景生
3303文字
Public 雪千枝
 

深爪

※花+雪→千


「天城、天城。よせ、よせ」
 今にも襲い掛かりそうな彼女を後ろから押さえ付けると、花村は「落ち着け」と天城を宥めかせた。彼女の視線の先には同級生の男子生徒と話す里中の姿がある。
 それだけならば特別珍しい光景でもないのだが、どうやら今回は日常の何気無いやり取りに留まらないようで、場が悪いやら何やら、花村と天城の二人は男子生徒が里中へ告白する姿を偶然目撃してしまった。
「あれ、誰。花村くん、知ってる」
 今にも噛み付きそうなほどの凄んだ目付きで問い質してくる天城に顔を蒼くしながらも、花村は知らないと首を振る。
「顔は見たことあるけど、名前までは」
「根こそぎ調べてやるわ」
 身ぐるみ剥がしてやれば分かるかしら、と荒々しく牙を向ける天城。このままでは二人の間に割って入るのも時間の問題だ。これ以上は危険だと判断した花村は、彼女を何とか引き摺って、二人のいる教室から遠ざけた。
「どうして止めるの、花村くん」
「止めるだろ。頭冷やせって」
 天城は怒りの矛先を見失い、動揺に冷静さを欠いていた。立ち塞がる花村の胸を押して「退け」と威圧する。彼女の細腕では力こそ弱いが、その変貌振りには固唾を呑んだ。思わず気圧されそうになったものの、花村は諦めずに彼女へ「落ち着け」と語り掛ける。何も里中が告白を受けると決まったわけではない。彼女はああ見えて思慮深い人物なので、すぐに答えを出すよりも、まずは親友の天城に相談する可能性が高かった。だから少し様子を見てやれと助言すれば、憤った天城の様子が、僅かばかり落ち着いた。
「千枝は誰の物にもならない」
 歯軋りが廊下に響く。ぎりぎりと親指の爪を噛んで、先程の光景を目に浮かべながら忌々しそうに遠くを見る天城。口惜しくて堪らないのだろう。身勝手な独占欲に翻弄される姿は、傍から見れば酷く痛々しい。友達として目を覚まさせてやりたかったが、今ここで〝彼女は天城のものでもない〟なんて正論を真正面からぶつけるわけにもいかず、そんなことを口に出せば火に油を注ぐだけなので、では一体これをどうするべきかと花村は扱いに窮した。
 答えの出ない悩みだ。特に実のある話も出来ないまま時間が過ぎて、次第に冷静さを取り戻してきた天城から「もう帰る」と愛想を尽かされる。暴れ回る気がないのならこれ以上呼び止める訳にもいかず、花村はどうすることも出来ないまま、自分の横を通り過ぎていく天城を見送った。
 無人の廊下に、下校の鐘が響き渡る。
 時間を思い出して、もうこんなに経っていたのかと、花村は窓の外にある夕焼けに目を止めた。

 校舎を出て駐輪場に向かう。もう校内にはほとんど生徒が残っていないらしく、辿り着くとそこにあるのは花村の自転車だけだった。そういえば定期テストが近付いているので部活動も休みだったなと、花村は遠くの静かなグラウンドに耳を傾けた。普段が活気に満ちているだけに、人のざわめきが消えた校内には物寂しい気配が感じられるようで、その生ぬるさを残した静寂は、少しだけ不気味だった。
 遅くなるので早く帰りなさいと促すように、風が髪を撫でてくる。八十神山からやってくる青々しい匂いを鼻に掠めながら、花村は自転車に向きやった。
 そこで、とあることに気が付く。花村は自分の自転車の横で屈み、前輪に付いている異物を見つめた。それは校内でよく使われる金色の二重画鋲と呼ばれるもので、本来ならば掲示板に刺さっているはずのそれが、なぜかタイヤの黒いゴムの表面に、数えきれないほど突き刺さっていた。まるで、てんとう虫の背中のように点々と模様された哀れな姿に、花村はやれやれと頭を掻いた。八十稲羽に引っ越してからというもの、こういう子供染みた手口には慣れてしまった。娯楽の少ない田舎町だ。暇を持て余した生徒達の鬱憤は、目障りな余所者へと向いている。長閑な自然の裏に潜む、退屈と怨嗟の混じり合った土地の悪意は、こうして時折、垣間見せることがある。花村は溜め息を吐き、その因習にへばり付いた画鋲をひとつひとつ抜いていった。

「大変そうだね」
 ふと、花村の背後から声が聞こえた。屈んだまま振り向けば、先程帰ったはずの天城が何故かそこに居る。
 花村は首を傾げ、
「どうした、帰ったんじゃなかったのか」
 と、不思議に思って訊ねた。
「そうなんだけどね」
 天城は相変わらずの澄ました表情で、花村を見ている。
 彼女の曖昧な返事に疑問を抱きながらも、花村は徐に立ち上がると集めた画鋲をさりげなく背中に回して、それを左手に握り締めた。
「もう暗くなるし、送ってこうか」
 花村は沈んできた茜色の空をちらりと見て訊ねる。
 天城はその言葉に「ううん」と首を横に振った。
「ねえ、それ。乗って帰れるの?」
 彼女の細長い指が花村の奥へ向けられる。振り返れば案の定、あるのは自転車で、画鋲を抜いたタイヤは徐々に空気が抜けてきていた。このまま走れないことはないが、この状態で走行すればきっと中のチューブを痛めるだろう。そうすれば修理の料金も嵩んでしまう。
 花村は頭を掻いて「担いで帰るよ」と答えた。
「あ、私。ボンド持ってるよ」
「ボンド?」花村は聞き返す。
「うん」彼女はそう言って鞄からそれを取り出した。「ボンド。これで塞いじゃおうよ」
 どうだと見せ付けてくる天城に、花村は思わず笑った。
「遠慮しておく」
 ありがとう、と優しく断れば、天城は残念そうだった。どうやら彼女は本気だったらしいが、まさかそれで直るはずもないので好意だけ受け取っておくことにした。彼女なりに励まして、気にしてくれているのだろう。一体なぜそんな物を鞄に常備しているのかは分からないが、その気持ちだけで花村は充分だった。
 そんなやり取りをしていると、
——あ。いたいた、雪子!」
 と、夕陽の眩しさを背にして里中がやって来た。
 彼女は普段通りの快活な姿で、跳ねるような声を天城に向けている。こちらに辿り着くと肩を上下に揺らしながら、夕焼けに染まったような頬をにっこりとさせた。
「こんな所に居たんだ。もう、探しちゃったよ」
「ごめん、千枝」
 ちょっと花村君と話してて、と天城は言う。
 花村はすかさず「たまたま会ってな」と口を挟んだ。
 きっと天城は里中に呼ばれて戻って来たのだろう。もしかすると先程の告白の件かもしれない。二人の邪魔はしてはならないと、花村は退散するように荷物を担ぎ直した。どさくさに紛れて拳の中の画鋲を鞄の中に閉まえば、針が刺さってしまったのか、手の平から少し血が出ているのが見える。花村はそれを隠すように再び手を握り締めると「じゃあな、お二人さん」と彼女達に笑い掛けた。
「もう行っちゃうの、花村くん」天城が訊ねる。
「え、一緒に帰ろうよ」と里中が誘った。
 花村は首を振って断り、故障寸前の自転車に跨った。バイトに遅刻しそうでさ、と適当に、曖昧に誤魔化して、花村は校門へと向かって二人に背を向ける。お邪魔虫になるつもりはない。二人で上手いことやってもらえるように祈りながらペダルを踏むと、不意に天城が「花村くん」と。周囲を真っ直ぐに抜けるような、凛とした声で動きを止めてきた。
 花村は地面に足を戻して振り向く。天城は瞬き一つ寄越してじっとこちらを見つめてから、再び口を開いた。
「また、明日ね」
 そう言って彼女の繊細な手は、涼香を纏ったように白く揺れた。花村は彼女の指先を見つめながら、ああ、また明日。うんと頷いた。いつもと変わらない別れの挨拶を二人と交わして、空気の抜けたタイヤを走らせた。
 辺りは沈み掛ける太陽に影を色濃くしている。花村はもう見慣れた景色を駆け抜けながら、血の滲んだ手の平をハンドルに押し当て、この平穏な日常を胸に吸い込んだ。
 彼女の綺麗な爪がこれ以上、傷付きませんように。二人の可愛い笑顔がこれからも続きますように。友人として彼女達に願いを込めながら、ぼろぼろの自転車と共に道を進んだ。
 目を細めれば、茜色の風が穏やかに町を包み込んでいた。