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☆人/H星人
2025-07-28 20:17:22
72071文字
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現代編 四話 叶いの罪
後悔の過去と償いの今
子供は純粋で
無垢だという。
そう、純粋で無垢だ。
自分も昔は何も知らない
子供だった。
ただ、真っ直ぐに
真っ直ぐに
真っ直ぐに
**
*うと思っていた。
世の中は
汚い
暗い
闇
それを操り
生きる術を知った
何人もの
嘆きを飲み込んだ
これが、
大人になった
ということか
いや、違う
これは
どんなに汚れても
どんなに傷ついても
あいつだけは
*
純白で穢れを知らない
あの娘を
***
これは*いだ
○○○
五つ国大陸は今日も晴天だ。
昼の鐘が青空に響き渡り、人々はそれぞれにランチを開く。
知国ケフラーの城、中庭でも、
「
…
もうそんな時間か」
読書中だったフェルナンドが本を閉じた。
フェルナンドは待機していた女中に目配せし、ランチを取りに行かせた。
女中が立ち去るのを確認すると、次に遥か高い塀の上を見上げる。
空が青い。
巷では、高い所から落ちるのが流行っているらしいが、全く理解できない。
今度の会議で話し合おう。
まあ、その前に
「あやつに言うか」
フェルナンドの視界に塀を飛び降りる影が映った。
「来たぞー!飯だー!フェルナンドー!!」
「昼の時間だけは正確だな、ユラ」
「おっ、今日の飯はサンドイッチか!」
塀の上から飛び降りてきた娘
…
毎度お馴染み武国のユラはフェルナンドの言葉を聞いていないのか
…
否、恐らく聞こえていない。
目の前に運ばれてきたランチをテーブルに置かれる前に手に取って頬張った。
「うまうまっ」
「
…
全く」
ユラは昼の鐘が鳴ると、必ず丁度に来る。
目的はフェルナンドなんだか昼食なんだか分からないが、とりあえず来たからにはユラの分も用意している。
フェルナンドはため息を吐いた。
「なんだよ?俺を嫁にする気になったか?」
「ため息とそれを結びつけるな」
「じゃあ
…
俺へのプ、プロポーズを考えてるのか?そうだろ?へへっ、よし、来い!」
「
……
」
フェルナンドは再びため息を吐いた。
仕方ない
…
フェルナンドはテーブルの上の小さなティーポットを手に取ると、ユラの視線で揺らした。
「この中には何が入っていると思う?」
ティーポットは王族が使う物らしく艶やかな模様が描かれ、とても高貴な雰囲気を出している。
ユラは変な顔をして、首を傾げると当たり前に答えた。
「何って
…
紅茶だろ?お前いつも飲んでるじゃねぇか」
「
……
ふぅ」
フェルナンドは息を吐くと、ゆっくりとポットの蓋を開け、ユラに見せた。
ユラは、目を見開いた。
「正解は、砂糖だ。
…
先日アレフに入れられて、仕方なしに使っている」
フェルナンドはポットを置くと、目を伏せた。
「
…
見たもの、聞いたもの
…
全てが、真実だと思うな
…
ユラ」
中庭を吹き抜けた風が、
ユラのリボンを揺らした。
○○○
ところは変わって━━
「浮気です!!!!!!!!」
「きゃっ」「はわぁっ」
……
刹那、創国のカフェエリアに声が響いた。
普段は閑静な通りなだけに何事かと振り返る人々の視線はとても多い。
その人々の注目を集める先に、三人の娘が座っていた。
一人は人形のようなふわふわした可愛らしい外見で、思わず撫でたくなる。
先ほどの声で驚いたのか、お茶を溢してしまったようだ。
その溢してしまったお茶を丁寧に拭き取っているのが、髪の長い娘だ。
右半分の顔を前髪で隠す、特徴的な髪型だ。
そして━━
「きっとそうです!私の女の勘が警告しています!!」
大声を出した、
金の髪をきっちりまとめた少女
…
口調は大人っぽく、服も清楚だが。
なにやら、ただならぬ様子で怒っている。
言葉から読み取るに、『浮気』が原因のようだ
…
お茶を拭き終わった髪の長い娘は苦笑を浮かべ、ぷんぷんする娘に視線を移した。
「シルヴィーさん、まさかあのサルゴン様が浮気だなんて
…
ねぇ、カリンさん?」
「はっ、はひ!?は
…
はい!そうですよ!この前飴くれたサルゴン様ですよね?はい!アテナさんの言う通りです」
髪の長い娘
…
アテナと
ふわふわした娘
…
カリンはお互いに頷きあった。
しかし、
納得いかない少女は再び叫んだ。
「では、なんで私が会いに行くたびに姿を消すのですか!?行き先を聞いても
…
言ってくれないし
…
うぅぅ」
「シルヴィーさん
…
」
「泣かないでください~」
「泣い
…
てなんかくしゅん」
一見少女
…
シルヴィーは涙を堪え、俯いた
…
この三人の娘
…
なんと、次期五つ国王妃である。
武国ホド王子ザードの婚約者アテナ。
創国ティファレト王子アレフの婚約者カリン。
そして、
農国イエソド王子サルゴンの婚約者シルヴィー
…
この三組で特に仲の良いのがサルゴンとシルヴィーだ。
その様子はまさに『バカップル』と言うにふさわしく、微笑ましいラブラブっぷりを見せつけてくれている。
そんな様子が見えなくなったのは、一週間前。
シルヴィーはいつも通り、サルゴンに会いに遥々農国へやってきた。
サルゴンも、シルヴィーが来る時間になると手を休めて迎えに来てくれる。
が、
その日はサルゴンの姿が見当たらなかった。
…
もしかしたら、緊急の仕事でも入ったのかもしれない。
シルヴィーは待った。
待ち続けた。
待って待って
…
来なかった
…
周りの人々に聞いても、
分からないの一言だ。
そんな日々が続き、昨日やっと姿を見せてくれた。
少し疲れているようだが、シルヴィーの姿を見ると安心したように頭を撫でてくれた。
「サルゴン様」
「
…
」
「どこに行っていたのですか?」
「
…
」
「サルゴン様、答えてください」
「
…
い」
「
…
?」
「シルヴィーには、関係ない」
シルヴィーは昨日の言葉を思い出し、泣きそうになった。
あんな、あんなサルゴン様は初めてだ
…
優しくて、いつも笑ってくれて、抱きしめてくれて
真っ直ぐこちらを見てくれる
…
のに、
シルヴィーは涙の流れそうな瞳を擦り、手元の紅茶を一気に飲み干した。
「明日、行きます!!」
「え」
「サルゴン様の後を追います!!」
「えぇ!?」
シルヴィーはいつもの意志の強い瞳を空に向けた。
こんな場所に立ち止まっていては駄目だ
…
歩かなければ
…
そう、
サルゴン様に教えてもらったように━━
○○○
━━夜
アテナは夕食の片付けを終えると、ため息を吐いた。
…
サルゴンとシルヴィーの事だ。
自分はずっと二人の仲睦まじい姿を見てきた。
微笑ましいと思いつつ、羨ましいとも感じていた。
自然に触れ合える二人は、忙しい自分達には眩しかった
…
あんなに仲が良かったのに
…
アテナは二度目のため息を吐いた。
「どうした?具合でも悪くなったか?」
「きゃっ
……
あ、ザード様」
相変わらず、突然声をかけられ、アテナは飛び上がった。
振り返ると歩み寄るザードが映る。
ザードはアテナの頬を撫でると、微かに首を傾げた。
「顔色は
…
まあ悪くないな。てか元々白過ぎなんだよ」
「はい」
ザードを見て微笑んだアテナの顔は、再び曇った。
王子達はとても仲が良い。
もしかたら、サルゴンの疑惑の理由も知っているかもしれない。
「
…
ザード様?」
「あ?んだよ?」
「
……
あの、サルゴン様が
…
浮気をしていると、聞いたのですが
…
」
ザードを固まった。
目を見開くと、アテナの腕を掴み引き寄せる。
その表情はとても焦っていた
…
「ザード様!?」
「黙ってろ!!」
アテナの体が浮いた。
瞬きをする間もなく、今自分がザードの腕の中だと理解できた。
瞬く間に自室へと運ばれると、ベッドに降ろされ、
「ザ
…
ザード様!?」
顔を近付けられた。
いきなり、そんな
…
アテナは顔を真っ赤にさせた。
「やっぱり、熱があるんじゃねぇか!!」
「
…
え?」
目を開けると、ザードはどたどたと廊下を駆けいった後であった
…
…
熱?
首を傾げていると、すぐにザードは戻ってきて、袋をアテナの額に押し当ててきた。
「こんなむ時に氷がねぇとは
…
ちょっと取ってくるから、水で我慢しとけ」
額に押し当てられた袋にはひんやりした水が入っている。
いそいそと、足元にいた兎
…
ザー君をアテナの首に巻く。
「あ、あの
…
!」
「あとは、玉子酒だな。よくそれで治ったとか聞くしな」
「ザード様!?」
「それと
…
」
「私、熱なんて出してません!」
「だっー!!うっさい!!!」
ザードはギャースと言わんばかりに吠えた。
「サルゴンが浮気とか、ありえねぇこと言ってる時点で重症だ!!寝てろ!!」
ザードはアテナを倒し、布団を被せた
…
○○○
カリンは重い気分で自室に戻った。
昼間聞いたシルヴィーの話
…
なんとも、信じがたかった。
以前、会った時サルゴンは親切に飴をくれた。
しかも美味しい桃味。
お茶も出してくれたし、お土産にリンゴもくれた。
そして、
シルヴィーの事を本当に大事にしていた
…
「なのに
……
ぁっ」
カリンが俯くと同時に、後ろからいきなり腕を引っ張られた。
体はベッドに倒れ、
「んっ
…
」
唇を塞がれた。
続けて服をまくしあげられ、
胸を
「あっ
…
ァレフさ、ま
…
らめ」
「駄目って言ってるわりに、もうこんなに」
「誰か見て
…
ますぅ」
「見られて感じてるんだ?やらしい子だね、カリンは」
カリンの上に乗るアレフはペロリと舌舐めずりをして、再びキスをした。
すると、アレフはすぐに身を離し、窓際にクルリと身を預けた。
「アレ、フ
…
様?」
「おあずけ
…
くす
…
」
「ぁぅ
…
」
ジンジンとした感覚を抑えつつ、カリンは身なりを正して、アレフに向き直った。
そうだ。
ちょっと聞いてみよう
…
大概の悪い事はアレフ様が知っている。
「アレフ様
…
聞きたいことが」
「
……
『この愚かでいやらしいカリンに教えてください、ご主人様』って言って。もちろん、跪いて」
「
…
ぁぅ」
そんなこと言ったら、頭がジンジンと痺れて
…
「はぅ!あの緊急なんです。でも言わせてください
…
後で」
「
…
ふーん
…
まあいいや。言ってくれるなら」
アレフは軽く溜息を吐いて、カリンの隣に腰かけた。
「あと、奉仕してね」
「ぁぃ」
カリンはこの後の事を考えてもじもじした後、意を決して顔を上げた。
シルヴィーの
…
親友の為に何かしてあげたい!
「あのっ
…
!!サルゴン様が、浮気」
「ぶっ!!」
アレフはカリンの言葉が終わらないうちに、倒れこんだ。
震えている
…
震えて
…
「
…
く
…
ふふふ
…
」
笑っていた
…
それからしばらく、アレフはプルプル震えていた
…
「(アレフ様のツボに入ちゃったです
…
)」
「ふふ
…
ふふははは」
━━
…
あわわと慌てるカリンは気がつかなかった。
アレフの瞳が
一層楽しそうに光るのを
……
━━━翌日
…
シルヴィーは朝早くから農国の草陰に隠れていた。
今日こそサルゴンの浮気現場を押さえてやるのだ。
二人の未来の為に
…
!!
そう、サルゴン様はとても優しい。
優しいから、きっと悪女に騙されているのだ。絶対。
それを助けるのも、恋人である自分の役目。
「今、助けに参ります!!
……
て」
シルヴィーは握った拳を震わせ、振り返った。
「何故余計な人達もいるんですかっ!?」
「あ?んだよ」
「カメラ準備おーけーです」
視線の先には、見慣れたアテナとカリン。
それと、
何故かザードとアレフもいる。
「呼んだのはアテナさんとカリンさんだけですよ!?」
「ご、ごめんなさい
…
!その
…
ザード様がどうしても
…
」
「あい
…
アレフ様も同文です」
アテナとカリンはぺこりと頭を下げた。
…
そう
…
昨日話を聞き、王子二人は面白半分についてきてしまったのだ
…
「アテナになんかあったら大変だろ。てか、アレフちゃんと撮れよ」
「サルゴン浮気現場なんて、レアレアだね
…
ふふ
…
面白いもっとやれ」
「
…
はあ
…
」
シルヴィーは溜息を吐いた。
…
まあ、邪魔をしてこなければいても良いだろう。
証人が増えたと思おう。
「あっ」
突然アテナは小さく声を出すと、ある方向を指さした。
城から出てきた一人の青年━━
薄紫の髪に作業着を着ている。
間違いない。
「サルゴン様
…
!!」
シルヴィーは
目を細めた━━
…
サルゴンは辺りをきょろきょろと見回し、誰もいないことを確認した。
ほっと息を漏らすと、いつも作業している畑とは正反対の方角へ歩き始めた。
「挙動不審ですね
…
」
シルヴィーの言葉に一同が頷いた。
こそこそとついては行っているが、サルゴンはいつも以上に警戒しんが強く、油断したら見つかってしまいそうな位だ
…
そこまでして警戒するわけとは、一体なんなのか
…
「やっぱり浮気じゃん?」
アレフはさりげなくカリンの髪をいじりながら、かるーく言いはなった。
…
ちょっと飽きてきているらしい。
その態度にシルヴィーは鋭く睨みつけた。
「
…
あいつが、んな事するわけねぇし」
アレフとシルヴィーを横目に、追跡者を見逃さないように正面を見つめるザードは低く言った。
「あいつが今まで一度だって人を傷つける事したかよ」
「ザード様
…
」
「なんだかんだで、あいつには世話になったしな」
ザードは一瞬目を細めると、アテナの頭を撫でた。
そういえば、以前ザードとアテナの事で集まった時も一番に庇ってくれた。
言えなかったアテナの気持ちも聞けた。
「あいつは人の事ばっか考えてる不器用な奴なんだよ」
「
……
」
シルヴィーはザードの言葉に俯いた。
そう。
サルゴン様はそんな方だ。
けして裏切らない。
自分を愛してくれている。
とてもとても
温かい方なんだ。
本当は疑う事なんかしたくない。
でも、
「あ、人が」
でも、
「
……
女?」
どうしようもなく
激しい胸騒ぎを
感じてしまったのだ
…
サルゴンが足を止めたのは、深い森の中だった。
澄んだ空気、
緩やかに流れる風、
木漏れ日の落ちる木々
…
そこはまるで外界とは切り離された、幻想の世界のようだった。
しかし、
動物の息吹は
感じられなかった。
サルゴンは振り返る。
その時、ふわりと淡い風が森を包み、揺れた。
「サルゴン様
…
」
静寂な森に柔らかい声が響く。
「
……
エレン」
サルゴンの深緑の瞳は揺れる。
女神。
きっと、女神とはこんな方だ。
そう、言える。
スラリと高い背に、
薄若葉色のマーメイドライン
亜麻色の長い髪
日を知らないような白い肌に、柔らかそうな薄紅の唇
風の吹く度に消えてしまいそうな、薄い存在感
…
現実なのか、
瞬きをする事も忘れてしまうような神秘的な女性が
「サルゴン
…
様っ
…
!!」
サルゴンの胸に飛び込んだ━━
草むらから見える二人は、抱き合ったまま
…
サルゴンは女性の髪に頬を当て、優しく撫でている。
女性もサルゴンの胸に顔を埋め、動かない。
まるで、
互いの体を確かめ合うようだ。
目を疑う。
あの、
あのサルゴンが
…
一同はその衝撃に動けなくなってしまった。
一人を除いて━━
「ザード様」
「
…
あ?」
すくり、
と立ちあがった気配にザードが振り返る時には、すでに
「これ、借りますね」
すでに
笑顔のシルヴィーに脇に差した短剣を取られていた━━
…
「
…
━━?」
サルゴンは妙な気配に女性から身を離した。
刹那
戛然━━!!
「!?━━」
サルゴンの髪を微かに切り、後ろの木に短剣が刺さった。
サルゴンは瞬時に飛んできた方向へ目を配る。
目を
目を
見開いた。
「
…
シ
…
シル」
「サールーゴーン様ー
…
」
草むらからゆらりと出てきたシルヴィーはニコリと笑った。
サルゴンも、引き攣った笑いを送った。
しかし、
「
…
サルゴン様
…
」
「は、はい?」
「サルゴン様
…
」
「
……
」
「殺します」
「へ」
シルヴィーの瞳から涙が零れた。
「サルゴン様を殺して、私も死にますっっっっ!!!」
「えっーーーーーー!?」
森に叫び声が響いた
…
「いやぁ、ザードって全身武器男なんだねー
…
」
アレフはザードを押し倒しつつ、また一つ武器を取り、シルヴィーに投げた。
「退けコラ!!俺に乗るのはアテナだけで十分なんだよ!」
「俺だってカリンの上だけに乗りたい」
「アレフ様こんなところでっ
…
」
「あわわ
…
いつもならシルヴィーさんが突っ込んでくれるのに
…
」
アテナは、なんだか大変な下ネタから目をそむけ、なんだか大変なことになっている二人を視線に捉えた。
「落ち着くべシルヴィーーーーー!!!」
「サルゴン様お覚悟っーーーー!!」
サルゴンとシルヴィーは狭い範囲をグルグルと追いかけっこしていた
…
女
…
というか、シルヴィーは恐ろしい。
泣きながらも目は本気だ。
このままでは、シルヴィーの本気が勝り
…
アテナはこれが修羅場なのだと、関心してしまった。
「シル
…
ヴィー、さん?」
━━この修羅場でも、良く通る声━━
一同は自然と動きを止めた。
声の主の女性はゆっくりと顔を上げた。
「あなたが、シルヴィーさんですか?」
「え
…
あ
……
はい」
女性はシルヴィーの声にピクリと反応すると、ふわりと緩やかに歩み寄った。
近くに寄ると、花の香りがする。
そして、一層その美しさに物怖じしてしまう。
女性はそっと手でシルヴィーの顔を撫でた。その手つきはまるで、大切な宝物を確かめるように、くすぐったい。
「
…
ああ
…
やはりサルゴン様の言う通りですね」
女性は手を離し、微笑んだ。
「とても、可愛らしい方ですね」
「そだべ!?だべなー、やぱ、シルヴィーかわええっぺよーうんうん」
「ええ。本当にひよこみたいですね」
「だべ!?ほんともう、ほっとけないというか
…
!!」
「
……
」
一同は盛り上がるサルゴンと女性の様子に首を傾げた。
…
なんというか、いつものサルゴンだ。
女性にも敵意を感じない。
むしろ、サルゴンの可愛いコールを聞いてあげている友人のようである
…
「サルゴン様
…
?」
「ほんとかわええ、シルヴィーかわええ」(なでなで)
「
…
この方は?」
シルヴィーは撫でまくられつつ、女性に手を向けた。
しかし、
女性に、反応はない。
シルヴィーは少しむっとした。
「あのっ」
「あ、エレンの事?」
やっと落ち着いたか、サルゴンは手を止めた。
女性も、サルゴンに呼ばれハッとしたように頭を下げた。
「エレン、と申します」
女性、エレンの亜麻色の髪が揺れる。
しかし、
瞳を閉じたままに
…
そうだ
…
先程からの違和感は、
エレンの瞳が見えない事だ。
厳密に言うと、彼女はずっと瞼を閉じたまま
…
「エレンは」
サルゴンは少し声のトーンを下げた。
「目が見えないけぇ」
一同の視線がエレンに集まった。
風が吹く度にキラキラと輝く、綺麗な亜麻色の髪、
緑のマーメイドラインを着ても崩れのないプロポーション。
特に、平均以上にあるバストが色っぽい。
農国特有のシンプルな装飾だが、彼女の魅力を最大限に引き出している。
他の国でもこんなに美しい人を探すのは、難しいだろう
…
エレンは一同の視線を感じて、微笑を浮かべた。
「昔は、微かに見えてはいたんですけれど
……
この目のせいで、サルゴン様にいつも世話をかけてしまって」
「んな、気にする事ないけぇ」
「
…
シルヴィーさん」
エレンはシルヴィーのいるであろう方向を向くと、深々と頭を下げた。
「誤解を招くような事をして
…
すみません
…
なんでもないんです
…
なんでも」
「
……
」
シルヴィーは一瞬違和感を感じた。
それが、何かは分からないが
…
刹那、
「ギィイイィィィ!!!」
一同の後方から何かの断末魔が聞こえてきた。
農国の、
こんな静かな森で
…
明らかに様子がおかしい。
一番最初に反応したのはザードだった。
踵を返すと走り始めた。
サルゴンも表情を固め、後に続いた
…
○○○○
静寂の森の木々の間
…
地面は赤い血で覆い尽くされていた。
血の中心には、まだヒクヒクと痙攣する鳥が横たわっている。
鳥には、深々とボウガンの矢が刺さっている。
その瞬間、鳥の痙攣はピタリと止まった
…
駆け付けたザードは目を見開いた。
後から来た一同も同様に
「
……
」
血の横に立つ人物に釘付けとなった━━
風に揺れる、ふわりとした水色の髪。
青の上着に、薄桃のマフラー。
背は比較的小柄で、一見可愛い印象も受ける。
しかし、
「
…
お前
…
」
「
……
来るなよ、脳筋野郎が
…
」
ボウガンを手に、
ザードを睨み上げる灰色の瞳は殺気に満ちていた━━
「もうやめてください!!」
ザードが目の前の人物の名前を呼ぶ前に、後ろから叫びにも似た声が響いた。
エレンだ。
エレンは体を震わせながら続けた。
「なん
…
で
…
なんで、私が憎いなら私に直接くればいいのに
……
もう、周りの子を傷つけるのは
……
やめてください
…
」
「
……
」
「もう来ないでください!!」
言葉に動じていないのか、目の前の人物は血溜まりの中心の死骸を掴み上げ、エレンに歩み寄った。
エレンは気配を感じ、後退りしてサルゴンにしがみついた。
その仕草に、人物は目を細めた。
「
…
バッカじゃねぇの?」
人物が踵を返すと、森の木々が揺らいだ。
遠ざかる後姿を見送り、アテナは慌ててザードのマントを引っ張った。
「ザード様っあの人
…
!!」
「
…
ああ」
ザードはため息交じりに目を伏せた。
それとは対照的に隣のアレフは髪をいじりつつ、楽しそうに微笑む。
「ヒサギったら
…
大胆だね
…
ふふ」
ヒサギ
…
工国コクマーの王子。
アテナが過去に大変世話になった人物だ。
ちょっとへそ曲がりな所もあるが、根は良い人である。
最近、見かけないと思ったが
…
「今のが、工国の
…
」
カリンは何か言おうとしたが、青ざめて俯いてしまった。
言いたい事は何となく分かる。
シルヴィーは少し声を潜めて、カリンの言葉に続いた。
「明らかに
……
動物殺しを、していましたね」
エレンはビクリと体を震わせた。
先程の言葉といい、何かを隠しているのは明白だ。
一同はエレンに視線を集めるが、本人は俯いて、反応がない。
沈黙に耐えかねたサルゴンは軽く息を吐いた。
「エレン
…
話しい。皆心配してるけぇ
…
な?」
「
……
すみません」
エレンはやっと顔を上げた。
サルゴンに促され、エレンはポツリポツリと話し始めた。
「数週間前
…
初めは、その頃ですね。いつもの日課で、家の裏
…
この森に来たんです」
エレンは見えない瞳で森の木々を見渡した。
一見すると、木漏れ日の落ちる静かな森だ。
「私は目が見えませんから、働けません
…
だから、この森の動物達だけが話し相手だったんです」
森に落ち葉の擦れる音が響く
…
静かだ。
静か過ぎる
…
「それで
……
その日
……
いつも座る場所に行ったら
……
凄い血の匂いが
…
」
そこまで話すとエレンは首を振って、再び俯いた。
しかし、その後の事は容易に想像できる。
この森は静かすぎる。
葉が落ちる音。
風が吹く音。
そこに、
動物の息吹は感じない
…
「
…
それから、エレンの友達はさっきみたいに毎日
……
」
サルゴンの声のトーンは低い。
こんな姿は初めてだ
…
「オラはこの前それ聞いて、犯人を探してただよ。
……
ごめんなシルヴィー」
シルヴィーに歩み寄り、サルゴンは頬を撫でた。
「心配させんように言わんかったけぇ
…
巻きこんで、シルヴィーも危険にしたくなかったけぇ
……
でも、逆に悲しませたべな
…
ごめん」
「サルゴン様
…
」
シルヴィーはサルゴンの頭ごと抱きしめた。
「犯人
…
は」
ぽつりと後ろから声がした。
「犯人は、あの人です
…
」
エレンは手で顔を覆い、俯いた。
「『あの時』と同じなんです
…
あの人はピチを殺したんです
……
同じ声で笑いながら
…
」
「エレン
…
」
シルヴィーから身を離すと、サルゴンは困ったような表情で俯いたエレンの肩に手を当てた。
一瞬びくりと体を揺らしたエレンだが、すぐにサルゴンの胸に飛び込んだ。
「お願いです
…
!サルゴン様
…
!今の
…
今の人を捕まえてください!もう私の
…
」
「エレン落ち着きぃ」
サルゴンはそっとエレンと間をとり、髪を撫でた。
「
……
今のは、オラの友達だけぇ」
ヒサギが立ち去った方角に視線を送ると、一同も自然とその方へと向いた。
何の変哲もない。
ただの静かな道だ。
「友達は、ヒサギは、優しい奴だで。んな酷い事せん」
「でも
…
」
「友達を疑うなんて出来んべや」
サルゴンが微笑を浮かべると、後方のザードとアレフも微かに頷いた。
「ヒサギは昔から人との関わりが不器用で、すぐに悪態とか吐くべ。でもな、何かを傷つけるような
…
んな事はしん。いつも、自分で
…
」
そこまで言うと、エレンは二、三歩後退りし首を振った。
「でも、本当に
…
!」
エレンの脳裏に掠れた映像がよぎる。
自分が最後に見た風景
…
「エレン、犯人は必ず捕まえるけぇ
…
今日は、戻りぃ。な?」
サルゴンは肩を押した。
「オラは、信じてるけぇ
…
友達を。
…
もちろん、大事な友達の、エレンも」
「
……
サルゴン様」
エレンはゆっくり
頷いた。
○○○○
農国で『働けない』という事は、致命的なことだった。
この国は、五つ国の穀物庫。
民の命を育む場所である。
国の一人一人が協力しあい、助け合わなければ五つ国は餓え、枯れてしまう。
エレンは元々視力が弱かった。
初めはぼやけていた視界も年を重ねるごとに狭くなっていく
…
原因は分からなかった。
優しい両親もエレンの前では『気にするな』と声をかけてくれる。
しかし、どの医者に見せてもよくならない彼女に、陰では溜息ばかり吐いている事は知っていた。
毎日が憂鬱だった。
働けない者は邪魔だと疎まれ、光をなくしていく世界
…
自分が何のために生きているのか、
自分の命とはなんなのか、
分からなくなっていた。
そこへ、
一人の少年がやってきた。
少年は優しかった。
エレンという存在を認めてくれた。
瞳の光はどんどん影っていくけど、エレンの心には、光がさしていた━━
少年がエレンの元に怪我した小鳥を連れてきたのは、晴れた日のことだった。
エレンの瞳にも眩しく感じるような、晴れ晴れとした太陽。
少年は太陽の香りを纏わせて、小鳥を差し出した。
羽根に怪我をしている。
巣から落ちたのだろうか
…
小鳥は掠れた声で鳴いていた。
少年は幼いながらもたくさんの仕事を任されている。
だから、エレンが小鳥のそばにいてくれ、エレンが大空に返してあげてくれ━━
少年は小さな小鳥をエレンに託した。
エレンは少年から弱々しく鳴く小鳥を受け取った。
エレンは小鳥を『ピチ』と名付けた。
小鳥の世話は思った以上に苦労した。
ほぼ目の見えないエレンは小鳥の口に餌をあげることさえ難しく、必死に羽根を動かす小鳥が逃げると追うのも困難だった
…
しかし、
エレンはけして世話を止めなかった。
鳥は、空を飛べなければ餌も取れずに死んでしまう。
鳥にとって、羽は命だ。
この小鳥は羽根を痛めている。
もしかしたら治らず、一生地に足を付けたままかもしれない。
でも、
小鳥は必死に生きようとしている。
生きる事を諦めていなかった。
エレンは、その姿を自分と重ね合わせていた。
目の見えない自分。
羽根を痛めた小鳥。
いつか、小鳥が羽根を広げて大空へ羽ばたけるように、
自分も、
いつか━━━
その日もエレンは小鳥に餌を運んでいた。
小鳥の世話を始めてから、ずいぶんと歩くのが楽になった。
前は障害物にぶつかってばかりだったが
…
いや、これは、慣れだ。
見えなくとも予測して、注意して歩けば普通に行動できる。
通常の生活もだ。
手に取ったものもよく感じれば分かる。
これも小鳥の世話のおかげか
…
小鳥も怪我も治った事だし、そろそろ別れなければならない時期だが
…
それはそれで喜ばしい。
エレンが自室のドアを開けた瞬間、顔に風の塊が当たった。
窓が開いている
…
霞んだ視界で凝視すると、小鳥が縁を歩いているのが見えた。
小鳥の羽根にはまだ、包帯が巻かれている。
邪魔そうに突いている。
しかしとれない。
エレンは手を伸ばした。
が、捕まえる前に、
小鳥は飛びだした。
エレンは森を歩いた。
小鳥の旅立ちは嬉しい。
しかし、包帯が邪魔して再び怪我をしてしまうかもしれない。
エレンは弱い視力で、森を見渡し歩いた。
しばらく歩くと、聞きなれた鳴き声が耳に入ってきた。
小鳥だ。
出会った時の掠れた鳴き声ではなく、綺麗な歌声だ。
礼を言っているのか、それとも自由になった喜びか
…
エレンはうっとりと聞き惚れた。
しかし、
刹那
『鈍い音』と共に、木々の動物達はその場から一斉に逃げ出していった。
森に異常な静寂が流れる。
エレンは肩を震わせた。
「ねえ」
足音が
「これ」
こわい
「捕まえたよ」
視界に飛び込んできたのは、身なりのいい小柄な少年だった。
薄青の髪をふわふわと揺らし、灰色の瞳をキラキラさせ、微笑みを浮かべている。
次の瞬間、
エレンは叫んでいた。
少年の笑い。
紅く染まった包帯。
小さな体に刺さった矢。
少年の手に光るボウガン。
地面に滴る血。
小鳥の
だらりと垂れる舌。
エレンの目の前は
真っ暗に染まった━━
…
○○○
エレンは空を見上げた。
…
見えはしないが。
きっと、夜空の月は暗闇に映えて黄金に光り輝いているだろう。
とうの昔に、黄金がどんな色か忘れてしまった。
輝くとは何か
…
月の形とは
…
分かるのは、暗闇だけ。
真っ暗な
黒い色だけ━━
…
刹那、草陰が音を立てて揺れた。
しかし、後には緩やかな夜風のみが残るのみ
…
エレンの肩を撫で下ろし、窓を閉めた。
事件が起こり始めてから、少しの物音でも怯えるようになってしまった
…
そう
…
最初の事件の時も、草むらが揺れ
…
声がしたのだ
…
『っ
…
馬鹿が』
血のむせかえる様な臭いと聞き覚えのある声
…
あの情景が蘇った━━
足音は近付き、臭いの方へ遠のくと、止まった。
気持ちの悪い水音が響くと、声は再び耳に飛び込んだ。
『今回は
…
これだけじゃ終わらねぇぞ』
足跡は遠のいていった
…
死骸は持ち去られていた。
まるで、証拠を消すかのように。
それから、
それから今日まで
それは続いている
…
○○○
五つ国の王子達は週一で集まり、会議が行われる。
王が手の回らない細かな事等は彼らの仕事だ。
その会議が、よりにもよって今日行われるとは
…
「
…
はぁ」
ヒサギは知の城の廊下をのたのたと歩きつつ溜息を吐いた。
昨日、あの森で三人に見つかってしまった
…
しかも鳥を回収する前に。
回収せずに逃げれば
…
いや、それは駄目だ。
それでは意味がない。
これは、
自分で収めなければならないのだから。
「はあ
…
」
ヒサギは再び溜息を吐いた。
決心はしていたものの、三人と顔を合わせるのが気まずい
…
昨日の今日だ、あの脳筋と農民だって忘れていないだろう。
ましてや、あの悪魔
…
人の弱みを握って黙っているほど生易しい男ではない。
タダ同然で女をいたぶる拷問器具を作れ
…
位最低でも言いそうだ。
……
サボるか。
あの三人と顔を合わせる位なら、部屋に引きこもって廃人生活した方がマシだ。
ヒサギはクルリと踵を返した。
が、
「どこへ行く?」
「げ
…
」
「珍しく遅刻せずに来たかと思えば
……
まさか、貴様
…
」
ヒサギは引き攣った笑顔を浮かべ、首を振った。
「ん、んなわけあるかよ。フ
……
フェイントだ!バーカ!」
ヒサギの言い訳に、会議のリーダー
…
フェルナンドは目を吊り上げたまま会議部屋へ入って行った。
三人に会うのもいやだが、
このフェルナンドに説教されるのも
…
死ぬほど嫌な事だ
…
部屋にはまだフェルナンドと自分以外は来ていないようだ。
良かったような、悪いような
…
「はあ
…
」
「ヒサギ」
今日何度目かの溜息を吐いた瞬間、急に声をかけられ肩を引き攣らせてしまった。
「べ、別にビビってねぇからな!本当だぞ!」
「今日の資料だ」
「
……
」
何をビビっているのか
…
そう、フェルナンドは昨日の事を知らないのだ。
ましてや、『あの事』も。
ヒサギは居を正した。
そう、普通にしていればいいのだ。
あの三人が来ても白を切ればいい。
「ヒサギ」
「んだよ。黒板消せばいいのか?それは脳筋にやらせろよ。無駄にデカイしな」
「思いこみとは怖いものだな」
ヒサギは的を当てない返事に、フェルナンドへ向き直って首を傾げた。
フェルナンドはそれに表情を変えず、珍しく視線を逸らして窓際へ腰かけた。
「頭では分かっているはずなのに、意思の強さがそれを霞ませる
…
」
「
…
どういうことだよ」
「答えから目を逸らすな、という事だ」
フェルナンドは微かな笑みを浮かべ、ドアへ視線を送った。
刹那、
「おい、ヒサギはいるっ
…
な。昨日逃げやがって
…
血見て泣いたんじゃねぇのか?」
「あーいたいた
…
鶏肉、美味しかった?」
「ヒサギ、昨日から心配だったべよー。だいじ?何があったん?」
ドアが開き、例の三人が入室してきた。
皆それぞれにヒサギへ歩み寄り、心なしか心配そうに覗き込む。
「お前ら
…
俺の事疑っ
…
」
「なわけねぇだろ。てめぇ動物を殺せる程度胸ねぇだろ」
「
……
」
ヒサギは俯いて、苦笑した。
━━伊達に生まれてからずっとの付き合いではないな
…
三人の当たり前のような普通の様子にヒサギは少し、胸の支えがとれた。
「
……
そう
…
答えから目を背けては駄目なのだ
…
」
フェルナンドは目を伏せた。
「それにしても、昨日はなんだってあんな場所にいたんだ?」
ザードはヒサギの頭をグシグシといじりながら眉間に皺を寄せた。
それに伴って、サルゴンも頷きながら眉を下げた。
あの場所
…
エレンの友達、動物が殺された
…
死骸の隣に立っていた。
エレンも叫んだ。
『もう』やめて━━
そう、叫んだ。
「んだ。ヒサギは、エレンの事知ってるけぇ?なんだか
…
今回の事件の事も何か
…
」
「しらねぇよ」
ヒサギはザードを払い、一同から背を向けた。
その瞳には陰がかかっていた
…
「俺は何も知らない。知りたくもねぇし、知っちゃいけないんだ
…
」
ヒサギは俯くが、すぐに顔を上げてサルゴンを睨みつけた。
「これは俺が終わらせなくちゃいけない事なんだよ
…
!」
ヒサギの脳裏に『あの記憶』が蘇った。
忘れられない。
忘れてはいけない。
目を閉じ、何度も繰り返した。
「だから、お前は
…
手を出すな」
「ヒサギ
…
」
「
……
」
サルゴンが呼び止めるも、ヒサギはドアに手をかけた。
ドアノブを握る手が止まる。
「
……
鳥を殺したのは、俺だ」
微かな声で呟くと、乱暴にドアを開けて、ヒサギは走って行ってしまった。
ヒサギの退室した部屋に沈黙が流れた。
「あのさ」
しかし、静寂はすぐに破れた。
声のほうへ振り向くと、そこには予想通りに机でくつろぐアレフが座っていた。
「喉、乾いたんだけど」
……
この空気を読んでいないのか
…
それとも、興味ないのか
…
フェルナンドは溜息交じりにカップに紅茶を注いでやった。
部屋には沈黙の代わりにフルーティーな香りが流れる
…
今日の紅茶はオレンジペコのようだ。
フェルナンドのお気に入り、フルーツ系紅茶である。
「
…
おいし」
「はぁ
…
」
アレフのほっこりする姿に、ザードは額に手を当てた。
相変わらずのマイペースに頭が痛い
…
サルゴンも苦笑を浮かべた。
「
…
あのさ」
「次はなんだよ
…
」
「菓子ならそこだ。自分で取れ」
呆れた顔のザードとフェルナンドが見つめる中、アレフは再びカップを口に運び、一口飲んだ。
「ふぅ」
「だからなんだよ!?」
ザードのイライラは募る
…
こんな奴に構っている暇があるなら、ヒサギを追いかけたい。
しかし、ザードの心情とは裏腹に、アレフは調子を変えず呟いた。
「
……
俺さ、平気なんだよね」
「は?」
「嘘つくの」
一体何を言い出すか
…
この鬼畜。
ザードが踵を返した瞬間、アレフは目を細めた。
「だって、俺の嘘は
…
自分に利益のあるのだけだし
…
バレないし」
一同はハッとした。
「ヒサギは、自分の得しない、バレにくい嘘はつかないよ
………
俺と違って
…
人の痛みのわかる奴だし
…
ね」
アレフはまた紅茶を口に運んだ。
○○○○
ヒサギは足早に森を歩いていた。
知の城からここ
…
農国はかなり遠い。
普通に歩いていては日が暮れてしまう
…
一応、知国までは馬を使ったが
…
如何せん、少し入った森の中までは通れない。
というか、農国の内側に少しでも入ると森になってしまって、馬が使えないというのは如何なものか
…
しかしサルゴンと一緒だとすんなり通り抜けられるし
…
…
話が脱線してしまった。
ヒサギがどうこうと考えているうちに、目的地へ着いたようだ。
脇から発射式のワイヤーを取り出し、頭上の木の枝に撃つ。
先端が固定されたのを確認すると、自身も反動で木の上に登った。
木の上は、心地よい風がすぐ近くに感じられる。
緑の間から差す光も眩しくも、たまに目が眩む。
ここがいつもの定位置だ。
ここから『見る』。
彼女を
…
ヒサギは向こうからの気配を感じて、わずかに息を止めた。
亜麻色の長い髪。
薄緑のマーメイドドレス。
シンプルな装飾と細い体に一際目立つ胸。
瞬きしたら消えてしまいそうな、薄い影
…
儚げな美しさの顔立ち、
しかし瞳は閉じられていた━━
「
……
エレン」
ヒサギの唇は自然と震えた。
エレンは少し辺りを見渡すと、近くの切り株にゆっくりと腰掛けた。
…
いつもならば、すぐにたくさんの動物達が近寄ってくるのだが
…
『あの事件』から動物達も、エレンさえ警戒し始めたようだ。
エレンは俯いた。
木々の揺れる音、風が吹く音
…
静寂な森に、エレンは消えてしまいそうな儚さを纏っている。
「
……
ちっ」
ヒサギは耐えかねて、舌打ちをした。
「待っても誰もこねぇよ!」
「!?」
ヒサギは勢いを付けて木から飛び降りると、エレンが強張った表情で振り返っていた。
エレンの様子を無視して、ヒサギはズンズンと歩み寄る。
しかし少しの距離を取り、止まった。
「大人しく家にいろ」
「
……
」
「痛い目に遭いたいのか?」
「
……
」
「
……
お前の大切な物、また無くすぞ」
ヒサギとエレンの間に木の葉が舞った。
二人の境界線には、現実よりも高い高い壁がある
…
「帰ってください
…
」
エレンは振り絞るように呟いた。
「これ以上、私に関わらないでください
…
」
「
……
」
ヒサギはエレンの震える唇を見つめ、ゆっくりと踵を返した。
その瞬間に走り去る足音が響く。
━━そう、それでいい
…
ヒサギが再びエレンの方へ向くと、彼女の姿は消えていた。
「
…
あいつが、エレンが無事なら、憎まれてもいいさ」
灰色の瞳に、影がさした。
ヒサギはゆっくりとある方向へ向かった。
『その場所』へ辿り着くと草陰に身を隠し、見上げる。
「
…
戻ったみたいだな」
ヒサギの視界には、自室の窓に見え隠れするエレンが映っていた。
…
恐らく、『犯人』が外にいるのが怖いのだろう。
すぐにカーテンを閉めると、彼女の姿は見えなくなった。
ヒサギは軽く息を吐いた。
家にいる限り、安全だろう
…
それに
…
おせっかいな奴だって様子を見に来るはずだ。
あとは、『犯人』がいなくなるだけ。
自分にしか出来ない事だ。
いや、しなければならない事だ。
自分はいくら汚れても、傷ついても良い。
エレンはそれ以上に傷ついてしまったのだから
…
これは、
○○○
とても綺麗な青空だった。
澄み渡る空気に高い空━━
緑は鮮やかで、
自分の国とは大違いだと、少年は思っていた。
少年は小柄で水色の髪がふわふわしている。
瞳はくりっと大きく、頬も薄桃に染まり可愛らしい。
一見女の子に見えるが、服装から見てキチンとした男だと分かる。
本人はこの外見を気にしているが
…
今日は隣の国
…
農国まで遊びに来た。
けして勉強をサボったとか、父の工具を持ち出して遊ぼうとしているわけではない。
そう、今は自由時間なのだ。
うん、そうそう
…
少年は青々とした森の中を冒険気分で歩いていた。
足元の枝を拾い、振り回し、投げ、地面を蹴り上げ
…
とにかく好き放題に遊びつつ、歩を進めた。
目指すはもじゃもじゃ星人の家まで。
美味しい食べ物を沢山貰って行こうと思う。
うん、そういうミッションだ。
「こちらヒサギー!今から敵地に乗り込むー!」
少年
…
ヒサギは楽しげに走り出した。
…
とは言ったものの
…
「
…
迷路なんて卑怯だ
…
!」
五つ国中一番広くて、森の多い農国は多数の迷子を生み出す。
それは大人の旅人も、行商人さえ迷わせてしまう
…
もちろん、小さいヒサギも例外ではなく、
「ここどこだーばかぁあああ!!」
見事に迷っていた
…
このままではもじゃ星に着く前に生き倒れになってしまう
…
!
ヒサギは慌てて辺りを見渡した。
空は青い。
工国とは違って、煙も出ていないし、高い建物もない。
……
目印がない。
「
…
サルゴンのばかぁ
…
」
友人の名を呼びつつ、ちょっと涙目でちょこちょこと足を運ぶ。
これなら、父のコンパスも持ってくればよかった
…
空に鳥の群れが飛んで行った
…
━━
ヒサギは空を見上げて、鳥を目で追った。
自然と飛び去った方角へ足が向く。
どうせ迷っているなら、気になる方へ行こう
…
ヒサギは自分の勘に拳を握ると、再び歩き出した。
すでに草が膝まで来ている。
足元もぼこぼこしていて歩きにくい。
この道で本当に良いのか
…
「
…
トレジャーハンターだ!」
ヒサギにはどうでも良くなったらしい。
瞳を輝かせて、わくわくとした表情を浮かべている
…
━━と、そんな気分が一転
…
草の群生地が突然途切れた。
一瞬足の感覚が変わった事によろめき、近くの木に手を付いた。
視線を移すと、日の光がある一点に射している。
そこは一本の木が切られており、切り株が残っている。
いわば、森の広場か
…
ヒサギはその神秘的な光景に、呼吸の音さえ耳触りに聞こえ、息を止めた。
━━刹那、物音が静寂を破った。
予期せぬ物音に、ヒサギは肩をびくりと揺らした。
物音はどんどんと近づいてくる。
心臓が高速で振動した。
何故かは分からない。
ただ、何となく、こんな場所で立っているのが恥ずかしいくて、気まずい感じがした。
ヒサギは身を隠すように木の蔭へ移動した。
その時、物音は止まった。
笑い声が聞こえる。
二人分だ。
男女のようだ。
ヒサギは聞き覚えのある声に、こっそりと様子を覗くと、
心臓が再び音をたてた。
そこでは少年と少女が談笑していた。
少年は切り株に座る少女に小さな小鳥を渡すと、柔らかく微笑んだ。
少女はぎこちなく、小鳥の体を確かめている。
小鳥は一声弱々しく鳴くと、少女の手の中にうずくまった。
少女は微笑んだ。
ヒサギは走り出していた。
周りの光景は目に入らない。
とにかく、ただがむしゃらに走っていた。
何も考えられない。
頭がどうにかなってしまう位、何が何だか、どうして何も分からない。
顔も熱いし、手足も自分の体ではないかのように震える。
そして、
胸の高鳴りが止まらなかった━━
○○○
それからヒサギは、自分の部屋に戻り、ベッドに飛び込んだ。
どの道を通って
…
それは分からなかったが、とにかく自室には帰ってこれた事だけは確かだ。
すぐに怒った父、ヒイラギが文句を言いにやってきた。
勉強をサボって、勝手に工具等を持って行ったのだ
…
怒られて当たり前だが
…
しかし、ヒサギの頭の中はボーっと霞んでいた。
ヒイラギは眉を顰めて、ヒサギの額に手を当てた。
熱を出していた
…
━━
○○○
それから数日、ヒサギは寝込んでしまった。
元々、体はあまり強くない。
母の虚弱体質が遺伝してしまったようで、たまにこのように突然寝込んでしまう。
今回は特に、長引いているようだ
…
体のだるさが抜けないものの、ヒサギは枕元の玩具に手を伸ばした。
鳥の形を模した、ゼンマイ人形。
よく露天で売っているのだが、これは先日道端に捨てられていた物を拾ってきた。
外見は磨いて綺麗にしたが、ゼンマイを回しても動かない。
コツコツと修理はしてきたのだが、どうしてもそこだけは駄目だった。
ヒサギはゆっくりとゼンマイを回してみた。
…
動かない。
一瞬した『ギギギ』という音は体のだるさに拍車をかけ、玩具を手にしたまま枕に突っ伏した。
「今、動かしてみたかった
…
」
そうヒサギは呟いた。
直し終わってなかったし、動くはずはないのだが
…
ヒサギは胸の奥のもやもやした感覚に目を閉じた。
ヒサギが目を閉じると同時に、ドアの開く音がした。
ドアの方へ視線をゆっくりと向けると、黒い影
…
「なんだ、起きてたのか」
いや、父ヒイラギが歩み寄ってきていた。
ヒイラギはヒサギの頬に軽く触れると、息を吐いた。
「熱は下がってきたな
…
何か食べれるか?」
「
……
いらない」
ヒサギは父の手を退けると、手元の玩具のゼンマイを再び回した。
…
当たり前か
…
動くわけがない
…
壊れているのだし。
ヒサギは寝返りをしつつ、溜息を吐くと手元の玩具がふわりと浮いた。
否、
「あ、返せよばかぁ
…
!」
「なんだ、壊れてるじゃねぇか」
ヒイラギが取り上げたのだ。
ワタワタと手を動かすヒサギを横目に、ヒイラギは腰から何本かの工具を取り出し、瞬時に玩具を開いた。
あとは鮮やかなもので、ゼンマイの場所を変えたり、少し削ったり、バネを固定したりと、五分もしないうちに元のヒサギの手の上へ帰ってきた。
「回してみろよ」
ヒイラギの言葉に、ヒサギは恐る恐るゼンマイを回してみた。
≪ピ
…
ヨピヨピヨピ
…
ヨ≫
「動いた!!」
ヒサギは自分が熱なのも忘れ、飛び起きた。
手の中では鳥の玩具がゆっくりと羽根を動かし、鳴いている。
「すげぇ!父さんすげぇ!」
「おいおい、熱はどうしたんだよ?」
自分がどうやっても治せなかった、鳥を、父はいとも簡単に治せた。
「父さんは」
ヒサギの瞳が輝いた。
「何でも治せるんだな!」
○○○
ヒサギは今日も外へ飛び出した。
あれからすっかり熱も下がり、普段通りの生活を送っている。
ただし、一つだけ違うとすれば
…
「あ
…
いた」
ヒサギは毎日のように農国の森へと足を運んでいる事だ。
木々の間から零れる光に映し出される、白い肌。
切り株に腰掛け、手の中の小鳥を撫でている。
儚げだが、とても生き生きとした女の子
…
ヒサギの視線の先に、先日出会った子が映っていた。
何もない農国には、彼女に会いに来ている。
声をかける勇気もないので、木の影から覗く事しか出来ていないが
…
それでも良かった。
彼女が笑っていると、ヒサギも胸が温かくなった。
心地良い鼓動が体を包み、彼女の声が歌のように聞こえてくる
…
━━
ヒサギは一目で、彼女に恋をしていた━━
毎日のように女の子を見に来て、色々知った事がある。
まず、名前は『エレン』。
この森の近くに家があり、両親と三人仲良く暮らしている。
しかし、あまり目は見えないようだ。
歩く時も覚束ず、木に当たってしまう時も度々あった。
いつも一緒にいる小鳥は『ピチ』
小さくて、可愛らしい鳥だ。
だが、エレン同様に体が不自由なようである
…
羽根に包帯をしているという事は、そこに怪我をしているということだろうか
…
?
目の弱いエレンと羽根に怪我の負ったピチ
…
お互い、毎日必死だった。
辛くて、大変な戦いのようだった。
しかし、諦めようとはしなかった。
泣き言も言わず、辛いと口にもせず
…
いつも━━
「エレン、ピチ。はい、差し入れ」
「あっ
…
━━ありがとうございます」
少年の為に笑顔をつくっていた。
少年はエレンにピチを託した人物のようだった
…
優しくて、大らかで、傍にいると和む
…
エレンが笑うと嬉しい。
心も体も凄く、心地良くなる。
でも、
少年に笑いかけると胸が苦しくなった
…
きっと、エレンは少年の事が好きなんだろう。
少年と話す彼女の表情はとても幸せそうで、優しかった
…
━━
エレンは、幸せだ━━
エレンの幸せは嬉しい━━
だから
…
━━
ヒサギは胸の高鳴りと痛みを振り払い、エレンの幸せを自分に言い聞かせた。
○○○
ヒサギはその日も農国へやって来た。
とても晴れた空に、涼しい風が森を抜けていく。
エレンとピチも、きっと今日は気持ちよく過ごせるだろう。
ヒサギはエレンの笑顔を想い浮かべると、恥ずかしくなり、頬を染めた。
ブンブンと首を振っても、顔の火照りを払うと、気を取り直したように手のボウガンを日にかざした。
綺麗に磨かれた持ち手が、輝く。
「
…
かっこいー!」
このボウガンは言わずもがな、父の部屋から勝手に持ってきた。
以前から父は、城の近くの森で木の的に試し打ちをしている。
その様子はとてもスタイリッシュでカッコいい。
ヒサギもいつかやってみたいと思っていた。
もしかしたら、エレンも自分に惚れてしまうかもしれない。
『かっこいい☆』なーんて。
そんなウキウキのヒサギが鼻歌交じりに、何気なく視線を上に向けると、意外なものが目に飛び込んできた。
木の上に、小さくて可愛い小鳥がとまっていた。
羽根にはほどけかけた包帯が巻かれている。
見間違うはずがない。
毎日のように見ているのだから
…
ピチだ。
ヒサギは目を丸くした。
あの怪我をしたピチが、飛び上がった。
治ったのか
…
━━
ピチの嬉しそうな鳴き声は森に心地良く響く。
自然に顔も綻んだ。
ふと
耳をすますと、ピチを呼ぶエレンの声が聞こえてきた。
羽根が治ったとはいえ、心配なのだろう
…
どことなく、声が震えている
…
━━あの、目の悪いエレンが森を歩きまわっているのか
…
幾分かは歩くことに慣れたようだが、森の地面はデコボコとしていて危ない。
ヒサギは再び空を見上げると、ピチがエレンの声に反応して鳴いている。
ピチも、久々の空だ。
木にぶつかるかもしれない。
エレンはピチを名を呼び、ピチは鳴き続けている。
まるで、お互いに場所を探しているかのようだ
…
…
どうにかしてやりたい
…
ずっと見て続けてきた二人だ。
何か出来る事はないか。
力になってあげたい。
ヒサギはその思いに眉をひそめると、カタリと手から音がした。
…
そうだ
…
手にはボウガンが握られている。
打ち方は見てきたし、練習も度々やってきた。
ボウガンの扱いだったら、あのザードにも負けない。
そう、
このボウガンで、
ピチを捕まえてあげればいいんだ━━
ヒサギは嬉しそうに微笑んだ。
ボウガンでピチの動きを止めたところを捕獲。
それをエレンに渡せばいい。
そうすれば、エレンも安心だし、ピチも広い場所へ移動できる。
そうだ。
勇気を振り絞って、エレンと話してみよう。
『ずっと話してみたかった』と。
優しいエレンならきっと、笑顔で迎えてくれるだろう。
自分に、
自分だけに笑顔を向けてくれるだろう。
ヒサギは今までにない胸の高鳴りを抑えて、ボウガンを木にとまるピチに向けた。
その瞬間、
森は大きく騒ぎ、一瞬で静寂に包まれた。
静寂の森で、
『鈍い音』が一際、際立つ。
地面に『それ』が落ちると、ヒサギは急いで駆け寄り、明るい声を出した。
「つーかまえた!」
『それ』はびくびくと震えていた。
元気な証拠だ。
ヒサギは『それ』を持ち、走る。
エレンに渡さなければ。
きっと喜ぶ。
笑ってくれる。
褒めてくれる。
笑顔を向けてくれる。
少年ではなく、自分に向かって━━
「ねぇ」
エレンの背中が見えた。
待ち切れずに声を出してしまう。
エレンはびっくりした。
「これ」
少し声が震えてしまった。
緊張している。
でも、大丈夫。
「捕まえたよ」
この『ピチ』を見せれば、エレンも
笑ってくれる。
その瞬間、
『ピチ』の動きはピタリと止まった━━
「きゃあああぁぁぁあ!!!」
次の瞬間、
エレンは叫んでいた。
エレンの怯えた顔。
流れる涙。
震える体。
エレンの響く声。
ざわめく木々。
エレンの
光の失われゆく瞳。
ヒサギは
その場から逃げ出した━━
…
走った。
エレンの声が未だに耳の奥に木霊している。
エレンが叫んだ。
エレンが泣いた。
エレンが怯えた。
どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして
…
体中から汗が噴き出しているのに、寒い。
肩が意識せずに震える。
足も重い。
手も━━
ヒサギは手に温かいものを感じた。
立ち止まり、手を開くと、
『ピチ』がいた。
『ピチ』はぐったりとしていて動かない。
矢が刺さる場所から、少しずつだが赤い液を出ている。
そのせいで、包帯が真っ赤に染まってしまっている。
その液は、温かい
…
ヒサギは震えた。
『ピチ』が動かない。
『ピチ』が鳴かない。
『ピチ』が
…
━━
ヒサギは
再び走り出した。
ヒサギは城に戻ると、
執務室
玉座
研究室
様々な場所を走り回った。
最後に離れの部屋に飛び込むと、探していた人物が目に入った。
「父さん
…
!!」
ヒサギは足が震えるのを我慢して、走り寄る。
しかし上手く足が動かない
…
ヒイラギは目を見開いた。
ベッドの妻の視界を慌てて遮る。
ヒサギが震えながら、見上げてきた。
「父さん
…
う
…
く」
「ヒサギ
…
それは」
ヒイラギが手に持たれる『死骸』に眉をひそめると、ヒサギの目に大粒の涙が溜まった。
「『直して』よ
…
父さん
…
俺
……
壊しちゃったんだ
…
えれ
…
エレンが、泣いちゃったんだ
…
」
「
……
ヒサギ」
ヒサギは『死骸』を差し出すと、ボロボロと涙を流し始めた。
「父さんは、何でも
…
『直せる』んでしょ?だから
…
この、前みたいに
…
『ピチ』を
…
『ピチ』を『直して』よぉ!」
「
……
」
ヒイラギは首を静かに振った。
「ヒサギ
…
こいつは、『死んでる』
…
もう、『直らない』」
「嘘ぉ!嘘だぁ!」
「これは
…
『道具』でも『玩具』でもない
…
『生き物』なんだよ」
「やだぁ!いやだぁ
…
!!」
「ヒサギ
…
」
ヒサギの涙は止まらなくなっていた。
父が『嘘』を吐いている。
父にしか頼めないのに
…
どうして、
この前みたいに、
『直して』くれないのか
…
ヒサギはその場に座り込んで、大泣きし始めた。
父さんなんて嫌いだ。
嘘吐き
『死んでる』なんて知らない。
いつも『直せば』すぐに動くじゃないか。
父さんには『直せない』物なんてないはずじゃないか━━
「ヒサギ」
その時、
ふわりと頭が撫でられた。
「ヒサギ
…
『その子』を貸してごらん?」
母だった。
母は病弱で、ベッドから起き上がる体力さえない。
だから、父も時間を見つけては、この離れに自身から会いに来ている。
その母が、ヒサギの隣まで歩き、腰を降ろしている。
「サラ
…
!」
「大丈夫ですよ、ヒイラギ様」
母、サラはヒサギからゆっくりと『ピチ』を受け取ると、小さな体を優しく撫でた。
「この子
…
『ピチ』ちゃんだっけ?」
「
…
うん」
「可愛いわね。小さくて、柔らかくて
…
」
「
……
うん」
サラは肩にかけていた布を取ると、そっと『ピチ』を包んだ。
「あ
…
」
「ヒサギ
…
『ピチ』ちゃんはね、『眠っちゃった』の」
「
…
え?」
「ふかーいふかーい『眠り』に
…
もう、起きない『眠り』」
「え
…
!!」
ヒサギの肩は揺れた。
「やだよ!起こしてよ!」
「ううん
…
『起きない』よ
……
それが『命』だから」
『イノチ』
ヒサギは母を繰り返すように呟いた。
サラは頷く。
「『ピチ』ちゃんはね、『生きていた』の。もちろん、ヒサギも母様も父様も『生きてる』わ。ほら、ここに手を当ててごらん?」
サラは自分の左胸に、ヒサギの手を当て瞳を閉じた。
「トクントクン
…
て、分かる?」
ヒサギは母の心臓の音を感じ、頷いた。
とても心地良い。
ずっと、ずっと昔からこの音を聞いていた。
「『命』は誰にでも必ず一つしかないの。『道具』『玩具』にはない、『命』を私達はたった一つだけ
…
」
ヒサギは俯いた。
その様子にサラは優しくヒサギを抱きしめる。
「『命』は一つしかない
…
だから、こんなにも温かいの。『ピチ』ちゃんだって
……
そうヒサギの、好きな人だって
…
」
「う
…
」
ヒサギの瞳に『ピチの死骸』が映った。
苦しそうに、『死んでいる』
痛かっただろう。
苦しかったろう。
哀しかったろう。
「ご
……
う
…
うわぁああああぁぁああ」
ヒサギは先程とは違う、感情が押し寄せ、泣き始めた。
サラはそれを静かに受け止めている。
ヒイラギはゆっくりと『ピチの死骸』を拾い上げた。
「
…
墓、一緒に作ってやるよ」
ヒイラギの声は、ヒサギの声に消えていった
…
━━
━━それから、
それから、エレンの元には行っていない。
会うのが怖い。
再び、涙を見るのが怖い。
怯えた顔を見たくない━━
ヒサギは城の裏にあるピチの墓の前にしゃがみ、毎日のようにエレンの笑顔『だけ』を考えた。
儚くて、優しくて
…
でも、太陽のように温かく、存在感があり、眩しい
…
いつでも、笑っていてくれた。
周りの自然のように癒してくれた。
しかし、
その笑顔が崩れる。
光を無くす。
真っ暗になった。
心の中では何回
…
一万、いや何億回と謝り続けている。
それを口にする事は出来なかったが
…
━━
「エレン
…
」
ヒサギはエレンの笑顔『だけ』を想い続けた━━
何年そうした生活をしていたか
…
それは分からない。
毎日、何かを振り払うように手元の道具を組み立て続けた。
人の生活を助ける道具も作った。
人の欲を叶える道具も作った。
人の
人の命を奪う道具も
戦争の道具も
全てを奪う道具も
作り続けた。
同時に、人を騙す事も覚えた。
涙を見ても、鼻で笑えるようになった。
慣れてしまった。
そう、
『慣れてしまった』
五つ国の裏はドロドロとしている事を知ってしまった。
金、地位、名声
…
弱者が叫び続け、喉を潰し、消える。
それを
受け入れようとしていた。
しかし、
『あの時』を境に五つ国は変わった。
武国の王子、
ザードが工国の娘を攫ったのだ。
武国は外見こそ、野蛮なならず者の集まりに見えるが、その中身は真逆である。
五つ国の秩序わ守らんとす、騎士の国。
五国の中でも、比較的法に忠実に従っている。
その国の王子であるザードが、人攫いとは
…
昔
…
ザードは『大事な人』を失った。
失った詳細は知らないが、あの馬鹿で明るい奴がしばらく塞ぎこんでしまった位だ。
きっと、並大抵の事ではなかったのだろう。
その『大事な人』は印象的な美しい青髪をしていた。
それと同じ━━青髪の女がザードの前に現れたのだ。
それが、攫われた娘。
彼女に名はない。
塔に軟禁され、奴隷の如く布を織っていた。
赤子の頃に死んだ事にされていたようで、仮に『布姫』と呼ばれていた。
最初、ザードは布姫を失った者の代わりにしているかと思っていた。
その証拠に、布姫は自分で代わりだと言っていたし、酷い仕打ちもしていたようだ。
最初はそう、思っていたのに
…
━━
○○○
「もう一度言う
…
こいつは『ヒルデ』じゃない。本人も言ってたようにな
…
」
ヒサギは『布姫』の処刑台をちらりと見て、軽く溜息を吐いた。
正面のザードは表情を変えない。
「見れば分かる」
「
…
じゃあ、問うぞ?
何故お前は『布姫』を求めるんだ?
醜く、布を織ることにしか存在価値のない
…
この女を」
「━━約束した」
ザードはゆっくりと『布姫』を見上げた。
その眼光は鋭くも、優しい。
『約束』なんて、くだらない。
『ヒルデ』は死んだんだ。
ザードだって、一人なんだ。
『布姫』だって
…
誰も、
誰も
…
「あいつがいなくなったら誰が兵士達の飯を作ると思う?!誰が臭い洗濯すると思う?!誰があのクソ兎の面倒見るってんだ?!誰が俺のマントを縫うんだ!?
誰が
…
」
ザードはそこで少し息を詰まらせ、顔を赤らめた。
ヒサギの肩は強張った。
違う━━
人は、皆━━
「
…
誰が、俺の側で笑ってくれるんだ
…
!!」
ヒサギ、そして『アテナ』は目を見開いた。
「笑ってくれっこない
…
」
ヒサギは呟くと、一迅の風が吹いた。
手に持つボウガンが揺れ、ザードに向けられる。
「
…
こいつはお前とこの女でもない上に、王にも認められてない平民だ。
好き
…
?俺のもんだ
…
?
戯言も大概にしやがれ!!
この
…
脳筋ハリネズミっ!」
ボウガンが打たれる。
一回、二回、三回
…
ザードは鮮やかに避けた。
さすがは武人だ
…
ヒサギは呟く。
『気を逸らしてくれてありがとう
…
』
ひらりと身を動かすと、ヒサギは『布姫』の牢へ装置のスイッチを向けた。
これが落ちれば
…
━━
ザードはおとなしく剣を下ろし、悔しげに歯を噛み締めている。
「
…
いつものお前なら、考えなく突っ込んで来るはずだが」
「
…
『アテナ』を殺したくはないからな」
「『アテナ』、ね」
二人の間に微かな花の香りが流れた━━━
「大事なのか、この女が」
「大事だ」
「
…
掟を破ってでも、この女が
…
好きなのか」
「当たり前の事を聞くな!」
「
……
」
ヒサギがゆっくりと瞳を閉じると、自然と『あの笑顔』が浮かんできた。
純粋に笑う『エレン』
楽しそうに鳴く『ピチ』
毎日辛くても
苦しくても
笑っていた
…
━━
「
…
俺は、」
エレンを好きになった。
エレンに笑ってほしかった。
エレンとピチと一緒に笑いたかった。
なのに━━━
「いつも真っ直ぐなお前が
…
大嫌いだ」
「きゃあああぁぁ!!」
自分はこうして、壊したのだ
…
━━
━━━
……
ザードはいつでも真っ直ぐだった。
立ち止まって、どんなに後ろを見ても
…
道を踏み外さずに、真っ直ぐ歩けていた。
『アテナ』を『守る』という事を貫き、法さえも変えた。
そこに迷いなど、微塵もなく──
それを考えれば、考えるほど、
ヒサギの胸は苦しくなった
…
○○○
ヒサギは法の改正と共に農国へやって来た。
まだ、ザードのように間に合うかもしれない。
ザードのように、彼女に真っ直ぐ向き合えるかもしれない。
ヒサギは何年ぶりか、例の森へ入った。
森の様子は以前と変わらず、暖かい木漏れ日が漏れる。
風も緩やかに過ぎていく。
変わらない、風景。
昔の気持ちが蘇り、
足が止まってしまった。
エレンの声がする。
エレンの後姿が見える。
昔と変わらず、儚く温かい。
変わったところは幼少の頃から成長し、その美しさがさらに増したところか・・・
ヒサギの体が震えた。
エレンの怯えた顔が脳裏に過る。
涙が落ちる。
エレンの瞳が━━
今のエレンは微笑んでいた。
成長した『少年』の前で。
ヒサギは
その場から逃げ出した━━
エレンは『少年』の事が好きだ。
『少年』だって━━
ヒサギが走り去りながら、エレンと『少年』の事を考えた、数日後
…
再び、五つ国の歯車が一つ回り始めた。
○○○
ヒサギは王子同士の会議が終わった後、エレンの元へ行くのに、農国へやってきた。
…
この数日、何度も何度も農国へ入ったり、出たりしている
…
傍から見れば、変質者だ。
ヒサギは自分の行動に恥ずかしさを覚え、踵を返した。
道で寝そべる、牛たちの視線が痛い
…
牛たちを過ぎ、ヒサギは空を見上げた。
今日も、エレンに話せなかった。
今頃『少年』と笑い合っているのかもしれない。
ヒサギは頭をブンブンと振り、後者の考えを振り払った。
認めはしない。
絶対に
…
ヒサギが『少年』の顔を想い浮かべ、地面を蹴りあげたところで、人の気配を感じた。
条件反射に身を木の陰に隠すと、向こうから二人の男女が歩いてきた。
見慣れた柔らかい笑顔と印象的な薄紫の髪。
見た目はまるっきりの農民だが
…
農国の王子サルゴンである。
隣をちょこちょこと歩く小さな娘をニコニコと見つめながら、楽しそうに話しながら歩いている。
娘は作業着を着ているものの、(何故か)持っている大きな本ときっちりした髪型を見ると、知国の者のようだ。
…
しかし、何故、サルゴンの服の端を掴んでいるのだろう
…
?
「靴の中が砂だらけです
…
髪もうう」
「ああ、だいじ?シルヴィーみたいに綺麗な髪してっと
…
大変けぇな」
「こ
…
こんなの
…
標準的です!」
「そうけ?オラんとこじゃ
…
」
サルゴンは小さな娘との会話に夢中らしく、隠れたヒサギに気付かず、と通り過ぎて行った。
いつもなら、気配で探し当てるはずだが
…
ヒサギは小さくなっていく二人の後姿を見送りながら、舌打ちをした。
幸せそうで、柔らくて、温かい雰囲気
…
そうか、
サルゴンは、
選んでしまったのか
…
俯いたヒサギが、小さな娘
…
シルヴィーを知国の次期王妃候補と知るのは、それから時を待たず━━
次の日の月が上がる頃だった
…
次の日、工国に知国の使者がやってきた。
何事かと思えば、祝辞の知らせだと言う。
「フェルナンド様が御結婚されます」
「
…
は?」
「お相手はヴィーナス領のシルヴィー様
…
許嫁です」
「
……
」
『シルヴィー』という名には聞き覚えがあった。
たしか
…
ヒサギは微かに笑った。
━━いくら想い合っていても、他の奴のモノだったら
…
もう諦めるしかないじゃないか。
エレンは『少年』の事が好き。
『少年』は
…
ヒサギは睨みつける様な視線を、次の日
…
式の当日のサルゴンに向ける事となった。
サルゴンは遅刻してきたうえに、いつもの覇気もない。
寂しげに空を見上げ、彼女の影を探しているようだった
…
ヒサギの胸がチクリと痛んだ。
━━刹那、
周りに沢山の叫び声が響いた。
ヒサギは慌てて視線を上げると、
白いドレスをはためかせ、
まるで空を飛ぼうとしているように手を広げた
「シルヴィー!!」
花嫁が落下しているのが視界に飛び込んできた。
サルゴンが花嫁の下に飛びこむ。
花嫁が胸におちる。
民衆が一瞬息を止めた。
ヒサギは
目を離さなかった。
━━━
…
民衆の騒ぎの中、微かに見えたのは花嫁の父とフェルナンドだった。
何かを話しているようだが、よく聞こえない。
「フェルナンドも
…
大胆な事するね
…
」
懸命に聞き取ろうとしているヒサギの横でアレフが笑った。
そちらに視線を移すと、優雅に出されたワインを飲んでいる。
「聞こえるのかよ、この酔っぱらい」
「俺はヒサギみたいに一口で酔うとかないし
…
」
ヒサギがムッとするのを楽しそうに見つめると、アレフは空のグラスをテーブルに置いた。
「創の血筋はね
…
目も
…
耳が良いんだよ」
騒ぎは一段と増し、その中をフェルナンドが退場していく。
「フェルは
…
花嫁を自分で選びたいんだって
…
」
「え
…
」
サルゴンが花嫁を抱きしめた。
「で
…
サルゴンも
…
あの子に一目惚れして、諦められないんだって
…
」
サルゴンが花嫁に跪く。
手を取ると、手に口付けをした。
花嫁は泣いている。
「
…
好き
…
いや、『愛してる』んだってさ
…
どうしようもなく、ね」
再び辺りから歓声が沸き起こると、花嫁がサルゴンに抱きついていた。
ヒサギは目を細めた。
「
…
ヒサギ」
二人から目を逸らすヒサギの肩をアレフは軽く掴み、口を耳に近付けて静かに囁いた。
「『好き』と『愛してる』って
…
違うんだよ」
ヒサギがハッとアレフを見ると、すでに彼は帰るために歩き始めていた。
いつも気まぐれで、突拍子もない
…
しかし、奥を刺してくる。
痛いくらいに━━
ヒサギは再びサルゴンへ視線を移した。
暖かくて、大きくて、傷ついても恐れない
…
サルゴンの笑顔は心の強さから来ている。
だから、『愛せた』のだ。
彼女
…
シルヴィーを━━
そして、
ヒサギは首を振った。
自分は、エレンの事が『好き』だ。
この気持ちだけは、変わらない
…
けど
…
『愛する』勇気はなかった━━
「サルゴンめ
…
よくも踏んでくれたな
…
」
「ああっ、ザード様の触覚が潰れて
…
足型が
…
」
「他の奴らも心配しろよ
…
」
エレンは、
エレンは『ピチを殺した犯人』を恐れている。
何年も経った今でも
…
きっと━━
しかし、成長した今ならば
…
自分が『犯人』だとは気付かれないかもしれない。
昔は少年で、声変りもしたし、背も伸びた。
きっと、きっと
…
大丈夫。
それに━━
ヒサギは最後の言葉を飲み込み、エレンの森へ足を踏み入れた。
いつもの木々の隙間を通り、いつもの木の影に止まる。
エレンはまだ来ていない。
…
家も知ってはいるが、そこまでいくと怪しい人物になってしまう
…
ここで待機していよう。
森にゆるやかな風が通る
…
微かに甘い香りがするのは、どこかで花が咲いているためだろう。
風も花の香りも、美しいエレンを思い出させる。
彼女は、
日の下で微笑んでいるのがきっと、似あう━━
ヒサギが緩く溜息を吐いた瞬間、軽い足音が聞こえてきた。
エレンだ。
エレンは横に小鹿を連れている。
まるでお伽話の姫のように、そこだけが幻想的だった
…
「小鹿さん」
エレンは切り株に腰をおろしながら、小鹿の顔を撫でた。
「先日ね、サルゴン様が御婚約されたんですって」
小鹿は可愛らしく首を傾げた。
エレンは微笑む。
「お相手は、とても可愛らしくて、とても聡明な方だそうよ」
小鹿はエレンの頬を舐めた。
「
…
お祝いは、何が良いかな
…
?ね、一緒に考えてね」
ヒサギはエレンの声に震えた。
胸が苦しくなった。
目が熱くなった。
「ば
…
か」
ヒサギが呟くと、エレンは肩を引き攣らせた。
━━ああ、そうか
…
ヒサギはゆっくりとその場を後にした。
エレンは、
エレンは『ピチを殺したヒサギ』を恐れている━━
○○○
ヒサギはその日、創国の地下にいた。
手持ちの工具を繰り、無造作に置いてある器具の調整を行っている。
中にはシンプルな作りな物もあるのだが、大分精密で難解なのもあるため、気を抜けない。
もし、少しでも手元が狂って変に調整をしてしまったら━━
…
「カリン死んじゃうかもね」
ヒサギの背後に、アレフがやって来た。
地下の闇とアレフの美しい銀のシルエットは不思議と溶け合っている
…
━━そう、この地下に置いてある器具
…
拷問具は全てアレフの所持品である。
一部は代々創国に受け継がれてきたものだが、ほとんどはアレフがヒサギに頼んだ物だ。
武国や工国のように罪人等を拷問するためではない。
「ふふ
…
早く使いたいな
……
カリンの痛みで歪む顔
…
快楽に悶える顔
…
俺しか見ていない顔
…
」
「
……
」
「考えただけで、どうかしてしまいそうだよ
…
」
アレフの想い人を痛みつける為だ
…
けして、殺そうとしているわけではないらしいが、明らかに危険な器具を見ると背筋が凍ってしまう
…
アレフは『カリン』を『愛している』らしい。
『愛している』から痛みつけたいらしい。
ヒサギには、理解出来なかった。
「
…
調整終わったから」
ヒサギはアレフの隣を通り、地上への階段へ向かった。
薄暗い蝋燭の火は、頼りなく道を示している。
「迷わないようにね」
背後から、アレフの声が聞こえてきた。
「道を踏み外すと、危ないから」
「分かってるよ」
小さい頃から、この地下には度々来ている。
少しでも道を間違うと、落とし穴や罠があるのだ
…
ある意味、武国よりも危険な城である。
ヒサギは鼻で笑った。
「こんなとこ、目を瞑ってても抜けられる」
「
……
」
ヒサギは何気なく振り返ると、アレフの姿はなかった。
その瞬間、
視界が真っ暗に染まった。
「そう
…
ヒサギはまだ踏み外してないよね
…
」
耳元でアレフの声が聞こえた。
どうやら、アレフがヒサギの目を手で覆ったらしい
…
静かな声に、身動きも取れなくなっていた。
「自分だけのものにしたい
…
自分だけを見てほしい
…
自分だけを愛してほしい━━」
まるで作り物のような、整い過ぎる声にヒサギは鳥肌をたてた。
「どうしようもなく抱きしめたくなるんだ
…
潰しちゃう位
…
」
「っ
…
放せっ!」
思いきり身をよじると、ヒサギはようやく解放された。
アレフの凍った瞳がこちらを刺す。
「俺は
…
俺達は堕ちるしかないんだ
…
でも、ヒサギ
……
ヒサギは大丈夫
…
」
「
……
」
ヒサギは無言で走り出した。
怖くなってしまった
…
アレフの『言葉』━━自分が。
アレフの行為は確かに『愛』だ。
形はどうあれ、相手を『愛している』
自分は、
エレンは自分の事を恐れている。
受け入れようとしない。
しかし、自分は
…
踏み外さない事ができるのだろうか━━
それから数週間後に、アレフは婚約した。
相手の名前は聞かなくても分かる。
どうして道を踏み外したのに、あんなにも幸せそうなのか
…
どうして、昔酷い事をしたのに、受け入れられたのか
…
過去、罪、
自分と
同じなのに━━
○○○
ヒサギは足音も隠さずに、農国の森を進んだ。
これで、
ここに来るのも最後にするつもりだ。
自分は、王子だ。
将来工国を受け継ぐ、王子なのだ。
いつまでも、叶いもしない恋をしていてはいけない。
ザードのように守りきれもしないだろう。
サルゴンのような強さと優しさもない。
アレフのように愛を貫き通す勇気もない。
エレンは
…
ヒサギが顔を上げると、森の向こうで人が走っているのが見えた。
帽子を深くかぶり、手にはボウガンを持っている。
どうにも様子がおかしい
…
狩りをするのであれば、獲物を追って目を放さないはずだが、人物は後ろばかり気にしている。
━━嫌な予感がした。
ヒサギは人物が走ってきた場所へ向かう。
方向は、エレンのいつもいる切り株の場所━━
エレンの姿が見えた。
駆け込むように、その場へ飛び込む。
瞬間、ヒサギは目を見開き、吐き捨てた。
「っ
…
馬鹿が」
エレンの立ち竦む目の前に、小鹿『だったもの』が転がっていた。
目と肩、いたる場所にボウガンの矢が刺さっている。
辺りに、むせかえる様な血の匂いが充満し、吐き気をもようしそうだ。
ヒサギは隣へ視線を送ると、エレンは声を出す余裕もなく、ただ震えていた。
ズキリと胸が痛む音がする。
ヒサギは目を逸らすように死骸に近づくと、ボウガンの矢を一本引き抜いた。
矢尻が紫に変色している
…
さらに、ちょっとの量ではない。
あきらかに大量の毒を塗られたようだった。
━━何のために
…
ここの動物を殺しても、特に価値もない。
狩りならば、獲物を持ち帰るはずだ。
そして、大量の毒を塗るはずはない。
切り株の場所に放置した。
ボウガンという、殺傷能力の低い物を使っている。
犯人は
「今回は
…
これだけじゃ終わらねぇぞ」
エレンを狙っている
…
それからヒサギはエレンを影から見張るようにした。
犯人の足音が聞こえるたびに追いかけた。
たまにボウガンを打ったりしたが、狭い木の隙間では当たらなかった。
ただただ、エレンの哀しい表情が増えていく。
死骸に刺さる矢を詳しく調べたところ、最近開発された、最新の型だと分かった。
さらに、毒も個人で簡単に調合出来る種類だつた
…
殺される度に、死骸を持ち帰り、調べ、ピチの隣に埋めてやった。
エレンは毎日『俺』に怯えている。
幼馴染のサルゴンにも相談していた。
それで、エレンが少しでも安心できるなら、それで良かった。
どちらにしろ、
犯した罪を償う為に、犯人を捕まえるのは、自分しかいない
…
━━
これは、
償いだ。
○○○○
会議の次の日も、ヒサギは農国の森へと出掛けていた。
サルゴン達にも、自分の目的がバレそうになったが
…
嘘は言っていない。
しかし、それでおせっかいに自分を探しに来るかもしれない。見つからないように気をつけなくては
…
ヒサギは頭上を見上げて、眩しさに顔をしかめた。
愛用のボウガンが太陽に反射して輝く
…
傷つける為の道具さえ、こんなにも美しいとは、皮肉なものだ━━
ヒサギは苦笑を浮かべた。
森は相変わらず静寂に包まれ、とても居心地のいい雰囲気ではない。
踏みしめる音さえ、耳触りにしか聞こえなかった。
前までは、優しくて、温かい森だったのに
…
ヒサギは足元の枯れた花に目を細めた。
「
…
エレン
…
こんなじゃ、嫌だよな
…
」
エレンには、笑っていて欲しい。
幸せになって欲しい。
日の下で━━
ヒサギは勢いよく顔を上げ、歩き始めた。
エレンの為に、一刻も早く犯人を捕まえなくては。
そして、
俺もエレンの前から消えなくてはならない━━
ヒサギは森を歩き回った。
木の上から見回したり、物音にボウガンを構えたり
…
しかし、犯人は一向に姿を現さなかった。
今までの逃げ足の速さから見て、地理に詳しく、森を歩きなれた農国の住民が犯人なのだろうが
…
今は警戒して出て来ないのかもしれない。
エレンも今日は来ないようだ。
ヒサギは溜息を吐いて、出口へと歩き出した。
一歩踏み出した、
刹那、森が一瞬ざわめいた。
何かが近づいてきている。
殺気━━
ヒサギは振り向き様にボウガンを構え、同時に引き金を引いた。
風を切り、矢が彼方へ飛ぶ━━
確信した。
これは、当たる━━
たとえ命中しなくとも、動きは止めてくれるだろう。
その考えが過った時、確かに矢は相手の肉を裂いた。
微かな悲鳴が遠くから響く。
ヒサギは
走り出した━━
風のような速さで、ヒサギは矢が止まった位置まで駆けた。
ボウガンを持つ手が震える。
心臓の鼓動が最高潮になる。
「動くな!」
ヒサギはボウガンを構えながら、叫んだ。
しかし、
体が一瞬にして硬直してしまった。
「貴方は
…
!!」
「カリンさん、大丈夫ですか!?」
「は
…
はい」
「
…
また
…
」
ヒサギの瞳に映ったのは、
見覚えのある娘達━━
金の髪に青い瞳で睨みつけるシルヴィー。
濃青の長い髪を揺らすアテナ。
地面に座り込むカリン。
そして、
怯えたような表情をむけるエレン━━
「また
……
もう、やめてください!」
エレンの声がヒサギの耳に木霊し、足元には紅い血が流れていた。
矢は、確かに当たっていた。
茶色く小さな体を抉り、地面に落とした。
しかし、確かに感じたのだ。
殺気を
…
そう言おうとしても、地面に落ちたリスの前ではただの掠れ声になるだけだった━━
ヒサギの放った矢はリスに直接当たらず、後ろの木に刺さっていた。
その矢を引き抜くと、後ろから強気の声がかけられた。
「やはり貴方が犯人だったのですね!?目的はなんですか!?」
シルヴィーだった。
その瞳は知国独特の威圧感を持っている。
ヒサギの肩は強張った。
「俺は━━」
「動くな、この外道!」
言い返そうとした瞬間、ヒサギのボウガンが弾かれた。
弾かれた反動でよろめきつつも、落ちたボウガンを目で確かめると、そこには同じボウガンの矢が刺さっていた。
「大丈夫かい、エレン!?」
「━━テッド?」
エレンに『テッド』と呼ばれた青年は、ヒサギの前に立ちはだかり、ボウガンを向けた。
「最近このあたりをうろうろしていると思ったら
…
」
「
…
っ」
テッドは歩み寄ると、ボウガンをヒサギの頬に押しつけた。
「エレンに何をするつもりなんだ
…
」
「
……
」
頬に押しつけられる力はじりじりと増す。
ヒサギは圧迫感に顔を歪めながら、視線がある一点を捉えた。
━━リスが、動いている。
テッドの足元で、微かにだが動いている。
しかし、テッドはそれに気づかず今にも踏みつぶしそうな勢いだ
…
ヒサギの脳裏に
ピチ、今まで埋めてきた動物の亡骸、
そしてエレンの泣き顔がよぎった。
「彼女をこれ以上悲しませるな!」
「━━っ、この!!」
テッドが瞬きをした瞬間に、ヒサギ身をよじった。
その勢いで、足元のリスを確保すると、走り出した。
否、逃げ出した━━
後ろからテッドの叫び声が聞こえる━
心臓が痛い━
足がもつれそうになる━
それでも、
ヒサギはけしてリスを放そうとしなかった━━
頭上の木々はまるで別世界のように爽やかに揺れている。
否、
ヒサギが別世界にいるのか━━
必死に走るヒサギの手の中でリスは低く息をしていた。
小さな体から濃い鮮血が流れ出ている。
ヒサギの脳裏に、エレンの泣き顔が何度も繰り返されていた。
「死なないでくれ
…
死なないでくれ」
うわ言のような声は、まるで自分の口で言っていないような、妙な感覚がする。
いつしか足元が舗装された、
見慣れた石畳になると、ヒサギはさらに足に力を込めた。
目線の先には、城が見える。
城に転がり込むように飛び込むと、周りの使用人たちからざわめきが起こった。
皆、ヒサギの手元を見て不審な視線を送っている。
しかし、誰一人近づく者はなかった。
ヒサギは困憊した体を奮い立たせ、歩き出した。
とにかく、リスを手当てしなければならない。
リスを助けなければならない。
でも━━
ヒサギが自室に入ると、無機質なモノ達が出迎えてくれた。
オイルの匂いと、鉄の色。
そこは
真っ赤なリスだけが浮いた、
生きた色をしていた━━
「わか
…
らな、い」
ヒサギは膝をついた。
「『治し方』
…
わからない」
今まで、数多の道具を『直して』きた。
大きい物も精密な物も全て━━
しかし
「俺には
…
出来ない
…
」
手の中の小さな体を『治す』方法は分からなかった。
ヒサギの全身から力が抜けて行った。
目が熱くなり、リスを見つめた。
リスの息が少しずつ小さくなっていく。
ヒサギの手はブルリと震えた。
「俺は
…
」
「━━ヒサギ?」
目を伏せようとした刹那、背後に近寄る足音が聞こえてきた。
振り返ると、そこに見慣れた細身の体が映った。
手には、昨日の資料と思われる紙の束が持たれている。
「フェルナンド
…
」
「ヒサギ
…
それは
…
」
資料を届けに来たフェルナンドの視線に、血まみれのリスが映った。
ヒサギは首を振った。
「わざとじゃない!俺はただ、殺気を
…
!だから
…
だから
…
」
ヒサギの頬に涙が伝った。
今までずっと我慢してきたが、
フェルナンドを見ての安堵なのか、疑われる事への恐怖なのか
…
どちらにせよ、
視界は涙で滲み、歪んだ。
「━━馬鹿者!!」
瞬間、フェルナンドは叫んだ。
肩をこわばわせるヒサギからリスを取り上げると、鋭い瞳でさらに睨んだ。
ヒサギの胸は締め付けられ、さらに涙は溢れた。
「フェル
…
」
「かなり衰弱しているではないか
…
!泣いている暇があるのならば動け!」
「━━え」
フェルナンドはツカツカとヒサギの作業台に歩み寄ると、胸ポケットからハンカチを取り出しひいた。
その上にリスを寝かせると、視線を動かさず声を張り上げた。
「湯を沸かせ!あとなるべく清潔な包帯
…
アルコールもだ!あとは針と糸を!」
「え、あ
…
」
「早くしろ!!」
フェルナンドの声にヒサギは自然と体が動いた。
しかし、それは速いものではなかったかもしれない
…
が、ヒサギは必死に動いた。
リスを助ける為に━━
○○○
「━
…
これで、ひとまずは大丈夫だ」
フェルナンドは用意されていたタオルで手の血をぬぐった。
視線の先で、リスが静かに呼吸している。
「幸い、動脈までは傷付けていなかった
…
完治すれば普通に動けるだろう」
「
……
」
「
…
当初の目的を忘れていたな
……
ヒサギ、先日の会議の資料はそこに置いておく。よく読むように」
リスをの呼吸を見つめるヒサギを一瞥し、フェルナンドはドアへ歩き出した。
規則正しい足音だけが部屋に響く
…
しかし、ドアノブを掴む前に歩みは止まった。
「俺は
…
ただ
…
」
静寂に包まれる部屋に、水の落ちる音が微かに聞こえた。
フェルナンドは振り返ると、俯くヒサギが目を擦っている姿が映った。
「いっつもそうだ
…
俺は
…
ただ、助けたいだけなのに
……
傷付けることしか出来ない」
「
……
」
「俺が何したんだ
……
何もしてない。何もしてない!何も、な に も してないんだ!!」
ヒサギが机を叩くと、リスの体が大きく揺れた。
開けられていない窓が、風で軋む。
太陽がかげった。
「ヒサギ」
薄暗い部屋で、フェルナンドの髪だけが鮮やかに浮いた。
そして、ヒサギの灰色の瞳は淀んだ。
「朝と夕。二回だ」
ヒサギの暗い表情を見ていないのか
…
否、その顔に溜息を溢しつつフェルナンドは再びリスに歩み寄ると、隣の包帯と消毒液を手に取り、ヒサギに押し付けた。
「毎日、最低でも一カ月は続けろ」
「は
…
」
「貴様が『何もしなければ』このリスは、死ぬ」
フェルナンドの言う言葉にヒサギは一瞬、全身はぞわりとした感触に襲われた。
耳の中で
低い声が木霊する
…
「『何もしない』『出来ない』のではない。『やる』のだ
…
これは貴様がやらねばいけない事なのだから
…
」
ヒサギは、包帯と消毒液を持ったまま硬直してしまった。
『嫌だ』と頭の中はいっぱいになっている。
出来るわけがない。
今までだって、
相手を傷付ける事しかしてこなかった。
だから、リスも━━
エレンも傷付けてしまったのだ。
ヒサギはフェルナンドに詰め寄った。
「フェ
…
!」
「『何もしない』0%よりも『やる』方が、助かる可能性は高い
…
そういう事だ」
フェルナンドはヒサギを軽くあしらうと、ドアへ歩み寄り、ノブをひねった。
扉を開くと、新しい空気が入ってくる。
「私は国の仕事がある。だから治療に割ける時間はない。しかし、ヒサギ
…
貴様にはその時間がある。あと
…
私は動物の治療には精通していない。だから、容体が悪化したらサルゴンのところへ行くと良い」
「え
…
」
「周りに手助けしてくれる者はたくさんいるぞ、ヒサギ」
うっすらと暗い部屋が明るくなると同時に、フェルナンドは退室していった。
ヒサギは手の包帯と消毒液を見、そしてゆっくりと息をするリスを見比べた。
○○○
数日
…
この数日はヒサギにとって大変なものとなった。
フェルナンドに言われたように朝と夕、リスの消毒と包帯の交換をするのだが
…
とにかくリスが凶暴過ぎる。
大怪我しているはずなのに、触ろうとするヒサギの手に噛みつくは引っ掻くは
…
もう元気なのでは?と考えてしまうくらい、リスはヒサギに攻撃した。
かといって、ふとした瞬間にぐったりするので油断ができなかった
…
そんなで、ヒサギは看病疲れで溜息を吐いた。
「なんだ、引きこもりの癖に疲れるのか?」
「なっ
…
!!」
ヒサギが横を向くと、いつの間にか父
…
ヒイラギがリスを覗きこんでいた。
相変わらず、人を鼻で笑うような言動をする
…
「か
…
勝手に人の部屋に入んなよ!クソ親父!出てけ!」
「ドアは全開だったぜ」
「うぁ
…
」
…
さっき、新しい包帯を取りに行って、そのまま閉め忘れたらしい。
ヒイラギは含み笑いをした。
「それにしても
…
お前、包帯の巻き方へっただなー
…
ガキはやっぱガキだな」
ヒイラギがツンツンとリスを突くと、ヒサギは目を吊り上げ、赤面した。
「うっさい!ほ、包帯なんて、巻いとけばいいんだよ!そんなに言うなら、自分で巻きなおせば?どーせ、下手だろ」
「ほほう、言ったな、ガキが」
ヒイラギはヒサギの仕草に再び笑うと、リスをひょいと持ち上げ包帯をほどいた。
あとは鮮やかなもので、あっという間に病院で施されたような見事な仕上がりとなった。
「
……
」
「ガキとは違うんだよ、ガキとは」
さすがは工国の王と言ったところで
…
ヒイラギは実に器用な手を持っていた。
ヒサギはムカついたので、とりあえず足を蹴っといた。
しかし、お返しに頭をぐしゃぐしゃにされた。
「だっー!やめろバカー!」
「かわいくねーガキだな、本当っ」
もともとふわふわの軽いヒサギの髪は、さらにもしゃもしゃになってしまった
…
ちょっと半泣きものだ。
『ぐう』と鳴きつつも、リスの包帯を見るヒサギにヒイラギは目を細めた。
「
……
ま、もうガキじゃねーかな」
「は?」
「何でもねーよ、クソガキ」
「なんだと、クソ親父ー!!」
再び蹴ろうとしたヒサギを軽く避け、ヒイラギは部屋の外まで移動した。
「そいつが死んでも、もう墓作りは手伝ってやんねーからな、ヒーサーギー」
後ろ手に手を振ると、ヒイラギの姿は遠ざかって行った。
いつもはその後姿にムカムカして舌を出すが、今日は目を細めた。
「
……
馬鹿親父」
ヒサギは舌打ちした。
○○○
また数日。
リスの容体も安定してきた。
むしろ、攻撃が激しくなってきている
…
いや、元気になったということか。
とりあえず少しは動かしても良くなったので、試しに母のいる離れまで連れてきてみた。
リスを保護してから、母に言っていなかったし
…
この機会に見せてみよう。
病弱なため、一日中ベットの上にいるのだ
…
ちょっとした刺激にはなるかもしれない。
「あら
…
その子」
母、サラはヒサギの頭にへばりつく
…
いや、噛みつくリスを見ると、柔らかく微笑んだ。
「大怪我したっていう
…
リスちゃんね」
「
…
知ってんのか?」
「ええ、ヒイラギ様から聞いたから
…
手の傷もリスちゃんとの喧嘩で負けてるからでしよう?」
にこにこする母を否定するわけにもいかず、ヒサギは半分デマな話をした父に呪った。
ヒサギがベットの横の椅子に座ると、サラは手を伸ばしてリスを捕まえた。
「ふふ
…
ふわふわしてる」
サラが優しくリスの頭を撫でると、リスはうっとりと瞳を閉じた。
……
自分と反応が正反対だ。
女だからか?
それとも、自分のせいで怪我したからか?
どちらにしろ、複雑だった。
「そいつ
…
母さんに懐いてるな」
「あら
…
そうなの?ヒサギとも、仲良しさんだと思うけど」
「今度医者が来たら、目も診てもらえよ
…
」
ヒサギは溜息を吐いた。
…
それにしても、リスは冗談ではなく母に懐いている。
自分を攻撃してくるのも、一種のストレスからくるものだ。
ヒサギは顔をサラに向けた。
「母さん
…
お願いがあるんだ」
「え?」
サラは首を傾げた。
驚いた、という表情をしている。
「まあ
…
驚いた。ヒサギにお願いされちゃった」
「お、驚く事かよ」
「ええ。母様ね、びっくりして心臓止まるかと思った
…
ふふふ」
母さんが言うと洒落にならん!
と、ヒサギの方が心臓止まりそうになった
…
ぜえぜえと焦るヒサギを見つつ、サラはにっこり笑った。
「リスちゃん
…
少しなら預かれるわよ」
「
…
え」
びっくりした。
ヒサギの心臓がドキッとした。
…
止まりはしないが。
サラは続けた。
「ヒサギも忙しいものね。リスちゃんのお世話にずっと手をかけてもいられないのでしょう?
…
顔に書いてある」
「む、むぅ
…
」
サラは焦るヒサギの頬に手を当てると、愛おしそうに見つめた。
「それに、リスちゃんも私といた方が安心できる
…
そう思っているでしょう?」
「
……
」
━━当たっていた。
フェルナンドはあたかもヒサギが暇だと言っていたが、実際そうでもない。
次期王としての勉強もあるし、貿易の処理もある。
他国からの道具注文もこなさなければならない。
ヒサギは、多忙の身なのだ。
リスだって、ストレスの少ない方が傷の治りも早いに違いない。
「母さん
…
」
「ヒサギからお願いなんて
…
はじめてかもね。大丈夫、母様
…
ちゃんと面倒みるわ」
「
…
ありがとう」
ヒサギの微笑みにサラは、思わず息子を抱きしめた。
昔とは違う、大きな体に少し目頭が熱くなってしまう
…
サラは呟いた。
『こちらこそ、ありがとう』
…
と。
ヒサギは大きく伸びをした。
こうやって息を吸い込むと、とても気持ちが良くなる。
母の体調を考慮しての短時間とはいえ、リスの看病から解放された。
たとえ1時間、2時間だとしてもヒサギの気持ちは軽くなれた。
看病は自分一人でやらなければいけない
…
自分のせいで、怪我を負わせてしまったのだから
…
しかし、看病とは実に大変だと、この数日で嫌というほど分かった。
昼夜も問わず、体調を見てやらねばいけない。
元気に動いていたのに、次の瞬間にはぐったりと倒れる事など度々だ。
……
なんにせよ、これで仕事が進められる。
まずは何をしよう?
全自動の掃除機器の設計図を完成させてしまおうか。
それとも、『えんじん』の開発を
…
いや、あれも
…
ヒサギは自室の机に沢山の未完成設計図を広げた。
その表情は自然と微笑みに変わった。
─
…
こうやって、新しいものの設計図を眺めているとワクワクする。
機械を分解するのも、良い。
ヒサギはウズウズと、次にやることを考え──
…
刹那、
「うぉりぁああああっ!!!」
「ぎゃあああぁぁあ!?」
部屋の窓が、粉砕した。
…
否、何者かが窓ガラスを破壊して侵入してきた。
ここは一階でもないし、近くに木があるわけでもない。
ということは、飛んできたと
…
!?
ヒサギは一瞬にして、一人の顔が思い浮かんだ。
跳 ん で、侵入してこれる奴なんか
…
「この脳筋!なにすんだよ!?」
「よぉ、引きこもり」
ザードしかあり得ない
…
。
ザードは常人離れした脚力で、城壁さえたまに飛び越えてくるのだ
…
窓の高さなど軽いだろう。
理屈は置いといて、ヒサギは割れたガラスの破片を踏みしめて目の前のザードに詰め寄った。
「おまっ
…
!窓を壊すな弁償しろついでに 掃 除 し て い け !」
「うっせーな、チビ。細かい事気にすんなよ」
「細かくねぇし!!」
ヒサギは溜息を吐きながら、体を背けると、あることを思い出した。
数日前──
そう、ザードとは会議の時から弁解もなにもしていない。
誤解
…
ではないが、農国の事件を
…
いや、それよりもリスを傷つけてしまった時、アテナがいたじゃないか。
アテナがその事を話していないわけはない。
ヒサギは勢いよくザードに向き直ると、少し後ずさりした。
「ま
…
まさか、お前
…
アテナに言われて
…
!?」
あの状況を見れば、もう自分が犯人だと確定したようなものだ。
動物を殺してどのくらいの罪になるかは分からないが
…
とにかく、捕まってしまうだろう。
そんな思考のうちにも、ザードはこちらに寄ってくる。
それと同時に背中の大剣も抜いている。
逃げようにも、足が動かないし、武器もない。
ヒサギは舌打ちして、目を閉じた。
「
…
なんで、そこでアテナが出てくるんだよ?」
「
………
は?」
ザードはヒサギの顔を覗き込むように、溜息を吐くと大剣を差し出した。
「最近切れ味悪いから研げ。あ、あとなんか仕掛け罠とか見せろ」
「
……
」
「腹も減ったから、食い物もな」
ヒサギは、額に手を当てて息を吐いた。
それは溜息、というより安堵からだった。
○○○
「そういや
…
またお前農国で何かやったみたいだな」
ヒサギに出された水をぐびぐび飲みながら、ザードは言った。
今までザードの防具の調整をしていた、ヒサギの手が止まる。
「アテナは何もいってなかったぜ。でも、さっきのお前の様子見りゃ大体予想はつく
…
ていうか水じゃ腹いっぱいにならねーし」
「
……
」
ヒサギは黙ったまま手元の防具のネジを締め、そのままザードに視線を移さず自嘲気味に笑った。
「で?なんだよ?説教でもするのか?脳筋」
「
……
」
ヒサギは知っている。
ザードは今まで自分に説教なんてした事がない。
否
…
本気で怒った事もないかもしれない。
アテナの時も、本気だったら自分なんて一瞬で殺られていただろうし
…
何だかんだいって、ザードは甘いのだ。
ヒサギは『ふふん』と鼻で笑うと、防具をテーブルに置いた。
「お前に俺を説教する資格なんてないしな
…
人の事言えないし、アテナの時だって
…
」
刹那、ヒサギの首にザードの腕が絡んだ。
その状況に気付く前に、腕には力が入りギリギリと絞められてしまう━━
「なっ
…
」
「ヒーサーギー
…
てめぇ
…
」
まさか、本気で怒らせた
…
!?
ヒサギの顔から血の気が引いた。
絞められているために、ザードの表情は見えないが、その恐ろしい気迫はよく伝わってくる
…
「ま
…
まて、ざー
…
」
「別に、俺は農国で起こった事なんかどうでもいい」
「そ、それなら
…
!」
「でもな
…
ヒサギ、お前はさっきから俺を怒らせる事ばかり言ってるな
…
」
「な
…
なん」
「
……
さっきから、さっきから
…
」
ザードの腕の力が増した。
苦しい
…
もう、終わりかもしれない
…
ヒサギは目を閉じた。
「さっきから、アテナアテナって!アテナの名前を連呼すんな!ムカつく!!!」
━━
…
は?
ヒサギの肩と共に、ザードの腕の力も弱まった。
ザードは続ける。
「アテナの名前を呼んでいいのは俺だけなんだよ、ヘタレ!」
「ワケわかんねーし!離せー!!」
「最近アテナが構えない俺への当てつけなんだろ!?どーせ俺もあんま呼べてないよ、ああ、アテナー」
「うわっ、うざっ!キモッ!アテナ保護した方が良いんじゃねーの、これ!?」
「あ、てめっ!また呼んだな!?」
「はんっ、何度でも呼んでやるよ、ばーか!」
じゃれじゃれじゃれ
……
ヒサギとザードはまるで子供のように喧嘩
…
否、じゃれていた。
これも、ザードの気遣いかもしれない。
昔から、兄のように元気づけてくれたのもコイツだ。
ヒサギは屈託なく、じゃれながら笑った。
━━刹那、部屋の扉が開いた。
突然の事にヒサギの顔は固まる。
ザードも、動きを止めて、視線をドアに向けた。
二人の視線、ドアの向こうには、
「
………
」
ドアを開いた状態の、
ドアノブを握ったままのアレフが立っていた。
「
……
」
アレフは白銀の髪を揺らして、首を傾げた。
そしてすぐに両手をぱちりと合わせると、頷く。
「
…
次の新刊はザード×ヒサギ
…
ですか」
「「はあ!?」」
二人がワケが分からない!と大声を出すのも無視して、アレフは鼻歌交じりに退場しようとした。
が、ザードに襟首を掴まれ、あえなく部屋に連れ戻されるのでした
…
「いきなり来て何言い出すんだ、この歩く発禁野郎!」
ヒサギはギャースとばかりに文句を言うも、アレフは何事もなかったような様子で優雅に椅子へ座りながら水を飲んでいる。
どこから出現したか分からないが、ワイングラスで
…
ただの水がまるで果実酒のように、美しく見える。
アレフはゆっくりと溜息を吐いた。
「
…
やっぱり工国の水
…
不味い」
「勝手に飲んどいて文句を
…
ていうか、捨てるな!」
「不味い不味い
…
」
だばたばとその場に水を捨て、アレフは満足したように笑った。
ヒサギはその綺麗な笑顔を睨みつけながら、布を濡れた床に押し付ける。
いつもながら、このドSは自由過ぎる
…
「
…
って、俺のマントで拭くなッー!!」
ハッと気付いたザードはヒサギの頭に突っ込んだ。
○○○
「はい、ヒサギ」
「
…
なんだよ、これ?」
「注文書」
一(?)騒動の後、やっと悪戯を止めたアレフは紙の束をヒサギに渡した。
テーブルの上には、仕方なく用意した紅茶が置かれている。
ついでにパンも置かれていたが、全てザードに食べられてしまった
…
ヒサギは『注文書』へ目を落とすと、顔をしかめた。
アレフが渡すと言う事で、大体予想はできたが
…
「また、拷問器具
…
」
「快楽玩具と言ってほしいね
…
ふふ」
魔女の楔に苦悶の梨に
…
とにかく、紙面には拷問器具がずらりと並んでいた。
さらに、それは性的な拷問に使うものばかりである。
「地下室の闇とカリンの白い肌
…
そこにその道具達が合わされば
…
至高の芸術品になる
…
」
アレフはうっとりとしたように微笑を浮かべた。
それは、天使のように無垢で、悪魔のように残忍で━━背筋を凍らせた。
ヒサギはアレフの表情に舌打ちをした。
「なんでお前は俺ばっかにこんなのを頼むんだよ?嫌がらせか?ふんっ」
乱暴に注文書を机に置くと、ヒサギはそっぽを向いた。
アレフは毎回拷問器具をヒサギに頼む。
確かに城の地下にある器具達を調整してやっているのはヒサギだが、作るまでは余計だ。
アレフの性格だから、嫌がらせに頼んでいるに違いない。
ヒサギは溜息を吐いた。
「城下に専門に作ってる奴がいるだろ。それにもっと腕の良い奴だって━━」
「ヒサギが良いんだ」
……
?
部屋にポツリと響く声に、ヒサギは振り返った。
━━その瞬間、頭をぐしゃりと撫でられた。
「なーに、すねてるんだよ?」
「や
…
ちょやめろよ、ばか、脳筋!」
「へいへい」
ザードがパッと身を離すと、次は頬をつねられた。
「
…
」
「いててて!やめっ
…
」
「ヒサギが一番
…
」
アレフは手を離した。
そして、
その場所を撫でた。
「ヒサギが
…
一番信用できる」
アレフはヒサギの前髪に触れると、無言でクイクイと引っ張り始めた。
言葉がないのは、機嫌が悪い時か言いたい事を言い切った時だ
…
今は━━
「誰だって知らねぇ奴に大事なもん頼まねぇだろ」
ヒサギが考え始めた時に、ザードのため息交じりな声が割り込んできた。
ザードは調整の終わった防具と剣を装備し始め、言葉を続けた。
「確かに専門の鍛冶屋とかに行けば手っ取り早いかもしれねぇけど
…
武人にとって装備は命を守るもんだ。
━━ヒサギ、俺はお前に命を預けてんだ」
ザードは再びヒサギの頭をぐしゃりと撫でると、笑った。
「頼りにしてんだからな」
『じゃあな』とザードは後ろ手に手を振ると、そのまま立ち去って行った。
騒がしい奴がいなくなったからか、部屋の中に静寂が流れる。
「ヒサギ」
静寂に合う、静かな声がヒサギの耳元で囁かれた。
「道具作るの
…
ヒサギが一番上手いと思う」
ヒサギは目を見開いて、アレフに向き直った。
アレフは少し身を離し、微笑む。
「俺も、器用だけど
…
ヒサギには負けるし
…
何のか欲しいの言えば、すぐ作ってくれるし
……
文句言うけど
ヒサギにしか、頼めないことだよ」
「
……
あ」
ヒサギが声を出そうとすると、アレフは静かに笑い、猫のようにひらりと窓から飛び降りた。
風がカーテンを揺らす。
鳥が鳴いている。
ヒサギは机に腰を預けた。
━━二人を見送るつもりはない。
いや、
出来ない。
「
…
馬鹿
…
」
訳も分からず、涙が止まらなくなってしまったから━━
…
○○○
「いってぇえええ!!」
その日も、城中に声が響き渡った。
もう、今日何度目か
…
城の誰もが、当たり前のようにその声を無視した。
ヒサギの自室は、ここ最近嵐が起きた様に散らかっていた。
普段でも片付いているとは言いにくいが、今の状態のように床に紙は散乱していないし、工具もバラバラの場所には置いていない。
そう
…
この状態にした犯人がいるのだ。
目の前に。
ヒサギは、部屋を駆けまわる犯人に怒鳴りつけた。
「こらっ!そこに行くな!って、こっちにも来るな!いたたたたたた!」
ヒサギは手に噛みつく犯人
…
言わずもがな、リスを振るい落した。
リスは軽やかに一回転して着地すると、風のような速さで棚を登り、設計図の束を床にばらまいた。
「あっー!てめっ
…
!降りて
…
だっー噛むなー!」
「ムゥー!」
「何がムゥだ!大人しく
…
いたぁああ!」
……
━━。
リスがヒサギに保護されてから数週間
…
ここ毎日この調子だ。
傷が完全に良くなったわけでもないのに、リスは暴れまくっている。
というか、ヒサギが気に入らないようで、他の人の前だと普通に弱々しい。
ヒサギだから反抗しまくり、喧嘩しているようだ。
ヒサギもヒサギで動物の扱いの知識など皆無で、どうする事も出来ずに乱暴になってしまう。
…
サルゴンに聞けばいいのだろうが、今は会いたくないし
…
あまり顔も見たくない。
ヒサギはやっと捕まえたリスをもぎゅっと籠の中へ押し込んだ。
ヒサギの部屋でのリスの定位置は籠である。
もう四つは壊しているが
…
「がじがじかじがじがじ
…
」
「ふんっ、いくらでも噛めよ。今度は合金製なんだからな!出っ歯野郎でも噛み切れ
…
」
その刹那、『バキン』という音がヒサギの耳に飛び込んできた。
嫌な予感に視線を移す。
そこには、
籠の格子から抜け出て、
「ヂッ」
ヒサギに跳びかかって来たリスの姿が映っていた。
これで、
格子を噛み切られて駄目にした籠
…
五つ目
…
━━
五つ国の城は廊下が長い。
それは人の感覚のせいではなく、設計上でわざとやった事だ。
その理由は、王が毎朝城中を見回る為だった。
昔は王の職務の一つとして、法が定めていたのだが、今は様々な理由で廃止されている。
ようするに、長い廊下は姿見せの為なのだ。
今でも、廊下を歩く王族は自然と目立つ。
兵士達や使用人達が頭を下げる為に見通しが良いのだ。
その廊下を、王族であるヒサギが歩いていた。
もちろん、すれ違う人々は頭を下げる。
━━笑いを堪えながら
…
「なんだ、新しい髪飾りか?」
ヒサギは後方からの声に振り返りつつ、目付きを悪くした。
「
…
なんだよ、馬鹿」
「随分と面白い髪飾りだな
…
くくっ」
ヒサギの傍まで歩いて来た王
…
父、ヒイラギは他の者と同様に、ヒサギの姿を見て笑っている。
否、厳密に言うと姿ではなく、頭である。
今、ヒサギの頭はぐしゃぐしゃになっていた。
農国の某もじゃ頭王子もびっくりの荒れ方で、元々癖っ毛なヒサギの髪は大惨事を起こしている。
それで何故すぐに直さないのか
…
と言いますと
…
「ヂッ」
「こいつ一丁前に威嚇してやがる
…
」
ヒイラギはヒサギの頭を陣取る物体
…
リスを突いた。
リスは、ヒサギの部屋を荒らすのに飽きたのか、次は標的を頭の上に変えたようである。
ヒサギがどんなに引き剥がそうと、髪を掴んで離さないため
…
もう諦めた。
とにかく、母の元に行けばリスは喜んでそちらに飛びつくだろう。
今はその為に、恥ずかしさを抑えて廊下を歩いている
…
「いいんじゃないか?いつもしてるヘアピンより、似合ってるぜくくっ」
「うっさい!」
「ヂッ!」
ヒサギがヒイラギに反論して声を上げると、『こっちのセリフだ!』と言わんばかりにリスはヒサギの頭を叩いた。
痛がるヒサギの姿に、ヒイラギは腹を抱えて笑った。
…
悔しい
…
早いとこ、この迷惑リスを剥がさなければ
…
ヒサギは再び歩き出した。
「ちょっと待った」
…
が、ヒイラギに止められた。
ヒサギが止まると、ヒイラギは足早に前へ回り込んだ。
「まさか、とは思うが
…
サラにそいつ預けんのか?」
「そうだよ、悪いか」
「悪い」
ヒイラギはじろりとリスを睨むと、溜息を吐いた。
「最近サラの体調は良いが
…
いつ悪化するか分からないんだ。それに
…
動物なんか近付けたら、毛を吸い込んで肺がおかしくなる」
━━ヒイラギは母、サラを超溺愛しているから、こんなに心配するわけではない。
サラは本当に病弱なのだ。
ヒサギを産めたのも奇跡な位である。
もしかしたら突然状態が悪化して、明日は帰らぬ人になるかもしれない
…
だから、なるべく負担をかけないようにするべきなのだ。
ヒサギだって、リスを預ける事で母に負担をかける事は分かっている
…
いるが
…
「とにかくだ、そいつをサラに預けるのはやめろ。以上」
「
…
こいつがいると仕事進まないんだよ」
「けっ、動物の一匹や二匹どうにか出来ないのか、ヘタレ」
「むかっ」
ヒサギはリスの世話を軽く言うヒイラギに詰め寄った。
「こいつがどんなに暴れ者か・・・分かってないな!?毎日設計図は破かれて、服も噛み切られるんだぞ!」
「はんっ、躾がちゃんとしてない証だな」
「むかっ
…
そんなに言うなら、父さんはコイツの事抑えられるのかよ?」
「ふんっ」
詰め寄るヒサギにヒイラギは鼻で笑った。
「俺は一国の王だぞ?そんな小物一匹位、一瞬でひれ伏させてやるよ」
ヒイラギは笑ったままリスへ視線を移した。
父の威厳もある。
ここでちょちょいとこなしてけば、しばらくは自分にはむかって来ないだろう。
ヒイラギはリスに手を伸ばした。
「はむぅぁ!」
「
……
いってぇええええええええ!!」
その瞬間、リスのクリティカルMA☆E☆BAがヒイラギの手に食い込み、城中に叫び声が響いた
…
その後、ヒイラギとヒサギが二人してサラの元へリスを届けに行った事は、言うまでもない
…
昔からそうだが
…
ヒサギは動物に嫌われている。
体に油や鉄の匂いが染みついているのかもしれないが
…
とにかく、一度も動物に懐かれた事がない。
だから、慣れている。
頬をべしべし叩かれたとしても
…
「いってぇし!やめろ、このねずみ!」
「ヂッ」
ヒサギが肩からリスを掴み取ると、リスは口を横に開き、カッと目を見開いて怖い顔をした。
…
可愛い顔が見る影もない。
ヒサギは溜息を吐くと、リスを地面に放した。
リスは地の感触を確認しつつ、近くの落ち葉で遊び出した。
ここは、裏庭。
…
いや、庭とはいかないが城の裏だ。
天気も良いし、リスの調子も心配ないようなので、ちょっと連れて来てみた。
それに、リスが城に来てから、この場所に来ていない事に気付いたのだ
…
ヒサギは母の部屋にあった花瓶の花
…
の一輪を『その場所』に置いた。
少し盛り上がった土の上には薄汚れた石が置かれている。
━━ピチの墓だ。
リスが来る前は毎日のように来ていたのに
…
「ごめんな
…
」
ヒサギは石の汚れを軽く払ってやった。
そして、横にも視線を移す。
真新しい盛り土と石が無数に並べられている。
最近作ったばかりの墓達だ。
ヒサギは一つ一つに花を置いていった。
一匹一匹の表情が脳裏に過る。
皆が苦しそうで、哀しそうで、痛々しかった。
ヒサギは手に持つ花を握り締め、俯いた。
━━一体、犯人は誰なのか
…
動物の命を奪い、エレンを怯えさせる
…
絶対に、絶対に許せない。
もし対峙出来るものなら、この手で
「ヂッ!」
「いてっ!」
━━ヒサギが心の中で決意を固めているにも関わらず
…
リスはヒサギの足をベシベシと叩いて来た。
ヒサギが足元へ視線を移すと、リスはどこからか拾って来たどんぐりをグリグリ押しつけて来ている。
地味に痛い。
「何がしたいんだよ、アレフかお前は」
あの無口も訳の分からない行動を無言でしてくる。
丁度、今のリスのように
…
ヒサギはクスリと笑い、リスを掴み上げた。
リスはジタバタせずにおとなしい。
大分傷も良くなってきた。
いや、完治したも同然か
…
たとえ森に放したとしても、もう自己治癒で大丈夫だろう。
ヒサギは目を細めた。
「
…
放してやるか」
○○○
ヒサギの肩や頭をちょろちょろしつつ、リスは周りの風景に興奮していた。
元の住処に帰って来た為か
…
それとも、傷が完治した喜びか
…
森に放すと決めてから数日、母サラとお別れの挨拶をしたり、父ヒイラギに別れのクリティカルMA☆E☆BAを繰り出したり
…
リスは城を後にするまで、寂しげな瞳をしていた。
しかし、今はどうだ
…
「
…
あっー、もうちょろちょろすんな!」
ヒサギが怒鳴っても、リスの高いテンションは下がらなかった。
リスはほっといて、ヒサギは辺りを見回した。
……
相変わらず、農国の森は静かだ。
ヒサギを警戒しているのかもしれないが、動物の気配がない。
むしろ、以前より背筋が寒い位だ。
リスを保護してから来ていなかったが、未だに犯人が何かしているのか
…
?
いや
…
それはない。
もし犯人が何かしていたのであれば、あのチビの女版フェルナンドが城に乗り込んでくるはずだ。
そのくらいはするはずだろう
…
あのチビは。
ヒサギが唸ると、リスがいきなり肩から跳ねた。
身軽な調子で木に駆け上がると、偉そうに鼻を鳴らす。
…
褒めろ、ということか。
「はいはい、完治完治」
ヒサギはクスリと笑い、リスを見上げた。
リスを怪我させたのは、自分だ。
だから本来はもっと丁重に扱わねばならないいのだが
…
リスの自然な様子を見ていると、そんな気もなくなってしまう。
リスもリスで、ヒサギの対応に不満があるわけでもないようで、誰に対しても同じ凶暴さを発揮している。
…
母は違うが
…
リスは満足したように木から下りてきた。
枝の先で跳ぶと、ヒサギの頭にジャストミートな着地を披露してくれた。
これは地味に痛い
…
…
ではなくて、
「お前、なんで戻ってくるんだよ」
「ヂッ!」
リスは怒ってヒサギの頭を叩くと、道の先を指した。
…
どうやら、自分で歩かなくて良い事に味をしめたようだ
…
なんと、わがままな。
ヒサギは溜息を吐きつつ、リスの重みを感じながら歩き出した。
しばらく歩くと、『あの場所』に辿り着いた。
いつも、エレンが座っていた、切り株だ。
今はいない。と少し安堵し、ヒサギは切り株の前に立った。
真上から日が差し込み、程よい風が流れ込んでくる。
木々が揺れる音がまるで胎動のように優しい。
…
なんだか、ここに立っているだけで神聖な気分になってきてしまう
…
やはり、この場所に合うのはエレンだけだ。
自分のような、心根が黒い奴には恐れ多いような気がしてくる。
ヒサギは溜息を吐くと、リスが切り株に飛び降りた。
リスはフフンと胸を張る。
…
いや、お前にも不釣り合いだから
…
ヒサギはリスに手を伸ばした。
刹那━━
森に戛然が響く。
ヒサギは思わず手を引いた。
切り株に矢が刺さっている。
何度も見た。
この矢は━━
考えを言葉にする前に、二発目の矢が飛んできた。
ヒサギは横に跳ぶ。
再び切り株に矢が刺さった。
リスは━━逃げたようだ。
さすがは野生なだけある。
危険な事は本能的に見分けられるらしい。
それに、
ボウガンの矢はトラウマだろう。
ヒサギはリスの逃亡を確認すると、矢の飛んできた方角へ目を凝らした。
また、一本。
そのすぐ斜め後ろに一本。
森と言う動きにくい場所だが、ヒサギは見事に矢を避けた。
普段から伊達に大剣を見切っているわけじゃない。
ザードの剣さばきは、この矢よりも速いのだ。
ヒサギは再び来るであろう、矢に備えた。
あの型のボウガンの矢は五本。
あと一本で終わりだ。
風を切る音が一瞬耳を突き刺す。
ヒサギは
鼻で笑うと、軽々と五本目の矢を避けた。
そして、六本目の矢が左肩に食い込んだ。
「つぁ
…
!」
ヒサギは衝撃により、背を木へぶつけた。
左肩が焼けるように熱い。
そして、焦れるような感覚に襲われる。
━━幸い、貫通はしていないようだが
…
一筋の鮮血が地面に染みを作る。
ヒサギは、力の入らない手で矢を引き抜いた。
激痛が走り、抑えられていた血がさらに流れ出す。
矢はある意味の栓をしていたようだ
…
しかし、抜かない事には動けない。
「良い姿だな
…
」
ヒサギが苦痛に顔を歪めると、何者かの足が視界に入ってきた。
近づいてくるのは分かったが、痛みと痺れで、それどころではなかった
…
そんなヒサギの状況を介さず、足は目の前で立ち止まった。
自分でも驚くぐらい、ゆっくりと顔を上げると、そこには見覚えのある人物が立っていた。
「お
…
ま」
「待っていたよ
…
ヒサギ王子様」
農国特有の動きやすい服装に、印象の薄い顔立ち。
そして、手にはボウガン。
「あの時の
…
」
「俺は、お前のの事前から知ってたよ」
男はヒサギの頬にボウガンを押し付けた。
「だって俺は
…
ずっと、エレンの事
…
見てた」
男はニィーっと口を歪めた。
「エレンは俺の、恋人だから」
ヒサギは痛みで大半を占める思考をフル回転し、目の前の男を思い出していた。
忘れるわけもない。
リスを打った時に、飛び出してきた男だ。
エレンも名前を呼んでいた。
確か━━
「エレンは言ってた
…
『テッドありがとう』『ずっと傍にいてね』『テッド、テッド』」
男はブツブツ何か呟いている。
様子がおかしい。
いや、そんな事はどうでもいい。
…
そう、こいつはテッドだ。
タイミングを図ったように、リスの現場へ駆け付け、リスを気にせず、ボウガンを構え
…
丁度今のような状態になったのだ。
先程の矢もテッドが打ったのだろう。
ヒサギが『犯人』なのだから
…
しかし━━
何故六発目の矢が飛んできたのだろう
…
確かに、『あのボウガン』の矢は五本が満タンのはずなのに。
矢を補充するにも、ロスタイムが発生するはずだ。
それに、テッドは予備の矢を持っているようには見えない
…
━━
分からない。
まさか素人のテッドが矢を神速で充填したわけでも、ボウガンを改造したわけでもないだろう
…
長年使い慣れた自分でさえ、時間がかかるし難しい。
ヒサギはそれ以上の思考が間に合わず、視線を移す。
ボウガンが光る。
そして、
理解した。
手入れのされたボディは扱いやすいように『改造』されていた。
確実に相手を捉える為に、軽量化も施され、色も『自分好み』に塗られている。
テッドの持つボウガンは、以前自分が落とした物だ。
リスを助ける際、置いていったのである。
あの時は必死でそんな事頭になかったが
…
いや、むしろ、今思い出したくらいだ。
ヒサギののボウガンは述べた以外にも色々と改造済みで、矢を10発連続で打てる。
あのザードにも使った、愛用品だ。
矢の速度も普通のよりも速いし、矢の充填も簡単にできる。
ヒサギは舌打ちして、テッドを睨んだ。
「それは
…
!」
「黙れよ」
ヒサギが言いかけると、テッドはボウガンの引き金を引いて遮った。
頬を切り、髪が切れる。
森に鈍い、戛然が響く。
頭上の木から、鳥の集団が飛び立った。
周囲に沈黙が流れる。
「ふ
…
ふふ」
テッドは眼孔を開き、腹を抱えた。
「
…
あ
…
はははは!いいザマだ!あははははは!」
「
…
狂ってやがる」
ヒサギが吐き捨てるように呟くと、テッドの動きが止まった。
周囲に『あの』殺気と同じ雰囲気が流れる。
テッドはギロリと視線を送ると、乱暴にヒサギの首元を掴み上げた。
「狂ってる
…
?ああ
…
狂ってるさ!この上ない位に!」
「っ
…
」
「エレンが訳の分からないこと言うんだ!俺じゃないって。好きな人がいるって!」
「━━!?」
「そんなのおかしい!おかしいよな!俺は、俺達はいつも一緒だったのに
…
だから思い出させやろうとしたのに
…
!」
テッドはヒサギから手を放すと、ふらりと後退りした。
後ろの木にどさりと背を預けると、自分の腕で身を包み、震えた。
「ピチが、ピチを死んで、俺達が、絆が深まって
…
でも、
あいつがいつもいつもいつも邪魔するんだエレンに近寄って笑わせて邪魔するな大嫌いだ俺とエレンは結ばれる為に生まれてきたのに二人の絆が薄まっていくんだイヤダイヤダエレンと俺は二人で一つなんだ思い出させなくちゃ」
テッドはにやつき、ボウガンに舌を這わせた。
「だから、お前と同じ事をした
…
」
「
…
まさか
…
!!」
ヒサギは悟った。
今回の
事件は━━
詳細は推測に依存するが
…
テッドはエレンの事が好きだった。
自分と同じように
…
儚げで、守りたくなる、彼女を。
しかし、話しかける事はなかった。
これは確実である。
先程『ずっと見ていた』と言った。
しかし、
エレンをずっと見てきたヒサギはテッドを一度も目撃していない。
恐らく、ヒサギとは別の場所から彼女を見ていたのだろう。
だからテッドは、ヒサギを『前から知っていた』のかもしれない。
いや、『知っていた』のだろう。
ピチがエレンの元にやってきて、そしてヒサギによって殺された。
テッドはそれを目撃していた。
それを含めての
『これ以上悲しませるな』なのではないか?
そして、
『お前と同じことをした』
ピチが死んで、テッドが言ったようにエレンと交流が深まったのだろう。
推測だが、慰める為に野菜等を差し入れしたのかもしれない。
とにかく、テッドはエレンと仲良くなれた。
しかし、エレンには『好きな人』がいた。
これはヒサギも知っていた。
テッドではない。
自分でもない。
エレンは、テッドの事を『友人』としか見ていなかった。
いや『知り合い』『顔見知り』かもしれない。
だから、自然と交流も『その程度』しか発展せずに、逆に薄まってきてしまった
…
ようするに、
『ピチが死んだ時が一番エレンと密接できた』のだ。
テッドは、エレンと昔のように、昔以上の関係になりたかった。
どうすればいいのか。
そして、一番簡単で、一番出してはいけない答えを出してしまったのだ。
『ピチをもう一度殺せばいい』
もう慰めるのは、テッドしかいない。
守るのも、テッドしかいない。
偶然にも、濡れ衣を着せるのに一番最適な人物もやってきた。
テッドはエレンの事を愛していた。
『あの少年』を自分だと思いこんでしまう位に、
そして
罪を犯して
動物達を殺してしまう位に
エレンを手に入れたかったのだ
…
━━
「お前が
…
動物達を殺した、犯人か
…
!!」
ヒサギは痛みを堪えつつ、叫んだ。
エレンを泣かせ、エレンを脅えさせ、エレンを
……
「同じじゃないか」
テッドは「ククク」と笑うと、首を傾げた。
「お前も、ピチを殺した。エレンの目を駄目にした。エレンを泣かせた。脅えさせた。
同じじゃないか」
「━━違う!」
ヒサギは声を張り上げた拍子によろめいた。
頭がガンガンとし、霞みがかかってくる。
血が、地面が、赤い水たまりに━━
「俺はエレンの事が好きだ。エレンも俺しかいない。でも、エレンはそれをすこーし分かってない」
「だ、黙れ
…
」
「お前はエレンを悲しませるだけだ。エレンを守るのは俺だけなんだ。エレンにとってお前は━━」
ボウガンの動きがスローモーションのように、ゆっくりと見える。
テッドの口元が歪んだ。
「邪魔だ」
テッドのボウガンから矢が連続で二発放たれた。
ヒサギは必死で身を捻って避けるが、一発が足を抉った。
悲鳴を上げる間もなく、地面に倒れると傷を負った肩に足を乗せられた。
「ぐっぁぁぁっ!」
「皆、みんな、エレンと俺を引き立てる、道具なんだ
…
死んだら、悲しむ。俺が慰める。そのための道具だ」
じわり、と涙が一粒流れた。
━━違う。
命に、道具なんてない。
…
皆、生きているんだ。
けして生きる事を諦めなかったピチだって、
自分の命を賭して産んでくれた母だって、
死ぬために、生きているんじゃない。
誰かの犠牲になる為に生きているんじゃない。
生きたいから、生きているんだ。
自分が決めた、自分の意思で、自分だけの命を生きる為に、生きているのだ━━
言い返したくても嗚咽しか出てこなかった。
テッドはその様子に目を細めた。
「かっこわる
…
」
軽蔑したような視線を送りつつ、テッドはボウガンをヒサギの頭に向けた。
「お前で、仕上げ。最高の仕上げだ。エレンの恐怖を消してあげる。エレンはこれで気付いてくれるよ。俺が、本当の、王子様
…
だって」
『ふふふ』とテッドは笑った。
ヒサギは動かない体を動かそうと、もがいた。
ざわざわと揺れる木々が耳触りで、意識を遠のかせる。
臭いからか視覚からか、吐き気もしてくる。
テッドはニコリと微笑んだ。
「さようなら」
「ヂッ!!」
その鳴き声はヒサギの思考を目覚めさせるのには十分な物だった。
その瞬間に体を抑える足が退けられ、ゆっくりとだが起き上がる事ができた。
視界に飛び込んできたのは、テッドの顔に何かが貼りついている様子だった。
物体は大きな尻尾を器用に動かし、けしてその顔から離れようとしない。
爪を立て、必死にしがみついている。
「こっ
…
のぉおおお!」
テッドは叫んだ。
力づくで顔からそれを引き剥がすと、地面に叩きつけ、ボウガンを放った。
「ギッッッ」
それは悲鳴を上げた。
しかし、テッドはさらにそれを踏みつけた。
「邪魔だ邪魔だ邪魔だ 邪 魔 だ !」
それの鳴き声は、けして止む事はなかった。
踏まれている痛みの叫びではない。
ヒサギには確かに聞こえた。
━━━逃げろ!
と。
「リスっぁぁあああああ!!!」
ヒサギは叫んだ。
確かに逃げたはずのそれの名を呼んだ。
ボウガンは怖かったはずじゃないのか。
人間の事が嫌いだったんじゃないのか。
もう戻って来ないはずじゃなかったのか。
生きたかったはずじゃないのか━━
ヒサギが叫ぶ間も、リスの声は続いた。
弱々しくなっていくが、
『逃げろ』と言い続けていた。
突然、
否、やっと
…
と言った方が正しいか。
その瞬間、リスの声が途切れた。
辺りに風の音が響く。
地面の枯れ葉が揺れる。
心臓が
破けそうなくらい高鳴った。
まるで時が何倍も遅く流れるように、テッドの瞳がゆっくりこちらを向いた。
ぞっとするくらい、淀む瞳はヒサギを離さず、そのまま矢を全て使いきったボウガンを投げ捨てた。
足元など気にしていない。
まるで何もなかったように、平然とこちらへと歩き始めている。
その姿にヒサギは
怒りよりも悲しみよりも、
恐怖を感じた。
テッドの顔に笑みが浮かんでいる。
汗一つかかずに、
まるで親しい友人の元へ行くように柔らかい表情で歩く。
ヒサギの体が硬直した。
━━どうして動けないのか。
━いつかだって、動けたではないか。
━━上手く立ち回れたではないか。
刹那、ヒサギの脳裏にあの声が蘇った。
ずっと叫び続けた、命の言葉
…
━━逃げろ!
リスが遺した声。
「っつ
…
!」
ヒサギの瞳から大粒の涙が流れた。
肩や足の痛みではない。
どうしようもなく、心臓が軋む。
「ご
…
め」
ヒサギが呟くと同時に、テッドの腕が伸びてきた。
しかし、ヒサギは力一杯にそれを振り払うと
走り出した。
走る体に激痛が走る。
まるで自分の体が鉛のように重い。
しかし、止まれない。
止まってはいけない。
リスは
自分を助ける為に身をていして、守ってくれた。
あんなにも嫌っていた、人間の為に
…
怖がっていたボウガンに立ち向かってくれた
…
しかし、
自分はこうして逃げる事しかできなかった。
たとえ負傷していたとしても、死ぬ気で突っ込んだら、助けられたかもしれないのに
…
自分がこんなにも意気地なしで、薄情で、弱いとは思わなかった
…
今までだってそうだ。
周りに文句ばかり言って、自分は何もしていない。
『何もしていない』のだ。
エレンの事も、もっと早くに、出会った時に勇気を出して話しかけていれば
…
━━
「つかまえたぁああああ!」
「!?━━うあっ」
その瞬間、ヒサギの視界が歪んだ。
全身が地面に叩きつけられ、肩からの血が前方に飛び散る。
もがく間もなく体を仰向けにさせられると、テッドが馬乗りにかぶさってきた。
「逃げるなよ
…
」
「ぐ
…
ぅ」
「すぐに楽にしてやるからさ」
言葉の穏やかさとは正反対に、テッドの手が凄い速さでヒサギの首を掴んだ。
対するヒサギも、テッドの手を剥がそうと爪を思いきり立てる。
しかし、首は徐々に締まり始めた。
━━ここで死ぬと、皆が死んでしまう
…
王族の掟で、次期王
…
跡継ぎが死ぬと一族全員も一緒に死んでしまう。
何故かは分からない。
でも、確かにその掟はある。
大嫌いだけど頼りになる父も、病弱でも優しい母も━━全て
…
それだけじゃない。
エレンだって危ない。
殺しを平気でするテッドに、何をされるか分からないではないか。
心に決めた。
エレンを好きになった時から、
エレンを悲しませてしまった時から、
エレンを守ると━━
なのに
…
自分は結局何も出来なかった
…
事件の犯人のテッドも止められず、
涙も止められず、
視界に映る、
脅えた表情しか、
出せてやれなかった
…
……
視界?
その瞬間、首を絞める力が弱まった。
「
…
な、にをしているんですか?」
その声に促されるように、ヒサギはかすれた瞳を凝らし、周りの風景を確かめた。
横には森の木々が揺れている。
しかし反対には、農国では当たり前の広々とした家が立っている。
家の周りには、花が植えられ、主が丹精込めて育てた事が良く分かる。
木製のテーブルの上には、ジョウロが置かれていた。
「エレン
…
」
ヒサギの上に乗るテッドは目の前の、家の住人エレンの名前を呼んだ。
…
確かに、切り株の場所からエレンの家までは真っ直ぐ道が続いている。
無意識に来てしまったのだろう
…
ヒサギが舌打ちをすると、エレンはビクリと肩を揺らした。
「て
…
テッド
…
?何を━
…
」
「エレンの恐怖をなくしてやってるのさ」
テッドはにこりと微笑むと、ヒサギを見下ろした。
まるで猫が捕まえた虫を眺めるように、肉食の動物が食い散らかした肉片を見つめるように
…
━━
瞳の奥は、凍りついていた。
「エレンはこいつ
…
ヒサギの事が、嫌いなんだろ?怖いんだろ?いなくなって欲しいんだろ?
俺、エレンのお願いなら何でも聞くよ。エレンの為なら
…
」
テッドは言い終わると、再びヒサギの首に手をかけた。
「見ててよ。きっとエレンも思い出してくれる。俺が好きだって」
「ぐっ
…
」
ヒサギは再び絞められた首に唸った。
先程よりも力は弱いが、逆に息が出来そうで出来ず
…
それが苦しい。
エレンは震えている。
何か言いたげで、しかし、何もしない。
身動きも出来ない様子だ。
ヒサギは息の出来ない苦しさの中、絞り出すように声をだした。
「に
…
」
エレンの体がびくりと動いた。
「
……
げ」
足が一歩後ろに下がる。
ヒサギは微かに笑った。
脳裏にリスの姿がかすめる。
きっと、あいつも
…
━━
「に
…
げ
………
ろぉ
…
!!」
ヒサギは力一杯に叫んだ。
今なら、リスがどうして飛び出してきたか分かる。
『助けたかった』のだ。
理由なんてない。
ただ、それだけだったんだ
…
自分はエレンを守りたかった。
好きだからとかそんなカッコいいことではなく
エレンの笑顔が見たかった。
それだけだ。
日の下で、声をだして笑っていてほしかった。
ヒサギは思う。
当たり前の事で笑い、頷き、触れ、楽しむ
…
そんな当たり前で平凡、
だけど優しい毎日が
…
やっぱり、
一番
エレンらしい━━━
刹那、
体がふわりと軽くなった。
一瞬浮いたかと思ったが、微かに見えていた腹の上のテッドがいなくなっている事に気付くのに、数秒かかった。
ヒサギは首だけで辺りを見回し、テッドを探した。
エレンが驚いたように固まっている。
特に被害は受けていないようだ。
森を見る。
特に変化はない。
力の入らない体を動かし、頭を向けていた方向へ上半身を捻った。
すると、
そこに、テッドはいた。
ただし倒れている。
…
いや、伸びている、と言った方が適当か
…
さらに、横にはテッドの横に足を乗せた人物までいた。
状況を判断するには、全身の痛みのせいで脳の思考力が鈍く、何も分からなくなっていしまう。
ヒサギは苦し紛れに唸った。
「大丈夫ですか!?」
唸ると同時に、次は足の方向から声が響き、隣に人が現れた。
「い、今応急処置しますから!」
そう言って、ハンカチを取り出したのは見覚えのあるチビ
…
いや、シルヴィーだった。
少し震える手でハンカチを肩に当てる。
激痛が走るが、我慢した。
ハンカチの上から、長い布が巻かれた。
どこから出したのか
…
と思うと、シルヴィーの後ろにアテナが立っていた。
恐らく腰に巻かれた布を差し出したのだろう。
そのまた横には、ぴゅうぴゅうとよく分からない声を出すカリンがアテナにくっついていた。
視線をテッドに戻すと、
先程足をかけていた
…
言わずもがな、ザードがテッドの襟首を持ち、何かを問い詰めている。
…
推測だが、ザードはテッドに飛び蹴りを喰らわしたのではないだろうか
…
テッドの体に足跡がくっきりのこっている。
飛び蹴りは良いが、首を持ったままテッドが吹っ飛んだらどうするつもりだったのだろうか
…
溜息を吐くと、ヒサギは頭をポンポンと叩かれた。
叩いた人物が横を通り過ぎると、テッドの前で止まった。
興味のなさそうな瞳で相手を見つつ、微かにその声は聞こえた。
「
…
無様だね」
テッドより、冷たく淡々としたその表情。
一緒だと思っていた、アレフはテッドよりも遥かに恐ろしかった。
「今日は私達三人でエレンさんの元に行こうってことになってたんですよ。で、途中でサルゴン様達に会って
…
皆さんヒサギ様に会いに行ったけどいなかったとかで
…
農国まできたそうです」
━━そこで、今の状況に出くわしたと
…
ヒサギは後の話を聞かずとも、理解した。
結果的には、都合良く助けてもらえた
…
と言う事だ。
「サルゴン様!!」
ヒサギが何度目かの溜息を吐いたところで、エレンが走り出した。
視線を向けると、先にはサルゴンがいた。
エレンは迷わずサルゴンの胸へ飛び込むと、顔を埋めた。
「こ
…
怖かったです
…
凄く
…
凄く」
「
…
うん」
ヒサギはゆっくりと二人から目を逸らした。
エレンが笑顔でいられるように、自分はここまでやってきたのだ。
だから、これでいい。
エレンの幸せの為ならば
…
「エレン」
サルゴンはエレンの頭を優しく撫でると、肩に手を乗せた。
そして、
体を引き離した。
エレンは急な事に一瞬言葉が出てこなかった。
「エレン」
サルゴンはエレンの肩から手を離すと、真っ直ぐにエレンを見つめた。
その表情はいつもの穏やかで優しい物なのだが
…
何かが違っていた。
「どうして、助けなかっただ?」
「
…
え?」
「ヒサギの事」
相手からの思わぬ言葉に、エレンは固まった。
それでもなお、サルゴンは言葉を続ける。
「目の前で、首を絞められてたべよ
…
オラ達が来てなくちゃ、死んじまうとこだったべや」
「
…
でも
…
私、目が」
「んなこと関係ねべ」
エレンは最後の言葉で、ビクリと体を揺らした。
その場は不思議な威圧感に包まれている。
一同の動きも止まっていた。
「目が見えないのは、そりゃ言い訳け。足が悪くたって、耳が悪くたって、助けようと思えば、助けられるべよ」
「でも
…
」
「エレン、オラからほんとは言いたくねけど
…
」
「サ━」
「もう一人で何でもできるようになってくれ」
後方から風が吹く。
けして、冷たくはない。
だが
とても寒かった━━
エレンは泣きそうな表情で首を振ると、よろけるように、後ろへ後退った。
木の枝の折れる音が妙に響く。
動物達は肩をすくめ、
森はなお、揺れている。
その様子に目を離さず、サルゴンは森のように静かに言葉をつづけた。
「エレンだって
…
もう、大人だべさ。いつまでも人に頼ってばっかじゃ、駄目だと思うけぇ
…
エレンはその気になれば街にも行けるし、走り回る事もできるでねか。ただ、それを、やらないんよ
…
な、エレン
…
お願いだ、一人で━━」
「黙れ!!」
森の静けさを、一人の叫び声が突き破った。
一同の視線がその人物に集まった。
「黙れよ
…
!」
「ヒサギ様、立っては
…
!」
周りの制止を無視し、声を荒げる人物
…
ヒサギはふらりと立ちあがった。
本来ならば、声を出すのも精一杯のはずだ。
それにも関らず、ヒサギはサルゴンを睨みつけている。
「エレンは
…
!
っ
…
エレンは、どんな気持で
……
お前は考えた事あるのか
…
エレンの気持ちを!?」
ヒサギはぐらりと体をよろめかすも、気力でなんとか持ちこたえた。
「
…
いつも、エレンは一人だったんだ
……
だからお前を待っていたんだよ、一人で
…
」
自分でも気付かず、ヒサギの頬を涙が流れていた。
ヒサギは、ずっと見てきた。
エレンを。
目が弱く、人並みに働けず、周りの住民からは陰口を言われていた事も知っている。
エレンは、動きたくても、動けなかったのだ
…
周りが、エレンを弱虫にした。
弱虫なエレンが周りを拒否した。
きっと、エレンだってこれでは駄目だと思っていたのだろう。
だから━━━
…
「
…
助けて欲しかったんだ、頼りたかったんだ、お前に
…
なのに、突然手を離して、見放すなんて
…
」
空に鳥の群れが羽ばたいていく。
その後ろに、離れて飛ぶ一羽がいた。
怪我をしているのか、飛び方がおかしい。
距離はどんどん離され、一羽は、とうとう、
はぐれてしまった
…
ヒサギは目を細めた。
こうなってしまったのは、エレンの目を見えなくした自分にも原因がある。
だから、こんな事を言う資格等ない。
しかし、ヒサギは、どうしても言いたかった
…
エレンの為に━━
「どうして、お前はエレンに手を差し伸べたんだよ。こんなのひどいじゃないか。なあ
…
途中で見放すくらいなら
…
最初から、
━━優しくなんかするな!馬鹿!」
ヒサギが叫んだ瞬間、森の木々が騒々しく揺らいだ。
動物達はブルリと震え、周りの一同はそれぞれの服や髪を押さえた。
同時に、ヒサギの意識は一気に白んだ。
ぐらぐらと視界が歪み、見ているだけで吐き気がする。
体に染み付く血の臭いと共に体がフッと軽くなり、地面が目の前に迫ってきた。
気力も、どうやら、ここまでのようだ
…
周りの声が遠くに聞こえ、突然、プツリと、
途切れた━━━
━━━
……
。
ヒサギはいつの間にか森の中を歩いていた。
周りはぼんやりと霞み、足は覚束ない。
━━これは夢だな
…
ヒサギはゆっくりと、しかし、はっきりと理解した。
確かに肩も足も痛くない。
むしろ血も出ていなかった。
ヒサギは目の前の草をかき分けると、あの切り株に辿り着いた。
光が一点に射しこんでいる。
まるで舞台のように
…
切り株の上には、ピチが座っていた。
ちょこんとしたその姿は、思わず顔が綻ぶような可愛さがあった。
ヒサギが一歩進んだ時、
後ろから子供の声と、足音が聞こえてきた。
振り返ると、そこには手を引く少年とエレンが見える。
『昨日ね
…
でね』
『うん
…
ははは』
『
…
綺麗だった』
『楽しそう
…
今度』
『うん!』
二人は笑っている。
楽しそうに
…
少年は優しく手を引き、エレンは嬉しそうに握り返している。
川遊びも、果物狩りも、鬼ごっこも、たくさん二人は遊んでいる。
とても、幸せそうだった。
━━その瞬間、ピチが鳴いた。
ヒサギが瞬きをすると、次の瞬間にはエレンは大人に成長していた。
しかし、そこには少年の姿は見えない。
エレンは一人だった
…
ヒサギは一歩踏み出そうとすると、エレンの隣にテッドが立っていた。
テッドはにっこり笑うと、騒がしく話し始めた。
『牛がな
…
でさ』
『うん』
『大変だったよー』
『うん』
『でな
…
だってさ』
『
…
ふふ』
『やっと笑った!』
エレンがクスリと笑うと、テッドは嬉しそうに万歳し始めた。
そして、続けて話し始める。
エレンの表情は少しずつ和らいだ。
テッドの笑顔も明るくなっていった。
━━ピチは再び一声鳴いた。
すると、そこには誰もいなくなっていた。
ヒサギは切り株に歩み寄ると、ピチの前に立った。
━━
…
なあ。
ピチは瞳を閉じた。
━━
…
誰も悪くないのか?
ピチは動かない。
━━皆、エレンの事が好きだったんだよな
…
ピチは
━━幸せになって欲しかったんだよな
…
ピチは泣いているヒサギへ顔を向けた。
少年もテッドもエレンに笑って欲しかった。
それだけだったんだ
…
だから二人は、エレンの為に行動した。
しかし、自分は
…
その時、頭に何かの重さが加わった。
「ヂッ」
リスだった。
憎たらしい位、可愛いその姿。
変わらぬ仕草でヒサギの頭を叩き始めた。
「ヂッヂッヂッ!」
リスの声は、まるで自分を叱るように聞こえた。
「ヂッ!」
肩に跳び移ると、最後に大きな声を出し、リスはヒサギの耳を
思いきり噛んだ。
「いてっ!!」
ヒサギが飛び起きると、そこは見慣れた自室のベッドの上だった。
部屋はリスを放しにいった『あの日』から変わらず、嵐が起きた様に散らかっている
…
外も青い空が広がり、雲一つない。
ヒサギは夢で噛まれた耳へ手を当てたが、なんともなく、むしろ上げた肩が痛かった。
何が起きたのか━━
…
よく思い出し整理する。
リスを放しに行った。
矢が飛んできた。
肩に刺さった。
テッドが来た。
テッドが今までの犯人。
そして、
リスが庇ってくれた。
エレンに出会い、
ザードが蹴りしてきて、
エレンがサルゴンに駆け寄って、
……
━━━。
そうだ、サルゴンに俺は
…
ヒサギは俯き、拳を握った。
サルゴンには酷い事を言ったかもしれない。
しかし、本当の事を
…
エレンの為に言ってやったのだ。
エレンにとっては迷惑だったかもしれない。
でも、言いたかったんだ
…
「ごめん
…
エレン
…
サルゴン」
その瞬間、部屋のドアは開いた。
○○○
「
…
大丈夫でしょうか
…
?」
「何とも言えませんね」
「キュウ
…
」
━━
…
農国の事件から一週間
…
倒れたヒサギは急いで工国へ運ばれ、治療を受けた。
テッドはザードから一回逃げたのだが、あえなく捕まり、ジャージ姿の人物に知国へ連れて行かれた。
そのジャージ男をサルゴンが『デューン』と呼んでいたので、恐らくは知り合いなのだろう。
それから、ヒサギはまだ眠っている
…
今日は王子達の定例の会議の日なので、一同は見舞いがてら工国へやってきた。
が、女の子達は会議やらヒサギの加減がどーのこーのと兵士に言われ、入れてもらえなかった。
「ザード様、ちゃんとお花渡してくれますかね
…
?」
「アレフ様も
…
頑張って摘んだお花
…
」
「
…
あの二人ですからね
…
期待しない方が良いかと」
アテナとカリンは顔を見合わせ、ションボリ俯いた。
先程から、二人はヒサギの心配というより花の心配をしている
…
シルヴィーは何も見舞いの品を持ってこなかっただけにちょっと気まずかった。
余談だが、
花を託されたアレフは城に入った瞬間、使用人に花を渡してサラ(ヒサギ母)用にしてしまった。
ザードは起きていたヒサギを見た瞬間、投げつけた。嬉しかったらしい
…
シルヴィーは溜息を吐き、ヒサギが言っていた事を思い出していた。
エレンはサルゴンを頼りたかった
…
エレンは待っていた
…
それって
…
シルヴィーは首を振り、城から背を向けると広場の向こうから歩いてくる不審な人物に目を止めた。
混雑する中、人を避けようとせずフラフラと歩を進めている。
文句を言われても、ワンテンポ遅れて頭を下げていた。
ゆっくりとだが、確実に近づいてくる人物を誰か特定するのに、そう時間はかからなかった。
「━━
…
エレンさん!?」
シルヴィーは驚きのあまり声をあげてしまった。
歩く人物はピクリと反応すると、立ち止まり辺りを見回した。
広い場所では声の出場所が特定できないのだろう。
シルヴィーは人物
…
エレンの元へ走り出した。
「エレンさん!」
「
…
シルヴィーさん
…
?」
エレンの元へ辿り着いたシルヴィーは息を切らせて、相手をキチンと確認した。
いつもは綺麗なマーメイドドレスが少し汚れている。
ここまで歩いて来たのかもしれない
…
それに笑顔も少し疲れている。
「
…
良かった。会えて」
エレンは微笑むと、シルヴィーの頬に触れた。
エレンなりの確認のようで、触り終わるとゆっくり頷いた。
「エレンさん!?」「ふぇ
…
どうしてここに
…
?」
後ろから、遅れてアテナとカリンがやってきた。
目を丸くして、エレンを見つめている。
一同がエレンに驚くのも無理はない。
エレンは目が見えないのだ。
一人では、外出するのも難しいはずである
…
その彼女が目の前に、工国の城の前にやってきた━━
…
「皆さんが、工のお城に行ったと聞きまして
…
」
エレンは水仙
…
サルゴンの母が皆の場所を教えてくれたと説明してくれた。
それを聞いて、行き方も分からずやってきたそうだ。
エレンは苦笑を浮かべた。
「やっぱり、一人で行動するのは
…
大変ですね」
途中、人に行き方を聞いたりしたが何度か迷ってしまったらしい。
早くに出発したはずだが、気がついたら太陽が天高い
…
「どうして、そんな
…
」
「
……
」
シルヴィーが眉を顰めると、エレンはゆっくり一同に顔を向けた。
「皆さんに━━謝りたくて
…
」
エレンは目が見えない。
だから、誰かがいつも助けてくれた。
そして、
自分では、何もしなくていいようになっていた━━
…
昔から、手を引いてくれる人がいて、ずっと守ってくれるものだと思っていた
…
でも、
あの人は離れていって、
自分は一人になってしまった。
ずっとずっと、あの人がいてくれたから歩けていたのに、いなくなってしまった
…
一人でなんか歩けなかった。
だから、戻ってきてくれる事を願って、待ち続けていた
…
ただただ、待ち続けた。
でも、戻ってきてはくれなかった。
事件が起こって、手を引いてくれる人が来てくれた。
テッド
…
テッドは自分の事を好きだと言ってくれた。
自分の全てが好きだと言ってくれた。
だから、何もしなくていい、と言われた。
それは、
自分が望んだ事のはずなのに、
ずっと傍にいてくれて、
手を引いてくれるということなのに
…
何かが違っていた。
「私は何も出来ない
…
人にやってもらわなくちゃ、歩くことさえ出来ない
…
そう思っていました。
でも
…
でも私は
…
料理も花の水やりも、掃除も
…
出来るんです。
━━些細なことですけど、私は出来るんです」
やることは、難しいかもしれない。
しかし、出来ない事はないのだ。
それは、
ピチと出会い、知っていたはずなのに
…
ピチと光を失い、目を背けてしまった。
ツライ、現実から━━
…
「サルゴン様に言われて、気付いたんです。私は、逃げてばかりだったんだって
…
何も『しない』子だって
…
」
エレンは見えない瞳を開け、シルヴィーを見つめた。
灰色に濁った瞳は、不思議と一同を魅了した。
「シルヴィーさんを見て、私、決めました。
一人で、生きていけるようになる
…
って。誰にも頼らず、強くなるって
…
」
「エレンさん
…
」
「私も頑張ります。だから、シルヴィーさんには一つだけお願いがあるんです」
「え?」
「
……
幸せになってください。たくさん、愛してください」
エレンは微笑んだ。
「」
「皆さんには御迷惑をおかけしました。またね機会があったら
…
家に遊びに来てください
━━長々とすみませんでした。言いたかったのはそれだけなんです。失礼しますね」
エレンはその瞬間、踵を返すと走り出した。
後ろから三人が制止する声が響く。
しかし、エレンは止まらなかった。
アテナは隣のシルヴィーの肩を濡らした。
「シルヴィーさん、どうしましょう?!」
「あの
…
エレンさんは、これじゃ
…
」
「う、私も何が何だか
…
━━え?」
その時、
うろたえる三人の横を一人の影が走りぬけた。
少し足を引きずりながら、しかし必死にエレンの背中を見ている。
上着を着ていない為、一瞬誰か判断が出来なかったが━━
「━待てよ!」
「
……
━━」
「
…
俺は
…
俺は絶対に一人になんか、させないんだからな!ばかっ!」
「
……
」
エレンはゆっくりと足を止めた。
その後ろに、足を引きずる青年が立っていた。
「
…
貴方は
…
」
「
……
ヒサギ。ヒサギだ。工国の王子の!」
青年
…
ヒサギは息を整え、エレンの背を睨んだ。
「俺は
…
見てきた。お前の事を
……
誰よりも、頑張ってる姿を」
「頑張ってなんか
…
」
「何度こけても泣かなかったじゃないか!」
ヒサギはエレンの言葉を遮り叫んだ。
「人に何を言われても、笑われたって、負けなかったじゃないか
…
一生懸命、がんばったじゃないか!」
「
…
それは━━」
「一人で頑張る必要なんか、ない」
エレンはハッとした様にヒサギの方へ振り返った。
ヒサギは一瞬口籠るが、何かを決意した様に続けた。
王子であるヒサギは国の将来を背負っている。
だから、誰よりも上にいなくてはならなった。
それは、他の王子も同じで皆が皆『一人の戦い』があった
…
王子五人はいつも一緒にいた。
それはツライのは一人だけではない、と無意識に確かめる為だったかもしれない。
しかし、それ以上に五人は家族のようで、親友でもあった。
それは今も変わらない。
ヒサギは昔から泣き虫で、いつも周りに助けられていた。
怖い時にはザードに守ってもらって、泣いている時にはサルゴンが涙を拭いてくれた。
具合の悪い時はアレフが手を引いてくれたし、悩んでいる時にはフェルナンドが話を聞いてくれた。
いつも、皆に手を貸してもらっていた
…
しかし、自分からは何もしてやれなかった。
ただ迷惑ばかりかけていた
…
そんな自分が、いつしか嫌いになっていた━━
「でもな
……
この前気付いたんだ。俺には、いや
…
他の奴らには出来ない、俺にしか出来ない事があるってことにさ」
ヒサギは工国の王子。
当然、物を加工し『造る』事には長けてた。
農国の元のままでは食べられない物は加工してこそ食べれるようになり料理ができる。
鉄を形にしなければ武国は何も守れないだろう。
何もないわけではない。素がなければ創国は何も生み出せない。
本も書く道具も知国は全て頼りきっている。
「俺がいるから奴らの特性が生きる。奴らがいるから、俺がここにいれる
…
どれが欠けても駄目なんだ。俺もあいつらもそれぞれがそれぞれを頼ってんだよ」
ヒサギは力強く前に進むと、
エレンの手を握った。
「一人で出来ない事はたくさんある。でも、そ、それ
…
それは、当たり前のことなんだ。恥ずかしい事なんて
…
ない」
ヒサギは微かに震え、俯きつつ言う。
顔は真っ赤でまるで茹でダコのようだが、言葉ははっきりとしている。
「一人で、駄目なら
……
い、一緒にがん、頑張ってやるから!!!一緒にやってやるから!俺ばなゃがが」
語尾は緊張し過ぎて何を言いたいか分からないが
…
ヒサギは
「━━エレンと一緒に、俺も一緒に歩いてやるから!!」
最後に思いきり叫んだ。
広場に静寂が流れた。
当然だ。
突然に声をあげたのが、国の王子なのだから。
一同が一斉に二人へと注目した。
広場の中央が舞台のように、空間が出来ている。
空の雲は光をその場に射しこませた。
エレンはしばしの沈黙の後、小さく呟いた。
「
…
ごめんなさい」
「jol;iえぅうあえ!?」
エレンが俯くと、ヒサギは言葉にならない声を出した。
告白して数分、いきなりフラレてしまった
…
━━と、思いきやエレンはゆっくりと言葉を続けた。
「私は、貴方に謝らなければいけない事が
…
沢山あります」
エレンは語尾を小さくした。
「酷い事も言いました。犯人だって
…
疑いました。━━
…
あの時も、助けられませんでした」
「それは
…
」
「だから、貴方に優しくされる資格なんてないんです」
エレンはヒサギの手を解き二、三歩下がると再び背を向けた。
…
遠くの荷馬車が音を立てて走っている。
市場の声が響く。
この国では、
無音と言う物は
到底無理のようだ━━
「
…
お、俺は」
ヒサギは遠くの喧騒に耳を傾けながら、絞り出すようにエレンの背に話し始めた。
エレンは
震えている。
「俺は
…
エレンの事が
…………
好きだ」
「
……
」
「どこがとか、どうして
…
とか
…
それは、分からない。けど
…
初めて、エレンを見た時に
…
エレンは、笑ってた。
エレンの笑顔が、もっと見たいんだ。
もっと幸せになって欲しいんだ。
それが
…
傍にいたい理由じゃ
…
優しくしたい理由じゃ駄目なのか
…
!?」
ヒサギはズンズンとエレンの歩み寄ると、前に回り込んだ。
「ピチやリスの時みたいに━━俺はもう、逃げない。絶対に
…
どんなに怖くても、俺はエレンの傍にいたいんだ」
ヒサギの体は
言葉に反して震えていた。
広場に緩やかな風が吹く。
空は少し雲が多くなってきた。
人々は息を飲み、舞台の中心へ視線が釘付けになっている。
ふわりと
二人の髪が揺れた。
「
……
私は、貴方の事
…
何も知りません」
エレンは俯いたまま、呟く。
けして、ヒサギの事は見ず━━
しかし、
ヒサギはそれでも強く言葉をつづけた。
「これから知ればいいじゃないか」
「
…
私の事も、知りませんよね」
「それも━━
…
教えてくれればいい!」
目の見えないエレンには分からなかったが、ヒサギの顔は必死で真っ赤に染まり、見ている方が恥ずかしくなってきてしまう位だった。
ヒサギは、首をブンブンと振り、少し頭を冷やそうとした。
が、あまり変わらない。
「俺は
…
!」
「私は、好きじゃないですよ」
ヒサギは『うっ』と唸り、後退りした。
━━確かに、
エレンにしてみれば、ただのストーカーまがいなヒサギである。
名前だって、最近知ったばかりで、今まで恐れていた人物だ
…
それなのに
…
ほぼ初対面で告白されても、困ってしまうかもしれない。
空の太陽に雲がかかり始めた。
風が少しずつ冷たくなり始め、地面に落ちるチラシがカサカサと鳴る。
人々は先が読めたように、目を逸らしチラホラと広場を立ち去り始めた。
後ろで見ているアテナとカリンはお互いに手を取り合うと、怖いのか
…
目を閉じてしまった。
シルヴィーは緊張した様に見つめ続けている。
城の門前ではそれぞれの体勢で王子達が二人を眺めていた。
二人の間を風が通れぬけた。
頭上は強い風なのだろう。
鳥も飛んでいない。
雲が速く流れ始めた。
「でも」
ヒサギがゆっくりと瞬きをすると、エレンの静かな声が響いた。
さわさわと枯れ葉やゴミが地面を擦る音がする。
エレンは髪を押さえながら顔を上げた。
「でも、これから
…
『ヒサギ』様と
…
一緒にいても、よろしい
…
ですか?」
エレンの笑顔は
雲の隙間から射した
太陽のようだった━━
「
…
あ」
ヒサギは咄嗟の言葉が見つからず、口をぱくぱくと動かす事しかできなかった。
目は一点に定まらない
…
エレンはその様子を勘づいたのか、再び微笑んだ。
「私は、ヒサギ様の事を
…
何も知りません。過去も、今も
…
」
風が止むと、一斉に鳥が空へ飛び立った。
羽音は力強く、けたたましかった。
「ヒサギ様だって
…
私の事、何も知らないです
…
私、ヒサギ様
…
いえ、皆が言うみたいに良い子じゃないんですよ
…
わがままで、子供っぽいですし」
エレンは見えない瞳で空を見上げると、軽く息を吐いた。
雲は風に流され、全て彼方にある。
「
…
駄目ですね。さっき決意したばかりなのに
……
」
ヒサギの耳には、遠くの喧騒も聞こえなくなっていた。
ただ、一つ、
エレンの声しか入って来ない。
エレンしか目に入らなくなっている。
ヒサギはこちらへ顔を向けたエレンに、魅入った。
「ヒサギ様の事が好きになってしまいそうです」
ずっと考えて、
一人で生きると決めたばかりなのに
…
シルヴィーにも言いに来たのに
…
テッドの『全て』ではなく
サルゴンの『一人』でもなく
『一緒に歩こう』
そのヒサギの言葉は、
とても暖かく深く胸に染みこんだ。
決意が一気に崩れそうになってしまう。
否━━
「すぐに気持ちが動いてしまうなんて
…
私、駄目な女ですよね」
すでに崩れてしまっていた。
エレンは手で目を擦り、笑った。
「都合のいい女とか、どう思われても結構です
……
でも
…
私
…
私
…
やっぱり、一人は嫌です
…
!」
その瞬間、
エレンの体が引かれ、抱きしめられていた。
心臓の音がうるさく響き、少し震えている
…
触れる体は熱を出したように熱い。
「ば
…
馬鹿!」
抱きとめた
…
顔を真っ赤にしたヒサギはどもりながら叫んだ。
「い、嫌なら、言うな!馬鹿!バカバカ馬鹿!」
「
…
ヒサ」
「誰だって、そんなのは
…
嫌に決まってるだろ
…
!
━━━馬鹿野郎
…
」
エレンはゆっくりとヒサギの肩に顔を顔を埋めると、静かに頷いた。
○○○
ヒサギとエレンの事は、次の日もその次の日も
…
新聞に載る事はなかった。
それは何故か。
王子のプロポーズ等なら支障なく新聞に載せられるのだが、ヒサギは何も言わなかったのだ。
エレンに『一緒に歩こう』とそんな事しか言っていない。
だから、プロポーズでも婚約でもないのだ。
━━告白はしていたが
…
そこは二人の今後を配慮して、フェルナンドが報道を止めてくれたらしい。
確かに、ヒサギとエレンはお互いにかけがいのない存在となった。
しかし、それは恋人としてではなく『パートナー』としてであり、けして将来を約束したわけではない。
『恋人未満友達以上』
そんな言葉が二人にはぴったりだ。
だが、
今はそれでも、ヒサギとエレンには十分だった。
共に歩ける『パートナー』がいる。
傍にいてくれる。
一緒に笑ってくれる。
独りではない。
今は、
今はこの胸の温かさだけで、十分だった━━
○○○
森の木々は揺れた。
すでに以前の命の息吹も戻りつつあり、不思議と明るい雰囲気が森を包んでいた。
「ここのはずなんだ
…
」
ヒサギは土を踏みしめると、辺りを見回した。
「
…
矢は、まだあるみたいですね」
後ろからやってきたエレンは切り株に刺さるボウガンの矢に恐る恐る触れると、眉を下げた。
ヒサギは『あの場所』に戻ってきていた。
エレンと出会い、テッドと戦い、リスと別れた場所へと
…
あれから━━
色々なゴタゴタでここで起きた事も忘れかけていた。
リスがいなければ、
今の自分も
…
エレンも隣にいないだろう。
だから、せめて自分の手で土に返してやりたかった
…
しかし、
どこを見回しても、リスの姿はなかった。
鳥が木から飛び立つ。
横に何かの影が横切る。
もしかしたら、
『仲間』が後を任されてくれたのかもしれない。
「ヒサギ様、如何ですか
…
?」
「
……
いや」
エレンには、事の全てを話してある。
事が事なだけに少し躊躇われたが、それでも『事実』を知って欲しかった。
今回、リスを思い出せたのも、エレンに話したからだ。
全ての事実をけして言い返す事もなく、エレンは静かに聞いてくれた。
そして、
ヒサギもリスに会いに行く勇気を持てたのだ。
「いないな
…
」
「そうですか
…
」
エレンは少し寂しそうな表情をして、続く言葉を一生懸命さがした。
しかし、
「大丈夫だ」
エレンが言う前に、ヒサギは口を開いた。
木の上を小さな影が走っていく。
風は心地良く頬に触れた。
「アイツは、大丈夫だ」
「え」
動物達の息使いへ耳を傾けながら、
ヒサギは笑った。
「あんなしぶとい奴が、そう簡単にくたばらねぇよ。きっと、
仲間の所へ帰れたさ」
そして、きっと、
きっと笑っている━━
ヒサギの声には、嘘も迷いもなかった。
「そうですね」
エレンは微笑むと、ゆっくりと空を見上げた。
ヒサギから、ピチの事も聞いた。
そして、殺されてきた動物達の事も
…
ヒサギの犯した罪は重いかもしれない。
しかし、
エレンはそれでも、
ヒサギを許してしまおうと思っていた。
ピチは、
きっと、空へ帰れたのだろう。
「ヒサギ様」
「
…
なんだよ」
エレンが呼ぶと、ヒサギはワンテンポ遅れて返事を返す。
いつもそうだ。
きっと、顔を赤くしているのではないだろうか?
それがヒサギ。
毎日、新しいヒサギを知っていく。
「ヒサギ様は、何かを作るのが、好き
…
なんですよね?」
「ん
…
あ、まあ
…
そうだよ」
「私も、何か作るの好きです」
エレンは料理が好きだった。
花を育てるのも好きだし、動物も好き。
毎日ヒサギの事を知るように、少しずつ自分の事も話している。
「あと
…
」
エレンは言おうとした事を止めて、笑った。
「な、なんだよ?」
「私、食器を集めるのも好きなんです」
あの人は
『行ってみるといい』
そう言った。
目は見えないから行けない。
それは言い訳かもしれない。
でも、
あの人にも、きっと素直にこう言えば良かったのかもしれない。
否、
言わなかったから今言えるのか
…
言わなかったから、
かけがいのない人に出会えた。
エレンはヒサギの手をとり、微笑んだ。
「ヒサギ様、一緒に行って欲しい場所があるんです。
ヒサギ様と一緒に
…
二人で行きたいんです」
顔を赤らめたヒサギと微笑むエレンは森の暖かい風に祝福されていた━━
○○○
空は青く、雲がゆっくりと流れている。
フェルナンドは休憩のティータイムにも書類を持ち込み、眺めていた。
…
先日のヒサギの事だ。
『アレ』はプロポーズと正式には見なさなかったが、周囲の人々はすでに『婚約』と噂している。
話を聞く限り、相手の娘はまだヒサギの事を『婚約者』と見ていないようだし
…
フェルナンドは溜息を吐いた。
ただでさえ沢山の仕事を抱えているのに、どうして人の恋路まで手助けしなければならないのか
…
今まで四人を見てきたが、自分だけで突き進んで、後始末等は全てこちらがフォローしている。
昔から慣れてはいるが
…
全くもって迷惑極まりない。
…
まあ、文句を言いつつやってやる自分も極度のお人好しだが
…
「うぉぉおおフェルナンドォオオ!」
フェルナンドは再びふかーーいため息を吐くと、視界にいつも通りユラが現れた。
手には何故か古くてぼろぼろのティーポットを持っている。
「なんだ、骨董品と言われてゴミを売りつけられたのか?」
「ちがーーう!これはな、大発明なんだぞ!」
ユラは『ふふん』と鼻を鳴らすと、ティーポットの底をカップの上にかざした。
フェルナンドが訝しげに眉を顰めると、ユラはどこからともなく砂糖の大袋をとりだした。
砂糖がティーポットに注がれる。
砂糖は
ポットの底から出てきた。
「
……
」
「どうだ!この前お前がポットに入った砂糖使いにくいとか言うから、俺が使いやすい方法を考えてやったんだぞ!」
「
………
」
「まずなー、ポットの底に大きな穴を開けるだろー。そしたら、砂糖を入れるだけだ!簡単だろ!」
「
……………
ユラ」
フェルナンドの言葉にユラは満面の笑みで続きを待った。
フェルナンドは
「これなら、ポットを介さず
……
砂糖を直接入れた方が早いぞ」
「・・・・・・・・・・・・・・あ」
さらにふかーーーーーいため息を吐いたのであった
…
【第四話 終】
第五話へ続く
…
○○○
ヒサギとエレンは手を繋ぎながら森の中を歩いていた。
森の様々な音が耳障りなくらい、ヒサギは緊張しぎこちない歩き方をしている。
エレンは
…
嬉しそうだ。
只今二人は工国へ食器を買いに行くという、事実上『デート』の最中である。
「(デート
…
デート!?ちょっ、これデートかよ!?てか、エレンと手なんか繋いで
…
うわ、暖かいし、や
…
柔らかいし
…
)」
ヒサギの頭の中は色々と大変な事になっていた。
今までにないくらい、幸せそうで赤くてふわふわしている。
エレンは
…
嬉しそうだ。
…
そう、もう二人を妨害するモノは何もないのだ。
あとは、少しずつでも歩み寄り、支え合えれば良い
…
幸せだ
…
「死にさらせぇええええええ!」
「どぇああああああ!?」
「あら」
刹那、
ヒサギに何者かの蹴りが飛んできた。
何とか避けられたが
…
エレンの手は放してしまった
…
orz
「 俺 の エレンに何してんだ!?」
「はぁ!?」
ヒサギは聞き覚えのある声に顔を上げた。
農国特有の作業着にそばかすに
…
「ああああああああ!!!!」
「まあ、テッド」
ヒサギの絶叫と対照的に、エレンは至って普通に名前を呼んだ。
蹴りの青年
…
否、ストーカー
……
否!テッドは胸を張り、鼻を鳴らした。
テッドは、先日の動物殺し事件およびヒサギ殺人未遂事件の犯人だ。
確か、知国に連行されたはずだが
…
「お、おまっ
…
なんでここに
…
!?」
「ふんっ
…
釈放されたんだよ」
「はぁっ!?」
「訴えが取り下げられたの、はははははは」
……
テッドの話をまとめると
…
テッドは知国へ連行され、裁判を受ける事となっていた。
次期王のヒサギ
…
というか、息子を殺されかけた工王のヒイラギは激怒し、死刑を求刑。
判決を下す知王ナルセスも、死刑とまでは行かないが、島流しを下そうとしていた
…
しかし、ある二人だけは無罪を主張した。
二人は無罪にする代わりに、テッドに言ったらしい。
『毎日殺してしまった動物達を思い出す事。毎日夜まで一生懸命働く事。
この二つが守れない時には、自分達自ら、命が何なのか、教えてやる』
…
二人の主張に、ヒイラギもナルセスも、大人しく引き下がってしまった
…
らしい。
「そして、俺は戻って来れたというわけ」
「その二人誰だよ!?」
不敵に笑うテッドにムカムカしつつ、ヒサギは睨みつけた。
テッドは口を開きかけた。
しかし、
「テッド?何してるけ?」
「!!!!!!!?」
後ろから声をかけられると、テッドは飛び上がり、固まった。
森が静まる
…
「急にいなくなって
…
オラ、心配してまうだよ」
草の影から出てきた声の主は、ヒサギとエレンに気がつくと、微笑んだ。
「あ、ごめん。今邪魔もんは退散するべや」
「あぁあ、ちょっ
…
エレ
…
」
「少し黙り、テッド」
青年は薄紫の髪を揺らしながら、テッドの襟首を掴むと、引き摺りだした。
テッドはもがくが
…
なすがままだ。
「エレーーーーン!俺はまだお前の事が好きだからなぁああああ!諦めないぞぉぉおお!」
その声はどんどん遠ざかって行った
…
残された二人に沈黙が流れた。
「
…
ふふ」
「
…
エレン?」
一時の間を開けて、エレンはクスリと笑った。
ヒサギは首を傾げ、エレンへと顔を向けた。
「いえ
…
テッドも変わらないなぁ
…
と思いまして」
まるで愛おしいように、エレンは言う。
その様子に、ヒサギは声を荒げた。
「お
…
おまっ!?アイツは、ストーカーだし、おかしいし、変態だし
…
動物達だって
…
」
━━テッドはヒサギの言うように、罪を重ねてきた。
エレンにとっても、ヒサギと同じの気持ちを持っているはずだ
…
「だから
…
!」
「テッドもヒサギ様も、同じですよ」
「━━
…
!?」
ヒサギの言葉をピシャリと遮ると、エレンはテッドの引き摺られていった方向へ体を向けた。
「テッドの犯した罪は、重いです
…
とても。
でも、人は
…
変われるんです。間違いを間違いと知りながら
…
ゆっくりと」
エレンの髪が風によって、なびく。
微笑みをこちらに向けてくる、その姿は女神のように慈愛と美しさを持っていた。
「私は、テッドが好きです。ヒサギ様と同じくらい
…
大切な
……
」
エレンは言葉を止めると、歩きだした。
森の音が音楽のように心地良く響く。
「行きましょう、ヒサギ様。
ヒサギ様の好きな色
…
どんな色か、教えてくださいね」
ヒサギは溜息を吐きつつ、
微笑んだ。
【五話へ続く】
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