河童の皿箱
2025-08-03 08:32:28
2385文字
Public 遊戯王:短め(2025年度)
 

人か否か

娑楽斎とデモンスミスが歩くだけ。

 普段後ろに撫で付ける髪は、珍しく下ろされている。肩に触れるか、触れないか。そんな程度の長さの髪は、晴れ渡る空のような色と、深く深くの海のような色に、まさしくそいつが住む街のような、やたら鮮やかな色がいくつも差されている。俺よりかは少しばかり小さい背だが、その派手な髪は人混みの中でも一際目立ち、まあ迷子になっても見つけるのは容易い。

「っと、わり。ちっと流されちまったな」

 こちらを僅か見上げる視線。折に共するあの暑苦しい絵のそれと違って、こちらの視線をいっさい通さないあのドギツイサングラスは今はない。コンタクトにしているらしく、やはり珍しく目が見える。けれど向こうはこちらを見ているわけで、目の色を窺えたことなど殆無い。
 じゃあ、それが外れている今、そいつの目の色がわかるかと思えば、そんなこともない。

「ほら、こっちだぜ」

 人と人の間をさっとすり抜けていくその男、なんてことない澄まし顔で街を闊歩しているけれど、ここは奴のテリトリーに他ならない。先行くそれを意識したようなファッションが、うじゃうじゃいる。なにせ、あいつはこの街の実質的な支配者のようなものだ。バレればあっという間に囲い込まれるだろう。そのための変装、というには飾り気のない着物の裾が、ちらりと揺れた。

「そうそう、こっちだ」

 先に行く。ついていく。裏路地に入る。ツンとした異臭が鼻をつく。けれど、表通りよりも歩きやすい。方々から受けていた好奇だか興味だか、気色の悪い視線がようやく振り切れて、胸のつかえが降りた。
 その男はまた、こちらを見上げる。下ろされた前髪の隙間から覗く、楽しげに細められた目に、存外長い睫毛が伏せられて、まあ、男にしては色気がある顔立ちをしていると思う。化粧の魔法かもしれないが。けれどやはり、目の色は窺えぬ。ただそこに写っているのは、そいつを見ているこっちの姿で。

 まるで、水を覗いているようだ。

「まだまだ先だ」

 そう微笑んで、男は軽い足取りで再び歩き出す。ひどく汚れた路地裏を、怯むことなく。
 ひっくり返ったゴミ箱に、野良猫と虫が集っている。暗い暗い隙間に干された生乾きの服とズボンが、ぬるい風に当てられて揺れる。切れた電線から、バチリと火花が散る。全ての道を熟知しているだろうに、こんなところ通るのは、やはり表を歩くのに辟易していたのがバレていたか。

「お前、テレポートだかしねぇのかよ。俺1人でも
「お前と歩くのが楽しんだろが。それにあれは緊急用でしかねぇよ、すげぇ疲れるし」

 くるり振り向けば、袖がはたりとゆらめいて。民族衣装の素朴な奇妙さが、そいつの輪郭をぼやかしている。肩をすくめて、下がる眉。けれど、やはり目の色は。

「疲れる?」
「そ、疲れる。後になって脳疲労が一気に来る。お前で言うなら魔力からっきしとか、そんな感じ。一応回復を早める薬はあるっちゃあるけど、俺もそこまでサイキックが得意ってわけじゃねぇしさ」

 他愛のない会話。それをするようになったのは、きっかけがあったわけじゃない。いや、あったとするならば、出会って距離を置く間も無く、あっという間に丸め込まれたから。
 思い返せば、一生の不覚だったと思う。ただでさえ、あの女悪魔に手を焼いていると言うのに。あれよあれよと流されて、いまではこうして出掛ける仲。今の今さえ、こっちの好みを掌握したそいつに連れられて、店に行く途中で。

「よく言うだろ? 魔法は万能じゃない。それと同じさ」

 またくるり。背を見せ、肩をすくめるその輪郭に、いつか見た背中が重なる。ツンと後ろに流した髪に、高く立ち上げた襟、幅広の裾が走り抜けるたびに大きく揺れ、建物の壁を難なく遡っていく。空間に色が広がるたびに、光が広がるたびに、上がる歓声と増して行く熱狂。あの妙なサングラスが視線を遮断して、黒い霧が世界を切り取って。そこにあるのは、こいつの描く世界。煌めく世界に圧倒され、呑み込まれ、頭の先から足の先まで支配される。熱狂し、絶叫し、共鳴し、溶け合ってひとつになる。

 あの、狂気の渦が。それを引き起こし、中心に立つこいつが、ただ超然と笑い続けているのが

そぉかよ」

 時に、勘違いしそうになる。こいつは悪魔なのではないかと。あれほどに人を扇動し、心を突き動かし、狂気に陥れるのは、悪魔の所業なのではないかと。本能が警鐘を鳴らし、首を掻っ切りたくなる衝動に駆られる。だが残念なことに、こいつは少しだけ不思議な力が使える人間に過ぎない。こっちが腕で思い切り押さえれば、それでもう抵抗できないぐらいの、人間。
 けれど、こいつが何かひとつの立場を表明すれば、少なくともこの街は、街の人々は、こいつの味方をするだろう。そして、だからこそこいつは、己に関するあらゆる情報を外に漏らさずに、ある種の中立を保ち続けている。何に流されることもなく。あらゆる場所と、あらゆる人に適応して。

「おっと、出口だな。ほら後少しだ。いこうぜ?」

 また振り向いて、そいつはこちらに手を差し伸べてくる。汚らしい路地裏の間には、それが作った世界に憧れた人々と、憧れを実現せんと動き続けた人々が作る発展途上の街が、額に入っている。額と捉えた瞬間、たおやかな目が、紅く、紅く染まって。

 喰われる。

 ぐ、と堪える。胸の奥から来た衝動を、息に乗せて思い切り吐き出す。馬鹿馬鹿しい。ただこっちの見た目の色に染まってるだけだ、こいつの目は。何者かなんて、とっくにわかり切っている。こいつは、ただの、頭抜けているだけの、浮世絵師だ。苛立ちに任せ、差し伸べられた手を力任せに払う。

「やる相手考えろバーカ」
「イッテェや、お前の言う通りだわ。癖だなこりゃあ、ハハッ」