しったか
2025-08-11 21:02:10
2913文字
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パーシヴァル・ド・ゲールは怒らない

waveboxにいただいた、「かまちょアピを読書などしながらペットを宥めるような仕草でいなしている」パーバソです。どっちがどっちでも…ということだったのでうちのパーバソはこれや!!とやらせていただきました。

 パーシヴァル・ド・ゲールは怒らない。
 ――しかし怒り方を知らないわけではない。
 義憤に駆られることはもちろん、私情で腹を立てることだってある。
 ただ、ひとより少しばかり我慢強いのだ。身も心も頑丈に出来ている、そのことは自負している。
 たとえば今、とんとん、とんとん、とリズミカルかつ延々とパーシヴァルの広い肩を叩き続けているものの正体について考えればわかりやすい。寝台に腰を据え、図書室で借りた本を手繰るパーシヴァルの意識をページから逸らそうとする、それ。残念ながら――パーシヴァル自身はちっとも‟残念”になど思っていないが――幼子のかわいらしい握りこぶしなどではない。
 胼胝だらけの硬く分厚い皮。肉に埋もれた短い爪。太い血管と骨が浮く、日に焼けた足の甲。
 どう見ても成人した労働者の男の素足がパーシヴァルの両肩に乗り、バタ足のように上下している。
 カルデアにおいては優しく気さくなお兄さんとして慕われるパーシヴァルであれ、そんな無礼を働く者は多くはない。というより、そんな狼藉者はひとりしかいない。
「バーソロミュー、読めないよ」
「読ませたくないんだよ」
 わからないかなあ、と背後から響く溜め息はまったく悪びれない。ととん、と相槌のように蹴られた肩に、パーシヴァルは目元だけで苦笑する。武装を解き心身ともにくつろいでいれば、さすがに踵落としを食らってびくともしないということはない。踵が筋を打つたびに文字の羅列がぶれて仕方がなかった。
 軽妙洒脱な伊達男で通る彼――バーソロミューがブーツを脱いで、ベッドに寝転び行儀悪く肩を足置きにする相手もまた、決して多くはないだろう。そんな傍若無人を許す――否、許されるのはたったひとりだけであってほしい、と思う。
 視線は開いたページに落としたまま、パーシヴァルはわざと肩をすくめた。隆起した肩の筋肉と首の間に挟まれた踵が、おもしろくなさそうにぐいぐいと首筋を押し返してくる。
「肩叩きはありがたいけどね」
「そうだろうそうだろう、感謝したまえ」
「しかしサーヴァントも肩が凝るのだったかな」
「凝るんじゃないのか。教授なんかしょっちゅう腰をやらかしているようだし」
 あえてくだらない会話を続けるのはいかにも読書の片手間の行為だったが、実際のところ先ほどから一文字も頭に入ってきていない。
 散らかった意識をまとめあげることを諦め、パーシヴァルは開いたページを片手で抑える。視線は紙の束に落としたまま、無防備な土踏まずのあたりを指先でそろりとくすぐった。
 触れるか触れないかの絶妙な力加減に、なぜかくすぐられていない方の足も一緒に猫のように飛び上がる。声もなく、しかし前髪を靡かせるほどの風を切った勢いにパーシヴァルは忍び笑って、それをごまかすように小さく咳払いをした。
「それでも騎士か卑怯者!」
「いいや、人体の弱点を狙うのは体術の基本中の基本だからね」
「‟人体の”? ハッ」
 白々しい――と鼻を鳴らして一発、げし、と再び踵落としが降った。首を捻り、硬い親指の腹にほんの軽く唇を当てる。謝罪を込めたささやかなくちづけに、つまさきはわずかに震えただけだった。バーソロミューの虫の居所はそう悪くないことを察する。
「あと、少しだけ」
 そのせいか――唇を触れさせたまま呟いた声は、どうにも甘えた響きになってしまった。
 悪戯に対して簡単に屈してしまうのも教育上――健全な対人関係を構築するという意味で――よくない。そう思って張り始めたほんのささやかな意地だったが、正直なところ引き際がいまひとつわからなかった。
 迷わぬという誓いなど、恋の前では型無しだ。慣れぬことはすべきじゃないな、とひそかに自省する。
 しかしもし逆の立場で、パーシヴァルがバーソロミューの趣味の活動を邪魔すればどうだろう。激怒――はされずとも、間違いなく叱られる。やったことはないがきっとそうなるだろう。どうしてパーシヴァルが駄目でバーソロミューは良いのかと尋ねれば、だって私は悪党だからとしたり顔で返されるだろう。悪であることこそが免罪符とはこれいかに、だ。
 あと少し、などとうそぶいたが、もはやすっかり読書の気など削がれている。思案に耽るパーシヴァルはふと、肩を打つリズムが止まっていることに気が付いた。
 肩の上を陣取っていた踵は位置を下げ、足指を僧帽筋の出っ張りに引っ掛けるようにしてぴたりと背中に張りついている。
 どうかしたかい、と声をかけそうになって――それがバーソロミューの思う壺であることに気づいて思わず口を閉ざす。
 否、このまま策に乗ってしまった方がよかったのでは――
 むしろ彼こそいい加減に飽きて、呆れてしまったのでは――
 迷いにもならないささやかな可能性がいくつか頭を過ぎる。しかし裸足の足裏は背にぴたりとくっついたままで、その慣れた温度にどこかほっとしてしまうのも禁じ得なかった。
 これこそ引き際か――と栞紐に指をかけた時、背中を這ったもぞり、とした感触に息が止まる。
 肩甲骨をよじのぼるのは、足の指だ。抓るような引っ掻くような、こそこそとくすぐったいそれに思わず声を上げそうになる。
 やがて肩の頂を越えた踵が、パーシヴァルの体の前へと滑り出た。
 視界に桃色の爪が忍び込む。浅黒い光沢が浮かぶ足の甲に目隠しをされ、もはや視界は彼の脚しか映さない。追って来る脛の裏で、張りのあるふくらはぎがずっしりと肩を押さえつけながら撫でてゆく。膝頭がぐしゃぐしゃと髪を掻き上げながらこめかみを挟み、両の踵が鎖骨を軽く蹴った――そこで堪らなくなって振り返った瞬間、ぐい、とかつてないほどの力で胸を押されてパーシヴァルは仰向けに倒れこんだ。
「うわっ、と……!」
 咄嗟に本を体から離れたところへ滑らせたのは、せめてもの抵抗か。倒れこんだ先は、バーソロミューの太腿だった。
 ズボン越しにもわかる、引き締まった筋肉の上にほんのりと柔らかな脂肪を乗せた内もも。みっしりとした肉に鼻先を埋めて、その厚みにパーシヴァルはかっと赤面した。
「おお、積極的だ。嬉しいね」
 歌うような声にパーシヴァルの不躾を咎める響きは一切ない。当然だ、悪戯を仕掛けてきたのはバーソロミューの方なのだから。
「いやっ、これは」
 これは——何だと言い訳するつもりか。
 彼が身じろぎするたび、彼愛用の清潔なシトラスのフレグランスが鼻腔いっぱいに満ちる。衣擦れと、バーソロミューがくつくつと笑う振動だけが耳を擦ってやまない。読書を邪魔されたことだとか、意図せず公共の財である図書をぞんざいに扱ってしまったことだとか、ぐるぐると頭の奥が発熱して小言の芽は萎れてゆく。
 むにむにと頬を潰されながら、パーシヴァルは尚も言い募ろうとして――やめた。
……助かった」
「ん?」
 怪訝そうに声を上げたバーソロミューは、しかしそれ以上聞き返すこともなく、自らの脚に埋もれるパーシヴァルのつむじを楽しそうにつついた。結局栞も挟めなかったが、どうせどこまで読んだかもわかりやしなかった。