望月 鏡翠
2025-08-05 14:45:40
991文字
Public 日課
 

#1803 「潜竜」「東」「綸言」

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 馬に乗り、首都から西に四日ほど進んだところに、文化人が好む風光明媚な村がある。馬で四日は国土の広さに比べれば首都に近いが、割合自然が残っている。
 理由は、この土地に住まう権力者がその地の景観を見出すことを嫌ったことからだ。水は豊かだが田畑を拓くことなく残された。あるものといえば斜面にある果樹と、同じく斜面に植えた桑を使った養蚕。
 山上の宿から見下ろせばそれらは視界から外れて、流れる川と美しい池、それらを彩る四季折々の植物が見られた。
 今は観光が主な産業になっており、それなりに潤っているようだ。
 一番眺めがいい場所に、小塾がある。読み書きを主にしているが、詩や絵、茶の作法など広く教えてくれる。学問を目的とした場所というより、塾の主人の趣味を共有し意見や言葉を交わす場所なのだ。
 地元の人間もくるが、この地を訪れた文化人やその子息が集まる。様々な場所からそれなりの身分の商人や役人がある待ってくるので、見識を広める場であり、時勢を学ぶ場所にもなっているのだ。
「我が君」
 男が呼びかけると、窓辺で茶を嗜んでいた小塾の主人は嫌そうな顔をした。
「先生と呼べ。誰かが聞きつけたらどうする」
「人がいないことは確かめております」
「そういうことではなくてな。今の立場を考えてふさわしい呼び名を使う癖をつけてくれと言っているんだ」
「俺にとっては、たった一人の仕えるべきお方です」
「迷惑だと言いたいところだが、お前の忠誠心がなければ生きてはいけん身の上だからな。ふふ、高貴な血筋様様だな」
 血筋によるものではないと、そう否定をするだろう。しかし、それを否定できるわけもなかった。東宮が玉座につくことを誰よりも望んでいるのは、他ならぬ彼だった。
 命が危ういと一度死んだことにして街に逃れてからは、ここで静かに暮らしていた。情報も教養も十分に集まっている。
 こうなるのは、運命だったのだ。
「潜竜が、いよいよ天に昇るときがきたのです」
「水底も心地が良いのになぁ」
「上からの景色を知れば、お考えも変わることでしょう」
 小塾の主人として田舎に伏していても隠しきれない高貴さがある。皆、それを感じているのだ。感じているからこそ、これほどまでに人を集め慕われているのだ。
「この軽口も綸言として扱われるようになるのかと思うとゾッとするね」
 東宮は肩をすくめた。