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千代里
2025-08-11 10:43:59
11344文字
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リーブラ15話
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リーブラの針は問う・15話・その19
美しい。
その場所に到着した時、真っ先にオデットはそう思った。
ここに、自分の命運を分かつ魔法が眠っている場所などということを、一瞬忘れるほどに。
後ろで息を呑んだのが伝わったのだろう。振り返るルーシャンが、何か言いたげにしたものの、結局口を閉ざしたのが分かった。
(いつもなら、『綺麗なものだろ。昔は緑がもっとあったんだぞ』
……
とか言っていたのでしょうか)
これまでの二人きりの旅路でも、ノエたちと共にいた時のように、ルーシャンが軽口を叩く場面はあった。その度に、二人きりの現状とその理由を思い返しては、やや気まずそうにしていたが、普段と変わらないやり取りを装うくらいの余裕は互いに残っていた。
だが、クラリスとテオと別れた今、彼は余分なおしゃべりを切り捨て、黙々と目的地へとチョコボを走らせている。手綱を握られているチョコボ自身、何か言いたげにしていたほどに、気まずい空気が辺りには立ち込めていた。
「ここに来たのは、初めてなのですか」
沈黙を続けるのもどうかと思い、オデットはルーシャンへと尋ねる。
「いいや。何度か親父に連れられて、ここには来ていた」
沈黙しか返ってこないかと思いきや、ルーシャンは返答をしてくれた。目的地に到着して、少し気が緩んだのだろうか。
「今は雪が積もっているが、ここは元々はエヴラール家の避暑地だったんだよ。あっちには、別荘もある」
ルーシャンが示した方向には、濃い緑の針葉樹が並んでいた。枝葉に隠れて見えづらいが、ぼんやりと家らしき影も浮かび上がっている。
「イシュガルドで暑さを逃れたいと思う時期があったなんて、何だか信じられないです」
「今となっては、どこもかしこも気温が低いからな。いくらかは、寒冷化から逃れた土地もあるんだろうが、昔のように日差しの暑さに参る所はかなり限られているだろう」
言いながら、ルーシャンはチョコボから降り、オデットも鞍から降りるように促した。
彼の差し出した手は、オデットを処刑台へと招く処刑人の手も同等だ。けれども、オデットは彼の手をとり、地面へと足をつけた。
(大丈夫。ちゃんと、まだいつものルーシャンさんです)
手袋越しに伝わる感触は、いつものように不器用な優しさが残っている。それを確かめながら、オデットはルーシャンの後を追った。
「綺麗な湖ですね。こんなに大きな湖、グリダニアでも見たことはないです」
「大きさもそうだが、凍りついていなかったとは驚きだな。てっきりここも極寒の地になっていると思っていたが。他の辺りよりも、ここいらは少し気温が高いみたいだ」
言われてみれば、積もっている雪の量もこれまでに比べるといくらか少ない。日差しが差し込んでいることからも、空に分厚い雪雲がないことが分かる。
「それは、ここにお父さんの魔法が眠っているからでしょうか」
どこにあるのだろう、とオデットはきょろきょろと周りを見渡す。件の別荘の中だろうかと林に視線を送っていると、「そんなところにはない」とルーシャンに嗜められた。
「親父の魔法は、地上からは見えないところに隠してある」
オデットが思わず上を見上げると、くっと低い笑い声が聞こえた。
「風船でもつけてぶら下げてると思ったのか? 上じゃなくて下だ。もっとも、俺も魔紋のある場所までは転送魔紋を使って移動していた。それがあるのが、あの礼拝堂だ」
ルーシャンの先導で、チョコボを繋ぎ止めていた丘をくだる。
わずかに残った温暖な地域に縋り付くように、ほうぼうに伸びた針葉樹林や立木の隙間から、その建物は見えた。
皇都で見かけた立派な礼拝堂に比べると、彼の示した礼拝堂は素朴な作りの小さなものだった。敷地を囲むように建てられた柵の中、かつては整えられていただろう庭もすっかり荒れ放題になっている。
薄く積もった雪を蹴散らすと、寒さに強い下草が好き勝手にその先端を空に向けていた。
先ほど示された別荘は、礼拝堂よりも高台に位置している。
別荘の窓から外を覗けば、湖と遥か後方に続く山脈の影、そして手前には小ぢんまりと佇むこの礼拝堂。さながら一枚の絵のような絶景を一望できるだろう。
「でも、どうしてこんな所に礼拝堂を建てたのでしょう。お父さんが建てたのですか?」
「聞いた話じゃ、かなり前の代に建てたものらしい。エヴラールの魔法が一度失敗に終わった後、当時の当主が神の恩恵を求めて密かに建てたものなんだとよ」
「神様の恩恵
……
? でも、イシュガルドの神様は、武勇の神様ですよね。魔法を扱う家には、あまり合わないような
……
」
「だからこそ、エヴラールには必要だったんだろう。魔法や知恵に繋がるような、もう一つの拠り所がな」
礼拝堂の前にたどり着く。両開きの扉も、周辺同様長らく放置されていたようで、吹き荒ぶ雪風が連れてきた塵がこびりついていた。それらに構わずに、ルーシャンは扉に手をかける。
鍵がかかっているのではと思いきや、ルーシャンは懐から出した鍵を使ってあっさりと扉を開いた。それは、オデットが箱から取り出した、彼女だけが取り出す資格を持っていた例の鍵だった。
「その鍵は、ここの鍵だったのですね」
「物理的に使うのは、ここだけだろう。だが、魔法を起動するための鍵として使うのは、もっと別のところだ」
振り返ったルーシャンは、オデットの手をとり、自分の手にあった鍵を押し付ける。
「こいつを使えるのは、お前だけだ。今は預けておくが、無くすなよ」
いっそ、この場で鍵を壊してしまったら、とオデットは手元にある小さくひんやりとした鍵に視線を落とす。そうすれば、自分は己自身の生死を賭けた舞台から降りることができる。
(でも、そうしたら、イシュガルドの人たちは、この先も邪竜ニーズヘッグと、邪竜が率いる竜たちに怯えることになる。
……
竜たちだって、皆が皆、人間を呪い続けたいと思っているわけではないのに)
オデットの友人の核となった竜
――
ゲルトルーデは、人間を友人として愛そうとしていた。
彼女を友としていたエレオノーラは、ゲルトルーデを失った悲しみに囚われていたものの、いっそのこと憎しみを忘れてしまえたらと願ってもいた。
だが、強い力を持つ邪竜の咆哮は、竜たちに同胞を失った悲しみを思い出させてしまう。
だったら、邪竜ニーズヘッグを滅ぼすことは、竜たちにとっても安息の時を得るきっかけになるのかもしれない。
「
……
ですが、それならどうして、邪竜はずっと人間たちを憎み続けているのでしょう」
ぽつりと呟いた疑問に答える者は誰もいない。イシュガルドの誰に聞いたところで、「そんなことはどうでもいい」と言うだろう。
ぶるぶるとかぶりを振り、オデットは礼拝堂の中に入るルーシャンに続く。
礼拝堂の中は外と同様に荒廃した空気に包まれていたが、流石に泥や砂が室内まで入り込むようなことはなかったようだ。照明は点いていなかったものの、窓から差し込む夕暮れ一歩手前の淡い日差しは、寂寥と共に礼拝堂本来の静謐をオデットに伝えていた。
数脚の長椅子には埃が積もっていたが、今も誰かがこの場所で祈りを捧げていたのではとすら錯覚しそうになる。
ぐるりと礼拝堂を見渡した後、その最奥にある石像を目にして、
「あれ? この神様、ハルオーネさまではありませんね」
長い髪の毛はハルオーネ神と共通しているが、彼女はいつも鎧兜に武器を携えた姿で造られる。
しかし、目の前に佇んでいる石像は布を体に巻きつけたような軽装であり、手に巻物を広げている。おまけに石像の体格は、どう見ても男性のものだ。
「この石像は、知神サリャクだ。知識を求める者に加護を与えると言われている神様だな」
懐かしむように、サリャク像に近づくルーシャン。神像を見上げる視線は、何かを懐かしむように細められていた。
「嘗てのエヴラール家当主が一度邪竜の討伐に失敗したとき、国の連中はこぞってエヴラールを非難した。魔法など、何の役にも立たないってな。だが、魔法には無限の可能性がある。そこにある湖だって、最初から湖だったわけじゃない。一説には、古代の魔道士の争いの末にできた大きな穴が、時を経て湖になったんだそうだ」
信じられない、とオデットは窓の向こうに広がる湖を思わず見やる。対岸すら見えないほどの広大な湖が、人の魔法が齎した結果によるものなど想像もしていなかった。
だからこそ、エヴラールは再興の志を胸に抱き、この地で研究を再開したのだろう。
古代の魔道士に肖り、自らもいずれそのような魔法を扱えるようになるのだと決意した。実際、その成果の結実は、オデットの手に届くところにある。
しかし、悠久の歴史に想いを馳せる前に、オデットはあることを思い出していた。
「ルーシャンさん。もしかして、ここって、サルヒさんと来たことがあるのでは?」
虚をつかれたような顔は、「どうしてそれを知っている」と語っている。
「サルヒさんが、星芒祭の頃に教えてくれたんです。見覚えのない巻物をもった男性の神様が飾ってある礼拝堂の話と、ルーシャンさんと一緒に湖を見たって話を」
「
……
あいつにとっちゃ、ただの昔話だからな。そういうこともあるか。確かに、まだあいつを引きとってそんなに経っていない頃に、この場所の手入れがてら、連れて行ったことはある」
「ただの昔話なのかもしれませんが、サルヒさんはルーシャンさんとどんなお話をしたかは教えてくれませんでした。きっと、サルヒさんにとっては、二人だけのものにしておきたい思い出だったんだと思います」
「そんな大した話もしてないのに、大袈裟だな」
その話をしたとき、サルヒの言葉には懐かしさ以外の秘めた気持ちが滲んでいた。そこには余人が入ることを許さない、特別な思い出があるようだった。
だというのに、ルーシャンは取るに足らないものであるかのように、ハッと笑い飛ばすような音を漏らす。
「そのときは、どんな話をしていたのですか」
「親父の研究を俺が引き継いで、今は無理でも、いつかは邪竜ニーズヘッグを倒せるように、未来の英雄の礎になるって息巻いていたんだ。
……
結局、親父は俺を選ばなかったって言うのに、馬鹿な空回りをしていた若造もいたもんだ」
「そんなことないと思います」
オデットは、いまだに父親がルーシャンの無事を祈っていたからこそ、魔法を託さなかったと考えていた。もっとも、この件については、一度話したきりルーシャンとは平行線を辿っている。
「親父はもう死んだ。鍵は今ここにある。だったら、もう昔話なんざどうだっていい」
「
……
サルヒさんとの思い出も、どうでもいいことなんですか」
振り返った彼の顔は、夕日のせいか、どこか感傷的にも見えた。今の今まで、心の中に浮かべないことで忘れようとしていた女性の顔を、突如思い出して、どう取り扱ったらいいか迷うかのような。
「
――
あいつも、そろそろ俺のことを忘れていい頃合いだ」
しかし、それも結局光が見せた幻だったのか。瞬きの後に見えた彼の顔には、先ほどまでの感傷の余韻はなかった。
ルーシャンがそんな風に言ったところで、サルヒはルーシャンを忘れないだろう。
それどころか、今だって、姿を消した彼を追いかけているところかもしれない。そんなことは、誰よりルーシャンがわかっているはずなのに、彼は敢えて目を逸らしているように思えた。
「オデット。こっちに来い」
話を切り上げ、サリャク像に近づいたルーシャンがオデットを呼ぶ。その呼びかけは、これまで彼が何度か見せてきた『悪人』の如き振る舞いをしているときの声音だった。
彼に限って騙し討ちのようなことはするまいと、恐る恐るオデットは像へと近づく。
ルーシャンが立っているのは礼拝堂の最奥
――
この建物が本来の機能を持っているのなら、説教のために司祭が立つ場であった。その一歩手前で立ち止まり、オデットは瞳をぱちくりとさせる。
「ここ、なんだかエーテルの流れが残っているような
……
?」
「そうだろうな。ここにあるのは親父の研究室につながる転送魔紋だ。建物全体にも作用すると親父は言っていたが、俺と親父はもっぱらここの魔紋にエーテルを流し込んで転送魔法を起動していた」
「
……
そこに、ニーズヘッグに届く魔法が隠されているんですか?」
「ああ。地下に空間を作って管理していたから、そう簡単に壊されてはいないだろう」
先ほど、ルーシャンは魔紋は地下にあると言っていた。どうやってそこに向かうのかと思いきや、階段などではなく、移動手段もまた魔法であるようだ。
「そして、この魔紋を起動する鍵が
……
わたし、なのですか」
オデットは自分の手元にある鍵と、己自身を掴むように、ローブを握る手に力を込める。
「そうだ。以前は、親父がそうだった。だから、俺は親父と一緒じゃないと、あの場所には行けなかった。一度開けば暫くは魔紋が起動したままになるが、開く時はどうしたって鍵が必要になる」
「開いた後も、ですよね」
オデットがエーテルを流し込めば、転送魔紋は起動し、鍵の持ち主をエヴラールの集大成の元へと送り届けるだろう。そこでオデットが魔法を起動させれば
――
全てが終わる。
(そうすれば、お父さんとルーシャンさんの夢は叶う。ひょっとしたら邪竜ニーズヘッグを倒せて、イシュガルドの人たちの夢も叶うかもしれない。そうしたら、皆が平和に過ごせる
……
)
その平和の中に、自分はいないけれども。
そう思うと、見ないようにしていた傷がじくじくと疼き始めた。
魔法の代償は、周辺の大地のエーテルと、自分自身。前者の犠牲も大きいが、やはりと言うべきか、オデットにとっては自身の消失の比重が大きくなる。
(皆の幸せを護ることは、とても高潔で、素晴らしいことだってわかっています。兄さんなら、迷わずにそうしていたかもしれない。
……
でも)
死ぬことに至るまでの苦痛を想像して、足を止めているのではない。
それよりも、自分という存在が世界から消失して、その先を生きる人の隣に自分がいないということの方が、何よりも
――
痛い。
「オデット」
覚悟を決めろと、迫られている。何をすればどのような結末に至るのか、ルーシャン隠さずに説明してくれた。それに至る道筋も。回避する方法もないだろうということも。
「エーテルを流せ。そうすれば、お前のエーテルに鍵が反応して、魔紋が起動するだろう」
これまで強情な面を見せながらも、ルーシャンに逆らいはしていなかった少女は、ぴくりとも動かない。その態度に、ルーシャンの纏う空気に苛立ちが混じる。
「時間がないのは分かっているだろ。それとも、俺に迫られるんじゃなくて、オーバンに無理やり脅されて鍵を使う方がいいのか。あいつは、残してきたノエたちを人質にしてでも、お前に魔法を使えと迫るぞ」
そんな形で自分の命に幕をひいてもいいのかと、ルーシャンが凄む。
そのように言われて、オデットは初めて、ノエたちが自分を追いかけているかもしれない、という考え以外の可能性に思い至った。
ノエたちにルーシャン協力を求められなかった理由も、彼の切羽詰まった心情も理解はしていたつもりだった。
だが、ノエたちなら二人を探しているはずだという曖昧な予測に、オーバンの目論見を検討する余裕はなかった。それは、ここ数日間気を張り続けていた弊害かもしれない。
「
……
でも、わたしは」
ノエたちを人質に迫られた上で、渋々魔法を使わされるか。それとも、今ここでルーシャンに半ば脅されるようにしてであっても、自分の意思でで己の道を選ぶか。
もちろん、両者では意味合いが大きく異なってくる。
しかし、それは魔法を使うという結論にオデットが頷けた場合の話だ。
(ねえ、ゲルダ。わたしの幸せは、ここにあるんでしょうか
……
?)
皆を救うために命を捨てるべきか。そう迷うたびに、躊躇わずに己の命を捨てた友人の最期の言葉を思い出す。
――
幸せになってね。
祈りに似た言葉を遺した少女の声が、胸の奥で大きくこだまする。
(邪竜が滅びて、皆が安心して暮らせるようになる。そして、わたしはいなくなって、それが
……
わたしの幸せなのでしょうか)
そっと顔を上げると、こちらを見下ろすルーシャンと視線があった。
苦いものを噛み潰したような男の顔には、ようやくオデットを目的地に連れてきたという達成感など、微塵も感じられない。
ただ粛々と、為すべきことをせねばと己をせき立て、自らを焼くような矛盾に耐えている顔がそこにはあった。
(皆が心の底から幸せになれるのなら、わたしは
……
死んでもいいと思えるかもしれない。でも
……
)
目の前にいるルーシャンだけではない。オデットの知る『皆』は今はここにはいないが、オデットが死んだと聞いたらどんな顔を見せるかなど、目を瞑らなくとも想像できる。
すう、と息を吸い、吐く。
何が自分にとっての答えなのか。心の波を宥め、深く潜り込んだその奥に、答えはあった。
「
……
できません」
否定の言葉は、存外に大きく響いた。
「それが、お前の答えか」
「
……
はい」
あれほど悩んでいたはずなのに、言葉にすると不思議なくらい、あっさりと腑に落ちるものがあった。
「たくさん
……
たくさん、考えました。わたし一人の犠牲と、大地のエーテルが幾らか損なわれるだけで邪竜ニーズヘッグが倒せるのなら、それはどれだけ素晴らしいことだろうって」
「だけど、お前は拒絶した」
なぜ、と言外に問われている。その答えは、今なら口にできた。
「そこに、わたしの幸せも、皆の
……
わたしが大事にしたいと思う皆の幸せも、なかったから」
胸の奥が異様な高鳴りを見せている。耳の奥には、聞こえるはずのない怨嗟の声が響いている。
「自分の私的な幸せのために、お前は他の連中はどうなってもいいと言えるんだな」
「はい。
……
だって、わたしは英雄じゃありません。わたしが守りたい人は、顔も知らない沢山の人じゃなくて、わたしを愛してくれた人なんです」
誰を助けたいと願うのか。その自由ぐらいは、救済者となる者にもあっていいはずだ。
あるいは、自らを犠牲にしないという考えもまた、同様に許されるべきだ。欺瞞と解りつつ、オデットは内心でそう呟く。
「そいつはまた、随分と傲岸不遜な救世主に鍵を託してしまったものだな。親父も氷天で腰を抜かしているだろうよ」
呆れたように言うルーシャン。だが、彼の言葉に怒りの気配は薄い。
「恨まれるぞ、その選択は。お前が今ここで死ななかったことで、この先何十何百何千ものイシュガルドの民に恨まれる。その覚悟はあるのか」
無言でオデットは頷く。自分が生きたいと願うことすら誰かが非難するというのなら、それを跳ね返すほどの意思を持つ必要はあるだろう。
「でも、わたしは一人ではありませんから。わたしに生きてほしいと願う人が居続けるなら、わたしは決して折れません」
言葉を重ね、ともすれば不安で揺れる心に楔を打ち込む。顔をあげれば、ルーシャンと視線があった。彼は、決して「俺はお前に死んでくれと願っている」とは言わなかった。それもまた、オデットにとって生きたいと願うための力となる。
「それに、ルーシャンさん。その言い方はずるいですよ」
硬直し切った空気を宥めるように、オデットは気力を振り絞り、苦笑を滲ませる。
「ルーシャンさんは、自分でもお父さんの後継者になれるんだぞって示すために、この場にいるんですよね。なのに、今更イシュガルドに生きる人たちを助ける救世主みたいなことを言うんですか?」
「
……
そいつもそうか。確かに、そいつはとんだ偽善者だ」
はあ、と重たいため息をが落ちる。
だが、オデットには、彼が安堵しているように見えた。無理やり自分をせき立てていた何かと決別するかのような、そんな吐息だった。
「
――
鍵を貸せ、オデット」
「え?」
「前に話しただろ。時間の余裕があるなら、俺が魔法の発動者になれないか、使用者を認証する魔法を書き換えてみせるって。お嬢ちゃんは一度駄々をこねたら、梃子でも動かせないだろうからな。意味のない説得に時間を費やすよりは、俺がやる」
言葉の意味を理解して、オデットは目を丸くする。
「な
……
そんなの駄目です! そんなことをしたら、今度はルーシャンさんが犠牲になってしまうじゃないですか!」
オデットが鍵を握りしめた瞬間、ルーシャンの顔が険しく歪んだ。先ほどまでの一瞬緩んだ気配は、跡形もなく消え失せている。
「だったら、あいつが魔法を使うのを黙って見ていろっていうのか。よりにもよって、親父たちを殺したあのジジイが、お前やノエたちを自分の言いように使っているのを、指を咥えて黙って見ていろと!?」
父親を殺した男に、父親の最大の遺産を掠め取られるなど、ルーシャンにとって絶対にあってはならないことだ。だが、それだけが激情の理由ではないだろうことは、オデットには分かっていた。彼はもう何一つ、オーバンの手によって自分の得たものを壊されたくないのだ。
「でも、やっぱりわたしはルーシャンさんが死ぬのは嫌です。ルーシャンさんだって、そんなことをしても幸せになるわけがありません!」
「少し前まで、親父の名前も知らなかった小娘が、何を知ったようなことを
――
」
「お父さんが知らなくても、ルーシャンさんのことなら分かります。だって、ルーシャンさんは
――
!」
そこまで言いかけたオデットの口を、ルーシャンの手が塞いだ。
黙れという意味ではない。その証拠に、ルーシャンは話をしていたオデットから視線を逸らし、何かを聞き取ろうとするかのように、唇を引き結び、全神経を聴覚に集中させている。
「
……
声がする。それに足音も。オーバンの奴、もう着いたのか?」
ルーシャンの呟きに、オデットも耳をすます。
確かに声がする。しかし、聞こえてくるのは、いくらか気安さを感じる話し声だ。
オーバンと行動していた時に目にした部下たちには、今聞こえてくるような互いに心を許し合った雰囲気はなかった。むしろ、そのような気安さを許した言葉を交わし合うとしたら、
「兄さん
……
?」
まさか本当に、と心が揺れる。
魔法のことを全て知るまでは、今回の旅路を一方的にノエに止められるのは納得できないと思っていた。だから、彼が自分に追いついて、有無を言わさず引き留めたらどうしようかとも考えていた。
だが、今こうして自分なりの結論を出した後ならば、彼らの存在は頼もしいことこの上ない。
今のルーシャンは、オデットに犠牲を強いるつもりはないようだ。しかし、彼自身が己を魔法に捧げるというのを止めることは、オデットにはできない。
それだけの理屈をオデットはルーシャンに示せない。それに、彼を無理やり引き止めるほどの力も持っていない。
けれども、ノエや皆ならば、とオデットの胸に期待がよぎる。
「まさか、あいつらの方が先に来るとは想像していなかったな。とはいえ、大人しくオーバンの掌の上に収まってる連中でもないか」
くっと低く漏れた笑い声。久々に聞いたルーシャンの愉快げな声に、束の間、ノエたちとは最初から合流するつもりだったような気持ちになっていく。
だが、オデットたちは今の今までノエたちとの連絡を絶っていた。
オーバンから何を聞かされたかは知らないが、何も知らなければ、ノエたちから見たルーシャンは単なる誘拐犯である。そのうえ、もしオデットの命が魔法のために犠牲になると知らされていれば、ルーシャンの罪状は益々多くなってしまう。
「ルーシャンさん。今度こそ、兄さんにちゃんと話をしましょう。魔法を使うかどうかはともかく、わたしは無理やりルーシャンさんに連れてこられたわけではないのですから、まずはそこからでも誤解を解くべきです」
「さて、あいつらがそんな言い訳を聞いてくれるかな」
「聞いてくれるに決まってます! ルーシャンさんだってそれくらい分かっているのに、どうして自分から誤解されようとするんですか!」
そんな話をしている間にも、人の声はどんどん近づいてくる。
声が近づくとともに、ぼんやりとしたざわめきが明確な音となり、言葉となる。
もはや間違えようもない。あれは、ノエの声だ。声音に強張りもないことから、オーバンに脅されてやってきたように見えない。
「
……
時間切れだな」
しかし、彼らが大人しく魔法の使用を許してくれることはないと、ルーシャンも分かったのだろう。
「さっきはああ言ったが、どうやらお嬢ちゃんも覚悟を決めなきゃならなさそうだ。猶予がないというのなら、俺はお前を魔法の制御者として使う」
「ルーシャンさんっ」
「そんじゃ、お姫様を誘拐した犯人様のご登場と行くか」
入り口の扉に向かうルーシャンを、オデットも慌てて追う。扉に近づくと、ノエたちの声がよりはっきりと聞こえた。
「先に、魔法のありかについて調査はできないでしょうか」
その発言からも、ノエたちはここに何があるかを知った上で来ていると分かった。
「そうすれば、ルーシャンさんよりも先に、魔法の調査を進めることができるのでは
――
」
だが、ノエの希望的な発言は、そこで中断する。調査した上で彼が何をするつもりなのかを知る間もなく、ルーシャンが両開きの扉を開いたからだ。
「遅くきた割には、これまた随分と向こうみずなことを言うようになったな、ノエ」
両開きの扉の片側を開き、何事もなかったかのようにノエたちの前に立つルーシャン。幸い、ノエたちが目の色を変えて彼を襲うということはなかった。
「
……
ルーシャンさん」
だが、強張った呼びかけには、今までならば決して見せなかった警戒が滲んでいる。彼もまた、少なからずルーシャンが何をしようとしているのか、理解をしているのだろう。
「やけにのんびりと来たんだな。道でも混んでたのか? それなら、ずっと渋滞に巻き込まれていてくれればよかったのにな」
挑発するようなルーシャンの物言いは、自分に敵意を持たせるためだろう。
オデットを連れ去った悪人として扱われることで、己を追い詰め、躊躇を排除し、覚悟を決めるつもりなのか。そのような結末、到底認められないとオデットが思った矢先、
「オデットは、どこにいるのですか」
「兄さん。わたしなら、ここに。怪我もしていません」
ルーシャンが何を言おうと知ったことかと、扉の影から顔を覗かせる。
無事であり、酷い目に遭ったわけでもないと示すため、極力平然とした様子を装った。
ノエが安堵した様子が見て取れて、一触即発な空気は拭えただろうと安心しかけたとき、
「それで、雁首並べて今更何を言いにきたんだ。
……
いや、先にこう聞くべきか」
腰の細剣にさりげなく手を添え、ルーシャンは片手でオデットを制する。
「お前らは、一体どこまで知っている?」
ノエの元に駆け寄り、全てを説明したいと思うオデットの気持ちを先読みしたように、ルーシャンはオデットをその背に隠すようにして立ちはだかる。
(
……
兄さん)
祈るような気持ちで、オデットはノエを見つめる。
(どうか、ルーシャンさんを止めてください)
もし魔法が発動したら、多くの人の命が助かる。その微かな希望をノエが知らなければいいのにと、身勝手なことと分かりつつ、オデットはそう祈る。
(都合の悪いことは何も知らなければいい、なんて。そんなことを願うわたしは、やっぱり英雄ではありません)
わずかすら残されていない時間の中、オデットは内心で呟く。
(ごめんなさい、お父さん、お母さん。わたしは、どうあっても、ただのオデットにしかなれないようです
――
)
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