いを
2025-08-08 21:06:23
5330文字
Public 刀神
 

帰去来(Ⅱ)

青嵐
・紫垂月さん【Metol_P】
お借りしています。

 ○○県Y島。そこはS大島諸島のうちのひとつと呼ばれている。
 古代の遺跡が数多く点在しており、伊弉諾尊、伊弉冉尊の国産みの神話において作られた島のようだった。
「私たちで臨むのは、Y島で近頃噂されているとある昔話の調査です」
 となりの座席に座る紫垂月頼宗はすさまじいスピードで流れて行く景色をちら、と見たあと「ただの昔話に本部が動くなんてね」と呟いた。
 自分もそう思うが、まず本部の人間に調査してほしいというあいまいな旨を緋鍔局の職員から告げられた。その人も、困った様子だった。○○県の部署の職員ではいけない・・・・のだろうか。そう問いかけるも、「はい」という言葉だけが返ってきた。
 妖魔か、または——実体を持ってしまった、何らかの霊の類いか。
 昔話には尾ひれがつくものだ。語り継がれるうちに全くの別物になる話などごまんとある。
「けれど、まあ、私ひとりいなくともなにも問題はないでしょう」
 新幹線でむかうのはよいが、紫垂月頼宗——太刀——の置き場所がいささか困った。頑丈な袋に太刀を入れてはいるが、そこかしこから向けられる視線が痛い。書類をファイルに入れ、鞄にしまう。ここから数時間はかかるが、彼に伝えるべきことは伝えたし、「調査する」というありきたりな任務に厳密な決まりはない。それはそれであやしいものだが、行けと言われれば行くしかないのだ。
「こう何時間も乗るとなると、暇を持て余してしまうね」
 彼は窓の向こうを見ながら、物憂げにいった。私もそう思いますと口を開こうとしたが、つと閉じる。
「向こうについたらおそらく忙しくなると思いますので、今のうちに休まれては」
「休むといっても……。ああ、そうだ。これを持ってきたんだ」
 紫垂月頼宗が取り出したのは古いノート。思わず目を剥いてしまった。
「そ、それは。持ってこられたのですか」
「うん」
 もっているノートはは二冊。表紙の日付はそれぞれ十五年前の春から晩夏にかけてのもののようだった。内容は忘れているから、どういった日誌を書いていたのか分からない。——が、なにか頭の隅でひっかかるような、腑に落ちない心持ちになる。
 とはいえ、それを記した張本人のとなりに〝読者〟がいるのは落ち着かない。お茶を買ってきますと早々に立ち去ろうとするが指にすべらかな、感触。
……
 中腰のまま、視線を横に落とす。彼の指先がそっと掴んでいた。くちびるを緩めたままの、何気ない表情。
「どうかされましたか」
「あとどれ程で着くんだったかな」
 腕時計をみる。駅をたって一時間ほど。
「あと三時間弱です」
「そう。○○県につくのは昼過ぎになるね」
「ええ……
 それが何か、と尋ねようとしたとき、すっ、と座席を横切る女性を見た。真夏だというのに、正絹の喪服を身につけている。通りすぎた彼女の後ろを見据えた。エアコンが効いているが、暑いだろう。それでも汗の一滴もかいていない。同時に、わずかな寒気。するりと指先の温度が消える。紫垂月頼宗の指がほどかれていた。
 彼はなんでもないように、それでも何か勘づいたように目をそっと細めた。
「潮のにおい」
 青嵐の呟きに、ただ一度頷く。
 生きているのかいないのか。青嵐でも分からない。もしかすると紫垂月頼宗、彼にも分からないのかもしれない。ただ、「そこにいる」。
「国産みの神話の舞台」
 座席を立つことを諦め、肘当てに手をついてのろのろと座り込む。
 彼の呟きがやっと耳に届いた。
「日本書紀と古事記では順番が違いますが」
「けれど確かに造られた」
「神話に基くのならばおっしゃる通り——
 新幹線がトンネルに入った。窓の外が一気に暗くなる。通路側にいる自身の顔もくっきりと映り込んだ。
……おっしゃる通り、造ったのでしょう。私たちが神、と呼ぶものが」
 刀神もまた神であるし、産土神を縁とする刀神ももしかするといるのかもしれない。
 自分たち人間には思いもつかぬ思考や力を持つ存在を、畏怖と畏敬の念をこめて「神」と呼ぶのだろう。
 もっとも、これも全て人間側の勝手であるし、彼らがどう考えているのか、結局は憶測でしかない。
「なぜ神が存在しているのか、また人類がなぜ存在しているのか、私はずっと考えている……
 こんな思考実験、いくら考えても答えなど出ないことを知っている。
 トンネルから出るまで、くちびるが開くことはなかった。
 潮のにおいは県を跨いでもついて回った。喪服の女は姿を見せないが、白い頸が目に焼き付いている。
 
 いつの間にか窓からは緑色が目立つようになってきた。
「あの女性がなんなのか、もしかすると彼女が招いたのかもしれないね」
 紫垂月頼宗は事もなげにつぶやいた。ここに、と。生者なのか死者なのか分からず、さらに特別彼女に惹き込まれるような理由も見つからず、ただ淡々としたような声に青嵐は目を細め、くちびるを引き結ぶ。
 奇妙な違和感は、Y島へ着くまで——あるいはついてからも消えないのかもしれない。
 肘掛けを思わず握りしめる。青緑色の薄い血管が走る手の甲が底冷えしたように冷たい。
 妙に慎重な声で駅名をアナウンスされる。もうじき、○○県にたどり着くようだった。
「何もひとりで解決するようなことではないだろう」
 ふと、嗜めるような、けれどいたって穏やかな声が聞こえる。彼も刀神である。刀神は刀遣いと組み、妖魔討伐や調査にあたる。今一度、その事実を頭に叩き込んだ。
「ええ、そうですね。……そうでした」
 ひとりで成し得るなら、バディは組まない。バディがいてこそ成せるから組むのだ。
 新幹線を出る。思ったよりも人が少ないと感じた。ここからは電車を乗り継ぎ、約二時間後に到着する。東京を出発しておよそ6時間でY島に着く予定なのだが、天照で手配した宿は島の真ん中付近に位置するらしい。もともとが大きな島だ。そこに行くまで数十分はかかるだろう。調査対象がその付近なので、そのほうが都合がいいのだけれど。
 
 ——海は、見えるのだろうか。
 
 何日かぶんの荷物を押し込んだスーツケースを転がし、駅前でタクシーを拾う。暑さのせいか、こめかみに汗が滲んだ。日差しが鋭い。帽子を目深にかぶり、サングラスを眼鏡の代わりにかけた。
 タクシーが目の前で止まる。
「Y島まで行けますか」
 運転手に伝えると、快諾してくれた。
 紫垂月頼宗に後部座席へ先に乗ってもらい、青嵐は隣に座った。
「よく訪うのかい」
 男に、紫垂月頼宗が尋ねた。視線はまっすぐ前を見ている。
「訪う……。ああ、天照の方々がですか」
 ハンドルを握る手に力が入ったのを見逃さなかった。愛想よくはしているが、少々、警戒しているようだった。「たまにですが」
「直近ですと、いつ頃でしょうか」
「ええと……。私も詳しくは」
「そうですか。失礼しました」
 特別なにかを隠しているふうでもないので、早々に会話を切り上げる。
 ——白いパラソルが視界のはしで捉えた。はっきりと。
 潮のにおいとともに。
……
 そのパラソルを持った手は白く、背中を隠すように立っていたのは、新幹線で出会ったあの喪服の女だった。——違いない。一筋も汗のかかない、喪服だというのに真っ赤な紅を引いており——笑っていた。
「あれは、いきものではないね」
 青嵐にのみ聞こえるようなことばで囁く。
 タクシーの時速は法定以内だけれど、遅くもない。だのに、あれだけはっきりと見えるのは、いよいよ正常ではない。そして自分たちは「なにか」に導かれているのだと思わざるを得なかった。
 1時間たったころ、タクシーは休憩がてら道の駅に停まった。青嵐からの申し出だった。疲労か、それともあてられた、、、、、のか。運転手は少々心配げだったが、心配いらない旨を伝え、トイレの水道を借りて首筋をハンカチで冷やした。紫垂月頼宗はトイレの入り口まで付き添ってくれた。ひんやりとした水道水の水温に、息をつく。
 真夏の喪服の幽霊などと聞こえはなまめかしい。が、実際あれは幽霊などではない。彼のいうとおり、いきていないものとしか言えず、その青白い手に手繰り寄せられるしかない。
 トイレから出ると、藤紫の布地を揺らし「大丈夫かい」と案じてくれた。
「ええ。ありがとうございます」
「それにしても、あれはそこまで君に影響を及ぼすほどの力は持っていないと思うのだけど」
……私が耄碌したのか、それとも」
 口を噤む。
「いえ、私の守りはもともと薄いんです。攻める術はありますが守る術は弱い。今まで生きてこられたのは攻められる前に対処していたから」
 故郷を離れ、青嵐の信仰は移った。
 見捨てたも同意だ。故郷の神々は自分たちを捨てた人間が死のうが生きようが無関心なのだろう。
 片時も、忘れたことはないけれど。
「いいのかい。そんなことを口にして」
「今まで通り、対処するまでです。けれど、今回はそう簡単にはいかないようですね」
 忘れられるのが恐ろしいのは、人間だけではないのかもしれないと最近思うようになった。
 ——神と名のつくものも、もしかすると。
「どうなろうとも、私は私のすべきことをします」
「主」
 なだらかな声だった。
「もう少し、肩の力を抜いたらどうかな。いつも通りでいいんだよ」
「そう見えますか」
 彼は目を細めてそれに応えた。
 苦笑して、ぬれたハンカチを握りしめていた手の力を緩める。
「言い訳がましいですが、あの女性ひとを見かけてからひどく落ち着かず……。見苦しいところをお見せして」
 あれがなんであれ、今回のしるべになるのは違いない。今日の今日で、とんだ収穫であった。
 タクシーまで戻ると、運転手も気が休まったようで世間話などをしながら、Y島へ渡るための大橋までたどり着いた。
「この橋を渡るとY島です。……あれ?」
 橋は渋滞していた。カーナビに映る橋のしるしは真っ赤だ。
「困ったなぁ。すごい渋滞だ。今までこんなこと」
「ありませんでしたか」
 腰を折って運転手に尋ねる。彼は人の良さそうな顔をしているからか、この渋滞にも素直に困惑していることがよく知れた。
「聞いた話ですが最近一度だけ、こんな渋滞になったことがあるそうです」
……なるほど」
 大橋といっても、それほど長いわけではない。ほんの3キロほどだ。このまま乗っていても降りて歩いても時間としてはあまり変わらないだろう。
「紫垂月殿」
「仕方ないね。この様子では」
 頷き、運転手にここで降りる旨を伝える。彼は眉根を下げて申し訳なさそうにしていた。
「ありがとうございます。助かりました」
 料金を支払い、開け放たれたドアからするりと抜け出すと、潮風が着物の裾を揺らした。真下は、海だ。
 スーツケースと妖刀をもち、橋の上を歩く。
 下から巻き上げられる風が強く、スーツケースのタイヤがぐらりと揺れた。
「あれは……
 紫垂月頼宗が何かに気づく。ずっと向こうに赤いランプが点滅していた。警察だ。——県警か。
「行く先々で。招かれているのか拒まれているのか分からないね」
 潮騒は静かに聞こえてくる。が、車のエンジン音の方が強い。
「Y島に着いたら、また車を拾いましょう。その前に話を伺えればよいのですが」
 天照のものだと伝えて、彼らが果たしてよい顔をするかどうか分からないが、こちらも仕事である。
 直射日光で皮膚が痛む。海の表面をも反射しているようで、帽子をさらに深くした。
 淡々と歩き、十分ほどたっただろうか。ちっとも動かない車を眺めながら、とうとうパトカーのナンバーが見える端まで行き着く。
 警官たちが6名、いた。
「すみません。なにが……
 彼らに問いかけようとしたが、口をそっと閉ざした。
 大橋の歩道にブルーシートがかけられ、こんもりと盛り上がっている様子を見れば、想像はできる。
……どなた?」
 若い警察官がこちらに気付き、目で舐めるように見つめた。
「天照本部から参りました、雲井青嵐と申します。こちらは私のバディです。お話を伺ってもよろしいでしょうか」
「ほぉ。これはご苦労さんです。ちいと待っちょってください」
 慌ただしそうに先輩であろう警察官の元へ走っていく。
 身振り手振りも激しく何かを伝えているが、ギロリとこちらを見た警察官の様子に、歓迎はされないと理解する。
「なんの用じゃ」
「Y島の調査を依頼されて派遣されたのですが」
……今は忙しいけぇ、話はできん。さっさと行ってくれ」
 帯刀許可証と身分証を見せると、顎で「通れ」とすげなく言われる。身元を確認もしないところを見ると、無害な男だとでも思われているのだろう。それはそれでよい。では、と一度頭を下げて橋を渡り切る。
 ——途端、すうっと手首が冷える感覚を覚えた。
 新幹線での冷えかたによく似ている。スーツケースの取手から手をはなし、そっとさすった。
「ここがY島です」
 S大島諸島の中でも大きな島だ。