐられるのは弱いけれど。それはその場所に限った話ではない。ひときわ目を引くものではあるから、無意識に吸い寄せられているのかもしれないが。
 この男は、時折そういうことをする。身体を繋げる前は何かと次に会う日を決めようとしたがったし、恋人になってからは、少しでも離れていると寂しがるような顔を見せた。けれど、そんな態度を見せておきながら、実際にファイノンが自身を言葉や行動で束縛しようとしたことは一度もないのだけれども。
 ただ、一緒に過ごす時――ふとした瞬間。彼の視線や、まとう空気がひどく甘えたような態度を見せるのだ。そこまで露骨にするのなら、いっそのこと縛りつけるような言葉でも口にすればいいのに。なぜか、ファイノンは自分にはそんな資格がないといった諦観を覗かせながら、決定的なことは言おうとしなかった。自分は別に言葉にされたからといって素直に従う性質でもないというのに。それくらい、彼もわかっているはずだ。要求があるのなら素直に口にすればいいのに。次はいつ空いてる? と期待を混ぜたような顔で問いかけられるたびに、この男はずっとこうなのだろうと思っていた。
 だから、「明日は久しぶりのオフだから会いたい」とファイノンから連絡があった時は驚いた。普段であればオフが被った日に予定を合わせていて、お互いのスケジュールは常に共有をしている。オフが被っていたとしてもいつも一緒に過ごすわけではないが、今日みたいに当日に言ってくるのは初めてだった。
 そもそも、明日は撮影が入っているからダメだ、といつだったかに話していたのはファイノンだったような気がするのだけれども。おおかた、現場がバラシになったのだろう。深く追及するようなことでもないから、「そうか」とだけ返して、彼を迎え入れる準備を整えた。そうしてやってきたファイノンは、思い返せば最初からなんだか少しだけ様子がおかしかった気がする。
 普段よりも他人行儀なような、それでいてどこかそわそわしているような。普段から表情がくるくると変わる男ではあったけれど、今日は一段と落ち着かない様子で。
 おい、と声をあげて身体を反転させようとする。けれど、ガッチリとホールドされている身体はびくともしなかった。ファイノンはいっそう腕に力を込めて、鼻先を俺の背に埋める。腹の前で組まれた腕は、僅かに震えていた。

「君を……心から愛しているよ、メデイモス。これだけは本当のことだから、信じてほしい」
……急にどうした」
「ううん……ただ、伝えたくなったんだ。君にだけは、このことをずっと信じていてほしい。これだけは絶対に変わらないと言える僕の気持ちだから」

 大袈裟だな、と鼻で笑うと、拗ねたような声が返ってくる。抱きしめてくる男の手に、そっと手を重ねて指先を絡めた。力が入りすぎたファイノンの指は真っ白で、少しだけ冷えている。きっと、何か言いたいことがあるのだろう。けれど、この男はそれを決して口にしない。こういう時のファイノンが驚くほど口下手になることは、短くない付き合いの中で理解していた。彼が言わないのなら、それでも構わない。自分はファイノンが信じてくれと言った言葉だけを受け取れば、それで。
 だから、そのままファイノンが眠ったのを見届けて、自身も意識を手放した。
 今になって思えば、あの時にちゃんと話をしておけばよかったのかもしれない。違和感は至る所にあったのに、そのサインに気づいておきながら見ないふりをしていたのは自身の甘えだ。どんなことがあろうとも、ファイノンは自分のところに戻ってくる、と。理由もなく漠然とそう信じていたのだから。
 そうして、やけに甘え縋った男と眠った翌週――なんでもないような顔をして事務所に行ったファイノンの、芸能界引退の報が飛び込んできたのだった。


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