endoftheyo
2025-07-28 20:31:22
2794文字
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暁[西大]

大久保さんが大変取り乱しております。次の話からはちゃんといつものクールな大久保さんになるので許してください。歴史の捏造と脚色しかしてないです。間違ってたらすみません。

 桜島が火を吹いた。もうもうと空へと真黒い煙が天に上がっていく。激しく燃え盛る桜島の山頂は、やがて火の勢いが弱まり、あたりが静まり返る。それでもいつまでも上がり続ける煙は空を覆っていった。
 大久保を照らしていた太陽の光は噴煙に遮られていき、あたりは闇に包まれた。しばらくすると真黒く染まった海の向こうに月が上るのが見える。月の光は海に反射して一筋の道を作り出した。
 大久保は、その光の道に向かって一歩、足を進めて止まる。もう一度空を見上げれば雲の隙間から見える光が東へと動いているような気がした。
 
 ざわりと神経を逆撫でされるような感覚がして、心臓が跳ねる。大久保が次に目を開けると、視界には文机の木目だけが広がっていた。



 斉彬公の急死の知らせを受け取った日のすぐ後、篤姫の身を大奥に移してから大久保はすぐさま薩摩へと帰った。
 篤姫からは西郷と共に薩摩を頼むと言われていた。しかし斉彬公の急死の報告と共に書かれている薩摩の近況を見れば、幕府の追っ手から月照を匿おうとしていた西郷自身に身の危険が及んでいる状態であった。
 あの男なら、大丈夫だ。そう言い聞かせて帰路を急く。
 薩摩に着くと、事態は一刻を争う状況であった。
 大久保の帰郷後ほどなくして、藩は幕府からの追及を逃れるため、月照に日向送りの沙汰を下した。幕府に渡った月照が薩摩の不利になる証言をさせないために、亡き者とするのだ。
 西郷は刑の執行に立ち会うよう、命を下されている。今の時点では月照のみの処刑となっているが、今後西郷にどんな沙汰が下されるか分からない。西郷の身柄を幕府に渡すわけにもいかないのだ。
 一番簡単な方法は、二人とも始末すること。先代斉彬公なら、させないだろうが……
 斉彬公の甥の代となった今、実権を握っているのは先々代、斉彬公の父である。斉彬公と折り合いの悪い先々代が、斉彬公気に入りの西郷を庇うとは言えない。
 大久保は帰郷後、荷解きもせずに西郷の助命に奔走する。当代藩主の父、久光公に面会を願い出たが門前払いであった。なれば……と、すぐさま久光公や周辺の上役に意見書を書く。会える人間には全て会って、西郷という男が薩摩にとって如何に必要な人間であるかを訴えた。
 そうして昼夜問わず、不休で走り続けた日の明け方のことだった。

 文机から体を起こし、どことなく気味の悪く感じる夢に息を吐いた時だった。
「大久保さあ! 大変であいもす!」
 大久保の自宅の間取りを知っている藩士が、玄関を介さず大久保の自室の窓を開けて叫んだ。

 西郷隆盛が月照と入水自殺をした。という知らせであった。

 それを聞いてからの大久保の記憶はない。
 知らせに来た藩士の跡を追って現場に向かったのだろうか、現場がどこかを聞いて一目散に一人でそこに走って行ったのだろうか。
 西郷吉之助が死ぬわけがない。ましてや自殺など、そればかりが脳を巡るだけだった。……気づいた時には、筵を被せられた遺体の近くで、藩の役人に縋り付いていた。

「吉之助、吉之助は……っ! どこに……、体が、上がっちょらんか!?」
 浜にあった一つの遺体はどう見ても西郷のものではない。月照のものだろう。なら、西郷は……
 気づいた時には、足が濡れていた。着ているものを脱ぐこともなく、西郷を探しに海水に身を沈める。冷たいはずの海水の感覚もない。まだ黒の多い水面への恐怖もなかった。
 どこに、どこに……。吉之助は……
 肺が燃え上がるように熱くなるほど、息を忘れて、潜り続ける。黒の中に闇雲に手を伸ばして水を掻いた。
 突然、体に何かが巻き付いて浮上させられる。
「やめてくいやい!」
 掴まれた体を振り解こうともがく。振り下ろした肘が誰かの体を打つ。砂を踏み締めて前に進めば体を引かれて海面に顔を打ちつける。図体のでかい、大太刀を振るう大久保の抵抗に、取り押さえようとした男たちは悪戦苦闘した。
 不眠で目の下を黒くしているが、酸欠で頬は赤く染まっていた。濡れた髪は顔に巻き、その姿はまるで修羅のようであった。
 四人ほどが協力して取り押さえ、ようやく大久保を引き上げる。
「吉之助……
 砂浜に顔を擦り付け打ちひしがれる。周りにいた者、誰もが知らない大久保の姿だった。

 誰も、かけられる言葉はなかった。一同が大久保が再び海に向かわぬように気を張りながらも、事態の処理を再開した。


「大久保、行っど」
 周囲の視線が少し離れたところで、一人の役人が大久保に声をかける。大久保の反応はなかった。大久保は自分より身分が高い者に無礼を働くような男ではない。
 役人は一つ息を吐いて大久保の腕を引いて無理やり立ち上がらせた。
 立ち上がらせてしまえば、大久保は引かれるままに歩く。そこに自らの意識はないのだろう。憔悴しきった大久保に、役人はただ無言を貫いて歩を進めた。



 役人がしばらく大久保の腕を引いて歩くと、小屋のような小さな家にたどり着く。ぐっしょりと濡れた衣服の大久保だったが、役人はそのまま家の中に上がらせた。

 そこに転がっていたのは、紛れもない西郷隆盛だった。
「吉之助さ……
 大久保は恐る恐る、その寝転がる西郷に寄っていく。仰向けで掻巻を被せられている。唇が青い。
 その横に膝をついて、掻巻を捲った。西郷の手を握れば、それは凍るほど冷たい。
「吉之助……
 祈るようにその手を己の両の手で握り、目の前の胸に突っ伏した。

 すると、西郷に乗せた大久保の体がゆっくりと上下する。己の息だろうか、心臓の鼓動だろうか。
 大久保が体を起こして、西郷の体をよく見るとゆっくりと呼吸するのが見えた。

「は、はは……
 大久保の口から漏れたのは、安堵のため息でもない。ましてや嗚咽などでもない。笑い、だった。

 西郷が死ぬわけない。自分は間違っていなかった。
 藩が見放そうとも、この世を動かす何かが、西郷を生かしている。西郷には西郷にしかできない役目があるのだ。
 それを成すべく、生まれてきたのだ。

 力の抜けたようにしばらく「ははは、」と声を漏らした後、大久保の視界が開ける。
 己をここに連れてきたであろう役人、西郷を診ていた医者が目に映る。そして、その端で西郷が微かに目を開いていた。

「取り乱し、みっともない姿をお見せしたこと、面目次第もなく……。ご助命いただいた恩は、いずれ必ず」
 西郷の体から身を離し、床に額をつける。
「西郷はこれからの薩摩にとって不可欠な存在。何卒、お取り計らいのほど……

 大久保は平伏したままそれだけを言うと立ち上がり、一礼した。そして踵を返し、振り返らないままその場を去った。
 
 外に出れば水平線を離れた朝日が、大久保を照らした。