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月見
2025-08-03 00:34:50
3572文字
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惚れた其れではないはずだ(シャリエグ)
ザベ君の操縦技術に夢を見た胡乱と彼に甘い上司の話
シャリアがそれを聞きとめたのは偶然だった。
イオマグヌッソ事件後、様々な『事情』を鑑みられて隊長を任命された特務部隊。通常の指揮系統とは別に動く自分『たち』だが、使用する機体のドックは幾らか他から外れた場所とはいえ一般のジオン軍の共同ドックの一角にある。
シャリア自身の機体、MAたるキケロガは先の騒動で大破してしまっており、再建するかはまだ未定だ。するには、上もあれこれと調整しなければならないこと、そして単純な費用面でも課題が大きい。
故に今このドックに向かったところでシャリアの機体は無いのだが、脚を向けたのは自分のものではなく部下である青年の機体をふと、見たくなった、否、なんとなく気になったからだ。
さてそれは果たしてニュータイプとしての直感か、はたまた純然たる己の気分、気紛れによるものか。とりあえず今それはどうでも良い。シャリアはドックの入り口で中から聞こえる声に耳を傾ける。
やや粗野で、しかし人情味のある年嵩の整備士の声と、今日は休暇であるはずの、このドックに安置されている機体のパイロットたる青年、再び己の部下へと収まったエグザベ・オリベのものだ。
必要も申請も無いはずの休日出勤は勤勉さを褒めるより取るべき休暇を取っていない自己管理力の低さを咎めるべきか。そも、なんのために此処にいるのか。
シャリアは聴覚と『力』で以て彼らの応酬を拾う。最も、今の二人は耳で拾う音声と感応で拾う内心は一致しておりどちらで拾おうが情報量としては変わらなかったが。
「ふむ、ギャンの調整ですか」
幾らか聞いた後、シャリアはドック内に、彼らの元に足を進める。存在を示すように上げた声に応酬、というよりは言い合いに近かった二人はパッとそろって振り返った。
「っと、中佐、さては聞いてましたね、さっさと入ってきてくだせえよ人が悪い」
「中佐、あの、これは」
無精髭の整備士は手入れの行き届いていない癖毛をガリガリと掻きながら呆れた声を上げ、エグザベの方は無断出勤が褒められはしないことを分かっているのか気まずげに視線がうろついた。
そこへの𠮟責は後にし、シャリアは零れ聞いたそれに対する疑問を口にする。
「此れにはかなり貴方に合わせた調整が入っていると聞いていますが、それを更にどう変えたいのです? 先ほどから彼はかなり渋っているようですが」
そう、応酬もとい言い合いの中身は何やら自分の思う調整をかけて欲しいエグザベと、それを飲みたくない整備士の平行線だった。
この整備士はかなりのベテランで、そんな彼が難色を示すということはあまり一般的でない、あるいは危険な調整なのか。シャリアは仮面の奥で目を細める。
エグザベは素直で誠実で、有能な、善き若者でありシャリアにとって眩しいほどの光の存在だが、それはそれとして頑なで、シャリアの無法とはまた別の無茶をする人間でもある。
その無茶が、今回この整備士に向けられたのだろう。エグザベの無茶は本人のパイロットとしての優秀さに比例して主にMSに向けられることが多い。前回は多少かかるGが上がって構わないので瞬間的にでも今の三倍とは言わないが五割り増しで速度が出るように推進剤の出力を変えられないか、だったか。まあ一瞬、多少なら速度を極めるのも面白いか?と整備士たちが好奇心をくすぐられかけていたところを良い訳ないでしょう、貴方の機体データを投影したシミュレーターの数値を見ましたが既に限界値に等しいですと却下したのはシャリアだ。
なるほど、エグザベが休暇を潰して此処に来たのはシャリアの目を盗んで調整をかけるためか。
ちら、と視線を向ければ真っ直ぐに前を向くことが似合う菫の瞳はバツが悪そうに逸らされる。
「エグザベ少尉」
整備士に語らせることは容易いが、シャリアは敢えてエグザベの名を呼ぶ。本当に有用だと思うのであれば真っ当に正当に訴えなさい、と。後ろめたく隠さなければならないようなモノは必要ないでしょう、と。
深く心を読むことは無く、ただ躊躇いと、けれど話せば許可を貰えるかもしれないという淡い期待が滲む思惟だけが伝わってくるエグザベを見つめた。
「
……
はい、その、操縦系の感度をもう少し、というか限界まで上げられないかと思ったんです。既に相当上げてはいますが一応リミッターはかけている状態なので、それをもう全部外せないかな、と」
シャリアと、先ほど同じことを聞いただろう整備士の眉根が寄る。整備士は露骨に溜息を吐いた。
「そこまで上げたらミリ単位で動かしただけであらぬ方向にカッ飛んでいきかねねえですって。ただでさえ少尉のギャンは速度も感度も上げまくってとんでもなく緻密な制御と馬鹿の瞬発力の合わせ技とかいうピーキーさなんすよ」
「足りないのですか、今のものでも」
整備士の主張は正しい。エグザベの操縦技術は卓越したもので、サイコミュを使用しないマニュアル操縦の腕に限ってはシャリアをしても果たして可能かどうか。しかしそれとあらゆる制限を、人間が操縦するための安全装置を取り払うことを良しとするかは別だ。そこまでの調整をかけたがる理由を、シャリアは問う。
幾らから低い位置にある目を仮面越しにだが真っ直ぐに見やれば、エグザベはもう視線を逸らすことなくシャリアを見上げた。その眼差しから伝わる彼のひたむきな思惟が心地良い。
「基本的には問題ありません。ただ、あの日
……
ゼクノヴァの渦中での操縦は別でした」
エグザベは語りだす。整備士が居るために背景事情は幾分曖昧な言葉を選びつつ、あの『事件』の、シャリアと矛を交えた時の体験に基づく考えを組み立て訴えてくる。
「あの空間ではニュータイプの感応は最大になる、その言葉は事実でした。あの時は普段以上に良く見えた、空間の全てがより鮮明に把握できました」
だからこそ、と空間把握、戦闘時の危機察知に特別優れたニュータイプであるエグザベは言う。だからこそ、その見える全てに反応するとほんの微かに機体の方が遅れるのだ、と。
「本当に僅かです。それこそコンマ以下の、操縦には確かにほぼ影響ない程度の遅れで、ズレです。けれど感応が上がった状態ということはそのズレも酷く大きく感じられたんです。勿論実際には問題ない動きなのは分かっているので操縦内容自体は変わりません、気にしても動きには出ないようにはしました」
彼は自分がどれほどのことを言っているのか理解しているのだろうか。シャリアは若くしなやかな、才能ある青年のまるで大したことなどない、些末な悩みを語るような顔を見つめる。
「そうあることではないというのは分かりますが、今後もしまたゼクノヴァが起きるか、あるいは万が一僕のニュータイプとしての能力が向上したら、あの違和感は出来るなら無い方が良いと思いまして
……
」
いっそ通常時から、感応最大値でようやく感じられるズレすら無くすことが可能なレベルに機体の感度を上げて慣らせば、と、そう考えたという。
エグザベの理屈の詳細を聞いて整備士も、そしてシャリアも特大の溜息を吐くしかない。理屈は、理論は分かる、なるほど理想だ、と。そしてその理想は通常机上の空論というのだ、と。
駄目でしょうか。シャリアと整備士、二人を交互に見つめるエグザベの目はそう告げている。正直に、誠実に必死に、少しだけ不安そうに。
瞳の光は明るく真っ直ぐのまま、眉はへなりと八の字に下がって審判を待つその顔、赤茶の髪の合間からぺたりと伏せられた犬耳が見えた気がしたのは果たしてシャリアだけだろうか。
こそりと整備士に視線を向ければこちらも先ほどまでの難い姿勢が嘘のようにぐぅとたじろいでいるのだからどうやら自分だけではないらしい。
ゼクノヴァ、あるいはニュータイプの感応の拡大。それはきっと非常事態が紐づいてきて、その際に僅かな不安要素も残しておきたくない。もう取りこぼさないために、ちゃんと、守るために。
エグザベの心はそれで埋まっていた。掲げた無茶の根底はそんな切実で澄んだ想いで、信念。
嗚呼、全くもって君にはかなわない。
シャリアは内心で小さく白旗を上げながらこの稀なる──その能力ではなく心根が、光が、だ。存在の願いを、珍しい我が儘を、結局のところ叶えてやれる妥協案を探ることにした。
さて、基本的にはタブーのままのサイコミュをどうにかギャンに搭載させてエグザベの感知と同時に機体が動くようにするか、あるいは例えば制御系にギアを搭載して懸念の事態が起きた際にだけリミッターを外せるようにするか。
安全性、予算、各所への根回しに工作、あらゆる必要事項を案ごとに並べ立て天秤にかけながら、未だ返答の無いシャリアに不安と共に不満や困惑も滲ませ始めたエグザベに向けて口角を上げた。
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