芙容花にめぐすり(四信未満)

信一に目薬を点す四仔の話。(アデノウイルスで結膜炎がひどかったので、クソォーと思いながら信一にも結膜炎になってもらいました)
まだ四仔と信一がそんなに仲良くない頃を想定。


芙容花にめぐすり



 芙容の花びらが、ゆっくりと花開いていくような。
 そんな光景に、四仔は息を詰めながら集中した。
 滴下するしずく。
 それを受け止めるびっしりと生えそろった黒い睫毛。
 ああ……。いけ好かない奴だ、という最初の印象がいつまでも変わらなければよかったのに。
 
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「四仔……!」
 と言って診療所の扉を開いてみせた男の顔に、四仔は少なからず驚いて「龍兄貴……」とその名を呼んだ。
 まだ彼らを深く知らなかった頃の話だ。
 薄く色の入った調光サングラスに、理髪店の制服であるらしい開襟のシャツ。
 見定めるような眼光には常人でなくても気圧されるし、今日のところは四仔もすこし戸惑った。彼が、こんな風に縋るような声で四仔の元を訪れるのは初めてのことだったから。
「どこか具合が……?」
「信一だ。信一の目が開かなくなってな」
 えっ、と思う間もなく四仔は彼に詰め寄られ、懇願されるように手を握られていた。
 親が子を心配する時の顔。いつも悠然と煙草をふかしている彼はどこに行ったのか。
 四仔は信一のことがあまり得意ではなかったが、龍兄貴その人を前にまずは病人の病状を確認しなければという気持ちになった。医者としての腕を買われてこの城に居ることを許されているのだ。信一のことは苦手だが……、それは単に四仔の個人的な感情だ。
「それで、信一はどこに?」
「冰室だ。阿七が蒸したタオルで目を温めてくれている」
 駆けるようなスピードで歩く龍捲風のあとに続きながら、これはよっぽどのことだぞと四仔は思った。いつも何にも動じないように見える彼が、セットした髪をほつれさせながら先を歩いているのだ。
「目を開けるのもしんどそうで」
 そもそも、四仔は信一たちの仕事というのが嫌で嫌で仕方がない。騙し、謀り、奪い合い、誑かす。人を破滅させて、自分たちだけは利潤を得る。城砦はまだマシなほうだが、それでもマシだというだけだ。龍捲風は城砦で暮らす人々の面倒を見ている一方で、搾り取れるところからは搾り取っている。彼らの言う「治安の維持」とは所詮、福祉と自滅が、行き過ぎないよう見物をしているだけのこと。
 そうして四仔は初めて信一の仕事のことを知ったのだ。龍城第一刀。城砦福祉委員会副会長。大層な肩書を持ちながら、やっていることはちんけなナイフを振り回して幫の方針に沿わない相手を懲らしめているだけ。そう思っていたのに。
「龍兄貴!」
 四仔を連れて戻った龍捲風を、阿七はともかく、冰室いたほとんどの客が深刻そうな顔色で見上げて取り囲んだ。誰も彼もが家族のような顔をしている。年嵩の者達だけでなく、自分や信一とほぼ歳の変わらない住人たちも。
 四仔は場の雰囲気に少し気圧されながらも、信一を囲む住人たちを押し分けるように前へと進んだ。
 駄目だぞ、と念じる。
 弱っている信一を見て、心変わりしないようにと強く自分に言い聞かせながら歩を進める。
「熱いな。氷水と冷やしたタオルを」
 テーブルに寝かされているシャツ姿の男の傍に立って、彼の頬と額に触れながら四仔は言った。ばくばくと心臓が鳴る。うすく開けられた唇に、痛みに耐えるように震える三叉神経あたりの頬。
 慌てて氷水が用意される音を聞きながら、四仔はそっと信一の手首を取り、脈をとった。明らかに異常過熱だ。体内の排熱機能が停止した状態。今手を握っているが、信一のほうは手を握られている感覚が無いくらい身体が熱いはず。全身の血が燃えるようで、きっと呼吸のたびに頭と眼が痛い。
「こうなるまで信一は何を?」
「そこの帳場で仕事を。信仔はこう見えて幫会の会計士だからな」
「はぁ? まさか」
「本当だ。幫の方だけじゃない。城砦の維持するためにかかる電気代や水道代なんかの費用の帳簿付けもこの子がやってる」
 四仔は信じられない気持ちで帳場に積み上がっている領収書の束とノートを見つめた。龍捲風がでたらめを言うわけがない。よく見ると信一の指にはペンだこがあり、シャツの袖口も黒鉛の色に染まっていた。夜通し書き物をし、頭を悩ませていた物の手に違いなかった。
 精彩を欠いた両手の爪の色。
 かさついた唇に湧き上がる同情のような感情。
(こいつ……龍捲風の威を借りてナイフを振り回しているだけの男じゃなかったのか……
 まずいぞと思う。この、医者としての使命とはまるで違う、守ってやらねばというという感情はなんなのか。
……っ」
 そんな時、びくっと動いた信一の眼もとから、スローモーションのように濡れたタオルが落ちた。「大佬……」と漏れる弱々しい声に、四仔は思わず彼の手の甲を、パーマのかかった頭を優しく撫でる。
「信一……
 そう呼びかける龍捲風の横で、四仔は信一の顔から目が逸らせないでいた。
 長い睫毛を湛え、疲弊していてもなお光るように美しい瞼。悩ましく寄った眉。柔らかな黒髪の感触……
 もはや傾城だ、と息を詰める。
 苦手だと、こいつはいけ好かない奴だと自分に言い聞かせていなければすぐに堕ちてしまう。
 唇の端についたチョコレートの名残りに気づいて、四仔は人差し指の外側でそれを拭うように触れた。柔らかな肌のぬくもりにうっとりする。俺は……今何をした? こんなにも人の多い場所で。弱っている相手に、この『手籠めにしたさ』は何だ……
 ごくりと自分の喉が鳴ってしまうのを避けるように、四仔は固唾を呑んで見守る龍捲風と住人たちに「瞼が張り付いているから結膜炎かもしれない……」と口を開いた。実直そうな阿七は、真剣な顔で四仔の声に耳を傾けている。
「見たところ睡眠も不足してるんじゃないか」
 煙草。チョコレート。煙草煙草チョコレート。甘い物や脂肪分を多く含む食べ物は肉体にエネルギーを与える。だがそれは睡眠という休息を挟まなければ、毒となって体の排熱効率を低下させる。
「っ……! 四仔か? なんか目がやたら痛ェし痒いんだけど……
「馬鹿、こするな! 冷たい布巾で熱を取ったら診療室に運ぶぞ」
「待てって……。阿七、俺の帳簿ってどうなってる? キリいいところで終わってるかな?」
 目を覚ますなり、細菌だらけ両手で両目をこすろうとしている患者に、四仔は本気の声色で叱りながら彼の両手の自由を奪った。
 阿七から冷たい布巾を受け取った龍兄貴が、信一の目元にそれをかけたあと、幼い子供をあやすかのように信一の頭をぽんぽんと撫でた。「締め切りなんかどうにでもなる」「一気にたくさんんを頼みすぎたな」と親の顔をして。
「おい、何か縄のようなものはあるか?」
「縄?」
「こいつの手首を縛る」
「えっ! おい、ちょっと」
「運んでいる最中に目を掻かれたら最悪だ」
「成程な」
「いや、成程じゃねえって!」
 四仔の指示のもと、客はそれぞれ店内のどこかから縄やテープを持ってきてまな板の鯉よろしく暴れる信一の横へ置いていった。男たちが馬鹿正直にコードや縄の類を持ってくる中、女たちはタオルや上着を置いていく。信一の手首が傷つかないようにだ。
 自然と現れるこうした気遣いの差をほほえましく思いながら、四仔はタオルを手に信一の両腕をぐるりと縛った。正直、自分の上着で縛ってしまってしまえばいいだけの話ではあったが、その場合信一に抵抗されて、上着を駄目にされる可能性もなくはない。こうして住人たちを巻き込めば、信一も無理に手鎖を解いて逃げ出すことはないだろうという思惑だ。
「で、どうだ」
「疲れているところに細菌が悪さして結膜炎になってるんだろう。目やにも出てる」
「それで目が開かないのか……
「とりあえずは診療所で目薬を点して数時間眠らせる。帰すときに目薬を出すから一週間ほどは継続してくれ」
「ああ」
 気ぜわし気に問うてくるの龍捲風に対して、四仔は信一から目を逸らさずにてきぱきと答えた。たぶん、この場で自分の病状を知りたいのは信一自身だろうと思うからだ。龍捲風に説明するようにしながらも、信一自身にも声が届くよう、声の大きさを保ったままに話す。
 最後に、四仔はぐるりと七記冰室を見回して言った。
「あと、しばらくはこいつが目を擦らないようにみんなで見張るように」
「よし、了解だ」
「おいみんな!? 承知しないでくれって!」
 担いだ病人がぎゃあぎゃあとうるさいが、無視して診療所へ道を四仔は引き返す。しばらくの間「下ろせ!」「歩けないわけじゃない!」と騒いでいた信一だったが、両手が使えないまま暴れて落っこちてもまずいと思ったのだろう。おとなしく担がれたままになった。
 片や四仔は、結膜炎くらいで、どうしてこのいけ好かない男を診療所まで運んでやっているのか皆目わからない。あとで目薬を持ってくるから、定期的にこれを滴下してしっかり睡眠をとれ、で片付けていいはずだろうに……
 
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「結膜炎は初めてか?」
「これ、が結膜炎ってやつなのか? ただ目が霞んでるだけかと思ったら、膿みたいの湧いてきてちょっとキモくて」
 診療所につくや否や、縛られた腕を前後に揺すって、両目が痒いことをアピールし始めた信一に四仔は嘆息して言った。
 簡易ベッドに腰掛け、信一の頭が自分の腿の上に来るように調節する。殺菌したタオルで睫毛周りに付着した目やにを拭い、結膜炎用の目薬を手元に用意する。
「何滴か垂らして、目を開けやすくしてやるから、それから瞬きだ」
「ん……
 前髪を撫でつけるように額を露出させ、安心させるように何度か頭を撫でる。睫毛の生え際にぽろぽろと数滴目薬を滴下してやって、張り付いた瞼がゆっくりと持ち上がるのを待つ。
…………
 まるで芙容の花びらか何かが花開いていくような光景に、四仔は思わず息を詰めた。
 疲弊のために痙攣している下瞼。
 痛々しく充血した眼球。
 龍捲風や、冰室の面々が過剰に心配するのも少しわかるような気がしている。弱っていてこの色香だ。いや、弱っているからこそ、この色香なのか……
「目玉のほうにも目薬を指すぞ」
「うん………
 信一はおとなしく四仔の言うことを聞き、滴下する雫越しに目が合った、ような気がした。目薬で潤った黒目が四仔の顔の輪郭をとらえて、安堵のような、苦笑のような、なんでもないようなため息をつく。
「どうだ。まだ痒いか」
「いや……、だいぶ鮮明なった」
「とか言いながら早速擦りたそうだが」
「え……? 手が勝手に……。これ縛られてなかったらヤバかった」
「だろ?」
 ゆっくりと信一の頭を膝から下し、簡易ベッドの枕のほうへと持っていく。頬をつたう目薬の残滓をぬぐっていると、白い膚に青い血管が透けて見えて、本当に朝露に濡れた柔い花に触れているような気になった。それにーー、ふっそりと安堵の吐息をつく唇の魔性的な赤さは、誰を彼をも「その気」にさせるような威力を秘めている。
「ずっと会計の仕事を?」
「あー、去年あたりから少しずつだけど」
………
「何だよ。あー、お前の『信用』ポイントってそこだったのか? 変な奴」
 こてん、と簡易ベッドに横になった信一にそう微笑まれて、四仔は薬缶に伸ばした手を引き留めながら目を丸くした。
 日々、疑うことと信じることを生業としている男の目。
 そんな男が、四仔のことを憎からず思って薄く微笑んでいる。

『信一って奴ァは甘ちゃんだ』
『実力もなく威張り散らかして、龍捲風の腰巾着が』
『何の努力もせず遊び歩いているクズ』

 水道水の列を一本外れれば聞こえてくる誰が放ったものかもしれない不満や悪態。つい昨日までは、そういった口さがない言葉に同意して、人知れず留飲を下げていた自分がいる。
 龍捲風を恐れ慕う言葉の多さと同じだけ、若い信一を侮る声にも満ちている世界だ。常に城塞を歩き回る信一がそれを知らないはずはなく、それを聞き流しながらずっと会計の仕事や雑用を担っていたというなら……。それは、なんというか、自分なんかよりずっと『大人びた奴』なのかもしれない……
 薬缶の中の白湯を茶碗に注いで枕元への運ぶ。タオルで手鎖をされたままの信一は、「なあ……、なんかこのカッコ、捕らわれのお姫様みたいじゃね?」と恥ずかしがるように言って頭を上げた。
「そう思うんなら、王子様が助けにくるまでひと眠りしてろ」
「林先生が王子様じゃないのかよー……
 揶揄うように甘えてくる信一の唇に碗の淵を持って行って、手づから白湯を飲ませてやる。素直にこくこくと喉を鳴らすさまは、親の目を盗んで親戚の子を甘やかすかのような、複雑な充足感を四仔にあたえた。

 本当に疲れていたのだろう。ほどなくしてスコーッという大きな寝息が簡易ベッドから上がりはじめる。
 いけ好かない奴だ、という最初の印象が変わらなければよかったのに。
 四仔は頑丈そうな肩幅を持ったお姫様の顔をやれやれと見下ろしながら、冷やしたタオルを額にかけ直してやった。






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