饂飩粉
2025-08-04 22:57:07
7036文字
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瞳の中に

士道龍聖BL夢小説!!!!

 何が発端だったのか。
 ユーチューバーが一億円相当の買い物をしたみたいな動画の話題になった時に「一億円貰ったら何をするか」みたいな話になった気がする。
 皆今欲しいものを買うのは大前提として「試しに推しの配信者に100万くらいスパチャする」とか「一億円分宝くじ買う」とか「御影コーポレーション(最近の躍進が凄いらしい)の株を買えるだけ買う」とかいろんな話が出てきた。
 その時、たまたま士道龍聖が会話に混ざってきた。学校も欠席しがちで、頭髪も制服の着崩しも校則違反の問題児。
 でもその時、誰も士道が近くにいるって気づいてなかった。だから彼が「俺は百万円を百個に分けてドミノしてえな」と言った時も、他の勝手知ったる友人の一人が言ったつまらないジョークだと思った。
 だから俺は「なんだそれ、ぜってーつまんねえ!」って笑い飛ばした。
 士道が言ったことだったって気づいたのはその直後で、一瞬でその場が凍りついたかのようだった。唾を飲み込む音さえ学校のチャイムくらい大きく響き渡りそうなほどの沈黙。机を囲うようにして集まっていたその場の全員が、いつの間にかその輪に入り込んでいた士道に注目していた。
 やばい、やばい、やばい。
 士道龍聖にはとにかく危険なイメージが付き纏っている。実際暴力沙汰も何件か起こしているらしいし、校則違反しているにもかかわらず教師達はだんまりを決め込んでいる。学校の全員が、士道が登校した日は彼の機嫌を損なわないように気を遣っているのだ。そんな奴がなんでこの学校にいるのかは誰も知らない。
 そんな士道の発言を笑い飛ばした最初の人間という実績を、俺は解除してしまった。解除するつもりなんて毛頭なかったのに。危なそうな人間とは一生かかわらずに過ごそうと思っていたのに。
 士道龍聖。褐色の肌、毛先がマゼンタカラーのブロンドヘアがスーパーサイヤ人のように逆立っている髪型、化粧なのか生まれつきなのかわからない目元の隈取り、異国の風情が混沌と混ざり合っていて近寄り難い印象しかない。大きな口を今はへの字に曲げて、肉食の獣が獲物を見据えるかのような視線で俺のことを見ている。周りの友人達は最悪の事態を想定したのか、皆一歩引いていた。おい、置いてかないでくれ。
 蛇に睨まれた蛙とはまさにこのことだろうかと思ったその時、視線はそのままで士道の腕が振り上げられた。
 思わず目を瞑った。そのまま俺の頭が鷲掴みにされ、机に叩きつけられる——そんな瞬間を想像した。おそらく、周りの友達や居合わせたクラスメイト達も。
 しかし、数秒経ってもその瞬間は訪れなかった。あまりの衝撃に何も感じなくなったのかとも考えたが、そうではなかった。
 恐る恐る目を開けると、士道は上げた手で首の後ろを掻いていた。視線も宙を彷徨っている。
——確かに、よく考えたら面白くねえかもな。ドミノ百個じゃつまらねえし」
……?」
 士道はそれだけ言って、教室から出て行ってしまった。
 士道龍聖が開けっぱなしにした教室の扉を、その場にいた全員が眺めていた。
 どこかで、俺以外の誰かが言った。
「助かった、のか?」
 まるでとんでもない規模の嵐が過ぎ去ったかのような気分だった。
 ——そもそも、風なんて吹いていなかったのに。

———

「なあ、クロス上げてくれよ」
 士道からそんなことを言われたのは、教室で嵐のような一幕があった日の翌日。サッカー部の朝練の時だ。
「え、士道、サッカーやるのか?」
 三年間サッカー部で活動してきた俺すら知らない事実に、顧問も含めた全員が驚愕した。
 その日、士道は部員の誰よりも早くグラウンドに立っていた。俺を含めた三年生にとって最後の地区大会を控えて部内が緊張状態にある最中、二つしかないサッカーゴールの内一つが士道に占領されている。
 まるで部員の一人であるかのように、スポーツウェア(体操着ではない)に身を包んだ士道はペナルティエリアのライン上に立って軽くジャンプを繰り返していた。
 周囲の部員に目をやるが、皆気まずそうに目を逸らしている。既に昨日の出来事が知れ渡っているらしい。他の部員達は、コートの反対側を使って練習を始めている。曲がりなりにも部長である俺が声を張れば、この役目を後輩に押し付けることはできるだろうが、そんなことはしたくない。
 俺は不当な罰を受ける囚人のような気持ちで、コーナーから士道に向けてクロスを蹴り上げた。
「あ、やべ」
 ミートの瞬間に「失敗した」と思った。ボールは想定よりもずっと高い軌道を描いて、ペナルティエリアを越えて反対側のサイドに向かっていく——かに思われた。
 ボールが真上を通過する瞬間に、士道は跳躍していた。体を大きく逸らし、落下が始まるより僅かに早く、空中で体を一八〇度回転させる。背中向きで受けるしかない、ボレーでシュートを撃つなんておよそ不可能な弾道のボール。それを、大きな鎌を振り下ろしたかのような士道の足がジャストミートする。
 オーバーヘッドキック。
 次の瞬間には、士道のシュートはワンバウンドしてゴールネットを揺らしていた。バウンドして勢いが削がれなかったのは、ボールに強い縦回転がかかっていたからだろう。
 士道は体を一回転させて両足で着地する。固いグラウンドで後方宙返りするだけでも十分凄いのだが、彼はついでにサッカーボールをゴールネットに叩き込んだ。
——
 俺は、声を上げることもできなかった。今のプレーは、一体なんだ。神奈川の吉良涼介にだって——いや、U-20の日本代表にだって、こんなプレーはできないだろうと思った。
「ハッ、いきなりエッグいクロスじゃん。俺、試された?」
「あ、いや、そんなつもりは……
「今みたいなの、どんどんくれよ。もっと精度アゲるぜ」
 口が裂けんばかりに、士道が笑う。
 俺の体がゾクっと震えたのは、多分恐怖のせいじゃない。
 士道龍聖の圧倒的な個人技に、一人のサッカー選手——あるいは観客として魅せられてしまったのだ。この先一生かかっても俺が辿り着けない領域に士道は既に足を踏み入れている。そんな気がした。

———

 その日の朝練のほとんどを士道のシュート練習に費した俺は、水分補給している士道に思い切って話しかけた。
「士道」
「ん?」
 思ったより普通の反応が返ってきたことに安堵の息が漏れた。カラカラになっている喉から、声を絞り出す。
「サッカー部、入らないか?」
 自分の水筒から口を離した士道が、目を細める。波打っているかのようなボリュームの睫毛の下で、瞳が妖しく歪む。
「何、俺に惚れた?」
「はっ!? いや、ちげーよ! 一緒にサッカーやろうって話!」
 いきなりとんでもないことを言ってきやがった。誰もそんな話したつもりじゃないってのに。さっきまで汗だったものが、生き物になって体の上を這い回るような感覚に襲われる。ゾッとしたが、不快ではない。なんだ、これ。
「俺は"サッカー"やってるつもりはねえ。そんなモノで量んなよ」
……はい?」
 士道が近づいてきた。背が高い。少なくとも俺より一〇センチ以上は。
 自然と俺は士道を見上げる格好になる。
 士道は人差し指で俺の鎖骨の中心をトントンと叩いた。
「俺をサッカーに付き合わせるな。俺の生命活動に、お前が付き合え」

 この時、俺は士道の言っていることをまるで理解していなかった。
 でもその後「つまり試合に出てくれるのか?」と聞いたら「試しに一試合だけ出てやるよ」と言われたので、俺はただ単に戦力が増強できたことを、無邪気に喜んでいた。

———

 三年生にとって最後の地区大会一回戦。
 仮入部扱いの士道をスタメンに入れて、俺達のサッカー部は試合に臨んだ。
 結果は、前半が終わって7-0。
 全て士道のゴールだ。実力は、圧倒的だった。
 それは、およそ試合と呼べるものではなかった。まるでアリの巣に水を注ぎ入れるかのような、蹂躙。フィギュアスケートには技や表現の点数を競う試合形式とパフォーマンスを見せる公演形式があるが、前半の45分間はまさに士道龍聖の単独公演と言うべきものだった。敵チームは"やられ役"で、味方の俺たちは"引き立て役"を演じさせられたかのように。

 しかし、俺達は負けた。
 ハーフタイム中に士道と他の部員達とで喧嘩——というか暴力沙汰となり、ロッカールームで怪我人が続出。試合続行不可能と判断され俺たちは棄権扱いとなった。
 先に手を出したのは他の部員だったが、士道は自宅謹慎を言い渡されることになり、サッカー部自体も来年の四月まで活動停止処分が下された。三年生は半ば強制的に部を卒業させられ、後輩からも退部者が続出。
 そのセンセーショナルなニュースに地元のメディアは沸き立った。ここまで噂の種が大きくなれば、来年のサッカー部は部活動と認められるための最低限の人数も集められないだろう。

 俺のせいだ。
 俺がサッカー部に、士道龍聖を引き入れたせいだ。俺が士道を顧問に推薦し、部員を説得した。地区大会の一回戦、前半だけでいいから彼のプレーを見てくれと。
 でも、そのことで誰も俺を責めようとはしなかった。誰もが士道を恐れていた。俺を悪く言えば士道からの報復が来ると、勝手に思い込んでいるのかもしれない。そんなことでほっとしている自分が、余計に嫌になる。
 士道と話がしたかった。
 どうして、他のメンバーへのパスを奪ったのか。
 どうして、そのことを悪びれもしなかったのか。
 どうして、スパイクを履いたまま他人を力一杯蹴り飛ばすことができるのか。
 どうして、俺だけにその暴力を振るわなかったのか。
 どうして、俺なんかの誘いに乗って試合に出たのか。
 どうして——
 士道が自宅謹慎処分を受けている以上。その回答は得られない。
 そのはずだった。

「チャオ、久しぶり」

 放課後、自宅の最寄駅からの帰り道。
 いつも通り狂った調子の士道龍聖が、待ち構えていた。

———

 俺と士道は駅前まで引き返した。
 駅前はちょっとした広場になっていて、花壇やベンチがヨーロッパの庭園みたいに配置されている。あたかも「この街は他にもこんな所がいっぱいあります」と言いたげだが、実際こんな場所はここだけしかない。駅前から少し歩けば未開発の空き地や住宅街ばかりだ。「花と緑の街」が聞いて呆れる。誕生日を迎えたら選挙権が得られるが、絶対に市長選で現役には投票したくない。
 そう思ってはいても、ベンチはありがたく使わせてもらう。俺と士道は並んで腰掛け、駅の改札を出入りする人々を眺めた。電車が停まれば駅から外に、そうでない間は外から駅に。まるで波のように寄せては返す。人波という言葉が生まれるのも納得がいく。
 人は歩いている。中には杖をついたり、車椅子に乗っている人もいる。駅に向かうために、あるいは駅から目的地に向かうために。家に帰るかもしれないし、仕事や食事のためかもしれない。それは呼吸と同じ生命活動で、そうしなければ生きていけないからそうしている。
 ふと士道を見やると、彼は他人に一切興味がなさそうにベンチの背もたれに体を預け、暮れかかった橙色の空を見上げていた。
「なあ、士道」
「ん?」
「前に言ったよな。自分は"サッカー"をやってるつもりはないって」
 士道が視線だけを寄越したので、目が合った。不思議と恐怖は感じなかった。士道の眼差しに、暴力をも厭わない狂気が宿っていることは知っているのに。
「ああ。俺のサッカーは生命活動だ」
「何言ってるか、よくわかんねえ」
「わかんねえだろうな。誰ともしれない奴等が決めた"サッカー"なんてのに縛られてるお前らじゃ」
「でも、サッカーにはルールがあるし、士道だってハンドやオフサイドはしないじゃんか」
「そういうことじゃねえ」
「じゃあどういうことだよ」
 そう言うと、士道はまた一瞬空に目をやった。
「俺に向けたパスじゃねえなら、俺が絶対に取れないパスにしろってことだよ」
……地区大会のこと言ってるのか」
「それ以外に何がある?」
 俺は試合での士道を思い出す。
 士道以外に蹴ったつもりのパスを、士道がカットし奪う——あるいはそのままシュートする場面は何度もあった。味方の俺達すら翻弄する運動量でコート上を駆け回り、貪欲にボールを求める様子は檻から放たれた肉食獣のようだった。士道の動き出し(オフ・ザ・ボール)は、それこそ狩りをするライオンや狼のように突然視界に現れた。
 そして、特にペナルティ・エリアは独壇場だった。七回のゴールはいずれもペナルティ・エリアで士道がボールを持った回数に等しかった。裏を返せば、俺たちのチームは士道がいなければ得点できなかった可能性がある。それくらい、士道とそれ以外にコートでプレーしていた二一人とでは、差があった。
 思い出すと、必然的にハーフタイムでの暴力沙汰がちらついて、俺は目を伏せた。
……俺は、お前がいれば全国大会も夢じゃないと思ってた」
 目線を上げる。人々の往来が、生活が、生命活動が、そこに広がっている。
 士道は、俺達が呼吸したり、歩いたり、何かを食べたりするのと同じ感覚で、サッカーをしているのだろうか。だとしたら——
「でも、俺達のサッカーと、お前のサッカーは、別物だ」
「そうだな」
 士道は否定もせず、悪びれることもなかった。
 そんな態度に、もどかしさを感じる。
「士道、一つ聞いていいか」
「一々断らなくていいぜ」
 もう一度、士道に向き直る。士道の瞳に映る俺自身の姿を、見ようとする。
「お前にとって、俺達は——俺は、なんなんだ?」
「何って、俺と同じ一つの生命(いのち)だよ」
 振り絞った勇気が空回りするくらい、即答だった。士道はまるで「1+1は?」と聞かれたかのように片方の眉だけを上げて、訝しげに俺を見つめ返している。
「いのち……?」
 思わず聞き返した。今の自分は、ひどく滑稽に映っているのではないだろうかと心配になる。
 士道が、距離を詰めてきた。人目も憚らず、鼻先が触れ合うほど近くに、士道の顔がある。近すぎてピントが合わせられない。近過ぎる。士道の鼻息が唇にかかって、渇きに飢える。
「生命(いのち)さ。俺もお前も、同じ時代に生まれた美しくて醜い肉塊だよ」
 いつの間にか伸びていた士道の手が、俺の頬に触れた。その瞬間、ここが公共空間だってことを思い出して、士道の肩を突き飛ばそうとして、できなかった。背丈は違えど体格にそこまで差はないのに、士道の体はいくら押してもピクリとも動かない。
「強いて言うならお前は、大勢いる中でも、俺の心に火をつけてくれた生命(いのち)だな」
 言い終えると、士道はすっと離れた。どっと疲れが押し寄せてきて、ただ座って話をしていただけなのに俺は肩で息をしていた。
「お前、なんか変なこと考えてないか?」
 唇に、士道の鼻息の感触が、残っている。
「ああ? それはお互い様だろ。それとも考えちゃダメなのか?」
「ダメじゃ…………ないけど」
 脳裏には、地区大会のハーフタイムの出来事がチラつく。士道のことが好きで、それがほとんどバレていて、だけど拒絶はされていないことに、素直に喜べない俺がいる。
「?」
「なんで俺に構ってくれてんのか、よくわかんねえし……部員に暴力振るって、部活をめちゃくちゃにしたことは、まだ許せない」
「そうかい。ま、それなら仕方ねえ」
 士道は話は終わったと言わんばかりに立ち上がって、駅の方に向かっていく。あまりにも自然に歩いていくので、俺は一瞬何が起きたのかわからなかった。
「おい、待てよ!」
 改札を通ろうとする士道になんとか追いついて、肩を掴む。押しても引いてもびくともしないが、士道は振り返ってくれた。
「何よ?」
「なんで、俺に会いに来た?」
 士道は一瞬俺から目を逸らした。
「しばらく、会えなくなるからな」
「は? 謹慎終わればまた学校——
「学校には戻らねえ。とりあえずサッカーで一億……いやそれ以上稼いだら戻ってくる」
「いや意味わかんねえよ」
 しかし士道は、俺の手を払って改札を通ってしまった。その気になれば追いかけることはできるはずなのに、そこには士道と俺とを隔てる、改札とは別の境界線が敷かれているように感じた。
 ホームへと続く階段の手前で、士道は振り返った。
「一億稼いだら、ドミノなんかよりもっと面白えことをしてやる。楽しみにしとけよ!」

 それっきり、士道とは会っていない。
 謹慎期間を終えても士道は学校に戻って来なかった。そのまま退学したのかと思われたが、どうやら日本フットボール連合が計画した全く新しい選手育成プログラムに参加しているらしいということを、風の噂で耳にした。
 士道は、楽しみにしとけよと言った。
 でも、俺だってただ待つつもりはない。
 お前の瞳に、いつか俺だけが輝いて見えるように、俺は俺自身を磨いていく。そしてそれは、サッカーでなくともいい。