桜霞
2025-08-04 21:10:18
20719文字
Public 【RKRN】しのぶれど【雑夢】
 

【RKRN】しのぶれど【ZAT夢】10

※つどい設定があります。
※雑高要素が香るほどあります。
※モブがたくさん喋ります。
※捏造がたくさんあります。
※なんでも許せるひと向けです。
誤字脱字がありましたら、該当箇所のみ教えて頂けると、大変助かります。
よろしくお願いします。





 彼女は参っていた。
 久し振りに馬で半日以上駆けた。一日中馬に乗っていたのはもう十年ほど前である。そう言えば、上手に乗れるようになりたいと思ったのは、そうすれば父が連れて行ってくれない領地に自分の力で辿り着けるのではと幼心に思いついたからだったと、彼女は久方振りに思い出していた。
 尊奈門に追い立てられるがまま馬に飛び乗って駆けてみれば、里は拍子抜けするほどいつもの朝を迎えていた。里に残った方が良いのではとも思ったが、遠目に自分達を襲った落ち武者たちが山に逃げていくのを見て、狙いはやはり自分、ひいては自分の家なのだと確信した。里に戻ればまた奴等が襲ってくるかもしれない。里にはこどもも老人もいる。
 町に戻って兄を頼るか。城に行って父を頼るか。

 ───もし、既に領地が陥落していて、後は自分たちだけなのだとしたらどうしよう。

 領地は母が治めている。しかし母に戦の才はあるのか。主だった家臣が、どれほど領地に居るのか。
 何も分からぬまま、彼女は馬を走らせた。周りが見知らぬ景色だけになっても、若い頃に培った経験と記憶を頼りに木の実を食み、水を飲んで南を目指した。気付けば、太陽は西に傾いていた。久し振りの乗馬に血の巡りが追いつかず、足は悲鳴を上げて、気を抜けばがくがくと勝手に暴れ出しそうだった。
「もし、そこの方」
 森が途切れ、田畑が目立つようになる。彼女は農作業をしている老人に声をかけた。
「この辺りは古野辺ですか」
「へぇ……そうでございますが……
 老人はまじまじと彼女を見やった。
「その腕と足はどうなすったんで」
「え、?」
 老人の視線を追い、腕と足に視線を落とすと、そこには矢が刺さっていた。走っている途中にどこかの枝にひっかけたのか、太刀を受けた記憶の無い場所にも裂傷があり、血を流している。
 ぽかんとする彼女に、老人は困惑した様子だった。お名前はと聞かれて家名を名乗ると、更に怪訝そうな表情になる。
「ご子息の、ご新造さまか?」
「いえ、違います。仰っている子息というのは私の兄です」
「なに?」
 老人は怪訝そうな顔をした。彼女の言うことが正しければ、彼女はこの地を治める武家の息子の妹ということになる。だが───
……妹御は、幼い頃に身罷られた筈じゃが……
「、………………
 彼女は口を噤んだ。
……仕事中に、すみませんでした、ご老体」
「いんや……
 慣れた仕草で馬首を巡らせる彼女に、老人は呆気に取られるばかりだった。
「この辺りで戦の話はありますか」
「? いや、無いが……
「ようございました。では」
 腹を抑えられた馬が駆け出した。老体は目を見開いて慌てた。
「あ、ああ、あんたー! 怪我はいいんかねー!!」
 老体の視界に、彼女が片手を挙げた、ように見えた。すぐに木々の間に姿が消えて、見えなくなる。
 再び山道に戻った彼女は、元来た道を辿っていたはずが、少し休憩するために沢に寄ってから、自分がどちらから来たのか、分からなくなってしまった。
 参ったなぁ、と彼女は嘆息した。言葉に出してしまっては惨めになるからぎゅっと歯を食いしばって口を閉じた。沢で無理やり矢を抜いて、傷を洗う。よく見れば左右の手指の付け根も、手綱を強く握り過ぎていたのか、擦れて赤くなっていた。
 袴を、袖を、躊躇いなく引きちぎる。歯で割いて細くして、即席の包帯にしたそれで、腕を、足を縛り上げた。射られたことにも切ったことにも気付かないとは、本当にやきが回ったかもしれない。尊奈門は、彼女に追いつけるのだろうか。そもそも無事なのか。尊奈門が死んだら自分のせいだ。
 もう走りたがらない馬の手綱を引いて、山の頂上を目指しながら、はじめから尊奈門と戦っていれば良かったかしらと埒外なことが脳裏に過ぎる。彼女はすぐに頭を振って、妄想を打ち消した。
 彼女の実戦経験と言えば刃物を持ち出さない町の喧嘩が精々だ。殺し合いなんて遠くから眺めるだけで、知った気でいるだけ。長々と稽古していたからそれなりの腕になった薙刀や小太刀だって、その波長で使っていた棒術だって、昔のように動いただけで腕や足どころか体そのものの重さを感じる程だった。途中から尊奈門の足を引っ張っていたに違いない。
 誰も殺していないことに安堵しているくせ、自分が使い物になるなどと、思い上がりも甚だしい。尊奈門がいなければ、自分は間違いなく死んでいた。
 戦場が平気だった、いつか親と兄の目を盗んで足軽として戦に出ようなんて夢想していたあのときは、だって、失うものなんてなかったから。今となって殺される事を考えると、彼女の眼裏には、雑渡がいる。
 じくじくと、腕と足が痛む。息などとっくに切れている。肺も痛ければ心臓も痛い。怪我をしていない足の筋肉が固くなって、力の入れ方が分からなくなる。全身が鉛のようで、もう一歩だって歩きたくなかった。

 それでも。

 それでも、馬に乗れて良かった。幼い頃、山を走り回って良かった。いろんな大人たちのところに飛び込んでよかった。幼い頃に得た知識が、教えが、山の助けとして彼女を支えている。
 頂上に辿り着くと、もう日が沈もうとしていた。夜になる前に登りきれてよかったと一息ついて、しかしもちろん、周りには何も無い。どうしたものかと呆けていると、馬首が巡り、手綱を引かれて彼女はたたらを踏んだ。
「なに……、あ」
 馬の鼻面が地面を擽る。そこには確かに、人に踏み固められてできた道があった。周りの景色と同化して分かりにくくなっているが、確かに道がある。
 ぐい、と馬に手綱を引かれて、彼女は痛みを積極的に無視して馬について行った。少なくとも馬は道を外れるつもりはないらしく、順調に歩いてくれている。
 馬の知る何かを嗅ぎ取ったのだろうか。行く先に先程襲ってきた連中がいないことを願うばかりである。
「あれ?」
 びくっ、と肩が跳ねて、彼女はそれにも驚いた。視線を走らせると、草むらからこどもが顔を覗かせている。彼女は目を丸くさせた。どうしてこんな山の中にこどもが。
「あ!! 能須要号(のうしゅようごう)!?」
 びっくりした風情のこどもが草むらから姿を現し、馬は嬉しそうにこどもに駆け寄った。勢いに負けて、手綱が彼女の手から離れる。
 馬に懐かれるのを慣れた風情でいなしながら、こどもはこれまた慣れた手つきで手綱を取った。
「おまえ、元気だったのか? 急にいなくなるから、皆でほうぼう探したんだぞ!」
 薄い藍色の着物に、頭巾をしているこどもと馬が戯れるのを終始見つめているわけにも行かず、彼女は意を決して口を開いた。最悪、馬はここに置いていかなけばならないかもしれない。
「このこは、あなたの馬?」
「はい!! ずっと前に迷子になって、それから見つからなくなってたんです!!」
「そうですか……
「お姉さんは……って、すごいボロボロじゃないですか!!」
 彼女が気にしないでと言う間もなく、またどこからか「えっ」と声がする。ざふざふと音を立てて、こどもの顔が三つ、草むらから飛び出した。彼女がびっくりしていると、ふくよかなこどもが鼻をくゆらせ、「鉄錆のにおいがする」と言う。
「えっ、鉄錆って」
「もしかして、血? けが!?」
 眼鏡をかけたこどもが飛び出して、瞬く間に彼女の傍に駆け寄った。
「ほんとだ、お姉さん、けがしてる……!」
「こっち来て、座ってください!」
「あ、え、はい、」
 手を引かれて道の脇に生えている木の根に座ると、またざふざふと音を立ててこどもの顔が幾つも増えた。皆揃いの服を着て、頭巾をしている。彼女が瞠目していると、わらわらと姿を見せたこども達があっという間に彼女を囲んでしまった。
「傷を診ますから、動かないでくださいね」
「大丈夫ですよ、お姉さん」
「乱太郎は保健委員だから、傷のことには詳しいんです!」
「ほけんいいん」
 鸚鵡返しにする彼女を他所に、乱太郎と呼ばれた眼鏡の子供が彼女の即席で作った包帯を解き、傷の具合を見る。そして、丁寧に傷の周りの汚れを拭ってくれた。
「お姉さん、これ、どうしたんですか?」
「えーと……、」
 矢を射られたと言って分かるのだろうか。分からないからと言って、弓矢を見せてもいいものだろうか。幼気なこどもはきょとんとして彼女を見上げている。
「お姉さんはどっちの方から来たんですか?」
「ええと、あっち……北の方から」
「ずっと歩いてきたの? 足も汚れてるし」
「髪にも葉っぱが絡まってますよ!」
「あ、ありがとう……
「どういたしまして!」
「お姉さん、訳ありっすかぁ?」
 利発そうなこどもが、彼女を覗き込む。寸暇思案して、彼女は「そうなの」と素直に頷いた。
「えっ、そうなの」
「きりちゃん、何か分かって聞いたんじゃなかったの」
 乱太郎が苦笑する。きりちゃんと呼ばれたこどもは「ぜーんぜん!」あっけらかんと言ってのけた。あぁ、とこども達がずっこける。
「でも、お姉さん、どんな訳ありなの?」
「ええと……
 どう説明したものか。懸命に頭の中をさらって言葉を探すが、何にも出てこない。ようやく休めている四肢が重く、じんわりと痺れているのが殊更に主張する。
「お前達、寄ってたかって何をしてるんだ」
「あ!」
「土井先生!」
 こども達の声が揃う。土井先生と呼ばれた若い男性は、黒い装束に頭巾をしていた。傍に何人か、乱太郎達と同じ服を着たこども達を連れている。
「演習の途中だったろう」
「それが、団蔵が馬を見つけて」
「馬?」
「加藤村で育ててた馬です! ほら!」
 団蔵が馬の足に潜り込んで踵を上げさせて蹄を見せた。そこには加藤村で使う独特の蹄鉄があった。
「能須要号って言うんです」
 団蔵が誇らしげに言った名に、土井は眉を下げて苦笑した。
「なんだか頭の痛くなりそうな名前だな。それで?」
「そしたら、能須要号がお姉さんを連れてたんです」
「お姉さん?」
「お姉さん、怪我してるんです」
 乱太郎が彼女の患部を土井に見えるようにした。膝を折って腰をかがめ、傷を診た土井は、あくまでも気楽に聞いた。
「これは、どうされたんですか?」
「ええと……、矢を……襲われて……、夜明け前に……、逃げてきて……
 辿々しい言い方が、一層もどかしい。自分の口はこんなにも強張っていただろうか。
「それは、大変でしたね。この近くですか」
「いえ……原杉の方から」
「原杉!?」
 土井とこども達が素っ頓狂な声を上げる。
「それって、随分向こうの地名ですよね……?」
「随分向こうどころか…………しょうがない、立てますか」
「あ、はい」
 足の裏の感覚はほぼなくなっていたが、彼女は土井の手を取って立ち上がった。団蔵が手綱を引いて、「乗ってください!」と勧めてくれる。ありがとうと礼を言い、土井の膝を借りて、彼女は再び馬に跨った。
「今から、忍術学園にご案内します」
「にんじゅつ……えっ忍術?」
「はい」
 土井が爽やかに頷く。こども達も「僕たちそこに通ってるんです!」と朗らかなものである。
 忍術。忍の術。風の噂にそういう隠密を担う者がいるとは聞いていたし、城勤めになった兄の話す素振りからもなんとなく「表沙汰にできない仕事をする専門の者がいるのだろう」と察してはいたがしかし、こうもはっきり堂々と言われると、彼女はなんだか上手く理解できなかった。疲労が良い塩梅に混乱を鎮めてくれて、何も考えられない。
「せんせえ〜、ぼくもお馬さんに乗りたいです」
「しんべヱ、もうちょっとだ! 頑張りなさい」
「でもお腹が空いて、もう一歩も歩けないんですう」
 情けない声を上げる素直なこどもに、彼女は身を屈めた。
「しんべヱくん、前に乗る?」
「わあい!」
「こらっ! もう、すみません……
 頭を下げる土井の様子に、彼女はなんとなく土井の気苦労を察した。よいしょ、と土井が抱え上げ、彼女が腕を引っ張って、しんべヱはニコニコで彼女の前に座った。
「お姉さん、お腹減ってるでしょう? 食堂のおばちゃんのご飯は、とっても美味しいんですよ!」
「そこまでお世話になるわけには……
「いやいや、もう日も沈みますから。今夜は泊まっていってください」
「先生! 私、先に行って、新野先生を呼んできます!」
「よし、行っていいぞ、乱太郎」
「先生、ぼくも!」
「おれもっ!」
「ぼくもー!」
 乱太郎に続いて、何人かのこども達が一斉に走り出す。あっという間にその姿が見えなくなって、彼女は感心した。こどもというのは、どうしてこう、足の速い。
 気を付けてなー、と土井の声が遠く伸びていく。きゃらきゃらと、こどもたちはどこまでも伸びやかだ。
 忍術学園というところは、きっとよいところなのだろう。重たい体に、無垢な優しさがじんわり染み込んでゆく。
 忍術学園という看板の前で、彼女は馬から降りた。事務員と襟に縫い付けられている青年に「入門票にサインを!」と言われ、彼女は言われるがままに名を書いた。団蔵が馬を連れて厩舎の方へ行き、残りのこども達は夕飯の準備があるしお風呂の順番は早い者勝ちなのだと言って、走って行ってしまった。
 土井に連れられて、迎えにきてくれた乱太郎と共に、保健室だという部屋へ通される。白い装束を着て、赤い十字のある白頭巾をしている柔和な男が、「新野です」と彼女に挨拶した。
「矢を射られたとか」
「は、はい……
 新野はてきぱきと傷を診て、乱太郎と、他の生徒にあれこれと指示を出し、手際よく患部に薬を塗った。
「あと、反対の足にも傷がありますね」
「えっ」
 思わず声を上げる彼女に、新野は穏やかに笑みを深めた。一方、こども達は眦を吊り上げて声を荒らげる。
「お姉さん、怪我は隠さないでください!」
「ちゃんとしないと、そこからばい菌が入って、もっとひどいことになるんですよ!」
「ご、ごめんなさい」
 こどもの勢いに負けて、彼女は思わず謝った。新野はにこにこしながらあっという間に傷の処置をして、包帯を巻き、「これで良いでしょう」お疲れ様でした、と彼女を解放した。
「乱太郎くん、伏木蔵くん。善法寺くんが薬膳粥を作っているはずだから、手伝ってきてくれないか」
「はーい!」
 よいこの返事をして、乱太郎達が保健室を後にする。それをぼんやり見送った彼女に、新野は「さて」変わらぬ調子で話を続けた。
「矢は、ご自分で抜かれたので」
 だが、そこに含まれるものが、こども達に向けるそれとはかけ離れている。彼女は新野に向き直り、「はい」と頷いた。
「今、お持ちですかな?」
…………さあ……
「お預かりしましょう。患部からして毒が塗られていたわけではないようですが、念のため」
……
 彼女は静かに口を噤んだ。静かな瞳に、「これは手強そうだ」と新野は内心苦笑した。沈黙を破ったのは、思案する素振りを見せた彼女の方だった。
……お調べになりますか」
「その方が、あなたのためにもなりましょう」
……
 ややあって、彼女が嘆息する。信じてもよいものか分からぬ団体に拾われて、そしてそこに情報を手渡して良いものか、彼女には判断がつかなかったが、こどもたちの優しさが、彼女の心を傾けていた。たとえこの団体が己の利にならぬとて、それもまた天命である。彼女は新野に折れた矢を二本預けた。
 新野は矢を懐にサッとしまって、何事もなかったかのように彼女の前を辞した。入れ替わるようにして、膳と鍋を持った少年が「失礼します」と部屋に入ってきた。乱太郎と伏木蔵も一緒だ。
「初めまして。善法寺伊作と申します」
「遅ればせながら、猪名寺乱太郎です!」
「鶴町伏木蔵です〜」
 彼女も手を着いて名を名乗る。彼女のきちりとした所作に、乱太郎と伏木蔵は慌てて姿勢を正した。善法寺が人のいい笑みを浮かべ、中央に鍋を置く。
「こちらは、薬草を煮た薬膳粥です。美味しいですよ」
 私たちもここでいただきます、と善法寺が鍋からお椀に粥をよそった。
「ありがとう。いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
 暖かいお椀を持って、ふと、そう言えば、朝からまともに食べていないのだと思い出す。小腹が空いたらそのあたりの木の実を噛んでごまかし、沢の水で喉を潤したのは日が高かった頃だ。
 屋敷で食事を拵えていたのが遠い昔のようである。虚脱感を覚えながら、匙を持ち、粥を掬う。口に含むとすぐにとろけて、薬味の苦さに、塩がよく効いて、仄かに甘く、食べやすい。
……おいしい」
 彼女が、どこか息をつきながら言ったそれに、乱太郎と伏木蔵は嬉しそうに見交わして、善法寺は彼女がまだ何か食べる気力のあることに安堵した。
 少年たちはおかわりしたが、彼女は疲労が勝ったからか、ゆっくりとお椀を空にすると、ごちそうさまでしたと少年たちと一緒に手を合わせた。
「この後、山本シナ先生という女性の先生がいらっしゃいます。体をお湯で清潔にして、それから今日はあそこの畳でお休みください」
「何から何まで、すみません」
「いいんです。ゆっくり休んでくださいね」
 微笑む善法寺に、体が自然と力を抜く。少年たちを見送って、彼女はくたりと姿勢を崩した。いつもは楽に保てる姿勢が言うことを聞かず、芯からぐにゃりと頽れていく。手も足も限界を越えていた。気を抜くと視界もぐらりと揺れて、傾いだ体を、皺の目立つ手が受け止めた。山本シナである。
「、……
「いいんですよ。何も仰らず。だいじょうぶ」
 やわらかい、年嵩の声が、穏やかに彼女の耳朶に触れる。
「ここに、あなたの敵はおりません」
 視界が滲む。吐息がちいさく戦慄くくちびるから零れ落ちる。

 ───ははうえ……

 ……彼女の意識は、そこで途切れた。





 ◆     ◆     ◆





 職員室では、忍術学園の先生達が折れた矢を囲んでいた。矢羽根も解かれて、芯となっている棒には、誰ぞの名が記されている。
 原杉と言えばタソガレドキの領地である。タソガレドキ軍と忍術学園が園田村で対峙したのはほんの少し前だ。忍術学園と縁浅からぬ忍者隊を擁しているかの領地から、怪我をした娘が逃げてきたとあって、話を聞いた学園長はすぐにタソガレドキ領地付近で戦がないかどうか調べるよう、忍務を与えた。もし戦があれば、近隣の忍術学園を擁する土地も他人事ではいられないからだ。
 日が暮れてから忍術学園を出発したのは土井と山田伝蔵だった。理由は、土井の方に、タソガレドキ忍者隊と伝手があるからである。
「伝手って言ったって、私のは、尊奈門くんが果たし状を送り付けてくるだけですよ!?」
「じゃから、土井先生が行けば、その尊奈門くんの方からやって来てくれるじゃろ」
「私は釣餌か何かですか!!」
「これも学園のためじゃ。行ってきなさい」
「はい……
 そういうわけで、土井と山田は夜の森を危なげなく疾走していた。
「にしても、ホントに来るんですかねえ……
「さぁ……
 山田が少々困った風情で返す。正直、尊奈門がやって来るかは微妙だろうと山田は見ていた。怪我を負って逃れてきたおなごは、力強い眼差しとは裏腹に憔悴していた。遠目に見た立ち姿と艶のある髪から、武家の出と山田は推察していたが、新野は「探りを入れれば信用されなくなる」と判断し、正体についての言及を避けたという。新野の判断を受けて小松田の入門票を見れば、彼女は自分の家名の記載を避けていた。身分を明かして、利用されるのを避けるためだろうと推測された。
 新野に、自分を射った矢という、自分の素性に繋がる情報を明け渡したのは、怪我を手当された恩があるからなのか。
 そろそろタソガレドキの領地というところで、山田と土井は立ち止まった。
「じゃ、私は城下の方に」
「私は原杉の方に」
 別れようとして、「待て」と声のかかる。反射的に身構えた二人は、「ん?」というどこか気の抜けた声に、思わず瞬いた。
「あなた達は……
 音もなく、闇色に溶ける装束を纏った男が、2人の前に現れる。タソガレドキの忍だ、と二人は少しだけ構えを解いた。こんな領地の南端に、どうして忍がいるのか。やはり戦なのだろうかと、ふたりの思考が走る。
「山田先生に、土井先生ですか?」
……ん? その声は、もしや」
「私です。高坂陣内左衛門です」
 名乗りを上げて、忍が口元の覆いを外す。高坂の自然体に、二人も体を楽にした。尊奈門が釣れるとは思っていなかったが、まさか高坂に出くわすとも思っていなかった。
「こんなところで、何をされていらっしゃるんですか?」
「ん。いやまあ、ちょっと……
「ちょっと。と、申しますと」
 山田が土井に目配せする。土井は小さく首肯して、「実は、かくかくしかじかでね」誰ぞに襲われたおなごがこちらの方から逃げてきたというので、戦や、たちの悪い野党でもいるのかと様子を見に来たのだと端的に話した。
「というわけで、ちょーっとお邪魔しようと……だめですか?」
……だめです。が、ご心配なく。この辺りで戦はありませんし、野党の類は、先日すべて捕らえました」
「ほう?」
 山田が片眉を上げる。嘘か否か計られていることを敏感に察しながら、高坂は「本当です」と念を押した。
「情報を渡した代わりと言ってはなんですが、忍術学園で保護しているというおなごの名前をお伺いしても」
 高坂の提案に、どうしますか、と土井が山田の反応を伺う。山田が教えても良いというような素振りをしたので、土井は日暮れに出会った女性の名を告げた。
………………そうですか」
 高坂の反応は何も無いに等しかった。忍を生業としている者故の静けさが、今はいっそ不気味である。彼女の敵か味方か、二人は咄嗟に測りかねた。
……実は、私もその名のおなごを探しているのです」
「そりゃまた奇遇な」
「どうしてそのひとを探してるんです?」
……由は申せません。ですが、大事なひとなのです」
 山田が眉を上げて目を丸くした。高坂の口から、噛み締めるように紡がれた「大事なひと」という響きに、思わず顔を見合わせる。
「あー……じゃあ、うちにいるのがその人かどうか、確かめに来ます?」
「宜しいのですか」
「私達も、調査のついでに彼女の素性を軽く調べるつもりでしたから。高坂さんのおかげで、楽ができましたし」
 うむ、と山田も頷いたので、高坂は「お供させて頂きます」と生真面目に言った。
 山田が先行し、高坂を間に挟んで土井が追随した。共に山間を駆け抜けながら、高坂は山田の姿勢の無駄のなさ、衰えぬどころか少しも乱れぬ息に、ひそかに驚嘆した。山本や押都にも同様の驚きを抱いたことはあるが、山田のそれは小頭以上に粗雑なものが一切削ぎ落とされている。高坂は、隊の中で山田を追い抜けられる者を思い浮かべられなかった。
 夜も更けて、忍術学園は静まり返っていた。すべての灯りが落とされていたが、高坂はひとつだけ堀の外にある長屋を気にせずにはいられなかった。もし山田や土井と一緒に居なかったら、すぐに自分の侵入には気付かれていたかもしれない。
 園田村の一件以降、土井に勝負をしかけて負ける尊奈門を迎えに、忍術学園の保健室を何度か訪ったことはあるが、昼と夜ではやはり少し気配が違う。山田は学園長に報告に行き、土井が高坂を保健室に案内した。保健室には桃色の装束を着た、見た目は老齢のくノ一がいた。山本シナである。目礼した高坂に、シナは泰然と場所を譲った。暗闇の中、窓の格子から差し込む月明かりを頼りに、畳に寝かせられたひとの顔を覗き込む。
 すこしだけ眉間に皺を寄せ、寝苦しそうにしながら、彼女が横たわっていた。胸の辺りが規則的に上下している。息をしていることを理解して、生きているのだと、ようやく実感が湧く。
「───っ、」
 溢れかえる安堵を、高坂は堪えきれなかった。
 生きていた。無事だった。そうと分かっていたし、そう信じていた。
 けれども、万が一がある。
……御礼の申し上げようもございません」
「じゃあ、このひとが?」
「はい。私の探していたひとです」
 シナに促されて、一同は部屋の外に出た。
「傷に毒があったわけではないのだけれど、無理をされたのか、すこし熱が出ています。朝には下がると思いますよ。それ以外は特に大きな怪我はありません」
「そうですか……、ありがとうございます」
「ちなみに……、彼女はどういう……?」
 土井の問いに、高坂は少しだけ言いづらそうに瞼を伏せた。
「我が領内の一部を治める武家の姫君です」
「ああ、そうなんですか。なるほど……
 道理で馬に跨る姿が様になるというもの。得心する土井に、高坂は申し訳なさそうに言葉を続けた。
「本来であれば、土井殿をはじめ、学園長の大川平次渦正さまにご挨拶差し上げねばならぬのでしょうが……
「構いませんよ。学園長には、私から申し伝えておきます」
 シナが穏やかに請け負う。高坂はかたじけないと頭を下げた。
「では、私は一度失礼します」
「はい。お気を付けて」
 高坂が音もなく跳躍し、瞬きするごとに遠くなっていく。昼頃にはまたタソガレドキから連絡が入るだろう。もしかすると潰れるかもしれない授業に、土井は胃痛の気配を察した。



 は、と彼女は息を呑んだ。
 目を開けると、見知らぬ天井が飛び込んでくる。軽くなった脳みそと体に、瞬きして起き上がると、額からぽとりと手拭いが落ちた。
……?」
「おはようございます」
 反射的に声のした方を見遣ると、「山本シナでございます」どこか聞き覚えのある声が名を名乗った。気配の無いことに驚きながら彼女も名を告げると、シナは笑みを深めて、彼女から手拭いを受け取った。
「お気を失われてから、お熱を出されておいででした。ご気分はいかがですか」
……だいぶ……よく……
「それはようございました」
 シナが手を伸ばす。彼女が瞬いていると、皺の刻まれた手が彼女の額に触れた。静かに固まる彼女に、シナは「熱は下がったようですね」と穏やかに言った。
「ですが、下手に動けばまたぶり返しましょう。今日一日は、こちらでお過ごしください」
「あ……でも、ご迷惑では……
「いいえ。困ったときは、お互い様です」
 手拭いと盥を持って、シナが障子を閉める。
 ひとり残された彼女は、何をすることもできず、自分の体を見下ろした。いつの間にか、着心地の良い単衣に着替えている。体もどこかすっきりとして、意識を失う前の不快感が嘘のようだった。
 彼女は自分の額に手を置いた。熱っぽさは感じない。体も軽いし、動けなくはないだろう。シナは休むように言っていたが、じっとしていられる程の情報は、彼女にはなかった。言葉は悪いが、得体の知れない組織にこれ以上借りを作るのも居心地が悪い。
 忍術学園の忍者はどの程度までできるのか。彼女の身分と因縁を、どこまで知っているのか。彼女の親戚がどうなっているかも調べがついたのだろうか。
 次にシナが訪れた時に、ここがどこに位置するのか聞こう。それが難しいなら、近くの宿場までの道を聞こう。街道に出れば城下に戻れる。女ひとりであれば、状況は掴みやすい。衣服を調達して、昼にはここを発つべきだ。ひとりでも、生きる方法はある。
 ……彼女の因縁から雑渡を守る方法を、彼女はこれしか知らないのだ。
 自分の衣服がどこにあるかから突き止めた方が良いだろうかと、立ち上がりかけた彼女を制すかのように、朝食を持った伊作が、くノ一のたまご、略してくノたまのシゲを連れて保健室を訪れた。
「おはようございます。ご気分はいかがですか?」
「おかげさまで、すっかり良くなりました」
「良かった。こちら朝ごはんです。昨日とほとんど同じなんですけど……
 申し訳なさそうに言う伊作に、彼女はありがたく頂きますと頭を下げた。
 照れくさそうにしていた伊作は、気を取り直すようにシゲを紹介した。
「大川シゲと申しましゅ」
 一際丁寧な所作で一礼した少女は、勿体ぶるようにしずしずと着物を差し出した。
「手前勝手ではございましゅが、お直しさせていただきました」
 かしこまる少女に瞬きながら、彼女は着物を受け取った。確かに、包帯にするために千切って裂いた部分がきちんと繕い直されている。
「これは……、お手数をお掛けしました。ありがとうございます」
「とんでもございません」
 では私はこれで、とおシゲが平身のまま保健室を出て行く。どこかポカンとする彼女に、伊作は苦笑した。
「朝食の後で、学園長がお会いしたいそうです」
……がくえんちょう?」
「はい。この忍術学園の、学園長です」
 食べ終わる頃にお呼びしますね、と伊作も保健室を後にする。
 彼女は少しの間呆けていたが、ひとまず置いていかれた朝食に手をつけた。昨日と同じ、優しい味がする。漬物のしょっぱさがいい塩梅に口の中を引き締めた。彼女は急いで膳を平らげて、掛布にされていた着物を畳んだ。繕い直されたついでに汚れも落としてもらったらしい着物に袖を通す。単をたたんで畳の隅に置いて、彼女は膳を前に畳を降りてきちんと正座した。
 程なくして、失礼しますと伊作の声がして、戸が開けられる。すっと身を引いて跪いた伊作の影から、ひょこりと白髪の老体が姿を見せた。
「失礼いたしますぞ」
 彼女は、す、と指を着いて一礼した。頭を下げたまま、老体の移動に合わせて膝を滑らせ、向かい合うようにする。
「どうぞ、顔をお上げなされ」
 さらに頭を低くして、彼女は静かに顔を上げた。
「お初にお目にかかる。大川平次渦正と申します。この忍術学園で、学園長を務めております」
 受けて、彼女も名乗りを上げた。再び一礼した彼女に、そう畏まらずとも、と大川が手を振った。
「ところで、お怪我の具合はいかがかな」
「はい。おかげさまで、もう動くに支障はございません」
……だそうじゃが……
「そんなはずはありません! 矢傷を負って、熱まで出たんですよ。もう二、三日は安静にしていただかないと」
 猛反発する伊作に、彼女は思わず面食らった。しかし、このまま押し切られては伊作の言う通り、もう数日、忍術学園の世話になってしまう。
「ですが、必要な手当はしていただきました。じゅうぶんでございます」
「そうは言ってものう。その足では、追手からも逃れられまい」
 追手。彼女は体を少しだけ強張らせた。明け方に屋敷を襲った者達に居場所がばれたのだろうか。昨日一日、後を追われる気配はなかったが。
……もしや、私を匿ったせいで、皆様方にご迷惑を」
「そういうわけではないのじゃがな」
 く、と眉を寄せる彼女に、学園長は変わらぬ調子で続けた。
「あなたさまを襲ったのは、我らと同じような装束を着た、忍の集団ではございませぬか?」
……?」
 老体の意図が読めず、彼女は少しだけ小首を傾げた。
「いえ。落武者の……野盗の類であったかと。皆様のような装束を着た者には、今までに相見えたことはございません」
「左様ですか。ならば良いのです」
 どっこいしょ、と老体が立ち上がる。
「そこな保健委員長の言うとおり、もうしばしゆるりとしていかれるが宜しい。昼も過ぎれば、迎えが来るじゃろう」
「迎え……?」
 兄だろうか。しかし、確認する前に、学園長は保健室を出て行ってしまった。ずい、と伊作が彼女に身を寄せる。
「さあ、畳に戻っていただきましょう」
「、ですが」
「正座もしない! 足を痛めているんですよ! 包帯で簀巻きにされたいんですか!」
 顔を大きくした伊作が彼女に迫る。彼女は瞬いて畳に戻り、足を投げ出して座った。
 宜しい、と伊作が頷く。サッと足の様子を見て、傷が開いていないことを確認し、伊作は掛布を彼女の足にかけた。
「団蔵や、は組の皆も心配していましたから」
「は組……
「昨日、あなたと一緒に学園に帰ってきたよいこ達です」
「あぁ」
 微笑んだ伊作が、ちょっと待っていてくださいね、と腰を上げた。
「勝手に出て行ってはダメですよ! 松葉杖がなきゃ、歩いちゃダメですからね!」
 伊作の指示が、少しずつ遠くなっていく。保健委員長の姿が完全に見えなくなって、彼女は肺が空になるまで息を吐いた。



 太陽が西に傾き始めた頃、大川平次渦正の庵に宵闇に紛れる忍装束を纏った者達が降り立った。誰ぞが声をかける前に、庵の中から「お入りなさい」と嗄れた声がかかる。
「失礼いたします」
 雑渡が声を上げ、山本が障子を引いた。
「突然の訪問、お許しいただきたく」
「よいよい。楽にせい」
 拳をついて平伏していた雑渡と山本は顔を上げた。二人の後方に控え、一人濡れ縁で待機している高坂は、障子の向こうに座して待機の姿勢を取った。
「雑渡昆奈門と申します。大川平次渦正さまにおかれましては」
「そう畏まらずともよい。お主らが来た訳は分かっておる」
「は……
 顎を引く雑渡に、学園長は穏やかに言葉を続けた。
「タソガレドキ領内で、何やら揉め事があったようじゃのう」
「はい。以前、我らが敵勢力に調略された元家臣が、調略先でも思うように行かなかったらしく、逆恨みで別の家臣の子息を狙って、夜襲を仕掛けまして」
「なるほどのう。それであの姫君は、手傷を負って逃げてきたのか」
「は。我らが主君、黄昏甚兵衛の重用する家臣の一人娘故、直々に探索の命を受けておりましたところ、昨夜配下の者がそちらの土井殿と山田殿にお会いし、事の仔細を伺ったと聞いております」
「うむ。わしとしても聞いた話に相違はない。が、しかし」
「はい」
 老体の双眸が、雑渡を捕らえる。
「黄昏甚兵衛殿直々のご命令にしては、昨日土井先生と山田先生が会ったのは高坂という忍一人のみ。いかにタソガレドキ領が広大にしても、随分と手間取ったようじゃのう?」
 暗に、どうしてもっと騒ぎになっていないのか、どうして迎えに来るのが忍なのか、裏に何か別の理由の一つや二つあるだろうと突かれて、高坂は静かに拳を握りしめ、山本は奥の歯を噛んだ。
「情けのない話です。事が済めば、今一度、私も含め、鍛え直さねばなりますまい」
 雑渡が調子を崩さずに返す。
 ややあって、老体は、微かに笑った。
「左様であるか。では引き留めはすまい。姫君は保健室におられる」
「忝く存じます」
 一礼して、雑渡が学園長の前を辞した。山本と高坂も後に続く。三人の前を、忍犬であるヘムヘムが先導した。保健室という看板が遠目にも見えるようになってくると、きゃらきゃらと、よいこ達の楽しそうな声が聞こえてくる。
「お姉さん、それでそれで?」
「その、悪どい真似してた商人はどうなったんすか?」
「そりゃあもちろん、お裁きを受けたわよ」
 聞き慣れた声の、聞き慣れぬ調子を聞いて、雑渡達は思わず足を止めた。
「お城のお役所に呼ばれて、自分はいつもの取引だとか、何か特別褒められることがあるんだと思って行ったら、ぜーんぶお取り潰しの御沙汰」
 ウェ〜、と、は組が揃って嫌そうな声を上げた。
「まっ、自業自得っしょ」
「きりちゃん、儲けに負けて、同じようなことしないでよ?」
「うーん、どうかなあ」
「きり丸!!」
 土井が肩を怒らせる。きり丸がごめんちゃーい! と言ってピャッと彼女の影に隠れた。
「きり丸くんは、お商売が好きなの?」
「商売っつーか、儲けと銭が好きっす!」
「お商売なら、しんべヱの家だよね!」
「うん! 僕の家、堺ではちょっと有名な福富屋なの」
「あとは団蔵と、庄左衛門!」
「僕の家は馬借で、」
「僕の家は炭を売ってるんです」
「はいはい! 僕の家は染物屋!」
「まあ……いろんなお家の子がいらっしゃるんですねえ……
 勢いに押されがちの彼女は、しかしどこか楽しそうだった。その笑顔を見て、昨日の憔悴した表情を思い出し、土井はこども達には分からないように、ホッと胸を撫で下ろした。
「お姉さんは? どんな家なの?」
「うん? そうねえ……なんと言ったらいいか……
 頬に指を添え、彼女が思案する素振りを見せる。
「皆が悪いことしてないか、特に年貢とかで。見張るお仕事。かな?」
 分かっているんだか分かっていないんだか、「へえーっ」とこども達が声を揃える。
「なんだかむずかしそ〜っ」
「でも、先程のお話は、まるで忍の仕事のようでした。いろんなところに潜入し、証拠などを取り押さえる……あっ、もしかして、お姉さんの正体はくノ一なんですか?」
 庄左衛門の問いに、彼女は目を瞬かせ、土井はがっくし肩を落とした。くノ一が真正面から正体を問われて素直に話す筈が無かろうなのだ。
「そうねえ、その話、昔は本当によくされたんだけど、でも違うの。そんなに忍者っぽい?」
「ぽいです。すごく!」
 うんうん、と、は組が頷く。ああ、と土井は派手にずっこけた。ぽいだけで忍をやれるなら、本職はこんなに苦労しない。
「でも、皆から忍者の話を聞いて、私、いろいろ思うところがあるの。『もしかしてあの時のあれって、忍者みたいな人に仕組まれてたのかな?』って」
「ええ?」
「それ、どういうことですか?」
 彼女が更に話を続けようとしたちょうどそのとき、とん、と保健室の戸が叩かれた。水を打ったように、しん、とする空気の中、山本が保健室の戸を開ける。あ、と誰かが声を上げた。
「雑渡さん! もう到着されてたんですね」
 それまで彼女とこども達のやり取りを聞くともなしに聞きながら調薬や包帯巻きをしていた伊作がパッと身を起こし、雑渡に駆け寄った。
「や、伊作くん。暫くだね」
「はい! それにしても、流石は高坂さん。土井先生からは、昨日の深夜にここを発たれたとお聞きしたので、雑渡さん達が来られるのには、もう少し時間がかかると思っていたのですが……
「うるさいのは置いてきたからな」
 高坂の言葉に、あ、と土井は目を瞬かせた。いつも自分を見つけては何を差し置いても怒鳴り込んで勝負を仕掛けにくる尊奈門がいないのだ。尊奈門をうるさいのと形容した高坂に、学園が苦笑する。
 失礼する、と雑渡を筆頭に、タソガレドキ忍者達が保健室へ入った。彼女にまとわりついていたは組のよいこ達も、彼女を見て、首を傾げ、土井に促されてきちんと正座する。雑渡達が彼女の前に座したのを受けて、彼女の表情から朗らかな笑みが今度こそ消えた。きちりと座した彼女に、雑渡を筆頭に、山本達が平伏する。
「御身のご無事をお慶び申し上げます。此度は、父君の命でお迎えに馳せ参じました、タソガレドキ忍軍組頭、雑渡昆奈門にございます」
 彼女が小さく目を眇めたのに、土井は目敏く気がついた。彼女の雰囲気が固くなったことを、こども達は敏感に察した。
「これに控えるは、黄昏甚兵衛様配下、私の手の者にて。道中、側近くで護衛の任に就かせて頂きます」
 雑渡が更に頭を低くする。雑渡達の見たこともない儀礼に、こども達は唖然として、自然と彼女の方を見やった。しばらく雑渡達を見つめ、押し黙っていた彼女が、きゅ、と口を引き結ぶ。
 そして。
「お断りします」
 明朗な声が鳴り響いた。こども達は「えっ、」と声を上げて、土井も思わず身を乗り出した。
「で、ですが、こちらはタソガレドキの……
「間者だか忍者だか、そういうものがタソガレドキにあるとは知りません」
 姿勢正しくはっきりと言う彼女に、何故だか土井がたじろいでしまう。
「知りませんと……申されましても……
「道は覚えていますので、ひとりで帰れます」
 彼女はきっぱり言い切った。高坂と、よいこ達が、「ええ……、」と戸惑いを露わにする。土井は何故か尚も彼女に苦言を呈した。
「しかし、おなごひとりでの山越えは、いささか」
「どうせ父のことです」今度こそ、彼女の声が土井を遮った。「家中のひとりも寄越さぬとあれば、私は既に死んだ身にでもなっているのでしょう。実が伴うかどうかの話でございます故、大したことはございませぬ」
「いや、大したことでしょうよ」
 思わず素で突っ込んでしまう土井。素知らぬふりで、彼女は「でも、そうですね」と独りごちた。
「強いて心残りを申し上げるならば、最後まで私を庇って逃がしてくれた尊奈門が無事かどうかだけでも確かめたいところ」
 ええ、と学園が三度驚いた。彼女の表情は変わらず、雑渡もまた微動だにせず、しかし山本はとうとう頭を抱えた。そう来たか、と口の覆いの下が動いたのを、土井は見た。
「おそれながら」
 高坂が、ずい、と膝を進める。山本が止める間も無く、高坂は口の覆いを外して身を乗り出した。
「尊奈門は、今し方仰せの由にて、負傷しております。ですから、置いてきました」
「誰ですか」
「はっ?」
「間者だの忍者だのは知らぬと申し上げました」
 怜悧な双眸が高坂を差し貫く。高坂は胸の裡、奥深くがずぐりと音を立てたのを聞いた。雑渡の命があったとは言え、正体を隠して彼女を十年近く騙し続けていた罪悪が、双肩に、ひどく重く、のしかかる。
 高坂に向けられた彼女の視線を、大きな背中が遮った。雑渡である。
「これなるは、高坂陣内左衛門にございます。こちらは、山本陣内と申します」
 雑渡の声はひどく淡々としていた。こども達などは、自然と寄り添いあって、土井の影に隠れるようにしている。しかし、彼女とて負けず劣らず、目元に険を宿らせている。
 両者譲らぬ睨み合いに、誰もが足を竦ませた。土井でさえ、いつ割り込んだものかうっかり迷ってしまって、踏ん切りがつかなくなってしまった。
 いつまでも続くかと思った険悪な雰囲気は、直後、すぱあんと音を立てて開かれた戸によって霧散した。
「姉上!! ご無事ですか!!」
 あら、と彼女が声を上げて雑渡から視線を外す。彼女の姿を見とめて、ぱあっと表情を明るくさせた尊奈門は、よいこ達を掻き分けて、当たり前のように雑渡の隣より少し近く、彼女の傍に寄って、嬉しそうに破顔した。しかし彼女は容赦がなかった。
「誰ですか」
「えっ!? ほ、ほら私ですよ、諸泉尊奈門です!! あっ、ほら!!」
 慌てて、口元の覆いを外す尊奈門。
「ねっ、尊奈門でしょう! 必ず追い付くとお約束しましたから、こうして罷り越しました!」
「何を白々しい」彼女は飄々と言った。「私の知る尊奈門はそのような装束など着ません」
「ええっ!? あ、姉上、そのように意地の悪いことを仰らないでください!!」
「意地の悪いのは果たしてどちらです? 私の弟分の名を騙(かた)るとあらば」
「騙るなどと!! 私は正真正銘、諸泉尊奈門です!!」
 勢いよく、頭巾まで全部取り払う尊奈門。彼女は、ちょっとだけ宙を見つめ、思案する素振りを見せた。
「小さい時に、椿を摘んできて高坂殿にしこたま怒られて私のお団子で機嫌を直した尊奈門ですか?」
「うっ!?」
 雑渡と彼女の睨み合いに怯えていた雰囲気が打って変わり、よいこ達が、「ほう?」と尊奈門を見やる。自分に狙いを定められた気配を反射的に感じ取った尊奈門がこども達に威嚇する間も無く、彼女が言葉を続けた。
「小さい頃は私に諸泉殿と呼ばれ、城に務めるようになってから何があったか尊奈門と呼んでくださいと必死になっていた尊奈門?」
「ああもう、その尊奈門です!! 認めます、認めますから、いい加減ご機嫌を直してください姉上!!」
 これ以上意固地になっていては自分でも覚えていないような幼少の頃を詳らかにされてしまう。羞恥から慌ててがなった尊奈門に、彼女はどこか、スン、と気の抜けた顔をして嘆息した。
「宜しい。怪我は?」
「治りました」
 尊奈門は偉そうにふんぞり返った。すかさず、「えいっ」と彼女が手刀を叩き込む。
「だっ!?」
 視界に星を散らす尊奈門に、彼女は呆れ果てた風情で言った。
「まだ治っていないじゃないの」
「姉上……! わ、わかりました、帰ったら、帰ったらちゃんと……
「そんな言葉で」
「私達から逃れられると思ってるんですか?」
「諸泉さん、確保ーっ!!」
「わぁーっ!?」
 伊作の号令で、どわちゃ、とよいこ達にのしかかられて捕まる尊奈門。あっという間に彼女達から離れた部屋の対角に連れて行かれ、衝立が尊奈門を隠し、「さア大人しくしてくださいね」「あっちょやめア゛いだ!!」後は痛そうな呻き声と、テキパキと指示する伊作、そしてそれに素直に従う乱太郎と、その手伝いをするは組の声しか聞こえなくなった。
「あいつ……勝手について来たのか……
 山本が溜息混じりに独りごちる。彼女は丁寧に三つ指をついた。
「うちの尊奈門がいつもご迷惑をおかけしております」
「えっ? あぁ、それほどでもあります」
「山本小頭!?」
 ひどい、と嘆く尊奈門は、やはりすぐに衝立の向こうに消えてゆく。わちゃわちゃする尊奈門とよいこ達に目元の険を霧散させた彼女が、土井に向き直った。
「尊奈門の無事も分かったことですし、忍を寄越せる程度には城下も落ち着いている様子。尊奈門の手当てが終わり次第、お暇させていただきます」
「、あ、ハイ」
「尊奈門ともども、ありがとうございました。また後日、お礼に伺わせて頂きます」
 きちりと一礼されて、土井は目を瞬かせながら、「お構いなく……?」と恐々返した。少々外れた返事に、彼女が小さく、気の抜けた笑みを見せる。流麗なそれが綻ぶ瞬間を目に止めて、土井はうっかり固まってしまった。
 きり丸がしらけた半眼で土井を見ているうちに、彼女はこども達にもきちんと一礼した。
「は組のみなさん、特に団蔵くんのおかげで、危ないところを助かりました。本当に、ありがとうございました」
「こちらこそ、貴重なお話をありがとうございました」
 庄左衛門がきちりと礼を返す。その後ろで、団蔵も手をつきながら笑った。
「こちらこそ、能須要号をうちに返してくれて、ありがとうございました!」
 団蔵の言葉に、彼女は仄かに優しく微笑んだ。
 しばらくして、ようやく伊作を初めとした保健委員会に解放された尊奈門と雑渡達を連れて、彼女は忍術学園の門を潜った。
「此度は、誠にお世話になりました」
 彼女に倣って、雑渡達も一礼する。見送りに立った学園長が、ゆるりと彼女を制した。
「これはまたご丁寧に。しかしまずは、しっかり休まれるが肝要と存じますぞ」
「はい。ありがとうございます。それでは、また」
 尊奈門が手綱を引いてきた馬に、彼女が危なげなくひらりと跨った。怪我をしているとは思わせない所作である。
 山本が先頭に立って、尊奈門が手綱を引き、雑渡と高坂は森の中に消えた。少し進んだところで学園を振り返れば、こども達が小さな体で精一杯大きく手を振っている。彼女も、こども達が見えなくなるまで手を振り返した。忍術学園が見えなくなったところで、山本が不意に口を開いた。
「尊奈門、後で組頭に叱られるぞ。待機するように言われていただろう」
「ング……、それなら高坂さんだって、休みを押して奥方さまを探していたじゃないですか」
「休みの間、どう過ごすかは高坂の勝手だろう」
「そんなぁ」
 尊奈門が頬を膨らませ、口をとがらせる。彼女は思わず口を挟んだ。
「どうか此度は尊奈門を叱らないでやってください。私のために無理をさせたのですから」
「良いのです、姉上。叱られるのは覚悟の上です」
 尊奈門が彼女を振り返り、にっ、と笑う。
「それより、聞いてください。組頭のお屋敷を襲った野党共を、私が全員捕まえたんですよ!」
 これを皮切りに、道中、彼女は初めて事の顛末を聞いた。
 目付の子息を、かつて調略されて寝返った家臣の一味が狙っていたこと。今は全員が縛についており、領地は改めて目付の家が管轄することになったこと。彼女の兄にも夜闇に刺客が放たれたが、怪我ひとつなく無事であり、今は念の為領地に帰っていること。
 ひとまず兄が無事であるということに、彼女は安堵で力を抜いた。そして同時に、領地で聞いた己の処遇を思い出す。

 ───妹御は、幼い頃に身罷られた筈……

 嫁に出れば、家を出たも同然。
 しかし、彼女にはもう、名実共に帰る場所は無い。
 どう伝えたものか、寧ろ彼等に伝えたものか、彼女は迷った。忍なれば、きっと、彼女や兄の知らぬことまで調べあげてしまうのだろう。その中に、もし実家の揺らぐような事実があったとすれば。彼女の告げるそれは、実家への背信行為への皮切りと同義なのではないか。もしそうなれば、兄は、領地に暮らす民草はどうなるのだろうか。
 ……彼女はゆるりと頭を振った。思考が飛躍しすぎている。自覚以上に、疲れているのかもしれない。彼女は手綱を掴み直した。
 屋敷までの道のりで、尊奈門と山本はかわるがわる彼女の様子を気遣ってくれた。折良く何度か小休止を挟み、日は暮れてしまったものの、彼女達は夜半を過ぎる前に、タソガレドキの忍の隠れ里に辿り着くことが出来た。
 彼女の最後の記憶では野盗に踏み荒らされて汚れていた屋敷は、何事も無かったかのように元通りになっていた。野盗に荒らされた痕跡などはどこにも残っておらず、まるでこの数日間だけがスコンと抜け落ちたような感覚がした。
「奥方さま」
「はい、」
 馬から降りるのを手伝って、山本がしっかりとした声音で言った。
「おかえりなさいませ」
……ただいま戻りました」
 夜闇にも分かりやすく、壮年の男の目元に皺が寄る。
「今日のところは、どうぞごゆっくりお休みください。また明日伺わせて頂きます」
 はい、と頷いて彼女は尊奈門に向き直った。
「尊奈門」
「、はい」
「ありがとう。あなたが居てくれなければ、私は死んでいました」
「───勿体ないお言葉です」
 跪いた尊奈門が、顔を上げてにっと笑う。
「それでは! おやすみなさい!」
「おやすみなさい」
 微笑んで頷き、彼女は屋敷の戸を閉めた。静寂が彼女を取り囲んでようやく、彼女は少しだけ長く息を吐き、肩の力を抜いた。そうして、ゆっくりと、後ろを振り返る。
……おかえり」
……
 見知らぬ姿をした、六年と少し連れ添った───その筈だと、彼女は思っている───男が、そこにいた。
「ただいま、戻りました」
 口にして初めて、彼女はこれがいつもとは逆だと気が付いた。彼女はいつも雑渡をおかえりなさいと出迎えていた。
 雑渡が、口を開きかける。
「今日のところは、」彼女の口が先走った。「休みます」
 山本の言葉を、彼女はそっくりそのまま繰り返した。
 雑渡は口を閉じ、顎を引いた。