体験談「気づけなかったけど、間に合った」
20代男性/学生
自分には、ずっと一緒に育ってきた幼なじみがいます。
物心ついたころから隣にいたので、何を考えてるか分かるし、自分のことも一番分かってくれてると思ってました。あいつの個性のことも、自分の個性がわりと相性が良かったこともあって、まあ人よりは分かってるつもりだったんです。
でも、それってただ「近くにいた」ってだけで、本当の意味で理解してたかと言われたら、今はもう、首を振るしかありません。
あいつの個性は「魅了」って言われるもので、本人の意思とは関係なく、周囲の感情や行動に影響を与えてしまいます。
小さい頃はただ「目が合うとどきどきする」とか「気がつくと注目されてる」とか、ちょっと不思議だな、くらいだったんですけど、成長するにつれてどんどん制御が難しくなって、特に思春期に入ってからは、ちょっとしたことで人を怒らせてしまったり、暴力を誘発してしまったり、本人も、周囲もどんどん疲弊していきました。
あるとき突然、あいつが外に出てこなくなって。
連絡しても返事はこないし、家の前まで行っても誰も出てこなくて、何があったのかも分からないまま数週間が過ぎました。
ようやく玄関先で話ができたとき、ドア越しにあいつが泣きながら言ったんです。
「背の高い男の人が怖い。〇〇(←自分の名前)のことも、ちょっと怖くなった。それがいちばんつらい」って。
正直、その言葉が一番きつかったです。
怖がらせたこともショックだったけど、それ以上に、自分は何も気づいてなかったんだってことに腹が立ちました。
何年もそばにいて、何を見てたんだろうって。
あいつが個性で怖い目にあったことも、直接聞いたわけじゃありません。
たぶん、今もちゃんとは話してくれてないと思います。
でも、あいつが外の世界そのものを拒否するようになっていたのは、個性のせいで何かを壊されて、何かを奪われたからなんだろうと、今なら思えます。
そんなときに、
に出会いました。
きっかけは、自分の彼女が「これ、おまじないだから」って、中に火みたいなのが入ってるスノードームみたいなものをくれたことでした。
正直、最初はあんまり期待してなかったんです。
綺麗だけどこれで元気が出たら苦労しない、って思ってました。でも、なんでもいいから元気になって欲しかった。彼女だってあいつの友達なんです、今よりずっと子供だった俺たちは、出来ることならなんでもしようといろんなものをかき集めていました。たくさん集めたそのひとつだった《あかり》だけど、あいつは受け取ってそばに置いてくれて、それから少しずつ、ほんの少しずつ、変わっていったんです。
最初は、なんとなく手元に置いてるだけだったのが、いつの間にかそれを見ながら呼吸を整えるようになって、感情が暴れそうなときはそれを握って耐えて、そうやって、自分の気持ちと向き合えるようになっていったみたいです。
「怖さはまだ消えない」って、本人は言ってました。
でも、「《あかり》をみてると、ちゃんと考えられる。落ち着いて、自分がどうしたいか、分かろうとできる」って。
自分には、何もできませんでした。
あんなに近くにいて、毎日話してたのに、助けにも、気づくことすらできなかった。
でも、《あかり》があったことで、あいつは少しずつ戻ってきてくれました。
心の奥の方に手を伸ばしてくれたのが、《あかり》だったんだと思っています。
正直、自分は宗教とか、そういうものにはまったく詳しくないし、何を信じるかっていうのも人それぞれだと思ってます。
でも、あいつが《あかり》を手にしてから、少しずつ笑うようになって、いまではちゃんと「行ってきます」って言えるようになった姿を見ていると、もう、それだけで十分だなって思うんです。
感謝の気持ちしかありません。
本当に、ありがとうございました。
ともしびのつどい 編集部より ご返信のお知らせ
いつも《ともしびのつどい》をご愛読いただき、誠にありがとうございます。
皆さまから寄せられた多くのおたより・ご意見・ご心配の声を、編集部一同、真摯に受け止めております。
本日は、編集部の山本より、一部のお問い合わせに対するご返信を掲載させていただきます。
おひとりおひとりのお気持ちに、できるかぎり丁寧にお応えできるよう努めておりますが、
すべてのご連絡に個別のお返事を差し上げることが難しい場合がございます。何卒ご理解いただけますと幸いです。
皆さまの灯した《あかり》が、どうか今日も、誰かの心をそっと照らしますように。
【匿名希望様】
いつも素晴らしい会報誌をありがとうございます。読んでいて共感するばかりで、私の「あかり」を傍にいつも楽しんでおります。 そこでふと思ったのですが、我々は互いに交流する場がありません。この会報誌がなければ、「あかり」を分けて下さった方以外に「あかり」を持つ人がいることを実感として感じるのは難しかったでしょう。以前は他者を無暗に怖れ、交流を己から避けていた私ですが、「あかり」のお陰で少し、けれども私にとっては大きな変化なのですが、人と交流する勇気が出ました。そして、「あかり」を持つ方と交流できたら、どんなに素晴らしいだろうと思ったのです。そのような訳で、誌面をお借りして文通のように交流できる場があればよいなと考えています。ご検討よろしくお願いいたします。
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こんにちは。編集の山本です。
このたびは、あたたかなおたよりを本当にありがとうございました。
「ご自身の『あかり』を傍に楽しんでいる」とのお言葉に、思わずじんわりと胸が熱くなりました。私たち編集部が会報誌を通してお届けしたかったものが、まさにそこにあると感じております。
また、交流についてのご提案、まさしく私たちもかねてより考えていたことでした!
お互いの存在を知りながらも、直接つながる機会がないことへのもどかしさ。それを乗り越えて、ほんの少しでも「声をかけてみたい」と思える気持ちの芽吹き。そのお言葉ひとつひとつが尊くて、私は読んでいる間ずっと頷いておりました。
そこで
――編集部でも、近く「ともしび文通欄(仮)」のような、誌面上での交流ページを設けられないかと検討を始めております。
皆さまの声を灯す小さな場として、やわらかに始めていけたらと考えています。準備が整い次第、改めて誌面にてご案内いたしますので、もうしばらくお待ちいただけましたら幸いです。
「勇気を出してくださったこと」
その一歩が、ともしびの輪を少しずつ広げてくれるのだと、あらためて気づかされました。
本当に、ありがとうございます。
今後とも《ともしびのつどい》をどうぞよろしくお願いいたします。
あなたの灯した光が、きょうも、だれかの心を照らしています。
――編集の山本より
【とくめいきぼうさま】
あかりをいつもありがとうございます。あかりはいつもうれしいのですが、ないときを思うと困ります。あかりがずっとあってほしいです。あかりをからだに入れたいです。あかりをからだに入れられますか?あかりといっしょになりたいです。ありがとうございます。
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こんにちは。へんしゅうの山本です。
おてがみをありがとう。とってもうれしくて、何どもよみかえしました。
「あかりをからだに入れたい」「いっしょになりたい」
そのきもち、とってもたいせつで、すごくすてきです。
今のところ、「あかり」を本とうにからだの中に入れることはできないけれど、あなたの中にはもう、ちゃんと「あかり」があると思いますよ。
だって、だれかを思ったり、大すきって思ったり、ありがとうって言えるきもちは、もう「あかり」そのものです。
ないときはこまる、っていうのもわかります。さみしくなったり、ふあんになったりするよね。
でもね、そんなときは「ここにいるよ」って、あなたがもらった《あかり》を思い出してください。
あかりは、目に見えなくても、心の中でちゃんと生きています。
これからも、あなたの中の《あかり》が、ずっといっしょにいてくれますように。
またおてがみくれたら、うれしいです。
――へんしゅうの山本より
【とくめいきぼうさま】
あかりさま、あかりさま、ありがとうございます。 ぼくは、かんじが、よめません。かんじに、できないので、まちがっちゃうと、だめなので、ひらがなで、ごめんなさい。よみにくいと、おもいます。ごめんなさい。 ぼくは、ばかなので、かんじを、もうやらなくてもいいと、しせつのひとが、いったので、ぼくは、かんじを、やめました。 しせつのひとが、ぼくを、ばかだと、おしえてくれたので、ぼくは、べんきょうを、それいじょう、やらずに、すみました。 みんなと、おんなじに、できないのは、ぼくが、ばかだから、しかたないんだと、いってくれたので、ぼくは、たいへんな、べんきょうを、やらずに、すみました。 でも、そうやって、みんなが、なにかしているあいだ、ひとりで、そうじを、していると、よる、だんだん、ねむれなくなって、きました。 ねむれなくて、ぼうっとして、おさらを、みっつ、わりました。しせつのひとは、ばかは、もう、そうじも、しなくていいと、いって、くれました。 (中略) あかりを、もらってから、きゅうに、なみだが、でることが、なくなりました。 よる、あかりを、みていると、ちゃんと、ねむれます。 ありがとうございます。すごく、ありがとうございます。 あかりが、いっしょに、いてくれたら、ぼくは、ここにいても、いいのかもしれないって、おもうように、なりました。 ほんとうに、ありがとうございます。あかりさま、あかりさま、あかりをくれて、ありがとう。
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こんにちは。へんしゅうの やまもとです。
おてがみ、よませていただきました。ゆっくりと、ひとことずつ、ていねいに よんで、さいごまで こころを こめて うけとりました。
おてがみの なかのことばが、とても まっすぐで、とても あたたかくて、やまもとの こころに そっと ひかりを くれました。
ひらがなで かいてくれて ありがとう。
そのぶん、きみのきもちが まっすぐに つたわってきました。
どのことばも、すごく たいせつなものばかりでした。
《あかり》を もらってから、なみだが でなくなったこと。
よる、あかりを みていると ねむれるようになったこと。
「ここにいてもいいのかもしれない」って おもえたこと。
そのひとつひとつが、すごく すごく たいせつで、きみが がんばって いきてきた あかしなんだと おもいました。
やまもとは、ほんとうに うれしいです。
そして、その《あかり》が きみのなかで やさしく ともっていることに、そっと おれいを いいたくなりました。
ありがとう。
きみが あかりを だいじに してくれていること。
それは 《あかり》を ひろめている みんなにとっての よろこびです。
きみが つらいときに そばにいてくれた《あかり》。
じぶんだけのもののようでいて、ほんとうは とても ふしぎな ひかりです。
そのひかりは、じぶんのなかに そっと のこりながら、
だれかに わけてあげても、けっして へらないのです。
だから、もし すこしだけ きもちに ゆとりがあったなら、《あかり》を すこしだけ まわりの ひとたちにも、
わけてあげてほしいと やまもとは おもっています。
たとえば─────
きみの おてがみのなかにも でてきた しせつの ひとたち。
そのひとたちは、ときどき つめたいことばを つかってしまったかもしれません。
「ばか」なんて ことばを、なんども きみに なげかけたかもしれません。
でも、やまもとは おもいます。
そういうことばしか だせなかった そのひとたちも、
ほんとうは どこかで こごえていたのかもしれません。
ここで、やまもとから ひとつ、《あかりさま》の おはなしを させてください。
むかしむかし、あるところに、
「やさしさ」を しらない おとなが いました。
そのおとなは、いつも こどもに きついことを いったり、
つめたいめで にらんだりしていました。
「そんなこともできないのか」「どうせ おまえは だめだ」
そんなことばを、くりかえすばかりでした。
こどもたちは そのひとのそばを とおりすぎるたびに びくっとして、だれも ちかづかなくなっていきました。
でも、あるひ。
《あかりさま》が とおりがかったとき、そのおとなの こころのなかに、ちいさな《こおりのかたまり》が あるのを みつけたのです。
それは、むかしむかし まだ そのひとが ちいさかったころ、だれにも たすけてもらえなかったときに できた こおりでした。こころのおくで こおりついてしまった ちいさな《あかり》だったものでした。
「さむかったでしょう」
あかりさまは そう いって、
そのひとの てのひらに、ちいさな ひかりを そっと おきました。
そのひは なにも こたえませんでした。
でも、ふしぎなことに、つぎのあさから、
そのひとの めのひかりが、すこし やわらかくなっていたのです。
まいにちすこしずつ、ことばのいろが かわっていきました。
すぐには かわれなかったけど、やがて そのひとは、こどもに やさしく えがおで あいさつする ように なったといいます。こごえて かたちをかえて だれにもふれられないようにかくしていた ちいさなこおり。それがもとの 《あかり》に もどっていったのです。
それから としつきが たって、そのひとは いま、べつのこどもたちに、《あかり》を わける ひとに なったそうです。
たくさんの こどもにかこまれて そのひとは とてもやさしく わらっているそうです。
この おはなしが ほんとうかどうかは、わかりません。
でも、やまもとは このはなしが だいすきです。
きみのなかの《あかり》も、きっと そんなふうに だれかの こころを とかす ひかりに なると おもうのです。
もちろん、いきなりは むずかしいかもしれません。
こわかった きおくや、きずついた ことばは、すぐには きえません。
でも、きみが すこしでも「だれかのことも、すくってあげたい」と おもえたなら、それは とても すばらしい ことだと やまもとは おもいます。
そして なにより、じぶんのこころが つかれたときには、いちばん たいせつな ひとに するみたいに、じぶんのなかの《あかり》を だいじに してあげてください。
きみは ひとりじゃないよ。
そして きみの そのやさしさが、これから だれかの くらやみを そっと てらしていくと、やまもとは しんじています。
また おてがみ まってるね。
――へんしゅうの やまもとより
【匿名希望様】
あかり教はカルト!ツレがおかしな火を持って帰ってきてそれまでと別人みたいになった!信者がアンチを成敗したってニュースになったりなんかやべー宗教だって聞くからお前なんかカモにされて終わりだぞって止めてやったのにあいつ俺を無視しやがった!だからあの火に水をぶっかけて消して俺が正しいって教えてやる!ヒーローにボコられてさっさと潰れろこのクソカルト!
───────
こんにちは。編集の山本です。
おたより、たしかに拝見いたしました。
とても強い言葉で綴られていましたが、その中に、深い悲しみとやるせなさが込められていることを、私は感じています。
大切な方が変わってしまった。
それまで一緒に笑っていた日々が、ある《あかり》をきっかけに失われてしまった。
どんなに声をかけても届かず、自分のことも見てもらえない。
それがどれほど苦しいか、想像するだけで胸が痛くなります。
あなたは、本当に壊したいわけではないのでしょう。
怒鳴りたくて怒鳴ったわけではないのでしょう。
ただ、目の前で遠ざかっていく大切な人をどうにか引き止めたくて、取り戻したくて、必死に呼びかけて、必死に手を伸ばしたのだと思います。
だから私は思うのです。
あなたは「止めようとした」のではなく、「助けようとした」のではないでしょうか。
どこかの知らないヒーローではなく、あなたが、その手で、その声で、その人を守りたかったのではないかと。
そしてもしかしたらその方も、世の中のどこかの“正しさ”ではなく、名もない誰かの“正義”でもなく、いちばんそばにいたあなたの言葉と、あなたの《あかり》を、本当は求めていたのかもしれません。
《あかり》とは、なにかを無理やり変えるものではありません。
だれかを引っ張る力でも、押しつける光でもありません。
ただ、そこにあるだけの、ちいさな、やわらかい火です。
けれど、その火が「消えてほしくない」と願われるとき、ほんとうの意味で、誰かの心に届くのだと、私は信じています。
あなたの怒りが消えなくてもかまいません。
それだけ、真剣だったという証です。
けれどどうか、その怒りの奥にある「守りたい」という思いまで、一緒に燃やしてしまわないでください。それはあなたの育んだあなたの《あかり》です。行動を起こしてしまう前に、もう一度だけその方と対話をしてみませんか?
どうかあなたの中の元にあかりが届きますように。あなたやあなたの大切な人の心にも、優しく光を灯しますように。
――編集の山本より
編集後記
今月も、たくさんの《あかり》をお寄せいただきありがとうございました。
その一つひとつの灯りは、きっと《あかりさま》の御心に届いております。
祈りのような言葉も、戸惑いの声も、どうかそのままお聞かせください。
あなたの灯りがまた、だれかを照らしますように。
───────ともしびのつどい編集部一同
ともしびのつどい編集部お問い合わせフォーム
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