史加
2025-07-30 20:19:07
6559文字
Public zzz(アキ悠)
 

エンドロールを見届けて

アキ悠/「エンドロールまで見届けて」後日談。気が向いたら書き足すかもしれません

※「エンドロールまで見届けて」後日談。本書読了後を推奨
※悠真の飼い猫について捏造
※死ネタ










 目に痛いほどの清潔な白の中に埋もれていながらも、君のひとみは最後までずっと僕だけを見つめていた。
……アキラくん、」
 遠くで響く蝉の鳴き声よりもずっと小さかったのに、世界のすべてを押しのけて僕の耳に届いた声も。
 じっとりと肌にまとわりつく空気が暑くて、握りしめた手を冷たく感じたことも。
「あいしてる」
 最期の言葉も、何もかもあの夏の鮮やかさとともに覚えている。



「ねえお兄ちゃん、久々にこの映画観ない? 前に三人で観たときにお兄ちゃんがビビりまくって悠真にずっとしがみついてたやつ!」
……僕がリンに始終しがみつくことになるけれどいいのかい?」
「ダメですー、お兄ちゃんの専用抱き枕は悠真でしょ。私の服の裾なら貸してあげてもいいけど、浮気は認めません」
 閉店後のビデオ屋に楽しげな兄妹の声が響いている。わたしの新しいご主人様たちの声だ。
 わたしのご主人様は一年前にわたしを置いていった。置いていったといっても、捨てられたわけじゃない。生き物にとって避けることの出来ないお別れがやって来て、ご主人様とは会えなくなった。それだけだった。
 ご主人様はやさしいひとだった。最初はその身体から青々としたミントのような、すっきりとしているけれどちくちくと鼻に刺さるにおいがするのがいやだったけれど、げほげほと大きな咳をしてふらふらしながらもわたしのごはんを用意してくれたり、定期的に缶に入ったごちそうを買ってきてくれたりするものだから、悪いひとではないとすぐにわかった。ご主人様がしばらく家を空けるときは他人のところに預けられるのがいやだったけれど、ご主人様そっくりのボンプがやって来てからはその子がわたしの面倒を見てくれるようになったのでそれもなくなった。お別れに備えて、こうして新しいご主人様たちを紹介して、わたしが最後まで幸せに暮らせることを願ってくれた。とてもあたたかい、陽だまりのようなひとだったと思う。
 ビデオ屋の兄妹――アキラとリンは、わたしにとてもよくしてくれているし、しょっちゅうふたりでご主人様の話をして笑い合っている。そんなふたりの話に耳を傾けながら、うつらうつらとすごすのがここのところのわたしの日常だ。
「そうだ、せっかくだし一緒に観よ! 私たちと一緒に映画観るの好きだもんね。悠真の話たくさん聞かせてあげる」
 不意に鈴の転がるような声が間近で響いて、身体がふわっと浮き上がった。目の前に藍色の髪と碧の目がある。リンだ。
「リン、寝かせておいてあげたほうがいいんじゃないか?」
 魅力的なお誘いににゃあ、と鳴こうとしたわたしに、気遣わしげな声が投げかけられる。またか。水を差されたような、どうにも面白くない気持ちになったので、わたしはリンの腕に頬を擦り付けてごろごろと喉を鳴らした。
 リン。そんなやつの言うことなんて気にしないでこのまま連れていって。わたしは「映画」というもののことなんてよくわからないけれど、「ご主人様」の話を聞くのは好きだし、ふたりが映画を観ているとき、このめちゃくちゃな世界でもちいさな奇跡が起こることを知っている。だからわたしはその場に立ち会いたい。
「ほら、こんなに甘えて一緒に観たいって言ってるしいいでしょ」
 頬擦りして甘えるわたしを、リンが誇らしげな顔でアキラに見せる。アキラはちょっと寂しそうな、悔しそうな、けれどしょうがないと言いたげな顔をした。相変わらず、気に食わない男だ。
 正直にいうと、わたしは新しいご主人様たちのうち、アキラのことが好きではない。
 わたしの頭を撫でようものならご主人様仕込みの素早い猫パンチで応戦するし、名前を呼ばれてもアキラにだけは返事をしてあげない。わたしの態度はよっぽどひどく見えたようで、ご主人様には一度だけ怒られてしまったこともある。けれど今までにないくらい甘い声で鳴いて頬を舐めたらご主人様はゆるしてくれたし、「アキラくん。悪いけど諦めて」なんて言ってわたしの味方になってくれた。それ以来ずっとそのままだ。
 どうしてアキラのことが好きになれないのかはわかっている。嫌い、でもないけれど、少なくともアキラの腕に抱えられるくらいならアスファルトの上で寝たほうがマシだと思うくらいには、関わりたくないと思っている。そんなに関わりたくないのならこの家を出て行けばいいのかもしれない。だけどご主人様がわたしのためを想ってこのふたりを紹介してくれたことも、ご主人様にとってこのふたりは大切な「家族」であることもわかっているから、それだけは出来なかった。
 しかしまああきれることに、わたしがどんなに冷たい態度を取っても、このアキラという男はわたしに冷たくしない。今も心配そうな目でリンの腕に抱えられているわたしを見ている。いつだったか、ご主人様にも似たようなまなざしを向けていた。そう思うとその頬を思い切り引っ掻いてやりたい気分になる。実際、昔の私ならリンの腕から飛び出してそうしていただろう。あいにくわたしももうおばあちゃんなものだから、そんなはしたない真似はしないであげるけれど。
 わたしがアキラへの不満を募らせている間に、ふたりと一匹で映画を観ることで話はまとまったらしい。わたしはリンに抱えられて、店の奥にある部屋へと連れていかれた。リンはわたしを下ろすことなくそのまま先にソファの端に座り、ビデオデッキにテープをセットして再生ボタンを押したアキラがあとから反対側の端に座る。仲の良い兄妹の間にぽっかりと空いたひとりぶんの空間は、このふたりにつけられた傷のかたちだった。
 映画が始まる。ひとの悲鳴や呻き声が上がって、画面がなんだかちかちかと光っているけれど、内容はわたしにはよくわからない。楽しそうに画面を見つめているリンの腕の中からそっとアキラのほうを見ると、わずかに顔を青くした彼は両膝に肘をつき、絡ませた指を忙しなく動かしながら画面と向き合っている。近くにあるクッションを抱き枕にすることも、リンにすがることもしない。そういうひとだから嫌いにはなれないのが、悔しいように思えた。
 ふたりとわたしは異なる生き物だ。もちろん、ご主人様とわたしも。だからわたしが先におばあちゃんになってご主人様を置いていくのが当たり前だと思っていたのに、ご主人様はわたしを置いていった。ご主人様にとって二十七度目の大切な日を迎えた、その次の日のことだったと覚えている。二十七年という人生は猫のそれと比べると長生きと言えるけれど、人間としてはあんまりにも短い。ただ、わたしにはよくわからないけれどそれは快挙、と言えるものだったらしく、アキラとリンはしばしばご主人様のことを褒めていた。どうやら私のご主人様はこの大切なふたりのために、とても頑張ったようだった。
 さて、人間の目には見えないものも、ひとならざるものの目には映ることがある。ちいさな奇跡が起こるのはそろそろだろうか。
 テレビの中からひときわ大きな悲鳴が上がって、アキラがびくっと大きく肩を跳ね上げさせた。
『一緒に観たことのある映画なのに、相変わらずアキラくんったらビビりなんだから』
 瞬間、その震える肩を抱くように、陽炎が寄り添う。
 お別れをしたあの日からずっと変わらない、陽だまりのようなひとの姿が透けていた。
 にゃあ、と小さく鳴き声をあげると、ご主人様ははたと目を見開いてわたしを見る。何度かご主人様がこうして様子を見に来ているのは知っていたけれど、わたしがご主人様をしっかりと見つめて呼びかけるのは今回がはじめてだから、驚くのも当然だ。ただ、賢いご主人様はすぐにわたしが今まで知らんぷりをしていたことに気付いたようで、くすぐったそうに笑ったあと、唇に人差し指を立てて言った。
『映画を観ているときは静かに、ね』
 その言葉に頷いて、ふたりの傷を埋めるようにソファに腰を下ろすご主人様を見る。
『で、相変わらずアキラくんとは仲良くしてあげてないの? 気難しい子だってわかってたけど、アキラくんに懐かないのは意外だったなぁ。僕よりもよっぽどやさしくて、いいにおいもするのに』
 静かにしろと言ったくせに、ご主人様はぺらぺらと喋りだした。わたしにしか聞こえていないからってそれはどうなのかと思ったが、アキラもリンも知らないわたしとあなただけの内緒話なのだと思うと悪い気はしない。
『あ、もしかして、ヤキモチとか? 僕がアキラくんと仲良くしてたから?』
 なんてね、とおどけようとするので、なぁん、と甘ったるい声で鳴いてやる。またあなたに怒られたっていい。ずっとうるさく喋っているあなたにわたしを叱る権利なんてもうないようなものだし。
 ちいさなわたしの鳴き声は、テレビから放たれる金切り声に掻き消されて、映画に集中するアキラとリンの耳には届かなかった。けれどご主人様には聞こえたようで、えっ、とお日さまの色をした目が丸く見開かれる。
 ……そうだ。ヤキモチ、というやつだ。わたしがアキラのことを面白くないと思う理由は、きっとそれでしかない。
『もしかして、本当に妬いてたの? ……ああ、そっか。だからアキラくんなんだ』
 合点がいったような顔をして、ご主人様はくすくすと笑った。
 そう、別にわたしはただ、あなたと仲良くしているひとのことを誰彼かまわず快く思っていない訳ではない。だって同じようにあなたと仲の良かったリンのことは大好きだもの。でもアキラは別。アキラはわたしから奪っていったひとだから、好きになんてなりたくなかった。
 じ、とご主人様に視線を向けていると、ひだまりの中に丸い金色が映り込んでいるのが見える。わたしの目だ。わたしとご主人様は同じ目の色をしている。だからアキラはときおり寂しそうな顔でわたしを見るし、おばあちゃんになったわたしに過保護なまでに気を遣う。本当に失礼な男だ。でも、嫌いにもなれない。
 ……悠真の悪夢を照らしてくれた太陽がこのひとなのだとも、わかっているから。
『ははっ、僕って思ってたよりも好かれてたんだねぇ。にしてもアキラくんったらひどいな、うちの子までたぶらかしてくれちゃって』
 別にたぶらかされてなんていないのに。ばかなことを言うご主人様に飛び乗って、ぺしりとしっぽで腕を叩く。ご主人様ははっと目を見開いたあと、寂しそうな、嬉しそうな、複雑な顔をしてわたしを見た。
……そっか。僕の代わりに、見届けてくれたんだ』
 にゃあん。
 鳴き声をひとつ上げて、もうなんのにおいもしないあなたに擦り寄る。
 ……そう。見届けてあげたのだ。
 あなたがずっと気にかけていた、あなたの一生が終わったあとに続く物語を。
 白い頬に鼻を押し当てて、わたしは鳴く。
 大丈夫。大丈夫よ、悠真。
 あなたとの約束は破られていない。あなたの願いはきちんと叶っている。このふたりはあなたが残していった傷を、大事に、大事に愛し続けている。わたしがこの一年間、きちんとエンドロールの後を見届けた。
 アキラとリンはよくあなたの話をして笑っていた。家の中に残されたあなたとの思い出に気付いては寂しそうな顔をしたり、あなたとの思い出話に花を咲かせたあとは痛みを分かち合うようにふたりで寄り添って眠ったりもしていたけれど、あなたを想うふたりはとても幸せそうだった。
 もうアキラは悪夢に魘されていないし、あなた以外のだれかを特別にしたりもしていない。あなたが生涯をかけて見つめ続けた太陽は、いつだってあなただけを想っている。
 だから向日葵の項垂れて枯れゆく季節へ、わたしを一緒に連れて行っていいの。
 ――だって、この子たちはふたりでいられるのに、あなたはひとりぼっちだなんて寂しいでしょう?
……向日葵の終わる季節に僕たちは出会った。太陽に焦がれるもの同士上手くやっていけるかな、なんて思ってたけど、当たりだったね』
 ご主人様が私の身体をしっかりと抱きかかえて、立ち上がる。アキラとリンが見つめるテレビの画面はいつの間にか真っ黒になっていて、落ち着いた音楽とともに白い文字が下から上へと流れていた。
『アキラくん、リンちゃん、うちの子の面倒を見てくれてありがとう。……本当はもう少し後で迎えに来ようと思ってたんだ。けど、こうして度々あんたらの様子を見に来るのもあんまり良くないことだし、この子も僕と一緒にいたいみたいだから連れていくよ』
 こういうときでも自分が寂しいのだとは素直に言わないご主人様の胸に擦り寄る。
 テレビの画面が、完全な黒に沈む。
……お兄ちゃん」
 リンが震える声でアキラを呼んだ。その腕の中には「わたし」が抱えられている。
 リンの声と視線で異変に気付いたのだろう。アキラは「わたし」を覗き込んで、一度目を見開いたあと、穏やかな笑みを取り繕った。
……一年間、頑張ってくれてありがとう。君がいてくれたおかげで僕たちは寂しくなかった。だから今度は、悠真のそばにいてあげてくれ。……きっと寂しがっているだろうから」
 震える指先が「わたし」の頭を撫でる。
 泣き出しそうな笑みと声に、ご主人様が息を飲んで唇を引き結ぶ。
『ッ、アキラくん……
 それは無数の悲鳴が飲み込まれる瞬間だった。
 あなたはいつだってそう。叶いもしない願いを口にしたりしない。守れない約束を交わさない。代わりに今の自分が出来ることを真っ直ぐに、全うする。
 今も、必死になってこぼれ落ちそうになる願いを、未練を、吐き出してしまわないように堪えている。泣いたっていいのだけれど、わたしたちにもう涙はない。わたしたちの分の涙はもう、ふたりに預けるしかなかった。
 兄妹が寄り添って、涙ぐみながら「わたし」を代わる代わる撫でる。それを見つめ続けていたご主人様は、わたしを抱える腕にほんの少しだけ力を込めたあと、唇を開いた。
『どうして、あんたにはわかっちゃうかなぁ。……ごめんね、アキラくん。ひとりじゃ寂しいから、連れていくよ。でも、間違えたりしないで。こんなにも寂しくなるくらい、僕はあんたを好きになれてよかった。それも嘘じゃないから』
 心臓があったのなら引きちぎれてしまいそうなくらいに痛切な愛の言葉が、わたしの耳にだけ届く。
 ――ああ、やっぱり気に食わない。ほんとうに、ほんとうに、気に食わないけれど。
 でも。
 悠真と出会ってくれたのが、あなたでよかった。
……はぁ、泣き言なんて聞かせちゃってごめん。これは僕たちだけの秘密ね』
 わたしを見つめてふふ、と笑うご主人様に、にゃあ、と鳴いて頷く。
『それじゃ、行こうか。……そうだ。もしも来世ってやつがあるなら、また僕のうちの子になってくれる?』
 あなたが望んでくれるのなら、何度だって。
 今度は百歳まで生きるあなたのところに、三回でも四回でもわたしは生まれ変わって会いに行く。
 だからまた向日葵の項垂れる季節に出会ったら、同じ名前をつけてちょうだい。
『今度は置いていかないからさ、アキ』
 また同じ音を持つ名前の男が隣にいたとしても、今度は最初からゆるしてあげるわ。

 
 


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<後書き>
悠真家の猫ちゃんは白毛金目もしくは灰毛オッドアイの美猫ちゃんだといいなという願望を抱いています。
名前の捏造はやりすぎ感否めなかったのですが、秋に悠真と出会って飼い猫となったので「アキ」という名前を付けてもらった猫ちゃんが、あるときから悠真が「アキラくん」の話をするようになったことで、自分の名前を呼んでもらったのかと思いきやアキラの話だった……なんてことが増えてアキラのことを面白くない男だと思ってる、そんな話があったらかわいいかなと思って書きました。
ご主人様のことが好きだけれどご主人様に似ているところもあるので実際この猫ちゃんはアキラのことがかなり好きだったのだと思います。