☆人/H星人
2025-07-28 20:13:51
48969文字
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現代編 二話 未体験の知識


世界の全ては、
この頭に入っている。


世界情勢や戦争、歴史、食べ物、言語、流行━━━



しかし、どんな知識を蓄えた人物であろうと実際に世界を歩いた事はほぼないだろう。


それは机上の知識。


空虚な想像━━━




知識人に足りないのは、
一歩外に踏み出す勇気。

人と接する勇気。



空を駆ける勇気━━━━



今回は、
空を駆ける勇気を出した
ヒヨコの話


新たな法令が発表されて一週間

知の国ケフラーの城門前は騒がしい事となっていた。


「ここは通れません!
お引き取り下さい!」
「え~!フェルナンド様に会わせてよ~!」
「私がフェルナンド様と結婚するんだから!」
「一目だけでも!」
「フェルナンド様っー!」

……総勢30人の女の子達が城門の兵士を薙ぎ倒している


知の国王子フェルナンドはその深い知識と、秀麗な容姿で女の子達からの人気は高い。
この一週間、毎日こんな感じだ




城の中庭で読書をしていたフェルナンドは外の喧騒に溜め息を吐いた。

「全くかしましい娘達だ女は静かに
「フェルナンド!!!」


刹那、
何者かが城壁の上から中庭へ飛び降りてきた。

━━城壁は何十mもあるのだが



フェルナンドはズカズカと近付く人物の気配を感じ、本を閉じた。


「俺と結婚しろ!」
……帰れ」


クルリと体勢を声の主に向けると、フェルナンドは再び深い溜め息を吐いた。




城壁を飛び降りてきたのは背の高い娘だった。


無造作に高く束ねられた臙脂色(えんじいろ)の髪に漆黒の瞳━━

服装は武の国特有の動きやすい鎧を着けている。


本来、真逆の性質を持つ武の者が知の王子に求婚するのは考えられないのだが
この娘、一週間前から毎日毎日毎日フェルナンドの元に現れて(飛び出して)告白している。


娘は再び叫んだ。

「俺を嫁にしろ!」
「断る」


フェルナンドは、間髪入れずに娘を言葉で切り捨てた。


「武の者は騒がしくて好かん。帰れ」

追い打ちをかけるように、言い放ち、その場から離れようとすると娘はフェルナンドの袖を掴み、止めた。

「帰らねぇぞ!
俺がす、す好きにさせてやるから!まずは結婚しろってんだ!」
………

娘は言葉の強さに反して、顔を真っ赤にさせてうつ向いた。


城門に押し掛ける娘達はほとんどが王族としての地位目当てであろう。

しかし、
このうつ向く者は



……ユラ、と言ったか」
「!!
お、俺の名前覚えててくれたのか!?」
「貴様が初日に名乗っていたではないか」


フェルナンドは臙脂色の娘ユラを水色の瞳で見つめた。


ユラの顔は益々赤くなってしまった



フェルナンドは目を細めてユラを見つめた。


端から見れば、
良い雰囲気である。


「ユラ
「な、なんだよ!?」
「私には、許嫁がいる」


━━━━はい?


「貴様とは違い、知識が深く清潔な女性だ」

ユラの呆気に取られる様子を無視して、フェルナンドは切味の良い言葉を続けた。


「法令には『複数の王子が同じ国の娘を妻にしてはならない』とある
今のところ、工の娘しか選ばれていないからな。よって、私が知の国の娘と婚姻するのは間違っていないと言うわけだ」


フェルナンドは袖からユラの手を離した。


「以上━━
貴様は我が妻にはなれん。立ち去れ」


睨みつけた水色の瞳を、前方に移しフェルナンドは中庭を立ち去った。



残されたユラは暫く呆然と立ち尽くし、最後は膝を付いてしまった。


「う


うつ向き、体を震わせる
どんなに男勝りなユラとて、ここは涙を


「煩い!インテリ美形!」

流さないようです。


「諦めてたまるか、俺はずっとずっとフェルナンドを!!!」


ユラは言葉同様に、勢いよく髪を結わていたハンカチを外し、握り締めた。

ハンカチを見つめる彼女の瞳は、優しくしかし強い意思を感じた。


……許嫁がいるなら、そいつをブッ飛ばせば良い話だ!」

ユラは立ち上がり、空に向かって吠えた。


「フェルナンドと結婚するのは俺だ!バカヤロー!」



その叫びは、いつまでも知の城に響いていた




〇〇〇〇


城で一騒動あった頃、ある知国領土の大きな屋敷に馬車がついていた。


『百科の領土ヴィーナス』

この地はそう呼ばれていた。

ヴィーナス領は、五つ国全ての言葉と事柄をまとめた辞書をつくっている、知の国の中でも随一知識の深い領土だ。


馬車が止まっているのは、その領土を治める領主の邸宅である




「準備は出来たのですか、シルヴィー!?」

邸宅に響くのは、領主夫人と思われる女性の声。


夫人はツカツカと階段を昇ると、返事のない部屋のドアをノックもせずに開け放った。


「早くしないと日が暮れてしまいますよ!シルヴィー」
………分かってますー」

夫人の目に映ったのは、本を読む少女━━━

『シルヴィー』と呼ばれた彼女は二つ返事で夫人に応えた。


「なら、本を置きなさい。今日はフェルナンド様との挙式の詳細を決める、大事な日なんですからね」
……分かってます


フェルナンドの許嫁━━
シルヴィーはやっと青い瞳を本から離した。


ヴィーナス領主の娘、
シルヴィーは知の国にふさわしく、明るい金の髪をきっちり後ろでまとめ上げ、服装も浅い赤で統一されているため清潔感を感じさせる。
藍色の瞳はくりっと大きく美人と言うより可愛い。

しかし
背も小さく、顔立ちも幼いところを見ると明らかに年端も行かぬ少女なのだが


「お母様、そんなに急がなくても時間はまだあります。訪問の場合は約束の時間より五分遅れて行くのが礼儀というものですよ」


外見の幼さとは裏腹に、シルヴィーはスラスラと母に言葉を並べた。


━━━このシルヴィー、
子供っぽい姿をしているが年齢は19歳━━
さらに頭には莫大な本の数から得た知識が記憶されているいわゆる天才という部類だ。

『外見で人を判断してはいけません!』


その言葉が彼女の口癖でもある━━━━



「シルヴィーは
まあ発展途上だが、王子の妻になればこちらの物だ」

屋敷の外に出ると、領主シルヴィーの父が執事と談笑していた。


領主はシルヴィーと夫人に気付くとニコニコと微笑みながら近付いてきた。


「シルヴィー、リボンが曲がっているぞ?髪も
「馬車の中で直します」
「よろしい。
いいか、くれぐれもフェルナンド様の機嫌を害うな?
お前の使命は、フェルナンド様の妻になること。そして
「次の王子を生む事。
分かってます。その為に今日は城に行くのです」
「よろしい」

領主はスパスパと答える娘に笑顔で頷いた。






━━知の王族は、
ヴィーナス領主に貸しがある。


シルヴィーのみならず、この話は領内で常識となっていた。

詳しい貸し等は分からないが、今の王から一つ前
前王はヴィーナス領主に何らかの貸しをし、そして次に生まれる女子を王妃すると約束したそうだ。


そして、約束した後に生まれた最初の女子が、シルヴィーである。



「これで、ヴィーナス領も安泰ですわね」
「あわよくば政治にも関われるふふ!」
………


シルヴィーが、フェルナンドと結婚することは生まれた時から決まっていた事なのだ━━━━



けして、フェルナンドが不満なのではない。
知識も深く、趣味も読書で合うはずだ。


ただ、


「(自分が家の領の道具に使われる事が不満です)」


ニコニコと笑う両親だが、シルヴィーには欲望に貪欲な腹の下がよく見えた。



王妃の親ならば、豪華な宝石も服も家も思いのまま

国を裏から操作も出来る

上手くやれば今の王を退位させ、自分が王になることも可能だ




「(我が両親とはいえ、なんと汚れた人達なんだろう)」


シルヴィーは静かに眉をひそめた。


確かに、目の前に美味しいご飯があれば、我慢が出来ずに舌舐めずりして涎も出てしまうだろう。


人間は欲望に弱い


シルヴィーは、少し寂しそうな瞳をして馬車に乗り込んだ。


シルヴィーは、馬車の中で膝に乗せた本を撫でた。

彼女の体からすればかなりの大きさなのだが、
それも気にせず毎日肌身離さず持ち歩いている。


シルヴィーはゆっくりと本を捲ると、部屋にいた時同様に字を追い始めた。


『五つ国百科』


本の題名にはそう書かれていた。

この百科辞典には国一つ一つの事が詳しく書かれ、一冊読めば五つ国の詳しい事が分かる仕組みとなっている。

シルヴィーは幼い頃からこれを熟読し、すでに暗唱まで出来る位だ。


世界はこの本に書いてあることが全て━━━━


そう
現実はよくある童話の物語のように甘く、優しくはないのだ。

「(恋なんて、そんなのは本の中だけの事
現実は━━変えられない)」


シルヴィーは百科辞典のページを繰りながら、言い聞かせるように首を振った。



━━外から
母の笑い声が聞こえる

急げ、と言ったのに


「はぁっ





刹那━━━━
乗る馬車が大きく揺れた。



「!!?」


シルヴィーは大きく揺れた反動で、底床に手をついてしまった。

しかし、
揺れは収まらずに続いている。




━━勝手に馬が走ってる!



シルヴィーは馬車の外から聞こえる馬の異常な鳴き声に気付いた。

「(何らかの原因で馬が暴走してしまったんだわ!)」



シルヴィーは冷静に分析をするが、馬車の中は揺れが激しく立つことさえ叶わない。



しかもよりにもよって、馬とココを繋ぐ手綱は強いようだ。


「きゃあっ!!」


舗装された道を抜け、
どうやら畦道に入ったみたいだ━━━

揺れは増すばかりである。




「(このままでは、どこかに叩き付けられて大破されてしまう
どうにかして!)」


頭で分かってても、
今のシルヴィーには何も出来ない
床にしがみつくので精一杯だ。






━━童話の中ならば、


「━━━助け!」


━━こんな状況で


「誰か!」


━━王子様が


「助けてっー!!」



━━助けてくれるのに




しかし、
馬車は走り続けた



〇〇〇〇


………んん


地面が、冷たい。

草が臭い。


助かった?」



シルヴィーは気が付くと、土の上に倒れていた


起き上がり、見回すと今まで乗っていた馬車は横倒しになり、馬は


「いない


たまたま手綱が切れて、
馬車は木に当たって止まったのか
自分はその時に投げ出されたのだろう。



シルヴィーは状況を判断すると、どこも怪我をしていない事を確認してから立ち上がった。


近くに落ちていた百科辞典も拾い、改めて辺りを見回す。


━━やはり、童話のように奇跡は起きなかった。



少しだけ、誰かが助けてくれるのを期待したが
そんな事、現実では無理だった。

それに、今のいる場所だって━━━


「ずいぶんと暗くて、ジメジメした森ですね」


どんなに耳をすましても、動物の鳴き声さえ聞こえない。
否、生き物の気配さえない。


━━現実とは、
あまりにもキツイ。



シルヴィーは仕方なく、近くの木の根元へ移動し腰を下ろした。



待っていれば、
すぐに探しに来てくれる

「(なにせ、馬車が暴走したのをお父様お母様は見ていたわけですし)」

走っていった方向を順に探してくれればすぐに



━━━たくさんの足音!


その時シルヴィーの耳に、たくさんの足音が聞こえてきた。

空耳ではない。

「誰か!私はここです!」

シルヴィーは叫びつつ、胸を撫で下ろした。

はっきり言って、この森は暗くて怖いし、なにが出てもおかしくない
風も生温いし


「グルルル
え?」


刹那、
安心しきったシルヴィーの目に移ったのは、

オ オ カ ミ !!


しかも群れである。

「ガァッ!」
「きゃああ!!」


シルヴィーの周りはあっと言う間に黒いオオカミに囲まれてしまった。



━━嗚呼次から次へと


自分の不運にちょっとうなだれた


━━オオカミは、
滅多に人を食べない


「(な、なら、私を襲うわけないです!)」
「がぁあああ!」
「きゃああああ!」


シルヴィーを囲むオオカミ達の目は血走っていた。



━━━ありえない。


シルヴィーは首を振った。

「(動物辞典には、こんな人を簡単に襲うだなんて書いてなかった
オオカミは臆病で、警戒心が強くて)」


━━━……本ではそう


シルヴィーは手に持つ百科辞典を抱き締めた。


現実とは、
いつも気まぐれで厳しくて


「ぐがあああああぁ!」
「っ!!!」



━━━突然だ。



「きゃいんっ!」
「!?」
「下がって!」


刹那━━━
シルヴィーが目を閉じる寸前、オオカミと彼女の前に石が飛んできた。

オオカミは突然に飛んできた石に一瞬怯むと、その隙に一つの影が割り込んだ。


「だっ?!」
「黙って!」


シルヴィーはオオカミから自分を隠すように立つ人物に目を見張った。


まだ若い青年で、背は高い。髪はボサボサで
服装は………泥の付いた農作業着。

「がぁっ!」
「ひっ

盾になってくれている人物は置いといて、今はオオカミが先だ。

先程より殺気立つ雰囲気に自然と体は震えた。


……落ち着くっぺ
……え?」
「動かねぇで、ゆっくり息を深く静かに

青年はこちらを見ずに、小声で言った。


シルヴィーからはその目付きは見えないが、青年は身動きもせずにオオカミを凝視している。



静寂が森に広がる
風もない、張り詰めた空気の中、オオカミと青年の睨み合いは数分続いた━━━




「ぐぅ


しばらくしたのち、オオカミは唸った。

そして、ツイッと顔を反らすと今までの殺気が嘘のように、後ろにいたオオカミ全てが踵を返して走り去って行ってしまった



森にまた、暗く不気味な静寂が戻った。



「はぁー


シルヴィーは膝を折った。


━━体がガクガク震える


まさかオオカミに殺されそうになるとは

思い返すと、再び今までに味わった事のない恐怖と緊張が全身を包む



「だいじ?」

━━と、うつ向くシルヴィーの頭上から声がした。


「どっか怪我でもしてねぇへ?」
……


農民だ。

もじゃもじゃの薄紫髪に、小さな濃い緑の瞳が困ったような表情を浮かべている。

着ているTシャツは所々に泥が付いていて、長靴と作業着が今まで農作業をしていた事を物語っている。

歳は自分と同じ位か。
スラリと背が高い。


「立てっぺ?」

そんな農民青年は柔らかく微笑み、座り込むシルヴィーに手を差し延べた。

しかし、

………結構です」


シルヴィーは手を無視して自分で無理矢理立ち上がった。


「助けて頂いた事には礼を言います。しかし、これ以上の手助けは遠慮します」

シルヴィーの青い目でキラリと睨みつけると、
農民青年は苦笑した。



「貴方の姿を見れば、ここが農国イエソドだと分かります。
結構!知の国の隣ならばすぐにこちらの捜索隊が見付けてくれるでしょう。
よって、貴方はここにいる必要はありません。安心して作業に戻って下さい、農民さん」

シルヴィーはスラスラと言葉を並べ、農民青年を真正面で睨みつけた。


農国は、
文明度も低く、知識なども皆無で愚か者ばかりだと聞く。
前に立つ青年とて、口調や服装からして野蛮である。

「(こんな者に助けられたと知られたら、フェルナンド様に迷惑をかける)」

王子の許嫁を助けた謝礼を要求してきたら
それで、ヴィーナス領のように貸しとなってしまったら


「立ち去りなさい!
もう、私に関わらないで下さい!」


シルヴィーの声は暗い森に木霊した。

ザワザワと風が葉をなぜる



……でもなぁ」


━━場の空気に合わない、柔らかなトーンが響く


「ここ、あぶねぇっぺ。
すぐ離れねぇと」


青年はピリピリした雰囲気に気付いてないのか、頭をかいた。


「とりあえず一旦、森から出るでな。
オラんち行くへ?」
っ!もうっ!」


青年のゆるゆるとした言葉にシルヴィーのイライラは最高潮となった。


「私の言ってる意味は分かりますか!?
貴方とは、もう関わりたくないんです!!
この森は危ないのは今のでわかりました!しかし、オオカミは学習する動物です、貴女方農国民と違って!一度対峙して立ち去れば、もう人間の前には現れないはずです!
分かりましたか、農民!」
………


━流石に、言い過ぎたか。

青年は困ったような表情をしている。

ちょっと罪悪感を感じた


……私は、知の国フェルナンド王子の許嫁婚姻も近日行われます。
そんな、私が貴方のような平民に助けられるわけにはいかないのです」

シルヴィーは、ぼそりとクッション代わりに付け足した。
これなら、青年も納得するだろう。

なんたって、王子の名前を出し、その王子の許嫁と言えば誰でも恐れ退く……


「ああ!フェルナンドの!あ~……なら尚更こっから出ねぇと」


効き目なし(爆)


逆にやる気が瞳に宿っている!!


フェフェルナンド様を呼び付けしないこと!
高貴な方なんですよ!
私はその、許な
「分かってるっぺよ。
前に聞いたでな、っと」


青年は言葉を遮ると、シルヴィーを抱き上げた。


「なぁあっ!?」
「急ぐっぺよ?しっかり捕まってるだ」
「えぇえええ!!?」


シルヴィーが叫ぶと同時に、周りの風景が凄いスピードで流れ始めた



〇〇〇〇


後ろの森から、オオカミの鳴き声が聞こえる


「危なかっただな
きっと次は倍の数が来る


青年は鳴き声に眉をひそめて、呟いた。



「いい加減
降ろしなさい!!」
あ、ごめんなぁ」


シルヴィーは青年の腕の中でもがくと、やっと地に足を付けた。


「私をどうするつもりですか!?フェルナンド様から謝礼を貰うつもりなら!」

そこで口をつぐんだ。



……そういえば、偉そうな事ばかり言ってきたが相手は力の強そうな青年

「(農国民は暇だとあ、あんな事やこんな事をするとか、動物並の人間だと書いてあった!!)」


シルヴィーは目の前の青年から一歩後退りした。

もしかして、自分をここまで連れてきたのは


?」
「ち、近寄らないで!
や、野蛮な!
変態です、犯罪者です!」


シルヴィーは踵を返すと、走り出した。


一刻も早く帰らなければ

野蛮な農民に━━━


「きゃあ!」


シルヴィーは、地面の窪みに足を取られ転んでしまった。


体が震える


「だいじだか!?」
「っ


後ろから青年が駆け寄り、シルヴィーに視線を合わせるようにしゃがむ。



━━覗きこんだ瞳は、
エメラルドのように澄んでいた。




オオカミは


青年は、シルヴィーに優しく微笑むとゆっくりと口を開いた。


「オオカミは今、赤子ができる時期なんだっぺよ」
え」


シルヴィーが怪訝そうな表情を浮かべると、青年は続けた。


「確かに、君の言う事は正しいっぺ。オオカミは臆病で人間の前には滅多に出ねぇでも、今は子供とおっ母を守る為戦おうとしてるだで」


青年はシルヴィーの手を優しく引っ張り、立ち上がらせた。


「今の君みてぇに、怖くても戦おうとしてるっぺな」
……


動物否、人間だって『家族を守りたい』と思う気持ちがあるだろう。

オオカミとて、それは変わらない



……ごめん、なさい。
私、酷い事言いました
「いいっぺや。本当の事ばっかだで、気落とさんと」

青年はニッコリ微笑み、シルヴィーの頭を撫でた。


「(酷い事言った私が慰められてる?)」

シルヴィーは『あれ?』と首を傾げた




「とにかく、オラんち行くっぺや」
「えっ


青年は今いる平野の向こうを軽く指差した。



そういえば、現在立っているこの場所は随分と拓けている。
地面には青々とした草。
木の一つもない。
目を凝らすと、遠くに動物も見えた。



その光景は本に載っていた牧草地にそっくりだった


「心配しなくっても、歩いて20分だで。すぐ着くべ」
「20っ!?
こほん指摘するのはそこではなく!」


シルヴィーは頭を横に振ると、再びキッとした瞳を取り戻した。


「ここで結構です!
むやみに場所を移動すると捜索隊が私を見付けにくくなりますので!それに」

━━男性の家に娘単身で行くのは危険過ぎる!!!


昔からよくいうではないか男はオオカミだと。


先程のオオカミの大群からは逃れたが、次はこちらのオオカミに恐れ始めたシルヴィーであった




でもなぁ」

と、青年は再び苦笑を浮かべた。


「その服汚れ、今落とさねぇと残るでな」
………え」


シルヴィーは初めて自分がか な り 汚れているのに気付いた



〇〇〇〇

シルヴィーは歩く。

「はぁっはぁっ

歩く歩く。

「ぜぇっ

歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く


「まだですか!?
貴方の家はっ!!!」
「まだ歩き始めたばっかっぺよ?」
「もう32分歩いてます!」


あれから、青年に服の泥汚れを指摘されたシルヴィーは仕方なく歩き始めていた。

両親の事だ
自分を見付けてから即、知の国まで連れて行くに決まっている。
いや
結婚式の詳細という大事な話し合いの約束だから、自分だってそれを希望するが


「(こんな姿では行けない)」


シルヴィーは少し泣きそうになった。

馬車は暴走するわ、
オオカミには囲まれるわ、
服は汚れるわ


「あと少しだっぺよ」


こんな、汚い青年に世話になるわ!!


清潔で、知識豊富な領主の娘がなんたる屈辱!!



これは一生の不覚
人生の汚点となるだろう


シルヴィーはうつ向いた。


「(ごめんなさい、フェルナンド様貴方様の妻はなんとも恥ずかしい娘に)」
「よいしょ」
なって?」

……突然、シルヴィーの視界が随分と高くなった。

……え」
「やっぱ、女の子は歩くの疲れっぺな~だいじへ?
でもあと少しだっぺよ、頑張るでな」



神妙な顔でうつ向いたのが心配だったのか、青年はシルヴィーを抱き上げて歩き始めていた。


お」


体が震えた。


「降ろしなさーい!!!」


シルヴィーの声が、広い野山に響いた


〇〇〇


「お~い、うちとり~!」
「ああ、デューン」



はぁっ

歩き始めて約50分
シルヴィー達はやっと人の姿が見える場所までやって来た。

見渡す限りの畑畑畑
様々な野菜が植えられ、まさに五つ国の食物庫にふさわしい光景だ。




しかし、
そんな風景も霞むくらい、長い距離を歩いた事のない足はガクガクと震え、その場に座りたくなってしまう。

「(やっぱり降ろしてもらわなければ良かったかも)」

シルヴィーは先程バタバタともがいて、青年の腕から逃れたのを少し後悔した



「お、もんこいあまっこだへ~どっがら連れて来た?」
「ほんどもんこいっぺ~」
へ?」


その時、シルヴィーの後ろから数人のお年寄りが歩いてきた。
やはり、服装は農業着に麦わら帽子

ニコニコとこちらを見ているが喋ってる意味が分からない←


「あ、あの
「ほだほだ、ばらっぱ餅くうげ?」
「いや」


シルヴィーは後退りした。


━━━こんな言葉、
私は知らない……



シルヴィーは、五つ国は元より世界の言語を本から習得している。
だから、どこに行っても言葉を聞き分けられる自信があったのだが


「(どうしようこのお婆さん達がなに言ってるか、分からない!!!)」
「?どうしたげ」


お婆さん達は首を傾げた。


しかし、なんたる屈辱

本日この感覚は何度目になるのか

心臓が今の状況を拒否するように高鳴る。


「(こんな原始的な国の事が分からないなんて!!)」


「だいじけ?」
……う」

シルヴィーがうなだれる姿にお婆さん達は言葉をかけるが、ますます焦った。



知らない事が
こんなにも怖いなんて


シルヴィーの家
否、知の国では『知らない』と言うことは恥だった

知らなければ罵られ、否定される━━━


「(恥ずかしくて死んじゃう!)」


シルヴィーは足の震えとは違う、体の寒気でガタガタと震えた。


「(こんな所、早く立ち去りたい!!)」


涙が出そうになった━━

刹那、



「この子、ちょっと歩き過ぎて体調悪いっぺ」
「!!」


後ろから、ポンと肩に手をかけられた。

聞き馴染みのある、のんびりとした声


「今っから、オラんち連れってくぺや。な?」
……

━━農民青年


シルヴィーが涙をグッと堪えてゆっくりと頷くと、手を優しく握られた。


う」
「行くっぺ。
ばぁちゃん達も後できぃ。昨日の皆で食べるでな」


青年はニッコリ微笑むと、シルヴィーの手を引き再び歩き始めた。


〇〇〇〇

「ごめんな~
ばぁちゃん達の話はほんに他の国の人から聞き取れんっぺや」
……はぁ」

青年は苦笑を浮かべつつ、ゆっくりと畦道を進んだ。

変な言語だとは自覚しているのですね」
「んだ。ここだど当たり前に使ってげど、外に出っと他の四人とちげぇし


他の四人?

シルヴィーはそこに反応した。

先程から気にはなっているが、この青年の正体
少し歩くと、農作業する人々に手を振られている位名が知れ渡っているのか?


「他の四人とはなん
「あ、いた。
お~い、おっ母!」


━━母?


シルヴィーは青年が手を振る先にいた女性に疑問を覚えた。


……美人なのである。

確かに髪や瞳は青年同様薄紫と深緑なのだが、
明らかに顔も似てないし、服も作業着ではなく、綺麗な東方系の物を着ている。
麦わら帽子はかぶっているが


「あら、おかえりなさいサルゴン。今ご飯持ってきた所ですよ」

さらに標準語を喋っている!!!



目の前に来た女性は、シルヴィーを見付け、ニッコリ微笑んだ。




「こんにちは」
「えっ、あ、はい。
こんにちは

女性は綺麗な身のこなしで会釈した。
シルヴィーもつられてペコッと頭を下げる。


━━笑顔は同じ


微笑む女性は、青年と重なる。
何だか安心出来て、心が癒される笑顔だ。


「私はサルゴンの母、水仙と申します。以後よしなに願いますね」
「は、はい!私は知の国ヴィーナス領主の娘シルヴィーと申します。よろしくお願いします」


シルヴィーは再びペコリと頭を下げると、何か脳裏に引っ掛かった。


━━━?


………あの」
「はい?」
「今、サルゴンとか言いませんでした?」
「ああ、オラ自己紹介してなかったっぺ」
「まあ、サルゴンたら
「ははは、フェルナンドの嫁っ娘って聞いだら忘れたへ~」


!!!!???


シルヴィーは全身が燃えるように熱くなった。


フェルナンドの許嫁としての基本知識
否、全国民が最低限知っておかなければならない事


王 と 王 子 の名前。

今ここで全員を言っても良いが、シルヴィーはそれどころではない。



「農国イエソド王子、
サルゴン!!!?」
「んだ。
王子って程もねげど」


青年否否否
農国イエソド王子のサルゴンは真っ赤になるシルヴィーに苦笑を浮かべた。


○○○○

「驚いたでしょう?」
「えいえ……その」
「ふふ大丈夫よ、初めての人は皆そうだから」




━━━シルヴィーは驚きと焦りが収まらぬまま王子、サルゴンの家農の城の一室に案内された。



青年の正体を知ったパニックでよく覚えていないが、この城はかなり汚れている


外観は五つ国全て共通の白い城壁のはずなのだが、ここは緑である。


何故か
その理由は、城と一体化するように巨大な木が被さっている為だ━━
一本の木ではなく、蔦や複数の植物が城に絡まっている。

今まで農国に来たことないシルヴィーは城自体が巨大な樹木のように見えた━━



城の門をくぐるとさらに目を疑った。

何故か、
家畜が歩いている。

牛や豚、羊に山羊馬やロバもチラホラと見える。
キチンと柵で人が歩く場所とは区切られているが、まるで屋根のない家畜舎である。

世話をしていると思われる人も明らかに、城の使用人ではなく一般民の姿をしているし




シルヴィーは城に入る前から、自分の思い描く王城の知識崩壊を感じていた



光輝くシャンデリア。
大理石の床は歩く音さえ美しく響く。
絶妙な間隔で置かれたアンティーク品。
どこからか、ふわりと花の香りがして、窓から花々が咲き乱れている風景が見える━━━




……以上が、
シルヴィーの思い描いていた城内部の光景。


現実は、
長年使われた痕跡がない埃の被ったシャンデリア。
床は、大理石は大理石だが砂やら泥やらが全面に付いている。
絶妙な間隔で置かれている物はなく、そこには窓とドアだけが並ぶ。
窓からの風景は、なんと広い畑。
香るのは土の臭いのみ。



「(……私、なんでこんな場所にいるんだろう)」

シルヴィーは案内された一室から畑を見つめ、溜め息を吐いた。

混乱はしていたが、回想してみるとハッキリと思い出される。

我ながら凄い記憶力だと、ちょっと切なくなった


「着替え終わったかしら?」

ふと、背後のドアが開き、声をかけられた。

「今ラルゴ様夫が、知の国まで知らせに行きましたからね。
━━ああ、良かったその服よく似合ってるわ」


シルヴィーが振り返ると、ここまで導いてくれた……もとい、王子サルゴンの母なのだから王妃なのだろう水仙は、こちらに笑いかけていた。




「ごめんなさいね、シルヴィーさんの服の代わりがそれしかなくて
いえ」


水仙が『汚れた服の代わり』だと渡してくれたのは、Tシャツと作業着
しかも、子供用のピンク←

確かに自分は体が小さいし、ピンクの服着てたが

子供用はないだろう!?



━━が、有無を言う前に水仙は王に知らせてくると退室してしまったので仕方なく着替えたのであった



「驚いたでしょう?」
「えいえ……その」
「ふふ大丈夫よ、初めての人は皆そうだから」


水仙はシルヴィーに近付くと、手にしていたハンカチで彼女の頬を拭った。


━━優しい薫りがする

「この国は身分なんてものはないから知の国のシルヴィーさんは驚くのも無理はないと思うわ」

シルヴィーがハッとして目線を移すと、水仙とバッチリ目が合ってしまった



━━━━深い緑の瞳


不思議な輝きを放つ目は、優しく笑った。


「ここまで来るのに、皆サルゴンの事『王子』って呼ばなかったでしょう?」
「え……
「誰も偉くはないし、特別でもない農の民は皆家族みたいなものなの。
だから困っていたら助けるのが、この国の当たり前
水仙は汚れを拭ったハンカチをしまいつつ、シルヴィーの瞳を見つめた。


「だから、シルヴィーさんもここにいる間は身分や家柄は忘れて、自分の家みたいに過ごしてね?」

水仙はシルヴィーの髪にふわりと触れた━━


○○○○

着替えを終えて、城門前に出るとそこにサルゴンが待っていた。


「終わっただか?」
「ええ。怪我の手当てもしましたよ」
「ありがとう」

ニコリと水仙に微笑むと、その優しい表情のままサルゴンはシルヴィーに向き直った。


「シルヴィーちゃんだっけ?
うん、今おっ父がフェルナンドに知らせに行ってっだ。すぐに向かえ来るけ、もうちっとの辛抱だへ」
……


━━なんで

シルヴィーは頷きもせず、ぼそりと呟いた。


「なんで……らないのですか?」
「?」
「なんで怒らないのですか!?」


意志の強いシルヴィーの瞳がサルゴンを真正面に捕らえ、鈍く光った。


「私は、存じなかったとはいえ、貴方をいえ、この農の国を侮辱したんですよ!?それを、貴方は何故責めないのですか!?何故罰を与えないのですか!?
……おかしいです貴方は」


規則は絶対。秩序は理。

王族を侮辱した者をゆるすなど、

名前も知らない娘を助けるなど、

他人に干渉するなど、

見返りのない行為など━━



シルヴィーちゃん」


ふわりと、優しい風が頬を撫でた。




「シルヴィーちゃんは何も悪くねぇっぺよ」


サルゴンはシルヴィーに目線を合わせるようにしゃがみ、彼女の頬から頭を撫でた。

「知らなかったじゃあ、次は気をつければいいでな
んにゃ、そもそもオラが王子らしくねかっこしてっから悪いけぇ」


サルゴンは困ったように頭を掻き、首を傾げた。

「他の四人みたぐちゃんとした服着れば良いと思うだげども作業するけ、これが一番なんだげ
うぅ
オラ、フェルナンドみたく頭よぐねから上手く言えねぇげだけども、シルヴィーちゃんが自分を責めっことはねぇへ


『なっ?』と言わんばかりに、サルゴンはやわらかく微笑んだ。



刹那、
シルヴィーの胸が痛みとは違う衝撃に揺れた。


━━肯定か否定か


そう、今までの生活は可か否かだったしかし、


どうして貴方は」


そんなに優しいのですか?


言葉に出来なかった最後の声は、飲み込んだ。




「自分を、卑下に見ちゃいけねぇよシルヴィーちゃん」


サルゴンはまっすぐシルヴィーを見つめ、軽く手を握った。


「確かに、王族は敬わなければいけね存在かもしれねぇ
だけども、同じ人間だで。
同じ空を見で、同じ土を踏んでそこに違いなんて、ねぇとオラは思うけぇ
それにきっと、シルヴィーちゃんはオラより物知りけ、逆にこっちが敬ねぇといけねくらいだで、な?」


━━ここは、


王族は、尊い存在です」
「生きるモノは皆、尊いっぺもちろん、シルヴィーちゃんも」


━━━━ここは


「私はただの
「人に『ただの』はねぇ。生きてる事自体が、素晴らしい事だで」

━━ここはなんて、

……サルゴン様」


温かいのだろう━━

酷いこと言って、
━━━━ごめんなさい」



シルヴィーは顔を上げて、サルゴンを見ると不思議と胸が軽くなった。

自然と顔が綻び、微笑みを作る。


「やっと笑っただ」


サルゴンもつられて、優しい笑みを浮かべた。

「ずっと暗い顔して心配だったけぇ。
だけども、シルヴィーちゃんみてぇな可愛い子はやっぱ笑顔が似合うべなぁ」
「かっ!?」

サルゴンの言葉にシルヴィーは顔が熱った。


可愛い可愛い可愛い

━そんな事初めて言われた

「わ、私はっ可愛く、なんか……うううぅっ!!その、『ちゃん』付けは止めてください!子供扱いされてるみたいで嫌です!」
「へ?そけ?」
「そうです!よ呼び付けにしてください!対等ならば!い、良いですね?!」

自分でも何を言っているのかワケわからないが、熱った顔を冷やす為の時間を稼がなくては!!

シルヴィーはそっぽを向きつつ、横目でサルゴンを見た。


「?どうしたけぇ?」
「な、なんでもありません!」


この胸の高鳴りは褒められる事に慣れてないからでこの泥臭い王子にときめいているのではなくちょっと褒められてびっくりしただけなのですそうですそうに決まっている



シルヴィーはまるで念仏のようにブツブツと自分に言い聞かせた。




━━嗚呼、でも


胸に手をやり、温かさを感じた。



「謝れて、良かった



シルヴィーの胸の重さは、悪口ばかり言っていた、罪悪感からだったようだ



「おぉ~い!うちとり~!」


ふと、シルヴィーの視線の先にこちらへ走ってくる男が映った。

かなり慌てた様子で、顔に余裕がない


「うううぅっうちとり!」
「どうしたけぇ?落ち着いて話しぃ」

息が乱れる男の背を優しく撫で、サルゴンは首を傾げた。

ちなみにシルヴィーはその様子をぼんやり見つめ、『うちとりってサルゴン様の事?』と考えていた


男は少し深呼吸すると、目を見開き、サルゴンに掴みかかった。

「お、オラの雛が一匹いなくなっちまったんだ!ちょっと目を離した隙にこのへん探してもいなくて!ど、どうすればいいかあああ、オラの雛!」
「ダルトン


男はフラリと後退りして蹲り、泣き始めた


雛一匹位で、大袈裟ではないですか?」
「シルヴィーち
じゃなくてシルヴィー」

サルゴンは呆れた顔のシルヴィーの横に立つと、少し悲しそうに眉をひそめた。


「雛だって、生き物だへ。命があるべなだから、人と同じ家族我が子なんだっぺよ」

『我が子』
そう聞いて、シルヴィーはサルゴンを慌てて見上げると、彼は困ったような笑顔を浮かべていた。


「子の事で、大袈裟にならん親はいねぇっぺよ
ダルトン」


サルゴンは、蹲る男に歩み寄って肩を叩いた。


「大丈夫。オラ達も探すけぇ、顔上げっぺや」


サルゴンの優しい声は男の涙を止めた━━━



〇〇〇〇

シルヴィーとサルゴンは、広い牧場に立っていた。



「ごめんなぁ、勝手に巻き込んじまって」
いえ。結構です」


シルヴィーは溜め息を吐いた。



……男の頼みで、サルゴンとシルヴィーは一匹の雛を探す事となった。


一刻も早く自国へ帰り、許嫁のフェルナンドに会わなければならないのに何故広大な農国から一匹の小さな雛を見付けるという無謀な事をしなければならないのか
シルヴィーのテンションは激しく下がった。


「小さな雛ならば行ける範囲が決まってます。
早く見付け━━━」

刹那、小さなシルヴィーの目の前に大きな影が被さった。

影の主はゆらゆらと白と黒の模様を揺らし、シルヴィーの金髪に顔を近付ける

「べへぇええ~」
……………

きゃああああああ!!!」


辺り一帯にシルヴィーの叫びが響き渡った



「だ、大丈夫けぇ?」
「なななな


シルヴィーは尻餅を付きつつ、慌てて後に下がった。

視線の先には、牛。
シルヴィーの体よりも遥かに大きい


「べへぇ~」
「ああ、ゴンは人懐っこいべや。すぐに擦り寄ってくるだよ」


サルゴンは微笑みながら、シルヴィーに手を差しのべた。

少し抵抗はあるが、腰が抜けてしまったので手を借りるしかないだろう



シルヴィーは立ち上がるとすぐに牛ゴンと距離を取った。


「お、大きいですね」
「?普通だっぺや?
……シルヴィーちゃ
シルヴィーは牛初めてけ?」
「なっ失礼な!
牛位見た事ありますよ!」


シルヴィーは不機嫌にいつも肌身離さず持っている本百科辞典を開くと、ページを『牛』の項目で止めた。


「牛は、雌雄とも頭に二本の角がある牛科の哺乳類、偶蹄類です。
広義にはスイギュウ属、ヤギュウ属も含めますが、ふつうウシ属のもの、特に家畜牛を言います。
最も広く飼われ、家畜として飼われ始めたのは五つ国建設初期時代といわれています。
多くの品種があり、いずれも体は頑丈で頸は低く、その下に肉垂があります。用途によって乳用、肉用、労役用などに分けられます。
以上です」
「おぉ~」


サルゴンは目を丸くして拍手した。
まるで、牛の話を初めて聞いたかのような目の輝きをして。

シルヴィーは呆れたように首を傾げた。


農の民
ましてや王子がこんな基本的な事を知らないはずはないまさか、知の民を馬鹿にしているのだろうか?


「サルゴン様は私を馬
「牛(ベコ)って、んな深い動物だったんべなぁ。
初めて知ったべや」


━━━は?


シルヴィーは眉をひそめてサルゴンを見た。


サルゴンは、しきりに牛ゴンを撫でてはシルヴィーの話を聞かせている。

まさかまさか

サルゴン様、まさか飼育しているのに、本当に知らなかったんですか?基本的な牛の知識」
「う~ん牛は牛だへ。
乳出したり農具引いたり

怪訝そうなシルヴィーの顔を見て言葉を切ると、サルゴンは苦笑した。

「仕事の手助けする動物そうとしか思ってなかったへ」
……

━━━まさに田舎思考か。


農民は家畜の事も知ろうとせずに、ただ利用しているだけだ。

そう、利用出来れば詳しい知識など必要ないというわけである。



シルヴィーはそこまで思案すると、溜め息を吐いた。

「家畜の知識くらいは知っておかないと王族いえ、農の民失格ですよ。しっかりしてください」


呆れてしまう。
やはり、
農国は愚かな者の集まりだ。

王族がこんなでは、
国の先は暗い

一つの国が崩れ━━

「べぇええええ」
「きゃあ!!」

溜息交じりに考えていたシルヴィーの瞳にゴンがドアップに映った。

思わずまた尻餅を付きそうなってしまった。

「こここここ、来ないで!!」
「べぇ」
「シルヴィーと友達になりてぇんだで。なっ?ゴン?」
「べぇえ」

認めたくはないが、シルヴィーにはサルゴンの言葉に牛が頷いたように見えた。

「(ありえない、家畜が人の言葉を理解するわけない!!)」
「頭、撫でてやってくれねぇだか?」
「へ?」
「べへぇえ☆」

ゴンはのそりとシルヴィーに頭を差し出した。


顔が引き攣った。



無理です」


シルヴィーは顔を横に振った。

「ど、動物なんてわた、私触った事ありませんし

そう。
シルヴィーは動物に触れた事がなかった。

知の国には動物ペットを飼う習慣あまりないのもあるが、なにより、動物は様々な細菌が体に付けている為、接触しようとも思わなかった。

だから、動物はもっぱら本で姿を覚えていた。
ましてや牛など


「本には、牛の触れ方なんて書いてなかったですし!!」


シルヴィーは言いながら、後退りして行く

自分より大きい巨体に、一度身震いしそっぽを向いた。


………んだか。
うん、仕方ねぇべな」

あからさまな拒否姿勢にも関わらず、サルゴンはやんわりと微笑むとゴンに向き直り顔を覗きこんだ。


「ゴン、シルヴィーは初対面で少し緊張してっだ。
だから友達はまた今度分かっただか?」

……

シルヴィーはゆっくりと振り返った。



サルゴンがゴンを愛しそうに撫でている。


━━━今度なんか、ない



そう呟こうとした口は、何故か動かなかった。

その代わり、
胸の奥がズキリと痛んでいた




「そうだ、ゴン。
ダルトンとこの雛見なかっただか?一匹いなくなったけぇ、オラ達探してるだ」
「べえぇ


サルゴンは真剣にゴンに話しかけている

……牛に人間の言葉が分かるはずないし、雛の場所を知ってたとしてもコチラに伝える方法もなかろうに。

まさか、サルゴンが動物の言葉を喋れるわけでもないだろう。

「(無駄な事をしてる間に先に進んだ方が良いと思うんですが)」


シルヴィーは本日何度目かの溜め息を吐いた。


家畜の基本知識も皆無の農民は『言葉が通じない』という当たり前な事も分かっていないのか

脳味噌の働かないから、家畜は人間に使役されてるわけで

「んべぇええ」
「あっちああ、農地の方だか」


ゴンはゆっくりと丘の向こう━━柵の外に顔を向けると、再び鳴いた。


「べへぇ」
「ありがとう。行ってみるべ」


……!?


シルヴィーは困惑した。


言葉が通じている
先ほどからサルゴンの言葉に、ゴンの言葉に、お互いが答えあっている

偶然かと思っていたが、
今のは明らかに意思の疎通が出来ていた



「サルゴン様!」
「?どうしたっぺ?
ああ、だいじだいじ農地はすぐ
「サルゴン様は動物の言葉が分かるのですか?」


王族の力なのか
自身の能力なのか
なんにしても、大発見である。


「定論を覆すかもしれ
「??
言葉は、分かんねだよ」
………………は?」


シルヴィーは拍子抜けした


サルゴンは微笑んだ。


「でも瞳を見れば、大体言いたい事は分かるべな」
「瞳?」

シルヴィーが首を傾げるのと同時にゴンがズズイッと近寄った。


「きゃあ!」
「ああ、いけんよゴン」


サルゴンが声をかけるとゴンは素直に後ずさった。

シルヴィーはその動作に再び目を丸めた


「ゴンいんや、動物は思ってるよりもずっと賢いんだっぺよ。
簡単な言葉なら理解もするし、感情もあるけぇ」
「そんな、身も蓋も

言うと、ゴンは頭をサルゴンに擦り付けてきた。
その瞳はとても優しく、暖かい光を灯している━━


……━━━。




シルヴィーは何故か頬が熱くなった。




農地、でしたよね。
そうと分かったら行きましょう」


感情を振り払うように、シルヴィーは丘の向こうへと足を向けた。



のまれてはいけない

私には、

家の為の





シルヴィーの金髪を
冷たい風が撫ぜた。



〇〇〇〇

丘を越え、シルヴィーとサルゴンは一面緑の農作地へと辿り着いた。


「はぁ
はぁ、牛の指したここ」

あまり体力のないシルヴィーは少し歩いただけで既に息も絶え絶えである

辞典も腕に食い込む始末だ


うん、ちょっと休憩するけぇな。ここで待ち」
え」


サルゴンは肩で息をするシルヴィーを確認すると、一人スタスタと歩いて行ってしまった


何だか、彼の行動は本当に突拍子もない


シルヴィーは溜め息を吐くと、近くの木陰に腰を下ろした。




━━風が暖かい



そういえば、
今は何時なんだろう

お昼は回っただろうか


知の国ではセカセカと時間通りに動いていたが、

「(ここにいると、だらけてしまいます)」

時間、という概念さえ忘れてしまう位、
農国はのどかである。


風が木々を揺らし、
動物達の優しげな息遣いも間近に聴こえる。

空は澄み、永遠に高く感じる



「シルヴィー」
「!!」


━━と、突然視界にピンクの物体が差し出された。



反射的に受け取った物体は柔らかく熟れた桃だった。

「昼の代わりだへ。
いくらでも食い」


いつの間にか戻って来ていたサルゴンは数個の桃を片手に微笑んだ。


どこから採ってきたのだろう?


「あの
「?」
「勝手に木から採ってはいけないと思うんですが

問掛けている間も、隣に座ったサルゴンは桃にかぶりついている。

シルヴィーは眉間に皺を寄せた。


「嗚呼、だいじだけぇ。ウメキチここの果樹園主には後で言うでな」
「後では意味がないですよ!」

必死な瞳をサルゴンに向けると、彼は再び優しく笑った。


「『盗る』んじゃなくて、『分けて貰う』で━━
似てっけど、ちょっと違げよ」


サルゴンが前方へ顔を向けると、深緑の瞳がゆるりと煌めいた。


「オラ達は大地から『命』を分けて貰っとるけぇ」
「━━え」
大地は、何も言うことなくオラ達に豊かな食物を与えてくれとる」

そこで一度言葉を切ると、サルゴンは手で軽く土をすくった。

「大地から出来る作物はオラ達の命を作るそして、命を分けて貰ったオラ達は大地を耕す
大地だけでね、海だって、空だってオラ達に命を分けてるけぇ
誰のもんでもねぇ
命は皆のもんだで」


ふわりと抜けた風は、サルゴンとシルヴィーの髪を揺らした。


「あ、もちろんウメキチに言わねと怒られっぺ。
作物は皆のもんだが、手塩かけて育てたのはウメキチだけぇ」
……


『上手く説明出来ない』と困ったように呟くサルゴンの顔に、シルヴィーは釘つけとなってしまった。



なんて、優しい瞳だろう


「んだ、ようするにオラは桃をシルヴィーに食べてもらいてぇっぺや。
疲れには甘いもんが効くでな」
……


━━しゃくり



シルヴィーはサルゴンの笑顔に促され、桃を一口食んだ。


口内に水々しい甘さが広がる


「桃
「美味いだか?」
「そのまま食べるの初めてです」

皮を剥いて、皿に盛られた果物の姿しか知らない


強く握ったら潰れてしまいそうな柔らかい桃。
優しい甘さの桃。


……いえこんなに美味しい食べ物さえ」


サルゴンは優しく微笑んだ。


「初めてです


シルヴィー気持ちが、
こんなに優しさで包まれるのも初めてだった━━━




桃で少し休憩した二人は雛探しを再開した。


果樹園の隣には野菜畑が広がっている。
ここならば、隠れる場所も豊富だし雛がいる可能性が高い。


……が、


「葉の下も見るだへ~
ちっこいからどこにも入れるけぇな」
葉の、下ね」

広大な畑は、これでもかというくらいに野菜の葉で埋め尽くされている
少なくとも一キロ位はあるのではないだろうか?


シルヴィーは途方もない作業に苦笑してしまった。


「疲れたら休んでええだよ。そこに井戸もあるでな」
「大丈夫です。
さっきの桃が効いたようですよ」

シルヴィーはにっこりと微笑みながら額の汗を拭った。



━━こんなに
心地良い汗は初めてだ


太陽の光を浴び、
暖かい風を頬に感じる



さっきまで疎ましかった
澄んだ空気がとても心地良い。


「ここは、私の知らない事で溢れています


自分は知らない事に出会うことを恐れていた━━━
しかし、

世界には、
まだ自分の知らない素晴らしいことがたくさんある。

知りたい。
知らない事を知りたい。

そう


「頼もしいでなぁ
シルヴィーは」


彼のように━━




「そだ、キュウリ食べったか?」
「キュウリ?」


キュウリと言えば、棒に蔦を巻き付けて育てるはずだが、この畑にはそんな高さのモノは見当たらない。

シルヴィーが首を傾げるとサルゴンはしゃがんで足元を探った。



「はい。
水々しくて美味いっぺよ」
「え」


サルゴンの手には、
確かにキュウリが持たれていた。

しかし色は所々黄緑で、形もかなり悪い


……不良品ですか?」
「あはは、ちがっぺや。
地這いにすっとどうしても日に当たらねとこが出来っぺ。だからちっと色悪ぐて形も面白くなるでな」


サルゴンは足元の、探った箇所の草を退けるとキュウリが沢山実っていた。


「あんま知られてねぇだがキュウリは元々こんな育て方地這い作だったんだで」
「え?でも
「これだと見た目がだが?
んだな。だから今の育て方が考えられたっぺや。
立ちキュウリならまんべんなく日も当っし、虫も付きにくい
市場に出っのも今じゃほとんどがそれだや」

 
サルゴンは言い終わると、シルヴィーの顔を覗き込んできた。

澄んだ瞳に顔が熱くなってしまった。


「ななんですか」
「いんや
シルヴィーは、オラの説明を楽しそうに聞ぐなぁって思って


そう言うサルゴンこそ、凄く楽しそうな表情をしている


「思わずどうでもええ事も言いたぐなっぺや」


『いちいち説明ごめん』とはにかんだ様に、サルゴンは薄紫の髪を揺らした。



どうしたんだろう

少し前の自分ならこんな無駄な知識を聞こうとしないのに


「うーん。
ここにもいねぇみたいだへ
シルヴィー、もう少し先行くけぇ、だいじだか?」
はい!!」


歩き出すサルゴンの横に付き、
顔を見上げた。



なんだろう

少し前の自分ならこんな田舎者なんて突き放すのに


「この先は、農林場だっぺ。
凄くデカイ木ぃがたくさんあっぺや」
「はい


なんでだろう


「楽しみです!!」


サルゴンの隣に、
こんなにいたいと思うなんて━━



〇〇〇〇


シルヴィーはあんぐりと、高く高くそびえ立つ木を見上げた。



━━━ここは農林地

建物などに使う木材がここで育てられている。


……そう、
五つ国全体分の。


「そう考えると、本当に凄い光景ですね


見回す限りの木木木木

そういえば、畑も牧場も地平線の向こうまで続いていたし五つ国全ての生活を支えているのは伊達じゃないようだ


「本で読むのと、実際に見るのとでは大違い

シルヴィーは辞典を強く握り締めた。


『五つ国の食糧庫』
辞典では簡単な説明文と写真で片付けられていた。


━━ああ、そうなんだ。


読むと、そんな感想しか抱かなかった



しかし、
実際に農国へ来て、肌で体験してみるとその凄さに驚き、感動する。


働く一人一人が、国全ての命に繋がっているのだ


なんて、
なんて大きな国なんだろう」


小さな自分が、一段と小さい存在に感じた。



視界に作業する人と話すサルゴンが映った。



王子
そう、彼はこの国の王子にふさわしい。

大きくて優しい大地のような心を持っている━━━



「シルヴィー!」


サルゴンは微笑みながら、こちらに手を振った




「ここの人は雛は見てねぇって


サルゴンはシルヴィーの前まで来ると、悩んだように頭をかいた。


なんてアクティブな雛なんだろう。
一体どこまで大冒険してしまっているのか。



「とにかく、もう少し進んでみましょう!」
んでも、この先は


サルゴンの視界は、うっすらと見える海に向けられた。


━━━そう、この先は海。


さすがに雛だってそこまでは行かないはずだ。


「可能性はゼロではありません」


シルヴィーはキリッと青い瞳を光らせた。


「生まれて間もない雛ならば、海も何も分からず進んでいく事もあります。
何でも疑え。
それが知の教えです」


表情にいつものシルヴィーが戻ってきた。


そう
自分は知の民。
全知のヴィーナス領の娘。


「行きましょう、サルゴン様」


でも、


んだな。シルヴィーの言うごとは正しいべや」


隣を歩き始めた理由は、
もっとサルゴンと一緒にいたい、という私情が大半だったのだが



〇〇〇〇


潮風が髪を揺らす


海は穏やかに波打ち、
歩く足跡を消してくれる。

シルヴィーは遠くに見える船に目を細めた。


「あれは
近海漁業ですか?」
「んだあの船は貝を採ってんだでな」
本当に手作業なんですね」


微かに船の側の海面に人が顔を出したり、潜ったりしているのが見える。


「私、貝類は比較的好きなんですけどその一つ一つあんな風に採られていたんですね」


シルヴィーが納得しながら足を運ぶと、急に腕を捕まれた。


「!?」
「そこ、足取られっぺ」


━━確かに、
丁度足の大きさ位の穴が足元にあるが


「はっ離して下さい!」
「あ、ごめん」


サルゴンが慌てて手を離すと、シルヴィーはそっぽを向いてしまった。


サルゴンはその様子に困ったような苦笑を浮かべた。



━胸の高鳴りが止まらない
━━顔が熱る


シルヴィーはサルゴンから背を向けて、必死に平静を取り戻そうとしていた。


腕を捕まれただけなのに何故、こんなにも自分は動揺してしまっているのか



━━━もしかしたら、



「(!!?違う違う違う!
私には、許嫁のフェルナンド様がいるはずです!)」


一瞬脳裏をよぎった感情を振り払い、両親の言葉を反芻した。


<お前の使命はフェルナンド様の妻になる事>

<次の王子を生む事>


「(そう
私には使命がある)」


ヴィーナス領の繁栄の為。
両親の願いの為。
知国の将来の為。


やらなければならない使命がある。




━━━誰の為に?




「全ての人の為に


シルヴィーの胸がズキリと痛んだ。

再び問うた事に体が震えた。



━━胸の高鳴りは、
いつの間にか消えていた。


「シルヴィー?」
「━━ぁ」

ハッと思考を止めると、サルゴンが心配そうに顔を覗き込んでいた。


「ちょっと顔色悪いべや休むけぇ」

フワリと頭を撫でながら、サルゴンは日陰を指差した。



━━温かい。


サルゴンの手は大きくてゴツゴツしているが、
なんて優しくて温かいのだろう

このまま、
ずっと触れていて欲しい━


シルヴィーは触れ返したくなる衝動を抑え、

首を振った。



……いえ
大丈夫です。ちょっと考え事をしていただけなので。先に進みましょう」


そう
早く雛を見付けて、
早くフェルナンド様に会わないと


このぬるま湯のような熱りと感情が続いたら、
頭がおかしくなってしまう


私には、
使命があるのだから。




んだか。ほけ手ぇな」

サルゴンはシルヴィーの前に手を差し延べると、やんわりと微笑んだ。


「さっきみてぇにコケそうになったらいけんでな」
「っ……け、結構です」

シルヴィーは赤面した。

ようするに、
手を繋げと言うことか


━━━高鳴りが蘇る


駄目だ!!!



「わ、私はこれで十分です!」


シルヴィーは思考を振り払うように、ガシッとサルゴンの服の裾を掴んだ。

否、握り締めた。


「さ、さぁ!
先に進みましょう!」


と、言いながらもシルヴィーは何故かグイグイと後退りしている

恐らく、サルゴンと距離を取ろうとしているのだろう。
しかし、裾は離さない


サルゴンは優しく微笑むと
「んだ。
海には雛いねぇみてぇだが牧場に戻っべな」

はにかみつつ顔を赤らめた。



○○○○

海岸と牧場地はのんびり歩いて二十分の場所にお互い隣接している。


サルゴンとシルヴィーはその畦道を並んで歩いていた。


結局、雛はどこに行ってしまったのでしょうかね


未だサルゴンの服の端を鷲掴みしているシルヴィーは眉を顰めた。


もしかしたら、自分がここに来た時のように森の狼などに襲われてしまったのではないだろうか

いや、通りがかりの野蛮人
特に武の国の者は肉ばかりたべているらしいから、雛は連れ去られて食べられてしまったのかもしれない


「こんなに探していないなんてもしかした」
「きっと、雛も冒険したかっただな」


……冒険?


「知らねことを知りたくて、どこまでもとーおくに、行っちまったのかもなぁ。
そして、帰ってくっころには立派に成長してっぺ」


サルゴンはニコリと笑った。



━━道の向こうの空はうっすらとオレンジ色に染まってきている。

雲の影でカラスが鳴いている。

家に帰ろうと鳴いている。



それは、寂しいですね」


雛は一人。
始めはそれが当たり前で、
それで十分だった。

でも、

「雛は、いつか気付きます。
人の隣が、人のぬくもりが、どれだけ心地良いか


シルヴィーは急に胸が苦しくなった。


お母様達は、私がいなくなって心配しているだろうか
『フェルナンドの許嫁としてのシルヴィー』ではなく、『娘のシルヴィー』がいなくなって

「わた・・」


シルヴィーは勢いよく顔を上げた。





━━━刹那、
頬に生暖かい吐息がかけられた。




……
「べへぇえええ」


辺りに
シルヴィーの悲鳴が響いた


「ななななっ!?」


シルヴィーは、高速でサルゴンの後ろに隠れて、いきなり現れた目の前の巨体を指差した。


「近付くなら近付くと言いなさい!」
「べへぇ」


澄んだ瞳
巨体に描かれた白と黒の模様
常に口をモグモグさせていて、息が荒い


「どうしただ、ゴン?
おめ牧場にいたはずけ」


サルゴンは首を傾げながら前の牛ゴンを撫でた。



そうだ。
牛のゴンは最初に雛探しに訪れた牧場でのんびりくつろいでいたはずだ

それが何故、牧場から少し離れたこの畦道を歩いているのか
寂しがり屋とはいえ、
まさかここまでついてきたわけではあるまい━━



「べぇええぇえ」

ゴンは一声鳴くと、ゆっくり踵を返し歩き始めた。


少し離れると顔だけ振り向き、また鳴く



━━なるほど



サルゴンは頷いた。


「シルヴィー、行くっぺ。ゴンが着いてごいって言ってっけ」
「え


ニコリと笑ったサルゴンに顔を紅潮させつつ、シルヴィーは訳も分からず歩き始めた。


「やっぱり動物の言葉分かるんですかー?」



ゴンはまさに牛歩の如く、ゆたゆたのっそり歩みを続けた。


途中、
畦道を外れて森へ入り、
今では既に周りは密林の奥地のようだ



本当に
どこに私達を連れていこうとしているんで━━?」
「しっ

シルヴィーは周りの密林にたまりかねてサルゴンの袖を引くが、彼は指を口に当てて耳をすました。



森は静寂に包まれている

ゴンの足音━━
葉が擦れる音━━
風が木技を持て遊ぶ音━━


…………━━━━。



「サルゴン様?」
「━━━今、聞えただか?」
「?いえ


シルヴィーがサルゴンの問いに首を傾げると同時に、前方のゴンが一際大きく鳴いた。


「べぇええ」
「!!」
「ああ、やっぱりゴンは凄いだな」


サルゴンとシルヴィーは顔を見合わせた。


二人の視線の先はゴンの頭に乗ったモコモコに向けられている。


小さな体に黄色い毛、
クリッと大きな瞳は意思の強さを感じる


「ピ!」


黄色い綿毛━━
探しまわっていた雛は胸を張るように、元気良くゴンの頭上で鳴いた。




「ピ!」
「べぇええ」

驚くシルヴィーを尻目に、
ゴンと雛は会話をするように鳴きあっている。


━ここまでの、
道のりは一体



全く時間の無駄だった

「こんなとこにいただかぁ
おめ随分と遠くまで来たっぺな」

……

━━わけではないか。

シルヴィーは笑うサルゴンの横顔から目を逸らせして俯いた。



雛が見つかったのは喜ばしい事だ。


しかし、


「終わりですね

この心地良い時間も━━━


「シルヴィー?」
なんでもありません」
……


サルゴンは深緑の瞳を一瞬揺らすと、同じく視線を逸らした。



雛とゴンがお互いに鳴いている。


「べぇええ」
「ピ」
「すっかり、仲良しさんだけぇな」


雛はゴンの頭に体を摺り寄せて、愛おしそうに目をほそめている。
ゴンも優しい表情でそれを受けている。


「━━シルヴィー」


顔を上げた。


「帰っけな」


サルゴンの顔は沈み行く夕日で、
よく分からなかった━━


〇〇〇〇

シルヴィーとサルゴン、
そしてゴンと頭に乗る雛は夕日を背に畦道を進んでいた。


……
……


お互い言葉を交すこともなく、

しかし、

その歩みは心なしかゆっくりとしていた。





「ピ!ピ!」

━━と、
突然に雛が鳴き出すのに顔を向けると、トンボがゴンの耳に止まっていた。


「ピピッピッ!」
「ああぁ、あぶねぇ」


雛は興味深々でトンボに向かって走るが、途中頭からころげた。


コロリとしたのをサルゴンがキャッチすると、優しく元の場所に戻してやった。


頭上にトンボの群れが飛んで行く━━━



「この子は、恐れよりも好奇心の方が強いべなぁ」

サルゴンは指の腹でグリグリと雛を撫でると、
次はその指に興味を示したようで、小さなクチバシでガジガジとかじり始めた。


「あっははは
この子、ほんとにシルヴィーにそっくりだっぺ」
「えっ私に、ですか?」

サルゴンは指を雛から離すと、シルヴィーの方に体を向けた。


「ほれ、この好奇心旺盛な目が
「ピ!」
「あ、あぶねぇって」


雛はまた何かを見付けたように頭からころげた。



雛はサルゴンの手の中でモゾモゾともがきつつ、
興味深々に指をつついた。


━━かと思うと、
高い空を見つめ始めた。


その瞳は、勝ち気にキラキラと輝いていた━━



「知ることを楽しんでるけぇな

サルゴンは呟くと、
そっとゴンの頭に雛を戻した。


「黄色くて小さい体もそっくりだけ」
「小さいは余計です」


シルヴィーは軽く頬を膨らますと、急に肩に力がはいった。



━━小さくて、未熟で、
なにも知らない


そんな雛は、
まさに自分の事のようだ


……雛は、何故あんな場所にいたんですかね?」

生まれたばかりなのに、
小さい体のくせに、

「雛には、雛のいる場所があるはずなのに
……


雛は空を見つめている。

雲を目で追い、羽根を動かしている。


広い広い空に向かって━━


「頑張っても、無駄よ
雛は、飛べないんだから」

そう言って、
雛を見つめるが、その止む事のない好奇心の瞳はシルヴィーに向けられる事はなかった━━━



〇〇〇〇


二人が城に戻ると、
何やら騒ぎが起きていた。

城の門前に沢山の人々が集まり、一様に困ったような表情を浮かべてお互いに首を傾げている。

状況は見えないが、
とにかく何かがあったようだ




「━━ああ、シルヴィーさん」


と、後ろから聞き覚えのある声で呼び止められると、そこにはサルゴンの母
水仙が歩み寄って来ていた。


「シルヴィーさん、これ」

水仙は少し苦笑を浮かべながら、
シルヴィーに手の物を差し出した。

見ると、
それはすっかり乾いた服━━

「迎えにきているわよ。
家族の方が」


耳を澄ますと、
父の声らしきものが何かを叫んでいる



そうか



シルヴィーは後ろを振り返った。


……
「サルゴ」

自然と出た言葉を、
サルゴンは
口に手を添え、止めた。

「行き。待ってっぺ」

笑顔が優しい。
でも、

は、い」

━━━痛い。



「シルヴィー!!」

━━こんな場所にいたのか
━恥をかかせるな


「サルゴン様

━━城へは明日
━━━汚い服を

「私は━━」

━━帰るぞ

「逃げてもすぐに
連れ戻される雛なんですね」
……また、」

痛い。

「またいつでも来ぃな
━━━シルヴィー『ちゃん』」

シルヴィーは

大事な大事な
辞典を落とした。

「シルヴィー!!!!」


痛いくらいに腕を引っ張られ、
馬車に乗せられた。

しかし、
腕の痛さより

「帰りたく

胸が悲鳴をあげていた━━




雛はきっと、自分の足で世界を歩いてみたかったんだ。

でも、
でも雛は家畜としての使命がある。
人間の為に働かなくちゃいけない。

だから雛は連れ戻された。


帰りたくなくても。
空を飛びたくても。


そうだ。

雛は、

「とべないんだから━━」



馬車の外は

雨が降り始めた。



○○○○


外で子供達が遊んでいる


皆、
無邪気に、
将来を微塵も恐れず━━


木陰に
小さな女の子が立っている。

大きな本を胸に抱いて、
ずっと子供達の輪を見つめている。


(あの子、こっちをずっと見ているよ?)
(いいよ、あの子は)
(あの子は仲間なんかに入りたくないよ)
(だって)



━━━シルヴィーだもん。







伏せた瞳を開いて、
自室の窓を閉めた。

外は雨が降っている。

空はどんよりと暗い。



「(何を当たり前の事を)」


頭をよぎった考えに、自分で苦笑を浮かべて椅子に腰掛けた。


「(夜だもの、
暗いのは当たり前だわ)」


そう
くだらないじゃないか。
無駄じゃないか。


小さい頃からずっと勉強して、
ずっと本を読んで、
将来の為に『くだらない』『無駄』な事はしなかった。


『しなかった』





当たり前とは、
そうあるべき。ごく普通。並
道理上そうあるべきこと。

道理とは


「正しい、筋道


シルヴィーは再び目を伏せた━━


刹那━━


「シルヴィー」


ノックもされずにドアが開けられた。

シルヴィーが振り返ると、
鋭い瞳をした父が歩み寄ってきていた。


「シルヴィー」
はい」

父の表情は淡淡としているが、
口調は鋭い

「お前のやるべき事はなんだ?」
……次の知王を、産むことです」
「婚約者は誰だ?」
「フェルナンド様です」
「お前に相応しいのは」
「フェルナンド様、です」


小さい頃から教えられた。
国の頭脳の頂点に立つ王族

その一族こそが、
天才だと呼ばれている自分に相応しい。

周囲にも、
それが認められている。



「心配はいりません、お父様」

━━━飼われた雛は

「何が一番正しいのか承知しています」

━━飛べないのだから

「私は必ずや、フェルナンド様の子を産みます」



〇〇〇〇〇

そとであそびたい?

くだらないことをしているひまがあるならちしきをたくわえろ
おまえはちの王をうむぎむがあるのだから

たしゃをけおとせ

たしゃにかかわるな

たしゃなど




「シルヴィー」


━━━肩を震わせた。


「はい」
「もう少しで城に着くわ。身だしなみを
「大丈夫です。
髪も服も整えてあります」



馬車の中、シルヴィーは母から目をそらした。


『アレ』から一夜━━━


予定が狂ってしまったが、今日こそフェルナンドへの面会をしなければならない。



昼の太陽が高く輝いている

馬車は舗装された、規則正しい石畳を走る━━━




晴れやかな空気にも関わらず、シルヴィーの表情は暗かった。



自分は、
フェルナンドの妻となる。

王子の、王族の血を残す為に必須な事柄だ。


しかし、


「(サルゴン様にも、いつか奥さんが出来るのだろうな)」


自分で考えた事に深い溜め息と暗い気持ちが押し寄せてきた。



嫌だ、な



ここ数時間、その事ばかりが頭から離れない。



自分はフェルナンドの妻になる。


喜ばしい事だ。



サルゴンにも妻が出来る。



「嫌だな


ポツリと呟くと、
知のケフラー城が見えてきた━━━



知の城は簡素
否、無駄がない内装となっていた。


大理石の廊下は淡く輝き、調度品はシンプルな白でまとめられている。

シャンデリアも窓から差す光で輝いているが、派手過ぎな印象も与えず、控え目だ。




「こちらでお待ちください」

城のメイドはシルヴィーと母親を中庭のテーブルまで案内すると、お辞儀をしてその場を立ち去った。


よく躾けられたメイドだと感心していると、隣の母がかたを叩いた。


「私は王と面会してくるわ
昨日の謝罪も含めて」
「昨日のでしたら」
「あなたはここでフェルナンド様を待ちなさい。
いいですね、粗相のないようにしなさいよ」


母はシルヴィーの言葉を遮り、言うことだけ言うとスタスタと城内へ消えてっ行った。





━━━今日こそは
フェルナンド様にお会いして


シルヴィーの胸が少し重くなった。


許嫁に会うのは当たり前だ。
挙式の約束もしなければ


会わなければ━━


頭で繰り返し考えても、
浮かぶのは許嫁の顔ではなかった



「おい、ごらぁ!!!」

「!?」


刹那、
背中のほうから大声と共にドスドスとした足音が近づいてきた。


振り返ると、凄い形相睨みつつ自分に剣を構えた娘が立っていた。


「てめぇっ!!!
てめぇがアレか、『良い漬け』か!?」
……はい?」
「良い漬けか聞いてんだよ!!」

シルヴィーの思考はフル回転した

『許嫁(いいなずけ)』のことですか?」
……良い漬け(いいづけ)だろ」
「それははぁっ、とにかくっ!!」

シルヴィーは首を傾げる娘を睨んだ。

なんのようですか?」
「はぅあっ!!
そうだ、こらぁ!!フェルナンドの嫁は俺だ!!」


この娘、どこからどう見ても武の国ホドの人間である。

剣を収める姿は手馴れたもので、
チラリと見えた足には投げナイフらしきものがあった。

赤みの強い臙脂色の髪を高くポニーテールにしていて、漆黒の瞳は武人らしい強さを持っていた。



「言ってる意味がよく分からないのですが?」

こんな堂々と言い返せるのは、シルヴィーの気も強いせいだ。


武の娘は冷めた瞳のシルヴィーに顔を近づけ、再び叫んだ。


「俺は、フェルナンドが好きなんだ!!!!」


胸がぞわりと震えた。


「すすす、好きだから、俺は奴と絶対け、結婚すんだバカヤローー!!」


武の娘は顔を真っ赤にしてそっぽを向いた。

大声で言ってる時点で恥ずかしいのだが。




……
なんだよ、なにか言うことないのかよ」


シルヴィーは言い返すことが出来なかった。

いつもならば、反論と理論的講釈を瞬時に頭の中で構成するのだが


━━━考えがまとめられない。



こんなこと、今までなかった




「『あの人』の隣でも



『あの人』の傍は、ぬるま湯のようで、頭の回転が止まってしまった。

でも、
とてもとても心地よく、
暖かく、

優しかった



「(もう、会うこともないのに何を)」


現実を見ろ。
ここは
今は
知の王を産むために



「おい、大丈夫かよ」
貴方は」


肩を揺らされたシルヴィーの弱い瞳は、黒く輝いた武の娘の瞳を見つめた。


「フェルナンド様の傍にいたいんですか?」
んな

武の娘はシルヴィーの問いに


「あったりまえだろ!!!」


少しも迷わず頷いた。


正直ですね」

シルヴィーは自嘲気味に笑った。



━━知の人間は
真実のみを語るべきである


それは国の合言葉のようなものだ。

なのに


なんだよ、煮え切らねぇ奴だな」
「貴方と違って重いモノを背負ってますから」
「むかっ」


武の娘は目を吊り上げ、
シルヴィーの両頬を引っ張った。


「ひゃい!!なひを!!」
「悩む前に行動してみろよ!!」


もがくシルヴィーから手を離すと、武の娘は一歩後ろに下がって腕を組んだ。


「お前がなんでそんなに悩んでるのか俺にはまっっっっったくわかんねぇし!!
『好きな奴』の嫁になるんだろ?
今から好きなフェルナンドに会うんだろ?もっと喜べよ」


『じゃないと殴れねぇし』と武の娘は最後に呟いたが、シルヴィーの耳には届いてなかった。


『好き』な人


『好き』とはなんだろう?
フェルナンド様への想いだろうか?


でも、この違和感はなんだろう
フェルナンド様と『好き』を結ぼうとすると、頭が重くなる。


………なぁ」


俯くシルヴィーの顔を覗き込み、
武の娘は眉を顰めた。


「お前、フェルナンドのこと好きじゃないのか?」



シルヴィーはグイグイと腕を引っ張られていた。




武の娘は言葉を終えると、答えを待たずにシルヴィーの腕を鷲掴みにして、中庭の外城の裏側へと歩き始めた。



「な、何をするんですか!?
放して下さい!!大声出しますよ!?」
「うっさい、黙って付いて来い」


━━と、言う間に武の娘の足は止まった。



恐らくちょうど城の裏側だろう。
少し薄暗く、警備もいない

シルヴィーは開放された腕をさすりながら、城壁に向かってゴソゴソとしている武の娘を覗き込んだ。


「よし━━
ここから出て行きな」
「は?」


━━娘が指差す先はぽっかり人が一人通れるくらいの穴が空いているが


「なんでわた
「まずは行動してみろよ」


武の娘は真剣な面持ちでシルヴィーを見つめた。


「お前が何を迷ってるかわかんねぇがとにかく、今ここにいても解決しねぇんだろ?
だったら、それをどうにかしてから俺に殴られろ」
……

最後の言葉が気になるが、
シルヴィーは胸を押さえた。



━このわだかまりは、なんだろう

━━この衝動はなんだろう



もう一度、会いたい人がいます」


最後の笑顔が、
とても優しくて、


「どうしても


あんなに悲しいものだったから


○○○


武の娘は穴を潜るシルヴィーを見送り、一度伸びをした。

なんだか清清しい

「う~んなんか良い事した!!」
「ほう?『良い事』とな?」


━━━━!?


光の速さで振り返ると、

「こんな場所に穴が空いていたとはなあとでヒサギに直させるか」

薄金の髪に鋭い水色の瞳
言わずもがな

「フフフフフ、
フェルナンドぉぉおおおお!!!!」
「五月蝿い、大声を出すな」


知の国王子、フェルナンドが立っていた。

眉間の皺は今日も素晴らしく深い。


「いいい、いつから!!?」
さて、どうしたものか


キョドキョドと慌てる武の娘を無視して、フェルナンドは考えるような姿勢をとった。


彼女に用意した紅茶が無駄になってしまったな

瞳を伏せると、
少しわざとらしく続けた。

「責任は、やはり彼女を『襲おうとした』本人にとって貰わなければな」
……へ」

武の娘は目を点にすると、動きを止めた。


フェルナンドは微笑を浮かべた。


「シルヴィーは、貴様が殴ろうとしてここから逃げた。
それで、相違ないな、ユラ?」


武の娘、ユラは一瞬頭がこんがらかったが


「そーいないぞ!!」


すぐに理解して元気よく頷いた。


○○○○


━━走った。

息の続く限り
全力で

「はぁはぁっも、ダメ」

一分だけ。


「そ、そもそも、徒歩で隣国に行こうとするのが間違ってる!!」

五つ国の城は、隣国だとしても結構な距離があったりする。
一番近い同士の武と創の城とて歩いて半日かかってしまうくらいだ。

さらに

農の国は五つ国中一番広い事も忘れていました

ようするに、

「迷った


正規の公道を通れば分かりやすかったはずだが、何分知の城の裏から来てしまった為さっぱり道が分からなくなってしまった。

戻ると城の者に気付かれてしまうだろうし


シルヴィーは
強い眼差しを正面に向けた。



━━会わなければ!!


森の向こうがどこに繋がっているか、分からないが


一歩一歩を踏み締めて、
歩き始めた。



━━━と、いっても


「え゛行き止まり

すぐに壁にぶち当たった。


正面には木の海
この先は道がない。


狼の森じゃ、ないよ、ね?」


森にはあまり良い思い出がない。

あの時のことは、
今思い出しただけでも身震いをおこす


「でも、行くしかない

他に道はない。
後戻りしている暇もない。



「よし、行こう!」

シルヴィーは一歩足を踏み出した。





━━━瞬間、



「べぇえええええ」
「きゃあああ!?」

後ろから何故か柔らかく突進(?)された

転びはしないが、ちょっとよろめいてしまった


「なっなんなの!?」
「ピ」

シルヴィーが慌てて振り返ると、
目の前が黄色い物体で埋め尽くされた

否、
何かの生き物が顔に引っ付いた。


無言で掴んで、剥がすと

雛?」
「ピィ!!」
「べぇえええ」
……ゴン?」


シルヴィーは目をこすった。
何故突然この二匹が現れたのか

幻覚か。
そうか、幻覚だそうに違いない。


━━だが、どんなにこすっても、

二匹の姿は視界から消えなかった


分かりました。
雛はまた迷子になった。その理由で譲歩しましょう」

シルヴィーは眉間に指を当てて、溜息をついた。


むしろ、その可能性が限りなく高いわけだが


それにしたって、
突進(?)はないだろう、
突進(?)は


そうだ」

シルヴィーは何かを思いついたようにポンと手を叩くとゴンに向き直った。


━━━が、


って、そんな無駄な事している暇はないです」

すぐにそっぽを向いた。



━━━ゴンなら、『彼』の場所を知っているかもしれない


「(案内してくれとか、なんて言葉の通じない動物が理解するわけ)」



ふと、あの一言が頭をよぎった。



━━瞳を見れば大体わかっぺ



……非科学的な

シルヴィーは溜息を吐きながらも、微笑んだ。

暖かい、言葉だな。

その言葉自体ではない。
『彼』の言葉が温かいのだ


会いたいなぁ


シルヴィーは空を仰いだ。

『彼』も同じ空を仰いでいるのだろうか?



いやきっと、農作業ばかりで土ばかり見ているだろう


「私は、ただの迷子
ちょっとの間一緒にいただけだもんね」


シルヴィーが俯くと同時に、

「べぇぇえええ」

ゴンは歩き始めた。



シルヴィーが顔を上げると、ゴンの姿は見えなくなっていた。


やはり、
幻覚だったのだろうか


しかし、手の中には、


○○○○


「やはり、さっきの木を右に行くべきでしたね
「ピ♪」
「はぁ楽しそうね、貴方」


シルヴィーは頭に乗った雛の声に溜息を吐いた。





━━ゴンはいなくなった。



これで幻覚だと説明できるはずだったが、

「ピィピピ♪」

手の中の雛は鳴き続けていた。



これは現実だ。


シルヴィーは頭を振って、再び気を奮い立たせた。


『会いたい』


理知的ではない。
しかし、『彼』にもう一度会うために、生き生きと瞳を輝かす雛をと共にシルヴィーは歩き始めた。





が、そう簡単に森を抜けられるはずもなく


「ここはどこ?」


見事に迷ってしまっていた


方位を見ようにも、太陽も薄暗い森からは見えない。

とにかく歩き続けなければならないか


「ピ!!」
「なんですか?急にあ」


雛の瞳の先には日が照った場所が佇んでいた。

足早に移動すると、地平線まで見えそうな丘が広がっていた。

森の終わり?


シルヴィーは首を傾げたが、周りの森が丘の側面に続いているのを見ると、恐らく森の中心に出来た空洞

「まだ森を出たわけではないのか

溜息というか、深呼吸をした。

農の国は本当に空気がいい。


シルヴィーは一回伸びをしてから、少し前に出て座り込んだ。



雛はシルヴィーの頭から降りると、とてとておぼつかない走りで丘を見回り始めた。


「あまり遠くに行っちゃダメですよー」


苦笑。


まるで母親のようだ。
言葉も通じない相手に何を言っているのか

でも、なんだか

「ピィイ」

雛は頷いているようだった。






雛を見送って、シルヴィーは手元の小さな花を摘んだ。


━━━なんだかな


昨日もこんな感じに農の風を感じていたはずだが
今日は何かが違う


一人、だからでしょうかね」


『彼』の笑顔と声は、
木々と風と大地によく映えた。

ぼさぼさの薄紫髪と優しげな小さな深緑の瞳━━


「サ
「べぇええええ」


刹那、


「きゃあっ」
「べへー」


本日二度目の
突進(?)を食らった


突進、というよりは頭を擦り付けてきているだけかもしれない

だが、小さなシルヴィーは転がってしまった


「な
なんですかぁ!!!?」


シルヴィーが起き上がると、
今し方座っていた場所に大きな体の
いやいや、もう言わずもがな

ゴン」
「べぇええ」


またか

シルヴィーは額に手を当てながら、横を通り過ぎてゴンに向かう雛を見送った。


━━何度も何度も



イライラと溜息をついた。


さっきから、何をしたいんだ、
このデカイのは。


こっちは必死に『あの人』に会いに行こうとしているのに



「私は今忙しいです!!ほっといてく







瞬間、
丘に突風が吹きぬけた。





草や花びらが飛び、
空に舞う━━━





一瞬目を伏せたシルヴィーは、




次の瞬間に




声を張り上げた━━







「サルゴン様!!!」



これは、
いや、これこそ幻覚だ。


シルヴィーは何度も目を擦って目の前を確認した。


「久しぶり
な事はねか。ははっ」


しかし、何度見直しても瞳に映るのは屈託のない笑顔


「サルゴン様


会いたかった笑顔━━



「どうして、ここに?」
「ああゴンがな」

サルゴンは太陽光で、
ますます薄く見える紫の髪を揺らして、ゴンに歩み寄った。


「こっちに雛がいるってオラをここまで連れて来てくれただよ。
なっ、ゴン?」


サルゴンが撫でると、ゴンは嬉しそうに目を細めた。



━━ゴンは


「ゴンは私の言葉を理解してたんですね」


『会いたい』
確かにシルヴィーはそう言った。


しかし、動物なんかに理解できるなんて思わずに言わなかった



「お利口ですね」


なんだか、
肩の力が一気に抜けた。

サルゴンに会えたからか、
それとも


「ありがとう、ゴン」


シルヴィーは、
ゆっくりとゴンの頭を撫でた。



○○○〇


シルヴィーは緊張していた。


「シルヴィー?」


隣に座るサルゴンが見れない。


「そういえば


そういえば


「シルヴィーはどしてここにいただ?」


会って何をしたいか考えてなかったーーーーーー!!






えーと

シルヴィーは天才と呼ばれている脳内をフル稼動させて、理由を考えた。


「(会いたかった?いやいやいやいや!許嫁のフェルナンド様との面会を抜け出してまでそんなことをしたいなんて節操がなさすぎると思われてしまう!!何?散歩?どんだけ遠くまで来てるんだ、私の馬鹿!!!!気が付いたら?夢遊病で病院行きです)」


シルヴィーは物凄いスピードで回転し続けた

しかし、
良い答えが見付からない


「(ああぁどうしようどうしよう)」
「あ、そうか」
「えっ」


シルヴィーの焦る顔を見てサルゴンは手をポンッと叩いた。


「本、取りに来ただか」


━━━あ



そう言われてみれば、
昨日、帰る時に本を落としてしまった


あの一言━━━

他人だと
思い知らされた一言で


「はい」


とりあえず頷いておく。


シルヴィーは、
昨日の別れ際のサルゴンを思い出した。



「やっぱな~
あれ、大事なもんだっぺ?ずっと持っでたし」



━━普通だ。


優しい笑顔を浮かべている。


昨日は、

すごく





悲しそうだったのに━━━



「じゃあ、取ってくっぺ」
「え、あ


シルヴィーが思案していると、いつの間にかサルゴンは立ち上がって歩き始めていた。



胸がズキリと痛んだ。




「サルゴン様!」


深緑の瞳がこちらを向く。



「行かないで下さい!!」





サルゴンは


少し

悲しそうに微笑んだ。




「あいえ」


シルヴィーはサルゴンの表情に一瞬たじろいだ。


またか


本は、もう、いいです
ただ……森の外まで



俯き、呟くように言う


そうだ、
この感覚は━━


「私は、『他人』に構っている暇は、ないんです」


仲間はずれにされた、幼少時の寒さだ






「シルヴィー

サルゴンは眉を下げた。


ゆっくりとシルヴィーに歩み寄ると、少し乱れた彼女の金髪に触れた。


……今日は、フェルナンドのとこで結婚式の日決めって聞いただよ」
!!」


シルヴィーが慌てて顔を上げると、サルゴンは優しく微笑んでいた。


「何か、迷ってなら聞くけぇ」




胸がぞわりと


高鳴った━━━



丘の風はだんだんと冷たくなってきている



しかし、シルヴィーとサルゴンは構わずに地に腰を下ろしていた。




「分かっているんです私の役割がどれだけ大きい事か」


シルヴィーは空を仰いで、瞳を閉じた。


「私がフェルナンド様の子を産めば、ヴィーナス家だけでなく国王族も繁栄するだから、今回の婚礼は絶対に行われなければならない
頭では分かっているんです。
頭ではでも」


二人の頭上に鳥が一羽飛び去った


「私は一人の人間として、生きていないのではそう思うんです。

小さな時いえ、生まれた時から親や周りの言いつけ通りに生きてきました。
それに疑問も覚えずに


シルヴィーは
黙って話を聞くサルゴンに視線を移した。


胸の高鳴りが心地よく感じる


「昨日、農の国を回って
『ああ、ここには何もないなー』って、思ったんです。
ここには、決まりも足枷も


サルゴンはゆっくりと瞳を伏せた。


何を思っているかは分からない。

でも、その仕草さえ優しく見えた。


「うらやましいなーと思ったんです」


丘の向こうで、
ゴンが草を食んでいる。

その横を雛がクルクルと走り回っている。


私は、将来の決まった雛です。
生まれて、主の言うとおりに卵を産んで、死んでいく

飛べない鳥です」




丘の風は

冷たく吹き抜けた━━━



確かに」


今まで黙って聞いていたサルゴンがポツリと呟いた。

シルヴィーが顔を向けると、
ニコリと微笑み言葉を続けた。


「確かに、シルヴィーは雛にそっくりだけぇ」
そうですよね」
「んだ。まだまだ未熟な」




シルヴィーは優しい口調に耳を傾けていた。




━━いつも本当の事しか言わない




サルゴンはそんな人だ。

自嘲気味に笑うと、胸が痛くなった。






「雛はな、空を飛ぶことができっぺ」


━━━!?




慌てて顔を上げると、
サルゴンは空を見上げていた。


「昔いただよ。
空を飛んだ鶏が雛の頃から羽をバタバタして。

シルヴィー
雛は、無限の可能性を持った、未熟な種けぇ。
種からは何が生えるかはわかんねぇ。でも、」


━━━嗚呼


「信じて育てたら、
綺麗な綺麗な花が咲くかもしれんべや」


━━━━温かい



シルヴィーの体を
優しい風が撫ぜた。




「自分を信じて、ですか」
「んだな。
飛んだ雛けぇ、自分を信じて勇気を出して一歩を踏み出したへ」


サルゴンは立ち上がると、
走り回る雛に近づいて、手に乗せた。


雛は大人しくしている



「誰でも、体験したことね事は怖いべや。
でも


話しながら雛をゴンの体の上に乗せると、

雛は突然走り始めた。



「それを乗り越えば、新しい風景が見えるけぇ」



雛は小さな羽根を必死にばたつかせて、空中に飛び出した。




辺りの時が一瞬止まり、

風が頬を掠る━━



雛は





「びっ」



落下した。


「おっとと


一瞬にして落下した雛をサルゴンがナイスキャッチ。

予測していたのか、クスリと笑った。


「ま、最初は失敗するべな」
「ピッ、ピッ!!」


『もう一度!!』と言うかのように、雛は勝気な瞳を光らせた。


サルゴンは柔らかい笑顔を浮かべると、再びゴンの上に雛を下ろした。


また落ちますよ?」
「びっ」


シルヴィーがツッコミをいれるそばから、雛は見事な落下を見せてくれた。


「ほら言わんこっちゃないです」
「だいじだいじ」


サルゴンは再び雛を定位置に置いた。


「びっ」
「何度だって受け止めてあげるでなぁ」



コロンと雛が手に落ちると、
サルゴンは視線をシルヴィーに移した。



「だいじへ。
いつだって、どんな時だって受け止めるべ」


サルゴンの笑みに


シルヴィーは

目が離せなかった━━━


○○○○


「ここをまっすぐ行ったら、すぐに国境だへ」
「はい。ありがとうございました」




━━━丘の横
広大な森をサルゴンの案内で抜けると、見慣れた知の国が広がっていた。

ずっと遠くまで行ったかと思ったが、意外に少ししか進んでいなかったようだ




「あの、サルゴン様


短い間だったが、
望んだサルゴンに会えた。


会えて、よかったです」
……うん」
「相談できて、よかったです」
「うん」
「もう」
………


本来ならば会話すら出来ないはずだった
でも、出会えた。

たくさんのことを知れた。

温かさを知れた。



だから━━━



「もう心残りはありません」



シルヴィーは満面の笑みを浮かべた。


「これで心置きなくフェルナンド様との挙式を迎えられそうです。

ありがとうございました」










━━━嘘。



○○○○

シルヴィーは笑みを浮かべて家に踏み入れた。


「只今戻りました」



━━━しかし、
屋敷中が騒々しい。

使用人達もシルヴィーに気付いていないようで、バタバタと走り回っている



まさかとは思うが、自分が城から出て行ったことがばれたか

いやいや、その可能性が高い。



「(フェルナンド様だって私がいないことに驚いたでしょうし)」


あの武の娘は上手く立ち回れるほど、頭はきれないだろう


シルヴィーは笑顔から一転、
上手い言い訳に頭を回転し始めた。



「(今日は言い訳ばかりです)」
「シルヴィー!!!」


溜息を吐くと同時に、正面から名前を呼ぶ声が響いた。


顔を上げると、階段の上から母が目を丸くしてこちらを見つめていた。


お母様えーと」
「ああっ良かったわ。
大丈夫?怪我はなかった?」


……はい?


話の読めないシルヴィーは首を傾げた。

すると、次は横から声をかけられた。


「以前からフェルナンド殿に言い寄っていた娘に襲われそうになっただろう?
ああ、無事でなによりだ」
「お父様って、な


なんだ、その話?

いつのまにそんな話になっていたのか


頭上に『?』を浮かべるシルヴィーを尻目に、両親はニコニコと微笑んでいた



「野蛮な娘に襲われそうになったところをフェルナンド殿に庇われ、場外へ逃亡夕方今まで安全な場所に隠れていたのだろう」
はぁ」

襲われそうになったのは事実だ

しかし、

そんな劇的な活劇風な事にはなっていないのだが!!!?




シルヴィーは夕食をとりながら、思考を働かせていた。


「(あの武の方がこんな言い訳を考えられるとは思いませんし一体誰が)」
「それにしても、本当におめでたいわね」
「ああ。とうとう我一族は明日、王族の一部になるのだな。
フェルナンド殿に感謝だ」
はい?」


思案を止め、シルヴィーは再び疑問を口にした。

それに、
さっきから父の「フェルナンド『殿』」発言も耳につく


「なにを惚けているのだ。
フェルナンド殿との婚礼式明日ではないか」



━━━!!??


シルヴィーの情報処理がパンクした。


「聞いていません!!!!!」
「聞いていない?
まあ、いいじゃないか。聞いてないにしても、明日私達は」
「宝石が欲しいわーふふふ」
「ああ、買いなさいははは」


なんだ、この状況は


「女の子を産んだかいがあったわ」
「政治は私が」
「まずはドレスを新調しましょ」
「いずれは我一族が」
「これも、私が生んだおかげ」
「王となってやる」



━━どうして、

「私を、見ないのですか?」



シルヴィーの藍色の瞳が

失望に揺れた


○○○○

使用人から話を聞くと、
シルヴィーが城を出て、避難している間にフェルナンド様が明日の挙式を申し出てきたらしい。


使用人も両親から聞いただけで、詳細は分からないが、


「明日
婚礼式をするのには変わりないですね」


何を俯くのか

彼にも言ったではないか。

『心残りはない』と。


とうとう悲願のフェルナンド様との挙式を上げられるのだ。


笑え。

笑うんだ。


さぁ、笑顔よ。シルヴィー」


シルヴィーは自室の鏡の前に座り、顔を映した。


「幸せの絶頂的な、笑顔だわね?だから」


肩を震わせた。


「泣いては、ダメよ


目を赤くして、
必死に涙を堪える自分の顔が

なんだかとても

滑稽だった……



○○○○

空は澄み渡るような青色が広がっている。

その下、
厳かに挙式準備が進められている知の国は、普段とは違った雰囲気が漂っていた。




「いつもは張り詰めた空気が、今日はお祝いに緩んでいるわ
この雰囲気は全て貴方をお祝いしているのよ」

城の窓から城下を見つめていた女性
花嫁の母親は振り返った。


「ふふ本当に綺麗よ。特にこの宝石が
「ありがとうございます、お母様」


美しい純白のドレスを纏った花嫁は椅子に座りながら外を見つめていた。


━━━国が祝福している

━━全ては、皆の為



視界の先に羽ばたく鳥が映った。

青空を切り、向こうに消えていく


「嗚呼


瞳を伏せた。



私はもう、飛べない。

檻から出られはしない。



ドレスのヴェールさえ、
鎖に見えてしまう━━━




瞬間肩をたたかれた。


「私は王様方に挨拶してくるわ」
……はい、お母様」



無駄に宝石の散りばめられた悪趣味の衣装を引きずり、
母は退室して行った






独りだ。

寒い



そうだ、知ってしまったのだ。
小さくて未熟な雛は

独りの寒さを━━






花嫁が俯くと、ドアが鳴った。


返事を待たずに開かれた先には、


「━━シルヴィー」


嗚呼

一番会いたくなくて
一番会いたい


……サルゴン様」


また、向かい合うのか



シルヴィーは立ち上がった。

「サルゴン様


サルゴンは無言で微笑んだ。

衣装は、農国王族の正装をしている。
いつもの作業着で見慣れているためか、今の姿はとても新鮮だ。

しかし、


「ちっと、遅刻しちまっただははは


走ってきたのか、髪の毛はいつもの無造作ヘアーだった



サルゴンは手早く髪を整えると、ニッコリ微笑んだ。


「おめでとう」
ありがとうございます」



━━━沈黙



二人には、
すでに交わす言葉がなかった。





どうして、ここに?」


シルヴィーは静寂に耐えかねて、掠れたような小さな声をだした。




願わくば━━
ここから
私を



これを、返そうかと」


サルゴンがそう言って差し出してきたのは、一冊の本。

以前シルヴィーが落とした


「百科事典
「ここで返すんのもあれだが返さねと


サルゴンは一瞬苦しそうな表情を浮かべると、優しく微笑んだ。


「また、シルヴィー『ちゃん』に会いたくなるけぇ」


シルヴィーは体をビクリと震わせた。



そんな、

そんな、

そんな・・・・!!




「サルゴン様っ!!
私、サルゴン様が


シルヴィーは耐え切れずに、サルゴンに歩み寄ると、底の思いを口に


しようとした。


しかし、



刹那、
口に手が触れた。




『それ以上はダメだ』
と言わんばかりに、サルゴンの手は言葉を遮った━━


「サルゴン様
……



窓からの光がキラキラと輝いている。

空は晴れ渡っている。


台の上には厚い本が置かれている。



『農国王子』は悲しそうに微笑み、『知の花嫁』の元から無言で退室した━━━



○○○○

シルヴィーは従者に手を引かれ、
城の見晴台
眼下に祝福の声をあげる民衆達がよく見える場所まで移動した。


民衆達はシルヴィーの姿を見つけると、一層歓喜に沸き、拍手を贈った。



見回すと、
右の方に王族用の席が見える。

拍手をしてくれているのは青い髪の女性だけだ
他のいや、武工創の王子三人は腕を組んで睨んでいたり、そっぽをむいてたり、欠伸をしている。


王達の姿は見えない。
恐らく自分の後ろでこの後の挨拶に待機しているのだろう。



もう、準備は完璧だ━━



再び視線を王子達に向けると、
先程別れた『農国王子』が椅子に戻ってきていた。



遠い━━



どうして、
心はあんなにも近かったのに、



『花嫁』はずっと続いている
胸の痛みに眉を下げた。




━━と、
突然後ろが騒がしくなってきた。


何事かと振り返ると、



視界が黄色で埋め尽くされた




否、何かフカフカの丸いものが顔にくっついている。


無言でベリッと剥がすと、


「ぴっ!!」
「雛?!」


どうしてここに!?
という言葉を遮るように、雛は再び顔に飛びついた。


「ぴっぴっ!!」
「ほぶっ」
「ああっなんと!!」


周りの従者、兵士達は慌てて剥がそうとするが、雛は何度も引っ付いてくる


『花嫁』は何度目かに剥がした時に雛の瞳を見た。



小さな瞳は、泣きそうに揺れていた━━━


雛?」
「び


雛は弱弱しく、『花嫁』の指を抱きしめた。



『いかないで』



「えっ!?」

━━聞こえた。

『いかないで』

「雛


『シルヴィーいかないで』




以前、あの人が言っていた

動物の瞳を見れば、


『あきらめないで





いっしょにとぼうよ』



思いは分かると━━━


『誰でも、体験したことね事は怖いべや』


「貴方は
怖くはないの?」
「ぴ」


“シルヴィー”の問いに雛は頷いた。



『でも



雛はキッと瞳を鋭くすると空を見上げた。


青い
青い
青い空━━━


風は緩やかに吹いている。


高く
高く
高く渡り鳥が飛んでいる。



“シルヴィー”は再び民衆に瞳を移した。



遠く
遠く
遠く
高く
高く
高く━━━━



『それを乗り越えば、新しい風景が見えるけぇ』



「はい━━
サルゴン様━━━!!」



“シルヴィー”の瞳が

強い意思に輝いた。


「“花嫁様”?」



隣に構えた従者が目を見開いた。



「“花嫁様”何を!!?」


“シルヴィー”は石で出来た手摺に乗った。


周りの止め叫ぶ声が聞こえていないのか、

瞳を伏せ、
深呼吸している。





『雛はな、空を飛ぶことができっぺ』


「はい」


“シルヴィー”の頭の中には“あの人が教えてくれた事が深く刻まれていた”


何度心の隅で反芻しただろう


『雛は、無限の可能性を持った、未熟な種けぇ。
種からは何が生えるかはわかんねぇ。でも、』


自分に自由を
可能性を教えてくれた。


今まで自分は
領の
家の
知の
未来を咲かせる
人々の為の種だと教えられてきた。

人々の為に咲き、
種を落とし、
枯れる━━━

それが自分の定め

だから、
自分自身の花ではない花なんか

咲かせたくなかった





でも、





「信じて育てたら、
綺麗な綺麗な花が咲くかもしれないんです!!」




刹那、

“シルヴィー”は石手摺を蹴った━━━━


“シルヴィー”は小さな“体”を“精一杯広げて”、空中に飛び出した。




辺りの時が一瞬止まり、

風が頬を掠る━━



“シルヴィー”は





「っ



落下した。



“花嫁”の純白のドレスが落下の風で小刻みに揺れる。
民衆は騒然となり悲鳴が木霊する。
従者や親族達は固まった。
多くの者が惨事に瞳をそらした。





否━━━




一人、


動いていた。

動作はまるで草原を走る馬の様な速さで、民衆の隙間をまるで獲物を追う狼の様にすり抜け、

瞳は


「シルヴィー━━━!!!!」


深緑に鋭く
“シルヴィー”を捉えた。



瞬間━━━

民衆の耳に悲劇を物語る音が






━━━聞こえなかった。





恐る恐る視線を落ちた場所に移すと、


青年が蹲り、肩で息をしていた。



「はぁっは、ぁっ
だいじだ、か?」


薄紫の髪を揺らし、息も切れぎれに腕の中を覗いた。


腕の中は


……ルゴン様」


無傷の“シルヴィー”がサルゴンを見上げていた。



拍手と喝采が沸き起こった


民衆達は“未来”の無事に安堵し、歓喜した━━



固まっていた従者や親族達は
『“花嫁”が死ななくて良かった』

━━そう囁く




その歓声の中、
“花嫁”を受け止めた“農国王子”は静かに息を吐いた。


「あんな高いとっからあぶないっぺや
……
「どうして、こんな━━」
「サルゴン様っ!!」

言い終わらないうちに“知の花嫁”は“農の王子”の体に抱きついた。



「シルっ!?」
「雛は飛べますでも、最初は、飛べません
だから
だからサルゴン様は言いました」


“シルヴィー”は顔を上げた。


「いつだって、どんな時だって受け止めるって!!」

その体は、
震えていた━━━━



「こわかった!!」

サルゴンはハッとした。

「凄く凄く怖かった、ですでも、言いたくてサルゴン様に


気丈な知の娘の瞳には、

「サルゴン様が



━━━━好きです」


涙が溢れていた━━


震えが

涙が止まらない━━


それでも


「サルゴン様は
とても、とても大きい人です
大きくてあったかくて

シルヴィーはそれを止めようとも思わず、言葉を続けた


「だから━━」
「やめろ!!!」


刹那、
シルヴィーの腕が引かれた。

それは力の加減もせず、
掴んだ場所に薄い痣を作った。


「なんてことをしてくれたのだ!!この、恥晒しが!!!!」
「お父様っ!!」


父━━
“花嫁”の父親は顔を真っ赤に染め、周囲にも聞こえるほど大きな声で怒鳴った。


「今日はフェルナンド殿との挙式だぞ!!こんな農民風情などに現を抜かすなど知の王族我等の顔に泥を塗りおって!!!
貴様は黙ってフェルナンド殿の妻となれば良いのだ!!」

父親は大きく手を振り上げた。


━━嗚呼


“花嫁”は瞳を閉じた。
あの人の止める声を聞きながら


━━━受けよう

これが罰だとしたら




今までの私の心は

もっと痛かったのだから


こんな罰、なんてことはない



「そこまでだ」


周囲の空気が一瞬にして変わった━━


「自身の娘だとしても、
無抵抗な者に暴力を振るうことは法で禁じられている」

凛とした声━━

「解放し、三歩後ろへ下がれ」

後ろに束ねられた長い金の髪を揺らし、

「すぐにだ」


知の国ケフラー王子
フェルナンドが一同の前に立ちはだかった━━━





「フェルナンド
「ふむ
相変わらず人間離れした奴だなこの高さから受け止めるとは」

サルゴンの少し困ったような声にフェルナンドは普段と変わらぬ口調で答えた。

いや、口調だけではない。


「ななぜ」
まぁ原理を考えても仕方あるまい」

父親
領主は目を見開いて、体を震わせた。


「何故、普段と変わらない服装なのですか!?」


━━口調だけでなく、
服装までも式用の正装ではなく、
機能性と礼服を兼ね備えた
ようするに、
フェルナンドはいつも着ている普段着で挙式の会場に現れた━━


フェルナンドは

目を細め


「私は式を挙げるつもりはない」

鼻で笑った



「なっ!!!?」


その場にいた全員が驚愕の声をだした。


今日の挙式はフェルナンド自身が言い出して


「ヴィーナス領主」
「は・・・はぁっ!!」

動揺を隠せない領主を凛とした声が刺した。

「ななな、何か娘にご不満が今の事は謝らせて訂正させます!!いや、我等には借りが
「領主━━
王族の花嫁条件を言ってみろ」


フェルナンドは領主の言葉を流して、言葉を続けた。

その瞳は
冷静だが、

楽しそうだった━━



「は、花嫁のえーと
1、大陸の娘であること。
2、二人の王子が同じ国の娘と結婚してはならない。
3、王子が認めた者であること。
4、王が認めた身分家柄であること
以上です
娘はこれのどれにも引っかかっていない!!」


領主は意味の分からないと言わんばかりに叫んだ。

しかし、フェルナンドは静かに息を吐いた。



「その中で一番重要なこと貴様には分からんか」


鋭い瞳はくるりと横の

シルヴィーと
サルゴンを映して、

領主を睨み付けた。


「王が認めた家柄そんなものではない。

王子が認めたか否かそれが、花嫁の最重要項目だ」



フェルナンドはシルヴィーの方に体を向けると、溜息を吐いた。


「確かに、知識も深く家柄も申し分ないしかし」


一瞬、遠くの高台を見つめたが、
すぐに鋭い視線を元の位置に戻した。

その行為は、何を意味しているかは分からないが
シルヴィーは何故か心の奥で確信した。


「私とて、
決められた相手と添えぬ、ということだ」

フェルナンド様もまた、同じ気持ちなんだ━━━


そう言うことだ。
本日の挙式は中止とする」
「ま待て!!」


騒然となる場から去ろうとしたフェルナンドを、未だ目を見開く領主が怒声で止めた。
肩を震わせ、今にも飛び掛りそうだ


「お、王族は我領に借りがある!!そして、生まれてきた娘を妻にす
「誓約書は?」

振り返ったフェルナンドの瞳は獲物を睨む鷹のようだった━━

「貴様の言う『借り』の詳細を説明せよ。そのを記した誓約書、または証文そして証人を連れて来い。そうしたら、認めてやろう」
「そ、そんなた、確かに約束をしたんだ!私の祖父は
「━━━それが口約束ならば


弱い獲物は
強き王者に

飲まれた。


「証文のない約束は五年または六年で自動的に白紙になる。貴様の祖父となると少なくとも二十年は経っているはずだ。このくらいの決まりは貴様とて熟知していると思ったが、過信しすぎたようだな。さらに、貴様は無抵抗の者に暴行をしようとした。これは未遂だとしても罰せられるべきことだ。しかし、被害者からの訴えはない」

その場にいた者全てが悟った。

「よって、貴様は黙って立ち去るべき人間だということだ」

燦然と立つ姿は

まさに法の番人に相応しいと━━


崩れ落ちる領主を背に、フェルナンドは歩き始めた。

途中、サルゴンの横を通り過ぎる瞬間立ち止まった。


「『王子が認めた者』
これは、貴様にも言えることだ」


凛と一歩踏み出した。

「サルゴン、自分が王子だということを忘れるな」

薄い金の髪を揺らし、
フェルナンドはその場から姿を消した。



━━━━


城の広場の騒然は最高潮に達した。

民衆はきょろきょろとどうすることもできずに慌て、
城の従者は走り回って騒ぎを抑えようとしている



シルヴィーは目を細めた。


━━━全ては自分のせい


重大なことをしてしまった。
それは分かっているしかし

笑いがこみ上げてきた。



あっけないものだ
全て

これで、全て



刹那━━

シルヴィーは後ろから抱き締められた。


少し強く、
しかし優しい腕

ふわりと
懐かしい香りがする━━

シルヴィーはすぐに背中の人物に気付いた。


「サルゴン様


シルヴィーは見上げて顔を確かめようとしたが、よく見えない。


「シルヴィー」

柔らかい声だけが耳元で囁かれる。

シルヴィーは静かな胸の鼓動に瞳を伏せた。


「はい
……あんな、オラみたいなかっこよくね奴がこんな事言ってもきまらねぇと思うだが


サルゴンの鼓動が身に伝わってくる━━


「初めて見た時可愛い子だなって思ったへ。
一緒に歩いてもっと可愛いなぁってんで、笑ってくれた時」


夢事のような不思議な感覚がする
体が自分のものではないような


「こうやって、抱きしめたくなったけぇ別れた時もほんとは止めたかったでも
オラ、フェルナンドみたく頭も顔もよくねし、いつも泥だらけだし、可愛いシルヴィーには釣り合わねぇって、諦めたようとしただ」

だんだんと、
自分の瞳が熱くなってきているのが分かった。


サルゴンも抱きしめる手が震えてきている



「でもでも、やっぱり諦められねぇだや

オラ、シルヴィーが好きだ」


その瞬間、
シルヴィーの瞳から涙が零れた。


サルゴンは一回シルヴィーから放すと、体をこちらに向けさせた。


「オラこんなことに慣れてねから、やっぱかっこよく言えんけぇ。あ、慣れてるっていうのもこの場合変だへなって、違え違えオラが言いたい事はそんなことじゃないけぇ!
シルヴィー!!」


シルヴィーは泣きながら、すでに何度も頷いている。



もう、分かっている。


いや
最初から


「誰よりも、いんや世界一幸せにしてみせっぺ!
だからオ……
農国イエソド王子、サルゴンの私の


こうなると分かっていた。


「妻となってくれ」


サルゴンはシルヴィーに跪くと、恭しく手の甲に口付けをした。


誰よりも、シルヴィーが好きだけぇこの気持ちだけは誰にも負けね
してる!!」
「━━━はい!!
知の国ケフラー、ヴィーナス領シルヴィー申し出、お受け致します。
私も」



空には天高く鳥が飛んでいる。

否、
黄色くて丸い物体が


「私もサルゴン様を
愛してます!!」


シルヴィーがサルゴンに抱きつくと、広場は拍手に包まれた━━



○○○○

数日後、
知の国での騒動は国中に知れ渡り、毎日のように新聞の一面をさらっていっていた。


『まさかの略奪?』
『フェルナンド王子には他に?』
『特集・知の国花嫁略奪騒動』
……


そんな新聞を朝食のパンを片手に読み終わると、時計を見上げた。


そろそろ、出た方がいいだろう。


隣の椅子にかけられた、
厚い辞典の入っている背負いバッグを手に取ると玄関に向かった。


おっと、鏡で身だしなみをチェックだ。
うん、いつもピシッと決まっている。
髪の乱れもなし。


「行って参ります!!」


○○○○

巷では先日の騒動が話題になっているらしいが

「べぇえええ」
「ぴぃ!!」

こっちはのどかなものだ。

むしろ、空を飛び始めた雛を話題にしてほしい。


そういえば、もう日があの時間に近づいている


軽く体の泥を払う。
髪はぐしゃぐしゃ過ぎて直しようがない。
せめて顔は拭いておこう。


「べぇええええ」


ゴンが鳴いた。
雛がとことこと走り始めた。

ああ、来た。
小さいのに頑張って走ってくる。


「サルゴン様ーー!!」


手を振って返す。


「シルヴィー」



シルヴィーは一気に走り寄り、

勢いそのままに

抱きついた。


二人の笑顔には、
巷の話なんて、関係ないね。


知国と農国で繰り広げられたささやかだけど、優しい二人の物語はこれで


「助けてサルゴン様っー!羊が周りもがもが」
「はは、シルヴィーは動物に好かれるべな~」


いや、
まだまだ終りそうにありませんね。
ここからが二人の恋物語の始まりなのでしょう


でも、
五つ国の時の歯車は

次が回り始めてしまったようです



〇〇〇〇


「惚れなおしたぞ!おい!」

騒動が終わった知の城は、やっと静寂を取り戻していたが

中庭に再び煩い武の娘が乗り込んできていた。


「あのフェルナンドの登場マジでかっこよかったぜ!!ぶっちゃけモジャモジャより目立った!うん!
その後の啖呵あの親父の泣きそうな顔ホント良い気味だ!!
フェルナンドはあんなチビと結婚なんかしませんー!フェルナンドは俺と」
「寝言は寝て言え」

本から目を離さずに、切れのある言葉が刺さった。

「あと黙れ騒がしい」

さらにもう一撃。


しかし、娘はそれをものともせずににんまり笑った。


「なんにしても良い漬けがいなくなったんだから、もう俺達の結婚の障害はないな、だろ?」
………
「俺を嫁にしろ!」
「断る」

間髪入れずに切り返した。


フェルナンドは溜め息を吐きながら本を閉じた。


「ユラ」


ユラはその鋭い眼差しに顔を赤くした。


次は何と言って来るか
分かってるこの流れだと『出ていけ』か『立ち去れ』だ。
俺にだって学習能力位あるやい!


「俺は出て
「行かぬのだろう。
だったら座れ」


フェルナンドは前の椅子を指した。


「貴様に学習能力はないのか。話す時は座って話せ。それが礼儀だ」


あるやい

と反論する前に、指された席には美味しそうな焼き菓子と香りの良い紅茶が用意されているのに気付いた。


ユラの腹が鳴った。


「いただきます!」



空には鳥が飛んでいる


籠のなくなった鳥は、

「自由を手に入れたのだな」


フェルナンドは目の前のユラを見つつ、

一人微笑んだ


【第二話完】

第三話へ続く