2025-08-10 23:59:00
11253文字
Public セフィクラ
 

【SC】ネブルシア回想録

セフィクラ前提

25年クラ誕
毎年モブ視点のクラウドくんをやるのが慣例になっているので
セフィロス要素は匂わせ程度です 微ホラーかも

23年 『謎の男C』セフィクラ
https://www.pixiv.net/novel/show.php?id=21264596

24年 『蜃気楼の微笑』ザックラかも
https://privatter.me/page/6721e4e1491c9


はげましのおたより💌
https://forms.gle/ovNkYwMhkS9WhdMg8

 初恋の記憶というのは遠くにあるように思えて案外身近にあり、忙しい日常の中で自然的に発生する心の隙間へ、ふとしたときに風を吹く。その風は意識の奥底で埋もれていた甘酸っぱい感傷を呼び起こし、ほんの一瞬だけ、自らの時間を戻す作用を持つ。

 今から語るのは、ある小さな集落で出会って別れた不思議な少年の話である。娯楽の多い昨今、世間の人々にとってはありふれた、つまらない、退屈な話になるかも知れない。そもそもこの書き付けは誰かに読まれることなど想定はしていないはずなのだが、それでも残しておきたいと思うのは、私の身勝手以外の何物でもない。前置きが長くなりすぎる悪癖を抑えつけ、とにかく話を始めることにしよう。


 ネブルシアという地名は、ここ百年ほどで新しくできた呼称だ。山に囲まれた寂しく静かな場所で、一年を通して雲が厚く霧の多い一帯であるため、決して栄えたエリアとは言えない。山の麓にある小さな集落には今でも人が住み続けているが、田舎の集落というのはどこも似たようなもので、子どもたちは華やかな都会へ憧れ成人を迎えると村を出ていってしまう。そして自由な数年を都会で過ごしたあと、手に職をつけて村へ戻って来るというのが慣例になっている。かつてこの地は、ニブルヘイムと呼ばれていた。

 私は学者の両親の元でネブルシアにて生を受け、大学へ進学するまでの二十年弱をそこで過ごした。両親は数百年前エネルギーとして活用されていた『魔晄』についての研究に携わっており、ネブルシアに残された星で初めての『魔晄炉』の遺跡調査のため移住してきただった。本来であれば数年の任期の予定が、母が私を身ごもったことがわかり、自然の多い落ち着いた土地で育児をしたいという二人の希望により長い逗留となったと聞いている。

 ネブルシアには様々な思い出がある。家畜の飼育と農作物の栽培で保っているささやかな集落は、学校という教育施設すら持たなかった。そのため、教会の神父が子どもたちへ勉強を教えてやっていた。私の家は両親が大学院まで卒業した学者だから、本来なら教会へ通うことを免除されても良かったのかも知れないが、社会性を身に着けさせるためか両親は毎日私に教会へ行くよう促した。

 朝目が覚めると、冷たい井戸水で顔を洗い歯を磨く。テレビの電波は届かないがラジオを聞くことはできるため、父は一日遅れで村へ届く新聞を読みながらラジオのニュースを聞いている。ダイニング・キッチンでは母が忙しく朝食の用意をしており、洗面を終えた私を振り返り「おはよう」と声を掛ける。食事が済んで私が身支度を始める頃には父はもう仕事へ行く準備を終えていて、母へ出発前のキスを贈る。ありふれた朝の風景をこんな風に長々と書いているのは、私がごく普通の、何の力もないただの子どもでしかなかったことをわかって欲しいからである。

 やがて私も家を出る時間となり、母もエプロンを外して仕事をする人の顔つきになる。こうして我が家の朝は過ぎていき、私は両親の希望通り、友だちと会うため教会へ向かうのだった。

 神父による講義は私にとってはそう面白いものでもなかった。教えられる勉強は何年も前に私が通り過ぎた内容であり、私の学業の成績は常に抜きん出て優秀だった。学者の子だから、将来うんとえらくなる。そう周囲の大人に言われて育った私は、彼らの期待に応えようと勉強に精を出していたような気もする。しかし、両親から受け継いだ血というものがあるのか、そもそも勉強を苦痛に思ったことは一度もない。

 机を並べる学友たち――そう呼ぶのが適切かはわからないが、驚くことに集落には毎年きちんと一定数の子どもがいた――も素朴で純粋で、仕事に生きる両親が私のために田舎暮らしを選択したことは、大きな間違いとも言えないだろう。ネブルシアに源流を持たない私たちのことを村民はおおらかに受け入れてくれていたし、他所からきた『えらい人』という立ち位置で、両親の専門外である農機具の修理の相談など、何かと頼ったり頼られたりのいい関係を築いていたように思う。

 そんな教会の子どもたちの中に、特別私の目を惹く少年がいた。眩い金色の髪に海のような青い瞳を持ち、整った顔立ちをした大人しい少年だった。彼の名前は、クラウドという。ガラス玉のような目を伏せていつも講堂の後ろのほうに座り、神父に指名されない限り講義中声を発することはなく、ただじっと講堂の前方にある古い黒板を見てノートにメモを書き込んでいる。他の子どもたちにはなんとなく距離を置かれているようで、事実、彼が誰かと親しげに話しているのは見たことがなかった。みな彼の名前や存在を知っているというのに、まるでそこにはいないものとして扱っているように感じた。

 子どもというのは、ときに無邪気からくる残酷さで『仲間はずれ』を作ろうとする。成長しきっていない身体と自我で己を守るための防衛本能がそうさせるのだと今なら分析できるが、その頃の私は、疎外されるクラウドを放っておくことへ青い正義感を由来としたかすかな罪の意識を抱いていた。だがしかし、もう少し背が伸びてものごとがよく見えるようになると、彼を避けているのは子どもたちだけではないということにも気がついた。私たち家族を優しく受容した村人たちもまた、クラウドへは冷たい無関心を向けている。

 あるとき、村の大人たちが彼のことを『いんがの子』だと呼んでいるのを聞いた。私は無知のためにその意味をしばらく理解できなかったが、そのうちそれが『因果』を指しているのだと思い至った。因果の子。ただの無口な少年へ向けるにしては、いささか大袈裟すぎる呼び方である。クラウドは大人からよそよそしい態度を取られ、その態度を真似した子どもたちの輪に入ることもできず、常に一人で寂しそうにしていた。

 村民全員が互いの顔を知っているほど狭い集落だから、ネブルシアに血縁のルーツを持たないことでクラウドが遠ざけられている可能性も考えた。彼の家は、両親ともネブルシアの土着の者ではないらしい。だが、私たち家族も外からの流入者であったが、村民たちとあからさまな距離を感じたことなどなかった。それでは、私の知り得ないずっと過去の事件や事故などによって、クラウドは疎まれているのだろうか?

 クラウドと彼の母親――彼らは母子二人きりで暮らしていた――へのよそよそしさは何年経っても変わることはなく、受験資格を得次第大学への進学を望まれていた私は、どこか虚ろな感じのするクラウドへ、まずは挨拶をするところから接触を試みることにした。

 そう、私はこの村を出ていき、恐らく自分がここへ戻って来ることはないだろうと予測していた。きっと私が親の手から離れたら、両親はまた各地の魔晄炉跡地を巡る生活へと戻るだろうし、私のほうでも自身の生涯の仕事を見つけ、ネブルシアとは無関係に生きていくのだという確信があった。だからこそ、クラウドと関わろうと思えたのかも知れない。残りの人生をこの村で過ごすわけではないという気楽な楽観。何かがこじれて居づらくなっても、数年じっと我慢すれば二度と戻ることはないと思えたからこそ、ふわふわと浮いて掴みどころのないクラウドと交流を持とうと決めたのだ。

 私は講義のあとの彼を捕まえて、一緒に帰ろうと声をかけた。クラウドは驚いた顔をして周囲を見渡し、数名の子どもたちがひそひそ何か言い交わしているのを確認した。私は彼が遠慮して断るのを見越して、さらに言葉を続けた。

「君と仲良くなりたいんだ。この前、川のほとりで小動物を見ていただろ? 君は動物が好きなのか?」
……嫌いじゃない」
「そうか。なら、僕たちは友だちだ。良かったら今度、父さんが持っている図鑑を見せてあげる。さ、一緒に帰ろう」
 こうして私はクラウドと親交を深める機会を得た。


 私とクラウドは日々の帰り道を共に歩く中で徐々に打ち解け、そのうち村で見かけた彼と少し散歩をする仲になった。大学受験の準備に勉強へ本腰を入れるようになった私は、よく夕方頃の時間帯に集中力を切らして外をぶらぶら歩き回るようになっていた。村の中央には塞がれた古井戸を囲む広場があり、そこはかつて給水塔が建てられていた場所だったと聞いたが、事実はどうかわからない。ライラック色に染まっていく曇った空を見ながら薄暗い広場を目標もなく歩いていると、クラウドに会うことが多かった。そこからゆっくり村の中を一周する。母の手料理や最近聞いたラジオのニュースについて他愛のないお喋りをして、帰る頃には夕日はほとんど見えなくなって、頭上には星が瞬いていた。

 クラウドは引っ込み思案で内向的ではあるものの、少年らしい野心とそれに伴う少しの慢心を持ち、時折癇癪を起こすが心根の優しい普通の子どもだった。何よりも、彼の眩い金色の髪をよく覚えている。ネブルシアには他にもブロンドの子どもが何人かいたが、みな身体が大きくなるにつれて髪の色が濃く変化していくため、十四歳を数えても美しい金色の髪をしているのはクラウドだけだった。そして、光の加減でごく稀に緑色にも見えるような不思議な瞳。普段は凪いだ海のような色をしているのに、初めて彼の目が別の色を帯びているのを見たとき、私は思わず感嘆しため息をついた。あとにも先にも、彼ほど綺麗な瞳をした者を見たことはない。

 私はその頃父の書斎にある学術書なんかにも少しずつ手をつけていたから、以前読んだ瞳の色と遺伝についての本の内容をどうにか思い出そうとした。しかし、その内容は当時の私にはかなり難しく、クラウドのさらなる理解へ役立つことはなかった。

 今思えば、あの頃私はクラウドという稀有な容姿の少年へほのかな恋心を抱いていた。その頃のネブルシアでは、同性愛は「ないもの」とされる風潮が強かったから、私は胸の内を誰にも打ち明けることなくますます彼へとのめり込んだ。母子二人で慎ましく生きるクラウドを、嫌な言葉で謗るのを耳にしては、自らは許されなぜ彼が許されないかに思い悩み、私は早く大学へ行きたくてたまらなくなった。クラウドと散歩へ出かけるようになって一年も経った頃、思い切って彼へこう話したことがある。

「学問をしっかりやるために、僕は村を出る。クラウドもそうするんだろ? よかったら、僕たち同じ街へ行かないか」

 しかし、私たちはまだまだ幼い子どもだった。その提案をクラウドは控えめに笑って了承したが、きっと彼も村を出るという漠然とした将来について深い考えを持ってはいなかっただろう。約束を交わす指切りをしたとき触れた彼の小指のあたたかさは、今でも私の無骨な手へ蘇ることがある。

 いつかの夏――それが夏だと確信できるのは、夏生まれのクラウドへ誕生日の贈り物を用意していた頃だからである――、クラウドはぱたりと姿を見せなくなった。教会へ行っても彼はおらず、日課であった散歩に出ても、広場や村の奥のネブル山でも彼を見かけることはなくなった。

 初めのうちは、風邪でも引いて寝ているだけだろうと思っていた。しかし欠席が五日を超え、さらに村の中でクラウドの母も見かけないことに気づいたとき、私はにわかに不安を覚えた。普段から遠巻きにされている彼ら二人の話は、村人のお喋りに上がることもない。不安を払拭するために私は広場近くの彼の家へ行き扉を叩いてみたが、中からは何の応答もなかった。いけないことだとわかりつつ壁を伝って窓から家の中を覗くと、そこには人の気配どころか家具一つ残っておらず、もぬけの殻になっていた。何故か、板張りの床へカラスのような真っ黒で大型の羽根だけがぽつぽつと落ちていた。


「父さん、母さん。クラウドは引っ越しをしたんですか」
 仕事を終えて揃って帰宅した両親へそう問うと、二人は顔を見合わせ、困ったように私の肩を抱いた。

「まあ。クラウドというのは、お前の友だちの名前なの?」
「何を言うんです。よく散歩に出かけると話したことがあるでしょう。教会で一緒になる子どもです。背丈は僕と同じくらいの、金髪で青い目をした――
「ふむ。勉強のしすぎで少し疲れているんじゃないか。そんな子の話は、私たちは聞いたことがない。あたためたミルクを持っていってやるから、今日は勉強を休んで早めに寝たほうがいい」
「そうね。お前の好きなクローバーのはちみつを入れてあげる。さあ、部屋にお戻り」

 これまで散々クラウドの話を聞かせていたというのに、両親は一切彼のことを覚えていなかった。ひやりとしたものが胃を満たし、私は今まで親愛しか感じていなかったはずの両親へ、この時生まれて初めて強烈な違和感を覚えた。これ以上、二人と話していてもどうにもならない。そうはっきりと確信し、母に促されるまま私は大人しく自室へこもることにした。クラウドは、あの穏やかで静かな美しい母子たちは、こうして突然消えてしまったのだ。

 その晩の両親は不自然なほど献身的だった。私はもう声変わりも迎えている歳だというのに、まるで小さな子どもにでも接するようにべたべたと嫌に優しく、なんのかんのと理由をつけては部屋まで私の様子を見に来た。あたためたミルクができただの、果物を剥いただの、庭のノウゼンカズラが見頃だのと言って、私を監視したいらしかった。私はずっと両親のことを尊敬していたし、私の自主性を尊重し、進路について助言はしても命令はせず育ててくれたことへ深い感謝を抱いていた。そんな両親が何者かに取って代わられたような気がして恐ろしくて仕方がなく、私はベッドの中でブランケットを頭までかぶり、本当に病人のような青い顔をして朝を待った。


 翌朝、私は普段と同じく教会へ行こうとしていた。両親は心配そうに休むことを勧めてくれたが、私はその提案を固辞して家を出た。講義に集まった子どもたちの中に、その日もクラウドの姿はなかった。私は休み時間を使って一人ひとりにクラウドのことを聞いて回ったが、全員口裏を合わせたように彼のことを『知らない』と言った。彼が休んでいる理由を知らないと言われたのなら理解できる。しかし、学友たちは揃ってクラウドという人物自体を知らないと言うのだ。

 何かがこの村で起こっている。だが、それが何なのかはわからない。私はぎゅうぎゅうと絞られるように痛む胃に頬を引きつらせつつ、一日の最後に講義を終えた神父の元へ同じことを聞きに行った。

 神父というのは、神や信仰、教義にその人生を捧げた人である。特にここは昼間の教会で、ましてや子どもの目前で、そんな人が私をたばかるわけがないとすがる気持ちもあった。私の青い正義感はもはや息も絶え絶えになり、二度とあの美しい髪をした少年には会えないのではないかと消沈しつつあった。

――さて、そんな子がいたかしら。そうだ、名簿を一緒に見てやろう。どうだね、そんな名前は名簿のどこにもないだろう。君は少し、神経が疲れているようだね。懸命に勉学に打ち込むのを否定はしない。だが、若いうちは本を読むだけでなく、大いに遊んでたくさん眠ることも心身の健康のためには重要だ。神の前で打ち明けたいことがあるのなら、私はいつでも力になろう。さあ、今日は私が家まで送ってやる。君はいつもから心配していたんだ」

 私は神父の言葉に失望を禁じ得なかった。聖職者とあろう者が、子どもの教育に関わる者が、積極的に嘘をつくだなんて! 私は神父へ礼を言い、心にも無い反省の弁を述べた。神父さま、たしかに僕はここのところ疲れているようです。ですが、ご心配には及びません。一人で帰るのは、その時間によく数学の解法が思い浮かぶからなんです。どうか、今話したことは父母へは内緒にしていただけませんか。あなたと同じように、父母を心配させたくないのです。呆然とした思考で流れるようにそう言って、私は教会を出ていった。

 その後、村役場まで行って、村長にもクラウドのことを聞いてみた。その応えは私の失望をより深くするものだった。クラウドたちがたしかに住んでいたはずの広場の近くのあの家は、私の両親がネブルシアへ越してくる以前から、長年空き家だったと言うのだ。

 おかしい。
 おかしい。
 みんなが一斉にクラウドのことを忘れてしまっている!

 私は気が狂いそうになり、働かない頭でふらふらとクラウドを探し回った。山の中を切り開いて作られた村をあっという間に一周し、ついで子どもの立ち入りは禁じられているネブル山へと入っていく。しかし、有刺鉄線に守られた山の奥へはどうやっても侵入できず、結局クラウドも見つけることはできなかった。


 歩き疲れて、日が暮れた頃に私は自宅へと帰った。道中、岩に蹴躓いて転んで擦った膝がじんじん傷んだ。川の水ですぐに洗い流したが、どうも熱をもって腫れているようだった。空中を飛ぶ羽虫が私のかいた汗へ呼ばれ、頬や額にぶつかっていく。山を進み村へ続く荒れた道を歩き、ようやく村の明かりが見えてきた頃、私はクラウドの喪失という孤独と恐怖に打ちひしがれて、しゃくりあげるように泣いていた。

 私の帰りを待つようにライトが点けっぱなしにされた家の玄関の扉を開けると、すぐに広がるダイニング・キッチンには村の顔役や役場の職員、村長が訪ねてきていて両親と会合を持っていた。大人たちは慌てて立ち上がって私に駆け寄り、あちこちを撫でながら私の状態を検分し口々に騒ぎ立てた。

「こんな時間まで、一体どこへ行っていたんだ?」
……ネブル山まで、クラウドを探しに行っていました」

 私が発したクラウドという名前に大人たちは息を呑み、視線を交えて困った顔をした。私は彼らが私には言えない何らかの共通認識を持ち、それについての話し合いをしていたのだと勘づいた。役場の職員が、重たい空気を打破するように口を開く。

「どうしてお前は忘れないんだ?」
 その一声につられるように、周囲の大人も喋りだす。

「どうする、怒られてしまうぞ」
「こんなことは初めてだ。記録にない」
「こうなったら、もう……
「お願いですから、それだけはご勘弁下さい」
「そうだ。賢いとはいえ、まだ子どもだ」
「だが、一体どうすればいいのだ」

 怪我をした膝の痛みが極度の緊張のため遠くなっていき、内臓はびりびりと痺れ、めまいを感じ始めていた。疲労と目の前で展開される会話の不穏さに私の精神は限界に達し、とうとう意識を保つことができずその場へ倒れ込んだ。



 私はそれから高熱を出し、三日間寝込むことになった。やっと熱が引いた四日目の朝、ずっと看病をし続けてくれた母にベッドから出ることを許された私は、ふらつく頭で薄味の食事を摂りシャワーを浴び、日光を身体に受けてようやく生命を取り戻したような気がした。

 あの日以来、クラウドの話はただの一度もしたことはない。相手が誰であったとしても、またクラウドを知らないと言われてしまったらいよいよ神経衰弱になってしまいそうで怖かったからである。彼がどこへ消えてしまったのか、このままネブルシアにいたところで知ることは叶わないだろう。クラウドの話題を封印し続けた私はさらに数年を村で過ごし、大学への進学が可能になった年の春、受験を成功させ都会に出て一層学問へ打ち込むようになった。

 山間部の田舎とは何もかもが違う華やかな都会は私を魅了し、勉強の息抜きに行う読書や散歩に代わる新しい趣味も見つけた。通学で忙しくする生活の中でも恋人ができ、彼女と穏やかに親交を深め、私たちは大学を卒業したあとすぐに結婚することになった。

 両親は私の想像通りネブルシアから別の魔晄炉跡地へと転居していたため、かの地とクラウドと私を繋ぐ接点はほぼなくなっていた。私も家庭を持ってからは、両親との交流も年に数度手紙をやりとりする程度になった。あの日クラウドを知らないと言われ、どこか綻んでしまった両親への尊敬の念が元通りになることはなく、長年私の中へ疑念は残り続けた。しかし、自分でも妻を娶り子どもが生まれてみると、彼らが守りたかったのは何より私――つまり家庭であったのだということだけはわかってきた。どんな理由があったにせよ、親という生き物は我が子を守るためなら何でもする覚悟を持つようになる。

 クラウドに何が起こったのか、私は考えることを止めていた。あれこれと可能性を想像したところで、真実になど辿り着けないという諦めがあったからだ。そんな幸福で平坦な日々の中、妻と子と静かに暮らす私の元へ、ネブルシアの消印がついた黒い手紙が届けられた。差出人の省略されたその手紙には、ネブルシアで誰かが亡くなったという葬儀の報せだった。死亡した村民の名前に見覚えはなかったが、もしかしたら、私が忘れてしまっているだけで幼少期に世話になった人なのかも知れない。ちょうど仕事が落ち着く時期だったこともあり、私は妻に勧められて休暇を取り、二十数年ぶりにネブルシアを訪れることにした。

 列車を乗り継ぎ船に乗り、およそ二日かけてネブルシアへ到着した。目立って変わった様子もなく、変わらずのどかな風景がそこには広がっていた。山に抱かれた村はひっそりとしていて、記憶よりも随分小さく見えた。私が成長して大人になり、建物も道も全ての規格が大きい都会に慣れてしまったからだろう。葬儀が行われているという教会へ行くと弔問の客が数名いる程度で、礼拝堂には静謐とした空気が流れていた。

――やあ、大きくなって。久しぶりだね」
 懐かしさを滲ませた声でそう話しかけてきたのは、すっかり白髪になり皺の増えた神父だった。長い年月が経過したことを思い知り、私は胸へ湧き上がる感慨を抑えつつ返事をした。

「神父さま。突然連絡があったので驚きました。僕の今の住まいは、両親からお聞きになったのですか?」
「いや。俺が教えたんだ」

 神父と向かい合っている私の背中のほうから、凛とした涼やかな声がかかった。私は振り返って後ろを見る。そこに立っていたのは、眩いブロンドの髪をした青色の瞳の青年だった。すらりとまっすぐな鼻筋の先にはやや上向きのつんとした鼻先があり、緩やかな微笑みを湛えた唇は薔薇色に染まっている。長いまつ毛が、ステンドグラス越しに落ちる陽光で頬に影を作っていた。瞬きのたびにはたはたと影が頬を動いて、芸術的な曲線を描く輪郭が不思議な魅力を放っている。突然現れた青年の凄絶な美しさに私は一瞬たじろいだが、その青年は間違いなくクラウドだった。


「君は……
「俺のこと、覚えてるか?」

 私の目をじっと覗き込んで、クラウドは微笑みを保ったままで言う。神父は何も喋らず、何かを待ち構えるように私たちの会話を聞いていた。ふと、私の胸にはこの村でかつて体験した奇妙な出来事が鮮明に蘇っていた。忽然と姿を消したクラウドとその母親。彼を忘れてしまった大人たち。私だけがクラウドを覚えていて、そのことに気付いた人たちの激しい動揺。喉が急に痒くなり、私はその感覚に耐えかねてごくりと喉を鳴らした。

 そもそも、彼と会えなくなって以来二十年以上の時が過ぎているというのに、クラウドの容姿は二十歳そこそこの艶を有していた。まるで彼の時間だけが切り取られ、星から取り残されているように。加齢によって最近増えてきた皺やシミを気にしたことなどなかったが、鏡で見る自身の顔とその若々しい姿をどうしても比較してしまい、彼の異様さに肌が粟立った。

 きっとこれは試されている。直感がそう告げ、私の胸は恐怖に打ち震えた。私がネブルシアを出たあとするべきことは、きっとクラウドを忘れることだったのだ。彼を覚えていてはいけない。周囲の人たちはみなそれに従った。だが、クラウドの記憶は私の脳に残り続けた。ここで選択を間違えたら、一体私はどうなってしまうのだろう。自宅へ残してきた妻と子の顔が脳裏を過ぎり、私はやっとのことで口を開いた。

――いえ、申し訳ありません。どこかでお会いしたことがありましたか?」
「ああ。良かった」
 神父が安堵した声でそうつぶやくのを聞いて、クラウドはぞっとするほど妖艶な笑みを浮かべる。顔の角度が変わり、ステンドグラスから注ぐ光を受け、その瞳は緑色の輝きを放っていた。


 私が故郷とも呼ぶべき懐かしいネブルシアを訪ねた記憶は、ここで途切れてしまっている。その後どうあの村で一晩を過ごし遠く離れた自宅へ帰り着いたのか、詳しく思い出すことはできない。数週間が過ぎ、それでもクラウドのことを忘れることができなかった私は、出身校である大学のデータベースへアクセスし、ネブルシアの記録を古い文献にまであたって調べ尽くした。しかしその行動の収穫は、教会の説教でいつか聞いたその昔ネブルシアを襲ったという大火が、かつてのニブルヘイムで起こった史実であったことがわかったくらいだった。神話の時代、狂気に飲まれ村に火をつけて自らの命を絶ったとされる軍神『ネフェリオス』の伝説は、ネブルシアでは今もなお語り継がれている。ニブルヘイムを焼いたという大火は、恐らくこの神話の元になっているのだろう。

 ニブルヘイムに関する書物は、そのほとんどが消失してしまっていた。しかしある熱心な研究者が残した本を見つけ出し、私は卒業生のコネクションを使いその本を大学の書庫から取り寄せることに成功した。本を編纂した研究者は、ニブルヘイムの伝承や絶滅してしまった固有モンスターなどについて細かくまとめ上げていた。だが、研究者は志半ばでネフェリオスに取り憑かれたように発狂してしまったらしい。出版に至るまで家族が丁寧なサポートを行い、筆者に代わって書いたというあとがきには研究者の壮絶な半生が綴られていた。

 幼少期毎日通った教会へ祀られていた、長髪を靡かせ見事な体躯をした狂気の軍神、ネフェリオス。それがクラウドや神父、大人たちの不思議な振る舞いとどう関係しているのか考えていると、徐々に私も狂気に飲まれてしまうような気がした。現在まで残されている伝承によると、ネフェリオスは猫のように縦に裂けた真緑の魔眼を持ち、猛禽類のような大きな片翼をはばたかせ、戦場を優雅に飛び回り千里先まで見通したとされている。あのとき教会で会った美しい青年となったクラウドの瞳も、瞳孔が縦に裂けていたことを思い出してぞっとした。私とそう年の変わらなかった彼が、まるで二十歳そこそこのような艶のある若々しい容姿を保てていたのも信じがたい。

 背筋を這い上がる恐れに私は過去に囚われている思考を止めることにして、早々に本の返却手続きを行った。書斎を出て子供部屋に向かい、寝かしつけをしたまま子どもの傍らで眠る妻へ口付けると、そのときようやく安寧を感じたものである。


 初恋の記憶というのは遠くにあるように思えて案外身近にあり、忙しい日常の中で自然的に発生する心の隙間へ、ふとしたときに風を吹く。その風は意識の奥底で埋もれていた甘酸っぱい感傷を呼び起こし、ほんの一瞬だけ、自らの時間を戻す作用を持つ。

 私は淡い初恋の記憶をかつてニブルヘイムを燃やし尽くした炎へと焚べて、思い出の一切を灰にしてしまうことにした。しかし、クラウドと名乗ったあの美しい少年のことを、きっと忘れることはないだろう。彼が何者であろうとも、私の胸へ灯った小さな恋の火は永劫くすぶり続け、いつしか私の骨身まで焦がしてしまうのではないかと怯えている。


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