spmm8ck9
2025-08-09 22:44:29
2706文字
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オロイフワンドロ「筋トレ」


「明日はイアンサの所でトレーニングをする」
「おぉ……やっとか……
 診療を終え、傾く太陽と共に戻ってきた自宅にてオロルンが威風堂々宣言する。迎え入れた訳じゃない。留守の間に勝手に入ってきたのだ。まあいつものことだが。
「きょうだい……やっとか……
 傍らを飛ぶカクークも、隻眼を細くして声を上げる。それだけここ最近のきょうだいの活動が、中々に「冒険的」であったからだ。
 オロルンはかの大戦が激化する以前は、活動範囲の狭い、ごく目立たない──ナタ全土から見れば、という注釈付きだが──青年だった。魂の不完全さが、彼の行動を阻害していたからである。
 弱い地脈は欠けた魂を誘い、汚染された夜神の国の喘ぐような拍動は命すらも揺さぶってくる。あぶれた死者たちの絶望と遺恨、それを楽しむアビスの毒。二本の足で立つこの地のすべてが、かつてはオロルンの存在を危ぶませていた。
 だが、今は違う。地脈は再構築され、夜神は復活し、死者の国は正常化された。ナタの民を苦しめていたアビスの軍勢は根絶され、戦争は終わりを告げたのだ。
 不完全な魂の問題が解決した訳ではないけれど、危険性は確実に下がっている。という訳でオロルンは、今まで出来なかったことをやってみようとナタのあちこちに足を伸ばしているのだった。
「最初に行ったのは、『こだまの子』だったか?」
 帽子を取り、医療鞄を下しながらイファは問う。うんと一つ頷かれた。
「そうだ。宝石の研磨を体験しに行って、シロネンにローラーブレードで足を轢かれた」
「きょうだい、そりゃお前が横着したからだろ」
 呆れて見遣るのは、その空色と桃色の妖眼ではない。カクークが短い翼を羽ばたかせ、飛んでいくのを目で追った。丸くて小さな竜が目指したのは、彼の地の職人を怒らせた一品。イファの家の棚に置かれたそれは、中途半端に磨かれた翡翠の原石だった。
 ウォーベン織りを面倒臭がる横着者は、半分ほどを研磨したのち作品に前衛的な名前を付けて完成を宣言したらしい。そしてシロネンに足を轢かれた。
「自業自得だ、きょうだい!」
 朝焼け色の宝石未満をつついてカクークが糾弾する。イファもそれに頷きながら、白いコートから腕を抜く。
「その後は『流泉の衆』でマリンスポーツだっけ?」
「あぁ。耳に水が入って大変だったから、暫く海はいいかな」
「サーフボードを引っ繰り返したり、ムアラニの引っ張るゴムボートから放り出されたりしたんだったか? そりゃ暫くは遠慮したいだろうな」
「ふん。勝手に笑ってたらいい」
 いじけた声が遠のく。キッチンへ向かっていったようだ。扉を開ける前から漂っていた香辛料の匂いから察するに、ブレイズミートシチューを作っていたのだろう。オロルンが勝手に入って食事を作っていくのもいつものことだが、メニューのチョイスは珍しい。水桶に手を突っ込んで洗いながら、くつくつ笑って声を張り上げる。
「その次は『懸木の民』だよな? 筋トレの重要性に気づくような事件があったのか?」
「あったのか? きょうだい」
 カクークがテーブルの上に着地する。尋ねながらもその視線は、食事の用意をしている黒い背中に釘付けだ。イファがキッチンに近寄ると、足音に気付いたのか狭いそこからにゅうと突き出されるものがあった。深皿とスプーンが2人分、それとケネパベリーを盛った皿。受け取ってテーブルまで戻れば、小さな嘴が質問したのも忘れて「最高だな!」と歓声を上げた。
 さきに一つ摘まんで渡してやれば、青い果実が大喜びで啄まれる。可愛らしい食事風景を眺めていたら、テーブルの上に鍋がどんと着地した。踏み台になった石の鍋敷きは、片付けるのも面倒だとイファが放置していたもの。大概彼も「きょうだい」らしく、自分のこととなると横着な気質だった。
 黒い刺青の走る手が、鍋の蓋を持ち上げる。白い蒸気と共に強い香気が立ち昇り、思わずゴクンと唾を飲んだ。今日口にしたものといえば飴だのジャーキーだのばっかりで、腰を据えて食事に取り掛かれるのはこれが初めてだ。
 レードルがざぶりとシチューを掬い、イファが運んできた深皿にたっぷりと盛り付ける。大振りな肉と、それに負けない沢山の野菜。後者の出どころは当然言わなくたって知れている。
 椅子に掛け、渡された皿に遠慮なくスプーンを差し入れる。たっぷり掬い上げた一匙に食いつけば、辛味と旨味が口いっぱいに広がった。
 それを見ていたのかいないのか、オロルンは自分の皿に料理を注ぎながら答えた。
「エクストリームスポーツに挑戦したんだけど、落下防止ネットのない所で足を踏み外したんだ。そしたらキィニチが助けてくれた。お姫様抱っこで」
「んぶっふ」
 あぶない。危うく吹きかけた。隣で嘴を果汁で濡らしたカクークが、「マジかよ!」と笑っている。
 キィニチは頼り甲斐のある少年だ。素っ頓狂なコウモリと比べるべくもない、信用に足る戦士でえある。勿論そこに疑う余地はない。
 が、オロルンとの身長差を考えると……何ともはや。頭突きをされたら鳩尾か胸骨を痛めるだろう相手に、お姫様抱っこなんてもので助けられたきょうだいのことを思うと、笑っていいやら同情したらいいやら。
……けほ、災難だったな、きょうだい」
「あぁ。だけど、新しい目標ができた」
 がらがらと椅子を引き、食卓について獣肉の入った料理を見つめながら細面が重々しい首肯をする。どうやらショックを受けている様子はないが……。首を傾げるイファを他所に、オロルンは凛々しい表情をして見せながら続けた。
「キィニチに聞いたんだ。どうやったら自分より大きな相手をお姫様だっこ出来るんだって。そしたら、イアンサの所でトレーニングしたらいいって教えてくれた」
「あぁ……それでか……
 やっと話が戻ってきた。成程、年下の英雄に憧れて肉体強化に励もうという訳か。まあいいんじゃなかろうか。体を鍛えて悪いことはそうない。しかも誰しも認める名コーチの下だ。この普段作らない料理も、恐らく明日に備えてのものなのだろう。
「そうかそうか。頑張れよ」
 頷きながら、もう一匙料理に潜らせる。何にしろやってみたらいい。この平和を享受することが、今まで悩み続けてきた青年への報酬なのだから。
 良く煮込まれた野菜を噛むイファに、オロルンは「ああ!」と力強く頷いて見せる。そして刺青のある喉が上下するの知らずにトンデモ発言をぶっ放した。

「体を鍛えれば、君と駅弁が出来るかもしれないからな!」

 暫く咳込んだのち、三角耳の間をしたたかに引っぱたいた。