夏のリゾートをほぼ独占で満喫できる──そんなうまい話がそうそう転がっているわけはない。アキラとリンが訪れたここファンタジィ・リゾートは確かにほぼ独占で満喫できる状態ではあるのだが、心霊現象が起こると噂され閑古鳥が鳴いている曰く付きのリゾート地であったのだ。
しかしバカンスとオバケ、普通なら両立しないこの要素をどちらも楽しめるとくれば黙っていられない怪啖屋はリゾートの短期経営権を買い取り、かつての賑わいを取り戻そうと目下再建に取り組んでいるのである。怪啖屋のアイデアを発端にカリュドーンの子や白祇重工の協力を得てオープンしたアトラクションは、エンジンを使ったダイナミックなサーフィンに船上からの爽快な射的。他では類を見ない独創的なアトラクションはインターノット上で話題になり、次第に客足も伸びつつあった。
そこへまたしてもオバケ騒ぎである。怪啖屋の一員ではないが限りなく近い関係であるアキラとリンもただリゾートを楽しんでばかりはいられない。テレーゼの亡き父への想いを受け、わずかばかりではあるが経営の立て直しに力を貸す日々だ。
この日も不審物を見つけた宿泊客や怪しい人物などがいないか散歩がてら浜辺を歩いてみたところ、船着き場近くで黒い影がふらふらと頼りなく揺れているのが見えた。
訝しんで目を凝らせばその影は黒いコートを引きずるようにして歩いている。長い尻尾の先は砂浜に跡を残すほど垂れ下がり、耳もぺたりと折れていた。
「真斗くん?」
真斗はここ数日のオバケ騒ぎで宿泊客の避難誘導や安全確保を買って出ている。そのうえ夜中に見回りまでしていると聞いた。睡眠不足の体で炎天下の浜辺は堪えるだろう。それでなくとも本来ならば打撲と骨折で療養中の身だ。リゾートならゆっくりできるという算段であったが不運にも次から次へとトラブルに巻き込まれ続けてしまっている。アキラは屋台で冷たいドリンクをいくつか買って、熱砂に足を取られながらも浜辺を駆けた。
「真斗くん! 大丈夫かい?」
「ぁきら、くん……?」
返ってきた声は舌ったらずで表情もどこかぼんやりとしている。触れてみれば体温も高い。彼の体が倒れてしまえば、情けないながらもアキラひとりで運ぶのは難しいだろう。自分よりもだいぶ高い位置にある首筋に冷えたペットボトルを押し当てながらゆっくりと木陰に誘導する。
「真斗くん、水は飲めるかな」
「み、ぅ……」
アキラの言うことをそのまま繰り返そうとして舌を縺れさせる真斗をひんやりとした砂の上に座らせた。日が高い時間だが木陰は涼しい。周囲に緑が多いおかげだろうか、コンクリートに覆われた街と比べると吹き抜ける風も爽やかだ。木の幹に背を預けた真斗の口元にペットボトルの飲み口をあてがえばこくこくと喉が鳴って順調に中身が減っていく。
「熱中症かな、まずは体を冷やさないと」
「ね……ちゅ……?」
「ねっ ちゅう しょう」
「……んん、ちゅ……する……」
真斗は口の中だけでぽそぽそと呟いたかと思えばアキラを抱きしめるようにしてそのまま目を閉じてしまった。まるで大型犬が飼い主を巻き込んで昼寝をしようとしているようで微笑ましいが、真斗が完全に眠りに落ちてしまう前に何とか腕から抜け出して横になるよう促す。
彼を背負って運ぶことはできないけれど、起きるまでの枕になることくらいはできるはずだ。コウジノボンプを探しに入ったホロウの中で真斗が眠ってしまったときのことを思い出して頬が緩む。残りのペットボトルを真斗の体に当てながら彼の目覚めを待つことにした。
□ □ □
「……ん、オレ、寝て……?」
真斗はそよそよと心地よい風に吹かれていることに気付いて目を覚ます。確か浜辺の見回りをしていたはずだが。なんだかやけに体が軽い。
「あ、起きたかい」
聞き慣れた穏やかな声が真斗の上からふわりと降ってきた。自分よりも小柄なはずのアキラの声が上からなんて妙な話だ。周囲の状況を把握しようとした耳がひくひくと揺れる。ぼんやりとしていた視界が次第に像を結びはじめると、汗で張り付いた真斗の前髪を掻き分けながら心配そうにこちらを覗き込むアキラと目が合った。
自分は横になっていて、真上にはうちわを片手に持ったアキラの顔があって、つまりこの頭の下のちょうどいい高さの枕は。
「ぇあ、アキラくん!? い……つッ」
膝枕というシチュエーションに驚いて勢いよく体を起こすとずきりと頭に痛みが走る。刺すような刺激に眉を寄せれば「まだ寝ていて」と叱られてしまった。おとなしくアキラの膝に戻りながらも視線を動かせばトレードマークのコートは脱がされており、ウエストのベルトも緩められている。体が軽いと思ったのはこのせいらしい。
「すまない、勝手に脱がせたりして。熱中症だといけないと思ってね」
あたりにはペットボトルが数本転がっている。空っぽのものもあればまだ蓋の開いていないものもあった。指先で触れてみた蓋の開いていないペットボトルはもうだいぶ温まってしまっている。一体どれくらいの時間こうしてくれていたのだろう。
「なんも覚えてねぇ……スンマセン、情けねぇっス」
真斗はうちわで風を送ってくれるアキラの視線から逃れるように腕で顔を隠した。その腕はすぐにやんわりと取り払われ、目の前にペットボトルが差し出される。
「水分を摂ったほうがいい。ぬるくて申し訳ないけれど」
申し訳ないのは真斗のほうだ。膝枕で水を飲ませてもらうのはさすがに気恥ずかしくて身を起こす。
隣では真斗から解放されたアキラが膝立ちになりペットボトルの水を口に含んでいた。ずっと真斗の頭を乗せていたのだから足だって疲れるし喉も乾いただろう。申し訳なさから縮こまれば、白い指先が伸びてきて真斗の顎をくいと持ち上げる。何かと思う間もなくアキラの綺麗な顔が近づき、そして──。
ちゅう。
やわらかい唇が重なる。隙間なく押し付けられたアキラの唇が真斗の唇を優しくこじ開けた。ぬるい水が口内に流れ込んでくる。
「……っ、ん」
与えられる水を溺れそうになりながら飲み干すと、褒めるように唇を舐められた。ぞくりと背筋によくないものが走る。
「ちゅう、したかったんだろう?」
ここに触れたかったのだろう、と濡れた唇に人差し指を押し当てたアキラは爽やかな夏の青空が似合わないほど蠱惑的な笑みを浮かべていた。
「水分補給してしっかり休んでいて。睡眠不足は熱中症の危険性を高めるからね」
何か食べられそうなら買ってくるから、と腰を上げるアキラの裾を反射的に掴み引き止める。希望のメニューでも伝えられるのかと真斗の言葉を待つアキラの顔は、さっきのことが嘘のように思えるほどいつものアキラだった。
「え、と……その」
「うん」
「み、水。もっと飲みたいっス……」
「……うん、いいよ」
少し驚いた顔をしたアキラはしかしすぐにあの蠱惑的な顔に戻り、少し中身が減ったペットボトルを見せつけるように小さく振った。
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