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史加
2025-08-08 07:21:03
3761文字
Public
原神(鍾タル)
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寂しがり屋たちの戦争
鍾タル/両想いなのにすれ違っているふたりの話
※ワードパレット5 うそつき・知らないふり・望み お借りしました
※事後
かみさまを愛するのは、ひとつの領地を転覆させて征服するのに似ている。
実際、神という生きものは人々を統べて国と秩序を作り、その均衡と平穏を守る存在だ。人の子など目に入れても痛くないと言わんばかりに深く、平等に愛するそれに、庇護すべき民のひとりとみなされるのではなく、俗っぽい欲を抱かせて視線を奪う。それは神が途方もなく長い年月をかけて築いてきた理性という名の壁を崩し、絶対に侵してはならない領域を侵し、征する行為と言って間違いないだろう。
とするとタルタリヤは、この世界を征服する取っ掛かりのひとつとして、凡人を名乗る神に挑んでいると言えるのかもしれない。
しかし、凡人。凡人か、と、この男に挑み始めてから幾度となく頭の中の辞書を引いて意味を確かめた言葉を口の中で転がしながら、眠っている男の頭を撫でる。艶がありさらさらとしている髪の感触を確かめながら何度か手を滑らせていると、こめかみよりも上のあたりで指先に何かが引っかかった。弟や妹の頭を撫でるときには決して感じることのない凹凸の存在を知ったのはいつだったか。この体たらくで「凡人」だなんて、やはりうそつきだろう。
胸の奥が薄く冷えていくような感覚は、早朝に霜が降りるのになんだか似ている。薄ぼんやりと明るくなり始めた部屋の、ふたりぶんの体温で温まった布団の中で、タルタリヤは熱源を求めるように身動ぎ男の背に腕を回した。広く大きな背中を撫でると、ひとのものにしてはやや尖りのある背骨のならびが布地越しでも手のひらに伝わってくる。腰よりさらに下、臀の辺りにもひとより骨の尖っているところがあって、硬い椅子に座っていて痛くないのかと尋ねた記憶はまだそんなに古くない。鍛えているから問題ないと雑に返す胡散臭さはまあ、凡人って言ってやってもいいのかな、なんて思ったけれど、それにしたって隠しきれていないところが多すぎる。いつまで経ってもモラを持ち歩く習慣がつかないところといい、愛嬌というにはやはり、詰めが甘い。
ひとの皮を被っただけのかみさまのからだには、人間であるタルタリヤにはないものがたくさんある。それをひとつひとつ暴いたところで、この胸に宿るいびつな征服欲が満たされることはない。優越感にすらなってくれやしない。一夜をともにし、ひとつのベッドで朝を迎えようとしているというのに、言い表しようのないむなしさみたいなものがタルタリヤのうちがわには存在する。
虚無と言い切るには質量のあるそれの名前は、まだ知りたくないのだけれど。
「
……
で、いつまで狸寝入りしてるんだい」
尾骶骨を指先で撫でると、びくっと男は肩を震わせて目を開けた。ここが彼のめっぽう弱い場所だと知って、いたずらに責めたてていたらとんでもない仕返しをされたのは前回の夜だった。だから今回は黄金のひとみに自分の顔が映るのを確かめるなり、返り討ちに遭わないよう素早く手を離す。
この世の尾を持つ生きものの大半は尾を踏まれたら怒るのが道理なので、あれはタルタリヤが完全に悪かった。戦士たるもの、同じ過ちを犯さぬよう教訓を大切にするのは基本だ。男もタルタリヤの利口さを認めたようで、一瞬ぎらついた光をひとみに宿したものの、すぐに穏やかな顔つきに戻る。
「お前が先に目を覚ましているのが珍しくて、何をしてくれるのかと気になってな」
寝起きとは到底思えない芯の通った声に、タルタリヤは呆れた顔をした。起きているだろうとは思っていたものの、この言い分だとタルタリヤが目を覚ました時点でこの男も覚醒していたに違いない。
「趣味が悪いね。ああ、それとも、俺がキスのひとつでもしてくれるんじゃないかと期待してたとか?」
ちょん、と人差し指で男の唇に触れてみても、動じる様子はなかった。もうじき訪れる朝日と同じ輝きを閉じ込めたひとみはただ、真っ直ぐとタルタリヤを見つめている。欲しがるでもなく、子どもをいとおしむような目で、だ。
その視線に晒されて、タルタリヤの胸の奥で木枯らしが吹き荒れた。心臓のあたりが凍えていったとして、その動揺を表に出すような失態を犯したりはしない。ただ、恋愛小説や官能小説に出てくる恋人よろしく、長い夜に熱を分かち合い、その余韻を残した身体で朝を迎えようとしているのに、こんなにも寒々しい思いをしているなんて馬鹿らしいなと呆れてしまう。
キスくらいしておけばよかっただろうか。否、そうしたところでこの男にとっては犬に舐められたようなものだろう。どちらにせよ面白くない。難攻不落とはまさにこのことで、身体ひとつ繋げたところで目の前の男の不可侵領域を征するどころか、そこに至ることすら出来やしないのだ。
子どものように不貞腐れている自覚はあるけれど、癇癪を起こせるほどタルタリヤは子どもではなかった。ただ、二度寝を決め込むふりをして男の胸元に顔を埋め、再びその背に腕を回す。整然と並ぶ背骨はやっぱり尖りがあって、腹立たしい。
「
……
あんたが狸寝入りなんてしているうちは、これ以上何もしないよ」
不機嫌さの滲む声が出てしまったが、まあこのくらいはいいかとタルタリヤは思考を放棄した。知らないふりが出来なくなる前に一度眠って、頭を空っぽにしたかった。
大きな手がタルタリヤの丸い頭を撫でてくる。丁寧に注がれた愛情のかたちをなぞるのに慣れている手つきだ。いつだったか、ご両親にさぞ愛されてきたのだなと、慈しみに満ちた声で嬉しそうに言っていたのを思い出す。結局このかみさまにとって、たとえ異国の民だろうとタルタリヤは無数の人間のひとりでしかない。庇護すべきとまでは思われていないが、視線を奪えてもいない。氷神に仕える十一の執行官のひとりだというのに、まったく情けなくて呆れる。
このかみさまに捧げられる忠誠も、命もない。ひとりの人間として抱いてしまった欲望を、その領域に刻んでやるくらいしか出来ないのに。
瞼を閉じて、浅くなりかけていた呼吸をつとめて深くした。ゆっくりと息を吸い込むと、焚き染められた香の淡いにおいが鼻腔を満たす。スネージナヤにはない清廉な香りだ。けれどまぶたが重くなり、今の今まで忘れていた気だるさの存在が浮き彫りになって、身体が思考するよりも休息を取ることを優先し始める。
タルタリヤの息遣いの変化を汲み取ったのだろう。男の指先がとん、とん、と一定のリズムを背に刻んで、束の間の夢の海にいたる道筋を示す。完全に子ども扱いされていると捉えられる行為だが、もうそれに腹を立てる気力もなく、タルタリヤはただ身を委ねた。
征服の道は遥か遠い。
それでも望みは潰えてくれやしない。
白く澄んだ光の差し込む部屋の中に、規則正しく静かな寝息が響いている。温かな青年の身体を腕に抱き、あどけない寝顔を見つめて、鍾離は困ったように微笑んだ。
「
……
お前だからゆるしているのだと、どうしたら伝わるのだろうな」
首筋を掻き切ることも、心臓を一突きすることも出来るこの距離を他者にゆるすことが、戦場を知る者にとってどれほど困難なことであるか、この武人が分からないはずがないのに。
鍾離の与えるゆるしでは物足りないのか、青年は時折こうして下手くそにぐずる。兄や姉がいると聞いているが、弟や妹を前に兄として振る舞うのにすっかり長けて、甘え方を忘れてしまったのだろう。こんなにも綺麗で丸い頭のかたちと彼の不器用さはなんだか不釣り合いなように思えて、甘え方を教え直してやりたいなどと願ってしまう。
それは決して憐憫によるものではない。己の胸の奥深くに生まれた、紛れもない欲だ。神としてただの人間に侵させてはならぬと六千年守り続けてきた領域には、とうに青年の存在が植え付けられ、毒のように鍾離をうちがわから切り刻んでいる。
頭部や背にある、ひとならざる骨の形だって、この青年しか知らない。いくら凡人を名乗れども、ひとならざる身体を人間に寄せているだけの肉体には、どうしても仙祖の特徴が残る。きっちりと服を着込み、他人からの不必要な接触の一切を避けることで隠しているそれに易々と触れられるのは、この青年だけだというのに。彼にとってはむしろ、そういった鍾離のひとならざるところが気に食わないらしい。
鍾離とともに眠るとき、彼がよく胸元に顔を埋めるのは、あのとき手に入れられなかった心が欲しいからなのだろうか。だとしたら、神ではない「鍾離」という男の不可視の心はすでにお前の手の届くところにあるのだと、一体どうしたら思い知らせてやることが出来るのだろうか。
前途多難だな、と嘆息して、鍾離は眠る青年の唇に自らのそれを重ねる。まったく目を覚ます気配のない彼の無防備さが嬉しい。なのにこの子を満足させてやれていないのが不甲斐なくもあって、頭が痛くなってくる。
――
嗚呼、これほどまでに戦局の見極めが難しく、攻め方を決めかねる戦いなど、今までにあっただろうか。
「神」では手の届かぬ星というのは、こんなにも近いところにいてもなおどこか遠い存在のように思えてしまって、堪らない。
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