夏休み期間中、学園の図書室は自習室として開放されている。夏期講習を終えたミチルと午後から合流して宿題を教えてもらい、夕方のチャイムを合図に連れ立って帰るのが、このところリケの日課となっていた。今日も夕陽に染まった図書室にチャイムの音がこだまして、リケは参考書とノートを閉じる。
夏休みが始まったばかりのころは進学校の生徒たちで賑わっていた図書室も、八月に入ってからは人影がまばらだ。リケはちょっと非難がましい気持ちになるけれど、思い直した。
家族と早めのお盆休みを楽しんでいる生徒も多いのかもしれません……ミチルのように。
別の感情に襲われて、リケは眉間のしわをほどくことができなかった。
脳裏に浮かぶ、「一緒に勉強できなくてごめんなさい」と眉を下げたミチルに首を横に振り、耳の奥に響いた、「おみやげ買ってきますね!」という声に無理に口角を引き上げる。
足早に昇降口へ向かった。今日はあまり宿題は進まなかったけれど、ミチルに頼りきりではいけない。明日こそ、帰ってきた彼に誇れるよう、集中して頑張ろう。
下駄箱で上履きからローファーに履き替え、自動ドアをくぐろうとしたところで――リケは視界の端の黒と赤に目を留めた。不良校の学ランだ。
できるだけ、そちらを見ないように通り過ぎようとした。すると、「へえ、無視するんだ」と嘲笑う声。
「不良校の生徒に挨拶する必要はないって?」
「オーエン先輩。そんなこと思っていませんし、言っていません」
合併当初こそ戸惑ったけれど、四ヶ月も共に過ごせば、ひとくちに不良校といっても様々な人物が属しているとわかる。ほっぺたが落ちそうにおいしい、手作りパンを焼いて購買で売っている生徒だっている。
けれど、気持ちが沈んでいる今、オーエンと話したくはなかった。
オーエンの存在を知ったのは、購買においしいパンが売っていると知って、しばらくしたころだった。全種コンプリートしたいと思ったけれど、なぜかいつも菓子パンだけ売り切れていた。昼休みになるとすぐに買い占めてしまう人物がいるらしかった。ならばと登校直後、朝の短い営業時間に訪ねると買えた。それで逆恨みされたらしく、以降、学校ですれ違うと嫌味を言われるようになった。
「挨拶ならします。お疲れさまです」
頭を下げて立ち去ろうとする。と、背後から鼻をすする音がした。
驚いて振り返ると、オーエンはどこかさみしげに笑っている。
「きみを待っていたのに、冷たいなぁ」
「……僕を待っていた?」
言葉の意味がわからずに訊き返すと、オーエンは「うん」と猫が喉を鳴らすように頷いた。
*
その店は駅ビルの一階にあった。いつもはできるだけ見ないようにして通りすぎる、高級チョコレート店だ。オーエンはテイクアウトのチョコレートドリンクを頼んだ。
「きみも頼みなよ」
戸惑うリケを苛立ちの滲む声で促す。それでも黙っていると、店員が「学生ペア割のご利用でよろしいですか?」と尋ねてきた。ようやく、オーエンの意図を理解した。
受け取ったドリンクをオーエンは音を立てて啜り始める。リケは手のうちの冷たさをじいと見つめる。それを横目にしたオーエンが唇を歪める。
「こんな時間に買い食いをしたら、夕飯が入らなくてママに怒られちゃう?」
「いえ。僕に両親はいません」
正直に答えたあと、ハッとした。こんなことを知られては、意地の悪いオーエンに何を言われるか。しかしオーエンは黙ったまま、ストローをいっそう大きな音を立てて吸っただけだった。
「それに、僕はこう見えて大食いなんです」
「おまえの食い意地の悪さはよく知ってるよ」
リケはようやくチョコレートドリンクを口に含んだ。大切に、舌の上で転がすようにする。つめたくて、甘くて、なにより濃厚だ。
「おいしい……!」
ほう、と溜息をつくようにして呟いたリケに、オーエンがすかさず言う。
「ねえ、校則で買い食いが禁止されているの知ってる? 校則違反して味わうチョコレートってほんとうにおいしいよね」
「いえ、夏休み期間中の買い食いは校則違反にあたりません。アーサー生徒会長に確認済みです」
チッ、と大きな舌打ちが聞こえた。
「おまえと話してると、これがまずくなる」
「帰る」と彼はベンチから立ち上がる。とはいえ、オーエンのプラスチックカップがとうの昔に空だったことに、リケは気づいている。
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