真夜中のひまわり
未来に中在家 長次は居ない。
過去に七松 小平太も居ない。
1
出会うはずのない2人が出会ったのは、偶然の出来事なのか。それとも、必然だったのか。それを知る者さえ居ない。
私、七松 小平太は目を覚ますと、見慣れない場所で知らない服を着て、見たことの無い男に抱きしめられていた。
「
……離してもらって良いか? 」
口に出してそう言うと、見た事のない男はギョッとした表情をして見下ろす。随分と背の高い男だと思った。古風な柄の着物を着て、袴で履いて。足元なんかもっと本格的で、雪踏? 草履? 下駄とはなんか違う“靴”を履いている。
なんかの撮影かと、もう一度顔を見ると彼は、シーシーと蛇の鳴き真似みたいな音を出したり、ちちちっと小鳥のような鳴き声を口から出した。
大道芸人だろうか? 少し聞き取りにくくて首を傾げた直後、グイッとせまって、顎を掴んで引き寄せる。
そのままキスをされてしまうのかと、目をぎゅっと閉じたら、口に何かが触れた。体温を持って、柔らかくて感触も皮膚。ほんのり香る鉄っぽい匂いにゆっくりと目を開くと、自分の口は彼の大きな手に覆われていた。
“中学”の“クラスの中”でも、それなりに背が高い方なので、正直に驚いた。自分よりも背の高い人がいるなんて。
誰かが男の背中越しにいて、通り過ぎるのが分かった。結構、足音がする。落ち葉や草を踏む音が何よりの証拠だ。
「
……もそ」
また、なんか鳴いた。この鳴き声がなんの生き物か検討はつかないが、見た感じ、言葉を喋れないとかそういう感じでは無さそうだ。
少し離れてくれて全貌が見える。顔には大きな傷が左右について痛そうだし、着物も少しほつれてて毎日着用しているかのよう。
随分上手に“ヨゴシ”が入った衣装だと関心をした。
彼は小さくため息を吐いて、パッと服を脱いで裏返す。全身、夜の森の葉の如く深い緑に包まれて、振り返った。まるで“俺”に同じように着替えろというように。
そこで初めて、彼が大きく思えた理由が分かった。自分の服装を見下ろすと、女性物の着物を着て、彼と同じように草鞋? を履いている。
先程まで、“学校”で授業を聞いていたはずなのに。
更にマジマジと見下ろしていたら、髪の毛がふわりと垂れてきて、自身の髪が長いことに気がついた。どうやら、頭の上の方でまとめてたのが崩れたらしい。
あたりを見渡すと、自分が壁ドンされてた木と同じく大きな木が鬱蒼と茂っており、人の手の加えられてない森のようだった。
「早く着替えろ」
ぶっきらぼうに言われて、ムッとしていると、彼はそそくさと縄を取りだし、振り回し始める。何をどうしたら、そういう決断になるのだろうか。
「夢にしては最悪の部類だな」
「いつもの事だ」
サラッと聞きたくないような言葉が聞こえたが、気のせいだと思うことにした。なんせ俺の信条は、『細かいことは、気にするな』だから。
「怪我は無いか? 」
いつの間にか、彼は背中を向けていた。床に落ちてる銀色の針の様なものを拾い上げて、地面を足で払っている。まるでタバコの火を消して用水路に落としているみたいに。
「怪我は無いけど、何やってんの」
「
……」
怪訝そうな顔を向けて彼は小さくため息をついた。そんな、さも知ってて当然みたいな顔をされても。
「ここに居たって証拠を残してはいけないだろ」
「なんで? 」
素直な疑問を浮かべる俺に近づいた彼は、眉をひそめて見下ろしてくる。見分するみたいにジロジロと見たあと、目を閉じた。
「
……“お前は”誰だ?」
ようやく聞かれたことで俺も、今の状況に疑問があったことを思い出した。手を打って頷くと、俺は名乗る。
「七松 小平太。大川中学、2年。バレー部だっ
……た。かな」
自分の手首を掴んで俯く。そう、秋の大会で怪我をしてからはドクターストップがあって、部活はおろか、体育の授業すら休んでいる。体育委員会に所属してるし、もうすぐ体育祭もあるのに。
「
……辛いことを聞いたか? 」
語尾が疑問になる、彼に俺は笑顔を向けた。
「そんなことは無いぞ」
それを見た彼はその場にしゃがみこんで、手に持っていた銀色の針のようなもので地面に文字を書いた。
『中在家 長次』と。文字自体は難しくは無いが、急いでいるのか全部さらさらと繋がってて読みにくい。その上、こんな組み合わせの単語はあまり目にしたことがなかった。
「
……」
かろうじて読めそうな単語を口にするが、彼は再びため息を吐いて、文字を足で消す。
「なんて読むのが正解なんだ」
「私は、中在家 長次(なかざいけ ながつぐ)だ。お前は確かくノ一教室の“七松 平子”(ななまつ へいこ)だと聞いていたが? 」
そういう、彼の顔は呆れてると言うより、今にも笑いだしそうな顔でバカにされているようなイラつきを覚えた。
小平太は口を尖らせて言い放つ。
「知らないな、そんな名前。“ながつぐ”とか随分と古風な名前だし。俺は“ちょうじ”って呼ぶから」
背中を向けて歩き出す小平太を長次は後ろから追いかけ、その腹に腕を回すと小脇に抱えて木の上に跳んだ。一飛びしたのだろう。一瞬のことで、しばらく何が起きたのか把握できずにいた。
「
……なっ」
「せっかく消したのに歩いたら足跡が残るだろう」
「そんなことっ」
「あと、うるさい」
とんでもなくデリカシーのないことを言い放ったかと思えば、彼は人の首に手を叩き込んだ。仮にも身体は女性なのに、あまりにも酷いではないか。
痛みで目を閉じた小平太は、首を押えながら起き上がった。再び目を開いて見渡すが、目の前は森の中でも木の上でもなく、自室のベッドの上で、身体の上には珍しく掛け布団がのっていた。
「
……夢か? 」
枕元にあったスマホを見たら、時間は夜中の4時と表示されている。祖母の口癖と言うか言い伝えの『細かいことは気にするな』と言う言葉を大事にしているが、これは流石に気にしてしまうだろう。
窓を開けてもムッとする空気が入り込むだけ。まだうっすらと暗い梅雨の夜は、庭でどこを向く訳でもないひまわりが風に揺れているだけだった。
「本当に夢だったのだろうか」
ポツリとこぼし、小平太は自身の首を押える。ついでに下を向いて、自分の胸を見るが鍛えた分、クラスメイトよりも張りのある胸筋があるだけだった。
今のように帰宅部をすることでこれが垂れてきたら嫌だなと、筋トレ道具をしまったBOXへ目を向ける。
あと、また同じ夢を見た時は、胸をもんでみよう。話はそれからだと、心に誓った。
2
「だから、“私は”そんなこと言ってない」
学園の卒業をかけて、学園長の思いつきからペアを組んだ相手はそう言って怒り出した。
だが、昨晩、作戦中に誰かに目撃されそうになり、睦み合う男女のフリをしてやり過ごした後から様子がおかしかったのは確かだ。
中在家 長次は自分の顎を掴んで考え込む。くノ一とペアを組めと言われた意味も分からないが、こう言った彼女たちの手口に慣らすためならば、敵対させた方が学びは多いだろう。
「珍しいな」
図書室の戸を開くなり、ここに居る方が珍しい人物が声をかけてきた。
「
……留三郎」
彼の手には男女の営みに関する指南書がある。彼もペアを組まされた学園の6年生だ。それを手にしているということなら、長次と同じくペア相手に苦労していることだろう。
「その本より、女性の気まぐれを謳った詩集の方が良いだろ」
「そ、そんなんじゃねーよ」
図書委員を務めて長い長次が慣れた足取りで本棚へ向かった。その後ろ着いてきながら彼は後ろ髪をポリポリとかいて言う。
「
……そう言えば、ペア試験つーか、実習さ」
「大変だな」
「おう。けど、今回はただの学園長の思いつきってだけじゃねーらしい」
本を吟味してた長次は手を止め、真剣な顔で視線を逸らす留三郎を凝視した。
「学園長の知人のくノ一が、(男の)忍びに無惨に裏切られて亡くなったらしい」
「それは
……」
ならば、この実習は、くノ一教室の為なのか。そんな事が過った直後、留三郎も長次と顔を合わせ、照れくさそうに頬をかく。その人懐っこい表情が、人を引きつけるのだろう。自分にはできない芸当だと観察をした。
「どうも、その忍びたちは夫婦だったらしい。俺も庵のそばで屋根の修繕してた時にたまたま聞いただけなんだけどさ。俺ら忍びはくノ一の監視をする役割を貰うことだってあるだろ。そこから城勤めを終えた2人が結婚したらしいんだけど、男の方が金に目が眩んで、元城も巻き込んでくノ一を陥れて処分したらしい」
つまり、この実習は情操教育まで担っているのか? ますます厄介な実習だと、長次は思った。
なんせ自分たちは忍びだ。これから心を鬼にしてでも忍務を遂行したり、非道にも誰かを騙し抜かなければ死ぬかもしれない職に就くことになる。
それなのに、同情と言うものを覚えてしまったら。
黙りこくる長次の肩にポンと手を置いた留三郎は、長次の手から48手に関する本を取る。
「こう言うのより、不運がどうにかなる本ないか? 」
「
…………………は? 」
長次は傷つけるつもりもなく素直な疑問を1文字で表現したまでに過ぎなかった。
変な夢を見た翌日に小平太が学校へ行くと、いつもと変わらない風景が広がっている。とはいえなかった。
「あれ、校舎裏の花壇にひまわりなんてあったか? 」
「そらあるだろ、園芸部が育ててんだし」
「
……園芸部? 」
初めて聞く単語を聞いたかのように聞き返す小平太に、友達の文次郎は首を傾げる。完全に会話が食い違っているなと察した小平太が、再び口を開いた直後に、何かに躓いて転んだ。随分と派手に体勢を崩したが、小平太の手首はまだ治っていない。手を前に突き出しては、このまま一生バレーが出来なくるかもしれない。
そう思った彼が、受身を取らず顔面に痛みが来るのを覚悟した。
しかし、それはいつまで待とうとも来なくて、恐る恐る目を開くとその身体は誰かの腕の中にあった。
「
……え? 」
自分の足を地面に戻されて、力を入れて立てば、汚れてもないだろう裾を軽い力で叩かれる。しゃがんだ男性の頭に見覚えがあるような無いようなと考えていると、目の前の男性が立ち上がってなんか喋りかけてきた。
だが、とても声が小さい。彼のそばに、この男性に対して小さなスコップが落ちていた。いや、これはシャベルと言うべきなのか。
「怪我は無いか? 」
昨晩、夢の中で聞いたセリフと同じものだった。だが、小平太が見上げた先にある顔は、マスクとメガネに覆われており、ほとんど見ることが出来ない。更に歯がゆいのは、その顔にかかる前髪が長すぎて、メガネで覆われた目元もなんも見えないことだ。
近くにいた文次郎が彼に頭を下げて、小平太の手を掴んでその場を後にする。
小平太は半ば走るように逃げたため、息を整えながら、文次郎に尋ねた。
「あの人、誰? 」
「お前、さっきから何わけわからんこと言ってるんだ。園芸部の顧問で近寄るだけで女子を泣かせる“ナカセン”だろ? 」
しばらく、無言で固まっていた小平太も流石に冗談だと判断し、文次郎の小脇を小突く。
「いや、それ、普通に不審者だろ」
小平太の冷静なツッコミに文次郎は真面目にますます眉をひそめた。
「それは俺のセリフだ、バカタレ。今年の春にどっかの大学から赴任した先生だろ。親御さんが介護が必要とかホームが決まるまでとか言うんで、歴史を専攻してたけど社会科全般を担当してくれるって言う。全校集会でも紹介されてたのに覚えてないのか? 」
「居たっけなぁー? 」
「寝てたんだろ」
「寝てないって」
と答えたものの、小平太には自信がなかった。だいたい、あの面で女泣かせとは笑わせてくれる。小平太には、到底あの男性教諭が女子中学生が惚れるようなタイプには見えなかった。イケメンに惚れて振られて泣く女子も考えものだが。
「女泣かせか」
「マスクの下に大きな傷があって、メガネの中にある目は、まるで人殺しのようだってよ」
「見たのか? 」
「んなわけないだろ。だいたい声がちっさくて何を言っているか聞こえねーのに、近づいてどうしろって言うんだ」
文次郎はだいぶ肝が据わっている方だと思っていたが思い過ごしだったらしい。そうやってワーワーと騒いでいる様子を見ると、年相応の中学生であった。
そして、何度も言われたナカセンの女泣かせとは、怖すぎて恐怖で泣かせると言う意味のようだ。
「
……ま、昨日の奴の方が怖かったけどな」
「昨日? 」
「何でもない! 細かいことは、気にするな! 」
そう宣言すると、小平太は夢のことなどすっかり忘れて日常に戻ることにした。
3
のにも関わらず、彼は再びあの夢の中にいた。
今夜は確かにベッドで寝ていたはずなのに。見渡す限り古い建物の中にいる。木目の入った床に、土のように触れば崩れそうな壁。天井は少し低く、ふんわりと外の匂いがする。
街中では嗅ぐことの無い草木が眠る夜の匂い。
「
……って、また同じ女の身体か」
とりあえず試しに胸を揉もうとした時、その手首が掴まれて阻止された。見れば見覚えのある現実の自分(男)よりも大きく、ごつい傷だらけの手が掴んでいる。傷だらけでも、ほとんど塞がっていて硬くなっているのだが。ちゃんとした医療機関にも行ってないのか。
「
……“小平太”だな」
声がする方へ目を向けると闇の中からぬうっと世にも恐ろしい顔が浮かび上がる。ドキッとしたが悲鳴をあげる程でもない。見てれば次第に慣れてくる。
「なんだ、チョージじゃん」
そう言うと、彼はホッとしたのか呆れたのか判断がつかないようなため息を吐いた。
「男なら女性の胸を揉んではならんだろ」
「固いこというなよ」
離してもらった手を押さえながら小平太は笑った。強い力で掴まれてびくともしなかったが、痛みもないし絶妙な力加減をしてもらったらしい。器用なやつだ、あんなに傷だらけの手をしているのに。
「それから、ちょーじではなく、ながつ
……せめて長次(ちょうじ)と」
「諦めるの早くない? 」
口角がつり上がり笑顔に見えるが、明らかに怒りを抱いたのがわかる。が気にしないことにして、周りを見渡した。だいぶ目が慣れたからだろう。背後で低く唸るような笑い声が小さく聞こえていたが。
「ここは」
「忍術学園だ」
「
……にん? 」
彼は平然と当たり前のつらつらと答える。
「忍者のタマゴ、忍タマたちが学ぶ忍術学園の忍タマ長屋だ。くノ一はこちらに来ることはほとんどないが」
「いつの時代だよ、幼稚園児じゃあるまいに」
うちにもちっさい兄弟がいるからよく分かるけど、それにハマるにしたってこんな見た目が大の大人が。
なんて、改めて自分の服装を見れば白い着物で葬式のやつみたいだった。合わせは生きている人間仕様だけども。よくよく見れば長次もお揃いなのか白い着物を下のズボンみたいなのも履かずに着ている。昔話に出てくる幽霊みたいだなんて思ったけどあながち間違いではないのかもしれない。
「時代か
……平安が終わり、貴族から武士の時代を経て京都室町が中心になったが、おそらく戦が絶え間なく繰り返されるようになるだろうな」
丁寧に解説されて逆に小平太は混乱をした。こいつは何を言おうとしている? まるで自分と俺が違う時代だと言わんばかりじゃないか。
「おそらく、お前はこれから先の時代の人だろう」
「
……過去の方が言うパターンあるんだ?! 」
驚く俺に彼は人差し指を口の前で立てて声を小さくするように促した。そのまま袖を掴んで近くの部屋へ引き込み、扉を足で閉める。案外、ガサツで足癖悪いな、昔の人。
中も廊下と同じように古く、長次が言うようにここが俺にとって過去の世界だと言われて納得しかない。
「それだ」
「どれだ?! 」
「ぱうぁーん? そのような発音も言葉もこの時代にはない。南蛮などの書物に書かれはするが、我々は口に出来ない。発達した先の時代でしか知りえないのだろうと」
小平太がなるほどと頷いた時、視界に何かが映る。嫌な予感を感じながら薄目で首を傾けてみれば、真っ白な布団がひとつ。
「
……ケダモノ! 」
「違う! 」
鹿のパペットと将棋のパペットを用意し長次は手短に事態を説明した。
「
……つまり、実習のペアを組まされた相手が男子寮のそば彷徨いてたから泳がしてたら自分の部屋の近くに来たと」
長次はこくりと力強く頷く。頬の傷が関係しているのか、極力しゃべらないタイプらしい。「オタクに優しいギャルか!? 今どき少女漫画でもそんなこと有り得んだろ!! 」
「夜中だ、声を落とせ。お前が思っているような展開ではない。昼間喧嘩したから、私を殺しに来たのだろう」
その程度で殺しにくるなんて怖すぎるだろ、過去。聞くに寺と寺が揉めて政権交代していて戦が近いらしいから戦国時代の前だと思うけど。それにしても、物騒が過ぎる。
「で、俺はどうすれば? 」
「
……私とてどうと言われても」
「それもそっか。ま、細かいことは気にするな」
長次は小さくため息を吐いて首を振った。女子寮の作りは知らないらしく、忍び込んだルートも分からないと長次が言うので、仕方なく俺は長次に古い本を見せてもらいながら二人で夜を明かした。
「ふぁ、もう朝か」
「寝てしまうのか」
寂しそうな声に、伸びをした小平太が振り向く。広げていた巻物をしゅるしゅると巻く長次が、思っていたより小さく見えた。
「
……やっぱり寝たら、入れ替わるかもな」
「おそらく、そうだろう」
返事は短いが言いたいことは分かる。その場にガバッと座り込むと、咄嗟に身構える長次。手を着物の合わせに入れて、先日の縄が顔を出す。俺ぐらいの素人なら瞬時に縛り上げる忍術があるのかもしれない。
「どうして、こんなに親切に色々教えてくれたんだ? 」
「別に親切心からではない。また、そのうちに忍務がある。その時また“不用意”に出てこられては困るからな」
まるでこちらがそっちの生活を脅かしているかのような口ぶりだ。小平太も彼の真似をして重々しいため息を吐く。カチンと来たのか、彼の見えない手がギチギチと縄を鳴らした。
「
……俺とじゃ不満かもしれないけど、こうなったもんは仕方がないから、極力協力するし、バディだろ? 」
「ばでー? 」
「えーと、相棒ってこと。ま、細かいことは気にするな」
彼の肩に触れてポンポンと叩くと、重くなっていた瞼が限界を迎えて眠りに落ちて行った。
翌日も学校生活は変わりなく、居たかどうか定かでない“ナカセン”とやらも目にすることが多くなった。いや、意識し始めたからか、何かと目で追ってしまうだけかもしれない。
向こうも視線に気がついてるのか、たまに目が合うが、その度、気のせいだと思わせるために友達と話し、視線を逸らしていた。
その夜、小平太は枕元に本やスマホ、コンパクトで便利なキャンプ道具など並べてみた。もちろん、パジャマ代わりのシャツやジャージも着てないし、体力も女性のものになっているから意味が無いのはわかっている。
だが、可能なら、起きてすぐ必要なものを確かめて眠りにつくと言う手段や万が一現実で触れたものを持ち込めたりするかもしれない。淡い期待を込めて目を閉じた。
中々眠れないなんてパプニングもなく、小平太は目を覚ます。煌びやかな暖簾と提灯のようなもんが並ぶ街の中で。
隣を見ると並んで歩いていたのは、頬の傷を白粉で隠して紅を引いている男。なんなら、腕にしがみついて上目遣いでこちらを見ている。
歩みが遅くなった小平太に気がついたのか、化粧をし女性の着物を着た長次が、顔を伏せて低い声を出した。
「言いたいことは分かる。だが、これでも授業では好成績だったんだ」
表情はよく見えないけど、足を曲げて身長を揃えようとしていることや、肩を丸めてそれらしく見えるように務めているのはよく分かった。
「あんたって、意外と美人だよな」
「ふへへ」
まぁ、努力が認められたら喜ぶものだろう。分からなくもないが、低い、声が。女性でそこまで低いのは珍しいだろ。
「褒められて嬉しいのは分かるけど、その笑い方は不気味過ぎだ」
「喜んでない、怒っているんだ」
「で、この実習は何?」
小平太は顔を動かさないようにして、背後に視線を送る。見えないが集中すれば普通の通行人でないことぐらい足音で理解できた。
「実習の男女逆に変装して密書を取得するのは終わっている」
「じゃ、帰るだけか」
言われてよくよく見れば、自分も男性のように胸を潰して袴を履いている。
「ただ、問題が起きて」
しがみつき直され顔が近くなったのを良いことに声を潜めて言えば、いつの間にか掴まれた手を強制的に長次の肩へ回されてた。
「声をかけられて断ったら付けられてて、下手に正体がバレると不味い」
「
……どっちが、声かけられたんだ? 」
着物から手を出すとバレるからなのか、長次は袖の中に手を引っこめたまま自身の口元を隠して言う。
「あ・た・し・♡」
しっかり目を潤ませて、恥じらうように言う仕草がちょっと妖艶だった。トラブって協力を仰ぐ男とは思えない表情である。
小平太はどこまで走ると視線で語った。バレー部で鍛えてたし、この女性の身体も忍びであるならば、自分についてこられるだろう。
しかし、意外にも長次は首を横に振り、建物と建物の狭い小道の方へ歩を進める。作戦があるのなら教えて欲しいのだが、彼のことだ。まさかのノープランも有り得る。
「注意を引きつける」
「任せた」
低く響く声が聞こえたと、同時に彼は屋根の上まで飛び上がり姿を消した。
小平太はさてどうしたものかと、胸に手を入れて中をまさぐる。歴史の教科書を一通り昼のうちに読んでみたが忍びについては書いておらず、ひたすら昔の人のイラスト見た限り、こんな風にして立っているおっさんが多かった。
坂本龍馬の時代でもなさそうだけど。ブーツ履いてる奴もいないし。
慌てて追いかけてきた足音がいくつも聞こえて振り返れば、チンピラのような出で立ちの男が何人も。
小平太は着物の襟に手をかけ、彼らを睨みつける。今にも武器が出るのではないかと警戒していることだろう。だが、あったとて小平太には使いこなせない。
ペロリと舌なめずりすると、一気に着物の胸のところをおっぴろげた。
もちろん、本来ならそこに武器や晒しがあって変装しているとバラすだけになるのだが、小平太は先に用意している。長次が屋根に飛んでから、彼らが到着するまでに。
「お、おんな?! 」
突然、彼ら目の前にうら若き乙女の生の胸が姿を見せた。それも本人の手で。
喧嘩などやり慣れているであろう彼らですら、その光景に動揺し、一瞬の隙が出来る。それを狙って縄がどこからとも無く飛んできて、彼らを攻撃した。
それをかわした男の背後に、緑の服を全身に着た男が音もなく降りてくる。その直後に彼らの首を目掛けて手刀を下ろし、縄を避けて壁にぶつかった男にも銀色の針のようなものを刺して大人しくさせた。
目元以外、頭も顔も緑の布で覆われており、1度、その格好を見てなければ気が付かなかっただろう。
「わざわざ着替えてたのか」
「汚れても裏返せば、バレない」
まだ街を歩くしと、彼は街の方へ視線を向けた。彼が上手だったのかは分からないがしゃがんで倒れてる男たちの首に触れても、脈もあって死んでは無い。
しゅるしゅると縄を巻く音がして見上げると、縄の先で黒い小さな刃物が揺れていた。なるほど縛る用じゃなくて投げる為の縄だったのか。
立ち上がろうとして、下を向くと黒いブーツのようなものが目に入る。今更だが、長次が忍者する時の格好なら、ブーツ履いてた。けど、なんかセパレートしているような。
「時に
……」
「おう? 」
声をかけられて立ち上がると同時に胸元を掴まれてぎゅっと閉じられた。それもとても力強く。
長次の顔は恐ろしく笑っており、薄暗い中で見ると余計に怖い。
「女性の胸元を晒すのはどうかと思う」
「
……ごもっとも」
俺らはそれぞれ、普段の格好に着替えて街を出ることにした。悔しいことに、街中を2人で歩いても、俺の方は身体がちゃんと本物の女性なのに声をかけるところか、目も合わせて貰えなかった。
指がめり込みそうなほど強く肩を抱かれていたせいだろうか。
「なぁ
……」
顔だけをこちらに向け、聞くつもりがあるのを表してくる。返事をしないところを見ると仲を深めると無口になる奴か。とゲーム攻略のように考えてしまう。だが、それどころでは無い。
「もしかして、俺の身体の人とお前がカップル
……えっと、恋人になっても俺が出てきたら不味いよな」
「こいびと? 」
「好き好きチュッチュ、愛(ラブ)チュッチュてきな? これはクラスで流行ってる曲の歌詞だけど」
「
……あー、恋仲にか。なる訳ないだろ」
眉をそんなに下げて言われても、さっきの怒り具合とか考えると逆にありそうだ。
「言いきれねーじゃん。枯れ専のおっさん好きだったらどうするー? 」
「おっ!?
……」
ま、この時代でも枯れ専なんて珍しい類になるか。と思い動揺する長次の方を見ると目尻に涙まで溜まっていた。
「まだ、私は15で学園の生徒なのだが」
「え、てっきり教師とか事務員さんかとっ、ごめんって! 」
ギョッとしながらも泣き出しそうな背中をさする。すると、その手をすかさず掴まれた。
「おう?! 」
「嘘泣きだ」
「ず、ずるい。マジで心配したのに」
「これも忍術だ」
しかめっ面で言っているけど、目が完全に笑っている。案外なれると感情が分かりやすいやつだ。
「嘘つけ。だいたい忍者って言うけど巨大なカエルとか召喚しないじゃん」
「そんな技があったら医務室が喜ぶな。薬が沢山取れるって」
「げー、カエルが薬かよ」
うげぇと舌を出して苦渋の表情を浮かべると、彼は指の力を少し緩めて言った。
「ま、毒のあるやつもいるから無闇にとるなよ」
「取れんわ! 」
しばらく歩いていると、長次から声をかけてきた。相変わらず低い声だが、慣れてしまうとむしろ聞き取りやすい。
「お前は? 」
「ん? あー、俺も15だけど? 」
「とてもそうは見えんな」
「女の体だからだろ」
そもそも、こんな会話をして置きながら、視線はずっと前を向いていて、こっちを見ようともしない。
「そう言えばそうだったな」
ぽつりと独言みたいに言った長次は、どこかさびそうであった。きっと、学園とやらに帰れば友だちがいて、家族もどこかにいて、なんならこんな可愛い女子と実習も出来て。一体どこに寂しさなんてもんがあるんだろうか。
昔の時代の人の価値観なんて俺には計り知れないけど、俺もその中に含まれることはないのだろうか。
道を歩く子どもがさらに小さな子どもを背負って通り過ぎていく。昔の人は力持ちだって聞くけど、世話をするのもこんな小さな子どもで、親は畑かと驚いた。
背負われている子も手には風車を持って、風を受けて回る様子を嬉しそうに笑う。
「
……作ってやろう」
長次は、上から俺の耳に内緒話みたいに小声で。彼の視線が向けられているのは、先程の風車だ。
「流石に知ってるよ、赤ちゃんとか用だろ」
「なんだ、つまらん」みたいな顔されたけど、この男、案外、人のことをバカにしてくるよな。いや、いたずら好きっていうか。
それでも、2人で歩いてると、坂道が見えてきた。確認するように彼の方を見ると、頷き峠の上の方を指差す。
「おすすめの団子屋がある。久しぶりに会えたし、甘味ぐらいなら奢ろう」
「別に奢ってもらわなくても、大丈夫だ。そんぐら
……」
「流石に記憶が無いうちに銭が無くなってたら、疑われるのは私だからな」
「それもそうだな。でも団子か」
「峠の上に美味い店がある」
「いや、こっちだと洋菓子。ここ以外の国のお菓子がないんだよなって。ちょっと考えちゃって」
「
……南蛮のお菓子なら作れるが」
「え、マジ? すごいな長次、そんなことも出来るなんて大天才じゃないか! 」
こくんと頷く。長次の耳の方を見るとうっすらと赤い。お菓子を作って褒められる経験が少ないのかもしれない。そう言うところだぞ長次。と思ったものの、ここでからかうのも良くないかと、小平太は言った。
「今度作ってくれ」
長次の周り縄の武器が三日月みたいに円を描いて回っている姿が小平太の脳裏に色濃く残っていた。心の中ですら言葉にできないけども、ここはそういう時代で、長次はそういう人間なのだろう。
どんなに普通の同じ歳の男子に見えていたって。
4
「凄いアタッカーだったらしいな」
カチャカチャと地図とか資料をしまう先生の背を見つめながら大きな欠伸をした。小平太は連日、寝ても醒めても人と過ごす事になり、頭はパンク寸前でいつでも眠たい。
それでも、普段なら持ち前の運動神経でぶつからずに人ぐらい避けられる。いくら寝不足でも、物が落ちそうでも落ち切る前に掴めた。それぐらい体格にも恵まれている。
なのに、今日は避けきれず激突してしまったのだ。よりにも寄って“ナカセン”に。
落とした資料とか地図を拾っているうちに見渡せば文次郎の姿はなく、廊下には小平太とナカセンだけ。
資料運ぶのを手伝うことにして、社会科準備室へ入ることなった。
何も話さないのはさすがにマズイかと、返事だけしてたら、ナカセンはバレー部の話を持ち出した。これでは分が悪いというか、話が途切れてしまうと、小平太は手短な椅子に座って足を伸ばす。よしっこの話題ならと、頭に浮かんだことを軽く訪ねた。
「もし過去に行けたら、どうしますか? 」
「荒唐無稽な質問だな。なぜ過去に? 」
なぜその時代に行けるようになったかは、未だに分からない。長次ともお互いに推察を交わすが、結論に至る前に話がそれてしまう。
「
……なぜかは分からないですが、行けなくなったら嫌だなーって」
何を言ってるんだと病院を勧められるかもしれない。口に出してから、ハッとするがもう遅い。
ナカセンは手を止めてこちらをじっと見つめる。垂れ下がった前髪の向こうも丸くて大きなメガネなので表情が全く読めず、何を考えてるか分からない。
「どんな時代に行けてもやる事は変わらない」
内心脅えて震えていると、ナカセンはゆっくりとした優しい声音でそう言った。改めて聞いてみると声も長次より少し低いぐらいか。
「どの時代でも調べたい気持ちはあるが、その土地、その場所の人の暮らしを尊重しておかねばならん」
「つまり? 」
「郷に入っては郷に従えということだ」
まるで、俺が過去に行っていることを信じてくれているような口ぶりだ。まさかのコイツが夢で過去に行く要因だったりするんだろうか。
「それが出来なきゃ“戦争”になる」
その言葉を聞いた瞬間、長次が「おそらく戦が絶え間なく繰り返されるようになる」と言っていたのを思い出した。
黙って立ち尽くしてた俺にナカセンは拳を差し出す。殴られるのかと身構えたが、どうやら違うらしい。拳の下に手を構えるとポトリと手のひらに飴が落とされる。
再び視線をあげると、ナカセンは唇の前で人差し指を立てた。他の奴には内緒ってことらしい。
「
……また、分からないことがあったら聞きに来たらいい」
「あ、ある! アレは何時代?! 」
「
……アレ?! 」
小平太はお昼休みに空き教室に集まり、購買で買ったパンを齧っていた。コンビニでも買ってあったのだが、それだけでは足りず。午前中の授業の間に食べ終えていたので、昼休み開始と当時に購買部へ直行していた。
「で、一緒に推測してくれたんだろ? 普通に良い先生じゃん」
胡座をかいていた留三郎は、同じように購買部のパンと食堂のフライドポテトを食べながら言う。誰かが割り箸を貰ったらしく、みんなで交代しながら割り箸でポテトを摘んでいた。
「下の名前がジョージらしい」
「へぇ
……日本人? 」
「さぁ? でけえし、喋んねーし、ハーフとかじゃね? 」
確かにそう言われたらすごく背も高い、そんな気もしてくる。何故か彼よりも確実に背の高い科学の土井先生は、バリバリの日本人だけども。
そう言えば名前も“ナカセン”としか知らない。ミドルネームとかあったりするんだろうか。
「前からこんな感じで妙に疑ってんだよ、小平太がナカセンのこと」
留三郎へ呆れた様子で文次郎は言う。彼が留三郎に言うぐらいだからよっぽどなのだが、小平太は気にせず妄想を口にした。
「俺ならなんか丈夫だし過去に送る装置的なもんで送っても平気で自分の代わりに歴史の大発見を」
「ありえないだろ」
文次郎は、そう一蹴した。正座してお弁当をちまちまと食べているのに、言うことはキッパリ言ってくる。
「チェッ、モンちゃんのいけずー」
「仮にそうだとしても、証拠がなきゃ何の発見にもならんだろ。シンジくんか、エヴァにでも乗るんか」
文次郎がそんなことを言うもんだから、留三郎が箸を持ったままの手で文次郎の顔を掴んで近づける。キスをするように唇を尖らせて言った。
「モンジくん、これが大人のキスよ」
「やめろっ、バカ留。顔ヤバすぎんだろ、コラっ離れろよ」
小平太も悪ノリして文次郎の顔を掴んで振り向かせる。通りすがりからすれば、留三郎と小平太で文次郎を取り合っているようにも見えるだろう。
「続きは戻ってからしましょ」
「しねーよ、安易に死亡フラグ立てんな。なんかあったらどうするんだ」
文次郎はそんなこと言いながらも食べ終えたお弁当を素早く片付けて立ち上がる。
「意外と心配性だな、文次郎。細かいことは、気にするな」
怒りすぎたのか言葉も返さずに文次郎は、背を向けて力強くドアを打ち付けて出ていった。
「今日、あいつ男の日? 」
「んなもんねーだろ。溜まってんじゃねーの」
「文次郎が? 」
「お前の方だよ。最近寝不足で欠伸ばっかしてるって」
別のクラスの留三郎にもバレていたとは。
「あー、まぁ、溜まってるかも」
「マジかよっ! 」
「部活に行きたくてうずうずしている」
「そっちか」
呆れたように言い返して、留三郎は肩を落とした。一体何を期待していたのやら。
「じゃあ、夜通しゲームでもするか? 」
「お? 兄貴の? 」
噂は聞いていた小平太は身を乗り出して楽しそうに話をする。最近は夢のことなど、忙しかったように思う。ちょっとぐらいは休んでもバチは当たらないはず。
「そ、兄貴が明日からバイトでいねーんだよ。しかも三連休じゃん? 」
「マジか! ジュース持ってく。文次郎たちも誘うか」
「おう、守一郎も呼んで4人でするかエアライド」
「いーな、それ! Switch2やりたかったんだよなぁ」
小平太はスマホを取り出して、グループラインにメッセージを送りながら微笑んだ。頬杖をして片手で操作していたこの時、小平太はまだ気が付いてなかったのだ、とある可能性に。
「伊作も来るって」
「来られるかー? 」
などとからかうように留三郎が言ったが、どうせ伊作が不運に巻き込まれるならと言って迎えに行くのだろう。留三郎の家なので、是非とも、先にみんなを中へ入れてくれてから迎えに行ってくれると、助かるのだが。
まぁ、相手は女の子だし、仕方がないことかと。小さくため息を吐いた。
5
波が白い泡を吐く。砂浜には兵庫水軍の人が集まり、何人もの賊を捕らえていた。
その影で暗躍した者たちがいる。彼らは情報を集め学園長に報告し、それを合図に一年は組が第三協栄丸さんと賊に扮したドクタケを懲らしめて捕まえた。
これが表向きだが、暗躍した者たちはまだ海にいる。正確には、海面に姿を出さないように深い所へ潜り、身を潜めていたのだ。
強敵との戦闘をし、後輩たちが怪我をしないようにサポートをしていた。それが今回の課題だったから。
そして、ようやく2人がかりで強敵に引きずられるように海へ潜り、決着をつけた。
ドクタケを利用して行うつもりだった悪事の証拠もある。そんな連中だったので、武道に長けた長次ですら手こずったのだ。
ぶくぶくと空気が上がり、平子は長次の方を見る。まだ気がついてないようで、彼女は身振り手振りをして上に上がろうと知らせた。
長次と平子は水中で頷きあって浮上しようと、足を動き始める。すると、不思議と下の方から何か流れを感じ、彼女が下を見ると、古い船の錨が先に水面を目指していた長次の方へ投げられる。
水底から勢いがあるということは、そういうことなのだろう。
平子は庇うように立ち塞がり、クナイで錨を弾き、先に行く長次に追いつこうと泳ぎ出した。最後の悪あがきかと、杞憂した。が、そうしていられなかった。
弾いた錨に結ばれていた紐が彼女の足に絡み、それにつられて揺れる錨が彼女の足の裏を撫でていく。フジツボや腐敗でザリザリだった錨が触れて、水中にふわりと彼女の血が広がった。出血は多くないのですぐに見えなくなったが、それでも痛みと綱がぎゅっと絡みついて平常ではいられない。
足を掴んで潜りながら綱にクナイを当てるが上手く切れず、紐もピンッと張って水面まで伸びない。これじゃあ水中から脱出できないことが確定している。
水中で声も出せず、矢羽音も出来ず、上を泳ぐ長次に知らせることが出来ない。悔しさで見上げると、長次も水の動きからついて来てないのに気がついたらしく、こちらを振り向いた。
少し戻って平子の足を見る。だが、すぐに諦めたようで、彼は水面の方へ泳ぎ出した。
仕方がないことだと思う。時には切り捨てられなければ、情報を持ち帰ると言う忍びの本分を果たせない。
平子はせめて、遺体がすぐに見つからないように綱を掴んで海底を目指すようにした。たどり着いたら先に落ちた錨で縫いつけよう。外れにくい胴体を刺して海の底へ。
きっと浜辺に遺体が打ち上げられたなんて聞いたら、は組の子たちが驚いたり心配しちゃうから。それでなくても次々にトラブルに巻き込まれるような子たちなのに。信じれないほど前代未聞で可愛い後輩たちだ。
いくらかも進まないうちに肩を捕まれ上へ押し上げられる。
閉じてた目を開くと、頭を掴まれて口を塞がれた。水中で遠慮なく口をつけた長次は、驚く彼女の口に空気を流し込む。身体にありったけの空気かと思うほど。
しかし、流石に男性だ。肺のサイズが違うのだろう。口を離し、そのまま少し潜って平子の足を掴むと器用に絡んだ綱を手繰って解いていく。
綱が緩んだところで、彼女の踵を掴んで持ち上げて綱の隙間から足を押し上げた。するりと抜ける足に、涙こぼれる。水中ですぐに溶けたけれど、彼女は嬉しくてたまらなかった。
彼はもう置いてかないと言わんばかりに彼女の身体を抱きしめて、水面へ泳ぎ初める。勢いよくスピードを出して浮上したことに驚きが隠せない。
共に水上に顔を出した瞬間、大きく息を吸って咳き込んだ。
「水を飲んだか? 」
「少し」
「すまん」
心配そうにこちらを見る顔に、彼女は思うところがあったが今はそれどころじゃない。浜の端の方を指さす。
「陸に上がるなら
……」
「入り江か」
彼女は頷くと泳ぎ出した。そのあとを追って彼も波を立てずに泳ぎ始めた。
岩肌が剥き身の陸へ上がろうとすると、後ろから足を救い取られる。こんな時にふざけている場合かと見上げたら、彼は平子を抱えて薄暗い洞窟の中へ進んだ。
平子を抱えたまま、脱ぎかけていた服を脱いで地面に広げる。肩衣姿になった長次は、そこへ彼女を下ろした。
「足の裏」
突然なんだ? と思っているうちに彼は再び踵を持ち上げて、眺めた後に肩衣から取り出した竹筒から真水を傷口にかける。敷いた服から包帯を取り出すと、丸めたままのそれをぎゅうっと絞った。えげつない量の水がだばーっと出て、度肝を抜かれる。
そうしているうちに手際よく包帯を足の裏へ巻き付けて足首も固定してくれた。
「痛むだろうが、もう遅い」
「壊死してたか」
「夜も遅いし、ここで野営する。朝、学園へ」
やはり、妙な奴だ。忍びらしくないこと言う。見ているうちに波が届かないところで火をおこして、焚き火を始めた。
「服を乾かす、見ないからこの手に服をのせろ」
「まるで、人間みたいなこと言う」
心外そうな顔をして、その場に座り込んだ。何が恥ずかしいのか、顔を背けながら彼はぽつりと零す。
「人間だから」
「ウソつき
……」
彼女もそう言いながら脱いだ服を渡し、彼の背に身体を預けた。振りほどかないあたり、打ち解けたと言うべきか、ペアを組まされた時とはだいぶ違う人間性が見えてくる。
「なんとでも言え」
やはり、聞き取りにくい声でそう言った。波音も届きにくい洞窟で良かった、ちゃんと聞こえる。
濡れた肩衣を絞って着なおした彼女は、あぐらをかく長次の膝に頭を乗せて横になった。
「
……どうした」
「今夜は、私だけの膝枕だな」
微睡む目を向けて彼女が言うと、長次も頷いて口を開いた。
END
【真夜中のひまわり上】