AON12345
2025-08-08 02:27:36
10600文字
Public
 

君を照らすは最愛

名のあるモブさんとそのお仲間が出てきます
色々と捏造してたり私の都合の良いように解釈してる部分があります(完成はpixiv)


風鈴に喧嘩を売ってきたチームを返り討ちにし、先陣切って活躍した桜がよくやったともみくちゃにされている。
そんな光景を蘇枋は普段の穏やかな笑みを浮かべながら眺めていた。喧嘩は絶えないが、それでも温かく楽しい日々。こんな日常が続けばいいと願っていた。

しかし、平穏というものはいつだって唐突に崩れ去るものだ。





—————————





「いつまで隠れているつもりですか?」
……やはり気付いていたか。流石だね」

いつも通りの三人での帰り道。気配を押し殺した者がずっと一定の距離を空けて着いてきていたのには気付いていた。楡井と別れても着いてきて、先程桜と別れても蘇枋に着いてくる気配に心の底で安堵しながら足を止めて問い掛けた。
貼り付けたような笑みを携えて現れたのはひょろりとした長身の男。恐らく二十歳は超えているだろう。蛇のような目から覗く瞳には、知性と狡猾さと、加えて妙な落ち着きを感じさせる。

「俺に何か用でも?」
「ああ。蘇枋隼飛くん、俺と共に来ないか?」
はっ、ご冗談を」
「冗談なんかじゃないさ、風鈴は君の実力を理解できていない。俺はそれが我慢ならないんだ」

身振り手振りを大きくしながら蘇枋に手を差し出す男に本能的な嫌悪を感じる。思わず眉を顰めても男は気にしないといった風に饒舌に語り続ける。

「今の風鈴が軌道に乗っているのは他でもない君の力だ。君が脳として、核として機能しているからこそ風鈴はその名を轟かせられている。
なのに誰もそれに気付かず、君の健気さに胡坐をかいている。君の頭脳も強さも、全て賞賛されるべき素晴らしいものだというのにっ」

男の予想外の発言に唖然とする。貶されたり否定されるのには慣れている。しかしこうも真正面から讃えられるのは初めてで対処に困ってしまう。蘇枋個人に対して悪意があるわけではなさそうのなのが余計にだ。
こういった変わり者には関わらないに限る。遠回りになるが引き返して家に帰ろうと早々に決意する。

俺のことを高く評価して下さったのには感謝します。ですが俺は今の環境に満足しているので、これで失礼します」
「俺はいつでも待っているよ!君が頷いてくれるのを」

早口で告げて踵を返す。背後から男の張り上げた声が耳を刺すが、無視して角を曲がってから全力で走り出す。
なぜか家まで走り続け、乱雑に鍵を開けてから体を滑り込ませた。ずるずると扉に背を預けて座り込む。荒くなった息が誰も居ない部屋に響いているというのに、蘇枋の頭には男の言葉がしつこくこびり付いて木霊している。

「そうだ俺は今のままで満足してる。皆んなも俺を認めてくれてる……

ぎゅっと膝を抱え込んで丸くなる。不意に昼間の桜の様子が思い出されて、振り払うように髪をくしゃりと握り込んだ。
これではあの男の言葉を肯定しているようなものじゃないか。そんなことあってはならない。
蘇枋の意志とは裏腹に、一石を投じられた心の底は黒い波紋が静かに広がっていた。





—————————





男との邂逅から一週間が経った。面と向かって話したのはあの日だけだが、毎日別の気配が蘇枋に付き纏っていて地味にストレスだ。
それに男の言葉がずっと蘇枋の頭の片隅に居座っていて、付き纏われる度に思考を蝕んでくる。考えないようにしようと思えば思うほど、思考はぐるぐると回って影を落とす。
このところそんな毎日で少々眠りが浅くなってしまった。どうにかしなければと考えていた所で、足元に伸びてくる影に気付いた。

「やぁ一週間振りだね。考え直してはくれたかい?」
「俺の意思は変わりません。というより、あなたは誰ですか」
「自己紹介がまだだったね。俺は糸眞というんだ」

糸眞、聞いたことのない名だ。男の仲間であろう者たちが日替わりで蘇枋をつけていたあたり、徒党を組んでいる可能性が高い。もしそうなら組織内の男の立場は相当上の方だろう。蘇枋の中で男への警戒心が着実に膨らんでいく。

「蘇枋くん、君は悔しくないのかい?
君が桜遥を盤上で操り力を奮わさせているというのに、桜遥だけが持て囃されている。君あってこその活躍だというのに!
蘇枋くんこそ脚光を浴びるべきなんだよ、影になることを甘んじていてはいけない。
君への感謝を忘れ、君の努力に気付けない間抜けどもなんて捨てて、俺の手を取るんだっ!」

さあ、と迫ってくる男にじりじりと後退さる。不思議と脈が速くなって息も浅くなっていく。男の言葉一つ一つが鋭利な刃物のように心臓に突き刺さって血を溢れさせている。
頭の中が掻き回されるようにがんがんと痛み、視界が回って吐き気がする。冷や汗が全身から噴き出して背中を流れた。

男は未だ何事かを熱く語り続けているが、まるで水の中にいるように上手く聞き取れない。これ以上男の話を聞いていれば蘇枋の中のナニかが壊れてしまいそうで、むしろ良かったのかもしれないが。

耐え切れず無我夢中で男を突き飛ばして駆け出した。口からまろび出そうなナニかを必死に唇を噛んで堪えながら、震えそうな足を叱咤して走る。

男が怪しく笑っていたことを、蘇枋は知る由もなかった。





家に着くとすぐにトイレに駆け込み、便器に縋り付いて胃の中のものを吐き出す。しかし元々少食な上に、ここ最近の不眠が祟って食べていなかったからか胃液しか出てこない。迫り上がってくる度に喉が焼けるように痛み、酸っぱい匂いに更に吐き気が強くなるという悪循環だ。

「ちがう、ちがうちがうちがう……羨ましくなんてない、見返りなんて求めてない
おれはただ、みんなが笑っていてくれたら、それだけでいいんだ……

まるで自分に言い聞かせるように繰り返す。さっきから心臓が嫌な音を不規則に立てていて苦しいったらない。
暫く吐き続けてようやく落ち着くことができたが、身体が異常なほど重くて、口を濯ぐので精一杯だった。
洗面所のドアを背に座り込んだところで、急速に意識が遠のいていった。






ふわりと眠りの底から意識が浮上する。あのまま眠ってしまっていたのか。まだ睡魔が縋り付いて四肢が重だるく、頭もぼんやりとしている。
ポケットに入れたままだった携帯が示す時刻は朝の四時半。バッテリーのゲージも赤く染まっているが、どうしても動く気になれない。

今からシャワーを浴びればホームルームまでには間に合うだろうか。それともズキズキと痛む頭を気遣って休んでしまおうか。
いや、それは駄目だな。今ここで弱さを見せてしまえば、あの男の言葉に揺らいでいることを意味する。そんなことあってはならない。「完璧な蘇枋隼飛」は強く在らねばならないのだ。
だいじょうぶ、大丈夫と繰り返して立ち上がる。くらりと視界が回ったが、壁に手をついてやり過ごした。

「俺は、大丈夫でないといけないんだ

胃液で灼けた喉は掠れた音を不安定に吐き出し、覚束無い足取りは見る人の不安を煽るほどだが、蘇枋は学校に着くまでに普段通りを演じられるようになれればいいとしか考えていなかった。

頭から冷たいシャワーを浴びれば、幾分か思考の靄が晴れたように感じる。染み渡る冷水が不明瞭な輪郭を浮き上がらせて、手足の感覚が少しずつ戻ってくる。
ふぅ、と長く息を吐いて気持ちを切り替える。風呂を出て髪を乾かし、水を飲む。そうしてゆっくりと「普段通り」を整えていく。

全ての準備が終わった頃にはいつも家を出る時間通り。最後に鏡の前に立って表情を確かめる。
気を抜けば視線が落ちて疲れたような顔を晒してしまうが、軽く頬を叩いて無理矢理口角を持ち上げた。これでいつも通りだ。

「大丈夫、崩れてなんてない。普段通りにすればいい」

起きた時から主張してくる頭痛には目を瞑って家を出た。






「おはようございます、蘇枋さん!」
「はよ」
「おはようにれくん、桜くん」

いつも通りの二人の様子に強張っていた身体の力が抜けていくのが分かる。思っていたよりも蘇枋は彼らの傍を居心地よく感じていたらしい。
元気よく歩き出す楡井に続くように蘇枋も桜と並んで歩き出す。

お前、少し顔色悪くねぇか」
「え?そうかな昨日は夢見が悪かったからそのせいかも。でも大したことないよ、心配してくれてありがとね」
「べ、別に心配とかじゃっ!」

真っ赤になって猫が毛を逆立てるように噛み付いてくる様に、自然と笑いが込み上げてくる。
くすくすと笑っていれば、拗ねていた桜もいつしか表情を戻して穏やかな雰囲気を纏っていた。

「何もないならいいけど、その、困った時は言えよ」
「うん。ありがとう桜くん」
「二人とも何してるんですか〜!置いてっちゃいますよ!」
「ごめんねにれくん」
「悪りぃ」

先の方でぶんぶんと腕を振る楡井に桜と顔を見合わせて笑い合う。急ぎ足で追いつくと、満足したような笑顔を見せた楡井は蘇枋たちの腕を取って急に走り出した。

「早く行かないと遅刻っす!急ぎますよ!」
「まじか、やべぇな」
「走らないと間に合わないかもね」

そう言って掴まれていた腕を逆に掴み返して、桜と共に楡井を引っ張ってスピードを上げた。後ろで慌てる声が聞こえるが、ここはあえてのスルーだ。
あんなに根を張っていた頭痛も怠さも今は感じなくて、改めて二人と一緒の時間は何よりも効く特攻薬だと思えた。

ギリギリで教室に駆け込んだおかげで遅刻は免れた。瀕死となっている楡井を介抱していると、キィーンとスピーカーから大きなハウリング音が響き渡った。

「各級長、副級長は屋上に集合!!」
「だから声がでけぇよ!」

相変わらずだなぁと思いながら振り返れば、同じく呆れた顔をした桜が行くぞ、と頷いている。

「にれくん大丈夫?動けそう?」
「だ、大丈夫です行きます、!」
「ほんとに大丈夫かよ

入ったばかりの教室を出て屋上へ続く階段を登る。蘇枋たちが最後だったようですぐに話し合いが始まった。

「最近、不審な男たちが町を彷徨いてるらしい。特に何かをしたという訳ではないそうだが、全員がどこかしらに蛇の装飾を付けているらしいし、何かを探すような素振りも見せているそうだ。警戒するに越したことはない。
見回り時に見つけたら、それとなく探ってみてくれ。でも!くれぐれも深追いはするなよ。ちゃんとチームで動け」

何か質問はあるか、という梅宮の問いに楡井が手を挙げた。

「質問では無いんですけど、その人たちについて俺も少し聞いた話があります。電話でここには居ないとか、向こうへ行ったとかってやり取りを聞いた人がいるそうです。もしかしたら誰かを探しているのかも?」

ノートを開きながら話す楡井に、全員の表情が引き締まった。

「その話が本当なら、彼らは誰か個人を狙っている可能性が高いのだよ」

水木がメガネの奥の目を鋭くしながら、固い声で告げた。その横で、桃瀬がスケッチブックを全員に見せるように開いた。

「あくまで遠目から見た人の記憶を頼りに描いたものですが、こんな感じの蛇の装飾を身に付けてたそうですよ」

ページに描かれていたのは、蜷局を巻いて此方を威嚇するように睨み付ける蛇だった。多くが携帯を取り出してその絵を写真に収めて共有しだしているのを見ながら、蘇枋は先ほどから襲いかかってくる疑惑が確信に変わっていくのを感じていた。
あの蛇、糸眞と名乗った男の右手人差し指に嵌っていたのを蘇枋は覚えていた。ここ数日の会話を考えれば、彼らの狙いは蘇枋ということになるのでは。
話すべきだろうか。いや、俺が上手く対処すれば自然に落ち着くはずだ。皆んなに迷惑をかける訳にはいかない。

おう、蘇枋!」
「っ!ど、どうしたの桜くん」
「戻っていいって言われたのにお前が動かねーからほんとに大丈夫なのか?今朝より顔色悪りぃぞ」

形の良い眉を寄せて剣呑な目をする桜が不器用にも蘇枋を心配しているのが分かる。それに申し訳なく思いながら、無理やり笑顔を作って誤魔化した。

「大丈夫だよ。ちょっと考え事してだけだから」
……

今だに蘇枋を捉えて離さない瞳から逃げるように楡井を伴って屋上を後にしようとすれば、更に後方から声が掛かった。

「蘇枋!何かあったら必ず報告、な?」
はい、」

にこりと微かな圧を滲ませて笑いかけてくる梅宮にも、蘇枋は何も話すことはできなかった。




—————————




はぁ、はぁ、と息を弾ませて蘇枋は走っていた。
二度目の邂逅から、男は蘇枋の行く先々に現れた。どれだけ道を変えようが、時間をずらそうが、まるで先回りしているかの如く待ち伏せている。

「どうしてっ、どうして俺の行く道がわかるっ」
「蛇というものは藪に隠れている生き物だろう?この町の至る所に俺の手下は潜んでいる。
どれだけ逃げようが無駄だ、俺は君を決して諦めない」

右手に光る蛇の指輪を撫でながら、うっそりとした顔で告げる男に震えが止まらなかった。

どこへ行っても無駄なら家もバレているだろうと、学校が終われば最短距離で走って帰るようになった。男は毎度似たようなことを吐きながら立ち塞がっているが、追いかけてくることは無いので横をすり抜けて逃げている。
桜たちには用事があると言って、今までのように並んで帰ることを断らせて貰っている。





そんな日が何日も続けば、さすがの蘇枋でも限界が見えてくるというもの。
顔色の悪さや動きの鈍さを指摘される回数が、少しずつだが増えてきていた。
彼らはただ純粋に蘇枋を心配しているのは分かっている。しかし男の言葉に囚われている今は、その眼が不甲斐ない自分を非難しているかのように見えて恐ろしいのだ。

ごめんなさい、ごめんなさいを繰り返し、掌や腕に立てた爪痕から血が滴るのが常になった。
それでも、そんな弱い自分を知られてしまうことの方が怖くて、彼らを信用できていない自分が一番醜くて。
食べ物も喉を通らなくなってきた頃には、毎日彼らに責められるか見捨てられる夢を見て飛び起きるようになった。

「級長は桜と楡井だけでいい」
「後ろで黙ってる奴なんか風鈴にいらない」
「へらへらして気持ち悪い」
「お前が守らなかったから楡井が傷付いた」
「役立たず」
「何で風鈴にいるんだよ」


「お前が生きてる価値なんかない」



そんなこと、“僕”が一番分かってるよ———





しとしと、と細かな粒が町に降り注いでいる。
男が現れてから大体一月は経っただろうか、日毎に“完璧な蘇枋隼飛”の歯車を狂わせ始めてからは二週間程。
もはや蘇枋に正常は判断能力は損なわれていた。不眠、不摂取からの体調不良や悪夢は止まる事を知らない。
そのせいだろうか。いや、もしくは雨を弾く小さな檻の中で気を抜いていたからかもしれない。普段なら有りえない、そうなる前に対処できたはずの状況に、気がつくのが遅かった。

———囲まれている

ざっと十人程度か。糸眞と同じ年嵩らしい男たちが傘もささずに蘇枋を取り囲んでいる。
皆、糸眞の指輪と同じデザインの蛇のアクセサリーや刺青が入っていることから、彼らが梅宮たちが言っていた連中だろう。
やはり俺が狙いだったかと心の内で息を吐く。迎撃の構えを取るために傘を手放せば、開けた視界にあの男が飛び込んできた。

「蘇枋くん、そろそろ答えを聞かせて貰おうか。俺たちと共に来てくれるかい?」
いやだ、と言ったら?」
「力づくで、奪うまでだね」
っ!」

ぐんっ、と長身に見合わず体勢を低くして懐に飛び込んで来た糸眞に急いで距離を取った。顔面を掠める風圧に冷や汗が込み上げる。
下から振り上げられた拳は先程まで蘇枋の顎があった場所と寸分変わらない。スピードもさることながら正確性まであるとは。
ただでさえ眼帯で視界にハンデがあるというのに、この雨で更に視界が悪い。睫毛にかかる水滴を手を拭って構える。

すぐに回し蹴りが飛んでくるのを両手で受け流す。流れるように続く裏拳も後ろに流して掌底を鳩尾に打ち込んだ。
が、背後に飛んで衝撃を緩和されてしまった。そのまま互いに隙を伺いながら睨み合う。緊張感が張り詰めているというのに、糸眞は薄気味悪い笑みを浮かべたままで、本能なのか嫌な予感が悪寒として蘇枋の背筋を駆け抜けた。

周囲の男たちの様子をちらりと窺うと、依然として動かず蘇枋たちの戦闘を静観している。
まるで戦場リングに徹しているかのように円形に陣取ったままの様が不気味で仕様がない。
動かないからといって警戒しないわけにも、近づき過ぎるわけにもいかないからやり辛いとしか言いようがない。
この人柱でできた狭い檻の中で大蛇と間向かっているような錯覚が、頭の片隅で嵌められていると警鐘を鳴らしている。

「だいぶ動きが鈍いね。あの風鈴だし、今の君に酷いこと言わなかった?」
「っ!そんなこと、」

一瞬、訝しげな目でこちらを窺う彼らの表情がフラッシュバックした。同時に、夢の中で蘇枋を罵倒する憎悪に染まった表情までも。

「ぁ

蘇枋の目が現実ではない何処かを写したその隙を、糸眞は見逃さなかった。
即座にポケットからハンカチを取り出し、蘇枋の口と鼻を覆って押し倒した。雨で布地に染み込んだ薬品が流されないよう、自身の身体を傘にしながら暴れる蘇枋の身体を抑え込む。
次第に抵抗が弱々しくなって、蘇枋色の瞳が翳りながら静かに閉じられた。
ゆっくりと身体を起こした糸眞に、手を出さないよう指示していた仲間達が近寄ってくる。

「タオルを」

その内の一人が近くに隠していた車を運んできたので、丁寧に力の抜けた痩躯を抱き上げ、渡された大きめなタオルに包んでから後部座席に寝かせた。
糸眞も横に乗り込み、もう一台の車も合わせて仲間達が乗り込んだのを確認してから、アジトに向けてアクセルが踏み込まれた。

後に残されたのは蘇枋の折り畳み傘だけで、まるで不在の主人を嘆くように静かに雨に打たれていた。


二台のバンが走り去るのを見送ってから、影から一部始終を見ていた小さな影が動き出した。



「桜に知らせなきゃっ!」







四つのビニール傘が二列に並んで歩いている。

「蘇枋さん、今日もすぐ帰っちゃいましたね」
「家の用事って言うけどここ最近ずっとだよね〜」
「桜くんはなんか聞いてへんか?」
「いや、俺も知らねえ」

桜は答えながら、ここ数日の蘇枋の様子を思い返していた。ずっと顔色が悪く、ケンカの時でもふらつく様子に流石に黙っていることができず、話を聞こうと空き教室に連れ込んだことがあった。その時の、まるで怯えるように体を強張らせて声を詰まらせていたのが、普段の蘇枋とはかけ離れていて驚いた。
あの悪戯な光を携えながらも柔らかな瞳が、割れかけの硝子の様に傷付いて今にも欠片を溢しそうな危うさに言うべきはずの言葉を失った。強く掴んでいた手首も外れてしまい、その隙にごめんの一言を残して走り去られた。

もう一度話す機会を作らなければと考えていると、後ろからバシャバシャと激しく水を蹴る音が聞こえてきた。

「、桜っ!!!」

振り返るとなぜか持っている傘もささず、泣きそうな顔で必死に走ってくる菜月がいた。

「お、前どうしたんだよ。びしょ濡れじゃねぇか、傘持ってんなら、」
「大変なのっ、桜と同じ制服着た人が男の人たちに連れてかれるとこ見た!!長いピアスと、ぇっと眼帯もしてた!」

自分の傘に菜月を入れて目線を合わせるように屈めば、制服を握り締めて放たれた言葉に、桜たちの脳裏にとある人物が思い起こされた。

「ピアスに眼帯って!」
「すおちゃん、」
「連れてかれたてまずいんやないかっ?」
「っそれどこで見た!?」

思わず菜月の両肩を掴んで詰め寄っても、芯の強い彼女は怯まず力強い眼差しで着いてきてと来た道を戻ろうとする。
そんな菜月を制して抱え上げた桜は、菜月の指差す方向へと全速力で駆け出した。もはや雨に打たれていることすら頭に入っていない。
今はただ、蘇枋の無事を祈ってひたすらに走る事で一杯だった。背後で楡井たちが各方面に連絡を入れながら追いかけてきているのにも気付いていないだろう。



そうして辿り着いた蘇枋が連れ去られたとされる細い路地。辺りを見渡しても、雨足が強まったからか人っ子一人見当たらない。何か手掛かりになるものは無いのかと探していると、追いついた桐生が何かを拾い上げた。それを見た楡井が引き絞るような声を出した。

「この傘って
「蘇枋さんの、折り畳み傘」

叩き付ける雨が視界を白く染めて桜の体温を奪っていくが、この手の震えはそれだけではないだろう。

「私が見た時にはもう倒れてぐったりしてたそれでタオルに包まれて車に乗せられてったんだ」
「ねぇ、もし良かったらすおちゃんが乗せられた車ってどんな見た目かとか覚えてる限りで教えてくれないかな?」

気落ちした様子で当時の様子を語る菜月の前にしゃがみ込んだ桐生が、自身の傘に入れながらそう優しく問い掛けた。

「おっきくて長い、黒い車だったよ。それが二台あって前の方の車にその人は乗せられてた。番号とかは見てなかった
「大丈夫だよ、教えてくれてありがとね。車ってもしかしてこんな感じだった?」

桐生が見せた画面に菜月は飛び付くようにこれ!と大きな声を出した。見てみるとよくあるハイエースの画像が映っていた。

「これが二台分っちゅーことは、蘇枋は結構な数を一人で相手しとったんちゃうか?」

美学があらへんと低く吐き捨てる柘浦、蘇枋の身を案じて青ざめる楡井、今になって襲いかかる恐怖に泣き出す菜月を慰めながらも鋭い眼差しが見え隠れする桐生。全員の様子は視界に収まっているというのに、桜の頭には何一つ入ってこない。
蘇枋が多数が相手だからとそう簡単に負けるはずがない。そう、普段ならだ。しかし体調が優れなさそうな状態では普段通りに戦えなかっただろう。
もし、足早に帰る蘇枋を引き止めてでも一緒に帰っていたなら。強引にでももう一度話を聞いて心の帷を晴らせていたなら、蘇枋が攫われることはなかったのではないか。
しても意味が無いと分かっていても、後悔の念が溢れるのを止められない。激しく身を打つ雨がまるで救えなかった事実を突き付けているようで、喉は熱いのに血の気が引くように震えてしょうがない。

「桜ちゃん」
「っ
「もうすぐ梅ちゃん先輩たちも来てくれるって。俺はつげちゃんとこの子を送ってくるから、にれちゃんと一緒に先輩たちへの説明よろしくね」
「あぁ、分かった

菜月を柘浦に預けた桐生は、優しげな雰囲気を一変して真剣な顔で歩み寄ってきた。そして握り込んで白くなり、冷たく震える桜の手を掴んだ。桐生の手も冷たくなっていた。

「後悔するのはすおちゃんを助けた後にしよう今はすおちゃんを取り戻すことを最優先に考えて、それ以外は全部後回しにしよう?俺たちは一人じゃないし先輩たちだっている、皆んな気持ちは一緒だよ」
「桜さんっ、絶対に蘇枋さんを助け出しましょう!」

今すべきことを示してくれた桐生と、雨で分かりづらいが恐らく泣いているであろう鼻声ながらも決意を滲ませる楡井のおかげで、霞がかった思考がクリアになったように感じた。落ちていた視線を上げると、力強く頷く柘浦と目が合って頷き返した。
そうだ。後悔している暇があったらその時間を蘇枋を救出することに費やす方がよっぽど意味がある。もし手遅れにでもなれば、桜はきっと今後一生を自責の念に押し潰されながら生きることになるだろう。そんなのは絶対に嫌だ。

「必ず、蘇枋を助け出すぞ」

だから、どうか無事であってくれ———







あのあと梅宮と柊、椿野が駆け付け、他の者たちが既に聞き込みに動いていると聞かされた。
携帯を見てみると、一年多聞衆のグループラインには各々からの頼もしいメッセージが羅列していた。
梶からも鞭撻の言葉が送られてきていて、ボウフウリン全体が蘇枋の為に動いているのだと、奮い立つような気持ちが体中に行き渡って血を巡らせている。後悔と恐怖とが、蘇枋を攫った不届者への怒りへと赤くに染まっていくのを感じる。
なんとしてでも蘇枋をこの手に取り戻すまでは決して諦めない。
前を向くと静かに怒りの炎を燃やす瞳とかち合った。

「桜、楡井。蘇枋が攫われたっていうのは本当なのか?」
「ああ。蘇枋は攫った奴らは多くてハイエース二台分。倒れて動かないのを車に乗せられてったらしい」
「蘇枋さんの傘が落ちてましたし、見た目の特徴も一致してます。蘇枋さんで間違い無いかとそれとハイエースは黒色だったそうです」
「黒のハイエース二台だな。梶たちに伝えてくる」

柊が情報の伝達のために離れて電話をかける中、椿野が口を開いた。

「連絡を貰った時、水木が汚い手を使われたか弱みを握られた可能性が高いって言ってたわ。例え多数相手でも、蘇枋がそう簡単に負けるとは考えにくいからって
二人は蘇枋の弱みについて何か知ってることはある?」

正直言って思いつかない。蘇枋隼飛という男は常に飄々としめ隙を、そして本音を見せない。見た目の良さも相まって、人間らしさからかけ離れた精巧な人形のように思える時もある程、心の内が見えないのだ。
隣を見ると、困ったように旋毛を除かせているから情報収集の鬼である楡井を持ってさえも分からないのだろう。

「弱みは分からない。けど最近のあいつはなんつーか追い詰められてる?みたいな、ずっと顔色が悪かった」
「ケンカの時もふらつくことが多かったっすもんねそういえば!蘇枋さんが急いで帰るようになったのと、体調が悪そうになったのって同じタイミングじゃなかったですか?」
「そういやそうだな