マエバ・セイボスキー
2025-08-10 20:01:00
3842文字
Public パーバソ
 

船長の贅沢な。

呪いに侵された船長と、彼を癒やす騎士のはなし。

どおん。波が船の横腹を叩く。
強い音と衝撃は、慣れていたって気が張り詰める。
命を育む水は途端に牙を向き、一個師団となって押し寄せてくる。
バーソロミューは、ほんの一瞬怯みそうになった己を叱咤した。
破裂するような大きな音は、どうしても神経に障る。
軽く唇を噛んで、集団からにょきりとひとり目立つ男を見た。
暗い船の上に、ほっと灯りまたたくような白銀。北極星のようなひと。
小さく息を吐いて、慣れ親しんだ舵を握りしめた。ぎゅう、と革が鳴る。

「まさしく眼福、だな」

言っている間にも、波は大きく激しくなっている。
幸いといえるのか、空は暗いが嵐にはなっていない。波に比べて天気が良すぎる、とも言える。
海がぶつかる。波はぬるりと船体を舐めるように引き、再びたたき付けてくる。
バーソロミューは帽子の下からその飛沫を眺め、微かに眉を寄せた。
違和感。
この微少特異点で航海を始めたときには、紛うこと無き海だった。
空を映した海原、穏やかな波、船の下を駆け抜けていく魚たち。泳ぐには早いが、凍えはしない穏やかな気候。
それがいつの間にか、『おかしい』。見たことのない顔をしている。ただの波濤ではない。
結論に手が届くというその瞬間、バーソロミューは考えるよりも先に、片腕に力を込めた。

「駄目だ、マスター!」

マスターが船縁から海を覗こうとしている。
膨れ上がった腕の筋肉が、ぎゅっとシャツに締め付けられる。右手で舵を強く握ったまま、片腕を少女の背に伸ばした。襟首を鷲掴み、力一杯後ろへ放る。
その細い身体を、騎士が受け止めた。

「マスター! ……バーソロミュー!」
「行け! 船室から一歩も出すな!」

波音を裂く船長の怒号は、船員の気を引き締める。今は、普段のバーソロミュー・ロバーツでいるわけにはいかない。
怒鳴りつけられたパーシヴァルは、神妙に頷いた。すぐさま青ざめたマスターを抱え、船室に向かう。
戸が閉まった途端、更に大きな波が甲板に飛び込んできた。
闇色の波はデッキをずるずると這うようにして濡らし、櫂座や砲門から飛び出していく。
船体は左右に大きくゆれ、転覆かというほどに傾ぐ。そこかしこから、ぎいぎいと船のうめきがきこえる。
バーソロミューはぐっと帽子を被り直し、唇を舐めた。
波は高い。が、嵐の航海でバーソロミューを没とせる敵はまずいないだろう。
英霊の身になって、船はバーソロミューの意のままだった。見ずとも触れずとも、帆の状態から舳先の向きまで手に取るようにわかる。

「さて。どう乗りこなしてみせようか」

つぶやき、まるで意思を持つかのように襲い来る黒い波を見据えた。

船は無事、陸地を発見した。
その頃にはすっかり海は凪いでいて、これならば上陸は船室にいる者達だけでも問題ないだろう。
バーソロミューは舵に張り付いた手を引き剥がし、努めて明るい声をだした。

「出ておいで、諸君! 前方に注目だ」

船長の呼びかけに冬眠明けの熊のような様子で、そろりそろりと顔をだす。
彼らはバーソロミューの笑顔とその向こうにある地平を見、ぱっと顔を輝かせた。
陸地の戦闘であれば、低ランクのライダー一騎いなくても充分な戦力が揃っている。ならば、ねぐらとアシを守るべきだろう。
上陸のための小舟が、船長をひとりのこし離れていく。
元気よく両腕を上げたマスターに手を振り返す。そろそろ限界だ。
バーソロミューは、皆が視線を外したことを確認し、その場にばたんと倒れ込んだ。

どれほど意識を手放していたのか、慣れた気配にふと目を覚ました。
眠る必要はないはずだから、魔力不足や諸々で昏倒していたのだろう。昨晩は、久々にとても頑張ってしまった。
起き上がると、頭の下に白い布が丸まって押し込まれていたことに気付く。だれが、と不思議に思うこともない。
心当たりはひとりしかいなかった。

「バーソロミュー」

青空を背負った男が、バーソロミューを見おろしていた。
陽射しに縁取られ、きらきらと輝いている。

「気分はどうかな」

がん、と頭蓋の内側から殴られたような頭痛がする。酒を飲みすぎたあとのようだ。この感覚は生前ぶりだ。思わずぐっと唸り眉間に手を当てる。

「ご覧の通り、絶好調だ」

やはり、酒に焼けたような声だった。
ぐわんぐわんと痛む頭をおして、くしゃくしゃになってしまったマントを広げ、差し出す。

「マスターは、どうしている。君はなぜここに」

パーシヴァルはそれを受け取りながら、隣にしゃがみ込んだ。

「護衛組と行動中だよ。心身共に昨晩の影響はない。私は海岸線の調査を頼まれたんだ」

貴方への伝令も兼ねてね、と微笑む。
この騎士は、柔和な顔をしている。角がない。鋭い表情を浮かべることも出来るのだろうに、バーソロミューは生憎とまだそれに出会ったことはなかった。
戦闘時には厳しい顔もするけれど、それでも角があるのとは違う。柔らかい、というよりは品が良いのだ。
思えば、他の円卓の者達も皆、同じような空気がある。あのモードレッドでさえ粗野な顔をしたところで、育ちの良さは隠しきれない。どこぞの海賊連中とは違う。

「船の修繕が必要なら合流すると、マスターが」
「いいや……それには及ばない。引き続きここで待機すると伝えてほしい」
「心得た。では、手を」

言われるままに手を差し出す。

「勇気と献身に感謝を、バーソロミュー」

聖槍を操る大きな手が、ぎゅ、とバーソロミューの手を包み込んだ。
薄い革越しに、じわりと体温が伝わる。

「マスターを守り、嵐をこえてくれた。貴方でなければできなかった」

ほ、と気が抜ける。肩がすとんと下がって、知らず力んでいたことに気付く。

「手袋を取っても?」

太い指が、手袋の端をなぞる。
了承を込めて頷くと、その指は手袋と肌の間に潜りこんだ。
片手で手袋の先を摘まんで引っ張り、肌に触れる手が、脱皮の要領で革を剥離させていく。じりじりと火傷を擦られるような感覚に、眉を顰めた。

「これは……

すっかり手袋を外された手をみて、パーシヴァルはため息をついた。

「なに。呪いなんて海にはつきものさ」

バーソロミューは、なんでもないと肩を竦めてみせる。
手袋の中から現れた指先は黒く変色していた。手のひらは爛れたようになり、手の甲はまるで悪い虫に這いまわられたあとのようだった。
葱やにんじん、ほうれん草、どんなものでも細長い生き物が駄目になるのは端からと決まっている。
これが生身の身体でなくてよかった。もしそうだったら既に死んでいるだろうし、よしんば生きていたとしても、助かる見込みはない。

「他に不調は?」
「体感では、特に。どうにか手だけで済んだらしい」
「よかった。などと、言うべきではないけれど」

パーシヴァルが、痛ましいとでも言いたげに睫を伏せる。

「貴方が大きく損なわれず、安堵している」

パーシヴァルは、バーソロミューの行いを咎めない。同情をしたり無理をするなと口を挟むような軽挙も犯さない。
船上のバーソロミューの行動に意見をするような愚かを、パーシヴァルはけしてしない。敬い、尊重し、従う。
けれどもただの恋人としては、苦しむ姿に心を痛める、そういうところを、とても好ましく思う。
恋人の顔をした男に、バーソロミューはとろりと視線を緩ませた。

「手当てをさせてほしい。貴方の痛みを和らげたい」
「うん。頼むよ」

だから素直に頷く。
パーシヴァルはバーソロミューの後ろに回ったかとおもうと、その身体をひょいと軽く抱え上げそのまま座り込んだ。
突然背もたれになってしまった恋人を、バーソロミューは首をねじって振り返る。けれど、彼に動く気はなさそうだった。

「この姿勢、必要なのかい?」
「ええ。絶対に」

パーシヴァルの両手が、その内側に恋人の手を包み込む。
呪いに侵された手に手をあて、太い指が痛む皮膚を優しくなでさすった。

「楽にして。私に身を任せて」

すぐ耳元で声がする。柔らかくまろやかな声音。彼の顔立ちに似合いの、ノーブルな響き。
ゆるやかに振れるメトロノームのような、彼の喋り方が好きだ。波の穏やかな日の浜辺を思い出す。
規則的によせては帰って行く。全てを包み癒すような波の音。船上ではあまり聞くことはないが、それでも時折、優しい季節には、浜辺で過ごした時間もある。
バーソロミューはほっと息を吐いて、分厚い背もたれに寄りかかった。

「何とも……贅沢なソファだな」
「貴方専用だよ。遠慮なくくつろいでほしい」

パーシヴァルが喋ると、背中に響いた。

「どうだろう。指先の感覚は」
「ああ……だいぶ戻って来た」

遠い遠い昔に、もしかしたら自分にも経験があったのかもしれない。
海で冷やした腹が痛むと、ベッドで蹲る子供の頃の自分を想像する。母の手はきっと、とても温かい。ひんやりとした身体を温めようと撫でる、柔らかなその手の、心地よさ。

「君のぬくもりがわかるよ」

まだ指先は痺れぴりぴりと痛む、けれど、手袋を外したばかりのときよりはずっと楽だった。

「貴方を癒す栄誉を与えてくれて、ありがとう」

パーシヴァルの柔らかな唇が、口づけるように首筋に触れる。

「こちらこそ、だ」

バーソロミューは手をぎゅうと握り返し、微笑む唇に唇を重ねた。