サザン、と寄せては返す波の音。その音と重なるかの様に、パシャパシャと浅瀬で遊ぶ親子連れ。少し離れた砂浜では男女数人がビーチバレーを楽しんでいて、人々が歓声を上げる中柔らかいビーチボールが弧を描く。あちこちでビーチパラソルが花開き、その下ではジリジリと焼く日差しから避難してきた人々が思い思いに涼んでいる。
海開きをしてから人が絶えずやってくる海水浴場。だが人が増えれば増える程、水の事故も発生しやすくなる。先程、溺れた学生を助けた忌炎は、滴る海水をその逞しい腕で拭うと一つ息を着いた。
「忌炎」
不意に後ろから聞き慣れた声が届く。振り向くと恋人の青年が、掲げたペットボトルを差し出した。半透明のスポーツドリンクが、ちゃぽんとペットボトルの中で跳ねた。
「お疲れ様」
「ああ、ありが――、」
青年の姿を捉えた忌炎が、スポーツドリンクを受け取ろうと手を伸ばす。だが彼の姿を見た途端ピタリと、伸ばした手が止まった。
青年は前開きのシャツを羽織っていて、下は至って普通の男性用水着を着用している。ここまでは何も問題無い。ここまでは。ただシャツが肩からずり落ちていて、最早両腕に通しているだけの状態。勿論上半身なんて丸見えで、今も汗が引き締まった身体を這う様に流れていく。
有り体に言えばそう、凄い、はだけているのだ。服が。
労わってくれている彼には悪いが、ペットボトルを受け取るよりも先に、即刻彼の上着を閉めた。頭一つ下から呆れた顔が見上げているのは言うまでもない。
忌炎は極力彼から視線を逸らし、わざとらしく咳払いを一つした。
「直射日光に当たり続けていると免疫力を低下させる他、シミや皺、皮膚がんになるリスクが上がる」
「朝もそう言って、日焼け止めを塗ってくれたのは貴方だろ?」
彼の反論に思わず閉口した。確かに朝、家を出る前に同じ台詞を言いながらくまなく塗りたくったのは覚えている。下手な言い逃れはお見通しなのだろう。
人体への悪影響を考慮しているのは嘘では無い。だが一番の理由は、彼の上裸を不埒な目で見る輩への対策だった。今も尚、青年の項を見て喉を鳴らす輩に、彼は気がついているのだろうか。
忌炎はライフセーバーとして常に周囲を警戒しないといけない。四六時中青年を守りたくとも、彼ばかり見ている訳にはいかないのだ。だからこそ、忌炎の目の届かない所でも守る為にと上着を着せていたのだが……。残念ながら彼には通じなかった様だ。
忌炎は思わず頭を抱えた。これは本音を言わねばならないのか。極力隠し通したかったのだが、彼はこのままだと納得しないだろう。諦観の域に達した忌炎は漸く腹を括った。
「…………お前を狙う輩が居るかもしれないだろう」
自分でも言っていて恥ずかしい。こんな悋気丸出しの台詞を本人の前でに言わねばならないなんて。顔に熱が集まるのが分かる。ただしこれは日差しのせいでは無いだろう。
青年は忌炎の主張に目をぱちぱちと瞬かせた後、思いっきり吹き出した。
「それを心配していたのか!」
「笑い事じゃない。お前は自分の事に対して無頓着過ぎる」
「それは貴方にも言える事だ」
未だツボに入っているのか、声を震わせて笑い飛ばす彼に再び口を噤んだ。過保護だという自覚はあるが、こんなに笑わなくても良いだろう。漸くツボから脱却したのか、青年は「ごめん」と謝りながら笑い過ぎて出た涙を拭った。そして彼は安心させるかの様に、自身の胸に手を添えて忌炎に視線を合わせた。
「大丈夫だよ。貴方以外には、決してこの身体を触らせないから」
胸を張って堂々と告げる彼に、今は可愛さよりも心配が勝る。駄目だ。全く分かっていない。確かに彼は、誰かに守ってもらわないといけない程ひ弱ではない。腕っ節や体力は、一般の男性を凌駕する程の実力を持っている。青年が体力面で頼られているのを見かけるのは、一度や二度では無い。それ程頼りになる男だ。
それでも、
「それでも、その肌を晒すのは、俺の前だけにしてくれ……」
もう隠すものも無くなった忌炎は、項垂れながら弱々しい声で懇願する。いつもの彼らしからぬ声に、青年はまた一つ破顔した。
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