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77nairo
2025-08-16 23:00:00
1634文字
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境界線
半円形にぐるりとめぐらされた幅五センチの白線。その内側と外側では、世界が変わる。
ふと目が覚めた。薄っすらまぶたを持ち上げて見た部屋の中は、ぼんやりと青白い光に満たされている。まだセミも鳴きはじめていない、夜と朝のまんなかの時間。海が近いこの町では、真夏でも夜明け前は肌寒い。夜中に蹴散らしていたタオルケットを引き寄せて、くるまる。そのままもう一度眠ってしまおうと思ったのに、もう眠気はすっかりどこかへ行ってしまっていた。
諦め悪くまぶたを閉じていると、開けっ放しにしてある窓の外からは案外いろんな音が聞こえた。波が堤防にぶつかって砕け、貨物列車がガタンゴトンと通過していき、防風林はざわめき、そして、ボールがリングに跳ね返される。一之倉はため息をひとつついて身体を起こした。
靴下とタオルだけ持って部屋を出る。寝るときもバスケをするときも着るものは大して変わらないから、着替えは省略していいだろう。薄暗い廊下を抜け、階段を降りると、体育館から漏れ聞こえる音がはっきりと聞こえた。
寮の玄関から体育館の玄関まで、大股で歩けば十五歩くらいしかない。それでもきちんと靴を履け、靴のかかとを潰すな、と、入部したばかりの頃から先輩たちに口酸っぱく言われ続けてきた。そんなことまできっちりする必要があるのか、別に誰が見ているわけでもあるまいし、と思っていたけれど、今ならわかる。あれは後悔をできる限りなくすための先人の知恵だ。
あのとき手を抜いたから、あのとき全力を出しきらなかったから負けたのだ、という後悔をしないため。誰も見ていなくたって、自分自身は見ている。
体育館の玄関を開け、ランニングシューズを揃えて下駄箱に入れる。代わりにバッシュを手に取る。アリーナに入るときには一礼する。どんなに気持ちが重い朝でも、もう何百回も繰り返してきた動作だから同じ動きができる。これもたぶん、負けたことがある先人の知恵の一つだと思う。
深々と下げた頭を上げると、松本がシュート練習をしているのが目に入った。コート一面ぶんだけ照明の点いた体育館の中で、ひとり舞台に立っているようにも見える。
「一人で抜け駆け?」
声をかけると、松本は大きく肩を跳ねさせて振り向いた。玄関を開ける音も足音も響いていたはずなのに、松本の耳には入っていなかったらしい。
「誰か誘えよ。オレだってボール拾いくらいやるし」
コートのあちこちに転がったボールを拾い集めながら松本に近づく。体育館の中も肌寒いくらいなのに、松本はびしゃびしゃに汗をかいていた。
「
……
スリーを、練習したくて」
松本はそう言って、足元のラインに視線を落とした。ほんのすこし顔を俯けただけで、形の良い坊主頭から汗の粒が落ちる。
「三井は、足元を見てラインを確かめなんてしなかった。たぶん、リングとの距離感が身体に染み付いてるんだろうな」
「
……
どうかな。下を見る余裕もないって感じに見えたけど」
それは慰めの言葉ではなく、本心だった。少なくともコートの外にいた自分にはそう見えた。
でも松本に今どんな言葉を言ったって、納得はしないだろう。先人の知恵と同じように、本人が経験して腹に落ちてからでないと、本心は伝わらない。
松本がバッシュのつま先でスリーポイントラインをなぞった。毎日部員たちに踏まれ削られ続けている白いラインは、ところどころ欠けている。
「三井がシュートするとき、一度でもこのラインを踏んでたらって、卑怯な考えだってわかってるけど、そう考えちまう」
俯いた松本の真上からライトが降り注いで、顔に暗い影を落とす。思わずその顎を引っ掴んで、上向けた。
「どんなに取られたって、松本が一本でも多くシュート決めればいい」
松本は大きな目をさらに大きく見開いた。
「お前なら、できるよ」
松本がごくりと唾を飲み込んだのが、手に直接伝わってくる。窓から朝日が差して、松本の目をきらきらと照らした。
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