河童の皿箱
2025-08-03 08:26:31
2209文字
Public 遊戯王:短め(2025年度)
 

時を潜る者

ある時空怪盗たちの話。

 時は物質ではない。けれど人は、時に関するいくつもの仮説を論理的に、或いは詩的に展開した。多層に重なり、流れゆき、追いすがっては、過ぎていく。目には見えぬ、形も持たぬそれを、人は様々に捉え、その命を連綿と繋いできた。
 けれど、人は時を目にするために、時を知るために、いくつもいくつもの物を作り上げた。回り巡りゆく星の力と、物の生み出す影の力。複雑怪奇に組み合う鉄の、カラクリの力。ガラスの壁が隔たる文字盤の上、くるくる回る針と針。その装置は人がいる場所であれば必ず設置され、また時が経てば、より懐に入れやすく、より持ち運びやすいように。
 けれど、時は不可逆であった。いつ何時も時は無慈悲に流れ行き、決して後戻りはできぬ。輝けしものが廃れようとも、あったはずのものがいつの間にか失われていようとも、どれだけの後悔を重ねようとも。
 チクタク、チクタクと刻まれし時の果て、とある科学者は人々の夢を叶え、世界を変える時計盤を作り上げた。

 時を操り、遡る技術。

 それは即ち、人生のやり直しをいくらでもできるようになったと同義。それは即ち、失われた歴史を取り戻せるようになったと同義。歴史の中から、ないはずのものを、なくなったものを取り出せるようになったのだ。人々はこの発明に沸き立った。未来は明るいと。
 だが実際にはどうだ。過去へ一歩踏み出し、気に食わない奴を歴史から抹殺し、自らのみが後世の知識を振り回し、あらゆる権力を手にできるともなれば。後の世では生存していないはずの人物を生存させたとしたら。
 あまりに強大な力に魅了され、過去に取り憑かれる者、数しれず。時計盤を手に入れるために、いくつものガラスが砕かれた。科学者は嘆いた。もとよりそのリスクはあった。だからこそ、科学者は協議を重ね、多くの規定を設けた。過去を変えてはならぬと。けれど人々は欲望に突き動かされ、科学者を裏切り、過去への干渉を始めてしまった。
 居るはずの人が居なくなった。あるはずのものがなくなった。世界は継ぎ接ぎの歴史によって成り立ち、けれどそれを当然と、知らん顔を見せる。過去にて虚ろな威光を振るう人々と、変容した未来に絶望する人々の溝は、とうとう埋まらなくなった。

 ――こんな未来にした元凶を殺せ。



 とあるビルの上。まだ学校に通い始めたばかりの少女がひとり、バケツとシャベルを抱えていた。まだ何もない屋上庭園の花壇にシャベルでちょこっと穴を開け、買ってきたばかりの苗を植えようと、せっせせっせと働いた。
 刹那、何処からともなく現れた、武装する人。厳重な鎧と、物々しい銃と。少女をぐるりと囲い込み、けれど少女もまた、目の前に集まれた現実が嘘ではないと、人々の口から吐き出されるものは怨嗟なのだと、理解してしまった。
 向けられるいくつもの銃口。少女は必死に逃げ場を探した。だが、その小さな体すら、隠れられる場所などなかった。

 銃口が火を吹く。少女の未来は、ここで終わ――



『どうか、私をよろしくね』



 ――一体何が起きたのか? 少女は空を飛んでいた。上は青空、下は遠い遠い地面。ビルの間を、飛んでいる。いや、翼が生えたわけではない。ひとりで飛んでいるわけでもないようで。
 「大丈夫かい?」。穏やかな声が、混乱する少女に語りかけた。少女がはっとして目を向ければ、そこにはいかにも紳士然とした、モノクルをかけた男が居た。「僕はリダン。君を助けに来た。説明は後で。君ならちゃんと理解できるから」。男は尚もビルの間を飛び続け、銃弾を避けては、吹き荒ぶ風にマントが翻る。不可思議な、まるで時計のような陣を空間へ敷けば、銃弾はそこでピタリと停止する。一体何が起きているのか? けれど少女は、男に縋った。どうか、どうかと。
 「ったく、おせぇんだよリダン。間一髪ってやつだ」。また別の男が空から降ってきては、その青く、長いマフラーを風にはためかせ、ともに空を駆ける。「ごめんね。でも、おかげでルートを確保できたから、それで良いにしてくれないかな?」。そうやって微笑むマントを羽織った男。対する男は人相が悪く、荒っぽい。ハァ、とため息ひとつついては、「シップに帰還するぞ」と。



 未来人の手によって殺されかけた少女は、未来人の手によって生存した。けれどその日、その時、少女の未来は変容した。未来の自分を名乗る科学者と、その友らによって。
 科学者は自らの過去へふたりを送り込む前に、ふたりの過去を変容させぬよう、ふたりの存在を定義した。産まれた日時を、重ねた年を、確かにある、ふたりの過去を。
 科学者の幼少期に、一緒にいるふたりの男たち。けれど科学者が大発明をした頃にも、変わらぬ姿のままで隣に居る。いとも容易く引き起こされるパラドクスは、確かな起源と、確かな存在定義によって、歴史の整合性が保たれる。彼らは時の連続性に干渉しない、例外であると。

 未来から来た人類は、皆口々に自らを『時を正すもの』と名乗る。
 けれど科学者たちは、自らを『時を潜る者』と定義した。流れ行く時に潜り、過去を取り出すものとして。

 彼らは抵抗しなくてはならない。無力な時分へ遡った脅威に。
 彼らは反論しなくてはならない。無知なる時代に嘯く預言者に。
 彼らは修理しなくてはならない。利己の意図に汚された時計盤を。