roku
2025-08-09 08:09:00
4518文字
Public イチ沢
 

8月9日【イチ沢】

イチ沢の日!!!
・毎年指輪を買い替えるふたりの話

「イチノさんって、指輪はしないんすね」
耳にはいくつものピアス。眉尻や唇にも。服装に合わせて腕にはブレスレットやネックレスをつけていることもあるが、指輪をしているのは見たことがなかった。坊主頭であったあの頃が嘘のように派手に変わってしまった現在の見た目のイメージであれば、指にごついリングをつけていても不思議ではないのに、だ。
「そうだね」
「何でっすか?」
「何でだと思う?」
どこか意味深な一之倉に、うーんと頭を抱える沢北。
「わかんないっす」
「指輪焼け嫌なんだよね。自転車結構日焼けするから」
山王のバスケ部で誰よりも体力のあった一之倉は、職場までの歩けないわけではない距離を自転車通勤している。そのため手や腕の日焼けは免れない。跡が残ると格好悪いだろともっともらしい理由を告げれば「イチノさん自転車乗るんすか!?」と的外れな質問で返された。
………質問の意味がわかんないけど、そりゃ乗るよね」
「いや、自転車似合わないなって」
沢北のいう自転車はきっと秋田でよく見かけた “ママチャリ”なんだろう。一之倉の自転車はクロスバイクと呼ばれる街乗りタイプだが、そこはまぁどっちでもいい。
「何ならいいわけ?」
電車?車?バイク?と真顔で詰め寄れば「あ、いや、そういうことじゃなくて」とあたふたしはじめた沢北。その姿がかわいくて、一之倉はふふっと笑みをこぼした。
「もう!からかわないでくださいよ!」
「ごめんごめん、つい。で、指輪つけてないとまずい?」
「あ〜そういうことじゃないんすけど、もし
「ん?」
「もしオレがイチノさんに指輪あげたらつけてくれます?」
スローモーションのようにゆっくりと開いた切れ長の瞳。おとずれた沈黙に耐えきれず「ごめんなさい!忘れてください!」と顔を伏せた。
「お前は仕事柄つけられないだろ?」
「あ、はい、まぁそうっすね……って、え?
いくらバカな沢北でも恋人としてそれなりの年月を過ごしてきた一之倉の言わんとしていることは伝わったようで、「それってペア?」と目を丸くする。
「そりゃそうだろ。付き合ってんだから」
これが普段一之倉が指輪をしない本当の理由だった。一之倉の中で指輪だけはどこか特別で、つけるならば恋人とのペアがよかった。だが沢北はバスケ選手であるため試合中にアクセサリー類は禁止だ。そして試合のない時間もほとんどの時間を練習に費やしている。もし贈ったとしていつどこでつけるのか。自分しかつけないペアリングならいらないと、首より上は派手なのに手元はとても質素だった。
「えっ、えっ?じゃあ買いに行きましょう!今すぐ!ねっ!ほらっ!」
沢北はベッドから飛び起き急いで服を着る。一之倉はそんな沢北を微笑ましく思いながらもまだ起き上がろうとしない。
「イチノさ〜ん!何やってんすか?もう!早くしてくださいよ!」
「はいはい。そんなに急がなくてもまだ時間は十分あるだろ」
「ないですよ!もう明後日にはあっち帰るのに!」
沢北は帰国するといつも、あれもこれもと予定を詰めたがる。一之倉は沢北とのんびり過ごす時間が案外好きで、せかせかしている沢北を見ては生き急ぎでんのかな、なんて思ってしまう。
「ちょっとは落ち着きなよ」
「イチノさんがマイペースすぎるんですよ!」
「深津よりはマシだと思うけどな」
くすくすと笑ってようやく動き出すしたかと思えば沢北の腕を思い切り引き、倒れ込んできた身体を受け止めその唇にキスをした。
「ちょっ!もう!!」
「ん?」
「ん? じゃなくて、ほら服着てください!」
顔を真っ赤に染めたままTシャツを広げて一之倉の頭に被せた。襟ぐりから顔を出した一之倉は「お前本当に可愛いな」と目を細める。すると沢北は必ず「可愛くないっす」と唇を尖らせて拗ねるのだ。その仕草が可愛いので本人は嫌がるがついつい口にしてしまう。
「とりあえずお腹空いたから指輪より先に昼ご飯食べようよ」
「え〜!指輪買ってからにしましょうよ!絶対その方がご飯美味いですって!」
よくわからない理屈だが、何もここで言い合いをする必要はない。一之倉はわかったよと立ち上がり出かける準備を始めた。

◇◇◇

「あ〜
マンションを出てすぐに立ち止まり振り返った沢北。
「なに?」
「オレ、アクセサリーとか買ったことないから店知らないっす
……ふっ、はははっ!」
「笑わないでくださいよ!」
「だってお前すごい勢いで今すぐ行きましょう!って言ってたじゃん」
だから一之倉はてっきり目星をつけているものだと思っていた。
そんなんだからオレに可愛いって言われるんだよ。まったく
一之倉はそんな可愛い恋人を今すぐ部屋へ連れ戻そうかとも思ったが、へそを曲げてしまうと残りの時間が無駄になるので手を取り「行くよ」と駅へ向かった。

一之倉はアクセサリーこそ好きだがこだわりのブランドがあるわけではないので、ふたりは路面店を見て回ることにした。
「うわ〜これとかイチノさんに似合いそう」
「あ、こっちの方がカッコいいっすかね?」
あーだこーだとはしゃぐ沢北に「お前もつけるんだよ、わかってる?」と問えば、忘れてたと言わんばかりに目を大きくさせた。
「沢北らしいな」
「あ〜!バカにしてます?」
「ううん。可愛いなって」
「も〜すぐ可愛いって言うのやめてくださいよ!」
「ごめんごめん」
悪かったなどとはちっとも思っていない一之倉。並ぶ指輪の中から「これなんかどう?」と沢北に似合いそうな物を手に取った。すると沢北が何か言いた気にきゅっと眉根を寄せた。
「どうかした?」
……えっと、イチノさんが選んでくれるのは嬉しいです。でも正直イチノさんにはオレが選んだやつつけてほしいです」
はっきりとした意思表示に一之倉は、そういうことね。と心の中で呟き沢北の眉間の皺を指でつついた。
「うわっ!」
「そしたらさ、毎年買い替えるってのはどう?」
一之倉の提案に沢北が目をぱちくりさせる。
……買い替え、すか?」
「うん」
「え、でも指輪って一生物じゃ
確かに一之倉にもそういう考えがなかったとは言えないが、よく考えてみればピアスもブレスレットもネックレスもずっと同じ物をつけてつづけているわけじゃない。なら指輪だって買い替えても構わないじゃないかと思ったのだ。
「それって誰が決めたの?」
「え?いや、それはわかんないっすけど
「ならオレと沢北、ふたりだけの決めごとがあってもよくない?」
“ふたりだけ” そんな特別な言葉を耳元で囁かれ、フッと表情を緩められたら、ダメですなんて言えなかった。
「記念日、いつにします?」
「ん?」
「入籍は法律上できないから、それに代わる日」
毎年買い替えるなら決まってる方がいいでしょ?と笑う沢北。しばらく考えた一之倉は「8月9日」と言えば、「オレも同じこと思ってました!!」と嬉しそうに表情を綻ばせた。

◇◇◇

「“また”指輪替わってるピョン」
飲み会の席で目敏く気づいた深津が問いかける。呆れているのはその指輪が左手の薬指にはまっているものだからだろう。本来それは永遠に途切れぬことのない愛を誓いあった証としてパートナーと交換し生涯つけ続けるもの。法的に結婚こそできなくてもそれは同じはずだ。
「よく気づいたね」
「前から思ってたけど契約更新みたいだよな」
深津の隣に座る松本が何気なく放ったひとことが一之倉のつぼにハマったようだ。
「ふ、ふははっ!契約更新ね!はははっ!」
「な、なんだよ!そんな笑わなくてもいいだろ」
ビールを煽り紅潮させた顔を逸らした。
「いや、何かしっくりきたから」
「そろそろ満了ピョン?」
深津は、トイレから戻った沢北が扉の向こうにいることに気づき薄っすら笑みを湛えた。
「うーん。まぁあいつすぐ写真撮られるからね」
撮影や打ち合わせがある度に、女優や女子アナなど様々な職種の女性に言い寄られ、うまく回避できず週刊誌に撮られている。そしてその度に「あれは違うんです!」と泣いて弁明するのだ。一之倉は一度として沢北を疑ったことなどないけれど。
「イチノさんっ!!!!」
バンッと勢いよく開けられた引き戸が半分ほど跳ね返った。
「沢北。もっと静かに開けろ。壊れるだろ」
松本が諭すように言えば、そんなことはどうでもいいです!と涙目になっている。
「満了ってなんすか?そもそもこれって契約なんすか?ふたりだけの決めごとって言ったじゃん!」
入口で佇んだままの沢北に「座りなよ」と声をかけた一之倉。
「写真撮られたのはオレの落ち度ですけど何もないって言ってるじゃないっすか!」
悲しみと怒りが混じったような表情で一之倉の隣に腰を下ろした。
「うん、そうだね」
「信じてくれてなかったってこと?」
「ん?」
一之倉は沢北の肩を寄せ、少しでも動けば唇がくっついてしまうくらい近くに顔を寄せた。
「い、いイチノさんち、近いっす!」
「信じるもなにも、オレはお前のこと疑ったりしないよ。だってお前、オレのことすごく好きだろ?」
言うや否や距離を詰め、チュッと触れた唇。大きく見開かれた瞳と視線が絡まり一之倉はフッと口角を上げた。
「な、な、なに、してんすか!!深津さんと松本さんの前で!!」
「ん?契約更新のキス」
………はぁ!?」
「せめてそこは“誓いのキス”って言ってやれピョン」
やれやれと肩をすくめる深津。その隣で松本が「そうだぞ。拗ねた沢北の相手は厄介だからな」と心底面倒くさそうに言い放つ。
「元はと言えば松本が契約更新とか言い出したからだろ」
「しっくりきてたじゃねぇか」
ははっと大きな口を開けて笑う松本に、「まぁね」とくすくす笑う一之倉。
「やっぱり契約なんすか?指輪買い替えない時がくるんすか!?」
大きな瞳に水分を溜めて一之倉の手を握っている。
「さぁどうだろ?」
「イチノさぁぁん!!」
ついには溢れて頬を伝った涙。それを拭う指先はとても優しく、沢北はその手のひらに頬を擦り寄せた。
「お前はさ、オレがどれだけお前のこと好きか知らないだろ?」
「へ?」
薄く笑みを浮かべた一之倉はその場にいるふたりに目配せすると、沢北の腰を抱き立ち上がった。
「ほら行くぞ」
「あ、はい
軽く挨拶をして部屋を出た沢北。それに続いた一之倉に「あんまり無理させんなよ」と苦笑いを浮かべた松本。
「心配しなくてもあいつそんなにヤワじゃないから」
ふたりに背を向けた一之倉はひらひらと手を振り「じゃあな」と去っていった。
「契約満了なんてありえねーピョン」
「だな」
残されたふたりは顔を見合わせ呆れたように笑った。

「ねぇイチノさん」
「ん?」
「イチノさんて、どれぐらいオレのこと好きなんすか?」
見下ろす瞳はきらきらと期待に満ちていた。
「それを今から教えてやるから覚悟しときなよ」
腰から尻へ滑らせた手。沢北はこれから自分の身に起こることを想像し顔を赤く染めた。
夜はまだ始まったばかりだ。