kanaco
2025-07-28 21:53:06
5211文字
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【十二信】シュガーハイ

《十二信》成立済CP。美味しそうにケーキを食べる信一くんとそれをニコニコと見ている十二くん。

そこそこの格式を持つホテルの最上階。

自ら予約を入れたスイートルームに足を踏み入れた十二は先人が部屋にいる気配を感じた。エントランスを通って途中にあったクローゼットハンガーにスーツの上着をかけ、鞄も置き、リビングルームへ直行する。広いリビングの中央には十二が事前にお願いしていた通りに、食事をするためのテーブルと向い合せのイスが1組み設置されていた。

その片方に信一が座っている。

彼の目の前には銀製のクローシュが置かれていた。それも十二が事前にホテルに頼んでいたものだった。滞在時間中は誰にも邪魔をされたくはないという理由で、十二が注文した料理は部屋に備えつけられている冷蔵庫に入っていたはずだ。だから信一が勝手に持ち出したのであろう。しかし信一はテーブルに出したくせにその蓋に手をつけることはせず、椅子に静かに座ったまま、目の前の銀のドームをただただ見つめていた。

その様子がなんだかおかしくて十二は思わずふっ、と息を吐く。
「お預けを食らってる犬か、お前は」

その声に信一が十二の方へ顔を向けた。バカにされたと思ったのだろう。誰もが震え上がる鋭さを目に宿して強く睨んでくる。
「遅刻してきたヤツがまず言うことがそれか?」
刺々しい声音だった。美人が凄むと迫力が桁違いである。とはいえ十二は全く堪えなかったが、それでも素直に謝った。
「悪かったよ。前の商談が少し押したんだ」
信一がフンッと鼻を鳴らしてまたクローシュに目を戻す。十二は空いている方の椅子をひき、信一の目の前に座った。それから十二もクローシュに視線を落とす。

「俺を待ってりゃよかったろう。溶けるものだったらどうするんだよ」
「もちろん、お前を責める」
……大遅刻にならなくて良かったわ」
「さぁて、紅茶を入れよっと」

信一が十二との会話をぶった切った。席を立った信一が軽い足取りでシンクの方へと向かう。十二は歩いていく信一の背で一つに結われた髪が少しだけユラリと揺れたのを見つめた。龍捲風が亡くなり、信一が髪をのばすようになってからもう幾年が経つ。それなのに会う度に「また髪が伸びた」と思ってしまう。腰へともうすぐ到達しそうな長さでは数センチほどのびようがもう判断できないだろう。それでも“のびた”と感じるのは、十二が今だにこの長髪に慣れていない気持ちが残っているからかもしれなかった。

十二の分の紅茶も用意した信一が再び席につく。
「召し上がれ」と十二が声をかければ、信一がカパッとクローシュを開けた。

金の細い飾り柄が上品に描かれた真っ白い皿。その上に1ピースのケーキがおかれていた。フカフカとしていそうな濃い黄色のきめ細かいスポンジに、純白でしっとりとした生クリーム。断層には食べ応えのありそうなハーフカットのイチゴが均等に埋め込まれ、上にもツヤツヤとした大粒のイチゴが贅沢に3つ乗っていた。上品で美しい、特別な日にふさわしいショートケーキだ。

とたんに目をキラキラと輝かせた信一は「いただきます」と言うと、丁寧な仕草で端っこをフォークで切り、その一欠けらを刺して優雅に口へと放り込んだ。十二は黙ったまま、真剣な表情をして信一を注意深く見つめる。

「んん~♪」
信一が幸せそうな声を鼻歌のように出して顔をほころばせた。嬉しいことがあった子供のように頬をゆるめて、美味しいものが入った口もムニムニとさせる。太陽の光が降り注ぐ昼の野に咲くのがふさわしい花。それを連想させるような、明るくてパッと華やいだ笑顔を見せる。

その笑顔はあの頃。龍捲風が信一の傍にいた頃。十二が一番に馴れ親しんだ表情だった。龍捲風が手作りの甘味を用意し、信一が食べてその甘さに大喜びし、十二がそれをニコニコと見つめる。何年も前は当たり前にあった、当時はいつまでもそうあるものだと思っていた記憶だ。刻み込まれている薄れない記憶。

ショートケーキの美味しさに感動する信一がだらしない顔で笑い、そうして十二もようやく笑った。信一と同様に”あの頃”によく見せた、虎の牙のような犬歯が見える程にパカリと口を開けて、屈託なくニカっと楽しそうに笑う。

「良かったな。このホテルで一番人気の看板デザートなんだってよ」
「おいひぃ」
「ははっ、そうかよ」

信一がいそいそと次の一欠けらをつつく。十二はそれを黙って見つめながら、砂糖もいれずにストレートで紅茶を飲む。信一がまた幸せそうに微笑む。あの日、王九に傷つけられ、薄っすらと残ってしまった頬傷の跡が、口角が上がると一緒に楽し気に上がる。

忌々しい傷跡だ、と十二は思った。
あの日から自分たちの世界は変わった。傷が目に映る度にそう思う。

龍捲風がいなくなり、信一はあんなに楽し気に語っていたカラオケ店の夢をいともあっさりと投げ捨ててしまった。それでも九龍城砦の住民たちの退去について最後まで尽力した後、一度はカタギの道を選択しようと歩み出した。しかしうまくはいかなかった。

信一の立場上「足を洗います」と言ったとして環境が急に変わるわけではない。相も変わらず物騒な出来事が周りで頻発した。そして何より信一が慕う部下や世話をしていた半端者たちを切り捨てることができなかった。結局は九龍城砦に居た頃の龍捲風と同様に、カタギのような生活をしながらも黒社会にどっぷりと浸かる日々に身置いている。信一は周囲に愛を注ぎ続ける人間だ。そういう人間に周りには良くも悪くも人が集まる。信一は九龍城砦に居た頃よりも大所帯といえる組織のリーダーに等しく、龍捲風の継ぎ目という立場も相まって、黒社会でも確固たる存在感を確立していた。

それについては、十二は信一の雰囲気が以前と変わった点も影響しているのではないかと考えている。信一が持っていた明るさや奔放さは今では鳴りを潜め、穏やかな物腰と落ち着いた仕草さ、そして涼やかな表情を纏うようになっていた。目に見えて愛嬌が減った分、端麗さは凄みを増し高嶺の花へと変貌を遂げる。信一を羨望する人間が明らかに増えていったのだ。

今、十二の目の前でケーキを片手にニコニコと笑っているような、龍捲風が愛した太陽のように屈託なく笑う青年は、今や月のような凛とした静けさを笑みに漂わせているのが常だった。月の美しさには信一の今の真っすぐな長髪はよく映える。

陳洛軍は自分の店を設け、兄貴の言った通りに理髪店を営んでいる。洛軍は信一が髪をのばし始めてからずっと、その豊かな黒髪とても大切にしていた。信一のための人を避けた時間を作り、丁寧に、何かを祈るかのように髪に触る。一方の十二は最初の頃、その髪が伸びていく様が信一の龍捲風に対する固執にも思えて判断に困った。

四仔は当時を知らない。あの男は九龍城砦を退去したと同時に日本へと飛び、自分の過去と真正面から向き合いに行った。そして2年ほどして香港に戻り開業をした。その四仔がいない2年間のうちに、トラブルで信一の髪が敵の手でバッサリと切られたことがあった。当の本人よりも洛軍と十二の方が烈火の如く怒った。思ったよりも信一の反応があっさりしていたので、十二は拍子抜けしたことをよく覚えている。

十二が香港へ帰ってきたばかりの四仔と2人きりで会った時、何故か四仔はその件を知っていた。なんでも日本に滞在している間、信一とは何度か手紙のやりとりをしていたらしい。その1通に髪切り事件と、あまりにも洛軍と十二が怒ったので自分は思わせぶり過ぎたかと反省する内容が書かれていたとのことだった。

十二の「髪の長さと龍兄貴への感情が密接に繋がっているのではないか」という考えは外れで、信一にとってはブランディングだったらしい。四仔に「やりすぎだぞ」と言われたので「お前だっていたらそうした」と言い返せば、あの不愛想がトレードマークだった男が「そうだな」と穏やかな顔で笑った。吹っ切れたような表情だった。

洛軍は手に職を持ち、四仔は過去にけじめをつけ、信一は強かに前に進んでいく。

十二だって虎兄貴の傘下でありつつも何年か前に独立し、自分のシマを治めていた。信一に遜色ないほどの実力と知名度と地位を確立している。それに“恐怖”や“危険度”という意味では十二の方が業界に名を轟かす。

九龍城砦があった頃まるでセットのように扱われ、実際によく顔を合わせていた4人でさえ、そうして時代の変化と共に自然と生活環境とリズムが変わっていったのだ。少人数ではとにかく、4人揃って集まろうとなると難しい年すらもあった。

それでもいつかの信一が言ったように変わらないものもある。確かに4人は暮らしている場所は離れ、会う機会も時間も減ったかもしれないが、かつてと同じようにお互いをいつだって気にかけている。誰かに何かあれば真っすぐに駆けつける気持ちだって誰1人変わっていない。相変わらず洛軍は変わった男だったし、四仔は生真面目で、そして十二が「一緒に旗を上げよう」と誘っても信一は首を縦にはふらない。「もうそろそろ、いいじゃねぇの?YESをくれてもさ」と十二は思うのに、信一は相変わらず微笑むだけ。だから十二は今年も誘う。あの頃と同じように。

変わる、変わらない。人間とは複雑な構成をしている。白黒だけでは決まらない。

「どうしたんだよ?黙って」
……今まで色んな変化があったな、と思い出に浸ってた。それに変わらないことも」
「突然なに?らしくもねぇな」
「そうか?俺って世間が思ってるよりも感受性はたけぇのよ」

あの忘れもしない事件が起きてから、一生変わらないと確信するものもある。

「お前はまだ涙を流してる」
十二が虎のような瞳の奥をきゅうと窄めるようにして、見透かしたように信一を見る。

「そういうお前はまだ怒ってる」
砂糖を3つクルクルと回した紅茶を一口飲んでから、信一が薄く笑って十二を見る。

十二は鼻で笑い飛ばした。当たり前だった。十二はあの時の激しい怒りを生涯絶やしてなるものかと、今でも血がでんばかりに拳を強く握りしめている。そして信一はあの時の悲しみを、息もできないほどの絶望を、永久に抱きしめて生きていくのだ。

降り止むことのない雨、燃え尽きることのない炎 外れることのない鎖。信一の頬傷は消えない。信一の右手の指も戻らない。失った人間は還らない。それは折り合いをつけて消化したり、ましてや風化されてしまうものでは決してない。この怒りと悲しみが、今の自分たちを生へと前進させる。今黒社会にて猛スピードで成長していく若い2人のなりふり構わない姿勢はそれを背負っているがゆえだ。大切な人を、大切な場所を、大切なものを、自分を見失うことなく、いかに守っていくか、そのための力に必死に手を伸ばす。

しかし人間は複雑な構成なので怒りと悲しみだけでは真っ当には生きてはいけないのだ。激しい感情に突き動かされ続けるにはエネルギーがいる。

「まぁ、時には糖分が必要だよな」
信一が十二を見て笑う。
「そう、糖分が必要だ」
十二が信一を見て笑い返す。

あの忘れもしない事件が起きてから、変わってしまったように見えて、実は変わっていないこともある。それは巧妙に隠れてしまっただけで、当の本人さえ引き出せない場所にひっそりと眠っているものだ。そしてそれを引き出せるのは、今となっては自分だけだと十二は自負している。

信一が幸せそうな顔で3口めのショートケーキを口に入れる。

十二が信一のために用意したショートケーキ。残念ながら十二には龍捲風のように甘味を手作りすることはできない。それでもあの頃の笑顔まで、ほんの少しの僅かな時間であれば信一を連れていくことができる。食べた信一がまるで昔のように、陽の光を浴びた花が明るく咲いたように笑う。それを見た十二少がまるで昔のように「あなたが幸せで嬉しい」と同調するかのように楽しそうに笑う。

数カ月に一回、十二が用意する部屋。
十二が信一のためにその度に用意する甘い洋菓子。
誰もいれない、2人だけの空間。

月を太陽に。
自分たちを突き動かすための甘い、甘い、大切なシュガーハイ。

人生はバランスだ。自分を演じ、それでも軸をブラさず、大事なものを抱え込み、それに迫る悪意の手を払いのけ、掟や虚偽へ向かい合い、怯むことなく血を浴びる。いまにも闇に呑まれそうな事ばかりが蔓延るこの世界で、如何にギリギリのままに均衡を保つかが重要となる。

変わるもの。変わらないもの。

「ん~~!あんまぁい」

信一が左手を頬に添えて幸せそうに甘いケーキを頬張る。十二は「ふはっ」と笑って砂糖菓子のように甘い顔を浮かべる恋人を眺める。

そうして2人はこの束の間だけの愛しい時間を大切そうに抱きしめるのだ。