頭痛と吐き気を抱えて目を覚ますと、久々知先輩の部屋だった。昨日の飲み会に久々知先輩はいなかったはずだが、何があったんだっけ。思い出そうとするも、頭がガンガンと痛んで思考を邪魔する。
「あ、起きた? 朝ごはん作ったけど食べる?」
「ん〜〜」
久々知先輩がキッチンからひょっこりと顔を出す。吐き気がして食べられるか怪しい。でも喉が乾いているから水は欲しいし、キッチンからは味噌のいい香りが漂っている。身体が味噌汁を欲している気がする。
食べるとも食べないとも決めきれないでいるうちに、卓袱台には僕の分まで朝ごはんが準備された。ごはんと味噌汁と冷奴。どうせ味噌汁の具材だって豆腐だろうに、不思議な組み合わせだ。
「いただきます」
「どうぞ召し上がれ」
まだほかほかと湯気が立つお味噌汁をひと口啜ると、吐き気が少しだけマシになった気がする。熱くて一気には飲めないけれど、ごはんや冷奴には手をつけずに味噌汁ばかり飲んでいたらすぐになくなってしまった。
「僕このお味噌汁なら毎日でも飲みたいです」
「ふふっやっぱり二日酔いには味噌汁だよね。いっぱい作ったからおかわりもあるよ」
「もらいます」
お椀を携えてキッチンへ向かうと、片手鍋にまだ2、3人分は残っていた。一杯分の味噌汁をお椀に注いで、少し迷ってからそこで飲み干した。身体が重くてあんまり動きたくない。空いたお椀に鍋の中身をそっくり移すと、お椀はなみなみと満たされた。ちょっと運べる量ではないのでまた啜って中身を減らして、8割くらいになってから久々知先輩の待つ卓袱台に戻った。
動いたからか、座っているのもちょっとしんどい。お行儀が悪いのはわかっているが、お椀を卓袱台に置いてからばたりと後ろに倒れた。カーペットがひんやりと冷たくて気持ちいい。そして、起きてからずっと気になっていた疑問にようやく手をつける。
「僕、なんで先輩の家にいるんでしたっけ」
「あれ、覚えてない? 迎えに来てって連絡があったんだけど」
「そうでしたっけ」
「そうだよ。なのに場所聞いても教えてくれないから困っちゃった」
「うぇええ、ごめんなさい。ご迷惑お掛けしました」
ポケットに入っていたスマホで久々知先輩とのトーク画面を確認すると、先輩の言った通りのやり取りが広がっていた。自分の言いたいことだけ言って先輩の質問に全く答えていない。挙句かかってきた電話は全て不在着信。迷惑極まりない。
「それでどうしたんですか?」
「電話に気づいたタカ丸さんが連絡くれて、お迎えに」
「すみません、ありがとうございます」
「いいよ、俺も頼ってもらえるの嬉しいし。それよりタカ丸さん心配してたから、後で連絡してあげなよ」
「はーい」
こういう時、久々知先輩は僕のことが好きなのではないかと思う。後輩としてではなく、恋愛的な意味で。だってただの後輩が夜中にこんな面倒な呼び出しをしてくるなんて迷惑に決まっている。いくら仲が良くたって嫌味のひとつくらい言いたくなるのが普通だ。先輩は優しいからきっと嫌だとは言わないだろうが、これが尾浜先輩だったら文句くらいは言っていただろう。僕がそこまで仲良くなれていないのかもしれないけれど、だとしても「頼ってもらえて嬉しい」とはならなくないか?
ただ、久々知先輩は時折僕には理解不能な思考をする時があるから、純粋に「後輩に頼られて嬉しい」と思っている可能性も捨てきれない。僕以外に特別仲の良い後輩もいないようだし。
告白されれば付き合うのは吝かでないくらいに久々知先輩のことは好きなのだが、明確に口説かれることももちろん告白されることもない。やっぱり僕の勘違いなのかも。
「昨日は合コンだったの?」
「……違います」
「あれ、そうなんだ」
「他大学との合同実習の打ち上げでした」
合同実習で一緒だった女の子が、ほとんど間違いなく僕のことを狙っているとわかっていて誘いに応じた。だから本当は合コンより性質が悪い。
僕だって彼女というものに多少の憧れくらいはある。この場合の憧れは「この子と付き合いたい」じゃなくて「誰でもいいから付き合いたい」のそれだ。
僕に彼女ができても先輩に咎める権利はない。そう思っていたはずが、なんとなく後ろめたくて誤魔化した。一応、迷惑を掛けてしまったようだし。
「ふーん、随分盛り上がったみたいだね」
「そうですね。思いの外……」
「でも程々にしときなよ」
「そうですね。反省してます」
これを機にデートに誘うか誘われるかくらいのかなり前のめりな気持ちでの参加だったが、その子は僕の思っていたような子ではなかった。酔わせて既成事実を作ろうと画策していたのだ。残念ながらそんな肉食女子はお呼びでない。大人しくて真面目そうな清楚系だと思っていたが、人は見かけに寄らないものだ。もっとわかりやすく派手なタイプなら僕も警戒したのに。
「本当にご迷惑お掛けしました。何かお詫びさせてください」
「えっそこまではいいかな。俺も謝らなきゃならないことあるし」
「なんです?」
「なんていうか、ちょっとムカついちゃって……わざと彼氏だと誤認させるような言い方をしたというか……」
「別にいいですよ。どうせもう会うこともないですし」
合同実習は昨日で終わりだった。だから打ち上げというものが開催されたわけだし、こちらから連絡を取らなければ会う機会はない赤の他人だ。
もそもそと起き上がると、先輩は気まずそうに目を逸らした。
「いや、たぶんタカ丸さんも……」
「それこそ今更じゃないですか」
タカ丸さんは僕たちの曖昧な関係を知っている。僕だけでなく久々知先輩とも仲が良いから、もしかしたら僕よりもはっきりと状況を理解しているかも。次に会った時に面白おかしく揶揄われるだろうことを想像するとちょっとめんどくさいが、説明すれば納得してくれるはずだ。
「喜八郎は俺が彼氏でも嫌じゃないの?」
「先輩なら大歓迎ですよ」
「それは光栄だな」
久々知先輩はいつも通りただの軽口として流してしまった。こういう時に一言、「じゃあ付き合う?」って言ってくれれば僕はいつだって応じるつもりでいるのに。わかりやすくOKサインを出しているつもりが、久々知先輩にはこれでは足りないのか? それともやっぱり僕の勘違い? でもほんのり嬉しそうにも見える。わからない。
僕は然程モテるわけではないが、それなりに女の子の好みにこだわりがある。だからそういうことにはあまり縁がないけれど、聖人君子というわけではない。普通に彼女が欲しいし、何のアクションも起こさない先輩のためにいつまでもフリーでいてあげるつもりなんてない。だから早くしないと逃げちゃうんだから。
でもこうやって先輩とそわそわ駆け引きしてるのも楽しいから、しばらくはこのままでもいい。今はただ、僕がこの駆け引きに飽きる前に答えが出るといいなと思っている。
置きっぱなしにしていた味噌汁を啜る。さっきより冷めてしまっていたけれど、身体に染み渡る美味しさだ。
「これ、毎日飲めたら幸せだと思うんです」
これが人によってはプロポーズになる台詞だと、先輩は知っているのだろうか。
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