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☆人/H星人
2025-07-28 20:31:02
61923文字
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間話 驚愕+捜索=御挨拶
世界の片隅に位置する小さな島国『五つ国』
そこは豊かな自然に囲まれ、独自の文化を育みつつ、ゆっくりと発展して続けている国。
その大陸には文字通り、五つの国があった。
武に優れた国もあれば、芸術に特化した国もある。
このお話は、そんな小さな国々で起きた平和な日常の風景
…
○○○
五つ国は今日も晴天。
たまには雨も降って欲しいが、どうやら国を見守る女神は晴天の方がお好きなようで。
そんな晴天続きは些細な事だと、水の豊富な創国ティファレトではいつもと変わらない風景を保っていた。
カフェ通りの隅、ケーキの美味しい茶屋『セフィロトの樹』以外は
…
「うーうー
…
」
「
…
あの、シルヴィーさん大丈夫ですか
…
?」
「うーうー
…
」
「お、美味そうなケーキ。いただきまーす」
「あっ、ユラさんそれシルヴィーさんの
…
」
アテナの制止を聞かず、ユラはケーキを鷲掴みすると、カブリと豪快に食らいついた。
しかし、いつもなら叱りつけるはずが、テーブルに顔を付け唸っているシルヴィーは、無反応だった。
アテナは心配し、すでに店に到着していたエレンとカリンに理由を聞くが二人とも首を横に振る。
ユラはケーキを完食した。
彼女達は五つ国を治める王族、五人の次期国王の婚約者だ。
週に一度、小さなカフェに皆で集まり色々話したりしている。
とても長い群青色の髪を一つに結び、右顔には火傷の痕が見え隠れする『アテナ』は武国王子ザードの恋人。
厚着をしているが、寒がりではなく工国出身なのが理由らしい。
雰囲気からテディベアのようにふわふわして、とても弱々しく可愛らしい外見の『カリン』は創国王子アレフの下ぼ
…
ではなく恋人だ。
つねに困ったような表情をしているが、そこが可愛さを倍増している。
モデルのようにスタイルが良く、さらに顔立ちも優しげで美しい。特に胸の大きさが人並み以上なのは『エレン』
工国王子ヒサギとは友達以上恋人未満の関係だ。
体型のはっきり出るマーメイドドレスがよく似合っている。
臙脂色のボサボサした髪を高く一つに結ぶ、ケーキをぺろりと完食したのは『ユラ』
知国王子フェルナンドの自称嫁(正しくは婚約者だが)
武国の女戦士らしく腰には刀を差し、鍛えられたスレンダーボディをしている。
そして、
机に顔を突っ伏した、少女のように小さい娘が『シルヴィー』
農国王子サルゴンの恋人だが
…
傍から見れば仲良し兄妹にしか見えない。
一応、彼女はれっきとした大人である。どう見ても少女だが、エレンと同年齢である。
いつもはハキハキして、皆を先導するシルヴィーが唸り声を出している。
体調が悪ければこんな場所にいないし、あんなに温厚なサルゴンと喧嘩するなんて考えられない。
もしかしたら家庭の事情かもしれない。
彼女の両親は以前娘を利用して贅沢な暮しをしようとした。
…
あの後も色々あるのだろう。
「今はそっとしときましょう」
アテナの一言に、一同頷いた。
「そうだ!俺昨日フェルナンドの親に会ったんだ!」
突っ伏すシルヴィーをそっとしたまま、ユラは思い出したかのように話し始めた。
「いつも通り中庭に行ったらさ、フェルナンドがいないのよ。だからちょっとだけ城の中に入ったら
…
馬鹿長い廊下の向こうから
…
こっちを睨んでるんだよ」
ユラが怖い話をしているような口調と動作をすると、カリンは隣のエレンにヒシリとくっついた。
アテナは眉を下げた。
「に、睨んだんですか
…
?」
「そう!俺目良いからよーく見えたぜ。二人とも目をこーーんな細くして、こっち見てんの!」
ユラは指で自分の目尻を思い切り引き伸ばし、激しいツリ目を作る。
確かに、ユラは知国とは正反対の武国出身だ。
親
…
国王王妃にしたら、次期国王の妻にはこの上なくふさわしくないのだろう。
もしかしたら、国王達は未だシルヴィーをフェルナンドの妻にする事を狙っているのではないだろうか?
だから、ユラが気に入らないのか?
とにかく、ユラが見た事は事実だろう。
そういえば、アテナも以前フェルナンドの両親に会った事がある。
一度目は知王
…
ナルセスとはザードとの仲を確認するために対峙した。
フェルナンド以上に目が鋭く、今思い出しても体が震えるほど、怖い視線だった。
そして二度目は王妃と一緒だった。
あれは
…
シルヴィーがフェルナンドと結婚させられそうになった時だったか
…
アテナはザードの婚約者として、全王族に軽く挨拶した。
工と創国の王妃は来ていなかったようだが、他の人には顔見せが出来た。
その中の一人
…
知国の王妃は王同様、目が鋭くユラの言う通り此方を睨んでいた。
姿は細身で、いかにも知国女性な整った正装と髪型をしていた。
「(フェルナンド様の両親さんだけあって
…
厳しそうな人だったなぁ
…
)」
アテナは飲み物を一度口に含むと、エレンがゆっくりと微笑んだ。
「でも、後々きちんとご挨拶しないといけませんね」
「挨拶?」
「ええ
…
王、王妃
…
フェルナンド様のご両親となれば、いずれ身内になる方々
…
ちゃんと和解しなくては、ね?」
エレンがそう諭すと、ユラは「むぅ」と唸り、手元の水を一気に飲み干した。
流石エレンだ。
彼女の言う事には、何故か説得力があり言い返せない。
言い返せるのは、きっとサルゴンと
「その通りです!挨拶しなければいけないんです!!」
刹那、
アテナがコクリと頷いた瞬間、横のシルヴィーが突然立ちあがり、大声で叫んだ。
突然立ちあがったシルヴィーに一同は目を丸くして、言葉をなくした。
しかし、当の本人はそんな事を気にせず言葉を続ける。
「私が毎日毎日探しているのにどうして見つからないのですか!?むしろ農国が広すぎなんですよ!歩いても歩いても同じ風景で
…
方向音痴の私に喧嘩を売っているのですかぁあああ!」
「おおお、落ち着いてくださいシルヴィーさん!」
今にも暴れ出しそうなシルヴィーを制止するように、アテナが声をかける。
その様子を見ているカリンは半泣きでブンブンと頷き、エレンとユラは動じずそれぞれ紅茶と新しいケーキを口に運んでいる。
シルヴィーは、ハッととしたように状況を理解すると大人しく席に腰を下ろした。
「
…
すみません、ちょっと騒いでしまって」
「ちょっとどころじゃないけどな」
「ユラさんっ
……
こほん、シルヴィーさん一体どうしたんですか?挨拶とか探しているとか
…
?」
まさかサルゴンが行方不明ではないだろうし
…
一同は溜息を吐くシルヴィーに注目した。
「見つからないんです」
「どなたが?」
「ラルゴ様です」
シルヴィーの答えに全員が驚き、顔を見合わせた。
どうしてラルゴを探す必要があるのだろう?
ラルゴといえば、農国国王。サルゴンの父親だ。
息子同様、農国特有の不思議な訛りで話し、性格も癖のある人だ。
「
…
普通、次期王妃となるべき娘は、次期国王と婚約する前に、現国王に挨拶
…
というか顔合わせして仲を認めてもらうのですよ」
シルヴィーは一同の不思議そうな顔に気付いて、冷静に説明し始めた。
「しかし、私は
…
ほら、色々とごちゃごちゃしてしまって
…
それが後回しになってしまったんですよ。ですから、結構前から王様と王妃様を探しているんですよ。とにかく私達の事を直接認めてもらうのが掟というか、決まりというか
…
普通でもそれが当り前でしょう?」
確かに
…
これは王族でなくともそうだ。
婚約したとはいえ、相手の両親に挨拶しないのは
…
一般の家庭でもしない事だ。
エレンは頷いた。
「そう言われれば、そうですね。私ヒサギ様のご両親に会った事ないです」
「エレンさんとうとうヒサギ様と婚や
…
」
「してないですけど、お 知 り 合 い としてご挨拶を
…
」
ニコリと微笑むエレンを尻目に、全員の脳裏にはヒサギの半泣き顔が浮かんでいた。
「
…
それで
…
シルヴィーさんはラルゴ様を探しているのですね」
「ええ
…
水仙様
…
いえ王妃様はすぐに見つかるのですが、ラルゴ様本人は
…
」
『一向に見つからない』と呟き、シルヴィーは頭を抱えた。
その姿は本気で悩んでいるようだった
…
ユラは首を傾げる。
「見つからないってさ
…
国の王様だろ?城にいないのか?」
「農業の仕事があるので、早朝と夜しか城に戻らないそうです」
「ああ、なるほど。ならサルゴンに聞いてみればいいじゃん」
「聞きました」
「?
…
じゃあ大丈夫じゃないのか?」
「
……
父は毎日一か所にいないし、短時間で国を一周するくらい動き回っているから
…
って、サルゴン様も居場所が分からないそうです」
一同は沈黙した。
息子のサルゴンでさえ分からないラルゴをどうやって探せばいいのか
…
どこかで待ち伏せするか。それなら王の会議に飛び込んでしまえば確実だ。
むしろ城にお泊りすれば
…
とそれはまだ早い。
挨拶などせずにこのままけっこーん!
…
では掟を破る事になるし、自分のポリシーに反する。
悩み続けるシルヴィーにエレンは苦笑した。
「確かにラルゴ様はお忙しい方ですよね」
「エレンさんはよく会うんですか?」
アテナのびっくりしたような反応に、エレンは頷く。
「ええ、私の家の前をよく通りますし
…
挨拶も一言二言されていきますよ」
エレンの脳裏に、そんな時のラルゴが思い浮かぶ。
挨拶は気候の事から冗談混じりの胸の話と様々と交わされている。
しかし、少し前には一言「残念だったな」と言われた事がある。
その意味は
…
今となってやっと整理が付いた事だ。
日々忙しそうに動き回っているラルゴだが、見ているものは見ている。
恐らく、
「シルヴィーさんもすぐに会えますよ」
「?」
エレンがにっこりと微笑むと、アテナはきょとんと頭の上に『?』マークを浮かべた。
当の本人、シルヴィーはいまだ頭を抱えていた。
「そうだ!カリンさんならもう挨拶を済ませているでしょう?!」
シルヴィーはガバッと顔を向けると、カリンは少し青ざめ震えていた。
瞳は、微かに恐怖に包まれている。
「カリンさん?」
「ふ
…
ふにゅぅ」
いつもオドオドしているカリンだが、今は一段とプルプルしている。
彼女は創国の王子アレフの婚約者。
幼い頃からアレフとは親しい仲なので、きっと王と王妃とも顔見知りだろう。
それに、アレフはカリンを溺愛しているのだから、何の支障もない
…
はずだが
「わ、私には無理ですぅーーー!!」
一同の思案とは正反対に、カリンは声を出して泣き始めた。
しまいには隣のエレンにヒシリとくっつき、肩を揺らしている。
「か、カリンさん
…
?」
「わた
…
私
…
アイカ様に嫌われているんです」
かすれたカリンの声に一同は『えっ』と声をだした。
さらにユラは身を乗り出した。
「あのさ
…
」
「はい?」
「
…
『アイカ』って
…
誰だ?」
驚きの後にまた驚きだ。
シルヴィーはガクリと肩を落とすが、気が付くとアテナもしきりに頷いているので、彼女も知らないのだろう。
エレンは
…
雰囲気でそれが何者なのか察して、カリンを撫でている。
シルヴィーは溜息交じりに言う。
「『アイカ様』というのは、創国の王妃
…
リーフ王の奥様です。ついでに言っときますが、アレフ様のお母様ですよ」
「なるほど」と、ユラとアテナはようやく理解した。
ようするに、カリンにとって『お姑』という事になる。
よく話で聞く『嫁姑問題』だ。
「嫁にはベイナスは食わせるなってよく言うもんな!」
「そうですね。猫くわえた魚泥棒ですよね」
「どこから突っ込めばいいか分かりませんが
…
違いますよ」
きょとんと首を傾げるユラとアテナを訂正する気力もなく、シルヴィーは改めてカリンに向き合った。
「カリンさんはすでにご挨拶していたんですね」
「
…
はい
…
でも、アイカ様に、いつも
…
『認めない』と、怒られてしまって
……
私、私どうすればいいのか、分からなくて、ふぅぇ
…
」
カリンは途切れ途切れに呟くと、エレンの腕へさらに抱きついた。
創国を束ねるのは、国王リーフ。
自分も以前会った事があるが、アレフ以上に掴みどころがなく、噂では執務をサボっては各国をブラブラしているらしい。
リーフの側近を務めているのは妻
…
王妃のアイカだ。
一時は傾きかけた創の財政を立ち直らせた上に、賢王と呼ばれていた前国王の突然の死に動揺していた城の大臣達を一喝して流れを正常にしたらしい。
実質、国を動かしているのはアイカと言っても過言ではない
…
と噂されるが、彼女自身、表舞台には滅多に顔を出さない為、真相は分からない。
どちらにしろ、あの訳のわからない父子をキチンとさせているのだから、アイカが有能な事は確かだろう。
リーフはあんな性格だから、カリンをすんなり認めたのだろうが
…
アイカは許さないらしい。
やはり息子可愛さだろうか?
『私の可愛いアレフは誰にも渡さない
―
!』ということだろうか?
…
とにかく、この問題はカリンが解決するしかないだろう。
外部者がどうのこうと言ったところで、どうしようもない。
これも一つの試練だ。
シルヴィーは自分の事も含めて、それ以上何も言わない事にした。
「とにかくさ、親父さんとおふくろさんに認められればいいんだろ?」
ユラは何個目かのケーキを一気に口に入れると、勢い良く立ち上がった。
「俺もメンチ切られたんだ!負けねぇよ!だからシルヴィーとカリンも一発殴る位考えとけ!よっしゃ、そうと決まったら決闘書叩きつけにいってくるぜ!」
「ちょっ、決闘はしないでください」
「例えだよたーとーえー!」
ユラの例えは冗談に聞こえない
…
と一同は溜息を吐く。
それと同時にユラは踵を返し、走り出した。
「ゆ、ユラさん!?」
アテナの声を背中に聞きながら、ユラはそのまま一同の視界から消えていった。
恐らく
…
フェルナンドの両親に会いに行くのだろう。
間違っても決闘などメンチだのしなければ良いが、彼女の性格だと分からない。
シルヴィーは一度大きく溜息を吐いた。
「ユラさんはナルセス様とファリス様がどちらにいるか知っているのでしょうかね?
…
大体は城にいないのですが
…
」
「え、お城にいないんですか?国の見回りですか?」
アテナはパチクリと瞬きする。
武国では、国王のレオが国の見回りに出掛ける事が多い。
ザードを含めた兵士たちは交代でそれをしているが、レオは毎日国を周っている。
やはり国王としての務めなのだろう。
言われてみれば、農のラルゴも創のリーフも城にいる事が少ない。
…
それで国が滞りなく動いているのだから、人々の強さは計り知れない。
感心するアテナを見て、シルヴィーはきょとんとした顔した。
「ナルセス様は確かに城で執務をこなしているとはおもいますが、ですけどファリス様は
…
あれ?アテナさん
…
カリンさんも気付いていないんですか?」
「?」「??」
アテナとカリンは顔を見合わせ、首を傾げた。
○○○
ユラは創国から一気に駆け、知国の城まで辿り着いた。
日ごろの鍛練のおかげか、少しも息が上がっていない。
むしろいつもは武国の自宅から、今立っている知城まで一気に走ってくる。
だから、半分の距離などなんてことない。
ユラは有り余る元気を抑えずに、勢いをつけて城壁を駆けあがった。
飛び降りると、そこには見慣れた中庭が広がっている。
季節によって違う色とりどりの花と色の濃い木々の葉が揺れる、別世界。
知国は家の壁と石畳の灰色ばかりの殺風景な国だが、城の中庭はそれを補うかのように色で包まれている。
ユラはガラにでもなく、花に少しだけ見惚れた。
母が生きていた頃はよく自分と母二人で花畑まで散歩に出掛けたモノだ。
創国と武国の領土のちょうど境目に、あまり人に知られていない花畑がある。
母は花を摘むことなく、ただ見ているだけだった。
『花も生きているのだから』
それが花畑に来た時、よく母が行っていた言葉だ。
それでも幼い自分は花に見惚れていた。
否、花を見つめる母の横顔が今にも
消えてしまいそうで、目が離せなかった。
ユラはハッとして、顔を振り、中庭の目指す先へと足を進めた。
自分の目的は花ではない。
今日は決と
…
じゃなくて、ごあいさつだ。
それにはまず、
「フェルナンドー!」
「
…
?今日は皆と茶会ではないのか?」
ユラの大声に、顔だけを向かせ椅子に腰かけていた城の王子
…
フェルナンドは不思議そうな表情をした。
普段ユラはちょうど昼時に来て、昼食を食べる。大体毎日。
フェルナンドに会いに来ているのか、昼食を食べに来ているのか分からないが
…
とにかくフェルナンドもユラもお互いにその時を楽しみにしているので、とくに文句を言う事もない。
だが最近は次期王妃五人で集まって、他愛もない話をする集まりを、大体週に一度しているので昼に来ない事もある。
今日はその日だと聞いていたから、フェルナンドは不思議そうな表情をしたのだった。
「
…
急に来られては、食事の準備が
…
」
「なぁフェルナンド!おー様とおうひ様はどこだ?」
ユラは本を閉じているフェルナンドの言葉を遮り、身を乗り出す。
フェルナンドは眉に皺を寄せて、訝しげな視線をユラに送った。
「父上と母上
…
?何の用だ?」
フェルナンドは片眉を上げ、首を傾げた。
その動作は何故かとても絵になっている。
イケメンだ。美形だ。絵のようだ。とても良い。
ハッと、ユラは再び見惚れる自分を振り払い、改めて身を乗り出した。
「おう!さっきな、シルヴィーから『結婚するなら王様王妃様に挨拶しろ』って言われたからよ!決と
…
じゃなくて、会って挨拶しようかなぁーと思って
…
ほら、ぜんざいは急げだぜ!」
ユラはにこにこしながらフェルナンドの答えを待っている。
フェルナンドは「ふむ」と一言唸ると、少し目を細めた。
確かに王族と婚約する場合、何よりも先に王と王妃と顔合わせをし、婚約を認められる必要がある。
もちろん、相手
…
娘の両親にも挨拶するのだが、ユラの父親には例の反乱戦の後
…
何故か土下座された。
突然自分の前に駆けてきたと思うと、鮮やかにスライディングし無駄のない無駄な動きで頭を地面に押しつけてきた。
『ふつつかな娘ですが』や『男手一つで育ててきましたが』等と早口で喋り、とりつく島もなかった。
…
とにかく自分とユラを認めてくれているようなので、それ以上は立たせることだけしかできなかったが
…
あの娘にこの父だと実感した。
それは置いておいて、だ。
シルヴィーもなかなか適切なアドバイスをしたものだ。
いずれ自分からユラにその旨を伝えようとは思っていたが、自分から行おうとするのならそれが一番良いだろう。
だが、しかし父上はユラを気に入っていないようだ
…
彼は『女性は女性らしく』とぶつぶつと言っている。説教のように。私の前で。それで毎日のように静かに議論をかわしている。
こちらも反撃するが、これではきりがない。
…
ここは母上から先に会わせておいた方が良いだろう。
フェルナンドは少し考えてから顔を上げると、ゆっくりユラへ言った。
「母上は国立図書館にいるだろう」
「国立図書館だな!」
「ああ
……
む」
フェルナンドが言葉に続いてゆっくり頷き、再びユラを見つめ
…
ようとしたが、すでに彼女の姿は消えていた。
…
どうやら、言葉を最後まで聞かないうちに行ってしまったらしい
…
「本当に落ち着かん奴だ
…
」
フェルナンドは溜息を吐く。
人の話は最後まで聴け。といつも言っているはずなのに
…
「
…
まぁ、いいか」
しかし、フェルナンドは気を取り直して、再び本を開き瞳を落とした。
彼女の驚き、慌てる顔を楽しみにしつつ。
○○○
ケフラー国立図書館━
…
その場所は五つ国全ての知識と蔵書が集められている知の要の様な場所だ。
多くの学者はこの場で知識を蓄え、自身の求める答えを探る。
過去に破天荒な論理を唱え、五つ国の常識を変えた者でさえ、この図書館で今も現役で討論を交わしている。
ユラはそんな自分が立つはずも近寄るわけもなかった古い建物の前にいた。
そんな知識の要だか国立だかよくわからない肩書きはどうでも良い。
自分はフェルナンドの母親に挨拶の来たのだ。
以前見たフェルナンドの母、王妃は目付きが鋭く、身なりもきっちりしていた。
きっとあれは堅苦しい学者だ。インテリだ。訳の分からない数式ばかりブツブツつぶやいているに違いない。
だから、この国立図書館に来て、よく分からない勉強をしているのだ。
…
フェルナンドに聞かれたら怒られそうな事ばかり思うが、自分はそうとしか思えない。
『ワケが分からない、ではなく明確に言え』と変なツッコミをするに違いない。きっときっと
…
ユラはイケメンなフェルナンドの顔を振り払い、改めて正面のドアへと手をかけた。
とにかく今は認めてもらわねばならない。
決闘だ。負けられない決闘だ。
ここまでずっと障害ばかりだったのだ。この位の壁など叩き割ってやろう。
もし負けそうになったら
…
フェルナンドを思い出そう。
幼かったあの日から、ずっと辛い時思い出していた、好きな人の顔。
前はぼやけていた顔も、今はハッキリと浮かぶ。
それでやる気と気合いと元気が出る。また頑張れる。
…
こんな事周りの奴らに知られたら『女々しい』だの『お前らしくない』だの『気持ち悪い』だの言われそうだが
…
そこらへんは母に似てしまったのだろう。
自分でも、結構
……
女らしいと思う。
「でぇい!さっさと行くぞ!」
ユラは一言気合いを入れると一気に図書館のドアへ力を込める。
すると、ドアは歴史を感じさせる高い軋み音をさせて、重苦しく開いた。
図書館の内部は埃っぽく、乾燥していた。
フェルナンドが以前言っていたが、書物に水分
…
湿気は大敵らしい。
だから、五つ国唯一水源のないケフラー国は本の保存に最適で、知の文化が発達したそうだ。
この図書館はそれを体現しているようで、パッと見回しただけでかなり古い本が要塞を築くように並んでいる。
鼻をつく古いインクと紙の匂い。
フェルナンドの近くに行くと、よくしている新しいインクの匂いとは違う。
だが、ユラはそれもまた嫌いではなかった。
ユラは空気を読んでドアを静かに閉め、内部を歩きだす。
無造作に置かれた大テーブルに本の山を積み上げ、一心不乱に読みふける学者らしき青年もいれば杖をつきながら目的の本を探す老人もいる。
かと言って静かな事もなく、端のテーブルでは数人の身なりの違う年寄りが固まって何やら討論を交わしている。
異様な空間だ。
ユラは自分の場違い加減に苦笑し、改めて目的の人物を探す。
しかし、女性は自分一人しかいなかった。
「もしかしてアレが
…
?」
「ああそうだろうな」
「特徴がぴったり合う」
「なんと娘があんなに肌を出してますよ」
ユラがきょろきょろと周りを見回していると、何やらこちらをちらちらと見ながら小声で話している数人の男が目に入った。
「フェルナンド王子も
…
よりにもよって
…
野蛮な娘を」
「ホド国の
…
者だろう?全く
…
だ」
「私はヴィーナス領の
…
方が私は相応しいかと思いましたが」
「私が王と王妃に言って婚約を取り消しましょう」
「
……
」
ユラはその言葉を無視した。
フェルナンドと婚約してから、耳がタコ飯になるほど聞いた蔭口だ。
知国の王妃にはそれ相応の知識と教養が必要だとか、そんな事をいつも言われる。
自分はタコよりもむしろイカが食べたい。
…
とにかく、自分は歓迎されていないようだ。
「上等だ、このやろー」
ユラは鼻を鳴らし、小声で呟いた。
どんなに言われても、自分はフェルナンドの嫁になる。
決定、もうけってい。
どんなに反対されても、気に入られなくとも
…
だ。
「ところで、フェルナンドの母
…
」
「こんにちは、武国の娘さん」
気を取り直して、ユラがクルリと踵を返した時、いつの間にか目の前に女性が現れた。
いつのまに背後に来ていたのだろうか?
気を抜いた覚えはないが
…
ユラはニコニコした女性に挨拶を返した。
「あ、どうも」
「何かお探しですか?ここの図書館は私が管理していますので、本の名前を言えばすぐに出しますよ」
「いや、本じゃなくて
…
人を探してるんだ」
「人?」
ユラは頷くと、改めて女性の確認した。
厚ーい眼鏡に栗色のボサボサ髪。
前髪と眼鏡の向こうに水色の穏やかな瞳が見える。
しかし服もヨレヨレな上に上着の肩がだらしなく伸びきり、首元に巻かれているであろうリボンタイは解けて肩に心もとなく引っ掛かっている
…
「
…
ああ、ちょうどこーんな狐みたいにちょー目つき悪くてよ、びしっと服も皺一つなくて
…
とにかく、俺はフェルナンドの母親を探してるんだ」
「まぁ、王妃を?」
ユラは知国女性にしてはあまりにも相応しくない姿の女性に警戒を解いた。
この人は無関係だろう
…
と探し人の特徴を説明した。
フェルナンドが言うには、この図書館に王妃がいるらしい。
しかし、パッと見回しただけでは見当たらない。
目の前の女性は、この図書館の管理者。
と言う事は王妃の事も知っているかもしれない。
図書館管理の女性は「うーん」と唸ると、再び二コリと微笑んだ。
「そうだ、裏でお茶でも如何ですか?」
「へ?」
「ユラさん、お腹空いていません?」
「いや大じょ
…
(ぐぅー)」
ユラは突拍子もない問いに首を振ろうとする
…
が、体は実に正直だった。
今日も腹の虫は元気なようである。
女性はふふふと笑った。
「奥の司書室にお菓子と紅茶を用意します。腹が減っては戦はできぬ、ですよ。人探しはその後で、ね?」
「
…
それもそーだな!んじゃお言葉に甘えて!」
女性の言葉に、ユラは素直に頷いた。
図書館の奥には司書室と呼ばれる場所がある。
館の中心部とは遥かに大きさも違うが、より濃い古書が並んでいる。
そして、より埃とインクの匂いが漂っていた。
「ちょっと待ってね。椅子の上に本積んじゃってて
…
よいしょ」
女性
…
いや、もじゃもじゃ司書は独り言のように呟きながら椅子の上に積まれた本をどかしている。
…
しかし、椅子の上だけでなく机や床にも大量に積まれている為、座りにくさは変わらなかった。
ユラは促されるままに椅子に座ると司書は『お茶とお菓子を用意してきますねー』と退室して行った。
この裏にでも給仕室があるのだろう。
ユラは一人になると部屋をキョロキョロと見回した。
…
これでもかという位、散らかっている。
自分の部屋もよく父に『片付けなさい』と言われるが、この部屋と比べれば遥かに綺麗だ。
本を直に床へ置いている
…
ように見えたが、キチンと布を敷いて保護している。
棚には薄汚れた何かの薬品と雑巾が何枚も重ねられている。
フェルナンドもこの前やっていたが、本を手入れする時にある薬品を使うらしい。
棚のも、恐らくそれだろう。
一応ホウキが隅に置いてあるのだが、すでに埃で白く染まりきっている。
机の上には本の山と、真新しい花が飾られていた。
ついさっき生けたばかりのように生き生きと
咲いている。
ユラが身を乗り出して花へ触れようとした瞬間、背中に『カタリ』と物音を聞いた。
反射的に振り返ると、
何もいない
…
そこには一際多くの本が積み上げられ、背の高さ以上に山が出来ている。
…
もう音はしない。
しかし、確かに生き物の気配を感じた。
間違いでは、ないだろう
…
ユラは立ち上がり一歩踏み出した。
…
が、もう一歩踏み出す前に部屋のドアが開いた。
ばっちり司書と目が合う。
「??
…
どうしました?」
「いや
…
そこらへんに何かいるような気がして
…
」
「あ、あー
…
ネズミですよ。最近よく出るんです」
「ネズミ!?大丈夫なのか、本かじられるだろ?」
「ええ、そこらへんの本は
…
処分しようと思っているものなので
…
えーとかじられても座られても、大丈夫です」
司書は笑顔とは反対に歯切れの悪い返事を返す。
…
ネズミは本の大敵だし、そんな小さな気配ではなかったし
…
ユラは訝しげに眼を細めた。
しかし、司書はユラの視線をかわすように机の上にスコーンとジャム、紅茶カップを置く。
その香ばしい薫りにユラの脳内はスコーンで一杯になった。
司書はスコーンに手を差し伸べる。
「どうぞ。丁度焼きたてを貰ったところだったんで」
「焼きたて!」
「ジャムは先日すい
…
友人から頂いた自家製のモノです。ダイダイナの実から作ったそうですよ」
「いただきまーーす!」
司書の言葉を聞いているのか、いないのか
…
ユラはガブリと遠慮なくスコーンにかぶりついた。
司書はクスリと笑うと、紅茶をカップに淹れユラに差し出す。
その香りはいつも中庭で飲むソレとよく似ていた。
ユラはぺろりとスコーンを平らげた。
乾燥地である知国ではポピュラーらしいスコーンは、どの国のよりも香ばしく美味しい。
今度フェルナンドにもリクエストしておこう。
ユラが手を合わせて『ごちそうさま』と言うと、司書はクスクスと笑った。
「ユラさんは本当に美味しそうに食べますね。見てるこっちが嬉しくなっちゃいますよ」
「そ、そうか?うん、でもやっぱ美味いもん食べるの嬉しいし、すっげー幸せだ」
ニカッと屈託なく笑うユラに、司書は優しい眼差しを向けた。
何を言うわけでもなく、ただ頷いている。
ユラはそれに懐かしさを感じていた。
そう、今は亡き母がそうだった。
こちらの話を微笑みながら聞いてくれていた。
その慈愛の視線は心地良く、ずっと母の傍で話していたかった
…
目の前の司書は、よく母に似ている。
外見は遥かに違うが
…
傍にいると何だか安心できた。
「そういえば」
司書の一言で、ユラはハッと現実に戻された。
今日は母の事ばかり思い出してしまう。
いけないいけない
…
ユラは顔をブンブン振り、司書に向き直った。
「そういえば
…
ユラさん、探しているんですよね?王妃を」
「そうだ!スコーンが美味しくて忘れそうになってたけど
…
フェルナンドがこの図書館にいるって言ってたから来たんだ!」
ユラは勢いよく立ち上がるが、司書は動じずに首を傾げる。
「王妃に何の用です?
…
あー、アレですか?決闘ですか?」
「そう、決と
…
じゃなくてゴアイサツするんだ!」
「まぁ、御挨拶?ユラさんの事だから決闘しに来たかと思いましたよ」
司書はフフフと手を口に当てた。
自分が武国の娘で、武装しているからってそんな
…
ユラは溜息を吐こうとした瞬間、何かが引っ掛かった。
…
自己紹介、したっけ?
そういえば、こちらは一言も名前を言っていないし、『フェルナンドの母を探している』と言っただけで『王妃を探している』とは言っていない。
それに『ユラさんの事だから』って何だ?
この司書とは今まで会ったことがない。
なのに、なのに
…
!?
「私、ユラさんとは知城で会った事あるんですよ」
「
…
え」
「気付いていませんでした?それにユラさんといえば知国中で有名人ですよ。城壁を飛び越える娘
…
だってね、ふふふ」
ユラの脳内を見透かしたように、司書は言う。
…
言われてみれば、司書の顔をどこかで見た事がある様な気がした。
自分の記憶力のなさには自信がある。
だから、本当に見たか分からないが
…
まあ、相手が『会った事がある』というのだから
…
信じよう。
以前、新聞に知国次期王妃として自分の顔が載ったらしいし
…
「王妃様に御挨拶ですか
…
ということはまだ二人の仲を認められていないんですか?」
「む、ああ、そうなんだよな」
司書はユラの納得した様子を見てから、ゆっくりと紅茶を飲んだ。
司書の飲んだ紅茶がゆらりと湯気をたてる。
それで少しだけメガネが曇ってしまった。
「私も、昔そうだったわ」
司書は紅茶のカップを置くと、おもむろにメガネを外し、曇りを拭き始めた。
ユラはその動作よりも、相手の言葉に首を傾げる。
「あんたも昔?」
「昔
…
そう、夫と結婚する時大変だったの」
『結婚してるんだ
…
』とユラは内心思ったが、さすがに口にはしなかった。
女っ気がないのはお互い様だ。
司書は話を続ける。
「私、こんな格好でしょう?夫の関係者に猛反対されちゃって
…
でも、あの人はこんな私でも愛していると言ってくれた」
フフフ
…
と昔を懐かしむように笑うと、司書は拭いたメガネをかけ直してユラに向き直った。
「ユラさん、フェルナンドは次期国王
…
この国の未来を背負う者です。妻はいかなる時も国王を支え、いかなる時も愛し続けなければなりません
……
あなたは新聞や噂で、三日と持たないとか相応しくないと言われていますが
…
本当にフェルナンドを愛していないのなら、止めて頂いた方が、貴方の為でも、この国の為でもあります。
…
ユラさん、本当に、フェルナンドを愛する勇気はありますか?」
窓から部屋に差し込む光が司書の眼鏡を鈍く光らせる。
先程までの優しい表情から、真顔になりユラを見つめた。
ユラは
臆することなく、ニカリと笑った。
「難しい事はよくわかんねぇけどさ
…
フェルナンドを好きになるのに勇気なんていらねぇと思う。俺はずっとあいつと一緒にいたい。だから、心配しなくても大丈夫だ」
ユラは言い終わると、少し照れたように頬を赤らめた。
フェルナンドの嫁になると決まってから、様々な事を言われた。
今の事もそうだが
…
しかし、ユラの気持ちはちょっとも揺れなかった。
そりゃあ、国の王の嫁ともなると色々大変なんだろうが、それは今考える事じゃない。
自分は約束した。
フェルナンドを疑わない、と。
だから、何も考えずに自分はフェルナンドに
嫁ぐ。
…
うん、嫁ぐ。恥ずかしい。
「そうですか
…
」
ユラの脳内が見えているのか、司書は軽く俯き何かを考え始める。
しかしすぐに顔を上げてニッコリと微笑んだ。
「やっぱりユラさんは私の若い頃にそっくりですね」
「?」
「私も若い頃
…
夫との結婚に何の心配もしなかった」
司書は目を細めると、窓の外を見つめた。
風が吹き、どこからか落ち葉が舞い上がる。
「ただ、あの人の傍にいれる事が嬉しかった。あの人と話せるのが嬉しかった
…
でも」
そこで言葉を切ると、部屋に静寂が訪れた。
ユラが唾を飲み込み、喉が鳴る。
だが、司書の言葉は再開されない。
「
…
でも、なんだよ?」
ユラは待ち切れずに身を乗り出して、司書に
詰め寄る。
司書は微かに瞳を動かすと、ユラの耳元に口を近づけた。
「あの人」
「
…
うん」
「凄く偏屈だしすぐに不機嫌になるしいつも仕事の事しか頭にないのよ」
「
…
へ」
「つまらない人でしょう?」
司書はくすくすと笑った。
「ここに来ても、何を話すわけでもないし
…
仕事の進み具合とか会議の愚痴とか」
「!!」
ユラはあんぐりと開けた口を閉じ、ハッとした様に司書の言葉に頷いた。
「そう!そうなんだよな!フェルナンドも口を開ければ『こぼすな』とか『上品に』とか
…
好きに食べさせろってんだ!」
「あら、あの子も?そうねぇ、フェルナンドは父親似だから
…
ふふふ」
「
…
でもさ」
「そうね」
二人は顔を見合わせて笑う。
そして
「「一緒にいて飽きない」」
同時に言った。
司書は一度間を置き、頬に手を当てると、大きく言った。
「いっつも眉間に皺を寄せて、いっつも不機嫌そうなんだけど
…
いつもお花を持ってきてくれるの、あの人
…
女の喜ぶ物はそれしか分からない、とか言ってね、ずっとプロポーズした時から今日まで続いてるの、お花。
渡す時の顔が、ずっと、初めて会った時から変わらないのよね
…
」
司書はニコリと笑う。
「そうそう。フェルナンドもいっつも難しそうな顔して、いっつも難しそうな本読んでるんだよなぁ
…
でもさ、俺が来ると本を閉じて俺を見てくれるんだ。あいつの話は難しいけど、最近ちょっとは分かるようになったんだぜ。分からない事は説明してくれるし、俺の話をジッと聞いてくれるし
…
フェルナンドと一緒にいるの楽しい」
ユラはニカッと笑う。
いつもなら、こんな話を口にする事なんてしない。
だが、何故か目の前の女性に対しては、自然と本音を言えた。
言った後、ちっとも恥ずかしくない。
むしろすっきりした。何故だろう?
…
知国の住民にハッキリ言えた事がよかつたのだろうか。
すっきりしたようなユラを見つめつつ、司書は「そう
…
」と不敵に目を細めて立ち上がった。
まるで物音をさせず。
突然立ち上がった司書にユラは訝しげな視線を送った。
別に紅茶も切れていない。
スコーンのおかわりは
…
ちょっと欲しいかも。
「だ、そうですよ?」
司書は誰に話しかけているのか
…
そう言った。
ユラに対してではない。
声は彼女を通り過ぎ、後方へと運ばれた。
ガタリ
と、物音が部屋に響く。
外の風が鳴き、窓を揺らした。
司書はゆっくりと歩きだし、本の山へと向かう。
ユラは司書を追うように後ろを振り返った。
そこには
「
…
む」
見覚えのある男が司書の手を借り、よろりと立ち上がっていた。
「ナルセス様?これでお分かりになったでしょう?ユラさんは悪い娘じゃありません。認めてあげるべきですよ」
「
……
そのようだな
…
だが、その、ファリス?」
「はい?」
「先程の言葉は
…
本当なのか?」
「まぁ、『つまらない人』というアレですか?ええ本当です、もう否定なく」
「的確に答えるな、し、しかも笑顔で!少しはとぼけるという事をしろ」
「そこも含めて、ナルセス様はナルセス様ですよ、私の夫の」
司書はふふふと悪戯っぽく笑う。
立ち上がった男は眉間に皺を寄せて、腕を組み、少し赤面してる。
ユラは
ぽかーーんとその様子を見ていた。
「(ハッ)ちょっ、お前!」
ハッと気が付き、ユラは司書と眉間に皺を寄せる男を指さした。
ユラは記憶力がない。
ないが
…
さすがに覚えている。
フェルナンドの父親
…
知国ケフラー王ナルセスの顔を。
今、司書が男を『ナルセス様』と呼んだ。
そして
…
聞き間違いでなければ男に向かって『私の夫の』と言った。
「ま、まさか
…
」
「ふふふ、いつ気付くかと思いましたけど
…
ここにずっとナルセス様がいたんですよ」
「そ、それもそうだが、アンタ
…
フェルナンドの、母親!?」
「ええ。知国王ナルセスの妻、王妃ファリスと申します」
慌てるユラとは反対に司書、ファリスは平然と言う。
笑顔は絶やさない。
しかし、ユラの記憶の中では王妃の容姿はキッチリパリっと目付きが狐のように悪くこちらを容赦なく睨みつけていたが
…
目の前のファリスは逆にぐしゃぐしゃのもしゃもしゃで優しく穏やかで慈愛に満ちた視線を投げかけてくる。
どう見ても同一人物には見えなかった。
「ユラさんが分からなかったのも、まぁ、無理はありませんね」
ファリスはため息混じりに肩をすくめた。
「私は若い頃から、この国立図書館の管理を任されています。代々、私の家系はずっと
…
私自身も本が好きですし、ですから、王の妻になったとしてもここの仕事は辞めたくなかった
…
知国王妃が働くと言う事自体異例ですし、この姿でしょう?」
ファリスは苦笑を浮かべ、首をほんの少し傾げた。
ふわふわというよりもぐしゃぐしゃの髪が無造作に揺れ、分厚いメガネにかかる。
「今でこそ何も言われなくなりましたが、昔は王族の品位を下げるとか色々言われて
…
仕方ないんで、式等がある時は身だしなみを整えるようになったんです。そう
…
ちょうどユラさんが見かけた、キチっとした格好の私ですね」
そう言い終わると、ファリスは眼鏡を外す。
そして視線を移すと、ユラは「あっ」と声を出す。
その目付きは、まさにユラが城の廊下で見かけた狐のようなソレだった。
こちらをギロリと睨むかのような鋭い視線。
眉が眉間に寄り、明らかに不機嫌だ。
「私、メガネしていないとほとんど何も見えなくて
…
自然に目付きがこうなってしまうの
…
けっして睨んでたわけじゃないの、ごめんなさいね」
ユラの驚愕を察した様に、ファリスはササッと素早くメガネをかけ直した。
しかし、一人未だ渋く眉をひそめる。
「
…
私には、今の姿も、式での姿も変わらんように見えるが
…
どこが相応しくないか理解出来ん」
「
……
」「
……
」
ユラとファリスは顔を見合わせた。
ナルセスは渋い顔のまま、二人を見る。
「
…
ほらね、よく分からない人でしょう?」
「あ、ああ」
「そこらへんがフェルナンドに遺伝してしまったらしくて」
「え」
「何を話しているのだ」
一段と不機嫌になるナルセスの声にファリスはクスクスと笑った。
「
…
とにかく、だ。私はお前を認めぬ
…
断じて、絶対」
ナルセスは溜息交じりに椅子へと腰掛けると、足と腕を組みユラを睨んだ。
さすがは一国の王。
そして個性豊かな他国の王をまとめる力量を持つ者。
その威圧感は尋常ではなかった。
だが、ユラも負けずにナルセスを睨む。
「ふんっ、俺が気に入らないならはっきり言えよ」
歳若い娘とはいえ、ユラは戦士だ。
並の事では怯まない。
もちろん、国の王にもそれは変わらない。
…
敬語さえ使わないのは問題だが
…
ナルセスはさらに目を鋭くさせた。
「随分と大きな事を言う
…
お前のソレは勇気ではない、無謀という名の無知だ。覚えておくのだな。無知ほど恐ろしい事はない」
「むっ
…
父親ってもフェルナンドとは全然違うな!アイツはわかんねぇ事をキチンと一から説明して、指摘してくれる。理由も分からない事を押し付けない」
「ふん、私とて他に意見を述べる時は、キチンと理由を言う。だが、お前に対しては
…
時間の無駄だ」
「むかむかっ!性格わるっ!」
「女性は女性らしく清楚であるべきなのだ。お前のようなじゃじゃ馬、我が子に相応しくない」
「ストップ!」
ユラの手が今にも出そうになる瞬間、二人の間にファリスが割って入った。
その顔は相変わらずニコニコ微笑んでいる。
「ナルセス様?」
「お前に何と言われようと、この者を認めるわけにはゆかぬ。」
「相応しい、相応しくない
…
それよりも大切な事、あるのではないですか?」
ナルセスは一瞬ピクリと身動ぎし、そのまま「むぅ」と唸りそっぽを向いた。
「ユラさん」
「俺は何も悪くないだろ?いっぽーてきだ」
「仮にも
…
貴女は次期国王妃なんですから、すぐ感情に任せた言動は止めてください」
「それは
…
こいつが」
「この方は国王、ですよ。その呼び方は駄目目です
……
フェルナンドは、争いを好みません。他国同士でも分かりあえるように今必死に勉強しています。ユラさんなら、その事が痛いほど分かるはずですよね?」
ユラは一瞬口をパクパクとさせてから、何も言えずに俯いた。
全くその通りだ。
ユラとナルセスの脳内を同時にその言葉が横切った。
ナルセスは思う。
昔
…
ファリスを娶った時、周りに様々な事を忠告された。
特に『相応しくない』という言葉を毎日のように言われ続け、うんざりしていた。
だが、自分とってそんな事はどうでも良かった。
ただ、ただ、ファリスの事が愛おしくてたまらなかった。
それは今も変わらない。
ユラは自身のつま先を見つめる。
フェルナンドは多く語らない。
しかし、この前の反乱
…
そして、二人の交わした約束
…
彼の心中は聞かずとも分かった。
それに
自分は武の人間だ。
戦う事が使命。だが、戦う事の虚しさはどの国の人間よりも知っている。
知っているが、戦うしかない。
フェルナンドはその連鎖を止めようとしている。
「
…
ユラさんって
…
ナルセス様にそっくりね」
「はぁ?」「何だと
…
!?」
押し黙る二人の顔を覗きこみ、ファリスはクスクスと言う。
少し自分の言動に反省していたが、それは聞き捨てならない。
例え和解しようと考えても
…
相手の事は好きになれない。
「だって、本当に頑固で意志が強いうえに、すぐにシュンとして
…
本当の親子みたい」
「「それはない!」」
ユラとナルセスは同時に声を張り上げた。
窓の外の太陽は少し傾き、オレンジに染まり始めた。
夜になると、武国は一気に治安が不安定になる。
その為、どんなに腕に自信のある者でも夜に出歩く事は危険だ。
ユラは早々に国立図書館を後にする事にした。
入口ではにこにこするファリスとむっつり不機嫌そうなナルセスが見送りに出てくれた。
「それじゃあ、またね。ユラさん」
「おう!スコーンごちそうさま!俺も今度何か持ってくるよ」
「もう来なくていい」
すでにファリスへ警戒を解いたユラを、ナルセスは刺々しく睨みつけた。
だが、ユラはベッと舌を出し否定を顔に出す。
「やーだね!アンタ
…
王様に認めてもらうまで通うぜ、俺は」
「
……
ふん、躾のなっていない娘だ
…
好きにすればいい、私はどんなに頼まれたとしても断じて認めんがな!」
「へんっ、好きにするさ!」
ユラはべべーッと先程よりも強く舌を出し、走り出した。
ナルセスも負けじと、強く強く睨む。
ファリスは笑いを堪えながら、ユラの背へ手を振った。
走りながらユラは考える。
…
そういえば、昼間にフェルナンドからここの場所を聞いた時、何か言いかけていたような
…
まあ、いいか。
とにかく明日フェルナンドに会ったら文句言ってやろう。
どうして最初に王妃が図書館の司書だと教えといてくれなかったのかぶつぶつ
…
ユラはそんな事を考えながら帰路を急いだ。
○○○
シルヴィーは農国の道を足早に進んでいた。
ごつごつと整備されていない農道は、最初の頃歩くたびに足が痛くなったが今ではコツを掴んだというか
…
すっかり慣れてしまった。
今日は、否、今日こそは農王に会わなければならない。
サルゴン様と婚約したとはいえ、父親であり国王であるラルゴ様に会って正式に許可を頂かなければならない。
実質認められているようなものだが
…
一応形式上はキチンとしなければならない。
むしろ自分の気が済まない。
だが、皆無と言っていいほど農王の情報がない。
相手もこちらを避けているかのように会わない上に、サルゴンに聞いても居場所も特徴も曖昧だ。
「(黒髪に麦わら帽子、目が細い
…
とかここの人達は皆にたような容姿ばかりだし
…
)」
農国民の身体的特徴は黒髪にパッとしない顔だ。
強弱の強い武国、整った容姿の創国
…
それぞれに国民性が出ているが、農は五国中一番薄い、色々と。
だから、
他国民の自分からすれば皆同じように見えてしまう。
…
ちょっと失礼な言い方だが、本当なのだから仕方ない。
もちろん大好きなサルゴンは見分けがつく。
むしろ、目立つ。
背は高いし、人一倍動いているし、何より髪と目が
…
ん?
「お、ちびっこ!おーいちびっこやーい!」
シルヴィーは自分で考えた事に違和感を感じた
…
その瞬間、後ろから大きく声をかけられた。
不本意だが、振り返る。
「
…
私の名前はちびっこじゃありません」
「ちびはちびなんやし、ええやん」
シルヴィーが振り返った先に、一人の男が立っていた。
歳は自分の父と同じくらいだろうが、雰囲気がそれを感じさせない。
ボロボロの麦わら帽子から見え隠れする短く切られた黒髪。目は糸のように細いが、本当に見えているのだろうか?
…
この男は最近よく会う農国民だ。
サルゴンと婚約してから、農民達とはすっかり顔馴染みになった。
まるで昔からの知り合いのように良くも悪くも遠慮なく声をかけてくる。
目の前の男も、その一人だ。
ずけずけと人の気にしている事を言ってくる。
もしかしたらわざとかもしれないが、恐らくこの男の様子だと無自覚だろう。
…
はっきり言って、この男は
…
得意ではない。
「ん?どうしたん、険しい顔して?」
「
…
別に
…
」
シルヴィーは言葉少なく答えると、再び前へ歩き始めた。
これ以上この男に付き合っていると、からかわれるばかりだ。
しかし、男はシルヴィーの後を付いてきた。
「
……
」
「
……
」
「
…
あの」
「ん?どした?」
「なんで私の後を付いてくるんですか?」
「後を付いて行ってるわけやない。わての前をおチビが歩いてるだけや」
当然のように答える糸目男にシルヴィーは少しイラッとした。
そう。
この男はいつも、人をからかうように話す。
こちらが真面目に話しているのに
…
シルヴィーはこれ以上のイライラを溜めない為、歩を速めた。
「あ」
後ろの糸目男が、一言声を出す。
だがシルヴィーは止まらない。止まりたくない。止まるものか。
「おチビー!」
「(無視無視無視
…
)」
「これから畑行くんやけどー!」
「
……
」
「手伝ってくれへーん?」
「
……
」
「おーい、聞いてるー?」
「
……
」
糸目男を無視し、シルヴィーはさらに進む。
早くサルゴン様に会わないとちゃぶ台を引っ繰り返しそうだ。
イライライライライラ
…
サルゴン様の笑顔で癒されよう。
イライライライライラ
…
「おいおい、将来の王妃が無視かいな」
「!?」
━いつの間にやってきたのか
…
糸目男が目の前で腕組みしている。
シルヴィーは驚いて、数歩後退った。
「な、なんですか!?」
「農国の最優先は、生きる糧を育む事
…
おチビはんな事も分からんで、嫁に来るつもりか?」
「むっ
…
その位分かってます!」
「じゃ、手伝ってくれる?」
男は糸のような瞳で笑う。
何だか引っかかる口調だが、正論だから仕方ない
…
シルヴィーは渋々頷いた。
○○○
シルヴィーは目の前の畑に広がる葉の多さに、言葉を失った。
自分は体が小さいので、普通の人よりは物が大きく見えがちなのだが
…
目の前の畑はそれを差し引いても、地平線に届くかのように広大だった。
「これ、何の畑か分かる?」
「え
…
そ、そんな急に言われても
…
」
「はい、時間切れ。正解はさつまいもでしたー」
糸目男はシルヴィーの言葉を遮り、わははと笑った。
…
一つ一つの言動が癪に障る
…
シルヴィーの胸の奥にイライラした塊が溜まった。
「
…
で?私に何をやれというんですか?」
「お、やる気満々やなぁ。手伝いは簡単な事や、さつまいも掘りをしてもらう。ここの畑全部」
糸目男は畑全体を指差す。
……
この畑全て
…
収穫?!
シルヴィーは再び声を失った。
ちょっと待ってほしい。
畑は明らかに普通のと規模が違う。
農国が広いからと言って、こんな地平線の向こうまであるさつまいも畑なんてありえないだろう。
…
いや、一国で五つ国全ての食糧を賄っているのだから、この位は必要かもしれないが
…
二人だけで収穫は無理だろう。明らかに。絶対。
「ど、どなたか他に手伝う方はいないんですか?」
「いたらおチビなんてに声かけへんわ」
慌てる気持ちを抑え、シルヴィーが糸目男に問いかけるが、答えはあっさり一言で終わった。
…
なんという理不尽
…
唖然とするシルヴィーの頭に、糸目男は何かの袋をポスンと乗せた。
硬くはない。何か布の感触がした。
「え?」
「そのまんまの服じゃあかんやろ。それに着替えてきや」
糸目男は後ろ手に手を振ると、スタスタと先に畑へと入って行ってしまった。
シルヴィーの手には、小さな袋
…
中身を確認すると、これまた小さな作業着が入っていた。
確かに今の服では動きにくいうえに
…
これでもお高い服である。
どうやらあの男がその事を察してくれたようで、親切にも用意してくれたようだ。
「子供用の、Sサイズですけどね
…
」
…
やはりあの男は、好きになれないかもしれない
…
、
シルヴィーは草陰で作業着に着替えると、再び畑と向き合った。
糸目男は
……
遠くですでに芋掘りを開始している。
シルヴィーはため息交じりに男へ近付く。
「
…
着替えてきましたけど?」
「お?遅かったなぁ服着るだけで何時間かかるかと思ったわ」
「そ、そこまで遅くありません!」
「はいはい、じゃ、鎌とあと軍手付けて始めて」
シルヴィーはまたムッとした。
まるで自分が言い訳しているみたいだ。
それは
…
いや
…
言い返せば、また何か言われそうだ
…
シルヴィーは渋々と鎌と軍手を手に取り、糸目男に背を向けた。
…
空が高々と青く澄んでいる。
きっとサルゴンと一緒にいたら、とても心地良いだろうが
…
いや、自分は農王を探しに来たのだ。
「(この作業が終わったら農王の事を聞いてみよう
…
)」
この作業は、王に会う為の通過点。
それにここで芋掘りをマスターすれば、後々サルゴン様にも褒めてもらえるだろう。
よっし、やる気でた!
シルヴィーは揚々とサツマイモのツタを掴むと、一気引っ張った。
自分は力がない。だから思い切り引っ張らないと抜けないだろう。そう芋掘りなんて蔦を引けば
…
ブチィィイイイ!
刹那、畑全体に小気味良い音が響き渡り、シルヴィーの視界は一気に青に染まった。
…
視界全体が青い。
頬に芋の葉が触れている。
土臭い風が鼻を掠り、野菜特有の青臭さが体を包む。
そして、何より、
「お尻痛い
…
」
「あーあ
…
何してんねん」
尻もちをついた個所をさすりながら、シルヴィーは起き上った。
千切れた際、入れただけの力が自身に返ってくる
…
芋の繊維質
…
恐るべし
…
!
そう意味の分からない事がよぎった時、後ろからシルヴィーの頭はガチリと掴まれた。
「呆けてないでさっさと掘り返せぇや」
「いたたたっ!痛いです!」
糸目男は滑り止めのついた軍手でぐりぐりとシルヴィーの頭をかき回す。
髪が引っ掛かり、何とも痛い
…
「芋のツルをただ引っ張るのなんか猿でも出来るでー?」
「いたたっ、お芋掘りはツルを引っ張るものではないんですか!?本にはそう
…
」
「阿呆。本だけで知った気になるんやない」
糸目男はパッとシルヴィーの頭を離すと、ツルの切れた元へと腰を下ろす。
手にはスコップも何も持っていない。
しかし男は、サクサクと道具なしで芋を掘り出した。
「は、早い」
「道具を使うと芋が傷つくからな」
糸目男は軽く言うと、次は腰に差していた鎌を隣の芋ツルにあてがった。
「確かに芋掘りの基本はツルを引っ張る事や。せやけど、ただ引っ張るだけじゃチビみたいに途中で切れてまう。せやから、こんな風に」
鎌の刃は、ツルの地面から少しだけ出た個所に当てられている。
人が持てるちょうど位の長さだ。
男が「よっ」と軽く声を出した時、ツルはスッパリ切れた。
よく手入れされている鎌なのだろう。
「んでもって、このちょっと残したツルを、ホレ引っ張ってみ?」
「え、あ、はい」
鮮やかな動作にポカンとしていたシルヴィーは、ハッとした様に男の指示に従った。
ツルを持つ。
先程よりも手元がしっくりしている。
何より、
「よいしょっ!」
力を入れやすい。
シルヴィーが思い切り引っ張ったツルは、思った以上に軽く抜け、丸々とした芋が天高く飛び出した。
「いてて
…
また」
「また豪快にこけたなぁ」
糸目男は笑いを堪える様に、顔を背けた。
まったく失礼な奴
…
と言いたいが、頭に大量の芋を乗せながらお尻を泥だらけにする姿を見せられては、笑うしかないだろう
…
顔を背けて、笑いを堪えただけでも良しとしよう
…
「でも、さっきとは大違いですね
…
随分楽に抜く事が出来ましたよ」
「難しい事はよお分からんけど
…
持つ所が短い方が引っ張りやすいやろ」
「そうですね
…
なるほど長いと力が分散して支点力点ブツブツ」
「
……
それはええから、早く作業しぃ」
シルヴィーは農民の生活に生きる学に関心した
…
がすぐに糸目男の手が頭に乗せられて思考は停止した。
…
そうだ、考えるのは後だ。
今は早く芋掘りを終わらせて、早く農王の居場所を聞いて、早くこの糸目失礼男と別れなければ!
「サルゴン様にも会いたいし
…
」
「ほれ、早よしい!チビの上にのろまじゃ、これから亀娘と呼ぶで?!」
「むむっ!ま、また失礼な事を!」
「あ、悪い。失礼やったな」
「
…
え、あ
…
こほん。わ、解ればいいんですけど
…
芋掘りのやり方を教えてくれたといい、そこまで嫌な方じゃないんで
…
」
「チビと一緒とか言ったら、亀に失礼やな。ははは」
「前言撤回!」
シルヴィーが声を張り上げると同時に、糸目男はスタスタと畑の向こうに行ってしまった。
やはり、嫌な奴には変わりないらしい。
農業の知識がキチンとあるのは、認めるが
…
「農の心得があるのに、嫌な奴
…
どこかで見た事があるような
…
」
シルヴィーは記憶の隅にある人物を詳しく思い出さずに、またしっかりとしまってしまった
…
○○○
抜いても抜いても、全く減らない。
畑の端は一体どこにあるのだろう?
むしろ地面に置いた芋を後で回収する方が大変なのではないだろうか?
「あー、腰が痛い
…
」
シルヴィーは一度伸びをすると、改めて自分の周りを見回した。
芋の葉、地面に置かれた収穫物、土だらけの
体
…
進まぬ芋掘り
…
男の方は、さすがながら随分と収穫が終わっている。
一人でも広大な畑全てを収穫できるのではないだろうか?農住民というのもあるが、男という補正もかかっているのだろう。
女で体の小さいシルヴィーは、すでに手がふるふると震えている。
それに
…
それに、全身を倦怠感が包んでいる。
シルヴィーは汗を拭きながら空を見上げた。
太陽が前上に差しかかっている
…
そろそろ昼時
…
通りで体に力が入らないのか。
そう思った瞬間、シルヴィーの腹の虫が大きく主張した。
「あっはっはっ、デカイ腹の音!」
「うっ
…
」
糸目男は地獄耳だろうか?
結構な距離が二人の間にあるのだが
…
男は耳にしっかりと腹の音を聞いたらしい。
シルヴィーは言いようのない恥ずかしさに、顔を赤らめた。
「あー、そろそろ昼飯にしよか」
男はプププと笑い、畑の横にある小ぶりな木を指差した。
「嫁に作ってもらった握り飯があんねん。一人分やけど、ま、足りるやろ」
「
…
奥さんいるんですか」
「子供もいるでー」
『どっちも働き者』と付け加え、男はスタスタと木の木陰へ向かった。
シルヴィーも、ここは反論せずに後に続く。
どっかの某ユラではないが『腹が減っては戦は出来ぬ』だ。
芋掘りは半分終わったか終ってないか
…
力を補充しなければ、終わる物も終わらない。
シルヴィーは先に座った男の横に、ちょこんと腰を下ろした。
ついこないだまで、敷物もせず地べたに座るなんて考えられなかった
…
草の上ならまだしも、土の上などに座ったら服が汚れてしまうし、何より農作業なんて体が疲れるし汚れるし
…
しかし今では、ミミズと足の多い虫と蛾以外ならすっかり慣れてしまった。
確かに普段着が汚れるのは抵抗がある、だが今のような作業着を着ていればどんなに汚れても大丈夫だ。
自分もすっかり農に染まってきているのだろう
…
シルヴィーは男に貰った大きいおにぎりを頬張り、しみじみと考えた。
以前は具のないおにぎりなんて、貧乏人の食べるものかと思っていた。
しかし、今食べている通り
…
美味しい。
お米本来の味と塩の甘さがお互いを引き立て、素晴らしい一品に仕上がっている。
「おいひい
…
」
「ほれ、茶も飲み」
ホクホクとおにぎりを食べるシルヴィーに、男は竹で出来たコップを差し出した。
お茶の色は薄いが、澄んだ水で淹れられているようで見た目に美しい。
シルヴィーはお言葉に甘えて、お茶を頂いた。
「ごくごく」
「
……
」
糸目男はシルヴィーがゆっくりとお茶を飲む間、空を見上げている。
その細い瞳でキチンと見えているのかは分からないが
…
なんだか不思議と心地は良かった。
風が頬を撫でる。
長い時間動いた体に優しい冷たさを与えてくれる。
太陽は強く差し込み、しかし木陰はちょうどいい暖かさを感じる。
「よくも、まぁ
…
」
突然糸目男はクスリと笑った。
シルヴィーは訝しげに視線を移す。
「何ですか?」
「ん?いや、チビのくせによう頑張んなー
…
と思って」
「んむっ!またバカにして!」
「昔は、遊ぶ事しか考えない奴ばっかだったのに
…
チビは農業イヤじゃないんか?」
「え」
糸目男の突拍子もない問いに、シルヴィーは驚いた。
だが、すぐに
「イヤじゃないです」
とキッパリ言いきった。
「初めは服が汚れるたり、歩いてばっかでイヤでしたし、動物も苦手でした
…
でも、今は、毎日新しい事を知れて嬉しいんです」
「嬉しい?」
「
…
私は次期王妃ですから、サルゴン様と知識を共有しなければならないんです」
「ようするに、サルゴンの事が知れて嬉しいちゅーわけか」
「むぐっ
………
ご、御想像にお任せします!」
「顔真っ赤やけどな」
シルヴィーは顔を赤くしながらキッと糸目男を睨むが、当の男はニコニコと嬉しそうに笑っている。
シルヴィーは一瞬ドキリと胸を高鳴らせた。
「(何故この人にドキドキしているの
…
!?私はサルゴン様一筋!それに歳が違い過ぎてる私は年上好みではないっ)」
「どんな理由にしても、ありがたいなぁ
…
働き者は、嫌いやない」
「
……
」
━ああ、そうか
…
糸目男が言い、正面を向いた時シルヴィーは再び胸を熱くした。
だが、
それは男自身に対してではない。
不確かな、なんとなく、微かに
…
横顔が
「あれぇ?」
自分でも思いついた考えを言葉に出来ず、シルヴィーの思考は馴染みあるの声で停止した。
「シルヴィー来てたん?!あー、気付かんかったぁ
…
」
ベッタベタと長靴特有の足音と共に、声の主はシルヴィーと男の前に歩み寄ってきた。
もしゃりとした薄紫の髪に、穏やかな深緑の目。
日に焼けた肌がとても健康的だ。
手には、なにかを包んだ風呂敷を持っている。
シルヴィーは立ち上がって、彼へ少しでも近付く為に一歩前へ進んだ。
「サルゴン様
…
!」
「その格好ということは
…
もしかして芋掘りしてたけ?」
「え?ええ
…
」
突然の問いにシルヴィーが頷くと、彼女の婚約者、農国次期国王サルゴンは「あちゃー」
と言わんばかりに手を額に当てた。
どうも様子がおかしい
…
「
…
あの、サルゴン様?」
「オラが手とり足とり教えようと思ってたのに(ボソリ)」
「はい?」
「あ、何も何も!お疲れさ」
「んな手とり足とりとかしとったら収穫が間に合わんやろ」
サルゴンが慌てていつもの表情で笑った瞬間、糸目男が二人の間に言葉を割り込ませた。
シルヴィーは後ろを振り返る。
男はのんきにお茶をすすっていた。
「全く
…
色気づくのはええけど?優先は仕事。ただでさえ人手不足なのにのろのろやってもらっちゃ困るんや」
「ちょっ
…
その言い方!農国は身分制度が緩いとはいえ、次期国王に
…
」
「おっ父の言うとおりけぇ
…
ごめん
…
」
声を張り上げるシルヴィーとは対照的に、サルゴンはションボリとしたように小さく言った。
シルヴィーは拍子抜けしたように、ずるりと身を傾ける。
だが、すぐに『違和感』に気付いた。
「サルゴン様
…
?」
「?
…
どうしたん?あ、おっ父はあんなやけど、根は良い人け、気悪くしないでな」
「
…
父?」
「??、んだ」
「この糸目の人が?」
「え、それが
…
どうしたんシルヴィー?」
サルゴン=次期国王
次期国王の父=現国王
現国王=目の前の糸目男
「またぁああああああああああ!?」
シルヴィーの脳裏にサルゴンと初めて会った時の事が思い出されていた。
嗚呼
…
デジャヴ
…
「あら?誰の声かと思ったら
…
シルヴィーさんじゃないですか」
シルヴィーがあわあわとしていると、サルゴンの横に美女
…
農国王妃の水仙がのんびりと歩いてきた。
相変わらず神秘的な美さと清楚な雰囲気が目を引く。
初めて会う人は、きっと彼女が子持ちで農国の住民で
…
糸目男の妻だとは想像できないだろう。
「どうかしたんですか?」
水仙は右手に大きな水筒を持ち、空いた手で風に遊ぶ髪を押さえる。
その仕草はとても上品だ。
「いやぁ、このおチビがわてを国王だって今気付いたらしくてなー」
「まぁ
…
ラルゴ様、サルゴンもシルヴィーさんに言ってなかったんですか?」
「てか気付かん方がおかしいよなぁ」
「もう、ラルゴ様ったら
…
駄目ですよ、驚かせちゃ
…
そんなお茶目なところも素敵ですけど」
「ははは照れるわー」
「
……
」
「あ、気にせんといて。いつもの事だっぺよ」
頭上に目に見えないラブラブな何かが飛び交うのを冷静に受け流し、サルゴンは木陰に荷物と腰を下ろした。
シルヴィーもそれについて、彼の横に座る。
風呂敷の中身はお弁当。
中身は沢山の塩むすびだった。
「まだ昼飯食べてないけぇ」
サルゴンはひょひょいと塩むすびを口に運ぶ。
さすが男性の食欲は半端じゃない
…
とシルヴィーは感心した。
…
はっ!
そんな感心している場合ではない。あまりの急展開に脳が状況に追いついていけなくなっていた!
…
そう気付いた時には、隣にいたはずの糸目男
…
否、農国王ラルゴはすでに姿を消していた。
シルヴィーが周りを見回すと、ラルゴと水仙は畑で芋掘りを再開していた。
二人は仲睦まじく、話しながら作業を進めている。
「
…
はぁ」
何だか一気に力が抜けてしまった。
肩を無意識に撫でおろす。
「??
…
どうしたべよ?なんか今日のシルヴィー変だで?」
「あ
…
いえ」
サルゴンは訝しげにシルヴィーの顔を覗き込んだ。
…
傍から見れば、確かに今の自分は挙動不審である。
「
…
ずっと普通の一般民だと思っていた人が、王様だと気付いて、動揺しているんです
…
」
ここは正直にサルゴンに言う事にした。
サルゴンと初めて会った時もこんな感覚だった。
最初はただの平民で農民で汚れた服を着た自分より下の青年だと思って
…
色々と暴言を言ってしまった
…
思い出しただけで申し訳ない
…
というか、王族が平民と同じ仕事をしている事、否王族が王族のオーラを纏っていない事自体ありえない。
…
ありえない
…
「むしろ私が王だと気付かず失礼な事ばかり言っていたのがありえない
……
でもそれは相手がブツブツ
…
」
「
…
ふふっ」
シルヴィーが軽く自己嫌悪していると、横のサルゴンがクスリと笑った。
今度はシルヴィーが訝しげな視線をサルゴンに向ける。
「私何か可笑しい事言いました?」
「あ、いんやー
…
オラと初めて会った時も同じような顔してたなぁーと思って」
「
…
ええ、まさにあの時と同じ気持ちですよ」
シルヴィーが深く溜息を吐くと、サルゴンは視線を外しイモ畑を見つめ始めた。
その横顔は、やはり
…
「おっ父は、シルヴィーの事気に入ったっぺな」
「
…
はい?」
「ほら、シルヴィーはおっ父に挨拶したかったんやろ?良かったなぁ、気に入ってもらえて」
サルゴンはニコニコと自分の事のように嬉しそうに話す。
だが、シルヴィーにはよく分からなかった。
…
どこに気に入られる要因があっただろう?
むしろ話をしている時は明らかにからかわれていたのだが
…
「おっ父は、信頼している人としかご飯食べないんよ」
サルゴンはポツリと言った。
「昔
…
オラが生まれる前はこの国の働き手が少なくて
…
おっ父は毎日休まず働いてた
…
って聞いたぺよ」
「
…
そういえばそんな事も話していたような
…
」
「だから、食事も休憩もする暇があるなら働く
…
他が休むなら自分が働く
…
おっ父は昔からそんな人だったけぇ」
サルゴンの深緑の瞳には、遠くで働く両親を映している。
何を考えているのかは分からない。
だが、その心中の寂しさが少しだけ伝わってきた。
「
…
そんな人が一緒に飯を食うんやから、シルヴィーは一人の戦力、もう一人前の働き手として見てくれたって事だぺよ」
「
…
一人前」
正直言って、自分はまだまだ半人前だ。
誰からの目から見ても分かる。
もちろん、サルゴンも薄々は思っているだろう。
芋掘りのやり方も分からなかったのだから
…
でも、
王も自分を多少なりとも認めてくれたという事か
…
言うなれば、自分はまだ農国一年生。
半人前どころか、半半人前かもしれない。
国の、サルゴンの役に立てているのかも怪しい。
だからこそ、王の期待と好意を裏切らないようにしなければ
…
それが暴言のお詫び。
シルヴィーは改めてサルゴンの横顔を見た。
優しさの中にも、厳しさがある。
厳しさの中にも寂しさがある。
どんなに平和な国だとしても次期国王になるという事は、それだけ重いことなのだろう。
だけど、それを表に出さないようにしている
…
やっぱり
…
自分はサルゴンが好きだ。
シルヴィーはニコリと笑った。
「私頑張ります。サルゴン様の手を助ける為に、たくさん学びます」
「シルヴィー
…
」
「意地悪ばかり言う糸目
…
じゃなくてラルゴ様も
…
正直苦手ですけど、好きになれるように努力をします」
「うん、いつもあんなだからすぐ慣れっぺよ」
「
…
サルゴン様」
「ん?」
「ラルゴ様って、やっぱりサルゴン様の父親なんですね」
「?」
「横顔がそっくりです」
意地悪な事を言うのも、真面目な事を言うのも、全て内に優しさが見えた。
サルゴンと同じように。
だから、
ラルゴの事が好きになれそうだ。
シルヴィーは遠くに見えるラルゴを見つめ、改めて『よっし!』と気合いを込めた。
「さて!十分休みましたし、作業再開です!あの人
…
ラルゴ様に負けてられないですからね!」
シルヴィーは勢いよく立ち上がり、走り出した。
○○○○
気が重い
…
ううん、アレフ様に会えるのだからすごく嬉しいのだけど
…
シルヴィーさんの言う通り、王と王妃に面通しをしなければいけないのだけど
…
だけど
…
カリンは創国ティファレトの城を見上げつつ、軽く溜息を吐いた。
五つ国中最も美しいといわれているティファレト城。
水脈に囲まれた豊かな土地を象徴するように、陽の光を浴びてキラキラと輝いている。
城壁にはバラの蔓が絵画のように絡みつき、白い城を捕らえる鎖のように見えた。
カリンは近い将来、この城に住む事となる。
次期国王アレフはティファレトに相応しい神の才を持つと言われる美しき王子。
繊細な指使いから奏でられるピアノの音は種を問わず、生きるものは全てを魅了すると言われている。
カリンはそんな彼の婚約者
…
ようするに次期王妃だ。
王妃とは王の補佐共に支えとなる。
…
といえば聞こえはいいが、カリンにそんな芸当はできない。
政など分からないし、王族内の事も実はよく分かっていない
…
カリンが出来る事と言えば、アレフに愛される事だけ
…
王妃になるという事は、城という籠の中で、王の寵愛を受けながら一生を過ごす事と同意語なのだ。
「一生
…
」
そう、例外がない限り王とは離縁が出来ない。
自身で行える、唯一の逃れる方法はただ一つ━死のみなのだ。
「
…
ああ」
カリンは溜息とも言えぬ声を漏らした。
自身でも気付かぬうちに、ゾクゾクと肩を震わせていた。
寒いわけではない。
心地良く、快感で、心が満たされている。
後少しで、自分はアレフに囚われる。
嬉しい。
毎日毎日毎日傍で自分だけを見つめてくれる自分だけを考えてくれる自分だけを愛してくれる━
…
自分だけのアレフになる。
アレフだけの自分になる。
今すぐにでもそうなりたい。
しかし
どうして傍にいられないのか?
どうして目の前に高い壁があるのか?
どうして
自分は城に入ろうとしないのか
…
「今日もアイカに会いに来たの?」
「みゃっ!?」
カリンの耳元に突然息を吹きかけられた。
思わず体を飛びあがらせてしまう、が肩に手を置かれ身動きが取れない。
声は続ける。
「
…
あ、違った。アレフに会いに来たんだよね」
フッと押さえられる力がなくなると、カリンは慌てて振り返った。
そこにはニコニコと微笑む創国王、リーフが立っていた。
「やっほー、カリンちゃん。今日も可愛いね☆」
創王リーフはヒラヒラと手を振りながら、軽い調子で挨拶をする。
顔は作り物のように美しく、芸術の域に達している位だが、息子アレフとは正反対の明るさを持っている。
恐らく根本的な調子は変わらないのだが、表情はいつも笑っているだけに全く別物に見えてしまう。
「どうしたの?入らないの?カリンちゃんなら顔パスで城に入れるのにー
…
あ、分かった!僕にエスコートして貰いたいからここで待ってたんだね☆あははは嬉しいなぁ」
「あ
…
その、そんなわけじゃ
…
」
「照れない照れない☆」
…
政治の事はよく分からないが、こんな調子だから影で『王としての威厳が感じられない』と言われてしまうのだろうか
…
よく自分の父は愚痴を溢している。
『王が王としての役割を果たさず、毎日遊び呆けている』と
…
あまりそういう事には同意はしたくないのだが
…
今、王は な ぜ か 外からやってきた。
…
どうしてお城にいなかったのだろう
…
いや
…
そういうことは、深く考えないようにしよう。
愛しいアレフ様の事だけを考えよう、そうしよう
…
「じゃあ、行こうか☆大丈夫、僕がキチンとエスコートしてあげるからねー♪」
「え、あ、あの
…
」
「遠慮しないでーアイカの場所なら僕に任せてよ」
カリンはリーフに腕を掴まれ、ズルズルと引きずられるように城門へと足を踏み入れた。
門を警備する兵士はリーフとカリンの姿に敬礼をする。
カリンは赤面しつつ、兵に会釈をした。
やっぱり王は王。
そして自分は次期王妃
…
兵の顔つきが以前とは違って、ニコリともしない。
前は気さくに話してくれる人もいたのに
…
身分の違いは人の気持ちも変えてしまうのだろうか?
そんなはずはない
…
きっと。
カリンは首をぷるぷると振り、複雑な気持ちで城に入った。
城内に足を踏み入れたカリンはクラリと目眩を感じた。
陽の光で各所の飾られた調度品が輝き、光が目を直撃する。
これにはいつまでも慣れない。
横のリーフは
…
さすが城主とあって、気にも留めていない
…
いや、リーフ自身が光源なのかもしれない。
カリンにとってアレフなど、キラキラお星様のように美しく輝いて見えるくらいだ。
きっと、創王家は体が光る特技を生まれながらに持っているに違いない。
そんな事を考えていると、長い長い廊下の向こうから、全く光を放たない人物が歩いてきた。
城のすべての物が光を身に纏っているにも関わらず、その人物はまるでそれを遮断するようで、逆に浮いて見えた。
カリンの胸はキュッと絞まった。
「あー、アイカ~☆」
リーフは声色を一段と甘くし、正面の人物へと駆け寄る。
対照的にカリンはその場で立ち止まってしまった。
「アイカ~アイカ~☆愛してるよ~☆」
「
…
リーフ様、今までどこへ行っていたんです?今夜は定例の舞踏会を行うと以前から決めていたはずです。主催である王の貴方が指揮をとらなくてどうしますか?」
「あー、ごめーん。忘れてた」
「
…
もう結構です。そうだと思ってこちらで手配しておきましたから
…
貴方は衣装の合わせをお願いします」
きびきびとした口調で言うと、『アイカ』と呼ばれた女性はカリンに視線を移した。
創国で見かける女性はほとんどが煌びやかに着飾っている。
実際、カリンもその一人で、いつもアレフにコーディネートされた物を着ていた。
だが、アイカは違う。
地味な色合いの服を纏い、動きやすそうな、パッと見ると男性の着るような細身のパンツを穿いている。
そして一番目を引くのが髪と瞳だ。
リーフ王の輝くような銀髪とは正反対の、アイカは光を鎮める漆黒。
派手な色合いになりやすい創の中では、彼女の黒髪は珍しい。
瞳は強い意志を感じる青。
髪と合わせて深い深い海の底を想像させられる。
厳しい目付きで視線を送るアイカにカリンは思わず目をそらして俯いた。
━そう、
彼女こそが国王リーフの妻。
創国王妃アイカ。次期国王アレフの母親だ。
アイカは王妃という身分ながら、王の補佐として政など様々な方面で働いている。
…
補佐、といっても王であるリーフが全く王としての仕事を果たさない為、実質アイカが国を動かしているのだが
…
女性で国の中枢を任され、完璧にそれをこなすのだから彼女にこそ『有能』という言葉がふさわしいのだろう。
「う
…
にゅ」
カリンはアイカの視線に身震いをした。
シルヴィーの言う通り、両親に挨拶
…
認められなければならない。
リーフ様とアイカ様にキチンと言わなければ。
今日もそれを目的に来た。
…
きたはず、なのだが
…
「カリン」
「はぁう!!!!!」
カリンは飛び上がった。
アイカの声は淡泊で冷たくて厳しくて
…
カリンはあまりの恐ろしさに思わず泣きそうになった。
「ううぅ
…
」
「
……
はぁっ」
カリンは俯きながらモゴモゴと何かを言おうとする
…
がしかし、自分が何を言いたいのか、何を言っているのか分からない。
足元さえおぼつかず、胸は煩いくらい鳴り続ける。
その様子に、アイカは呆れたように大きく溜息を吐いた。
「カリン
…
貴方は何をしに来たの?全く
…
呆れて言葉もないわ」
「ぇ
…
あ
……
あの」
「はっきりしなさい!」
カリンはビクリと肩をすくませた。
目の前がフラフラして、極度の緊張の為に眩暈を感じる。
アイカの視線が痛い。
「カリンちゃん大丈夫?」
「は
…
ぁ」
「
…
放っておきなさい。リーフ様は早く御自分の準備を
…
失礼します」
リーフに肩を支えられ、カリンは意識をなんとか保てた。
だが、アイカはその姿を冷やかに見つめ、すぐに立ち去ってしまった
…
「
…
くすん」
「ははは、相変わらずアイカはツンツンしてるねぇ~ま、そこがまた素敵なんだけど☆カリンちゃんも気にしちゃ駄目ちゃんだからね。アイカは僕の大好きなアイカだし、アレフのお母さんなんだしね」
「
…
?」
カリンは首を傾げる。
だが、リーフはそう言い残してさっさと歩き始めてしまった。
恐らく先程言われた衣装の合わせに向かうのだろう。
…
自分は
…
一人で立っているのも嫌なので、長い廊下をとぼとぼと進むことにした。
「
…
また駄目だった
…
」
溜息交じりに呟くと、広い廊下に声が響く。
ちょっと恥ずかしくなって周りを見回すが
…
不思議と城は静寂に包まれていた。
……
そう。
王と王妃に
…
リーフ様とアイカ様に御挨拶するのは今日が初めてではない。
自分がアレフに出会った時からこんな感じだ。
正式に御挨拶するのは、婚約してからだが
…
カリンはどうしてもアイカが苦手だった。
リーフは昔からカリンを認めてくれているが
…
アイカはどうにも納得していないようである。
あの鋭い目でギロリと睨まれ、とげとげした言葉でカリンを叱る。
そして毎度呆れたように、視線を合わさず立ち去って行く
…
昔からそうなのだから、苦手意識が増大しすぎて今ではアイカの前で上手く言葉を発する事さえ難しくなっている。
アイカはすぐに声を荒げる。
だが、リーフ王とアレフは滅多にそんな事をしない。
…
そこが一番の違いかもしれない。
なんだかんだで男性陣は優しい。なんとなく柔らかいし、掴みどころがないけど話しやすい。
正反対にアイカは鋭利だ。
背筋をピンとしなければ叱られそうな気がするし、キチンとした言葉を言わないと叱られそうな気がするし、むしろ話しかけても叱られそうな気がするし
…
「きゅぅ
…
怖い」
カリンは思わず半泣きになってしまった。
同じような雰囲気の知国勢、乱暴そうな武国勢の前では少しモゴモゴするだけで、怖さなど感じないのだけど
…
相手は
…
自分を敵だと思っているのだろうか
…
?
そんな事を考えているうちに、カリンは目指す部屋の前に到着していた。
他のドアも装飾が素晴らしいが、カリンの目の前のソレは一段と美しい。
繊細に彫刻されたドアノブなど他の国民から見たら『無駄』とすぐに一蹴されそうだか、カリンは嫌いではなかった。
目で見て、心が洗礼される
…
芸術はそんな存在だ。
カリンはいつもの如くそのドアをノックしようと、手を軽く上げた。
―
だが、
寸前でピタリと動きを止めた。
…
部屋の中から女性の声がする
…
一人ではない。数人だ。
普段は音がしたとしても、ピアノだけ。
自分を待っているのに。
一人で。いつも。
カリンは少しだけ胸にドロリと黒いモノを感じつつ、ドアをノックした。
瞬間、
部屋内が静かになった。
それに相対し、コツコツと女性の足音が響いたと思うと、躊躇もなくドアが開かれた。
「これはカリン様
…
お待ちしておりました」
ドアを開いたのは創城、特に王族の身の回りを世話をするメイドだった。
挙動から言葉使いまで王族の世話係にふさわしく教育されている。
けして私情で動いたりはしない。
カリンは、ホッと胸をなでおろした。
メイドは深く頭を下げると、カリンを部屋の中へ促す。
「
…
あぁ
…
カリン」
陽の光が燦々と差し込み、殺風景な部屋を照らしだす。
だが、真ん中で上着を肩に乗せただけの、肌を晒した主
…
王子アレフの姿が不思議と空間を煌びやかに映しだしていた。
創国の次期国王、というだけありアレフ自身がまるで一つの芸術品のように美しい。
男性に「美しい」という言葉は駄目かもしれないが、とにかくカリンは彼の姿を見るたびにそう感じてしまう。
何度見ても見惚れ、そして胸をときめかせる。
そんなカリンの心を見透かすようにアレフはクスリと笑うと、手早く上着となるシャツへ腕を通して、手招きをした。
「カリン、おいで」
カリンは声を出す事が出来ずに、ただコクリと頷いた。
それと同時に後ろに控えていたメイド達も足早に退室していく。
アレフは傍の椅子を引き寄せ、ゆっくりと腰を下ろした。
「あーあ
…
まるで着せ替え人形だね
…
ね、寒い」
「え
…
」
カリンが前に立った瞬間、アレフは腕を引きいて自身の膝に彼女を座らせた。
そのせいでカリンの手がアレフの胸へ触れてしまう。
…
シャツのボタンは閉められていない。
カリンは思わずビクリ手を震わせ、顔を真っ赤にさせてしまった。
しかしアレフはその様子を楽しむようにクスクスと笑う。
「くすくすっ
…
何度も見てるくせに」
「ぅ
…
」
「ね
…
寒い」
アレフは微笑みながら、カリンの耳元で囁いた。
先程も言った言葉だが
…
シャツの前のボタンが閉められていない。
素肌が出ている。
寒い。
…
ようするに、ボタンを閉めてくれ。と言う事のようだ。
カリンは震える手でアレフのシャツのボタンを閉め始めた。
膝の上で体を密着させて相手の服を整える行為は
…
何とも言えない甘美な雰囲気を感じさせた。
「(アレフ様って
…
甘い香りがする)」
ボーっとする頭でぼんやりと考えるていると、いつの間にか閉める作業も終了していた。
アレフはカリンの髪を愛おしそうに撫で、微笑む。
それは春風のように暖かい。
絵画のように美しいその微笑みに、カリンは再び見惚れてしまった。
「そうだ
…
今日はカリンも出るから」
「え
…
?」
「舞踏会」
アレフはひとしきりカリンを可愛がると、急に身を離し、隣の部屋へと足を進めた。
アレフのの部屋はいくつかに分かれている。
寝室と今いるピアノの部屋、そして衣装をしまう為だけに用意された部屋
…
今向かったのは衣装の部屋だ。
…
ちなみに衣装部屋で何故着替えなかったのかというと
…
恐らくカリンへの悪戯心からだろう。
衣裳部屋にいたらカリンも流石に入らない。
だからわざと部屋に入ってすぐの場所にいたのだろう。
閑話休題。
アレフはカリンを手招きすると、隣の部屋へと入ってしまった。
カリンも急いでそちらへ向かい、その場所を見た。
「ぅわあ
…
!」
カリンは目を見開き、控えめだが驚きの声をあげた。
視界一面、ドレスである。
色とりどりで、形も様々
…
まるで花畑のようだ。
開けられた窓から流れる風がドレスを揺らし、蝶のように揺らめいている。
「綺麗
…
」
「気に入った?
…
それ全部、カリンの為に用意したのだから」
カリンがうっとりとドレスの一つ一つに手を伸ばしていると、アレフ後ろから髪に触れてきた。
「好きなの選んでよ
…
今日の舞踏会にそれで出てもらうから」
「え
…
あの、さっきから言っている『舞踏会』って
…
?」
「
…
定例で開かれる、舞踏会。今日はカリンの顔見せがメイン」
「
……
えええええ!?」
アレフのサラっといった言葉に、カリンは思わず叫んでしまった。
舞踏会
…
そんな話今日、今初めて聞いた。
しかも、自分がメインだなんて
…
「あれ?言ってなかったっけ?」
アレフはクスリと笑う。
そうか、わざと言わなかったのか
…
本当に意地悪な人だ。
「アレ
…
」
「アレフ様」
カリンは気を取り直して、どの服が良いか聞こうと口を開きかけた。
だが、その刹那━違う誰かの声が被さった。
振りかえると、そこには先程のメイドが立っていた。
「
…
何?」
「お召し物の準備が出来ました。アレフ様のご希望通りかご確認ください」
「分かった」
アレフはあっさりとカリンから離れた。
困ったような視線を送るカリンを尻目に、楽しげに笑うと、アレフはそのまま退室してしまった。
一人残されたカリンは唖然と美しいドレス達に囲まれ、しばらく動けなかった
…
広い広い部屋に一人
…
微かに冷たい空気が体を撫で、肩を震わす。
だが、窓からは暖かな日差しが差し込んできている。
空気が冷たいのではない。
自身が緊張しているのだ。
胸の鼓動が耳に響き、唇が渇く
…
周りの音が聞こえないくらい目眩を感じた。
「ど
…
どうしょぅ
…
」
焦りからか、語尾がかすれてしまう。
アレフは『好きなドレスを選べ』と言っていた。
そして、悪戯ぽく笑い退室した。
…
きっと
…
絶対、ギリギリの時間まで戻らないつもりだろう。
自分を困らす為に
―
…
カリンは改めて周りを見回す。
広い部屋。輝く装飾。
綺麗に並べられたドレス。
数はザッと
…
100
…
否、300着はあるだろう。
個性と美しさに溢れ、これが一番というのはない。
全てがカリンの好みに合わせられていた。
アレフはカリンの好みを熟知している。
…
しているからこそ、選べない。
「ああっ!アレフ様の意地悪っ」
口ではそう言うカリンだがその頬は赤くなっていた
…
…
アレフが退室してからどのくらいの時間が経っただろう
…
?
とにかく一時間は経っているかもしれない。
広い部屋を休まずウロウロし続けた為、足が棒のように固くなっている。
腕はドレスを選び続けた為、何もしていないのにプルプルしてしまう。
そこまで悩んでいるのに、まだドレスは決まらない。
「私って
…
すごく優柔不断
…
」
カリンは窓際に置かれた椅子に腰かけると、深く溜息を吐いた。
…
そういえば、昔からそうだった。
自分で服など決めた事なかったし、物事も『コレッ!』と独断した事がない。
…
唯一、アレフ様の事だけは譲れないのだけど
…
それ以外はただ流されるままだった。
目の前のドレス
…
どれも素敵でどれも着てみたい。
だけど、自分では決められない。
手に取ったドレスより、向こうのドレスの方が似合っていたらどうしよう?
それよりも、端のアレの方が良いかもしれない。
ずっとそんな事を考えて、ただ時間を浪費し続けている
…
「
…
カリ
…
って、このドレスの量は何!?」
「ア、アイカ様」
カリンがションボリと俯いていると、衣裳部屋のドアが開かれ、城を仕切る女性
…
創王妃アイカが入ってきた。
アイカはカリンの顔を確認する前に、部屋を埋め尽くすドレスに一瞬仰け反り、目を丸くした。
「
…
なるほど、ね。この中から一着好きなのを選べと
…
そういう事ね」
アイカは状況を理解したように、ゆっくりと頷いた。
カリンは声を出せずに、コクコクと首を上下させる。
ここでようやくカリンの方へ体を向けると、アイカはいつもの厳しい視線を投げかける。
「
…
で?着る物は決まったの?」
「ぅ
…
いえ
…
」
「まだなの?」
「ぅっ
…
」
「はっきり答えなさい!」
「はっ!はい!まままだです、すみませんっ」
ビクリと肩を震わせたカリンに、アイカは溜息を吐いた。
部屋のドレスをぐるりと見回し、苦い顔をする。
カリンは胸の中で「怒られる」と根拠もなく思ってしまった。
「全く
…
親子そっくりね」
「えっ?」
アイカは溜息交じりに呟くと、カリンの言葉にも答えず退室してしまった。
カリンは唖然と、その後姿を見送るしかなかった
…
一体、彼女は何を言っていたのだろうか
…
?
数分ののち、アイカは再び部屋に戻ってきた。
手には青いドレスを持っている。
アイカはツカツカと歩み寄ると、驚いて動けないカリンの体にドレスをあてて、頷いた。
「
…
うん、多少サイズは違うけど許容範囲ね」
「え
…
あの
…
?」
「時間がないわ。手伝うから早く着替えなさい」
カリンはアイカの言葉に思わず頷いた。
急な事に、頭が回らない。
むしろ状況が理解できない。
とにかく今は言われるがまま、ただ体を動かすしかなかった。
「今日の主役は次期王妃であるアナタよ、カリン」
「は、はい」
「
…
まさかとは思うけど、今日初めてその事を聞いたの?」
「す
……
すみません」
「
…
とにかく、着替えが終わったら、髪もやるわよ。あと化粧にその他の身だしなみ。それから今夜
…
舞踏会も含めたスケジュールの打ち合わせ。分かった?」
「はははい!」
「返事ははっきり一回だけ」
「はい!」
着替え中もアイカの声に急かされる
…
王様やアレフ様もこんな風にいつも言われているのかと思うと
…
ちょっと疲れてし
…
ううん、なんでもない。
カリンが溜息を吐くと、アイカの視線がグサリと刺さった
…
…
とにかく急ぐしかないだろう。
幸いにも、アイカの用意したドレスは体にピッタリの上、着替えを手伝ってくれたためすぐに終了した。
普通なら城のメイドがやるはずなのだが
…
そこもアレフが手を回して、カリンを困らせようとしたのだろう。
これが俗に言う『放置プレイ』なのかもしれない
…
いや、きっとそうだ。
カリンは自分が想像した言葉で顔を赤くする。
『放置プレイ』だなんて、そんな━━と、考える前にすぐさまアイカの鋭利な視線が飛んできた
…
…
動きを止めている暇はない。
それにしても、アイカの動きは無駄がない。
本当に手慣れている。
鏡の前に座らすと、どこから取り出したのか、櫛でカリンの髪を整え始めた。
「
…
あ、アイカ様
…
その
…
髪のセット、出来るんですか?」
「当然。
……
昔はこれが仕事だったからね」
「え?」
「私は、若い頃
…
といっても少女時代ね
…
この城のメイドだったから」
カリンが驚き、思わず振りかえろうとした。
しかし、動こうとした体を「動かないで」とアイカに止められてしまった。
髪はどんどん整えられていく。
カリンはチラリと鏡に映ったアイカを見るが、彼女の表情はいつもと変わらず『質問』の続きは聞けなかった
…
「
…
綺麗な髪ね」
しばしの沈黙の後、アイカがポツリと呟いた。
丁寧にカリンの髪を梳き、整える。
アイカのその手つきは、普段の彼女とは正反対に優しかった。
「髪の色とそのドレス、よく合っているわ」
「あ
…
ありがとうございます」
初めて褒められた事に、一瞬ドキリとしたがカリンはなるべく冷静に礼を述べた。
…
なんだか、今日はいつもと違って優しい。
ううん、雰囲気は変わらない。
いつも通り
…
そう、凛としている。
「ドレス、良かったらあげるわ。私は着ないから」
「ふぇ!?き、着ない?」
「それね、昔リーフ
…
王から頂いたの。さっきのあなたと同じように、他のドレスや装飾も大量に。部屋を埋め尽くす位」
アイカは溜息交じりに言う。
手は休む事はない。
鏡の中の自分がどんどん綺麗になっていく。
カリンはハッとした。
先程言っていた『親子そっくり』と言う言葉、そしてこのアイカから貰ったドレス
…
なるほど
…
「アイカ様も、昔私と同じ事を
…
されたんですね」
「私の場合あっちがどのドレスがいいか決められなくて、全部まとめて与えられたのだけどね」
━
…
一瞬の沈黙
しかし、すぐに二人同時にクスリと笑った。
まさに親子は似るもののようだ。
カリンは不思議と肩の力が抜けた。
アイカと普通に喋れている事にちょっと驚いたが、何故か心臓もドキドキ高鳴らない。
「アイカ様も、私と同じだったんですね」
「そうね」
「私、アイカ様の事勘違いしていました」
カリンがニコリと笑うと、アイカは訝しげな顔を一瞬する。
しかし、その表情も普通に受け入れられた。
「
…
やっぱり、私の事怖くて意地悪姑と思っていたの」
アイカは何度目かの溜息を吐く。
呆れたような、自己嫌悪しているような、ただカリンに対しての敵意は見えない。
「
…
確かに私の性格はちょっとキツイ事は百の承知。直そうにももう染みついたしまったから直しようがない
…
それに」
語尾を言い終わると同時に、アイカの手は止まった。
髪が終わったようだ。
次は化粧のはずだが
…
アイカは腕を組んで、目を細くしつつ、鏡の中のカリンを見つめた。
「私『達』がしっかりしなければいけないのよ」
「
…
『達』?」
「そう、『達』」
アイカは深く頷く。
私『達』、ということは、カリンも含まれているということだ
…
どういう事なのだろう
…
?
カリンは首を傾げるが、アイカは化粧箱を手に取り開く。
慌てて首を真っすぐにすると、すぐに化粧が始まった。
「
…
言ったでしょう、親子そっくりだって」
下地をさらりと塗り、頬紅を乗せる。
カリンの可愛らしさが一段と引き立ち、別人のようになっていく
…
カリンは視線だけアイカに向けると、アイカは言葉を続けた。
「王
…
リーフがどんな人かは分かるでしょ?執務や王の仕事をこなすどころか城にいる方が少ない
…
かといって
…
とても弱くて繊細な人なの。だから、誰かが支えなければすぐに壊れてしまうのよ」
「
…
それで」
「そう。私達
…
カリンにはしっかりして欲しいの。アレフの為はもちろん、貴方の為にも」
「自分の為にも?」
「こう言ってはアレなのだけど
………
子供が何人産まれるか分からないでしょ、キチンと意志表示しなければ」
アイカの声が小さくなると同時にカリンの頬は赤くなった。
頬紅が強すぎたのかもしれない。
カリンが何も言えなくなった隙に、口紅をサッと塗られ
準備は終了した。
○○○○
夜に舞踏会が行われる会場は準備に追われ、多くの者が大忙しに走り回っている。
その中心で会の主催者であるべき国王リーフが、けだるそうに周りの様子を傍観していた。
たまに使用人達が何かを聞きに来るのだが、リーフは二つ返事で答えるのみだ。
「あー、あー君ー」
「ん」
視線の先にアレフが現れたと同時にリーフの表情が柔らかくなった。
美しい絹の礼服を着ているが、やはり同じように気だるそうな表情を浮かべ、リーフに歩み寄る。
ふと、リーフは首を傾げた。
「あれ?カリンちゃんと一緒じゃないのー?」
「んー
…
放置してきた」
「わぁ、あー君きーちくー」
リーフは困ったような表情を浮かべながらも言葉のノリは軽く、ケラケラ笑う。
どうやらそこまで心配はしていないようである。
この息子にこの親
…
というわけだ。
リーフは一息吐くと、突然周りをキョロキョロと見回し始めた。
「そういえば、アイカ見なかった?準備が忙しいみたいで全然姿を見せてくれないんだよねー。寂しくて僕孤独死しちゃうよ」
「
…
父様も放置されてるってわけか」
「むぅん
…
もう自分で探しに
…
」
「リーフ様はここで大人しくしていてください」
その場に声が響くと同時に、ざわめきが起きた。
何事かとリーフとアレフがクルリと振り返ると、二人は一瞬言葉を失ってしまった。
窓から差し込む光に照らされ、天使か女神の如く神秘的で美しい姿のカリンがアイカに手を引かれ会場の中心へと歩み寄ってきている。
歩く姿も光に包まれているようであり、青いドレスが広い青空のように澄んで見える。
顔も乙女のそのもので、頬が薄桃に染まり初々しく可愛いらしい。
「本日の舞踏会の主役
…
カリンを連れてまいりました」
アイカはリーフとアレフの前まで来ると『遅くなりました』と言わんばかりに頭を下げた。
カリンもおずおずと控えめにペコリと頭を下げる。
アレフは嬉しそうに微笑み、カリンの頬にそっと手を伸ばす。
手が触れると、カリンもはにかんだように笑った。
「綺麗にしてもらったね、カリン」
「はい
…
ありがとうございます」
放置されてしまった時にはどうなるかと思ったが
…
アイカの本音、そして厳しくする理由も分かり、逆に良かったのかもしれない。
創国王妃にして国を影で支える彼女は
…
やはり母であり妻であり、優しく凛とした女性だったのだ。
カリンはいつもよりも自信に溢れた気持ちを胸に、改めてアレフの傍を絶対に離れない事を誓った。
自分の意思をキチンと持って、いつかアイカのように愛する者を支える強い人間になろう。
カリンの瞳に強く、そして綺麗な光が差しこんでいた。
「
…
ねぇ、アイカ?」
「はい?」
「カリンちゃんのドレス
…
僕がアイカに贈ったじゃないっけ
?」
「覚えていたんですか。ええ、そうです。私着ないのであげました」
「えーー!?アイカに似合うと思って特注で作ったのに
―
!?ほら、あのところなんてアイカの美しさを引きたて
…
」
「無駄遣いです」
「えーえー!!そんなー!
……
でもカリンちゃんにも似合ってるね。だから良いや」
「では、頂いたドレス全て彼女のサイズに仕立て直します」
「いいよ」
「
…
珍しく素直ですね」
「ふふふ、だって新しく作れば良い話じゃないの」
「
…
は?」
「アイカの細身の体を活かしつつ、かつクールさを引き立てる
…
黒!青に近い紫!いや
…
白を基調とした物も素晴らしい!」
「ちょっ
…
リーフ」
「ふふふ、降りてきた!まさに女神の神託
…
すぐに仕立てて、今夜の舞踏会に着てもらうよ!」
「私はドレスなど着ません!舞踏会も裏方で
…
」
「こんなにデザインが降りてくるなんて久々だよ!ふふふふ!アイカ綺麗だよアイカ!」
「話をきけぇぇええええええ!」
アイカの叫びはしばらくその場に響き続けていた
…
○○○
工国の空は晴れ渡っているが、城から出ている煙で少しだけ影がかかっているように見える。
しかし、国民はそれが日常のように、せかせかと働き続けていた。
五国の中でも随一の賑やかさを誇る工国だ。
路上で果物ほ売る者、工房で細工技術を高める者、笑いながら追いかけっこをする子供
…
この場にいるだけで、この賑やかさが身に響いてくる。
城には多くの国民が訪れ、王に謁見を求めていた。
普段機械音だけが響く城も最近は人々の声が混ざり、煩いほどになっている。
そんな城の廊下をヒサギはフラフラと歩いていた。
先日の反乱戦で工国自体に被害は受けなかった
…
が、他国で建物が破壊されたり、物資が不足してしまったり
…
未だ処理に追われている。
王だけでは手に負えず、王子である自分も城に謁見しに来た人々の話を聞き、解決に走り回るしかなかった。
人々の言い分の大体は「資金を貸してくれ」だの「あとで払うからあそこを直してくれ」だの「あそこを直すのに材が足りないからどうにかしろ」だの
…
要求ばかりだ。
王族は全ての困り事を解決する便利屋ではない。ましてや全知全能の神でもない。
そういう事は自分でやってくれ!と言いたい。
…
とはいえ、無下に扱う事も出来ない。
本当に困り果てて、最後の頼みでやってくる者も少なくないのだ
…
ヒサギは何とか隙を見て、謁見の場を抜けてきた。
少し自室でゆっくりとしないと、体が持たない。
むしろ、泣きそうな人々の顔を見続けているから、心も折れそうだ。
重い体を引きずり、溜息交じりに自室のドアノブをひねると
…
何故が抵抗がなかった。
ドアは普通『ガチャリ』と音をさせて、手に手応えを感じるはずだ。
なのに、それがなかった。
ということは、元から開いていた
…
という事になるだろう。
だが
…
自分は部屋を出た時、キチンとドアが閉まった事を確認した。
勝手に開く事はないだろうし、誰かが入ったのだろうか?
メイド?否、いつも部屋に入るな、と言ってある。
では
…
部屋の机には重要書類が置いてある。
それが外部に流出しては一大事だ。
…
それを無造作に放るな、という話だが
…
片付けと整理は苦手。
とにかく、盗人の仕業なら考えている暇などない。
ヒサギは勢い良くドアを開けると、室内をグルリと確認した。
…
床に散らばっているはずの製図が綺麗になくなっている。
否、机の上にまとめて置いてある。
机も整頓されていて、久々に自室の床と机の模様を見る事ができた。
ベッドも整えられ、普段空けられないカーテンと窓が開いている。
そして、何より、部屋の真ん中に
…
「ヒサギ様?」
「
…
え、ええェエレン!?」
「はい。お仕事お疲れ様です」
にっこりと笑ったエレンが箒を片手にヒサギを出迎えていた。
ヒサギは廊下に再び出て、本当にここが自分の部屋か確認した。
…
当り前だが、確かに自室だ。
改めて部屋に入ると、不思議そうにエレンが首を傾げている。
…
首を傾げたいのはこっちの方だ
…
「なっ
…
なんで、お前がここにいるんだよ!?」
ヒサギは思わず叫ぶが、語尾が裏返ってしまった。
…
相変わらずエレンの前だと上手く話せない
…
情けない
…
しかしエレンはそんな様子を気にせず、変わらない柔らかい口調で答えた。
「会いに来たんですよ」
「は
…
?」
「ヒサギ様に」
開けられた窓からの日差しがエレンの微笑みをさらに輝かせる。
ヒサギの体温は一気に上がり、顔が真っ赤になってしまった。
…
もし、エレンの目が見えていたら笑われてしまうだろう
…
それはとにかく!
エレンの言葉が脳内をグルグル回っていた。
『会いに来た』
『ヒサギ様に』
俺に?エレンがわざわざ?ここまで?会いたかった?どうして?会いたかったから?わざわざここまで歩いて来た、俺に会いたいから
…
ヒサギの頭の中はポコポコと花が咲き乱れ、うふふあはは状態になりかけていた。
…
次の言葉までは
…
「シルヴィーさん達が、王様王妃様に御挨拶しに行ってるそうなんです。それで、私
…
工国の王様方見た事ないなー、と思いまして
…
あ、見えないんでどんな方か聞かせて頂くだけで良いんですけど。農国でも仕事の出来る方だと凄く評判なので、是非一度お会いしてみたいなぁー
…
と思ったんですよ」
「
……
エレン」
「はい?」
「それって
…
俺に会いに来たんじゃなくて、親父達に会いたいから俺の所に来たという
…
えと
…
ついで的なニュアンスに聞こえるんだが
…
」
「
……
(にこっ)」
エレンの邪気のない(ように見える)微笑みに、悲しみと嬉しさが同時に押し寄せて、涙が出てきた
…
○○○
「それで
…
どうやって城に入ってきたんだよ?」
「?
…
普通に門番さんに御挨拶したら部屋まで案内して頂きましたけど?」
「
……
まじかよ」
ヒサギとエレンは廊下を並んで歩いていた。
折角来てもらったのだから、母に会わせてやろうと思った。
以前からエレンの事を話していて、会いたがっていたから、きっと喜ぶだろう。
廊下を歩きながらヒサギはエレンにここまでの道のりを聞いていた。
今は国民が頻繁に謁見へやって来るとは言え、王子の部屋にまでは普通来れない。
何よりエレンは目が見えないし、慣れない道では歩けないだろう。
…
今も、実際ヒサギがエレンの手を
…
否、指を軽く掴んでいる
…
不自然極まりないが、コレが精一杯だ。
腕を掴む事なんて出来ないし、手を握るなんて
…
考えられない。
かといって、何処かを掴まないとエレンが歩けないし
…
それにしても、普通に部屋まで案内されたとは
…
城の警備はどうなっているのか?
もし、賊がエレンに化けてやってきた場合どうするのか?
それに便乗してエレンが誘拐などされたらどうするのか?
いやいや、今度エレンにあげるカップ等が盗まれたらどうするのか!!?
全く、城の警備を怠るとエレンが
…
…
といつの間にか思考が変な方向に突っ走っていた。
エレンと一緒にいると、挙動だけでなく思考も変になってしまう
…
ヒサギはチラリとエレンに視線を送ると、彼女は変わらず優しい笑みを湛え気持ち良さそうに歩いていた。
ただ一緒に歩いているだけなのに、とても嬉しそう
…
に見える。
願望が多少混ざっているのかもしれないが、エレンの笑顔を見ていると、細かい事はどうでもよくなってしまった。
「(城の警備についてはきちんと言うけどな)」
ヒサギはやれやれ
…
と言わんばかりにふぅっと溜息を吐いた。
「ヒイラギ様はお仕事中なんですか?」
「え?」
ずっと黙ってついてきていたエレンがふいに声を出した。
「ヒサギ様はお父様似なんですよね?仕事はもちろん頭も切れて、新しい物をどんどん生み出す、とても素敵な方って聞きました」
「
…
誰が言ってた?」
「サルゴン様が」
「
…
あのやろ」
父は天敵だ。
確かに性格がよく似ている
…
と言われるが、自分はあそこまでずる賢くないし、嘘吐きでもないし、人に仕事を押し付けないし
…
とにかく、父は性格最悪だ。
誰に対してもそれは変わらないし、家臣の評判もあまり良くないのが事実だ。
「(
…
いや、母さんにだけは優しいか
…
)」
「それで
…
ヒイラギ様にはお会いできるんですか?」
「え」
エレンは期待を込めてにっこりと笑う。
何故そこまで会いたいのかは分からないが
…
会わせるわけにはいかない。
否、会わせる事が出来ない。
あの父の事だ。
エレンの事を色々からかったり、鼻で笑ったり、自分の子供の頃の失敗などを暴露して笑うに決まっている
…
…
考えただけで最悪だ。
「ヒサギ様?」
「
…
あー
…
いない」
「いない?」
訝しげに眉をひそめるエレンの顔を直視できずに、ヒサギは続ける。
「そ、そう!親父はいない。えー
…
そうっ!死んだ!」
「えっ!?な、亡くなったのですか?そんな話聞いていませんが
…
」
「あ、ああ、そりゃ
…
さっきだから。うん、そう、さっき、五分前!」
…
五分前もエレンと一緒にいたのだが
…
「だから親父には会わない方が良い
…
じゃなくて会えないんだ、ずっと」
「
…
はぁ」
エレンは首を傾げながら、疑い半分でヒサギの言葉を飲み込んだ。
━━刹那
「誰が死んだだと!?このっヘタレチビ!!!!」
ヒサギは廊下の向こうからやってきた黒い影に、勢い良く飛び蹴りを頂いてしまった
…
「五分前に死んだってなんだよ?あ?もっと他に何か言う事があるだろが、花畑に蜂蜜を取りに行ったとかな!」
「イテテ
…
なんだよ、馬鹿!痛いし
…
キモイから蜂蜜とか言うな!甘ったるくて嫌いなんだよ蜂蜜!嫌がらせか!」
「嫌がらせだよ。他に何があるんだ?」
「このっ
…
黒子野郎!!!!」
「なんだと、この泣き虫ヘタレ厚底チビガキ」
「ぐぐぐ!蜂蜜に顔突っ込んで窒息死し
…
」
「蜂蜜
…
お嫌いなんですか?私好きですけど
…
」
「馬鹿、き、嫌いなわけないだろ!た、ただの売り言葉に買い言葉だ」
「
…
お前本気でアホだろ」
黒い男が溜息を吐くと、ヒサギはお得意の蹴りを繰りだした。
いつぞやかザードの脛にクリティカルヒットした鉄入りブーツキック(ザード命名)である。
…
だが、黒い男のブーツも固いらしく、鉄と鉄が弾き合う音が響くだけだった。
ヒサギと黒い男は再び口論し始めた。
一人取り残されたエレンはちょっと考える。
多分
…
目の前にいるであろう、ヒサギに良く似た声の人は父『ヒイラギ王』だろう。
ヒサギよりも声のトーンが落ち着いている。
かといって、雰囲気は息子に負けず若い。
もしも、ヒサギと知り合いでなかったら、自分と同じ位の青年だと勘違いしていただろう。
それだけ覇気に溢れ、よく声が通っている。
外見は見えないので分からないが、恐らく王らしくて立派な人なのだろう。
「(今度サルゴン様にどんなお姿なのか聞いてみよう)」
エレンは一人で納得しつつ、ヒサギとヒイラギの口喧嘩をのんびりと聞いていた
…
「(
…
あれ?)」
喧嘩している親子の声を聞いていた時、エレンの足元に一瞬何かの気配を感じた。
目が見えていればそれが何なのか確認できるのだが、如何せん気配しか感じる事が出来ない。
その気配はエレンの周りをちょろちょろと走り回っている。
察するに、小動物のようだ。
例えば
…
「リス
…
?」
ポツリと呟くと、小さな気配はピタリと動きを止め、エレンの足元へとぶつかってきた。
少し衝撃を受けるが、大きい体?ではないのでよろける事はなかった。
小さな気配はエレンの服の裾をぐいぐい
と引っ張る。
どういう状況なのかどうにも想像できないが、それが自分をどこかへ連れて行こうとしているのは分かった。
ヒサギ達はまだ喧嘩している。
他に城の使用人さん達もいない。
その間も裾を引く力は強まっていく。
「
……
よし」
エレンは少し考えた後、小さな気配に付いて行く事に決めた。
悩んでいたらその場に立ち止まる時間ばかり長くなってしまう
…
そしていつか進む事が怖くなってしまう。
本当は進むならヒサギと一緒に
…
と決めていたのだが、今は取り込み中なのでそっとしておこう。
自分はもう迷わない。
そう決めた。
それに小さな気配に悪い感じもしない。
逆に温かい気もした。
エレンが歩きだすと、気配は彼女を先導するように走り出す。
少し離れると止まり、近付くとまた走り出す。
目が見えていないのに、何故か小さな気配の場所が手に取るように分かった。
目が見えないのだから、今まで城をあてもなく歩き回った事などない。
一体自分が城のどこらへんを歩いているのか、見当もつかなかった。
…
今更だが、この気配は生きているものではないのかもしれない。
否、生きているものなのかもしれないが
…
不思議な感覚だけ、ヒシヒシと伝わってくる。
いつか父に話を聞いたことがある。
不思議の国に迷い込む少女の話だ。
あれが父の創作なのか本の物語なのかは分からないが、今の状況によく似ている。
少女は知らない場所を目の前の動物に先導されて冒険する。
周りは見た事のない事ばかり。
笑う猫に割れる巨大玉子、甲羅を盗られたウミガメ、毎日記念日を決めている茶会
…
少女はどんどん奥へ奥へと進み、最後は
…
━その刹那、
気配が唐突に消えてしまった。
『もう不思議の国の冒険は終わりなのか』と不思議と名残惜しくなると同時に、横からふわりと風が吹いた。
髪を撫でるように優しく、花の薫りが体を包む。
エレンは風の元へと手を伸ばすと、
何故か閉まったドアがあった。
しかも風など出ていない。
…
不思議の国の終着点はここのようだ。
エレンは無意識にドアノブを掴み、捻った。
ドアノブを捻り、室内へ足を踏み入れると今まで立っていた廊下とは違う澄んだ空気に一瞬驚いてしまった。
工国コクマーはその名の通り工業が盛んな国。
しぜんと空気に鉄と油の匂いが混ざってしまっている。
だからある人は『工は空気が悪い。だから肺が汚れて病人が増える』と言っていた。
実際、工から農国へ病気療養に来る人は少なくない。
…
だが、この部屋は違う。
言うなれば、農国のように澄んでいて、創国のように心地良い風が流れている。
ここだけが空間から切り離されたような錯覚さえ覚える
…
「(まだ不思議の国からは出れていないのかしら?)」
「
…
あら?」
エレンが首を傾げると、部屋の奥から微かに声が聞こえた。
…
声の大きさから、奥行きも横幅も広い部屋だと判断した。
そして周囲に植物が飾られているのだろう。
改めて空気を吸うと、土の匂いを鼻に感じる事がたできた。
「どなたかは分かりませんが
…
どうぞ、こちらへ」
奥から聞こえる声は、エレンを傍へと誘う。
エレンは恐れることなく足を前へ進めた。
初めての場所は気を付けて歩くのだが、今は何故かすんなりと進む事が出来た。
度胸がついたのかもしれない。
ふと、顔に柔らかい風を感じた。
窓から風が入る特有の音。
そこには微かな鉄の匂いが混ざっているが、廊下や城下町よりも遥かに薄い。
…
どうやら奥へと辿り着いたようだ。
「初めまして、かしら?」
正面から女性の声が聞こえる。
弱々しくも優しさを感じる
…
しかしそれ以上に壊れてしまいそうな位の儚さがあった。
エレンは直感的に頭を下げた。
「工国コクマーの王妃様
…
」
「貴方は、エレンさんですね?」
女性は嬉しそうに微笑んだ声を出した。
「ヒサギからいつも話を聞いていますよ
…
とても美しい方だって
…
一度会ってみたかったんです」
「そんな
…
王妃さ━
…
」
「畏まらないでくださいエレンさん
…
私の事は、『サラ』とお呼び下さいな」
工国コクマー王妃、サラは優しく、しっかりとした言葉でそう言った。
「話通り、綺麗な方ですね」
サラの言葉に、エレンは少し顔を熱くさせた。
『綺麗』なんて自分の国では滅多に言われない。
最近になってよく言われるようになったのだが
…
自分にそんな自覚はないし、慣れない。
…
サラの言葉のニュアンスから、ヒサギがサラへ『綺麗』と説明したのだろう。
「(ヒサギ様はそう思っているという事
…
か)」
「ふふっ
…
あの子は本心を隠したがる癖があるから
…
」
エレンの心の声を読むように、サラはクスリと笑った。
声は自分の目線よりも下から聞こえてくる。
かといって、椅子に座っている高さではない
…
どれかというと、ベッドに横たわるような高さだ。
「でも
…
私に似て、病弱にならなくて良かった
…
」
「サラ様は
…
」
「
…
見えなくても、分かるんですね
…
エレンさんはすごい方ですね」
恐らく、サラはゆっくりと頷いた。
見えないのに、分かる。
瞳の先に何かが霞んでいるように感じるが、それが何なのかは分からない。
「外にはあまり知られていませんが
…
工王妃
…
私はベッドから起きられない位、体が、弱いんです
…
ですから、今もベッドの上から、失礼しますね」
「いえ、構いません」
「ありがとう」
サラは少しだけやつれた顔で笑う。
エレンは、理由も分からず申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。
自分は王と王妃に会いに来た。
王は
…
取り込み中だったが、王妃は目の前にいる。
しかし
…
何故二人に会いたいと思ったのだろうか?
他の皆が会うと言っていたから?
それもあるが
…
否、違う、もっと他に理由がある。
しかし胸の奥に置いてある気持ちが言葉に出来ない。
わたあめのようにふわふわしていて、溶けやすくて、甘い
…
頭では分かっている。
でも声に出ない。
エレンが次の言葉を探していると、サラがゆっくりと起き上がる音が聞こえた。
「あ
…
起きちゃだめですよ。体に障ります」
「大丈夫です
…
今日は調子が良いんで
…
エレンさん」
サラはベッドに腰を落としたまま、ニコリと笑った。
「庭に、行きませんか?」
城の敷地内には、外観からでは分からない広い庭があるらしい。
エレンはユラからそれを聞いて初めて知ったのだが
…
自分には見えないので、城の敷地も外もそれほど大差がない。
…
むしろ農国は城もほぼ国民の家のような物なので、驚きがない。
エレンはぼんやりとそんな事を頭に過らせつつ、サラに手を引かれ裏庭へと出た。
途中サラの体調を配慮し、休み休み来たので大分時間はかかってしまったが
…
外に出ると城内のような澄んだ空気はなく、鉄の匂いが鼻をくすぐった。
隣のサラは
…
慣れているのか、我慢しているのか気にする様子はない。
「エレンさん、ここです」
サラはゆっくりと止まるとエレンに声をかけた。
しかし、エレンには何も見えない。
どう答えていいのか、言葉が出てこなかった。
「
…
何年前になるんでしょうね
…
随分昔に感じられるけれど
…
」
「
…
ええ」
「ヒサギが、小鳥を連れて帰って来たの」
「!!」
エレンの体はぞわりと震えた。
鉄の匂いの混ざった風が全身を撫でる。
震えが髪にまで伝わり、サラサラと揺れる。
エレンの頭の中で急速に記憶が呼び覚まされた。
小鳥
…
連れて帰って来た
…
━
…
ピチ!?
『あの人』から預かった怪我した小鳥。
一緒に頑張ろうと思った小鳥。
鳴き声が可愛かったから名前はピチにした。
怪我が治って飛び立ったピチ。
そして━
「
…
ここに小鳥
…
いえ
…
ピチ、ちゃんだったかしら
…
その子がこの木の下に眠っているの」
エレンの様子を察してか、サラは優しい口調で言った。
そして、あの頃を思い出すように━
…
「ヒサギは
…
あれから、塞ぎこんでしまって
…
しばらく、このお墓の前で泣いていたわ」
「
……
」
「ヒイラギ様
…
いえ、王は厳しく『泣いてもどうしようもない』
…
と言っていたんですけど
…
ヒサギはそれで、もっと泣いてしまって
…
」
「
…
そう、ですよね」
「あの方なりに
…
励ましたかったのでしょうけど
……
不器用な方ですから」
エレンは、なんと答えればいいのか分からなかった。
今でも、ほんの少し、ピチの事は胸につかえている。
しかし今更何を言っても、もうピチは帰って来ないのだ。
何よりも
…
もう誰も責めたくない。
「
…
エレンさん」
俯くエレンにサラは優しく声をかけた。
エレンは顔を上げて、サラの声の方へと耳を傾ける。
サラの声は、澄んだように風に馴染んだ。
「工国は、農国とは全く正反対の国です
…
偽りの命を造る国
…
ゼンマイ仕掛けの国
…
」
サラが城を見上げる。
反対に城から聞こえる歯車の音はエレンの耳に木霊していた。
「いつも、冷たいカラクリと向き合い、あの人の心は、凍ってしまいました」
「あの人
…
?」
「でもね
…
本当は人が、あったかい命が大好きなんです
……
どう接れすればいいのか、どうすれば相手が喜ぶのか
…
いつも、いつも臆病に考えているんです」
「
…
ええ」
「ぎこちなくて、不器用で、後悔して
……
傷付けたくないから突き放してしまって
…
優しくて臆病なオオカミさんなんです
…
あの人もあの子も」
サラの言葉はエレンの頭の中ではっきりと形になっていた。
いつも正面から話さない。
いつも最初は突き放して。
離れようとすると寂しそうにして。
こちらが笑うと嬉しそうな声をだして、取り繕うようにぶっきらぼうなふりをして。
かっこつけで逆に失敗して。
本当は子供みたいに無邪気で、カラクリの事が大好きで、皆が大好き。
「ヒサギ様は、そんな人ですよね」
エレンは微笑むと、サラも『ええ』と頷いた。
「エレン!!!」
刹那、
少し離れた場所から名前を呼ばれた。
エレンはくるりと振り返ると、微かに戸惑うような気配を感じる。
しかしこちらには歩いてこない。
いつもの感覚。
いつもこちらから歩み寄る。
そうしないと、相手は泣きそうになってしまう。
「
…
ヒサギ様?」
「っ
……
どう
…
してここにいるんだ?」
…
―
やはりヒサギ様だ。
少し震えた声、昔から変わらない。
気まずそうで、恥ずかしそうにして、少し斜めから言葉を紡ぐ。
エレンはクスリと笑い、ヒサギの元へ歩み寄った。
「国王様との楽しいお話し合いは終わったんですか?」
「楽しっ!?
…
楽しくないし、どう見たって喧嘩だろ、アレ」
「私は凄く仲の良いお二人だと思いましたけど?」
「違っ!
…
てか
…
どうして、母さんと一緒にここにいるんだよ。し
…
心配したんだぞ、その
…
急にいなくなったからごもごも」
「私ですか?
…
私も、サラ様と仲良くお話していたんですよ」
「は?」と呟くように漏らしたヒサギの横を誰かが通り過ぎて行った。
エレンは今まで気付かなかったが、恐らく国王のヒイラギだろう。
ヒイラギがサラの前に立つ気配をエレンは感じた。
「サラ、寝ていろって言っただろう。何かあったらどうするんだ?」
「すみません
…
でも今日は調子が良いですし
…
エレンさんも来てくださいましたから」
サラの声はふわふわと柔らかい。
誰に対しても、こんな風に温かくて優しいのだろう。
特に、夫に対しては
…
そして、それに応えているのかは分からないが、心なしか、先程までトゲトゲしていたヒイラギの言葉も柔らかくなっている気がした。
ヒイラギが不器用にしか愛せなくても、サラは自分がキチンと愛されている分かっている。そして心の底から愛している。
お互いそうなのだろう。
だから、サラはエレンに言ったのだろう。
ヒサギの事を。
ヒサギはまだピチの事を気にしている。
だからこの場所にエレンがいた事に驚き、そして戸惑った。
エレンは分かっている。
ヒサギにどれだけ心配をかけて、好かれて、大事にされているのか。
だから、
こうしてピチの前で一緒にいられる事が、嬉しかった。
エレンは一度ヒサギにニコリと微笑みかけると王と王妃の方向へ向き直り、改めて頭を下げた。
「国王様、初めまして、エレンと申します
……
国王様と王妃様
…
お二人は、とても素敵な御夫婦ですね。憧れます」
エレンはにこっと可愛らしく笑った。
それに応えるようにサラも頭を下げる。
…
言葉はなくとも、すでに二人は心が通じているようだった。
男二人は訳も分からず首を傾げる。
だが、ヒサギはエレンの可愛い笑顔に内心キュンとしていた。顔には出さなかったが
…
エレンは思う。
ヒサギとは、まだまだ始まったばかりだ。
お互いに知らない事も沢山ある。
そして毎日知る事もある。
だから急いで答えを出す事もないだろう。
今は、こうして隣にいれれば良い。
天高くそびえる工城から出る煙は、だんだんと薄まり、太陽の光に溶けていく。
エレンは瞳の奥に微かにそれを感じていた。
○○○
空に鳥の群れが飛んでいく。
白い鳥もいれば、鮮やかな色の鳥もいるし、大きさも多彩な群れだ。
…
いやいや、あれは群れというのだろうか?
明らかに種類の違う鳥同士が集まっているけれど
…
工国にいる時にはこんな変な光景は見た事がなかったのだけど
…
武国に来てから頻繁に見かけるようになった。
初めは疑問に思って、ザード様やレオ様、他の人にも聞いてみた
…
けれど、理由は結局自分で理解した。
「おっ、今日も美味そうな鳥が群れ作ってるぜ!」
「任せろ、俺の弓で撃ち落としてやる!」
「今日の夕食は鳥料理で決まり、ですね」
「わーい!僕カラアゲが良いなー!まぁそのまま焼いて食べるのも
…
ふふ」
空を見上げていた兵士達は嬉々として自身の武器を手に取り、鳥の群れを追いかけはじめた。
「(
…
お城の警備は良いのかな
…
)」
アテナはのんびりと洗濯物を干しながら兵士達を見送った。
「鳥さん達も大変だね
…
」
「ぶぅ?」
「数が多いと狙いも定まらなくなるから倒すのが大変になるんだって、レオ様が言ってたの」
「ぶぅー」
「だから、食べられないように数が自然に集まるんだよ」
「ぶぃぅ!」
アテナは足元の兎、ザー君をもふりと撫で、苦笑した。
きっと、今日も鳥に逃げられてしまってトボトボ帰ってくるのだろう
…
しょうがない今夜の夕食は鳥料理にしよう。
「あ
…
でも今日サルゴン様来ない日だ
…
」
数日に一度、城に食材を運んで来てくれるのはサルゴンや農王だ。
(何故王族自ら来てくれるのかは謎だが)
運んでくれるのはその日によって違うので、ある物で食事のメニューを考える。
肉類は貴重で、入ってきても少ししかない。
皆肉が好きで、空腹だから取り合いになるし、作る方も工夫しなければならない。
アテナは毎日地味に料理メニューで苦労しているのであった
…
「どうしよっか
…
」
「ぶぅ?」
「アテナ」
ザー君が首を傾げた時、前方から低く声をかけられた。
武国の人は皆元気が良い
…
特にザード様は声が大きい
…
けれど、一人だけ静かな人がいる。
それが、今歩いてくる武国王レオ様。
寡黙だけれど、話すとユーモア溢れていてとても優しい方。
それにザー君も可愛がってくれている。
自分にとって武国での父親のような存在だ。
「レオ様、どうしました?」
「
…
見張り連中はどうした?」
レオはきょろきょろと辺りを見回す。
いつもならこの時間、見張りの兵士はこのへんでサボっているはず
…
だが
…
レオの真面目な顔にアテナは苦笑を浮かべ、言った。
「皆さん、鳥の群れを追いかけてどこか行ってしまいました」
「
…
またか」
レオは手を額に当て、溜息を吐いた。
「ここらの鳥は特に戦闘力が高い
…
捕まえるのは無理だと何度言えば良いのか
…
」
「でもザード様はこの前捕まえてましたよ
…
可哀想なんで私が逃がしてあげましたけど
…
」
「アレとて次期国王だ
…
それに、跳ぶのが得意な奴だからな
…
」
「あ、そうですね」
アテナの問いに答えながら、レオはザー君の腹をモフモフと撫でる。
ザー君も自ら無防備な姿を差し出し、気持ち良さそうに鼻をスピスピ動かしている。
やはりとても仲が良いようだ。
アテナはそんな二人(一人と一匹)の姿を見てほわりと癒された
…
「あっ
…
」
アテナはふと思い出した。
先日、シルヴィー達と話した事だ。
『王と王妃に御挨拶する』という話。
自分の場合、すでに一緒に住んでいるけれど
…
一応『シキタリ』に従って挨拶しておいた方がいいのだろうか?
うん、じゃあやっぱり言っておこう。
こういう事はとっても大事だとシルヴィーも言っていた。
「レオ様」
「なんだ?」
「よろしくお願いします」
「
……
何がだ?」
レオは訝しげな視線をアテナに送る。
ザー君も耳をピクピクと動かし、首を傾げた。
しかしアテナは気にせずニコリと微笑んだ。
「はい、先日シルヴィーさんに聞いたんです。次期王妃は現国王と王妃に挨拶しなくちゃいけないって。だから、レオ様に御挨拶しました。改めまして、よろしくお願いします」
「
…
随分と唐突だな
…
まぁいい、こちらこそよろしく頼む」
アテナが頭を下げると、レオも微かに微笑みソレを返した。
レオは滅多に笑わないが、笑うとどことなくザードに似ている。
やはり親子なのだろう。
親子
…
そういえば、ザード様のお母さん
…
レオ様の奥様って、どんな人なのか聞いた事がない。
多少は聞かせてもらったけれど、それはザード様が知っている範囲のほんの少し。
名前は
…
確か『リザ』様
ザード様が生まれると同時に亡くなったそうだから、ザード様本人もあまりどんな人か分からないみたい
…
私だって、自分の母親の事はよく知らない。
お父様も見張りの人達も答えてくれなかったし、写真も残っていなかった。
「
…
何だか、似てる」
「?
…
今度は何だ?」
「あっ、いえ
…
」
アテナは無意識に声を出していたらしい。
ちょっと恥ずかしそうに首を振った。
「す、すみません。独り言です
…
その、私とザード様って境遇がなんとなく似ているなぁ、と思いまして
…
」
「境遇?」
「はい
…
母親の事をよく知らない、と言うところとか」
「
……
」
アテナの言葉にレオは静かに「ふむ」と呟くと、少し俯き、何かを考え始めた。
…
悪い事を言ってしまったかもしれない
…
レオ様にとっては、奥さんを亡くしているという事だ。
あまり思い出したくない事だろう
…
アテナは黙るレオにおずおずと話しかけた。
「あの
…
レオさ
…
」
「アテナ」
「は、はい、すみませんでした」
「見張り連中は鳥を追いかけたのだったな
…
ということは、今夜は鳥料理をリクエストされるということだ」
「は?え
…
ええ、そうですね。でも、鳥肉がないです」
「そうか
…
では、市場に行ってはみないか?」
「え
…
?市場ですか?」
レオはコクリと頷く。
…
彼の方からどこかに誘ってくるのは珍しい
…
というか、初めてかもしれない。
そんなにも鳥が食べたいのだろうか?
しかし、他にも買い物したいのと『市場』という場所が気になる。
アテナはレオの誘いを快く受け入れた。
○○○
武国の端に位置するステップ村はその全体が一つの市場のようだった。
そこは丁度、工国と武国の境目にあり両国の特色を持ちつつ、独自の色を出している。
工国の市場通りの様に露天が並んでいるが、そこで売っている物は武器はもちろん野菜に反物、アクセサリーに何故かヤギ。
大きな剣の隣には包丁も売っており、生活感を出したいのか戦いに備えたいのか分からない状態の店も多かった。
歩く人々を見ると、体の大きい戦士やエプロン姿の女性、無邪気に走り回る子供等々
…
多種多様だ。
アテナはレオの手を借り白馬
…
ホワイトなんたら花子から下りると興味深そうに辺りを見回した。
自分は自由になってからまだ間もない。
だからまだまだ知らない事が沢山ある。
行っていない場所も沢山あるし、行ってみたい場所も沢山ある。
だから一度大きい市場で買い物してみたいと思っていたがこんなにも早く実現出来るとは思っていなかった。
それにしても、武国にこんな人々で賑わう市場があるとは思いもしなかった。
以前暮らしていた工国の塔から見ていたキルティー領の町市場と同じ位ガヤガヤしている。
「ここは工から運ばれる品の中継点だ
…
だからこんなにも人が集まる」
レオは花子の手綱を傍の木に縛ると、アテナにロープを手渡した。
そして自分も大きなロープを羽織る。
「
…
ここは何かと
…
アレだ」
「アレ?」
「アレ」
「
…
アレ」
…
良く分からないが、アテナはロープを着た。
危ない、ということだろうか?
武国の城下町も治安が悪いので滅多に出歩く事が出来ない
…
それと同じ?
しかし、この市場はそんなに治安が悪いようには見えないが
…
そんな事を疑問に持ちつつ、アテナは歩き出すレオの後ろに続いて市場へと足を踏み入れた。
食料を売る露店の前には沢山の女性達が集っている。
それぞれに手早くお金を渡したり、値段をまけてもらったり
…
その表情は真剣そのものだ。
やはり家族の胃袋を守る女性にとってここは戦地のような物なのだろう。
アテナも心なしかキリッと目を尖らせた。
「少し路地を入ると多くの酒場がある
…
そこは城下よりも法があやふやで物騒だ。くれぐれも入らんようにな
…
」
きょろきょろと見る物全てに対してキッキッとしているアテナを注意するようにレオが呟いた。
アテナはレオの斜め横を歩いているが
…
そこからでも彼の顔を覗く事が出来ない。
きっと歩いている人間から見ても同じだろう。
それに
…
自分の見え方も同じかもしれない。
「(物騒
…
と言ってもちょっと警戒しすぎじゃないのかなぁ?)」
アテナは首を傾げる。
自分がのんきだから、の考えではけしてない。
ザードによって武国へと連れて来られて、しばらく住んで、なんとなくその場所の雰囲気を感じ取れるようになった。
だから、
この
場所はそこまで危なくない。そう直感で分かった
…
ここよりも以前言ったカンバー領
…
ユラの住む地域の方が危ない雰囲気を感じ取れた。
あの時は兎のザー君が一緒にいてくれたから何もなかったが
…
普段一人で行ったら
…
金品を巻き上げられている位はされていたのかもしれない
…
アテナは再びレオの顔を見ようと思ったが、やはりそれは叶わなかった
…
「買い物の前に
…
ついて来て欲しい場所がある」
「え
…
あ、はい」
レオはアテナの答えを聞く様子もなく、どんどんと先へ進む。
市場を抜け、少しだけさびれた空き地の横を歩く。
人が多ければフード姿に違和感はないが、今のようにすれ違う者もいないとあきらかに不審者に見えてしまう。
アテナは少し感じる視線を振り切り、レオの後ろに続く。
その時、
アテナはふと気がついた。
空き地をよく見ると、そこは空き地ではなかった。
小さな石が積み上げられている場所もある。木の棒が無造作に刺されている場所もある。土が小山のように盛られている場所もある。
「
…
ここは、墓場だ」
前を歩くレオがポツリと言った。
それでも前を向いて、歩みを止めない。
ただ、目的地であろう先を目指して進み続けている。
アテナは今まで墓になど滅多に足を踏み入れた事がなかった。
塔に軟禁されていた頃は、森と自室だけしか行動範囲がなかったし、今も城周辺だけだ
…
アテナは感じた事のない墓の異質なオーラにゾッと背筋を震わせた。
「
…
安心しろ、ここは武城よりも死者は少ない」
「
…
えっ?」
「武国の領地内、といっても工の色が濃い場所だ
…
ここで戦いは滅多に起こらない
…
だから、墓に埋まっているのはただの一般民
…
化け出てくる事はないだろう、城と違って」
「
…
はぁ」
レオは恐らくアテナを怖がらせないようにフォローしたつもりだろう。
だが、逆に怖くなってしまった。
…
帰るべき城が
…
アテナは内心半泣きで思った。
『元いた塔に帰りたい
…
』
奥に辿り着くと、一つだけ離れた場所に古びた墓が建てられていた。
背の高い草で覆われている他の物と違い、目の前の墓周辺は草が抜かれキチンと整備されている。
レオは無言で墓へ歩み寄ると、いつの間に摘んでいたのか
…
小さな花を供えた。
アテナもレオの横に立つ。
「ここは
…
?」
「
……
リザの墓だ」
「リ
…
ザ
…
」
朧げな記憶を辿る
…
以前その名前が出た事があった。
確か、
「ザード様の
…
お母さん
…
?」
「
……
」
レオは無言で肯定した。
前、まだ出会って間もない頃
…
ザードから聞かされた過去に、一つの重要なカギとして存在していた。
彼女が亡くなったから、ザードは初恋の娘
…
ヒルデと出会い、忘れられない記憶を引き摺る事になった。
リザとヒルデは姉妹。
リザはザードの母親。
…
と言う事はレオ様の奥さんという事か
…
いや
…
そこの事情は分からないが『武王には妻はいない』と聞いた事がある。
それは死別した事を言っているのか、それとも結婚をしていないのか本当の事は分からない
…
詳しく聞こうにも、真実を知っているのはレオ様本人しかいないのだから、聞けるわけがない。
ザード様も母親についてはそんなに知らないそうだし
…
ただ、『リザ』という人物がザード様の母親という事だけは事実。それだけははっきりしている。
「(でも、レオ様はどうして突然リザ様のお墓に
…
)」
アテナがふとそう考えた瞬間、また別の思考が頭に過った。
ここに来る前に、レオと話した事
…
「『シキタリ』
…
御挨拶
…
!!」
ハッとした。
そう、言ったのだった
…
『シキタリ』に則って『王と王妃に御挨拶』するのだと。
自分はすでに王と顔見知りで、共に住んでいるから軽く頭を下げて、それで『シキタリ』は終わったと思っていた
…
だけれど、レオ様は
…
自分とザード様が『母親をよく知らない』という言葉の意を酌んで、ここまで連れて来てくれたのだろう。
あの時しばし黙ったのはそういうことだったのか。
「いずれ、会わせたいと思っていたんだ
…
」
レオは目を細め、何かを思い出すように墓に立てられた十字の木を撫でる。
言葉には出来ない何かが、その瞳の奥にしまいこまれている気がした
…
アテナはゆっくりと膝を下り、墓に目線を合わせた。
長年雨風に晒されていた事もあり、大分痛んでいる箇所もあるが微かに『リザ』の名前が彫られていた事が読みとれた。
「
…
こいつには、迷惑しか、かけられなかった」
レオは一段と小さく呟く。
アテナが視線を送ると、目を伏せ、一瞬何かを考えてから再び口を開いた。
「ザードから聞いたかもしれないが
…
こいつを
…
いや、リザを殺したのは私だ」
「
……
」
「直接手を下してはいない、だが、死の原因を作ったのは私だ
……
私があの時
…
腹にザードがいたから
…
もし私がいなければ、リザは」
「レオ様」
悔いるような瞳のレオの手へアテナの手が重なった。
まるで言葉を止める様に。
視線は優しく、顔は微笑んでいた。
レオはしばし困惑した。
「ありがとうございます、レオ様」
「な
…
?」
「ザード様を育ててくれて」
「!!」
「私、レオ様の手
…
好きです。大きくて強くて、でもとっても温かくて
…
ザード様にそっくり」
アテナははにかむように、頬を染めると、リザの墓に目を向けた。
「リザ様も、レオ様の事が大好きだったと思います。だから、レオ様のせいだなんてこれっぽっちも考えていなかったと思いますよ」
「
…
アテナ」
「あ、『思います』ばかりですけど、予想じゃないですから!私自信ありますからね。だって、ザード様が今元気に暮らしているのが一番の証拠ですから」
アテナは屈託なく、にっこりと笑う。
薄紅に染まった頬が、可愛らしさと純粋な心を引き立てている。
レオは突然目を逸らした。
それを確かめる様に、アテナはリザに向かって手の指を組み、目を伏せた。
「リザ様、ザード様を産んでくれてありがとうございます。私
…
リザ様がザード様を大事に愛しんだのに負けない位、レオ様を愛した事に負けない位
…
ザード様を愛し続けます
…
だから、
見守っていて下さい」
「
……
」
レオは込み上げる感情を抑え、アテナと墓に背を向けた。
視界が微かに歪む。
しかし、溢れだしそうなそれを必死に堪えた。
「
…
もう、とうに枯れてしまったと思っていたが
…
」
空を見上げると、雲一つない青空が広がっていた。
…
自分はそんな物は信じない性質だ。だが、今日だけは、良いかもしれない。
この空のどこかにいるのならば
…
聞いてほしい。
今まで謝ってばかりだったが、今日は、お前に礼を言いたい。
ありがとう。
私を守ってくれて。傍にいてくれて。最期まで信じてくれて
…
ザードを私にくれて
…
ありがとう。
お前の息子は立派になった。私よりも、な。
それに、素晴らしい嫁まで連れてきた。お前もきっと気に入るだろう。
優しくて、とてもおっとりしている。何にでも一生懸命で
…
不思議とお前の事を思い出してしまう。
全く似ていないのに、なんでだろうな?
実のところ、お前のいないこの20年間
…
寂しくてたまらなかった。
リーフがよく言っている言葉が良く合うかもしれない。
そう、『私の胸に穴が空いてしまったかのよう』だった。
だが、最近はそんな事感じなくなった。
アテナが城へ来て、国が大きく動いた、からだと思う。
ザードも守られる立場から守る立場になった。
近いうちに私も守られることになりそうだ。
お前の遺したものは、私の様々な隙間を埋めてくれた。
そして
未来を見せてくれた。
私はもう少しザードとアテナ、国の皆と生きてゆきたい。
だから、もう少し待っていてくれ。
再び会えた時は、またあの頃のように笑って迎えてくれるだろうか?
その時、再び、聞いてくれるだろうか?
愛していると
誰よりも
リザ
…
お前を
城に戻ると、太陽は傾き、月が少し顔を出していた。
いつも通りなら夕食の準備も終盤に差し掛かり、城の兵士達が食堂に集まっている時間だ
…
!!
アテナは白馬から慌てて降り、調理場へ走り出そうとした
…
が
目の前で腕を組んで仁王立ちしているザードのせいでそれは叶わなかった。
ザードはかなり不機嫌そうにアテナを睨んでいる。
「
……
おい、アテナ」
「ぁ、ぇえっと
…
た、ただいま、です」
「どこ行ってた?こんな遅くまで。俺に断りなく。勝手に。どこか行く時は報告。まさか忘れたわけじゃないだろうな?」
「ぅぅっ
…
で、でも今日は」
「私と、『でぇと』だ」
縮こまるアテナを上から威圧的に責めるザードの目の前に、荷物を大量に持ったレオが颯爽と現れた。
持っている袋から大きくて立派なネギと大根が顔を覗かせている。
レオの渋い顔に、何ともミスマッチしていた
…
だが、ザードはそんなの慣れているのか、呆れて見ない事にしているのか
…
怒った調子を崩さずレオを睨みつけた。
「『でぇと』
…
だぁ!?何ワケ分からない事言ってんだ、糞野郎!!アテナを勝手に連れ出しやがって
…
!!」
「ふむ
…
アテナも快諾して、しょっぴんぐに昼食に
…
手も繋いだのだから、でぇとだと思うが
…
私の勘違いか」
「手!?手ってなんだよ!?あっ!?」
今にも噛み付きそうなザードをヒラリとかわし、レオはアテナの体を肘で軽く押した。
「アテナ、早く夕飯の支度をしよう
…
私も手伝う」
「え、あ、は、はい
…
」
「なに、ザードは腹が減っているから機嫌が悪いんだ
…
腹一杯になればすぐ寝てしまうだろう」
「人の事をガキみたく言うな!!というか、さりげなくアテナに触るの止めろ!!!!」
「失礼な
…
肘が肩にあたっているだけだろう
…
お前は昔から勘違いの多い発言をする子供だ
…
」
「うぉおおお、ぼこぼこになりたいらしいな!!じっとしてろ!!」
ザードの繰り出す拳を荷物を持ちながらスイスイと余裕で避けるレオは、どこかしら楽しげで、微かに微笑んでいた。
まるで小さな子供の成長を見ているかのような眼差しだ。
アテナもそんなレオの姿を見て嬉しくなった。
そして、ザードの必死な顔を見て、笑ってしまった。
もう笑えない人の分まで笑おう。
命を賭して愛する人との子供を守った母親達の為に、
精一杯生きよう。
光が肉眼に映り始めた星空は、まるで炎のように揺らめき、輝きをさらに増してきていた。
満天の星空の中にはすでに燃えて消えてしまった物もあるだろう。
あと少しで尽きる物もあるだろう。
だが、輝きはまだ失われる事はない。
ずっとずっと、未来に輝きは見え続けている。
星がそうであるように
命と意思は
ずっと
繋がり続けるだろう━
…
○○○
五つ国では定期的に国王同士が情報交換と会議をする事になっている。
より良い国を作る為の王の重要な役割の一つ
…
だが、大半の場合は一人や二人欠席者が出てしまう。
欠席理由は
…
王らしくない不真面目な物なので伏せておく
…
しかし、今回知国ケフラーで行われている会議は珍しく欠席者もなく、五人全員が揃っていた。
「ふむ
…
珍しく全員揃っているな」
不機嫌そうに眉間に皺を寄せているのが知国王ナルセス。
「今日は仕事みーんな任せてきたからなぁー」
珍しくのんびりした様子で伸びをするのが農国王ラルゴ。
「聞いてよー、もうすごいの!すっごいアイディアがおりてきてさー!!昨日から150枚もデザイン画描いちゃったよぉ」
ナチュラルハイ気味なのが創国王リーフ。
「たまには顔出さないとどっかの誰かさんの血圧が上がって死ぬしな」
皮肉交じりに笑うのは工王ヒイラギ。
「
…
ザードが剣振り回して追いかけてくるから逃げてきた」
表情も声のトーンも変えずに言うのは武王レオ。
雰囲気では一国の主とは考えられないゆるーい五人は、それぞれ全く協調性なく椅子に座っていた。
が、
「
…
おい、待て
…
レオ、何があった?」
「喧嘩はいつもの事やろー
…
剣って、真剣?」
「親子喧嘩なら自分の城だけでやれよ」
「でもさー、ザード君だってさー、最近落ち着いて来てるしー、レオが何か怒らせる事したんじゃなーい?」
レオの一言でバラバラだった全員の視線が一点に集中された。
一同の視線にもレオは変わらず、真面目な顔で答える。
「ふむ
…
先日アテナとでぇとしてからザードの機嫌が悪くてな
……
ならばお前も私とでぇとするか?と聞いたら剣を振り回された」
『ちょっとした冗談だったんだが』とレオは付け加え、軽く溜息を吐く。
一同も同時に溜息を吐いた。
「お前の冗談は昔から冗談に聞こえないんだよ
…
自覚しろ」
ヒイラギは呆れたようにレオをジロリと睨むが、当の本人は『そうか?』と言わんばかりに首を傾げていた。
「そういえばわてもデートみたいなことしたわ」
ポンっと手を鳴らし、ラルゴは薄く目を開いた。
彼は普段、本当に見えているのか分からない位細い目をしているが、開けないワケではないらしい。
しかし目を開くとナルセスよりも目付きが悪くなるので本人的にも控えている。
昔息子のサルゴンさえ大泣きしたくらいだ。
…
そんな彼が目を大きくするという事は、何か重要な事を思い出した、というわけだろう。
「半日くらいチミッ子と一緒にいて、一緒に飯食ったわ、この前」
「
…
ちみっこ?」
「名前なんやったけー?いつもチビとかドジとかとしか呼んでへんからー」
「
……
シルヴィーではないか?」
「あ、それそれ」
かなり失礼な事を言いつつも、アハハと悪びれずに笑うラルゴの横で、名を答えたナルセスは頭を抱えた。
「どうして彼女のような優秀な人材がこんなこんな
…
いや
…
そもそもあの粗暴な娘のどこが良いのか理解が出来ん」
「ありゃ、まだ言ってるの?いいじゃーんユラちゃんだっけ?あの子も可愛いじゃーん」
「そっちは同国創の娘だから良いがな!こちらは正反対の
…
!!!嗚呼頭が痛い
…
」
ナルセスは深く深く溜息を吐き、さらに深く眉間に皺を寄せた。
息子フェルナンドの婚約から、同じ小言が絶えない。
未だに相手ユラの事が気に入らないらしいが
…
毎度聞かされる周りの王も辟易
…
する前に最初半分聞いていない。聞いている方が疲れる、と長い付き合いの中で理解していた。
ナルセスはほぼ独り言のようにブツブツと小言を続けた
…
「
…
ははーん、なるほど
…
そういう事か」
机に足を乗せ、王らしからぬ不真面目な態勢
で一同の話を聞いていたヒイラギは二ヤリと笑った。
隣のレオはチラリと視線を送る。
「何がなるほどなんだ
…
?」
「あのウシ乳娘がどうして城に来たか、今理解した」
「牛
…
」
訝しげに呟くナルセスに「エレンな」とラルゴが補足するのを確認してから、レオも頷いた。
「
…
『挨拶』は『シキタリ』だそうだな」
「仕来りぃ?
…
あー
…
そういえば『王位継承者の妻になる者、王と王妃その他関係者に顔見せし、その身を国に捧げる誓いを立てよ』とか決まりがあったねぇー。古~いの」
流石五つ国一慣習に厳しい創国の王といったところか
…
リーフはとぼけた声をしながらも、スラスラと王家慣習を言った。
「ああ、俺達はそんなのなかったから忘れていたがな
…
話を聞いてるとほぼ一斉に婚約者の娘が来たみたいだし
…
そういうことだろ」
「あれが
…
挨拶
…
」
「あれぇ?でもぉ
…
挨拶されたっけ?まカリンちゃんとは昔から顔見知りだから挨拶とか意味ないけどーいつも頬っぺたぷにぷにさせてもらってるからいっかー☆」
「え、嘘
…
まさかあの時挨拶しに来たん?サルゴンといちゃいちゃしに来たやないの?」
ヒイラギの言葉に少々納得いかない数名はそれぞれ反応を見せた。
…
王に自覚されていない時点で挨拶になっていないのではないだろうか
…
?
呆れたような顔をするヒイラギの横で、レオはポツリと呟いた。
「
…
そろそろ、王位を譲っても良い頃かもしれないな
…
」
場は急に静まり返り、再びレオに視線が集まった。
暫し誰も声を出さず、それぞれ何かを考える。
渋い顔もいれば、フッと微笑する者も表情を変えず目を伏せるだけの者もいる。
ただ、考えている事は変わらないようだった。
「
…
レオの言う通りだ」
静寂に包まれ数分
…
ようやく声が部屋に広がった。
声の主、ナルセスはゆっくりと一同を見回し、頷く。
「確かに、先日の反乱事件の活躍
…
目を見張るものがあった。
…
そうだな、そろそろ良い時期なのかもしれない」
それを文句なし、と肯定するようにラルゴが続く。
「せやな。うちも何も言う事はない。あの五人ならしっかり国を治められそうや」
「まっ
…
あいつらも、もうガキじゃないって事だな」
ニヤリと笑うヒイラギの言葉にはいつもの棘はなく、どこか嬉しさが混じっていた。
「
…
異論はない
…
アレは私よりも人徳があるしな
…
」
レオは相変わらず声のトーンを変えないが、真っ直ぐと一同を映す瞳は先程よりも真剣さを感じられる。
リーフもニコニコしながら、嬉々と頷いた。
「皆かっこいい瞳になったよね。曇りがなくて、眩しいよね、ふふふ、素敵な王様になれるよね」
子供のようにピコピコと万歳したリーフを珍しく止めず、ナルセスはスッと立ち上がった。
「ちょうどフェルナンド達も定例会議だったな
…
少し様子を見てみるか」
「こっちの会議はいいのか?」
「構わん、大した議題でもないからな」
『それとも何か重要なことでもあるか?』と、ナルセスはチロリとヒイラギに視線を送るが、発言した本人はすでに部屋の出入り口にまで進んでいた。
他の王も退席し、リーフなど廊下に出ている
…
ナルセスはやれやれ、と溜息を吐いた。
「全く
…
こういう事だけは早い
…
」
部屋を出る前に、ナルセスは一同の背中を送るように見つめた。
太陽の光が丁度陰り、薄暗い部屋に一人立つ。
━
…
ここまで様々な事があった。
今までの人生が、まるで昨日の事のように思い出される。
何が始まりで、どこが終着だったか
…
それはもう分からない。
いや、まだ終わってはいないだろう。
次の世代
…
息子達に国を託すまでは、まだ我らの使命は続く。
王位から解放されたとしても、それで終わりなのかも分からない。
だが、
後を託せる者がいる。
それだけで、心から安堵し、そしてまだ生を続けられる自信が付く。
あの時、自分達で壊したモノの修復はまだ終わっていない
…
それを直し、再構築するのは子達、民衆達だろう。
新しい国、新しい未来
…
彼らはそれを私達に見せてくれるだろうか?
私は、彼らを信じ、託したい。
国を、民衆を、未来を
…
「ナルセス、どうした?」
部屋から薄暗さが消え、陽の光が戻ると一同の顔がはっきりと見えるようになった。
不思議そうに視線を投げかけるレオ、心配そうに首を傾げるリーフ、急かすように睨むヒイラギ、腕組みして大人しく待つラルゴ
…
ナルセスは軽く笑うと、足を一歩踏み出した。
「大丈夫~?どうかしたの?」
「
…
いや」
一同の横に並び、改めて四人の顔を見回した
。
「我らも随分歳をとった
…
と思ってな」
「はぁ?」
不服そうな声を出すヒイラギを尻目に、ナルセスは廊下を歩き始めた。
顔を見合わせるレオとラルゴはそれに続く。
長い髪をなびかせ、1テンポ遅れるリーフ。
国王五人の去った廊下には、緩い風と暖かい木漏れ日だけが残った
…
【間話 終】
次回の物語へ続く
…
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