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namaeggg
2025-07-29 21:25:51
4963文字
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アークナイツ
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Golden Days
ズィマーとイースチナ。幼馴染みの夏の日のお話です。
『OPERATORS NEXUS 6』にて発行しました短編です。
炭酸水をパンパンに詰め込んだような、夏空が広がっている。
瓶底で静かに待ち焦がれていた期待がいくつもの小さな気体となって、上空へとシュワシュワと弾け出しては、短い季節を彩っていた。
「おーい! アンナ、早くこいよ!」
夏休みの間、ソニアは一緒に遊ぶ女の子がいた。アンナといって、外で走り回るのが好きなソニアとは対照的に地味で大人しく、読書が好きな女の子だった。どうして友達になったのかは、今となっては思い出せない。家が近所だったとか、たまたま歳が近かったからとか、おそらく大したきっかけはないのだ。それでも、二人は確かに友達同士だった。
「ま、まってください。ソニア!」
アンナはいつも走りにくそうな靴を履いていて、一足早く空き地へ辿り着いた彼女の後ろを時々転がりそうになりながら懸命についてくる。木登りを教えたのもソニアだった。アンナが臆してしまうと、いつでもその手を引っ張って、そうやって本の世界にこもりがちな彼女を外へと連れ出したのだった。
城塞と化したチェルノボーグ市内は堅牢な城壁の内側に工業区と商業区、そこに勤める人々の居住区を多く抱えている。移動都市はその性質上どこも過密だが、発展めざましいチェルノボーグではプラットフォームを次々と統合して拡大し続けていた。中心街を少し離れれば開発前の用地が点在しており、彼女が幼い頃は大抵そこで過ごしていた。遊具はなくとも、放置された資材やよじ登れる木さえあれば腕白な熊の子らはいくらでも遊ぶことができた。
厳冬を乗り越え、逞しく芽吹いた柔らかな草木が透明な風に吹かれては、青々とした匂いが記憶の縁を掠めていく。
ぼこぼこの地面にあちこちできた水たまりを飛び越えて遊んでいたソニアだったけれど、そのうちぐったりした様子でアンナが休んでいる古木の根元に座り込んだ。
「あつすぎだろ
……
」
「ええ。同感です」
その年はウルサスでは珍しく猛暑だったことを覚えている。天災の予測軌道が大きく、それを回避するために炎国に近いルートを航行しているとテレビや親が口々に言っていた。ウルサス人は強靭な体で寒冷に強い人種だが、反面、高温多湿はとかく苦手なのだ。
アンナは涼しい顔をしているが、集中力は切れていたのか読んでいたハードカバーを閉じた。
「心頭滅却すれば火もまた涼しといいますが、あついものはあついです」
「しんとう、めっきゃく?」
着古したTシャツの裾を伸ばして汗を拭っていたソニアが手を止める。アンナは頭の中にある辞書を捲るように、ふむと顎を撫でた。
「東方のことわざです。えっと、余計なことを考えずに集中すれば、たとえ火の中にいてもあつさを感じなくなるのだとか」
「極東人やべえな。そりゃあ、あたしらも戦争にまけるわけだ」
「それは、あまりいわないほうが
……
」
得意げだったアンナが急に声を潜めるのが可笑しくて、ソニアはカラカラと笑った。
「なぁ、のど渇かねぇ?」
ソニアは体をバネみたく反動を使って体をひょいと起こす。アンナは頷いて、ワンピースの裾についた土埃を払いながら立ち上がる。
「あそこのさ、学校の近くの壊れた自販機あんだろ。ぶん殴ればまだジュース出てくるって聞いたけどよ、試してみねぇか?」
「いやです。それに、仮に出てきたとしても飲んだら絶対体に悪いですよ」
「えー。絶対たのしいのに
……
」
ちぇっ、と唇を尖らせて、彼女はいじけたように足元の石ころを蹴飛ばす。すると、小石は思いのほか遠くまで転がり車道へと続いていく。面白くなって、ソニアはその後を追いかけた。
鋭角な陽射しが容赦なく黒いアスファルトの路面にぎらぎらと突き刺さっている。まるで母さんがフライパンで焼くソーセージになったみたいだと、ソニアは思う。吹き出る汗をしきりに拭いながら石の行方を目で追っていると、隣から小さな手が伸びて前方を指さした。
「ソニア、見えますか」
工業区へと続く長い道路は昼下がりということもあって車の往来は少ない。その遥か前方で道路を寸断するように大きな水たまりが横たわっていた。目を凝らせばそれは水たまりというより、路面が濡れて水鏡のごとく光を反射している。
「あれは逃げ水っていうんですよ」
少女の声をかき消すように一台の車が目の前を通過していく。車はみるみる小さくなっていき、やがてその水たまりに差し掛かる。しかし水飛沫は上がることなく、車の影が蝋燭の火のように微かに揺らめいて、水彩のように滲んで消えた。
アンナはまた嬉しそうに頭の中のページを捲った。
「本で読んだんです。夏の、特に暑い日に起こる現象で、目の錯覚であたかも水たまりがあるように見えるんです」
「なんで逃げ水っていうんだ?」
「それは、追いかけても逃げていくからです」
見ててください。とアンナが言うので、ソニアはそれに倣う。
少女たちが数歩進むと、逃げ水は数歩遠ざかる。ソニアは目を瞬かせて、今度は数メートル走る。その分、水たまりは逃げていく。
まるで鬼ごっこみたいに。
「おもしれえ」
そう思った時にはもう、ソニアの好奇心に火が点いていた。
「あたし、逃げ水つかまえてやる」
「えっ?」
彼女が呆気にとられているうちに、ソニアは不敵に口角を上げた。
「無理ですって。あれはただの現象で、」
「そんなの、やってみないとわかんねぇだろ?」
ソニアはクラスの、もしかしたら学校中の誰よりも足が速かった。運動神経は抜群で、だから鬼ごっこで負けるなんて微塵も思っていないのだ。
「ちゃんとついてこいよ、アンナ!」
「ソニア!」
「逃げ水つかまえたら、ジュースおごりだかんな!」
言うが早いが、アンナが伸ばした手をするりとすり抜けて、ソニアは勢いよく飛び出した。
走れば走るほど、嘲るように逃げ水は遠ざかる。ソニアは躍起になって、一段とギアを上げて足を前に繰り出す。
ぐんと加速する体。短く弾む息。
風は吹いていないのに、見えない何かが小さな背中を押す。無色透明な風になって、景色を追い抜いて。夢現の境界を飛び越えて。追いかけても追いかけても捕まらないはずのそれは、もう逃げない。
ソニアは無意識に腕を伸ばした。逃げ水を捕まえるために。
最後の一歩。強く地面を蹴り上げて着地した、その瞬間。
ばしゃりと。
水の跳ねる音が、聞こえた。
「おい、見たか
――
」
膝に手をつき、ぜえぜえと大きく息を切らす。無理やり唾を飲み込んで、苦しげに、それでも全身に痺れるような達成感が襲って、ソニアは喜色満面に振り返った。
「アンナ!」
けれども、振り返った先は見知らぬ場所だった。空き地があった場所には真新しいアパート群が立ち並び、アンナの姿はどこにもない。それどころか、確かに踏んだはずの逃げ水は今はもう雲散霧消してしまった。
ズィマーはようやく気づいた。
子供の頃に交わした「ずっと一緒」なんて、追いかけても捕まらない逃げ水と同じだ。都合のいい、まやかしと同じ。
アンナは貴族学校に通うという理由で引っ越した。そう後から親に聞かされた。
その夏、アンナはアタシの前から消えた。
………
夢の輪郭を判然としない頭で辿りながら、ズィマーは目を覚ました。目蓋を起こせば天井には真夏の太陽はなく、代わりに蛍光灯の光が宿舎内を均一に照らしている。
ノックが三回。そぞろに返事を寄越して、ズィマーは体を起こす。その拍子に読みかけのハードカバーがソファから滑り落ちた。イースチナから借りた本を拾おうとして、先にノックの主が拾い上げる。
「ソニアがうたた寝なんて珍しいですね」
「ああ、アンナか
……
」
本を受け取りながら固まってしまったズィマーに、彼女は眠たげな目をほんの僅かに丸くさせた。
「どうしたんですか、ソニア」
「あ、ああ。わりぃ
……
なんでも
……
」
ない、と言いかけて、ズィマーは言葉を飲み込んだ。
夢の残滓がまだ鮮明にこびりついている。イースチナがいる時に幼い頃の夢を見たのはタイミングがいいのかどうかわからなかった。なにせ、あの日の夢と現実の境界線が雁字搦めに絡まって、上手く解けなくなってしまっていたのだ。
迂闊に答え合わせなんてしたら。間違っていると指摘されたら。二度とあの夏の思い出は戻ってこなくなってしまうんじゃないかと、ズィマーは心のどこかで恐れている。
言うか言うまいか。口を開け閉てして逡巡していたが、結局彼女は口を開いた。
「なぁ、アンナ。覚えてるか?
……
逃げ水ってやつ」
喉の奥で引っ付いた単語はみっともなく躓いた。
隣に腰かけたイースチナの様子をおそるおそる窺う。
「ふむ。随分懐かしいですね」
彼女は一瞬だけ考え込む素振りを見せてから、懐かしそうに目を細めた。それでようやく、ズィマーはあの夏の出来事が噓ではないと信じられた。
「夢、見たんだ。あの日さ、アタシ
……
」
あの夢は全部が真実というわけではないことを、ズィマーは知っている。ロドスに来てから長いこと魘され続けた悪夢は皆で立ち向かった三度目の火災以降、ほとんど見なくなったように。記憶が深層と密接に結びついて、夢は変容することを。
「逃げ水を追いかけていったことは覚えているんだけどよ
……
」
覚えていないことがなんだか急に後ろめたく思えて、ズィマーは視線を逸らす。泳いだ言葉尻を捉えて、彼女は言った。
「そうです。あの日、ソニアは私の制止も聞かずに走り去ってしまったんです」
その声にはやたらと非難の色があって、ぎくりとなる。
「お、おい。アタシはオマエのことずっと待ってたんだ」
少なくとも、夢の中ではそうだった。
思わず反論すると、イースチナは頑として首を振った。
「ソニアが速すぎるんです。おかげで私はあの日、あなたを探しに行って逆に迷子になってしまいました」
「まじか」
「そうです。思い出しました。結局夕方になってなんとか空き地に戻って来れたんです。そしたらあなたが先にいました」
信じられません。と大袈裟に頭を振る。
「アタシも思い出した。アンナ、あの時アタシを見て大泣きしてよ」
「泣いてません」
「泣いてただろ」
「泣いてたかもしれないですけれど、大泣きはしてません」
「なんだよそれ」
駄々っ子のように意地を張るイースチナの態度が可笑しくて、ズィマーは笑った。不自然なくらい表情を作っていたイースチナも、そのうち堪え切れずにプッと小さく噴き出して破顔する。
そういえば、こんなやり取りも久々だったかもしれない。あの悲劇を体験してから、どうしたって子供たちは子供のままではいられなくなってしまった。生きることに必死で、日々をがむしゃらに走り続けている間に気づけば景色は遠い過去になっていた。
「まるで、ソニアは逃げ水みたいでした」
ひとしきり笑った後、イースチナはぽつりと呟いた。
「追いかけても追いかけても全然追いつけないんです」
彼女が大切にしまっていた胸の裡から言葉がはらりと落ちていく。それはどこか寂しげに響いて、ズィマーは息を呑む。
あの日、置いて行かれたのは自分ばかりだと思っていた。だけど、本当は。あの夏に取り残されていたのは自分だけではなかったのだと、思い知らされる。
「ですが、もういいんです」
吹っ切れたように言い切って、ズィマーと向き合う。
「今はこうやって隣に並んで、あなたに追いつきましたから」
イースチナははにかんでいた。胸のつかえが取れたような、穏やかな表情だった。
二人の間にあった水たまりを飛び越えて、わだかまりがひとつ融解するのを、ズィマーは黙って噛み締めていた。
「そんな逃げ水みたいな友人を捕まえましたから、ジュース奢ってくださいね」
「そんな約束したか?」
「とぼけるのはなしですよ。それと、自販機を殴るのもなしです」
「いつの話してんだよ。ったく。で? 何が飲みてぇんだ?」
「そうですね、では
――
」
イースチナがおもむろに窓外を向いた。ズィマーもそれに倣う。
眩しいソーダ色をした、清々しい快晴がどこまでも広がっていた。
end.
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