リとヌと御仔(2ちゃい)と「おいてってくだちゃい」の話(とうさまの場合)です。この世界線のヌ様は御仔の影響もあって割とお声がけしやすい雰囲気+御仔がフォンテのアイドル+御一家がフォンテの癒し なのでこういう事もアルンジャナイカナ(願望)を詰めました。まだ甘えんぼ下手っぴな御仔と情緒レベル低いヌ様から得られる栄養素、思ったより豊富…!って思うなどしました(余談)
石畳を叩いていた小さな足音が止まったのに、ヌヴィレットも足を止める。目をやった足音の持ち主ははふ、とため息をついたところだった。
「れゔぃ、あんよちゅかれちゃった」
自分と揃いの触角を萎れさせ、繋いでいない左手でズボンの裾を握って。
「おいてってくだちゃい」
可愛い息子の口にした要望に、ヌヴィレットはその瞳を瞬く。置いていく。この不特定多数が行き来する、ヴァザーリ回廊に。小さなこの仔を?
廷内には警察隊と警備マシナリーが配備されている。この仔が一人でいるからと言って即座にどうこうなるはずはなく、そもこの仔にはヌヴィレットの加護がある。その辺の破落戸には手を出せないのだが、それは安心材料にはならない。幼くか弱い大切な息子を残してこの場を離れるなどヌヴィレットにはできなかった。本能的にも、心情的にも。
「そうか、疲れてしまったのだな。わかった。ただ、おまえを一人にしておくなどととさまにはできない。おまえが元気になるまで少し休もう。ととさまもおまえと一緒に待っているから」
どうだろうか?
膝をついて息子と目を合わせ、妥協案を口にして首を傾げると、息子はこくりとうなずいた。
「ととしゃま、にゃんにゃん!」
「そうだな。可愛らしいな」
疲れてしまったのならどこかに腰を下ろすべきだろう。生憎カフェまでは少々距離がある。疲れたと瞳を潤ませるこの仔をこれ以上歩かせたくはない。少しばかり悩んで、ヌヴィレットは欄干に腰を下ろしていた。公共の建造物ではあるが、『腰を下ろす事』『子どもを乗せる事』に関する法律はなかったと記憶しているので。公序良俗の精神に基づき、著しく汚損したり長時間居座るようなことがあれば法に触れずとも問題ではあるがヌヴィレットにそのつもりはないし、息子の体力が回復したならばすぐに立ち去るつもりだ。咎められることもなかろう、と。
欄干にちょこんと座った息子は、足をゆらゆらとさせながら目に入るものを指差しては報告してくれる。疲れているのだろうに、なんだか機嫌が良さそうだ。「疲れてしまったみたいでずっとグズっていて」なんて話を小耳に挟んでいたヌヴィレットにとって意外な光景だったが、愛する息子が心安らかならばそれに越したことはない。わざわざその“ご機嫌”の理由を問う気はなかった。
「ととしゃま、もくもく、きらきら!」
「うん? …ああ、確かに。ルエトワールのような雲だな」
「ん!」
「…あの、こんにちは。ヌヴィレット様、お坊ちゃま」
息子が空に浮かぶルエトワールを見つけてくふくふと笑ったところで不意にかけられた声に目線をその出どころにやれば、目の前には女性が一人。ワンピースにエプロンという服装は、カフェで給仕を務める女性が多く着用しているものだ。
「ごきげんよう。我々に何か?」
「突然お声がけしてすみません。私、この先のカフェで働いてるんですけど、アイスドリンクを作りすぎてしまって。このままでは薄まっていくだけで捨てるしかなくなってしまうので、いっそお二人に飲んでもらえとマスターに言われてしまって…」
困ったように口にする彼女は、確かにトレイを持っていた。小さなグラスの中で夕暮れ色が揺れている。アイスティーだな、と当たりをつけて、失礼、と断りを入れて。
グラスを手に取り、じっと見つめる。毒の類は入っていない。本当に『作りすぎてしまった』ドリンクのようだ。困り果てた様子の女性を前に次に取るべき行動に悩んでいたところに傍らから「おちゃ、」と小さな声が飛んできて、ヌヴィレットはその厚意――本来ならば相応のモラと交換で供されるものを先方の事情とはいえ無償で提供されようとしているのだから――を受け取ることに決めた。廃棄が決定されているものだ。新聞社が騒ぎ立てることもないだろうと思ったので。
「君とマスターの厚意に感謝する。有り難くいただくとしよう」
「いえ、こちらこそ。おかげさまでマスターに叱られなくてすみます」
ヌヴィレットの手に渡った二つのグラスにほっとしたようにトレイを胸に抱えた女性に、息子が笑顔を向ける。
「おねちゃ、あいがと!」
同時に空気を揺らした愛らしい声にどういたしましてと微笑みを返し、それではと軽く会釈して彼女は離れていった。
「きちんと“ありがとう”が言えて偉かったな。レヴィ」
「あい!」
息子のちいさな頭を撫でてその礼儀正しさを褒め、共にアイスティーを頂く。背を向けた彼女が小さくガッツポーズをしたことも、店でマスターとハイタッチを交わしたことも、二人には知る由もないことだった。
◇
息子と欄干に腰を下ろして小一時間。何故か手にはカットされたシフォンケーキとフルーツの盛り合わせがあってヌヴィレットはそっと首を傾げる。はて。どうしてこんなことに。
カフェで働いている女性から廃棄予定のアイスティーを譲られて。近くの商店主だという老婆から試食用にと思ったが切りすぎてしまったというシフォンケーキを譲られて。ついさっき、同じく商店を営んでいるという男から仕入れすぎてしまって困っているのだとフルーツを――わざわざ一口サイズにカットしてくれていた――譲られたところだった。息子は老婆にも男にも満面の笑みで礼を述べていた。実に良い仔だと思う。
「ととしゃま、おいちいねぇ」
「そうだな。美味しいオレンジだな」
バブルオレンジを飲み込んだ息子がほわほわと笑う。口元の果汁にそっとハンカチを当ててやったところで影が落ちて、今度はなんだろうと顔を上げて。
「なかなか帰ってこないから困ったことでも起きたのかと心配したぞ。お二人さん」
「ぱぱ!!」
「リオセスリ殿」
鼓膜を揺らすテノールに息子と二人声の主を呼ぶ。腰に手を当てた伴侶のため息から色濃い安堵を感じ取ってヌヴィレットは肩を落とした。不測の事態への対応のためとはいえ彼を心配させてしまった。
すまないの四文字が音になる前に傍らで鈴の音が跳ねる。
「れゔぃ、ととしゃまとおやしゅみ、してたの」
「お休み?」
「この仔が疲れてしまったから置いていって欲しいと言うのでな。ひとときここで休憩していた次第だ」
置いていくなどもっての外なのでな。
ごく真剣に親の勤めを果たしていたと事情を口にすると、何故かリオセスリは楽しげに肩を振るわせた。
「なるほど。それでピクニック状態になってるのか」
言われて改めて現状に目を向ければ、ここは野外で、腰を下ろしており、自分たちの周りには飲み物と軽食があって――確かにピクニックと言われても反論は難しい、かもしれない。
「その…私たちから働きかけたわけではないのだが、辺りの店の者が…仕入れすぎてしまった果物や試食のケーキだからと言われると断りづらく…」
「おやちゅ、いっぱい!」
もごもごと試みた弁明を、リオセスリは愛おしさを隠そうともしない、なんともむず痒くなる笑顔で聞いてくれる。続けて息子が発したご機嫌麗しい声に、彼はその笑顔を穏やかなそれに変えてうなずいた。
「そうか。よかったなぁ、レヴィ。ちゃんとお礼は言えたかい?」
「あい!」
「それは私が証人となろう」
「そうか。偉いぞ」
受けた善意の全てに不足なく、笑顔と感謝の言葉で応えていたと力説すれば、リオセスリはうんうんと誇らしげにそのフロスティブルーを細め、大きな手で息子の頭を撫でた。
「ぱぱ、りんりん、どーじょ!」
「うん? くれるのかい? ありがとうレヴィ」
彼に褒められたのが嬉しかったのだろう。くふくふと笑った息子から譲り受けたばかりの林檎をひとかけ差し出されたリオセスリは、その瞳をとろりとゆるめて息子の指先へ唇を寄せる。林檎を咀嚼する小気味良い音を響かせたあと彼は心底愉快そうに笑った。なるほど随分な上物を仕入れすぎたみたいだな、と。“ぱぱ”の合流に喜んだ息子があれもこれもと譲られたものたちを差し出すので、もしかしたら食べきれないかもしれない、などという杞憂は杞憂に終わった。
「うーん、これはあくまでも俺の個人的な意見なんだが…そういう時はレヴィが歩かなくて済むように抱き上げてやれば解決だと思うんだが、どうかな」
グラスは店に返して、ゴミは持ち帰って、と辺りを片付けているとまるで最初からピクニックをしていたかのような錯覚に陥ってしまうな、などと考えつつ、次に同じことがあった場合の対応について相談したヌヴィレットへの、伴侶の返答はそれだった。冷静に考えればごく簡単なことだった。何故思い至らなかったのかと思わず手を止めてしまう。
「あ…ああ、そうか。なるほど。確かに、そうだな」
言われてみればこの仔は「疲れてしまった」と言っただけで、「休みたい」とは言っていない。置いていって欲しいと言われて、ヌヴィレットが勝手にそう判断しただけだ。虚を突かれて固まるヌヴィレットに、リオセスリは氷色をやわらかく細めてから戯けたように笑う。
「あんたのことだからこの仔の希望を汲んでやろうと思ったんだろ? それは大事なことだと思うが、レヴィはあんたに似て奥ゆかしいからな。『お願い』の仕方が分からなかったのかもしれないぞ」
「……君の言う通りだ。仔の思いも汲めないとは。恥じ入るばかりだ」
彼に励まされてもヌヴィレットの心はわずかに重い。その場にいなかった伴侶の方が、よほど息子のことをわかっている。ひとの心情にさほど興味を持てず、理解する努力を怠ってきた代償をこんな形で支払うことになってしまったと皺を刻むヌヴィレットの眉間を、伴侶の指が優しく撫でる。
「そんなに重く考えなくていいさ。なんだったらさっきまでのは全部俺の想像だ。レヴィは本当に一人で帰ってくるつもりで置いてってくれと言ったのかもしれないぞ?」
「…それは流石に、」
あり得ない、とは、息子自身の口からその希望を聞いていない以上言い切れないが、あり得たとして看過はできない。黙り込むヌヴィレットの葛藤に小さく笑った伴侶は、そのテノールを息子へ向ける。
「レヴィ」
「あい!」
「今度から疲れちまったら抱っこしてってお願いするといい。ととさまは絶対いいよと言ってくれるからな」
“ぱぱ”の助言に宝玉を瞬いた息子は、しょんと小さな背中を丸め、膝の上の両手をきゅうと握って。
「ととしゃま、れゔぃ、きりゃい、ない?」
そろりとこちらを見上げながら、ひどく不安そうにその声で空気を揺らした。思わず口をつきかけた「何故」はすんでのところで飲み込む。以前フリーナに、君にそのつもりがないのはわかってるけど君のそれは時々圧がすごいとダメ出しされたことを思い出したからだ。幸い愛しい息子に怖いと泣かれたことはないけれど、例え一瞬でもこの仔にそのような思いはして欲しくないし、自分がそれを与える側になるなどもっての外だ。
「…ああ、もしかして我儘にあたるのではと危惧しているのだろうか。であればおまえが不安になることはない。おまえはまだ幼いのだから、私を…いや、私たちを頼りなさい。親は仔を庇護するためにいるのだから」
「…うー?」
ダメ出しを活かし反応は首を傾げるだけに留め、思考し、得心して、息子の問いへの答えを口にすれば、息子は先のヌヴィレットを鏡写ししたようにこてりと首を傾けた。…のに、傍らの伴侶はそれはそれは楽しげに喉奥で笑う。
「絶対嫌いにならないから疲れた時はちゃんと『お願い』して欲しいってさ」
「…あい!」
俺たちとの約束だ。
リオセスリの言葉が理解できたのか単に頭を撫でてもらえて嬉しいのか判断に迷うところではあるが、元気にうなずく息子を見つめ思わず唸ってしまった。
「…仔のための言葉選びは難しいな…」
そもそも子どもとこうして語り合った経験がヌヴィレットにはない。これまでは相応の理解力のある相手との事務的なやりとりか、ヌヴィレットの拙い会話術からでも真意を読み取ってくれる相手とのやりとりしかしてこなかったのだ。伴侶がさらりとやってのける「子どものための平易な言い回し」は、ヌヴィレットにはまだ困難だった。
「アルバートが『子育てとは親も子と共に成長するものだ』って言ってたぞ。俺たちもこの仔に負けないように成長していかないとな」
「…うむ」
お互い二年目なんだ、まだギリギリ新人名乗れるだろ――悄然とするヌヴィレットを悪戯っぽい笑顔と優しい声音で鼓舞してくれる伴侶の聞いたそれと同じような言葉はヌヴィレットも耳にしたことがある。明日から、いや、今この瞬間から精進していかねばとそっと決意を固めた。
「さて、レヴィ。『お休み』は十分かい? そろそろととさまと帰ってきてくれるとパパは嬉しいんだが」
リオセスリが息子へ問いかけた事で思いの外長居をしてしまったことに気づく。流石にそろそろここを離れなければ、警察隊員に声をかけられてしまうかもしれない。
伴侶に倣って目をやった息子はぱちりと瞬き、うろうろと視線を彷徨わせ、腹の前でふたつ拳を作り、おず、とヌヴィレットを見上げる。
「えと、ちょっぴり、ちゅかれちゃった」
そう口にしてもにょもにょと、言葉と声の間くらいの音を転がしている息子が次に何を言おうと頑張っているのか、くらいは、さすがのヌヴィレットにだってわかる。ので。
「そうか。ちょっぴり疲れてしまったか。それは大変だ」
両手を伸ばし、握ってはひらいて躊躇いを描くちいさな手にそっと触れる。胸の内から愛おしさが溢れるままに微笑んで息子の言葉を待っていると、触れていた温もりがきゅうと指を握り返してきて、それから。
「ととしゃま、だっこちてくだしゃい」
「ああ、勿論。おいで」
そっとそっと差し出された『お願い』ごと、ヌヴィレットは小さな身体を大切に抱き上げたのだった。
「とうさま、だっこ」
「うん? …ああ、疲れてしまったのだな」
止まった足音、はふ、と響くため息ひとつ。繋いだ手を引かれるのに、ヌヴィレットはその腕を伸ばす。
「いっぱいあるいたねぇ」
「そうだな。階段もたくさん使ったな。…ふふ」
腕の上に収まってとろんと溶ける愛息子に返じてやりながらつい漏らした笑みに、小さな頭がこてりと傾ぐ。
「とうさま?」
「いや。きちんと『お願い』ができて偉いな」
大きくなった、と髪を撫でる指に不思議そうに瞬いたレヴィは、「ぼくえらい!」と嬉しげに笑った。
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