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あさかわ
2025-08-11 07:53:53
11185文字
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バディ本進捗
VEGAで出す予定のバディ本wipです。誤字脱字は後からやっつけます。わからないに向き合う父たち。
「それは
……
危険なのでは?」
水木の苦言に岩子が首を傾げる。湯呑からふんわり湯気が立ち上る冬の昼下がり。水木計測株式会社は神田のとあるビルの二階にある。来月の決算の前に出来るだけ書類を整えておこうとする水木に岩子が手伝いを申し出てくれた。普段の相棒のゲゲ郎は怪異調査ではすこぶる有能だが、算盤と鉛筆を持たせるとてんで役に立たない。鬼太郎のためにせっせと妖怪の絵を描き、算盤をぱちりと弾いて小豆洗いのものまねをする程度だ。鬼太郎は喜ぶが会社の書類たちには何の役にも立たない。
帳簿付けや書類仕事はもっぱら水木の領分で、その相棒を務めるのは岩子になる。今年は年明けに一件依頼があったのみで、「ごとうび」の本日は岩子が書類仕事を手伝ってくれている。
「先ほどの押し売りの件です」
今月の仮の締めまで済みそうだと安堵して、茶を淹れて一息ついていたところだ。岩子が先日あった面白いことを話してくれた。
今日のように岩子と水木が会社で働き、ゲゲ郎は鬼太郎と共に家で留守番をしていた日のことだ。厳めしい顔をした押し売りがゲゲ郎一家の家にやって来た。玄関先にどっかりと座ってゴム紐を買ってくれ、と法外な値段で売りつけようとする。
押し売りは水木たちが暮らす町内だけでなく、東京のあちこちに存在している。戦後の混乱から立ち直ってきたといえ、まだまだ暮らし向きは安定しない。怪しげな商売をするものも多い。夫のいない昼間を狙って厳つい男が主婦を半ば脅すようにして物品を買わせる押し売りは悩みの種だ。
「あら、でも何もなかったんですよ。押し売りが苦々しい顔をしていたけど、あの人はなんだかさっぱり分からなかったみたいで」
ゲゲ郎は押し売りが持ってきた高級なゴム紐を一瞥した。次に首からかけている小遣いが入ったがま口と見比べ、とても買えないと言った。押し売りは白髪の大男にたじろいでいて、さらに男がゴム紐より年季の入ったヒモであると気が付いて帰って行った。確かに笑い話にできる。水木は首を横に振った。
「だとしてもです。押し売りは商売と合わせて家々の家族構成や帰宅時間などを調べていることもあるんです。隣町で空き巣の被害が頻発する前はあちこちに押し売りが来たそうですから。油断してはいけません」
岩子は湯呑を抱えなおす。水木は畳みかける様に身を乗り出した。
「家にはゲゲ郎と鬼太郎の二人きりでしょう。今回は一人だったからいいですが、複数人で押し入ってきたら大変です。物取りを画策する者に目を付けられでもしたら」
ゲゲ郎本人は金を持っていなくても、稼ぎの良い細君がいる。そう相手に知れた事実を苦々しく思う。岩子は瞬きをして、困ったように眉を寄せて。
「ごめんなさい、水木さん。深く考えてはいなかったわ。でも、あの家は私たちの他に知人がよく訪ねてくるから安心しちゃって。人目が多い方が空き巣や押し入りはためらうそうじゃありませんか」
「あの家に多いのは人目じゃなくて妖怪たちの目でしょう? 妖怪が見えない人間からしたら三人暮らしの家でしょうから
……
」
鬼太郎に何かあったら。養い親の欲目を外して見ても、鬼太郎は同い年の子供より賢いし体力だってある。そもそもあの子は人間ではない。それが水木の心配事なのだ。
「岩子さん、もしもあなたたちに何かあったらと思うと心配なんです」
岩子やゲゲ郎、鬼太郎は優しい心根を持っている。彼ら幽霊族は生来争いを好まない穏やかな気質だ。しかし、人間は違うものに苛烈な反応を見せることがある。
「この前の動物園だって
……
」
水木はそれ以上言葉にできず口を閉じた。
鬼太郎を連れて動物園に行った時のことだ。初めて東京に遊びに来たのだろう。無垢な眼差しの子供が鬼太郎を指差し笑った。あの子は片目がないと蔑んだ。水木が叱りつけようにも人混みで追いかけることも出来ない。あの時の子供がおかしいのではない。人間の本能のようなものだ。自分とは違う、普通ではないものを忌避する。片手がない、耳が聞こえない、大きな傷跡がある。違うから恐れる。拒絶しようとする。妖怪も幽霊族も普通ではない、と突き放すだろう。
彼らを襲う人の悪意から水木は少しでも守ってやりたかった。一人でできることは少ないが、借家の近所周りくらいは居心地よく暮らして欲しい。
「
……
分かりました。あの人にも気を付けるように言います。もちろん鬼太郎にもね」
「ありがとうございます」
水木が安堵の息をはく。岩子は湯呑を置いて微笑んだ。
「でもね、やっぱり水木さんに教えて頂くのが一番だと思うの。私も人間に混じって暮らしてはきたけど、人間の先生がいたらとっても助かるわ」
「僕にできることなら、喜んで」
水木の言葉に岩子がぱっと顔を輝かせた。
「じゃあ、今日はわが家でお夕飯を一緒に食べましょう。先生へのお月謝代わりだと思って気軽にいらしてください」
急に雲行きが怪しくなる。水木は湯呑を取り落としそうになる。岩子は水木の頼れる仕事仲間であり、ゲゲ郎の最愛の妻であり、鬼太郎の良き母である。良妻賢母の才女であり、一度こうと決めたらひた走る信念の人だ。
閻魔大王との盟約により、ゲゲ郎と岩子はこの世に肉体を取り戻す代わりに、霊脈の乱れを正す役割を果たすことになった。期限は水木の寿命が尽きるまでの短いものだが、破格の待遇といえる。水木の母が亡くなった際、閻魔庁に赴いた母が脅迫まがいの陳情で閻魔大王から引き出したのだ。
鬼太郎を養育するにとどまらず、自分たちの肉体まで取り戻してくれた水木家への岩子の恩義は海の底よりも深い。隙あらば水木のワイシャツにアイロンをかけ、鞄と靴を磨き、油断すれば布団が干され、家の床がピカピカに磨かれる。現在、幽霊族一家と水木は近所に別々の家で暮らしているが、夕飯に誘われ泊まるよう促されるのはしょっちゅうだ。
「いえ、急にお邪魔したら夕飯の用意も困るでしょう」
「ご心配なく。鬼太郎がカラスの言葉を練習し始めたんです。これからカラスに伝言を頼んで二人に四人分のお夕飯の準備をして貰うわ」
「ええっと、家に半端に残ったかぼちゃがありまして」
「預かって煮物にしましょう」
「
……
ええっと」
分が悪いとわかっていても諦めない。岩子に叶わなくても抗っておかないとあっという間に彼女の善意に全身はまり込んでしまう。
「鬼太郎の勉強のためです。協力してくれますよね。鬼太郎には色んな勉強が必要だと水木さんもおっしゃっていたものね」
勝ち目はなさそうだ。水木は大人しく白旗をあげた。
「
……
分かりました」
岩子は立ち上がり窓を開いた。手招きをすると一羽のカラスが部屋に滑り込む。二言、三言鳴き声のような声で語りかけると、カラスは頷いてから飛び立った。水木は遠ざかる鳥をぼんやりと眺める。
「二人ともきっと喜ぶわ」
とびきりの笑顔を向けられると、胸中にあったざらついた気持ちも消えうせてしまう。水木は湯呑の茶を飲み切るとうんと伸びをした。この帳簿をやっつけたら今日の仕事はしまいにしよう。きっとゲゲ郎と鬼太郎が首を長くして待っているだろうから。
「おとうさん、今日はとまりますか」
鬼太郎に嬉々とした目を向けられては無下にできない。
「そうだなぁ
……
」
ゲゲ郎が用意したタラのみぞれ鍋はそれぞれの腹に納まった。鬼太郎はカラスの伝言を理解して買い物を済ませていた。大根をすりおろす役を買って出て、船頭のようにせっせと大根を動かす様子が愛らしかったらしい。
「たまには良いではないか。今週は一度も泊まっておらんじゃろ」
ゲゲ郎が食器を片付けながら鬼太郎の援護をする。岩子は先に席を立ち、食後の茶を淹れる準備をしている。この家には水木が手伝いをする隙がない。鬼太郎が幼い頃はまだできたが、今は鬼太郎がちゃぶ台を拭く布巾を握っている。
「年末年始に散々泊まっただろ」
仕事納めをして早々に水木はゲゲ郎に引きずられるように家に招かれた。
「暮れと正月を一人で過ごしたら寂しかろう。近くに儂らがいるんじゃから泊まっていくのが道理」
「水木さんをに寂しい年越しをさせる訳にはいきません」
ゲゲ郎が食器を持って立ち上がり、入れ替わるように岩子が戻って来た。鬼太郎がちゃぶ台を拭くと湯呑が並べられる。ほうじ茶の香ばしい香りが、水木から帰宅の意志を奪おうとする。
「あんまりこちらに入り浸るのも申し訳ないんですよ。一応部外者の括りですから」
鬼太郎が小首を傾げ、真っすぐが目を向ける。
「おとうさんもかぞくでしょ? いっしょはダメなの?」
世のくびきに囚われない、柔らかい言葉だ。水木は困ったように眉を寄せて鬼太郎と向き合う。
「そうだなあ
……
確かに俺は家族だと思っているよ」
種族が違うもの同士でも家族になれる。しかし、世間の目が、人間の考え方が認めないだろう。
「鬼太郎の父さんと母さんはゲゲ郎と岩子さんだ。これを実父、実母と言う。俺は育ての親にあたる。これは養父だ」
「じつふのとうさんと、じつぼのかあさん、ようふのおとうさん」
鬼太郎が指を折りながら考えている。水木は難しいこともごまかさず伝えるつもりだった。
「俺は実父、実母が病気で育てられない時に、養父としてお前の世話をしていた。そこまでは分かるな?」
鬼太郎がこくりと頷いた。頭の動きに合わせてつむじから飛び出した一房の髪も上下する。
「一般的に血の繋がった両親が健康である場合、育ての親と離れて両親と暮らすんだ。ゲゲ郎と岩子さんが元気になったから、俺の家を出て別々に暮らすことになった。それが世間の普通だからだ」
「せけんのふつう
……
?」
「多くの人が普通である、道理に合う
……
正しいと思うことだ。人間はそれを外れると怪しんだり怖がったりする性質がある」
「ぼくがほかの人にこわがられないように、おとうさんははなれてくらしているの?」
「ああ、そうだ。鬼太郎は賢いな」
わしわしと頭を撫でると鬼太郎がそっと左目に触れた。
「ちがうのは、こわいんだ」
鬼太郎の目が潰れていることに驚く人間は多い。近所の人は慣れているが、初対面の人間は痛々しい傷に驚き、そっと目を逸らす。水木は左目に触れる鬼太郎の手を握って自分の左耳を触らせた。爆弾の破片で軟骨ごと吹き飛んだ耳はいびつな形をしている。
「電車に乗った時、隣の学生さんが欠けた耳を見て驚いていたな。きっと怖かっただろう」
欠けた耳に驚いた学生は水木から一歩距離を取った。彼は戦争の記憶がないだろう。知らなければヤクザと負傷兵士の区別はできない。戦地で負傷した兵士は山ほどいる。先日会った客人はシベリアに連れていかれて厳しい寒さで足の指を失っていた。そういう時代があった。その日々は時の流れによって過去へ過去へと流れていく。
「自分と違うものを怖がるのは仕方がないことだ。だが、それを理由に相手を殴ったり話を聞かなかったりしてはいけない。俺の隣に立っていた学生さんは怖くても、なんでもない振りをして本を読んでいたよ」
鬼太郎は水木の耳を触り、左目の眉をなぞった。傷を負った場所は眉毛が生えなくなった。水木はじっと鬼太郎と向き合う。成長した鬼太郎は自分が恐れられることを理解しつつある。ならば、人間の性質を教えてやらねばならない。
「くしゃみが出るのはしかたないけれど、くしゃみをバカにしちゃいけないってこと?」
「良い例えだな。鬼太郎はくしゃみをする人を見守ってやれるようになりなさい。お前の目を怖がる人を許してやる優しさを持ちなさい」
でも、と水木は言葉を続けた。
「その目をバカにしたり、笑う奴は許さなくていい。難しいが少しずつ学んでいこう」
「
……
うん」
鬼太郎が頷いて水木に小指を差し出した。水木は微笑んで幼い子供の指に自分の指を絡める。ゆびきりげんまん、と言って離すと鬼太郎が気恥ずかしそうに笑っている。
「ぼく、やくそくするよ」
水木と鬼太郎のやりとりと岩子が見守っている。少し離れた場所で布巾を持ったゲゲ郎はしゃくり上げていた。ゲゲ郎は涙もろい男だが、家族のこととなると涙腺がバカになる。
「とうさん、また泣いてる」
鬼太郎は慣れた様子だ。ゲゲ郎は皿を拭いていただろう布巾を目元に当てて鬼太郎に寄ってくる。
「これが泣かずにおれようか! うう、鬼太郎
……
」
しゃがむ父の頭を息子が撫でている。柔らかく丸い輪郭の指が丁寧に白の髪を梳く。
「よしよし」
「ううう! 鬼太郎~!」
感極まったゲゲ郎が鬼太郎に抱き着いた。子供はきゃらきゃら笑って父の頭を撫で回す。
「水木さん、ありがとうございます」
岩子に頭を下げられ、水木は恐れ多いと手を振る。
「良い先生になれるかわかりませんが」
水木も人間の全てを知っているわけではない。有象無象の一人としてもがきながら生きてきただけだ。政をする政治家の精神や、異国の市井などさっぱりだ。
三十数年生きてきたうちに知ったすべてを鬼太郎に伝えておきたかった。
ゲツマツショリとケッサンキ、においてゲゲ郎は役に立たない自覚があった。水木は本棚に収めた帳面や書類をあちこち引っかき回し、妻は銀行に記帳、次は帳面と働き蜂のように動き回る。二人とも机に座りとそろばんをパチパチ弾いてせっせと鉛筆を動かす。ゲゲ郎にできることは家のことをして、時折鬼太郎と会社に陣中見舞いの菓子や弁当を届けるくらいだ。
神田の事務所まで弁当を届けに行って帰って来た。最寄り駅で電車を降りゲゲ郎は鬼太郎と手を繋いで歩く。その横をキツツキに似た妖怪が忙しなく飛び回る。
「ぼっちゃん、ぼっちゃん。東京タワーに登ったことはおありで」
「あるよ」
鬼太郎の答えに妖怪は文字通り飛び上がる。
「それはそれは! ワタクシあれほど高い建物は初めて見ました!」
「寺つつき、そのようにあちこち飛び回っては電柱にぶつかるぞ」
ゲゲ郎に言われて、寺つつきは肩に降りてきた。
「ええ、ええ。ワタクシは寺暮らしが長くて、ハイカラな都会に憧れてまして。いやあ、遠方から出てきた甲斐があります」
「よかったねえ」
鬼太郎の言葉に寺つつきが激しく頭を動かし同意した。
今は四人の妖怪が幽霊族の家に泊まって東京観光をしている。寺つつきは神田に、提灯火と燈台鬼は浅草に、釣瓶火は谷中墓地に知己を訪ねている。寺つつきは寺住まいというのもあり、新しい観光名所を中心に回っているらしい。
「あら、田中さん。鬼太郎ちゃんとお出かけですか」
白髪交じりの髪を結い上げた女性が会釈をする。水木の家の近くに住む坂本だ。ゲゲ郎が軽く頭を下げ、鬼太郎がそれに続く。
「ええ、妻に弁当を届けに。ゲツマツショリをしておりました」
「まあ、大変ねえ」
坂本家は町内のあちこち土地を持っていて、不動産賃貸を行なっている。ゲゲ郎が住むこの家も坂本が大家で、家に不具合は起きていないか、困ったことはないかと店子を気にかけてくれる良心的な人だ。
「なあ、ばあちゃん。駄菓子屋に行ってくるからお小遣い
……
」
靴をつっかけながら子供が飛び出してくる。小学生だろうか。
「孫の将太です。小学三年生なの。金沢に住んでいるんだけど、少しの間うちで預かっているのよ。ほら、ご挨拶しなさい」
「
……
こんにちは、将太です」
将太がぼそぼそと挨拶をする。その視線が鬼太郎に向けられていた。左の目が潰れていることを怪奇のように恐れていた。将太の態度は異質なものを拒絶し、憎しみが芽生える予兆を感じさせる。
「ほうほう、遠方から東京に出るとは親近感を感じますな」
寺つつきが将太の周りと飛ぶが気づく様子はない。妖怪の姿は見えていないのだ。じっと鬼太郎のことを、普通ではないものを見つめている。
「とうさん、いこう」
「しかし、鬼太郎」
坂本は玄関の掃き掃除に集中していて孫の様子に気が付いていない。何か言うべきではないだろうか。何を言えばいいのかは分からない。
ゲゲ郎は自分が人間に蔑まれることに慣れ過ぎていると気が付いた。哭倉村で子供に石をぶつけられた時も、何もしなかったし言わなかった。疎まれ忌むべきものと扱われることが当たり前で、諦めてしまっていたのだ。
「いいよ、きっとこわいんだ」
水木は爆ぜたマッチのように怒り子供をおいかけたのに、自分はどうすればよいのかわからない。鬼太郎が腕を引いて家に帰ろうと伝えてくる。
ゲゲ郎は情けなさを隠すように軽く頭を下げて坂本と将太から離れた。
家に帰ってからは普段と変わらぬ生活だ。昼寝をして、日が暮れる前に商店街で買い物を済ませる。夕飯の準備をして、妻と水木が引き戸を開けるのを待ちわびる。ゲツマツショリは今日までと聞いて酒盛りの準備もした。
鬼太郎は平素と変わらぬ様子だった。寺つつきと東京名所について楽しそうに話している。鬼太郎なりに世間の目との向き合い方を考え始めたのだろう。子供の成長を喜ぶと共に、動揺するばかりで役に立たないわが身を恥じる。
「旦那さん、ただいま戻りました」
燈台鬼が縁側から声をかけてきた。板垣を提灯火と釣瓶火がふんわりと乗り越えてくる。
「おかえりなさい」
燈台鬼が厳めしい顔をほどいてにっこりを笑う。燈台鬼は頭に一本の蝋燭を立てた鬼で、感情によって頭上の炎が形や色を変える。鬼太郎の前で炎の七変化をしては喜ばせている。
「ぼっちゃん、出迎えありがとうございます。どこもかしこも人だらけでびっくりしましたよ。百年前はもう少し空いていたと思うんですけど」
釣瓶火と提灯火が上下に揺れて同意する。
「どこもかしこも、人、人、人! 生きづらい世の中ですなあ」
「そうじゃなあ」
ゲゲ郎は曖昧に笑って頷いた。鬼太郎は妖怪たちと楽しそうに話している。人間と妖怪では妖怪の方が馴染みやすいのだろう。妻は人に混じって暮らしていたが、ゲゲ郎の古なじみは皆妖怪だ。人間の友は水木が初めてだった。鬼太郎にも人間の友ができるのだろうか。ゲゲ郎は将太の冷え冷えとした態度を思い出し腕をさすった。
「お疲れじゃのう」
ゲゲ郎のねぎらいに水木が頷く。ゲツマツショリを退治した水木をねぎらうため夕飯に招き、鬼太郎が寝入った後に酒盛りに誘った。冬の縁側は寒いが、提灯火が光源と暖になってくれている。寝間着にどてらを着込んでいるが足元は素足。これは提灯火が胡坐をかく二人の間に火鉢のように浮かんでいるからだ。妖怪が見えない人間には寒空の下で明かりもなく酒を飲む変人に見えるだろう。
水木は漬物を摘まみながら、ほうと息を吐く。
「いや、今月は案件が少ないから処理も楽だったよ。何よりも岩子さんのおかげだな。決算期の事前準備ができてよかった
……
この漬物、うまいな」
「東京観光にきた妖怪たちが土産に持ってきてくれたんじゃ。ほれ、この提灯火は四国から海を越えてきてのう」
「それは長旅だ。大変だったでしょう」
提灯火が上下に収縮する。使い古し所々破けた提灯から青い火が吹き出している。ラジオで東京の特集を聞いて、一度行ってみたいと思っていたらしい。
「東京観光か
……
じゃ、他にも何人か?」
「提灯火に鶴瓶火、寺つつきに燈台鬼。この四人で連れ立ってきてくれたんじゃ。儂らが人に混じって暮らしておると知人から聞いたようでな」
ゲゲ郎にの言葉に水木は手を止める。
「もしかして、お前の家にやたらと妖怪がいるのって
……
」
「宿代わりに使ってよいと言うてあるからの。しかし皆、律儀に手土産を持ってきてくれる」
「どうりで近所で売っていない野菜や魚がある訳だ」
水木は再び漬物に手を伸ばした。これは寺つつきと燈台鬼が仕込んだ一品だ。
「宿代は取らぬ。かわりに霊脈に乱れがないか、変異はないか教えて欲しいと頼んでおるのよ。様々な妖怪が訪ねてきてくれれば鬼太郎にも色々と教えることができるからのう」
鬼太郎は人と妖怪の狭間にいる子供だ。人間のことは水木から、妖怪のことはゲゲ郎が教えている。
「へえ
……
お前も営業上手じゃないか。提灯火
……
だっけ? あんた、一本いるかい?」
水木が煙草の箱を見せると、提灯火がぼっと火を飛ばした。水木は煙草を一本つまんで提灯火に向ける。破けた穴に煙草をくわえるようにして、妖怪は自身から器用に火を付けてふっと煙を吐き出した。
「のう、水木」
ゲゲ郎は空になった猪口に酒を注ぐ。ふんわりと立ち上る酒精は冬の硬質な空気の中で冴え冴えと香った。
「鬼太郎に言った、世間の目という話じゃが」
「ああ。それがどうした」
「どの程度気にすればよいのじゃ」
「程度
……
程度ねえ」
水木が猪口の水面を見つめながら考えている。水木と妻がゲツマツショリに掛かりきりなっている頃、ゲゲ郎は困りごとができた。
大家の孫のことだ。将太は片眼がない鬼太郎を恐れていた。将太の態度は異質なものを拒絶する、憎しみが芽生える予兆を感じさせる。
人間に蔑まれることに慣れ過ぎた自分では鬼太郎を導いてやれる自信がないのだ。
『いいよ。きっと、こわいんだ』
鬼太郎は恐れることを許し、水木の教えに従って将太から離れた。ゲゲ郎は父親である自分が何もできない歯がゆさに胸を掻きむしりたくなった。
顔は視線が行きやすい場所で、必然的に鬼太郎の潰れた左目は目立つ。この先鬼太郎は目のことを問われ続けるだろう。きっと世間の目にも狙われるはずだ。そこではたと気が付いた。世間とは一体なんであるか。鬼太郎にも危害がくわえられるのか、言うか言うまいか悩んでいるうちに、水木が帰って来た。
「その時と状況によるとしか言えんな。人間の俺だってさじ加減が難しいと思っているんだ。あまり気にするな」
世間の目のなんと理解しがたいことか。状況による、とは明確な目安が存在しないだろう。ゲゲ郎は猪口に口を付けて酒を啜った。酒精が喉をさらりと撫でて胃に落ちていく。
「む
……
では、水木が儂らと一緒に暮らすのは」
「それはダメだ」
にべなく断られて、ゲゲ郎は唇を尖らせた。
「やっぱり、わからん。そもそも世間の目とはなんじゃ」
「人間の本能と悪意の形だ」
きっぱり言い切られた言葉にゲゲ郎が酒で温まった胃に氷を突っ込んだように冷えた。水木は優しい男だ。出会った時こそ、出世に囚われた欲まみれの人間と思ったが、ともに過ごしてみれば他人を踏みつけにしたくないというお人好しだ。
「人間は群れで暮らす生き物だ。違うことを怖がるのは集団に属する本能によるものだ。そして、違うものを嫌悪することでまとまろうとする」
「難儀な生き物じゃ」
ゲゲ郎の言葉に水木がこくりと頷く。
「幽霊族みたいに穏やかに暮らせる生き物ならよかったのにな」
水木は自嘲の笑みを浮かべて酒を一気にあおった。もしも人間が気性の穏やかな生き物であったのなら、幽霊族は地下に追いやられなくて済んだだろうか。ゲゲ郎は水木に倣って、ありもしない夢を酒で押し流した。
「突拍子のないことを堂々とやらなければ大丈夫さ。悪い噂が経つと、最悪の場合会社の方にも影響が出るぞ。閻魔大王との約束が守れなくなったらどうする」
「むう
……
」
塩梅がわからずに悩んでいるというのに難しいことだ。やはり自分ではどうにもならぬと鬼太郎のことを話そうとした瞬間、水木が立ち上がる。
「水木?」
水木はカツンと音を立てて猪口を置き、裏手の方にずんずん歩いていく。一人の男が近づいてくる水木に気が付いて身をすくませた。
「おい、あんた」
「ひっ」
水木が低く唸るように問う。帽子を被った男が肩を跳ねさせた。俯いて視線を合わせないようにする。
「こんな夜遅くに何の用だ」
咎めるように言葉を叩きつけられ、男が踵を返す。
「し、失礼します」
走り去る男を水木がきつく睨みつける。
「どうしたんじゃ、水木」
「あの男、ずっとこっちの様子を伺っていた」
「おったのう」
幽霊族は人間より夜目が効く。だから男がちらちらとこちらを見ていたのに気が付いていた。冬に明かりを灯さず酒盛りする男が珍しいのだろうとそのままにしておいた。
水木の頬にぱっと赤みが差し、ゲゲ郎を振り返った。
「気が付いていたなら、なんで教えないんだ!」
「道を歩くくらい誰でもするじゃろ。それに、暗闇で男が酒盛りしていれば怪しいと思う。咎めることではない」
水木が眉を寄せ唇を噛んだ。
「あれは泥棒の下見だぞ。そのままにしておいたら危ない」
「泥棒
……
?」
姿を見ただけで見分けられるのだろうか。水木はいらだちまぎれに髪をかき上げる。
「見りゃわかんだろ!」
怒気を浴びせられたゲゲ郎は足を止めた。水木は腕を組み、強い視線でゲゲ郎を見上げる。
「
……
わからん」
わからないのだ。人間の敵意や悪意は知っている。異質を恐れる目も憎悪も知っている。あの男からそういったものは感じなかった。水木に、人間にわかることが自分にはわからない。水木は顎の下に手を当ててうろうろと歩き回る。
「押し売りは先遣隊だ。盗みに入れそうな家を探してるんだよ。くそっ
……
せめて昼間の押し売りを撥ね付けられれば良かったが」
「なぜ、あれが悪事をしようとしているとわかるのじゃ。背中に悪人の文字でも背負っておるのか?」
「夜中に人の家の様子を探ろうとしているなんて碌な奴じゃない。岩子さんに聞いたぞ。押し売りを家に上げて買い物をしようとしたって。つけ入る隙があるように振舞うんじゃない」
「水木
……
」
「昼間に居空きされて鬼太郎に何かあったらどうする。もっと危機感を持て」
水木がもどかしそうな顔をしている。ゲゲ郎の喉元から勝手に言葉が落ちてきた。
「儂にはわからん」
「ゲゲ郎」
どうすればいいのか。何が正しいのか。地図を持たず、人の行きかう駅に放り出されたような孤独を感じる。人は溢れるほどいるのに、寄る辺がない。
「水木、儂は人間ではない」
水木がゲゲ郎の異変に気が付いて足を止めた。
「人の普通がわからん。世間の目に睨まれない方法も、いなし方も知らん。歩いている人から泥棒を見分けることも、行商人の善悪を判じることもできん」
わからないのだ、本当に。
「学ばねばならぬと思うておるのじゃ。しかし、海を飲み干すように途方もない」
わかりたいと思い立ち向かうほどに、隔たりの大きさに戸惑う。幅広の川の向こうに目を凝らしているようなものだ。
「
……
すまない。きつく言い過ぎた」
「いいんじゃよ。儂が頼りないことは真なのじゃ。
……
水木、妖怪たちに警邏を頼むか?」
水木が強張った顔をほどいて頷いた。
「ああ、日が落ちた後に家の様子を気にする人間がいたら教えて欲しいんだが
……
お願いできますか? 」
二人の間を漂う提灯火が揺れる。
「宿の礼に手伝ってくれると」
「ありがたい。昼間の方が俺に任せてくれ。坂本さんに相談してみよう」
坂本、という名前にゲゲ郎は無意識に体をこわばらせた。夫人は良い人だ。大病を患ったゲゲ郎夫婦を邪険にせず、片目が潰れた鬼太郎を疎まず接してくれる。しかし、それは彼女がこちらを知っているからで、初対面の人間に怖がられても仕方がない。
「そろそろお開きにしようか」
「
……
ああ」
お互い酔いが醒めてしまった。提灯火に照らされながら酒器を片付ける。三日月の硬質な光の下でゲゲ郎はそっと息を吐いた。
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