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☆人/H星人
2025-07-28 20:07:19
56290文字
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現代編 一話 始まりの一織り
━━その大陸には
五つの王国があった。
法と秩序を司る知の国
『ケフラー』
守護と武力を司る武の国
『ホド』
芸術と自由を司る創の国
『ティファレト』
生産と商業を司る工の国
『コクマー』
耕作と自然を司る農の国
『イエソド』
五つの国の五人の王は
お互いを支えあい、
平和で豊かな日々を
作り出していた。
これはそんな国々の
ちょっとおかしな恋物語。
工の国『コクマー』
キルティー領━━━
「リンスロット様は本当に女神の指をしているわ」
「なんたって彼女の織る布はまるで宝石のような輝きと美しさをしているのだから」
「絹のような金の髪、星のような青い瞳
…
リンスロット様は国一番の美貌の持ち主だよ」
「美貌はもちろん、素晴らしい布を織れるのだから
…
領主様も良い娘を授かったものだ」
「その通り。
リンスロット様の織り布のおかげでキルティー領の未来も明るいぞ」
「━━━━ふふっ
…
」
窓から町を見下ろす女性はニコリと微笑んだ。
「聞こえるわ。町の皆が私を賛美する声が
…
」
『カタン』と布織り機の音が響くと、女性はふわりと金の髪を揺らし、青い瞳を細めた。
「貴方も喜びなさい。
貴方は醜くくて、
何も役に立たないけれど、織る布だけは美しい私
…
リンスロットの名声の一部となれるのだから
…
ねぇ、布姫」
カタンカタンカタ
…
「
……
ええ」
規則正しい音は止まった。
「私は
…
こうやって布を織れれば幸せ
…
それがリンスロットの役に立っているというなら嬉しいわ」
リンスロットの視線の先
…
━━名前のない、布を織るためだけに生かされた
『布姫』は優しく微笑んだ。
━━数十年前、
キルティー領で大火事が発生、領主夫人と一緒にいた産まれたばかりの赤ん坊が犠牲になった。
民にはそう語られている。
しかし、それは真実を隠す為の嘘であり
罪逃れだった━━━
大火事が起こった数日前、領主に二人の娘が生まれた。
一人は正妻の子。
もう一人は愛人の子。
領主はすでに愛人を愛しており、正妻が目障りだった。
よくある話だ
…
領主は考えた。
正妻に子供が生まれては、ますます愛人との結婚は遠のくだろう
…
どうすれば、
愛人と夫婦になれるのか。
どうすれば、
邪魔な女を消せるのか━━
そうして、彼は自らの屋敷に火をつけるという凶行に出たのだった。
火は屋敷を一気に包み、
犯人に仕立て挙げた使用人、真実を知っていた者達、妻娘共々消し炭にした筈だった━━━しかし、
一人だけ炎から生き残った者がいた。
顔に酷い火傷を負ってはいたが、それ以外の部位は体の上に女性が覆い被さっており無傷。
発見された時にはまるで助けを呼ぶかのように大きく泣いていたのだそうだ。
それは生まれて間もない、正妻の娘
…
名前さえつけられていない赤ん坊━━
「布姫」
『布姫』と呼ばれた女性は織る手を止めて顔をあげた。
「まだ仕上がらないの?
ノロマなんだから
…
!!」
「
…
ごめんなさい。
ちょっと手が痛くなってしまって
…
」
「言い訳はいいわ!
早く仕上げなさいよ!今日は私が直接お城に納めに行くんだから!ふんっ」
リンスロットは彼女の返事も聞かずに部屋を立ち去った。
━━ああ、早く仕上げなければ
女性の琥珀色の瞳に映る織り機は微かに揺れた。
大火事の後、
発見された赤ん坊に手を下す程の勇気のなかった領主は町の外れにある塔に娘を隠した。
そして、何食わぬ顔で愛人を妻にし、その愛人との娘を一子
…
リンスロットとして向かえ入れたのだった。
塔に隠された娘には物心つく頃から布織りが教えられ、家の資金元として働かせられた。
真実を知りつつも、健気に働く彼女の織る布はいつしか輝きを増し、国一番
…
否、今まで作られた全ての布で一番の芸術品だと言われるようになっていた。
表面上、塔の娘は死んだ事になっているため、その布はリンスロットの作品だと言われているが━━━
しかし、彼女を知る見張りや父親等
…
誰から呼んだのか分からないが、
布を織る彼女はいつしか
『布姫』と呼ばれるようになったのだった━━━
「━━あっ」
規則正しく機織りの音を鳴らしていた布姫はふと手を止めた。
「青の糸がきれちゃったわ
…
どうしよう」
今作っている物に青を加えれば、より美しい仕上がりになるのだが
……
しかし、糸も染料を使った布姫の手作りである。
先程急げとリンスロットに怒られたばかりだし
…
そう思いつつも顔を上げると、窓から見える太陽はまだ昼前を指していた。
「
……
うん、少し位なら大丈夫だよね」
布姫は頷くと机から小さなカゴとローブを取り、部屋を後にした。
布姫の外出は、塔の周りに自生する木の実を採る時のみ許可されている。
更に、人に見付かってはいけないので長時間、広範囲は出歩けない。
そんな規則な事もあり、昔は塔の見張り番も同行していたのだが、最近では布姫が逃げる筈がないと信用されているので、もっぱら一人で歩いている。
それに、
「フィリップさん、ご苦労様です」
「おや、布姫。
今日はなんの実を取りに行くんだい?」
「ええ、アオイナの実を」
「ああそうか
…
そういえばリンスロット様が
…
っと、いけないいけない」
初老の見張り番はちょっと苦笑いしたが、気を取り直してウィンクした。
「じゃあ頑張ってる布姫には、後でとびきり美味しい紅茶を持って行ってあげよう!昨日嫁さんが買って来たのさ」
「本当に?ありがとう、フィリップさん」
ここの見張り番達は長年布姫を見てきて、娘のように可愛がるようになっていた。
布姫も優しい兵士達を家族のように慕っている。
そんな日々だから、
きっと布姫は穏やかに育つことが出来たのだろう
…
見張り番は手を降る布姫を柔らかい笑顔で見送った。
キルティー領の森は薄暗く不気味である。
人食い動物が出るとか魔女がいるとか噂が絶えることはない。
だから人々は滅多に近付かないようにしている。
しかし、中に入っているとその自然の美しさに目を疑ってしまう。
鳥の声はすぐ近く聞こえ、花が咲き乱れ、
動物達はのびのびと暮らしている。
そんな篭れ日の下、布姫は一度伸びをしてから籠の中の木の実をつついた。
「これだけたくさんあれば糸だけじゃなくて、タルトも作れるかな」
夕方は紅茶飲みながらゆっくり過ごそう。
そして明日はお菓子を作って、見張りの人と一緒にお喋りしようか
…
そんな事を考えて
『ふふふ』と笑うと布姫は再び歩き始めた。
空が青い━━
見上げると、木の上からリスが降りてきて布姫の肩にとまった。
「こんにちは」
ニコリと挨拶をすると、リスは空と同じ澄んだ瞳をクリクリさせて、首を傾げた。
そんな仕草に自然と顔が綻び、心が癒される。
動物は良い━━━
心が真っ白だから。
布姫はリスの頭をくりくりと撫でてやった。
その時、辺りの空気が一変した。
鳥や動物の囁きはピタリと止まり、森に黒い影が差す。
布姫はその違和感に眉をひそめた。
━━なに
…
?
常人でも感じとれる、
プレッシャー━━
風の音さえ耳障りな一面━
ここにいてはいけない━
布姫は直感的にそう悟った
いそいで足を一歩踏み出すが、もつれてその場に膝を折ってしまった。
━━━━一迅、
刹奈に、
風が森を駆け抜けた。
「━━━誰だ」
黄金の
…
━━━━!?
風から目をあげると、影に覆われた森に光が浮かんだ。
「
…
女か
…
ちっ」
「(━━違う、この人の髪)」
布姫の瞳には一人の男が映っていた。
光に見まがう金と茶色の髪に鋭い錆色の目。
背中に剣を差し、服は
「きゃあああああ!!!」
服にはべったりと赤い血が付いていた。
布姫はその恐ろしい姿に思わず叫んでしまった。
「っ
…
!!うっせぇな!
失せろ、ブス!!狩りの邪魔だ!」
「か
…
り?」
男はじろりと布姫を睨むと彼女の後ろを指差した。
「ヒサギが新しい罠を開発したからな
…
試用だ」
指差した方向には、足挟みに捕まったウサギがいた。
「!?」
「ふん
…
こんな小せぇ獲物も殺しきれてねぇなんて
…
アイツも使えねぇな」
男は吐き捨てるように言うと、背中に差した剣をスラリと抜いて兎に切っ先を向けた。
「そのまま無様に生きるなら、死
…
」
「駄目!!」
兎と男が対峙し、
剣が降り下ろされた瞬間、布姫は間に割り込んだ。
━━常人ならば、
一度降り下ろした剣を止める事は出来なかっただろう
剣は、特に戦う為の剣は人を斬る時に少しでも深くえぐる為、重く造られるそうだ。
だから、男が布姫の髪さえも切らず、寸前でピタリと剣を止めたその力量は計り知れない。
「このっ
……
!!!
死にたいのか、女!!?」
「やめて、下さい
…
お願いします」
身体中に重い石を着けたような空気の重さと、寒さ。
それでも布姫の震えは止まらなかった。
「な
…
なんの為に、いの
…
命を奪うのですか!?
その
…
服に付いた、ち、血もこの森の
……
?」
「うるせぇな
…
どうでも良いだろ!狩りは狩りなんだ!強い奴が弱い奴を殺す
…
これが当たり前の事なんだよ!」
「間違ってますっ!」
布姫の声は深い森に木霊した。
「私には強いとか弱いとか
…
そんな事は分かりません
…
けど、命を簡単に奪ってはいけないということはわかります!
貴方は
…
貴方はただの殺戮者です!」
「
……
言うじゃねぇか」
男は剣を布姫に向けたままニヤリと笑った。
「━━いいぜ、その兎助けたいならテメェにくれてやるよ
……
ただし」
男は向ける剣をゆっくりと下に下げ、布姫の胸に当てた。
「かわりにテメェを狩らせてもらおうか」
「っ
…
」
「俺は狩りに来たつったろ
…
手ぶらじゃ、帰れねぇんだよ」
男の剣が布姫の服を少し切った。
「土下座して許しを乞えば見逃してやるよ
…
兎は置いてってもらうがな」
刻々と衰弱していく兎と震える布姫を交互に見やり、男は口元を残酷に歪めた。
「どうする二つにひと」
「私の命を差し上げます」
男の手がピタリと止まった。
「私の
…
私の命は生まれた時から私のものではありません
……
二つに一つと言うのなら、未来のある方を取ります!」
布姫は真っ直ぐに男の瞳を見つめた。
血のように見えた、深く赤い目は一瞬揺れた。
「━━ガタガタ震えてる癖に、度胸のある女だな」
男は目を細めて布姫の顔を覗きこんだ。
━━近くで見ると、
綺麗な顔をしている
…
布姫はハッと自分が見とれるのに気付くと、思わずうつ向いてしまった。
その仕草に男が再び不敵な笑みを浮かべる。
「くくっ
…
面白いじゃねぇか」
「え
…
?」
男は立ち上がると、素早く剣を収めて布姫に向き直った。
「お前の命、今回は預けておいてやるよ。だが、」
その時、再び一迅の風が森を吹き去った。
「次、必ず━━━」
つむじ風が収まると、
男の姿は消えていた。
布姫が塔に戻ると、一騒ぎが起こった。
服を血に濡らし、腕の中には瀕死の兎。
息を切らし、泣きそうな顔で治療を乞う所にリンスロットが現れ、兎を奪い取った。
━━布を献上するより、瀕死の兎を救った事実を伝える方が同情を誘える
…
それが彼女の言い分だった。
城に向かうリンスロットの後ろ姿を見つめながら布姫は、先程の男が最後に言い残した言葉を頭の中で反芻していた。
『次、必ず━━━━』
━━工の国『コクマー』
━━━城内、謁見の間。
「
…
今日、キルティー領は布を献上しに来ると聞いてたけど
…
さて、なんで兎なんか抱えてるのかな?」
王の代わりに王座に座るコクマーの王子は眉間に皺を寄せた。
「はい!王宮に来る途中、傷付いたこの兎が倒れてまして
…
見捨てるなんて、そんなかわいそうな事は!」
「あ~、はいはいわっ~た分かりました!
………
ようするに、君
…
なんだっけ?リンスロットだっけ?君が来る途中に兎が死にそうだったから、献上するはずだった布を使って止血して治療してそのままここにきた、と?」
「はい!さすがですわ、ヒサギ様!」
王子の前に膝まついたリンスロットは頬を染めた。
「
………
そう
…
君は、
優しくて、素晴らしい子だね」
王子はフワリと微笑んだ。
その天使のような笑みは、周りにいた兵士達をもみとれさせた。
「ぬ、布はありませんが、この兎は差し上げます!お納め下さい!きゃっ(愛)」
「ありがとう、今日はもう帰っていいよ。一刻も早く」
〇〇〇〇〇
「
…
あの女はなんだ?」
「この兎やるよ、死にかけだし汚いし消毒臭いし
…
野生児のお前なら食えるだろ」
「俺はあの女の事を聞いてるんだ!!!!」
リンスロットの後ろ姿を背景に、コクマーの王子の自室は騒がしくなった。
「あの兎、あれはさっき
…
!!」
「っるさいなぁ、
鼓膜が破けるじゃないか、この脳筋!喉潰すぞ!」
王子がそう切り返して、
睨む相手、
光の加減で黄金に見える金茶の髪に獲物を狙うような鋭い錆色の瞳━━
先程の剣士の男は王子に噛みつく勢いで怒鳴った。
「俺の質問に答えやがれ!殺すぞ!」
「殺したら喋れねぇし
…
……
あの女?
キルティー領の貢ぎ屋。類稀なる織り師らしいけど、ウザイし、キモいし
…
なんだよ、ヤりたくなったか?」
「
……
右顔に火傷がある女は奴とどんな関係だ?」
「右顔に、火傷
…
?」
王子が首を傾げる仕草を見て、剣士は顔をしかめた。
━━あれから数日が過ぎた
いつも通り塔で織り機を繰る布姫は、あの日の出来事は夢だったのではないかと思い始めていた。
黄金に輝く血まみれの剣士━━━
恐ろしげながらも気高ささえ感じとれた、不思議な感覚
…
あれは、
布姫は首を振って、その考えを払った。
…
この塔にいる限り、二度と会うことはないだろう。
そう、『二度と』━━━
それが当然なのにも関わらず、布姫の胸はチクリと痛んだ。
この身、運命さえ自分のモノではないのだ。
剣士の事は、夢だった。
つかの間が見せた、
ただの夢。
「━━━?」
ふと、窓から小さく見える街に目が止まった。
キルティー領の境界を見回る兵士は暖かい日和に欠伸をした。
今日も、いつも通り何も起こらずに終わるのだろう。
兵士は二度目の欠伸をした。
━━━その時、馬の蹄の音が聞こえた。
「なん
……
えええぇ!?」
首を傾げる暇もなく、
その音の主は目の前まで迫っていた。
「ひぇえええ!!」
馬は、風のように尻餅をついた兵士の上を跳び越え、そのまま町まで走り去っていった━━━
その姿は漆黒
…
まさに地獄の使いのようだった。
キルティー領の町の中心で馬に騎乗していた男は地に足を付き、髪をかきあげて辺りを鋭く見回した。
のどかな日和にも関わらず背中に大きな剣で武装している、━━その異様な雰囲気に人々は足を止めた。
「━━そこの男!!何用でこのキルティー領まで来た!?」
「
……
うるせぇな」
先程の兵士が知らせたのか直ぐ様領主が中央広場に駆け付けた。
領主は男に歩み寄り、叫んだ。
「貴様のような野蛮な奴が足を踏みいれて良い場所ではない!立ち去
…
」
━━領主は男の剣に彫られた紋章に目が吸い込まれた。
剣と盾がクロスされた上に守護の証である神獣が描かれた独特の紋様━━━
「そ、れは
…
!!!」
言葉を発するだけで血の気が引いた。
「武の国、
ホド王家の紋章
…
!!!」
金茶の髪は太陽光に反射して黄金に光る━━
風に受けながら男はニヤリと笑った。
『王家』の言葉に周りの人々はいろめき立った。
「ホドの王子、ザード様!?」
民衆の一人が叫ぶのと、
領主が地面に頭を擦りつけるのはほぼ同時であった。
「武の国次期王、荒ぶる龍のザード様がこのような田舎領に何か御用でしょうか
…
!?」
声は裏返り、
語尾も震えてしまう
…
それも当然である。
王子はこの大陸に於いて王に次いで尊いもの━━
さらに武の国といえば、
五国一の武力を持つ国だ。
機嫌を損ねれば、国の違いなどねじ伏せて領は滅ぼされる━━━━
領主は目の前の男━━
ザードの顔さえ見れない位に恐怖を覚えていた。
「
……
女を出せ」
「は
…
?」
領主の頭を下げる姿をさげすむように見つめ、ザードは口を開いた。
「この前兎を連れてきた女だ
…
ここにいる事は分かってる。出しな」
「い、いや
…
しかし
…
」
「
……
俺は、
気が長い方じゃねぇんだ」
ギロリと睨まれた領主は再び声が裏返った。
「う、兎を連れてきたのっここに早く!!!!」
「兎でしたら昨日私が助けましたわ。
もしかして、そんな優しさ溢れる私に一目惚れしてしまわれたのですか!?
嗚呼
…
でも私とザード様は違う国の人間
…
結ばれぬ運命ですわ
…
!罪深い私
…
」
「お前じゃねぇ」
ザードは見とれるリンスロットをスッパリ言葉で切り捨てた。
「右顔に火傷のある奴だ
いねぇとは言わせねぇぜ」
「右顔に火傷の
…
女」
『火傷』と口にした瞬間、領主は大量の脂汗を吹いた。
「
……
存じませぬ、な
…
何かの間違いではありませんか
…
?」
━━バレてはならぬ。
領主の罪の証である、
塔の布姫を指している事は容易に分かった。
周りの民衆に知られる事はもちろんとして、王子のザードにも知られたら、当然工の国コクマーの国王にも報告されてしまう━━━
そうなれば、
殺人罪は━━━━━━
「顔に火傷のある女など、この領にはいませぬ!
お引き取り下さい!」
領主の焦りとは裏腹に、
ザードの表情は冷めていた。
「
……
あの女の姿は長時間歩くような格好じゃなかった。と、いうことは
…
森に一番近い町の女だと判断出来る。馬車も入れる場所じゃなかったからな。
それに、十数年前ここでは大火事があったらしいじゃねぇか」
ザードはゆっくりと背中の剣を抜いた。
「てめぇはそれでも、あの女がいないと否定するっていうのか!?」
剣の切っ先は領主の頬を切った。
周りの民衆は悲鳴を上げた。
「お父様!!!」
「来るな、リンスロット!
……
私は、大丈夫だ
…
だから」
━━布姫の事だけはバラすな
…
領主はそう、娘だけに分かるように目配せした。
「でも
…
でも」
「いい度胸だ
…
いっぺん死んでみれば、その腐った口も開くってもんだな!!」
鋭い視線で領主を射抜き、ザードはゆっくりと首に剣をあてた。
「もうやめてください!」
ザードの剣が領主の首を切り裂く直前、
広場に澄んだ声が響いた。
広場の民衆は一斉に声のする方へ視線を移すと、
そこには兵士に連れられた女性が立っていた。
濃い青の髪が右顔に流れ、風に揺られる度に下の火傷を見せる。
琥珀色の瞳は憂いを帯ていた。
人々は息を飲んだ━━
「━━やっと出てきたか」
火傷の女性
…
布姫は少し震えながらザードに近付いた。
「
…
わ
…
私に用なら
…
お父様達を巻き込まないで下さい!」
「お父様
…
ね」
その瞬間、
ざわめきは最高潮に達した。
「火事で亡くなった領主の奥方の生き写しだ」
「奥方と娘はアレで死んだはずだ
…
!!」
「さっきから領主の様子がおかしかったが
…
火事を起こした噂は本当だったのか!?」
「もしや
…
あの噂も
…
」
「リンスロット様の布は
…
」
「ち
…
違う
…
違う違う!
違う!!!」
領主は勢いよく立ち上がり、民衆の一人の肩を掴んだ。
「あの娘は頭がおかしいんだ!わ、私はアイツのことなど知らん!知らんぞ!」
領主の叫びは人々のざわめきにかきけされた━━━
「塔の窓から町を見ていたら、様子がおかしくて
…
事情を聞いたら、見張りの方がここまで導いてくれました
……
あなたは
…
一体何が目的なんですか!?」
布姫の声は震えていたが、瞳は真っ直ぐにザードを見つめていた。
その視線と領主の取り乱した姿を交互に見比べ、
ザードは口を開いた。
「━━
…
昔の大火事で、領主の子供の死体だけは見付からなかったらしいな
…
その子供ってのは、てめぇの事か?」
「
………
」
「生きてる事実を隠されて、領主の言うまま働かせられ
…
そして本当の事がバレればあんな風にとち狂った女だと決めつけられる。
それでも、てめぇはあの最低な男をかばうのか?」
語尾に力が入ると同時に、ザードは布姫の顎に手を当て、クイッと上げた。
「本当に、
それでいいのか
…
!?」
「
……
私は」
黙っていた布姫は一息ついてからゆっくりと声を出した。
「私は、
人が喜ぶ顔が好きです」
「綺麗な布を作ると、リンスロットは嬉しそうにそれを持って行きます。
そして、後でどれだけ賛美を受けたか教えてくれるんです
…
たとえ、その賛美は私に対してではなくても、彼女がすごく嬉しそうにしている姿を見ているだけで私も嬉しくなってしまうんです。
お父様も塔の私の元には来てくれませんが
…
窓から見える、幸せそうな笑顔のお父様を見てるだけで
…
それで私は満足なんです。
町の皆が普通に生活しているだけで
…
満足なんです
…
だから、もう
…
皆を巻き込むのはやめてください
…
!」
「
……
」
布姫の瞳には大粒の涙が溢れていた。
自分はただ、皆の日常を壊したくないだけ
…
そう胸の中で叫んだ。
ザードはその様子に無表情で目を細めた。
「
……
ヒルデ」
「━━え」
ザードがポツリと漏らした言葉に疑問の声を出したが、次の瞬間に布姫は宙を浮いといた。
「え
…
ええ
…
!?」
ザードの手は布姫の肩と膝関節に当てられ、持ち上げられている。
━━いわゆる、お姫様だっこ状態となっていた。
「は
…
離して下さい
…
!
どうするつもりですか!?」
「連れて帰る」
「連れ
…
?!」
ザードはサラリと言ってのけた。
布姫は反論する前に馬へと移され、領の外へと走り始めた。
その一連の行動は、
本当に早かった
……
残された群衆と領主は呆気にとられていた。
「アイツ、
本当に自己中だよな」
━━━━ザードと黒い馬の後ろ姿を見つめていた民衆は、突然聞こえた声に思わず視線を向けた。
━━━ざわめき、
そして、一同がその場に平伏した。
いつのまにいたのか
…
そこに立っていたのは
工の国コクマー王子━━
「ひ
…
ヒサギ様
…
!!」
領主の体はすでに自分のモノではないかのような脱力感を感じていた。
ヒサギはこの場にふさわしくない爽やかな笑顔を作った。
「あの塔
…
機材を置くだけの建物だって聞いてたけど、ね
…
まさか
…
あんな面白いのを隠してたなんて、おかしくて腹抱えそうだ!!」
声は優しげだが、口調は段々と棘が出てきた。
「自分の妻を殺して、娘を軟禁
…
か。
最低の人間だよ、あんた」
「お許し
…
下さい」
「
…
土下座するのは俺に対してではなく、民衆にするべきだね。それと、」
ヒサギは領主の髪を掴み、無理矢理上を向かせた。
「懺悔は城の拷問室でやりな」
笑顔は悪魔の微笑みと化していた━━━━
〇〇〇
━━━布姫は揺れる馬に振り落とされないように、必死だった。
その体勢は意図せずザードの胸に顔を埋める形となってしまっている。
「(こ
…
こんなに男の人と密着するの
……
初めて)」
自分でも驚くぐらい、今の状況からすると不謹慎な思考がよぎる。
体中の体温が上がる気がした。
「(
……
私は、こんな時に一体何を考えてるの!?
この人は、惨殺者で乱暴で誘拐犯で
……
!!
嗚呼、どうしよう
…
夢なら醒めて
…
!!)」
布姫はギュッと瞳をつむった。
━━━ほどなくして、
馬はその歩みを止めた。
布姫は乗せられた時同様にザードに掴まれ、地に足を付ける。
その場所はなんとなく遠くから見た故郷の国の城と似ていた。
しかし、
別世界━━━
布姫の瞳に移った光景を一言で言うとその言葉そのものだった。
あちこちが崩れた城壁にところ狭しと配置された屈強で大きな兵士達、石畳には剣や槍が刺さっていたり、転がっている。
そして、城の天辺には武の国ホドの王国である証、
矛と盾の上に神獣の描かれた旗が風に遊ばれていた。
「ザード」
布姫がきょろきょろと辺りを見回しているうちに、目の前に一人の男が立っていた。
服装は簡素な鎧を着けてはいるが、その瞳はまさになんびとも寄せ付けぬ『獅子』だった━━━
「
…
んだよ」
「
……
コクマーで何かしたらしいな」
「てめぇには関係ねぇ」
「
…
お前の行動には口は出さぬ。だが、」
ザードを見ていた男は突然布姫に向き直り、
「彼女だけは自由にしてやれ」
男は軽く溜め息をついた。
ザードの眉間に皺が寄るのも怯まず、男は続ける。
「お前が彼女をどうしたいのか
…
それに私は関与しない
…
しかし、彼女の瞳は脅えきっている。
……
無理矢理連れてきたのか」
「てめぇには関係ねぇって言ってるだろう!!!!」
ザードの大声に布姫は体を震わせ、目に涙を溜めた。
男は再び溜め息を吐く。
「
……
ヒイラギにはこちらから言っておく。
あと
…
分かっているとは思うが、ナルセスとフェルナンドにはバレぬようにしろ
…
お互い、奴らに説教されるのは厄介だからな」
言い終わると、
男は布姫に手を差しのべ、
「
…
私は、
武の国ホド国王レオ。
君を、歓迎する。
━━すまない、
息子が迷惑をかけるな」
そう、続けた。
城の中は武の国にふさわしく、いたる場所に武器や防具が飾られていた。
━━いや、
これは放置と言った方が正しいかもしれない。
見た限り、整理された気配がまっったく感じられないのだ
…
「(さっきから男性の方しか見えないし
…
)」
布姫はザードの後につきながら長い廊下を歩いた。
「きょろきょろするな。
兵士の奴らに押し倒されるぞ」
「押し
…
?!」
「この城には
…
女がいねぇからな。奴ら溜ってんだよ」
━━と、
ある扉の前で止まるとザードはベルトに付いた鍵を外して、扉を開けた。
「入りな」
「━━━ぁ」
部屋は鍵がかけられていたわりには埃もなく、綺麗に片付けられていた。
簡素なベッドと小さな机に━━
「窓に
……
剣?」
布姫は窓に立掛けられた細身の短剣に首を傾げた。
微かにひびの入ったそれには武の国の紋章が━━
「それに触るな!!」
「きゃあっ!!」
剣に触ろうとした布姫はザードによって床に倒された。
ザードは剣を回収しつつ、布姫を睨みつける。
「これは━━てめぇが触っていい代物じゃねぇんだよ
………
この部屋でおとなしくしてろ」
そう吐き捨てるように言うと、ザードは部屋を後にした。
部屋は静寂に包まれた。
布姫は起き上がると、
体の震えが蘇った。
「か
…
えり
…
」
━━今日、
何度目になるのだろう
…
「か
…
えりたい
…
」
瞳から大粒の涙が溢れた。
「おい、自己中脳筋」
ザードが部屋から出ると、廊下の向こうに仁王立ちした男━━
工の国王子ヒサギが立っていた。
「
…
来てたのか」
「来てたのか
…
?
はっ!ザード王子があんだけご活躍してくれたおかげで俺は尻拭いを任されたよ、バーーカ!!」
ヒサギはツカツカと駆け寄ると、思いきりザードの足を蹴った。
「い
…
いってーーー!!」
「ふんっ、いい気味だ」
「てめ
…
、
鉄入り靴のくせに
…
!!
ぶっ殺す!!」
「これだけで勘弁してやってんだ。礼を言われたい位だね」
ヒサギは目を伏せながら、ザードが衝撃のせいで落とした短剣を拾い上げた。
「いいか
…
今はお前にあの女を預けといてやる
……
だが、」
短剣の柄をなであげ、ゆっくりと抜いた。
「ヒルデはもういない。
それだけは覚えとけ」
言い終わるが早いか、
ヒサギは腰に付けた工具を素早く取り出し、思いきり短剣を折った。
ザードは一瞬目を見開き、硬直してしまう。
「ヒサギ
…
てめぇ
…
」
「
……
」
ヒサギは軽く睨みつけると無言で踵を返した。
━━━静寂が城内を包みこむ
…
ザードは折れた剣を拾い、
うつ向いた。
〇〇〇〇
━━━布姫が武の国に来てから数日が過ぎた。
あれから、
布姫を連れてきた本人
…
ザードは一度も部屋に来ていない
…
「(
…
あの人は一体何が目的なのかしら
……
)」
布姫は窓から外の風景を見つめて溜め息をついた。
ザードの名も、
彼が王子である事も、
…
あれから彼の父親である武の国王のレオから聞かされた。
そう
…
ザード本人からは何も言葉を貰っていないのだ
…
干渉をしてこない、しかしこの部屋から自由に出ることも禁止されている。
ザードの目的が、全く分からなかった━━━━
それを見かねてなのか
…
父であるレオ王は布姫を気にして、一日に一回は様子を見に来てくれている。
そして、今の状況やこの国の事を独り言のように語っていくのだ
…
しかし、そんな行動も気休めでしかない
…
だが、人間とは不思議なもので
…
そんな日々でも、今の状況に慣れ始めていた。
「(帰りたい気持ちには変わりはないけれど
…
)」
風が部屋に流れて、カーテンを揺らした。
━━━お父様は無事かな
━━リンスロット元気かな
国を出た時の、
皆の表情が頭に引っ掛かる
…
「ごめんなさい
…
」
それしか口に出来ない。
そうなると涙が溢れて、止まらなくなってしまう。
…
ああ、いつからこんなに涙腺が弱くなってしまったんだろう
…
拭っても拭っても止まらない涙はもう、邪魔でしかなかった。
━━その時、
初めて窓の外から自分に向けられた視線に気付いた。
窓の外は石のひきつめられた野外の剣技場のようで、そこに一人、軽装で剣を手に持つ男が立っていた。
男の鋭い目は布姫とふと、合った。
「
…
ザー
…
ド様?」
ザードは一瞬で布姫から目をそらすと、スタスタと歩いて行ってしまった。
「
…
見られちゃったかな」
布姫は涙を拭い、窓を閉めるとベッドに腰掛けた。
━━━━バンッ!
布姫が溜め息を吐くと同時に、突然部屋の扉が開かれた。
大きな音に驚いた布姫を気にせず、開いた男━━
ザードは錆色の瞳で睨みつけながらズンズンと部屋に侵入してきた。
「
……
ザード様
…
?」
「━━やる」
あの短時間でどうやってここまで来たのか
…
?
そんなツッコミは飲み込んで
…
ザードの差し出した手には兎が握られていた。
「
……
え、あっ!」
足に傷を負った兎
…
布姫には見覚えがあった。
「あの時の
…
」
ザードと出会った森で、
罠にかかっていた瀕死の兎━━━
「どうしてザー
…
」
「それはこっちのセリフだ
…
コイツはてめぇに預けたはずなのに、なんで別の女が持ってたんだ?」
「
………
ごめんなさい」
うつ向くしかなかった。
「
…
ふん
……
今度はちゃんと持ってろ」
ザードは不機嫌そうに言うと、兎を布姫に放った。
(生き物を投げてはいけません)
慌てて布姫がキャッチすると、本人(本兎?)はきょとんと何事もなかった様に瞬きしている
…
布姫は胸を撫で下ろした。
「
……
てめぇ、名前なんだよ」
優しく兎を撫でる布姫を見ながら、ザードは椅子に腰掛けた。
「え
…
」
「いつの間にか俺の名前知ってやがるし
…
びょーどーじゃねぇな」
漢字は使い慣れないのか、『平等』の発音が少しおかしかった。
それは置いといて、
布姫はなにも言えなかった。
「
……
ないです」
「俺には言えねぇってのか?」
「ち、違います!
あの
…
私には、名前が
…
」
『ないんです』その語尾は小さな声でかすれてしまった。
「
…
ない?」
「
……
皆には『布姫』と呼ばれていましたが
…
それは名前ではなくて
…
私の役割としての呼び名でした。本当の名前は付けられてません
…
」
言葉を選びつつ、兎を撫でる手は震えた。
布を織るだけの日々
…
それだけの存在価値だった━━改めて、自分の置かれていた状況に心が痛んだ。
『布姫』は沈黙するザードに気付くと、精一杯に笑顔を作って続けた。
「ご、ごめんなさい!
あの
…
私の事は気になさらず、好きに呼んで下さい。どうせなら、同じく布ひ
…
」
「
…
アテナ」
「はい?」
ザードは勢いよく立ち上がった。
「今日からお前は『アテナ』だ!」
「え
…
ええっ?」
兎は鼻をヒクヒクと動かした。
「それは
…
」
「名前がねぇなら付ければ良い話だ。布キレだか紙キレだか知らねぇが、んなのは捨てな!」
ザードは真っ直ぐ指差し、宣言した。
「お前の名前は今日から、戦の守り神の名を借りて
…
『アテナ』だ!」
「
…
ア
…
テナ」
『アテナ』は自分の名前を反芻した。
「
…
ちょっと
…
恥ずかしいです、ね」
「俺様がわざわざ付けてやったのに気に入らねぇのか」
「い、いえ!そんな事ないです!凄く
…
凄く嬉しいです」
じわり、と涙が溢れた。
名前などと、当たり前の事なのに
…
「なっ!?な、泣くほど嫌なら
…
」
「ありがとうございます、ザード様」
アテナは泣きながら笑顔を作った。
━━これが、本当に生きるという事なんだ
…
流れる涙は先程とは違い、暖かかった。
「
……
わ、
笑えるじゃねぇか、たくっ」
ザードは呟くとアテナから離れ、入口に向かった。
「
………
泣かして、悪かったな」
「
…
ザード様?」
…
ああ。
やっぱり見られてたんだ。
アテナは再び顔を赤らめた。
さっき目があった時、ザードは自分が泣いている姿を見ていたのか
…
だから突然に兎を連れてきたり、名前を付けてくれたりしてくれたのかもしれない。
アテナは苦笑した。
「何か他に欲しいもんがあったら言いやがれ!
また不満で泣かれたらたまったもんじゃねぇからな!!」
ザードはそう吐き捨てる様に言い残すと、ドアを壊す勢いで大きな音をたてながら、立ち去った。
アテナはそれを見つめて、
「
…
ありがとうございます」
再び礼を言った。
〇〇〇〇
━━━━
…………
。
あれは、十何年も昔
……
俺はまだ小さいガキで、
そう
…
あの日俺達いつもの五人で森に遊びに行った時
アイツと
青い髪をなびかせたアイツと出会ったんだ━━━━
「なんだ、宝なんかないじゃんか!」
金の強い茶色の髪を揺らしながら、一人の少年は叫んだ。
少年は平和な森を歩くにはちょっと大き過ぎな剣を背中に差し、手にはここらへんの古い地図が握られている。
隣に歩いていた顔立ちのしっかりした少年は溜め息を吐いた。
「古い本に挟んであった地図が、全て本物だとは限らないと言ったはずだ」
「
…
ま、礼儀作法の練習サボれたし
…
ラッキーだったかも」
「んだ、気分転換にもなったべな」
「あ~あ
…
宝見付けたら好きなもんた~くさん買おうかと思ったのに」
剣の少年の周りには仲間四人が歩いていた。
それぞれに服装の質などは違えど、楽しそうな姿を見ると皆仲は良いようである。
「━━おっ!
美味そうな野豚!」
━━その時、先頭を行く剣の少年が歩みを止めて、ニヤリと笑った。
視線の先には小さな野豚が草を食べている。
「宝はなかったけど
…
アイツを土産に持って帰ろう!今日の晩飯だ」
少年は背中の剣を抜くと、飛びかかる体勢をとった。
「ちょっ
…
駄目だぁ!
子供を狩るのは、この後の色々な事に関係あるべ
…
」
「うるせぇな、ここは俺んとこの領地なんだから勝手だろ」
薄紫の髪の少年を退けながら、剣を持つ手に力が入った。
子豚はまだ五感が未発達なのか少年の事に気付かず、草を食べ続けている。
剣の切っ先は鈍く輝くと、
少年は土を蹴った。
━━━少年は風と一体になり、木々を揺らした。
「駄目っ!!!」
それは刹奈の出来事だった。
「
…
っ!!!
し、死にたいのか!?」
少年が振り下ろした剣は子豚を避け、土を削った。
子豚が逃げ去る後ろ姿を睨みながら、少年は目の前で立ちはだかる少女に舌打ちをした。
「ちっ
…
逃げられたじゃねぇか」
「あんた
…
何をしようとしたか分かってる?」
少女は子豚をかばうように立っていたが、草の蔭に消える姿を見送ると、腕を組んで睨みつけた。
その瞬間も少女の濃い青の髪は木々に同調して美しく揺れる。
意思の強い瞳は剣を持つ少年を前にしても全く揺らがなかった。
剣の少年がしびれを切らして、叫んだ。
「どけよ!」
「
……
ていっ
…
!!」
「あ?」
少女が何かを呟いたその瞬間、
少年は頬を思いきり打たれていた。
━━━━━━
……
〇〇〇〇
「ザード様?」
「はっ
…
!」
━━アテナは首を傾げた。
「大丈夫ですか
…
?
なんだか、ボッーとしていましたけど
…
」
「
……
なんでもねぇ」
━━なんで、
昔の事なんか思い出してんだ
…
俺
…
今だ過去の情景が頭から離れず、今の状況を把握出来ない━━━
目だけ動かして、
周りの様子を確認した。
窓から漏れるこもれ日━━
簡素な机の隣には、先日持ってきてやった布織り機が置いてある
…
ベッドには色とりどりの布が綺麗にたたまれて置かれている。
━━━塔にいた時と変わらないじゃないか
…
と、言ったのだが頼んだ本人はそれでも欲しがった。
ザードはそこまで回想すると、アテナの部屋に来ていた事をやっと思い出した。
━━━あの日、
アテナが泣いてる姿を見てから、なるべく毎日部屋に顔を出し、出来るだけ要望を聞くようにしている。
それは、
罪悪感からかもしれないし
…
償いかもしれない
…
━━━誰への?
━━━━何の?
ザードは頭を振った。
「(罪悪感も償いもコイツを帰せば済むことじゃねぇか)」
それを何故しないのか━━
「
…
あの、ザード様
…
私欲しい物があるんです」
様子の変なザードを見て、アテナは話題を変えるように言った。
ザードはゆっくりと顔を上げた。
「
…
先日持って来て頂いた布織り機
…
それで新しい布を織りたいんです。
その為に、アカイナの実が欲しくて
…
」
「
…
アカイナの実?」
「日の照る場所に生えている赤くて小さな木の実です」
「
…
日の
…
照る場所
…
ね」
ザードは少し考えてから、
「その場所まで案内してやるから、後は自分で探しな」
部屋の外を顔で指した。
アテナはここに連れて来られてから、城内を見回った事がない。
見た所と言えば、長い廊下と寝泊まりしている部屋のみである。
だから、彼女はザードの後に歩きながらキョロキョロとその風景に見いってしまっていた。
━━廊下の隅々まで並べられた武具。
…
よく見ると、
只の装飾品ではなくてキチンと使えるようになっているらしい。
一部は黒い染みが付いている。
床は城らしく大理石
……
と思うのだが、黒すぎて本当のところは分からない。
恐らく、掃除がなされていないのだろう
…
天井からはシャンデリア
……
の跡だと思われる棒が吊り下がっていた。
この国の人達から推測すると
……
壊してしまったのだろう。
外見も内部も何だか城と言うより『要塞』そのもの。
アテナはちょっと苦笑した
アテナの笑いに気付いてかザードはジロリと睨んだ。
「
…
おい、またキョロキョロしてるぞ」
「えっ?」
「前にも言ったが
…
」
ザードはそこまで言うと、クスリと笑って呟いた。
「
…
ま、今は俺がいるから大丈夫か」
━━初めてあった時に比べると、ずいぶんと表情が柔らかくなった
…
アテナもつられて微笑み返した。
長い廊下を抜け、
折れたらしい武器などが散らばる中庭を過ぎると、平屋の大きな建物が見えてきた。
「ちょっと待ってろ」
ザードはその場にアテナを静止させると、建物の中にスタスタ行ってしまった。
「
……
大きな建物」
木製━━だと思うが、
立派過ぎて判断出来ない。
もしかしたらアテナが知らない材料の建築方法の代物なのかもしれないが━━
そんな事を考えつつ、少し手持ちぶさなアテナは好奇心か、そっと建物の中を覗いてみた。
「
…
わぁ
…
」
わらの柔らかい匂いが一気に押し寄せる━━━
そこには何十という馬が飼育されていた。
賑やかな声と、しきりに限られた場所を動く音
…
中にはゆったりと足を折って休む馬もいる。
「すごい
…
……
こんなにたくさんどうするんだろう?」
そりゃ乗るんでしょ。
…
と、突っ込みは置いておきまして。
アテナが覗く小さな窓に、一匹の馬がやってきた。
何十といる馬の中、
一際美しい純白の毛並と澄んだ瞳を持った馬
…
アテナは一瞬あまりの美しさに息を飲んだ。
「
…
綺麗
…
一瞬、天馬かと思っちゃった」
━━昔、絵本で読んだ神話
そこには、気高く主人につかえる馬が描かれていた
…
そんな純白の馬はアテナに擦り寄って来た。
「きゃっ
…
ふふ、くすぐったい
…
そうだ、あなたお名前は
…
」
「ホワイトタイガースペシャル花子」
「
………
え」
気が付くと、いつの間にかアテナの後ろにザードが戻ってきていた。
「
…
だっせぇ名前だよな。そいつ、親父の馬なんだけど
…
メスだからって花子はねぇよなぁ」
…
それ以前の問題のような気がするが。
「それに比べて俺様の馬は、最高に最強なやつだ!」
ザードの隣には、以前ここまで乗って来た漆黒の馬がおとなしく立っていた。
対照的に主人は腰に手を当てて宣言した。
「コイツは━━
ブラックスクリュードライバーインパクト!!!!」
同じだっー━━━!!
「ふふんっ、どうだ!かっこよすぎて痺れるだろ!」
「
……
え
…
ええ」
親子って、本当に似るもんなんだ
…
とアテナは胸の奥にしまった
……
〇〇〇〇
青々とした木々に、
澄んだ風━━━
ザードとアテナは黒馬に揺られて城から少し遠くの森までやって来た。
「(ここは
…
元いた塔の森と、生えている木も草も種類が全く違う
…
)」
国が隣同士だとしても、
気候や環境が違うのかもしれない━━
アテナは漠然と考えた。
…
そう言われてみれば、
なんとなくアチラより暖かい気がする。
ザードや王、城の兵士達が武人なのに薄い鎧なのも頷けた。
「
…
何見てんだよ」
「あ
…
い、いえっ!」
アテナはいつの間にかザードを見つめていることに気付いた。
意識して見ていたわけではない
…
無意識にやってしまっただけだ。
「(恥ずかしい
…
)」
アテナは顔を真っ赤にしてうつ向いた。
自分でも気付かないうちにだんだんとザードに惹かれてしまっているのかもしれない━━━
アテナはチラリとザードの顔を再び見る。
彼は、やはり王子だけあって普通とは違う雰囲気を持っていた。
気品とか高貴とか
…
そんな感じではなく
……
言葉に出来ない、王の気質がザードに見えた。
━━人は自分より上のものに憧れる。
アテナは認められていないとはいえ領主の娘
…
だが、王子のザードに比べたら象と蟻━━
比べるのもおこがましい存在なのだ。
「(望んだところで叶うはずないよね
…
大丈夫
…
今までと一緒
…
)」
外の世界を小さい窓から夢見た日々━━━
叶うはずがないと諦めて、小さくても、毎日幸せ感じて生きてきたではないか。
━━また、
そうやって生きれば良い
…
アテナは、目を伏せた。
「━━ここだ」
しばらく歩いた後に、ザードは馬を止めた。
「
……
わぁ
…
!」
━━視界全てに花。
赤や青、黄色やピンク
…
極彩色の世界に迷いこんだ錯覚を覚えるような花の嵐
蝶も鳥もその風景の一部と化していた。
「こんな
…
大きな花畑があるなんて
…
」
「ここが武の国で一番日の当たる時間が長い場所だ。
…
ま、隣のとこにはみ出てるからウチの国の物とも言えねぇがな」
ザードは馬からアテナを降ろしながら、遠くに見える大きな建物を指差した。
「━━あれが創の国の城。間違っても近付くんじゃねぇぞ」
「なんでですか?」
かすかに見える、武の国とは違う真っ白の城壁を見つめて、アテナは首を傾げた。
ザードは一回ジロリと睨むと溜め息を吐いた。
「
……
奴はとんでもねぇんだよ」
そう呟き、不機嫌そうに再び睨むと『早く行け』と手の動作をして、アテナに行動を急がせた。
アテナはその視線に慌てて走りながらも、言葉の意味に疑問が止まらなかった。
〇〇〇〇
「ザード様、見てください♪たくさん摘んでしまいました」
「
……
」
…
やはり、女の子は花が好きなようで
…
しばらく待っていたいたザードの元にやってきたアテナは満面の笑みで腕いっぱい花をザードに見せた。
しかし、見せられた本人の顔は冷めている。
「
……
で?」
「はい?」
「木の実はどうした?」
「
………
あ」
本当の目的は布糸の染料アカイナの実を探すこと
…
『今探してきます!』と続けて、走り始めたアテナは
「すみません、この花持っていて下さい!」
「はっ
…
!?」
一旦踵を返し、ザードに花を渡すと再び走り始めた。
反論をする間もなく、その素早さに呆気にとられたザードは腕に激しく似合わない花を抱えて動けなかった
…
溜め息を吐いた後、
ザードは渡された花を何気無く見た。
赤青黄色の花々は綺麗にゆらゆらと風になびいている。
その時━━━
突然胸の引っ掛かりを感じた。
青い髪を揺らして、花をめでる姿━━━
細くて弱々しい体の線━━
違和感が頭の中をかきまわし、体をムカムカさせた。
「
…
アイツは、花なんて
…
」
━━花々の匂いは甘ったるく、気分を悪くする
…
ザードは言いようのない不快感を感じた。
数日しか命のないにも関わらず、何故こんなにも主張するのか
…
何故、こんなにも
心に残るのか━━━━
「くそっ
…
!!!」
ザードはたまらず、
持っていた花を足下に叩き付けた。
赤い花、黄色い花、青い花━━全ては音も、抵抗感もなく地面に横たわる。
後はゆらゆらと風にもてあそばれるのみ━━━━
「
…
なん
…
で」
さらに胸がムカムカしてきた。
この甘い匂いか、
それとも━━━━
「死んだんだ
…
ヒルデ」
━━花があの子と重なった
「
……
大丈夫、ですか?」
その時、
ザードは背後から突然に声をかけられて思わず剣に手をやってしまった。
しかし、すぐに声の主に勘付くと平然を装い振り返る。
そこには、ザードを心配そうに見つめるアテナが立っていた。
「
……
」
「
……
ザード様
…
あの
…
大丈
…
」
「黙れ!」
花畑の静寂はその瞬間から殺気に変わった。
ザードは鋭い凶器のような瞳でアテナを睨みつけた。
「アイツとそっくりな声で話しかけるな
…
!」
「
…
アイツ?」
「そうだ、アイツは
…
!」
胸に溜った言葉ばかりが溢れる。
ザードは落ちた花を踏みしめた。
「アイツは
…
お前みたいに弱くないし
…
こんな花なんて好きじゃなかった
…
!」
風が吹いて、
揺れるアテナの深い海のような青い髪が『彼女』と重なる。
━━そう、アイツの髪も、
花ビラが二人の間を舞って行く━━━━
暖かい陽射しが、段々と雲に隠され影を作った。
「
…
ザード様、私は
…
私です
…
他の誰でもありません」
うつ向いていたアテナは、強い瞳をザードに向けた。
そこには少しの寂しさの色も混ざっていたが、アテナは意を決して言葉を続ける。
「教えて下さい
…
ザード様は、私を誰と重ねているんですか?
それと
…
私を連れてきた理由は関係あるんです
…
か?」
強く言いながらも、
アテナの瞳には涙が溢れていた。
「
………
」
ザードはアテナのうるむ顔に罪悪感を感じてか、視線そらし、空を見上げた。
「
…
あの日も
…
」
━━同じような曇り空だった
ザードはゆっくりと重い口を開いた。
もう、十年も昔
…
━━
その日、王子五人は武の国で宝探しをしていた。
そりゃ、
宝の地図はインチキとか、宝なんてあるわけないとかそんなことは五人とも分かってたが、ただ何かを理由にして皆で遊びたかった
…
それだけだった。
そんな宝探しにも飽きてきた頃、目の前に群れからはぐれたのか子豚が一匹だけで餌を食べていた。
剣を持つ少年━━━
ザードは狩りだと銘打っていたぶって遊んでやろう
…
そう思っていた。
しかし━━━━
〇〇〇〇
森に頬を思いきり叩く音が響いた。
叩かれた本人
…
子豚を狩ろうとしていた剣の少年、ザードは一瞬何が起こったか理解出来なかった。
「
…
命を、簡単に奪う奴はただの殺戮者よ」
少女は茶色の瞳でザードを睨みつける。
その言葉と視線に状況をやっと判断出来たのか、ザードはハッとして剣を構え直した。
「こ
…
このっ
…
!!女のくせに生意気な奴だな!
俺様が誰だか分かってんのか!?」
「女のくせに?
そんな細かい事を比べるちっちゃな奴のことなんて知らないわよ」
「(ぷっちん)良い度胸だ、この女ぁ!土下座して泣かせてやる!!!」
ザードは大きな剣を少女に向かって振るった
…
〇〇〇〇
「ザードの剣の軌道を足元にあった石で変えて、大きく空振りさせたところを、素早く額に蹴りを繰り出すなんて
…
鮮やかな身のこなし
…
それに比べて、誰かさんカッコ悪過ぎ」
そう言いながら灰色の髪を揺らした少年は地面に倒れるザードを面白そうに見た。
「
…
うるせぇ、馬鹿ヒサギ」
「だ、大丈夫だか?
さ、肩に手を当てるべよ」
薄紫の少年に手を貸してもらったザードはふらつきながらも起き上がる事が出来た。
額にはくっきりと足跡がついている
…
「
…
奴は?」
「貴様が気を失っていた5分23秒の間に立ち去ったぞ」
「『またね』
…
だって」
それぞれ暇そうにしていた少年達が答えてくれた。
ザードを心配してくれているのは、どうやらひとりのようらしい(爆)
ザードは悔しそうに土をけった。
「くそっ
…
!!
絶対探し出して逆襲してやるっ
…
!!」
その言葉は
すぐに実現した。
自分の家
…
否、城に戻ったザードは唖然とした。
そうだ、帰るなり父親に呼ばれて謁見の間に行くこと自体おかしいんだ。
それで何かあると察すれば
…
あの言葉の意味をきちんと考えれば
……
「今日からお前の護衛となるヒルデだ」
「また会ったわね」
目の前に先程の女が立っていることに思い立ったのに
…
!!!!
〇〇〇〇
「おい!馬鹿親父!なんで護衛
…
しかも女なんか連れてきたんだよ!?」
ザードは父レオの後をバタバタバタついていった。
「俺は護衛なんかいらねぇんだよ!それにあの女嫌いだ!」
「
……
」
レオは無言で長い長い廊下を歩く。
少女
…
ヒルデにあてられた部屋をザードに見せるつもりらしい。
彼女はそのまま謁見の間に待機してもらった。
「さっきなんか額蹴りやがって
…
おい!聞い
…
!?」
刹奈━━━━
ザードの額にレオの剣がかすった。
一瞬にして、
辺りの空気がピンと張りつめ、体が冷たくなる━━
その空気とシンクロするようにレオの瞳は氷のような鋭さで突き刺さった。
「
……
王子
…
特にこの国の奴は命を狙われやすい
…
今のようにな」
レオは喋りながらも、なお息子に剣をつきつける。
ザードは何故か体も瞳も動かす事が出来ず、ただ父の冷めた顔を見つめるしかなかった。
「突然に襲われた際にお前は動けるか?」
「
………
」
「口を開けないのは恐怖と緊張が同時に起こっているからだ
……
そんな未熟な者が一人で身を守れるわけがない━━」
と、レオは身を離すとザードの後ろを見すえた。
「だから、優秀な護衛をつける必要があるんだ」
━━レオが見据えた先には謁見の間に待機させていたはずのヒルデが、
ボウガンを構えて立っていた。
━━━━
…
。
ヒルデの部屋はザードの部屋から数mの先、かなり近くに配置された。
そんなヒルデは一回背伸びをすると、窓の縁に腰を預けてニッコリ微笑んだ。
「窓からの見晴らしも良いし、貴方との部屋とも近いし
…
これで護衛しやすいってもんだわ。
よろしくね、ザード」
「よろしくじゃねぇ!!」
窓から流れる風が部屋に爽やかな香りを運んだ。
しかし、それに似つかぬ怒鳴り声が辺りに響く。
「てめぇなんかの力を借りなくても俺様は自分で身を守れる!帰れ!
今 す ぐ 帰 れ !」
「
…
さっきは動けなかったくせに」
ヒルデは素早くザードの頭にチョップを繰り出した。
急に対応が出来るわけもなく、ぐしゃりとモロに食らってしまった
…
もちろん手加減はしたのだが、普通の力でも強いらしく
…
ザードは痛さにころげた。
「
…
あのねぇ、こんなのも避けられないなんて
…
本当に王子?」
「なっ
…
!?」
ヒルデは濃青の髪をかきあげて溜め息を吐いた。
そして、おもむろに足元の荷物から小さなナイフを取り出すと、
「
…
窓のすぐ外って、剣技場でしょ?
いいわ、そこで私と戦って貴方が勝てば
…
すぐに出ていってあげる」
ジロリと睨むヒルデの瞳はまるで弱者をいたぶる罪悪感を感じているようだった
…
━━━
〇〇〇〇
「勝負は一本のみ。
待ったなしね、良い?」
「当然だ!
さっさと始めろ!」
剣技場に木霊する声が、
城壁にぶつかって響く。
ザードは石畳を踏みしめて背中から自分に不釣り合いな大きな剣を抜いた。
ヒルデは手に持つ小さなナイフを軽く回し、構えた。
━━ここには、
風の音のみが存在する
異様なプレッシャーが張りつめ、
「くたばれぇぇええ!!」
「
……
はっ!」
切れた━━━━━
ザードの振り下ろした剣を避け、ヒルデは後ろに回りこんだ。
しかし、ザードも剣の軌道を無理矢理に変えてぐるりと横に振り回した。
「
…
あなた、それは剣技じゃなくてただ棒を振り回してるだけね」
ヒルデは軽やかに避けつつ鼻で笑った。
「うるせぇ!勝てば良いんだよ!勝てばっ!!」
「ま、そうだけど
…
」
ヒルデが着地したところを狙い、ザードは一気に突進してきた。
「もらったぁ!!!」
「その戦い方じゃ、
勝てないわ」
ヒルデはザードを避けもせずに、小さなナイフで剣の切っ先を払った。
それはほぼ一瞬で、
ほんのわずかな軌道の変化だったが、ザードはその瞬間だけ手を止めてしてしまった。
ヒルデのナイフがザードの首に鋭く飛んだ━━━━
━━━風が熱った心地よい
「いい?あなたの戦い方はめちゃめちゃだし、何より自分の体に負担をかけすぎるわ」
━━空も真っ青だ
「あと、戦いの最中はいつでも気を張って!
手を止めたらそこを突かれるんだから」
━━腹減った
…
「ちょっと聞いてる?
いつまでも倒れてないで聞きなさいよ」
…
ザードは石畳に仰向けに倒れていた。
先程の戦いで首にナイフ
…
と思っていたゴム製レプリカが当たり、気を失った。
目を開けるとヒルデが腕を組み、仁王立ちしながらこちらを見ていた━━━
完敗である
…
「っくそ
…
こんな女に負けるなんて
…
!!」
「はぁ
…
あなた、まだ女だからとか言ってるの?」
やっと喋ったザードの言葉にヒルデは溜め息を吐いた
そのまましゃがみ、ザードに目線を合わせる。
「そりゃ、女が力で男に勝てるわけないわ。
でも、それをテクニックで補なって戦っているのよ。今回だって、あなたの力を利用して避けたり、弾いたりしたんだもの。
…
女だって、本気を出せば男に勝てるもんなのよ」
ヒルデはザードのおでこを指で弾いた。
ザードはヒルデの手を借りて立ち上がった。
自分と大して歳も変わらないはずなのに、相手はずいぶんと大きく見える。
手も、マメだらけだった
…
「そんなに強いなら、護衛なんてやらないで戦場に行けば良いじゃねぇか」
武の国の戦士にとって、
戦場は第二の故郷であり、生きた実感を湧かせる場所である。
少女とはいえ、ヒルデのように強い者ならば日常茶飯事に起こる戦いに引っ張りだこなはずだ。
「
…
レオ様が
……
から」
「は?」
ヒルデはボソリと言った。
ザードは首を傾げて、聞き返すがヒルデは苦笑しながら否定した。
「なんでもない!
弱い貴方が心配なだけよ。それに、戦場なんか出たら私なんてすぐやられちゃうじゃないの」
そう言うと、不自然な表情で部屋へと歩き出した。
━━
…
何かを隠している
そう感じたが、ザードは黙っていた。
否、言えなかった━━━━
〇〇〇
それからヒルデはザードの護衛兼師匠として毎日特訓に付き合ってくれた。
初めはヒルデを認めず、口ごたえばかりしていたザードだが、一ヶ月を過ぎた頃には素直に教えを受けるまでになっていた。
ヒルデの剣の腕はまさに一流
…
日々を一緒に暮らせば暮らすほどに今の役割に首を傾げるしかなかった
…
そして、今日も二人は近くの森に演習に来ていた。
森に鉄の重なり合う音が響き、声が飛び交う━━━
不思議と穏やかな風が吹き動物達も様子を見に来るような空間が流れていた。
そして、
また一迅の風が吹く━━━
「ザード!また腕の力だけで剣を使ってるわよ!」
「っ
…
うるせぇな!癖なんだよ!」
「そんな事じゃ、一年後には腕が使い物にならなくなってるか、死んでるかになってるわよ!
ほら、試しにそこの木の枝を切ってみなさいな」
そう言い、指差すヒルデは随分と上を向いていた。
ザードは眉間に皺を寄せて静かな怒りを示す。
「
…
おい、嫌がらせか?」
「違うわよ
あなた足の力が凄く強いから、それを生かそうと思って」
ヒルデはウィンクしながらも、ザードに剣を突きつけて『早くしろ』と言っているようだった
…
「良い?しっかり助走をつけてタイミングよく跳ぶのよ。じゃないと木に激突するからね!」
「
……
」
森に静かな沈黙が流れる
…
そう
…
ヒルデのアドバイスはいつも的確だ。
しかし、無謀な事が多すぎてたまについていけないことがある。
今回だって
…
何が『足の力が~』だ。
あんな何mも上の葉などかすることさえ出来ないに決まっている。
木々の葉が揺れるのにシンクロしつつ、ザードは溜め息を吐いた。
「
……
ザード!!」
怒りのこもったヒルデの声に目線だけ動かす。
…
キレられても出来ないもんは出来ないんだよ。
そう心の中で反論した。
しかし、その反論は予想外に裏切られる━━
「いい加減自分の力に気付きなさいよ!
あなた、強いんだから!
強くても今のままじゃ誰も守れないわよ!」
『守れない』
その言葉にザードはハッとした。
無意識に視線がヒルデを捕える━━━━
『守りたい』
「バッ
…
!!」
心の中で自分を否定するも、体が熱る。
再びチラリとヒルデに視線を移すと、森の静かさが増した。
━━━否、
今は多くの事を考えられない。
彼女だけしか瞳に写せない
一迅。
風がヒルデの青い髪をもてあそぶ。
茶色の瞳は真っ直ぐにザードを見つめている。
正直に、綺麗だと感じた。
今までに感じた事のない体の熱っぽさが駆け巡り、
しかし━━━━
「やってやるよ━━━!」
ザードは胸の熱さを振り払うかのように、木に向かって走り出した━━━━━
〇〇〇〇
「まさか、予想以上の高さを斬れるとは思わなかったわ!」
ヒルデは遥か上を見上げて少し興奮したように言った。
━━━視線の先
…
常人では到底無理な高さの枝がバッサリ切り取られている。
先程ザードが、まるで風のように翔んだ結果だ。
ザード自身も己の力に驚きを隠せなかった。
「
…
お
…
俺様が本気を出せばこの位ワケないぜ!」
「うん、見直した」
ヒルデはザードの威張りに素直な笑顔を見せた。
何故か肩がこわばった。
「
……
そっ
…
そろそろ帰るぞ!テメェに付き合ってると疲れるんだよ!」
顔の紅潮を隠すように、ザードは早歩きで城への帰途についた。
「あ、ちょっと待ってよ!コラ、ザード!」
ヒルデも言葉に反して、顔は笑顔だった。
二人は並んで歩くと、ただの子供なのだが
…
二人のそれぞれに装備した剣が鈍く光る。
太陽が眩しかった━━━
「ザードが翔んだとき、私昔読んだ本思い出しちゃったんだ」
森を歩くヒルデは突然言い、一息置くとまた続けた。
「その本には龍が出て来るんだけど、その龍は太陽の光に当たると黄金に輝くの」
そこで一旦切ると、ヒルデは目を細めてザードの髪に触れた。
草木が揺れる━━━
「ザードの髪って、光に当たると金に見えるでしょ?だから、翔んだ時
…
凄く綺麗でさ、まるで龍が空高く舞ってるみたいだった」
━━━お前だって綺麗だ。
ヒルデの美しい笑顔にザードもそう言い返そうとしたが、それを言葉に出来なかった。
茹でた後のように真っ赤になって、口に詰まる
…
ザードはそれでも必死に声を絞りだした。
「俺が
…
今より強くなって
……
テメェより強くなって今度は俺様が護衛になってやる!!!」
言いたい事がたくさんあって、まとまらない。
しかも今のヒルデの言葉から反れてしまっている
…
ザードは今の雰囲気と同調するように、視線をずらした。
「
………
ふふっ
…
」
ヒルデは沈黙を破った。
顔をほんのり赤らめて
…
「期待しないで待ってるよ黄金のドラゴンさん」
そう言うと、足取り軽やかに歩き出した。
ザードは一瞬頭の中を真っ白にしたが、すぐに後を追う。
二人の笑い声が森に木霊した━━━━
〇〇〇〇
後日、ザードはヒルデに武国の紋章が彫られた細身の短剣を贈った。
━━武の国には好きな女性に武具を送る習慣がある。
もちろん、
王族の紋章入りとなればそれはいわゆる━━━
「
…
これは受け取れない」
「勘違いすんな!これは
…
礼と言うか
…
これからも俺を特訓しろと言う
…
」
ザードはそう言いつつも、その場の空気に耐えられず顔を真っ赤にして走り去った。
人を好きになるっていうのはなんとも歯がゆい事なんだろう
…
どうしてこんなに胸が高鳴るのだろう
…
━━━
ザードは理由も分からずに走りながら飛び跳ねた。
恥ずかしくて、
でも嬉しかった━━━
ヒルデは渡された剣を見つめていた。
彫られた王族の紋章
…
これをどれだけ望んだことか━━━━でも、
「これは
…
使えない」
これを素直に受けとる資格などありはしない。
それはザードの思いを踏みにじる行為だから
…
ヒルデの瞳が窓の外を飛ぶ鳥を捉えた。
━━鳥のように、
自由になれるならば
…
「
…
お父さん、お母さん
………
お姉ちゃん
…
私はどうすればいいの
…
?」
ヒルデの呟きは溶けて消えた。
━━━その夜、
ヒルデは玉座の前に立っていた。
シンと静まりかえった広間は特有の緊張感を孕み、
そして、
「
…
教えて下さい。真実を
………
姉の死を!」
胸の苦しさを含んでいた。
玉座の人影は言う。
「私が、殺した。
━━━それが真実だ」
「嘘
…
嘘です!
姉さんは
…
貴方の事を」
「
…
私が愛したから
…
アイツは死んだ」
人影はゆっくりと玉座に座ると、喉が詰まるように苦しげな溜め息をついた。
「私は人である前に王なのだ
…
王は尊いモノ
…
それ故に本当の自由などない。それを破った━━━
リザの死は、それが全てなのだ」
「
……
では、」
ヒルデは人影の動きを瞬きせずに見続けながら、
その瞳で鋭く睨みつけた。
「ザードの事は、貴方はどう思っているのですか?」
━━この答えが終わった時
私の使命も終わる
…
ヒルデは腰に下げた二つの剣に手を当てた。
━━姉さんの仇
━━━私の使命
━━━私の、生きる意味
「
……
ザードは」
人影が口を開けた瞬間、
ヒルデは風のように舞った━━━━━
……
〇〇〇〇
武の国はさかんに内乱が起こる。
特に、国の制度で王族を殺した者は新たな王になれると言うこともあり、城は毎日のように攻められている。
いつもならばすぐにあしらえるのだが
…
その日は近隣領地が結託して千人という大軍が城を囲んでいた。
早朝から薄曇りで今にも雨の降りそうな空━━━
それはこれからの戦いを写しているかのようだった
…
〇〇〇〇
「今回の戦いにはザードも出てもらう。
もちろん
…
」
「私も行くわ」
レオの言葉を遮るように、ヒルデはザードの前に出た
ヒルデの姿は軽装つつも、腰に提げた二つの剣が戦いに慣れていることを示している。
ザードは眉間に皺を寄せた
「もしかして、俺に付いて来るとかじゃないだろうな」
「あら、私は貴方の護衛よ付いて行くに決まってるじゃない」
「
……
」
ヒルデのウィンクにザードは顔を赤らめた。
先日の告白(?)を忘れているのか、彼女の様子は全く変わらなかった。
あれからザードばかりがぎこちなく接しているのだが
……
「大丈夫、貴方凄く強くなったんだし
…
ね、背中は任せてよ」
━━━否、
言葉からは分からないが、確かに様子は変わっていた━━━
…
何かふっ切れたかの様な
…
その時、城壁が壊されたと言う報告がレオの元に届けられた。
〇〇〇〇
倒しても、倒しても、
まるで無限に続くように兵士が襲いかかってくる
…
ザードはいつの間にか城の外の林まで来ていた。
「はぁっ
…
はぁっ
…
ヒルデ!生きてるか!?」
「大丈夫
…
ザードこそ息あがってて
…
まだ戦える?」
「なめんな!俺様を誰だと思ってやがる!」
「
…
うん、大丈夫だよね」
ザードとヒルデ、
お互いにかけあいつつ歩みを再開した。
━━林の中は戦いの最中を忘れさせる位、静かな風が流れていた。
横目でヒルデの青い髪と凛とした顔を見つめると、不謹慎にも胸が熱くなる
…
「
…
この戦いが終わったら」
ザードはポツリと呟いた。
「俺の女になれよ」
その瞬間に草むらから飛び出してきた兵士をあしらい、ヒルデは苦笑を浮かべた。
「
…
まだ子供のくせに」
林を少し歩くと、開けた場所に出た。
しかし、ヒルデは表情を曇らせた。
「
…
ヤバいわね
…
雨が降る前に誰かと合流しなくちゃ」
林に潜む敵を討伐しに来たが
…
二人だけで城を離れた事が悔やまれる。
空の雲は更に厚くなり、今にも大粒の雨が降りだしそうな雰囲気だった。
「林の敵は一掃したと思うから、一旦城に戻りましょ」
「そうだな
……
こんな開けた場所で大勢に囲まれたら一堪りもねぇ」
ヒルデの言葉にザードも素直に頷いた。
周りを警戒しつつ、二人は踵を返━━━━
「!?━━━ヒルデ!」
刹奈、草むらから弓矢が飛んで来るとザードはヒルデを突き飛ばした。
弓矢は螺旋状に回り、かばうザードの肩を深々とえぐる。
ヒルデの足元に鮮血が飛び散った。
「ザード!!!」
「っ
……
大した事
…
ない
それより、敵だ!」
ザードは弓矢を苦しげに引き抜き、よろけながらも剣を構える。
ヒルデも二つの剣を持つ手に力を込めると、周りを何十という敵兵に囲まれている事に気付いた。
「
……
ザード」
「
…
ああ」
二人は同時に頷いた。
『武の国ホドの名において
…
反逆する全てを滅する!』
雨粒が一滴地面に落ちた━
雨の勢いは増すばかりで、足下がぬかるみ上手く動けない━━
「やああぁあ!!」
一撃━━━
しかし、雨は剣が重く感じる位体力が奪っていた。
まだ幼さの残る二人の体は息をするのさえ、悲鳴を挙げている。
それでもまだ囲む敵兵は減らない━━━
「
……
ヒルデ」
肩で息をするザードが呟くように言った。
「
…
俺が道を開ける
…
お前はそこから逃げろ
…
」
「!?」
ヒルデは目を見開き、ザードの顔に振り返った。
━━流した血が多すぎる。
最初の弓矢の一撃が効いたのか、ザードの顔は青ざめ立っているのがやっとな様子だった
…
━━━
「
…
馬鹿!そんな事したらあなたが
…
」
「守るって言っただろうが!!」
ザードはヒルデの瞳を睨みつけるように覗きこみ、怒鳴った。
「お前より強く
…
なってないかもしれねぇが
…
でも!好きな女を守るのが男ってもんだ!!
つべこべ言わず俺を頼れ!」
━━━
……
。
ヒルデは泣きそうな表情を浮かべ、顔をそらした。
背中からでも分かるくらい彼女は
「
…
ごめん」
震えていた━━━━
「どけぇえええ!!!」
ザードは敵の包囲が薄い場所に向かって切り込んだ。
ヒルデの言葉を振り切るように━━━━
敵兵も疲弊しているのか、それとも切り込む闘気が凄まじいのか
…
一瞬で道が開くと、ザードはヒルデに向かって振り返った。
「ヒルデ!!
今だ!行━━━━」
その瞬間、ザードの体は跳ばされた。
━━否、蹴られた。
包囲からは抜け、
何とか身を隠せたが木に叩き付けられた為に疲労した体では立ち上がれない。
━━何が起こったのか
その前に蹴った人物
…
ヒルデが立ちはだかった。
「ヒル
…
デ」
「
……
私ね、本当は王を含め
…
あなたも殺しに来たんだ」
「!!!」
突然の、突拍子もないヒルデの言葉にザードは声が出なかった。
「私のお姉ちゃん
…
血は繋がってないけど
…
リザっていう名前でね。
昔
…
十何年前に、王の近衛兵やってたんだ。凄く強くて、最強の女戦士って呼ばれてたみたい
……
でもね、ある日突然『リザが死んだ』ってお母さん達の元に届いたんだって
…
あの強いリザが突然に死んだって
…
ね。
お母さん達は考えたの。
リザを負かす位強い人物は一人しかいない
……
」
ヒルデの瞳は鈍く光った。
「武の国王
…
━━レオしかいないって」
ヒルデは両手の剣に力を込めた。
「リザは王に殺された。
お母さん達はそういう結論に達すると、一人の女の赤子を養子に迎えて剣術を叩き込んだわ。
━━王とその家族全てに復讐するために
…
」
ザードは『リザ』という名前に聞き覚えがあった。
━━そう、まるで夢事のように父が話していた
…
「
……
でも、少し調べてみて分かった事があるの」
『リザ』は
「王子は
…
ザードはリザの子供だってこと」
自分の母だ━━━━
「
…
王はリザに子供を産ませ、殺した
…
両親は養子の娘
…
私が物心つく前から王とその家族全てを憎み、殺せと刷りこんで、そして
…
今回リザの親類だと王に取り入り、あなたに近付いたの」
「
…
俺を殺すために
…
」
ヒルデはなにも言わずに頷いた。
━━この大陸の王族は跡継ぎを失なった瞬間、王を含め、血縁者全てが死滅する
…
「
……
よく調べたな
…
この決まりは王族と一部の偉い奴しか知らないはずなのに
…
」
「
……
抵抗はしないの?」
「
…
ああ
…
もう、ほっといても死ぬしな」
ザードは蒼白な顔で苦笑を浮かべると、ヒルデの表情は再び泣きそうなものに変わった。
「
…
同じだわ」
ヒルデは目をふせた。
「
…
この前
…
王
…
レオ様に挑んでみたの
━━━ザードを殺したくなかったから
…
」
ヒルデの言葉にズキリと胸が痛くなった。
「それと一緒にリザお姉ちゃんの事も聞いたわ。
『あなたが殺したのですか?』ってね
…
━━そしたら、ハッキリ言ってきたの
…
『私が殺した』と」
少しずつ失われていく意識の中、ザードは父の姿を思い出していた。
━━お前は、
私とリザの宝物だ。
「
…
なに
…
くさい事を
…
」
━━母は自分の命と引き替えにお前を産んだ
…
「レオ様はこうも続けたわ
…
『自分が愛したから、リザは死んだ』って
…
」
「
……
」
「私ね
…
あなたとレオ様を見て分かったの。
…
お姉ちゃんは」
━━だから、
リザを愛したように
…
━━━━お前も愛そう
「お姉ちゃんは、レオ様もザードも愛していたってね」
ヒルデはくるりとザードに背を向け、剣を構えた。
「そろそろ、敵に見付かるかな」
「ま
…
お前一人で
…
」
ザードは立ち上がろうとするが、足に力が入らない。
まるで別人の体のようだ
…
「ザードはここにいて。
…
それ以上血を流したら死んじゃう」
ヒルデは苦笑し、顔だけ振り向いた。
━━泣いている
…
「私、生まれたときからずっと復讐の為に生かされてたんだ
…
でもね、あなたと会えて
……
生きる意味を知ったの。
ずっと、側で一緒に生きてみたくなった
…
」
敵兵の声が近くなってきた━━━
…
「
…
お姉ちゃんも同じ気持ちでレオ様を愛して、ザードを生んだんだよね
…
…
私
……
」
ヒルデは涙を拭って、迫る敵兵を睨んだ。
「ザードの事、好き
…
大好きだから!!!」
ザードはヒルデの名を叫んだ。
しかし、
その叫びも彼女に届かず、ヒルデは敵兵の斬撃を受ける━━
剣が折れても、
足が切られても、
ヒルデは立ち上がり、
ザードへの道をけして退かなかった。
腰に差した細身の短剣を抜き、震える足を踏みしめ、凍える体を奮い
…
守りたいと、心の底から想う
…
━━ごめんね
…
ザード
ヒルデは最期の言葉は
雨音にかき消された━━━
〇〇〇〇
戦いが嘘だったかのように、空は晴れ渡っている━━
ザードは気が付くと、城のベッドの上で寝かされていた。
身体中がギシギシと痛む
…
しかし、
『彼女』を探しザードは飛び出した。
そして━━━
「ヒ
…
ルデ
…
」
あの場所には、
一振りの短剣が刺さっていた。
周りには敵兵の物と思われる折られた武具が落ちてはいるものの、その短剣のみが空の光に輝き美しく反射している。
━━ヒビが入り、
使い物にならない
…
しかし、それには武の王族の紋章が彫られていた━━
「なんで
…
こん
…
な」
彼女の為に特別に造られた短剣━━━
けして折れる事のないように、造られた━━━━
「ヒ
…
ル
…
」
ザードはそれ以上言葉に出来なかった
…
したくなかった
……
一迅の風が吹き、
木々の葉が散った━━━
〇〇〇〇
「広範囲まで探したが、ヒルデの亡骸は結局出てこなかった
…
」
ザードは空を見上げると、雲が晴れ、太陽が再び光を放っていた。
花畑の花はゆらゆらと風に遊ばれている。
━━ここは、変わらない。
「
…
ここも、見せてやりたかったな」
「
……
ザード様は、ヒルデさんの事が本当に好きだったんですね」
ザードの話を静かに聞いていたアテナはポツリと呟いた。
「ヒルデさんも
…
ザード様の事が好きで
…
」
「
……
」
「どうっ
…
どうして
…
!」
風が強く吹き抜けた。
花びらが散り、視界一面が色とりどりに染められる━
水滴も美しく輝く
…
━━━雨
…
?
「どうして
…
ヒルデさんが
…
死ぬ必要が
…
あったんですか
…
!!」
━━否、
アテナは泣いていた。
「酷すぎます
…
こんな
…
こんな
……
二人は幸せに
…
」
「
…
アテナ
……
」
切なくて、悲しくて、苦しくて━━━
アテナの胸は張り裂けそうだった
…
涙が止まらない━━
こんなに、
哀しい事があっていいのか
頭の中はグシャグシャになった
…
ザードの話は、
とてもヒルデを想う彼の気持ちでたくさんだった。
アテナが聞くだけでも、それが分かった。
しかし、同時に哀しさを孕み━━━━
結末が辛すぎた━━
「ヒルデさん
……
ヒルデさん
…
」
ヒルデの笑顔、想いが自然と身体中に伝わった。
自分の使命から背き、心の底からザードを守りたいと想って散らした命━━
これからも、いつまでも、青い髪をなびかせ、彼女はザードの心に刻まれている━━
それを
…
何も知らずにザードに接して、淡い想いなど抱いた自分はなんて
…
「ごめんなさい
…
ザード様
…
私
……
」
「
……
謝るな」
アテナの濃い青の髪はヒルデと瓜二つ━━━
そして、
二人の涙が重なって映る
…
━━そう、涙に
…
ヒルデが最期と今のアテナは全く一緒の涙を流している
…
「泣くな
…
!!!」
ザードはアテナを引き寄せ抱き締めた━━━━
「泣くな
…
お願いだ
…
泣かないでくれ
……
━━━━━━ヒルデ」
「━━━
…
」
全身に衝撃が走ったようにアテナは一瞬頭が白んだ。
そうか、
「ザード
…
様」
自分は身代わりなんだ。
彼女と同じ髪を持ち、
同じ涙を見せ、
「
……
ごめん
…
な、さい」
同じじゃないか。
大丈夫
…
元から誰も自分の事など認めてくれる人なんていなかったじゃないか。
今までと、一緒
…
大丈夫━━━
…
アテナは震える体を抑え、ザードの胸で涙を流した
…
〇〇〇〇〇
ザードは重い体を苦しげに起き上がらせた。
━━━昨日、
アテナに過去を話してから昔の傷が痛み始めた
…
とうに完治している筈なのに━━━
どうしても耐えることの出来ない痛みに、あれからすぐに城に戻ると寝床に倒れこんだ。
「
…
もう朝か」
自分はいつまで眠っていたのか、確か昨日帰って来たのは昼頃だったはず
…
だから体が重いのか
…
一人で納得していると、部屋のドアがノックされた。
ここ(城)の連中がノックするなどと礼儀をキチンとやるとも思えないが
…
そんな疑問に首を傾げているうちにゆっくりとドアが開かれた。
「
…
あの、失礼します」
遠慮がちに顔を覗かせたのは、何故かエプロン姿のアテナでだった。
ザードは顔をしかめた。
「
…
何やってんだよ」
「すみません、部屋を勝手に出るなと言われたのですが
…
」
「分かってんなら部屋に戻れ、グズ」
ザードはツカツカと歩み寄り、軽くアテナを突き飛ばした。
少しよろめいたアテナだが何者かに後ろ体を支えてもらい、転倒は免れた。
「相変わらず
…
横暴だな」
「
………
ふん、引っ込んでろよジジイが」
ジジイ
…
否、レオはアテナを支えた手を放し、ザードに睨みつけられつつ平然と喋り始めた。
「彼女
…
アテナ殿は城の為に何か出来ないか、と申し出てくれたのだ。
だからこれからは料理、掃除その他諸々を頼むことにした
…
異論は受けん」
「はっ!?
おい、勝手に
…
!」
「やらせて下さい!」
ザードが噛みつくように言いかかろうとすると、アテナが前に割り込んできた。
「私
…
部外者なのにいつまでも甘えてばかりではいけないと思うんです
…
だからせめて皆さんのご飯を作ったり、お掃除したりして、少しでも
……
ザード様の力になりたいんです」
アテナの瞳は揺れた。
━━昨日の晩、
決めた事がある。
…
私が、
ヒルデさんの代わりになろう。
それで少しでもザード様の傷を癒せたら
…
どうして彼にそこまでやるのか、自分でも理由が分からない
…
しかし、昨日の話を聞いてザードの側にいたいと思った
…
アテナは胸の熱さを抑えてザードを見つめた。
「
……
ふん
…
勝手にしろ」
ザードはそう言い残すと、部屋のドアを閉めてしまった。
残された二人は苦笑を浮かべた。
「毎度すまないな
…
」
「いえ、大丈夫です。
…
さて、どこから手をつけましょう?」
アテナは腕捲りをした
〇〇〇〇
ザードは髪と服を整え、部屋を出た。
…
一応
…
王子なのを自覚しているのか、毎日キチンとした姿で出てくる。
そんなザードだが、朝からイライラしていた。
「あの女
…
勝手な事ばっかやりやがって
……
親父も親父だな。女の言うことをホイホイ聞きやがる
…
!」
長い廊下をズンズンと進みつつ、先程の事に文句をたれる
…
自分が断固聞き入れなければ良かったのだが、
━━━あの声が
…
やはりアテナにヒルデを重ねてしまっているらしい。
全く違う色の瞳、顔、姿にも関わらず彼女の声がヒルデの頼みに聞こえてしまった
…
我ながら情けない
…
「ザード様」
「!!!?」
━━と、
突然に考えていた声で呼ばれ、ザードは肩をすぼめてしまった。
振り返ると予想通りにアテナが立っていた。
「
……………
なんだよ」
答えるのもムカムカする。
ヒルデにそっくりな声と髪をしやがって
…
ムカムカムカムカムカ
…
「すみません
……
あの、ご飯作ったんですが」
「飯?」
「はい。皆さん先に食べてますよ」
そういえばここは食堂の前だ。
ザードはおもむろに中を覗いてみた。
「うめぇー!!」
「まともな飯なんて何年ぶりだっ!?」
「おふくろの味がする(泣)」
「むしゃもぎゅっん」
「
………
」
武の国の食事は城に寝泊まりしている兵士と一緒に行われる。
(作るのは兵士達の当番制)
もちろん見回りや番などの交代で色々と時間はバラバラだが
…
「
…
おっ!ザード!早く食べねぇとなくなるぞ!」
「これからは臭い飯食わなくてすむのかっー!王子が嬢ちゃんを連れてきてくれたお陰だなっ!」
テーブルの上には、簡素までもなんと生活感のある朝食が山ほど出されていた。
兵士達はそれを一気に完食する勢いでむさぼり食っている。
「兵士の皆さんよく食べる方々ばかりで
…
私も作りがいがあります」
様子を見つめるアテナはにっこり微笑んだ。
この細身であんな大量の食事をどうやって作ったのか
…
「さ、次は洗濯ですよ。
ザード様も洗う物ありましたら、出してくださいね。裏庭にいますんで」
『ご飯早く食べてくださいね』と付け加え、アテナは立ち去っていった。
唖然としていたザードはハッとして、とりあえず食卓という戦場に向かった
…
〇〇〇〇
「よく晴れて
…
洗濯日和ですよぅ~!!」
アテナは足元の兎
…
ペットとなった兎のザー君の頭を撫で回しながら言った。
これでも彼女は塔に軟禁されていた時から自分の食事や洗濯、掃除全てをこなしてきた。
…
城のような広い場所は初めてでどこまで出来るか分からないが、とりあえずやれる所までやろうと手に力を込めた。
「ぶふー!」
「ザー君も一緒に手伝ってくれるの?ありがとう」
ザー君は鼻を鳴らしてつり目を光らせた。
アテナはその可愛らしい姿に微笑んだ。
「じゃあ
…
ザー君は洗濯を私の所まで運ぶ係。
小さいのだけ。
大きいのはいいからね」
「ぶ、ぶふふー!!」
『俺様をなめるなよ!』と言わんばかりの勢いで、ザー君は大量に積み上がる洗濯物に走っていった。
それを見送って、アテナは井戸の水を汲みに歩き出した━━━
事前にレオから井戸の場所を聞いていたが、なんとも古くて暗くて不気味な場所だろう
……
アテナは背筋がゾッとした。
「レオ様が井戸の近くで洗濯しない方がいいって言った意味が分かりました
…
」
━━しかし、
これはまた重労働だ。
裏庭まで水を運んで、洗ってまた戻っての繰り返し
…
アテナは溜め息をついた。
「おい」
「きゃああああ!!」
突然背後から声をかけられたアテナは思わず叫んでしまった。
━━人間驚くと体が動かなくなると言うのは本当のようだ
…
アテナは振り返る事も出来ずに硬直しながら口だけを動かした。
「だ
…
誰
…
誰です、か?」
「
…
たくっ
…
自分は背後から話しかけといて、逆にやられたらそんな反応か
…
」
悪態をつく言葉に聞き覚えを感じ、思いきって振り返ると腕組をしたザードが立っていた。
アテナは胸を撫で下ろした。
「良かった
…
てっきりお化けが出たと思いましたよ
…
あ、ザード様洗濯物ですか?」
首を傾げてザードを見るが洗濯物らしき物は見当たらない
…
「??」
「
…
俺の力になりたい
…
ってどういう意味だ」
「え?」
ザードの目がアテナを睨みつけた。
「料理や洗濯して
…
俺の力になりたいとか言ったよな
…
説明しろ」
ザードの視線が突き刺さる
……
疑いの目━━━
一度近付きかけた心が、
再び離れてしまったのか
…
アテナは少し胸が傷んだ。
「
…
言えねぇのか
…
?
まさか、ここを抜け出す機会を狙うために
…
」
「違います!」
アテナはザードの言葉を遮り、叫んだ。
「
…
以前ザード様に言ったはずです。
私は
…
人が喜ぶ顔を見るのが好きなんですよ。
それはザード様だって変わらなくて
……
」
アテナは一生懸命に頭の中で伝えたい事をまとめた。
上手く言えない
…
しかし、それでも伝えたかった。
「ザード様には、ヒルデさんに見せてたような笑顔でいて欲しいんです!」
「
……
」
ザードの表情は変わらない。
━━かまわない。
「私がヒルデさんに似てるなら
…
私をヒルデさんだと思って頂いて結構です。
ただ
…
ザード様が悲しい顔をしていたらヒルデさんもきっと辛いはずですから
…
」
胸の痛みはどんどんと増して行く━━━
「ザード様は
……
幸せになるべきなんです
…
」
アテナはそこまで言うとうつ向いた。
「
…
お前がヒルデの名前を使うな」
「
………
すみません」
ザードの言葉が痛い
…
アテナは泣きそうになるのを堪え、繰り返した。
「私は
……
ザード様の力になりたいです
…
」
「
………
」
━━━沈黙が流れる
…
相変わらずザードはアテナを睨み付け、
アテナはうつ向く
……
風の音だけが辺りを支配した━━━
その瞬間━━━━
「ぶふっー!!」
「ぎゃっ!!」
ザードの足元に白い物体がタックルしてきた。
物体は赤茶のつり目を光らせ、続け様に噛みつく。
「いでででで!!!
こ、このっ!!」
「ざ
…
ザー君!?
駄目、離しなさい!(汗)」
「ぶふふんっ!」
シリアスな雰囲気が一転
…
兎のザー君の乱入で一気に和んだ(?)
「ザー君、ザード様を噛みついちゃ駄目って言ったでしょ?」
「ぶぅ」
『いじめられてたから守ってやったんだ!』
という目でザー君はザードを睨んだ。
小さくてもすっかりアテナのナイトである。
「ちっ
…
やっぱり肉にして食えば良かったぜ
…
!」
「だ、駄目です!可哀想です!」
「ふん
…
」
バチバチと兎相手に火花を散らせ、ザードはアテナ達に背を向けた。
━━機嫌を損ねたか?
「あの
…
ザード様」
「ここを抜け出さないならそれでいい」
ザードは顔だけ振り向き、チラリとアテナを見ると歩き出した。
声の調子は先程よりも柔らかい━━━
「
…
まあ、兵士達にヤられないように気を付ける事だな」
「ヤら
……
!!?
だ、大丈夫です!!
あの、私そんな事されるような美人じゃありません!
むしろ逆ですから!!」
いきなりのザードの言葉に少しパニックしたアテナは顔を赤らめた。
その様子にザードは顔を綻ばせ、
「くくっ
…
バーカ、ブスも何も穴が空いてりゃ関係ねぇよ」
笑った。
━━やっぱり、笑顔が良い
アテナはザードの笑顔に顔が熱くなった。
━━この気持ちは、
立ち去る後ろ姿を見つつ、頭の中で言われた言葉を繰り返し
………
「
………
ざ、ザード様の
エッチっー!!!」
ザー君は嬉しそうに鼻を鳴らした。
〇〇〇〇
それからアテナの日々は大忙しとなった。
朝は早くから朝食を作り、その後に兵士達が汚した衣服などの洗濯。
すぐに昼食の準備もして、城内の掃除も済ませなければならない。
必要雑貨等は毎日来る配達人の男性が置いてってくれるので一安心
…
だが、休む暇もなく夕食に取り掛かる。
やっとゆっくり腰を下ろせるのは、夜遅くになってからだった
…
〇〇〇
「ふぅ
…
」
アテナは自室の布織り機の前に座った。
…
どんなに疲れても、やはり一日に一回は織り機に触れないと落ち着かない━━
癖なのか習慣なのか
…
自然に手が動き始めた。
カタンカタン
…
音がする度にベッドの上のザー君が耳を動かす。
窓からの夜風が心地良く、ゆらりとカーテンを揺らした。
星は宝石のように鮮やかな姿を写している。
━━良い夜だ。
手元の織り布もいつもより輝いて見える
…
……
塔の時とは違う、
充実感を感じていた。
「
…
そういえば
…
」
━━お父様達はどうなったのだろう
…
ふと、よぎった時、
部屋のドアが開かれた。
「あっ
…
ザード様」
「
…
まだ起きてるのか
…
早く寝やがれ」
…
見回りをしているのか、ドアを開けたザードはきちんと武装していた。
アテナは立ち上がり、彼に向き直ると恐る恐る尋ねてみた。
「あの
…
ザード様」
「んだよ?」
「お父様達は
…
」
言った瞬間に睨まれた。
アテナはシュンと縮まる。
「すみません(´・_・)シュン」
「
………
なんで知りたいんだよ?あいつらお前に酷い仕打ちしてたってのに」
ザードはうつ向くアテナをいぶかしげに見つめた。
…
確かに、彼等が彼女にやってきた事を考えると不思議でならない。
アテナはしょんぼり顔を上げた。
「ザード様の言う通り、お父様達は私を色々とコキ使いましたよ。
でも、今考えるとそこまで辛くもありませんでしたし
……
ちょっと楽しかった
…
かもしれません」
━━━コイツ
…
ザードは溜め息をついて、呆れたように言った。
「
…
アテナ」
「はい?」
「お前、そのマイナス思考だかプラス思考だかワケわからねぇ頭の中どうにかしろよ」
「???」
アテナは首を傾げた。
ザードは続ける。
「いいか?お前の生活は『普通』から見ると
か な り 酷いんだよ!よく考えてみろ」
「
…
それは今のこの状態も含めます?」
「
……
含めるな」
そう言われてみれば、
父親に殺されかけ、妹(姉?)に醜いと罵られつつコキ使われ、名前さえ貰えず塔に軟禁されて
…
「あのままだったら一生塔暮らしで死んでたな」
「私はそうなると思ってましたよ」
「だから
…
その変な
…
!」
「でもザード様に会えて、毎日が楽しいですよ」
『辛い事もありましたけど』と付け足し、アテナは思い浮かべた。
ザードに誘拐され、城の部屋に監禁されたが
…
名前をつけてくれて、それから何とか外に出れるようになって、ザードの過去を聞いて、城の家事を任されて
……
「
……
ええ、楽しいです」
「前の間はなんだ!?」
そんなザードの睨む顔を見て、アテナは笑ってしまった。
ザードもそれにつられてかクスリと笑う。
━━━穏やかな風が吹く
「
…
私、ここに来て良かったです
……
生きてる実感が湧きます」
━━塔にいたら味わえなかっただろう、日々
…
辛い事も、哀しいことも、楽しい事も
…
全てを含めて
「ありがとうございます、ザード様」
アテナは微笑んだ。
「
……
ふん、今更礼を言われても遅いぜ」
ザードはスタスタとアテナに歩み寄り、グシャリと頭を撫でた。
……
ちょっと痛い。
「礼は言葉じゃなくて、誠意で見せろ!
これからはもっと俺様を敬う事!いいな?」
ニヤリと不敵に笑った顔はまさに俺様王子
…
アテナは苦笑して頷いた。
「あと俺専用の飯を作ること!肉だ肉!それとマントが破れたから縫え!
…
そして
…
」
頭から手を離すと、ザードは少し顔を赤らめた。
「
…
明日、聞いてきてやるよ。お前の知りたいこと」
一瞬その意味が分からなかったが、アテナは一層微笑んだ。
「ありがとうございます!」
「うるせぇな!
今言った事ちゃんとやれよ!やらなかったら殴るからな!」
そう言うと、ザードは乱暴にドアを閉めて立ち去った
…
「(ザード様は本当に良い人です
…
)」
再び抱いた想いにアテナの胸はズキリと痛んだ
…
〇〇〇〇
「毎日精が出るな」
「あ、レオ様」
ザードに言われたように、あれからの数日間(一応)毎日肉料理を作っている
…
それが意外にも兵士の間で話題となり、今では全員分作ることとなっていた。
「肉料理は手間がかかるだろう?」
「はい。でも、皆さん喜んで頂けてるんで
…
」
様子を見に来たレオも、気が付くとつまみ食いをしていた。
……
まあ、
日常茶飯事だからいいけど
それは置いといて、
『そうだ』とアテナはレオに振り返った。
「レオ様、ヒルデさんって具体的にはどんな方だったんですか?」
「ヒルデ?
……
そうだな
…
」
レオは顎に手を当て、少し考えた後いくつか上げた。
「まず、とにかく料理が速かった。
パッと始めてパッと終る感じでな」
「パッとですね」
アテナは急いで手と足と頭を働かせ、
「きゃあっ」
コケた。
『食事の準備をやりつつ、洗濯やりつつ、掃除もしていたな』
「やりつつ、やりつつ
…
」
アテナはレオの言った事を反芻して、
「石鹸に浸けておいて」
洗濯やりつつ、
「お米を研いで」
料理やりつつ、
「ゴミを片付けて」
掃除をやった。
━━━━完璧!!
アテナはいい汗をかいた。
「これで私もヒルデさんに近
…
」
「おい、アテナ
…
」
ニコニコしているアテナの前に眉間に皺を寄せたザードが立っていた。
そしておもむろに手に持つ皿を差し出すと
…
「石鹸の味がするのはどういうことだ、馬鹿女
…
!」
「石鹸
……
あっ!」
……
アテナは洗濯と料理を混同してしまった為、汁物に洗剤を入れてしまっていたのだ←
「あの
…
」
「てめぇ、次やったらマジで殺すからな!」
…
ザードに
その後しばらく叱られた
…
気を取り直して、アテナは裏庭でレオの言葉を思い出した。
『あとは、話の通り強かった。彼女ならば王国一の女戦士になれたやもしれん』
━━王国一の女戦士
…
アテナは呟くと、ザー君がどこからともなく大きな人形を引きずって来た。
…
胸に『特訓1号』と刺繍されている。
「昨日徹夜で作った人形君が役に立つ日が早くも来ましたね
…
!!
さっ、頑張りましょう!」
そう言いつつ、アテナは人形にパンチを繰り出した。
━━ポコペムッ
━ペコペコポンッ!!
━━━ポコポコポコポコ
…
ザー君は欠伸をした。
━━ペコンッ
━━━ポコポンッ!
「ハア
…
ハアっ
…
」
体を動かして数分
…
すでに息は絶えだえとなっていた
…
しかし、
アテナは拳を握る
…
「でも
…
これで、強く
……
なりましたよねっ!!」
意見を求めるようにザー君を見ると、
彼はまた欠伸をした後
…
「ぶふ」
首を横に振った
…
一連の挑戦に失敗し、アテナは溜め息をついた。
やはり自分ではヒルデになる事など無理なのか
…
━━否
「そんなことない
…
!
だって、ザード様だって元気出てきたもの!」
ザードは
よく笑うようになった。
元々はそんな性格なのだろうが、アテナに対していつも険しい顔をしていたのだ
…
さっき叱られたのだって、前よりもトゲはなかった。
「ちょっとずつヒルデさんに近付いているのかもしれない
…
!
ねっザー君、今日の事が完璧にこなせるようになったらザード様もきっと喜んでくれるよね?」
「ぶ
…
」
いつもの生意気そうな瞳をザー君は反らして、アテナの足元にすり寄ってきた。
「ザー君?」
「ぶふ
…
」
「大丈夫、あんまり無理はしないから
…
ザー君も応援してね」
アテナの微笑みに、
ザー君はうつ向いた
…
その日からアテナの猛特訓は始まった。
効率よく雑用をこなすにはどの順番がいいか
…
一生懸命に考え、自分なりに少しずつ成長していっている感覚を覚えた。
しかし━━━
「まっず!
こんな飯食えるかよ!」
「え
…
あの
…
!」
アテナが頑張れば頑張るほどにザードの機嫌は悪くなっていった
…
「
……
まだ、」
━━ヒルデさんのようになれてない
…
机の下に皿ごと投げ捨てられた料理を見て、アテナは胸が苦しくなった。
━自分では無理なのか
…
そんな考えがよぎる。
確かにアテナが急ぐと、ちょっと雑な仕事となってしまう。
元々のんびりとした彼女はじっくりやらないと完璧にこなせない
…
それが事実だ。
しかし、ザードが求めているのはのんびり屋のアテナではない。
要領よく、なんでも出来てしまう『ヒルデ』なのだ。
「頑張らないと
…
」
アテナは呟くと、割れた皿を片付け始めた
…
━━夜、アテナはザードに頼まれたマントの修復を行っていた。
そう、ザードは(何故か)毎日のように破れたマントをアテナに渡してくる
…
どんな訓練をしているのか
…
と考えてしまうが、そもそもマントを付けて剣を振るな!という話だ。
「(しかもこんなに大量に
…
)」
他の人の分も入っているのかと思うが、ここにある派手な色をしたマントはザードしか付けない
…
アテナが布のプロで、
縫い物も得意でなかったらこんなに大量の物、見た瞬間即倒してしまう
…
アテナは手慣れたように縫い終ると、綺麗に畳んで立ち上がった。
明日渡せば良いのだが、
今日は確か
…
「中庭で警備をしているはずですよね
…
?」
しかもそろそろ終りの時間である。
渡すには、持ってこいな時だ。
アテナは部屋を出て、中庭へと歩き出した。
「
……
?」
部屋が静寂に包まれ瞬間、ベッドで寝ていたザー君が飛び起きた。
耳を動かし、
何かの気配を感じているようだった━━━━
中庭にはザードの他に二人の兵士が立っていた。
アテナはその姿を確認すると、声を━━━
「アテナちゃんって、本当に健気だよな」
━━━バッ
アテナは何故か反射的に陰に隠れてしまった。
…
いやいや、今出たら気まずいし
…
うん
…
そう自分に言い聞かせ、胸を高鳴らせつつ盗み聞きを再開した
…
「絶対嬢ちゃんはザードに惚れてるんだぜ」
「そうそう、ヒルデちゃんの真似までしてさ」
━━バレてる
…
!!
惚れてる
…
というのは、
別として、ヒルデの真似というのはバレバレだったようだ
…
「どうするんだよ?
ヒルデの代わりにでもするのか?」
「アテナちゃんがあそこまでやるんだ。王子も認めてあげろよ、ヒルデちゃんの代わりとしてさ」
「
……
アイツはヒルデじゃない」
━━━
…
!!?
アテナの体は一瞬震えた。
「ヒルデは
…
死んだんだ。代わりなんて誰もなれねぇよ。むしろ
…
」
胸の痛みがひかない━━━
少し、眩暈がする。
耳が、
「ヒルデの真似してる方がムカつくんだよ」
━━━痛い。
アテナは少し後退りした際細い小枝を踏んだ。
━━もちろん、鍛えられた兵士達がそれを見逃すはずもなく
…
「誰だっ!?」
見付かってしまった。
しかし、今のアテナにはそんな事などなんでもなく
…
ただ、頭がクラクラしていた━━━
「
…
すみません、盗み聞きするつもりはなかったんですが
…
」
「げっ
…
アテナちゃん
…
」
兵士二人はバツの悪そうな顔をして、目をそらしてしまったが、ザードはツカツカとアテナに歩み寄った。
「
…
何の用だ」
「これを
…
ザード様に頼まれたマントが縫い終ったので
…
届けに来ました」
「
……
寄越せ」
マントを奪い取るよう持つと、ザードは踵を返した。
向こうの兵士はハラハラとコチラを見ている
…
━━
……
。
「明日
…
」
アテナはニッコリと微笑んだ。
「明日、朝御飯におにぎり沢山作りますね!
確か演習の日でしたし
…
あっ!そうだ、あとお弁当も作りますよ!それならお腹空いた時にすぐ食べれますよね」
━━そうだ、
明日も頑張らなければ
…
「皆さんの好きな物入れて
…
もちろん、ザード様大好物お肉料理もたっっくさん用意しますね」
━━心配させてはいけない
自分が我慢すれば
…
「さて!そうと決まったら早起きしなくちゃいけませんね!」
皆笑顔でいれる━━━
「
…
おい、アテ
…
」
「楽しみにしていて下さいね。腕によりをかけて作るんで
…
!
警備頑張って下さいね。
おやすみなさい!」
ザードの言葉を遮り、アテナは小走りに自室へと向かった。
その肩は少し震えていた
…
「
…
ちっ」
残されたザードはその姿に苛立ちを感じているようだった━━━━
〇〇〇
自室の扉を閉めると、
もう平静を装う事は出来なかった━━━
…
ドアノブにかけられたままの手は震えが止まらない。
大丈夫━━━
自分に何度そう言い聞かせても震えと共に、
「ふっ
…
っぅ
…
」
━━涙は止まらなかった
…
「(私では
…
ヒルデさんになれない
……
ザード様の、よりどころになる事も出来ない
…
)」
ドアに背を擦り、アテナはその場に座り込んだ。
━━ザードは、
ヒルデに似ているからアテナを拐い、ヒルデの代わりとしてこの城に置き、ヒルデとして触れた
…
では、
「
…
もう、ヒルデさんの代わりになれない私は
…
不要
…
ですよ、ね」
『不要』
その言葉に再び胸が痛くなった。
昔から布を織る為だけに生かされ続け、
少しは生きてる価値を見い出せそうだったここでも不要になった自分は、一体何のために生まれたのだろう
…
こんな辛い思いをするのであれば、いっそのこと、火事と共に死んでしまえば━
「ぶふっー!!」
「!?
…
ザー君どうし
…
」
ザー君の鳴き声で顔を上げたアテナの瞳に、
一人の男が
映っていた。
「━━━━こんばんは、
『布姫』」
男は窓の縁に座り、水色の髪を指でもてあそびながら灰色の瞳を細めて笑う━━
突然の不審な来客にアテナは立ち上がって身を小さくした。
「あ、貴方は
…
」
「守護と武力を司る国の名が聞いて呆れる
…
俺でも簡単に侵入出来るんだもんな」
男は腕に取り付けられたアクセサリー
…
否、よく見るとフック付きのワイヤーを引き、アテナに見せた。
恐らく、そのフック付きワイヤーを窓にひっかけて部屋に侵入したのだろう
…
アテナはますます、怖くなった。
「だ、誰だか分かりませんが出ていって下さい!」
「誰だか分かりません?
ふ~ん
……
そう」
アテナの言葉に少し笑ったかと思うと、急に目線を鋭く光らせた。
「━━塔に監禁されてて、世間知らずだってのは
…
本当の事みたいだな、『布姫』」
━━━!?
何故一部の人しか知らないはずの事実を知っているのか
…
?
それに、
『布姫』と自分を呼ぶのは関係者しかいない━━━
「誰だか分からずに脅えてるのか?
ふふっ
…
いいぜ、教えてやる。俺はヒサギ。
工の国コクマーの次期王位継承者━━━
ま、早く言えば王子だな」
━━王子
…
!?
アテナが驚愕の表情を浮かべると、ヒサギはニヤリと残忍な口で笑った。
五国の民は自分が戸籍を所有する国の王族には服従する義務がある。
アテナだって、その位の掟は知っていた━━━
「すみません
…
あの
…
」
「平民が王族と話す時には頭を垂れるべきだな。
常識知らずの布織り機が」
「
……
はい」
ヒサギの一つ一つの言葉が胸に刺さり、涙が出そうになる
…
アテナは少し抵抗を感じつつも、床に膝を付き頭を下げた。
「ヒサギ様
…
何か御用
…
」
「あははは!本当に下げたし!バーカ!」
ヒサギはケラケラと笑いつつ、アテナに寄ると見下げるように言った。
「言ったろ?お前は平民以下の布織り機なんだから、そんな事しても王族とは話せないの。分かったかな
…
『布姫』ちゃん」
「
……
あ」
言葉が出ずに、涙が溢れた。
そうだ、その通りなんだ
…
存在の価値さえ、人よりも劣っている
…
頑張っても頑張っても認めて貰えない
…
自分は、そんな人間なんだ
アテナは頭を下げたまま泣き崩れた。
もう、心はズタズタだ
…
「
…
はぁっ」
ヒサギはその様子に溜め息を吐いた。
「
……
アイツ、何したんだか」
ヒサギは溜め息混じりに続けた。
「
…
ま、今回はそんなくだらない話をしに来たわけじゃない。
アンタを迎えに来たんだ」
アテナは涙を溢れさせた顔を上げ、目を見開いた。
「迎えに
…
?」
━━あの塔に
…
━━━皆の元に
…
「帰れる
…
んですか?」
「工の国には
…
ね。
お前の知り合いの元には帰れないけどな」
━━?
どういう意味か、アテナの頭では理解出来なかった
…
ヒサギは笑いながら続ける。
「
…
昨日、やっとキルティー領の領主が口を割って
…
お前の監禁や布偽装とかを認めたんだ。
━━でも、それを認めてさせて、はい罰を受けろ♪
…
ってわけにもいかないわけだ。
罰を下すのは知の国の仕事
…
だから今回発覚した事を報告しなくちゃいけない。
で も さ
…
今回の事って、いわゆる長年領主の悪事を暴けなかった王族の責任でもあるわけよ。
たから、報告すると面倒な事になる
…
そこで」
ヒサギはアテナに目線を合わせるようにしゃがみ、口調とは全く似つない爽やかな笑顔で言った。
「証拠を消して、今回の事は帳消しにしてしまえって決めたんだ
…
♪」
アテナはその笑顔に恐怖を覚えた━━━━
アテナは肩を震わせた。
「証拠を消す
…
とは
…
一体どういうことです、か?」
「そのままの意味さ」
ヒサギがアテナの髪に触れると、今まで睨みつけていたザー君が突進してきた。
「ぶふっー!」
「例えば
…
」
しかし、ヒサギはそれを軽くあしらい、首の皮を掴むと品定するかように眺めた。
「今回の事を知る奴を殺す
…
とかね」
「!?
…
ザー君は関係ありません!」
アテナはザー君をかばうように取り返すと、ヒサギは笑いを堪えるように体を震わせた。
「ま、そんな喋れもしない小物なんか殺しはしないよ
…
本命はもちろん━━」
『アンタだ』
ヒサギはアテナを指差して微笑んだ。
アテナの体は凍りついた。
「私は
…
」
「今回の元凶は、いわゆるアンタが生きてるってことなんだよね。
元凶がなくなれば、証拠もなく罪を下すことが出来ない
……
よく考えてごらん?
俺は、『今回の事はなかったことにしよう』と言ってるんだ。
それはつまり、アンタの家族の犯した罪もなかったことにしよう
…
ということなんだ」
━━━アテナは気付いた
そう、自分が犠牲になれば
「お父様達は、処刑されずに
…
済む
…
」
「そういうこと♪」
ヒサギは楽しそうに言うとドアの向こうを睨みつけた。
「それに、アンタがいなくなるのはザードの為にもなるんだ」
━━━ザード様の
…
?
その名前にアテナは胸を痛めた。
先程の言葉がチクチクと突き刺さる━━
「
…
どうして、ですか?
私は一生懸命ザード様の為に━━」
「迷惑なんだよ」
ヒサギは遮るように言うと次は哀れむような瞳を見せた。
「ザードがどうしてアンタを連れてきたか分かるか?」
「
…
ヒルデさんに、私が似てるから
…
」
「
……
そう。
ザードは忘れられないんだ
━━━ヒルデの事が
…
でもな、いつまでもヒルデを追うばかりじゃ先に進めない
…
」
━━ああ
…
だから
……
「だから、ヒルデに似てるアンタが邪魔なんだ。
ヒルデは帰ってこない。
ヒルデの代わりなんか、
いないんだからな」
そう
…
ヒルデの代わりなんていない━━━
それはもう、ザード自身も気付いたはずだ。
アテナは、
ゆっくりと頷いた。
「私
…
行きます」
その時、ドアの向こうから走る音が聞こえてきた。
「ちっ
…
意外に早いな」
ヒサギは舌打ちをすると、アテナの腰に手を回し、ひょいっと持ち上げて一気に窓際へ走った。
刹奈、
ドアが蹴破られた。
その姿は━━
「アテナ!!!」
「━━━ザード様」
現れたザードはここまで走ってきたのか、少し呼吸が早い。
しかし、
それよりも彼は目を丸め、瞬間鋭く睨みつけた。
「ヒサギ
…
!!
テメェ、その手を離しやがれっっ!!」
ザードは素早く剣を抜くとその勢いでヒサギに襲いかかって来た。
「あぶなっ!」
ヒサギが辛くも一撃目を避けると、本棚や家具もろとも窓際の壁が見事に崩壊した。
「うわっ、相変わらずの馬鹿力
…
」
「アテナを下ろせ
…
!!」
余裕を見せている口調のヒサギも、瞳は鋭い。
ザードもまるで鬼神のような形相で睨みつけている。
「
…
ザード、『布姫』は貸してやるって言ったよな?」
「『アテナ』を下ろせってのが聞こえねぇのか!?」
ザードはそう言いつつも、再び剣を構えた。
「借りた物は、
返すのが礼儀だろ?
そんな事も分からねぇのか脳筋が」
「黙れぇえええ!」
二撃目━━━
ヒサギは飛んだ。
壊された壁から一蹴りし、ザードの剣も避け、
空中に身を委ねた。
「━━━や」
アテナの短い叫びは、
すぐに消された。
「安心しな━━
俺が考えなしに飛ぶわけない」
ヒサギは腕のワイヤーを伸ばし、木に巻き付けた。
くるりと綺麗に一回転すると無事地面に着地出来た。
「━━確かに返して貰ったぞ、『布姫』を」
ザードを見上げると、今にも飛び降りて来そうな気配がする━━
ヒサギはそれを見届けてから、城外へ走り始めた。
━━ザードが
何かを叫んでいる。
胸の痛みに耐えつつ、
「━━ごめんなさい
…
さようなら
…
ザード様
…
」
アテナは呟いた。
〇〇〇〇
『布姫』は気が付くと、見慣れない部屋に寝かされていた。
しかし、なんとなく懐かしい香りがする━━━
「(
…
そうか)」
ここは工の国━━━
他の国では見られない特化した工業具が並び、飾りさえない機能性のみを追求した家具と間取り
…
その風景は昔、一度だけ見た父の部屋と似ていた。
「━━起きたか」
ドアが開かれると同時に、声をかけられた。
振り返り、確認すると予想通りに工の国王子ヒサギが立っていた。
「ヒサギ様
…
」
「途中で気絶するなんて、マジウザいし。
どっかの脳筋馬鹿みたいに俺に力があると思うなよ、無機物女」
『布姫』はうつ向き、絞り出すように謝ったが、あまりにも声が小さすぎてヒサギには聞こえていないであろう
…
「ま、いい
…
ちょっと会わせたい奴がいるから着いてきな」
そんなヒサギは、親指で部屋の外を差して『布姫』を促した。
〇〇〇〇
武の国同様に、
この国の城も廊下が長い
…
恐らく間取りはどの城も一緒なのだろう。
『布姫』は目だけを動かし周りを伺うと、確かに武の城とは似ているが、違う。
廊下の脇には色々な道具らしき物が置かれている。
一つ一つそれぞれ変な唸り声を出しているが
…
そういえば物を動かす『もーたー』と言うものがあるらしいからそれなのかもしれない。
…
いずれにせよ、用途は不明だが。
床は大理石
…
なのかも知れないが、たまに鉄の板が打ち込まれている。
天井の明かりもロウソクではない。
不思議な光球が沢山シャンデリアに置かれ、下を何かの線で繋がれている
…
そしてその先端に突起
…
『灯りぼたん』と書いてあるが
…
アレを押すとどうなるのだろう
…
?
工の城は、まるでビックリ箱のような不思議な場所だ
…
『布姫』は武の城を見た時とは違う楽しさを感じていた。
「
…
呑気だな、明日には処刑される身なのに」
━━━あ
…
そうだった
…
自分は、明日死ぬのだ。
しかし、
『布姫』は笑顔を作った。
「だ、だから今見てる事を楽しんでいるんです
…
最後の思い出として
…
」
「
……
」
ヒサギは眉をひそめると、沈黙した。
ヒサギと『布姫』は薄暗い地下へと降りた。
そこは思った以上に広く、遠い向こうまで牢屋が続いていた━━━
今が夜だというのもあるのかも知れないが、不気味な雰囲気を漂わせている
…
ヒサギは無言で先に進むと『布姫』もそれに着いた。
二人の足音だけが響く
…
所々の牢には何かの『物体』が置いてあったりする
…
『布姫』は敢えて、
それがなんなのかは聞かないでおく事にした
…
「着いたぞ」
突然の声に肩をすくわせるが、すぐに気を取り直してヒサギの指差す牢を覗いた。
「━━━お父様!!?」
━━中には一人の男が蹲っていた。
痩せこけ、髪と髭は乱れて服は黒く変色している
…
そして、体のいたる場所に拷問の痕が見えた━━
男は『布姫』の呼び掛けに一瞬体を震わせると、こちらを振り返り再び震えた。
「ぬ
…
『布姫』
…
!!」
「お父様
…
!
こんな
…
酷い
…
」
『布姫』は父の姿に涙を浮かべると、格子の隙間から手を伸ばした。
「お父様
…
すぐに
…
すぐに助けてあげますから
…
!!」
「ああ
…
『布姫』
…
すまない
…
すまない
…
」
領主は『布姫』の手を取り涙を流した。
「ふん
…
偽善め」
親子の再会に冷ややかな目をしたヒサギが割り込んできた。
「領主はこの一ヶ月、罪を認めずこの有り様だ
…
自分の保身の為にな」
「ち
…
違う
…
!!」
領主はヒサギの言葉に、
弱々しくも必死な瞳で反論した。
「私が罪を認めたら家族まで処刑されてしまう
…
もちろん
…
この子も」
━━今までに向けられた事もない、父の優しい眼差しが『布姫』をとらえた。
『布姫』は瞳からの涙を止めることが出来なくなった━━━
…
「お願いだ
…
罪は認める。しかし、家族まで巻き込まないでくれ
…
お願いだ
…
!!」
…
あの保身に走っていた男が、今は本当の事を言っているのか
…
それとも同情を誘っているのか、それは分からない。
しかし、
ヒサギはニコリと笑った。
「言うことはそれで以上かな?」
一言言うと、ヒサギは『布姫』の腕を引き領主から離した。
「ま、その言葉が本音でも嘘でも
…
コイツがアンタのかわりに処刑される
…
喜べ━━明日には牢から出られるぞ」
「━━━!!!」
領主は声にならない叫びをあげた。
その表情からは真意が読めない━━
が、ヒサギはその叫びを笑いながら聞きつつ、『布姫』を連れて立ち去っていった
…
〇〇〇〇
再び最初の部屋に戻されると、『布姫』は床に座り込んだ。
━━怖い。
未来のある父や家族を救える
…
それは自分にとって喜ばしい事の筈だ。
しかし、
何故か体の震えが止まらない。
そう
…
一ヶ月前ならば、
こんな感情などなく命を捧げられたのに
…
「
……
ザード様」
助けようとしている家族の喜ぶ顔や幸せな顔よりも、ザードの顔が頭をよぎり、決意をにぶらせている
…
自分が死んだら、
悲しんでくれるだろうか
…
かつて愛した
ヒルデのように━━━
「ザード
…
様
…
ザード
…
さ、まぁ
…
」
━━もう、
関係のない人なのだと思い聞かせ納得しようとするがザードと二度と会えない
…
それが、
怖い━━━
『布姫』の涙は、床に落ちて染みを作っていた
…
〇〇〇〇
━━━朝日は登り、
鳥達が大陸の一日を知らせている。
いつもならば活気溢れてくる工の国だが、その日だけは様子が違っていた
…
城下の広場に人だかりが出来、何やら不穏な雰囲気を漂わせている
…
その中央には大きな鍋。
鍋の上には牢が用意されていた。
そんな異様な光景にザワザワとしていた民衆だが、兵士を連れた青年が現れると一同に頭を下げた。
水色の髪に、灰色の瞳━━
ヒサギ王子である。
ヒサギは周りを見回すと、真剣な表情で叫んだ。
「━━これより公開処刑を行う!!」
言い終わるが先か、ヒサギの後ろから兵士に連れられ女性━━━
『布姫』が現れた。
ヒサギはそれを見届け、続ける━━
「この者は罪を犯した。
然るべき罰を与えねばならない!」
そう言いつつも、大きな鍋の隣で密かに拘束されている男女三人へ視線を移した。
━━男は痩せこけた体を震わせ、女性二人は泣きそうな表情を浮かべている
…
━━悔やむがいい
…
ヒサギは口を歪ませた。
ヒサギが軽く手を上げて合図をすると、『布姫』は鍋の上に吊された牢に入れられた。
牢から下の鍋を覗くと、
湯気が立ち上りグラグラと水泡が表面を埋め尽していた。
「鍋の中
…
凄いだろ?
今日の為に用意した特別な処刑台で、俺がこの『スイッチ』を押すと牢の床が落ちる仕組み
…
最先端の技術なんだぜふふ」
ヒサギが牢を見上げて笑うと、『布姫』は足がすくんで動けなくなってしまった
…
「怖がるなよ
…
すぐに済むさ」
ボタンを一撫でする━━
「
……
いや
…
」
まだ、怖さは残っている。
生まれた理由も、生きた理由も
…
全て、今日で終り
…
そんなの、嫌だ。
「いき
…
たい
…
」
『布姫』は体を震わせ、呟いた。
━━生きて、もう一度
…
「さて、とっとと済ませようか
…
『布姫』ちゃん
さようなら━━━」
ヒサギの残酷な一言が周りに響いた。
ヒサギがスイッチを押そうとした瞬間、
群衆をかき分け一人の兵士が飛び出してきた。
その体はまるで戦場を抜けてきたかのように傷だらけである
…
兵士の姿に目を細めると、ヒサギは舌打ちをした。
「ひ
…
ヒサギ様
…
!
門を破られて
…
あの方が」
「
……
来たか」
向こうを睨むと同時に群衆から悲鳴が上がった━━━
頭上を見上げると、
黄金の光が輝く。
太陽━━━?
空翔けるドラゴン━━?
否、
「しつこい奴だなっ!」
ヒサギは叫ぶと同時に腕の飾りからワイヤーを引く。
刹奈、
それに向かって斬撃が繰り出されてきた。
轟音と地を擦る音が響く━
「━━ザード様!!」
アテナは光の名を叫んだ。
ワイヤーではね返された剣を再び構え、群衆を跳び越えてきた男━━━
ザードは怒りの顔でヒサギを見た。
「よくも好き勝手やってくれたな、ヒサギ
…
!!」
風がザードの金茶の髪を揺らしている
…
民衆は誰からともなく呟いた。
『荒ぶる龍が降臨した』
…
と。
「何しに来たんだい、
ザード王子殿?
ここは
……
てめぇが来るべき所じゃないんだよ!!」
言葉の端ばしにヒサギの怒りが感じられる━━━
━━そう
…
彼は、ザードは本来この処刑には関係のない人物
…
それが何故、剣を構えて邪魔をするのか
…
「黙れ、垂れ目野郎!
勝手に『アテナ』を連れて行きやがって
…
」
「それはこちらのセリフだ脳筋!!」
ヒサギは剣にも怯まず、ザードを指差した。
「お前は『布姫』を『ヒルデ』と重ね合わせてるんだろ?
重ね合わせてるから、殺されたくない
…
?」
一瞬、
ザードの肩は揺れた。
ヒサギはそれを見逃さず、目を細める━━━
「勘違いするなよ
…
コイツは、『布姫』
…
『ヒルデ』とは赤の他人
…
お前とは無関係の女なんだよ!」
ザードは目を鋭くさせるが、ヒサギはニヤリと楽しむように笑う。
「思い出せ
…
『ヒルデ』は酷い女だったはずだ。
強いとか言ってあっけなく死んでさ。
しかも、お前の肋骨を折ってたし
…
他にも色々と思い当たるだろ?
…
いつまでも過去にこだわって
…
馬鹿じゃねぇの?」
「━━━!」
ヒサギの最後の言葉にザードが目を見開き、剣を揺らした瞬間、
「もう止めて下さい!」
その場に声が響いた。
民衆、その場にいた全ての人々が声の主を見上げた。
「もう
…
止めてください」
澄んだ声を震わし、
大粒の涙を流し━━
『布姫』は叫び続けた。
「ザード様は何も悪くありません
…
!
ヒルデさんも悪くないんです
……
二人の間に入ろうとした私が悪いんです
…
!」
『布姫』の涙が散った━━
その様子は息を飲むほど、儚げに見えた。
━━そう、
全ての始まりは、
「私が
…
ザード様と出会ってしまったから
…
」
あの日、あの時、あの場所でもし出会ってなければ、ザードも家族もヒサギも巻き込んでしまった全ての人々もそして━━━
「ヒルデさんもこんなに苦しまないで、済んだのに
…
」
ヒルデと似てたから、
彼女の代わりになろうとした。
でも、それはザードとヒルデ二人の気持ちに割り込んで壊そうとしたのと同じ。
命を賭けて愛し、守ったザードへの思い━━━━
それを、
踏みにじっていた。
「
…
ザード様
…
私は
…
私は、私です
…
他の誰でもありません
…
」
━━嗚呼、
花びらが散っている
…
あの時の情景と重なって
もう、二度と二人で行くことは出来ない、あの花畑
…
ザードの傷に触れた、
あの日━━━
「だから
…
」
触れてはいけなかった。
知ってはいけなかった。
そうすれば、
「もう
…
忘れてください
…
『布姫』の事は
…
」
こんなに、
ザードの事が愛しくならなかったのに━━━━
「黙れ!!」
━━静かな囁きが包む空間から一変、ザードの怒鳴り声が響いた。
「てめぇは『アテナ』っつてんだろ!
つべこべ言わずおとなしく待ってろ!馬鹿!」
「ザード様!!」
ザードは身を低くし、ヒサギの脇を狙う。
ヒサギも避ける事が出来ないと判断したのか、腰に差していたナイフを取りガードする。
しかし力で勝てるはずもなく、ヒサギは後方へと飛ばされてしまった。
民衆からどよめきが起きたが介せずに、ザードは牢を見上げた。
「ふんっ、俺様が本気を出せばこんなもんだ
…
さ、帰るぞ『アテナ』」
ニヤリと笑い、
一歩踏み出す━━━刹奈、
ざわめきをかきわけ、
地に刺さる弓━━━
「ちっ!」
閃光の如く、弓矢がザードの前髪をかすった。
ザードは再び鋭い視線を巡らせ、振り返る━━━
「俺の言ってる事の意味、分かってないだろ
…
?」
人々の後方、
叩き付けられた瓦礫が崩れているその場所から、
「『布姫』はこちらの所有物なんだよ
…
!!!!」
小型のボウガンを太陽に輝かせ、かかった土埃を払いつつヒサギが灰色の視線を突き刺した。
「もう一度言う
…
こいつは『ヒルデ』じゃない。本人も言ってたようにな
…
」
「見れば分かる」
「
…
じゃあ、問うぞ?
何故お前は『布姫』を求めるんだ?
醜く、布を織ることにしか存在価値のない
…
この女を」
「━━約束した」
周囲がシンと静まると、ザードは『アテナ』を見上げた。
「こいつ
…
今日、朝飯に握り飯を作るんだとさ」
━━━握り飯?
「弁当にも俺の好きなもんも入れてくれる
…
そう言ってた」
周囲の群衆━━だけでなくヒサギの顔が引きつった。
「そんなくだらない事で俺の計
…
」
「くだらなくねぇ!」
ザードは剣でヒサギを指し睨みつけた。
瞳には一点の曇りもなく、澄んでいる。
「あいつがいなくなったら誰が兵士達の飯を作ると思う?!誰が臭い洗濯すると思う?!誰があのクソ兎の面倒見るってんだ?!誰が俺のマントを縫うんだ!?
誰が
…
」
そこで少し息を詰まらせ、顔を赤らめた。
「
…
誰が、俺の側で笑ってくれるんだ
…
!!」
ヒサギ、そして『アテナ』は目を見開いた。
「確かに最初はヒルデを重ね合わせて見てた
…
けどな
…
こいつとろいし、すぐ泣くし、世間知らずだし
…
ヒルデなんかと似ても似つかない女だったんだよ
…
なのに、俺の為に無理ばっかやってさ
…
」
今までに見せたことのないような優しい微笑みを一瞬浮かべ、ザードは『アテナ』を再び見つめた。
「ヒルデの代わりになろうとしてる姿には特にイライラしたぜ
…
『アテナ』は『アテナ』だ
…
ヒルデは、関係ない。
俺は、」
『アテナ』の瞳から涙が溢れた。
「ヒルデより、何倍もアテナが好きだ」
ザードは剣を持ち直した。
周囲の雰囲気がピンと張りつめる━━━
「だから、
アテナは俺のものだ!!」
叫ぶと同時か、
土煙を起こす程に強い風が吹き、ザードを包む。
しかし、その錆色の瞳には
『アテナを連れて帰る』
その強い意志が刻まれていた━━━
一迅の風が吹き抜けると、ヒサギの舌打ち聞こえた。
「
…
おい、ザード
…
お前
…
脳味噌使いもんにならないんじゃねぇか?」
「んだと!?」
「脳が生きてるんなら、よく考えてみろ」
ヒサギはザードに向けて、四本の指を立て示した。
人々も自然とそれに注目する。
「いずれ国を束ねる王子の花嫁には四つ条件がある
…
まずは
『五国大陸の住民であること』
『16歳以上』
これは基本的な事だ。
別の大陸の血が入ったらどうなるかわからねぇし
…
16歳以下だと犯罪だ。
次に
『王子と同じ領内に在住であること』
…
武の国なら武の国の女と結婚しろってことだ。
最後は
『身分は高く、王に認められた家柄であること』
より優れた血を受け継がせろ
…
そういうこと」
そこまで一気に言うと、
ヒサギは溜め息を吐きながら『布姫』と、群衆の後ろで拘束された領主家族を交互に見やり、呆れたようにザードを睨んだ。
「
…
こいつはお前とこの女でもない上に、王にも認められてない平民だ。
好き
…
?俺のもんだ
…
?
戯言も大概にしやがれ!!
この
…
脳筋ハリネズミっ!」
ヒサギは叫ぶと同時に、
小型ボウガンを発射した。
ザードは鮮やかに弓を瞳で捉えた。
一発、軽々と避け
二発、剣で弾き
三発、余裕の掴み取り
「はんっ
…
!
止まって見えるぜ!」
ザードは顔にかかる髪を手で退かしながらニヤリと笑った。
━━しかし、
「それは良かった」
ヒサギも笑った。
ヒサギはボウガンを撃ちつつ大鍋へ近付き、『布姫』の入る牢へとスイッチを向けていた。
「━━お前にはまだ説明してなかったな
…
これは、スイッチを押すと牢の床が落ちる仕組みなんだ
…
落ちる場所は
…
見れば分かるだろ?」
牢の下にある鍋からはグツグツと湯が煮えるような音が聞こえてくる━━━
ザードはその事実に気付くと、目を見開いて一歩踏み出した。
━━だが、ヒサギはそれを片手を差し出し制止する。
「近付くな!
近付いたら、押すぞ」
ヒサギの悪魔のような笑顔と真逆にザードの表情は険しい。
「ちっ
…
」
ザードはおとなしく剣を下ろし、悔しげに歯を噛み締めた。
「
…
いつものお前なら、考えなく突っ込んで来るはずだが」
「
…
『アテナ』を殺したくはないからな」
「『アテナ』、ね」
二人の間に微かな花の香りが流れた━━━
「大事なのか、この女が」
「大事だ」
「
…
掟を破ってでも、この女が
…
好きなのか」
「当たり前の事を聞くな!」
「
……
」
ヒサギは静かに目を伏せると、浅く呼吸した。
緩やかな風が髪をもてあそぶ━━━
「
…
俺は、」
薄く瞳を開けると、
灰色の光は憂いを帯ていた
…
「いつも真っ直ぐなお前が
…
大嫌いだ」
「きゃあああぁぁ!!」
ヒサギの静かな呟きが終わると同時に、
牢の床が轟音をたて
落ちた━━━━
一瞬何が起きたか理解出来なかった━━━
しかし、
体だけは動いていた。
「アテナっ!!!」
スイッチを投げ捨て、距離を取るヒサギを尻目に、
ザードは鍋へ大剣を振るった。
鍋は鮮やかに真っ二つにされ、中から湯気をなお出し続ける大量の水が流れ出てきた。
民衆は熱湯から逃げ惑い、
悲鳴を上げる━━━
その混乱の中、ザードだけは斬った鍋へ駆け寄り目配せしていた。
━━どこだ
…
どこだどこだどこだどこだどこ
…
━━━!!!
━━瞬間、
向こうへ吹き飛ばされていた鍋の片方に青い髪の女性がいるが目にはいった。
━━いたっ!
「アテナっ!!!」
ザードは地面の水がはねるのも構わず、アテナの元へ走った。
「アテナ!
死ぬな
…
アテナ!!!」
アテナの名を繰り返し呼び続け、駆け寄る。
━━お願いだ
…
死なないでくれ
…
ザードはアテナを抱き上げるとすぐに細い体を抱き締めた。
失いたくない
…
もっと、お前の笑顔を見ていたいんだ
…
俺の側にいろ
…
!!
「アテナ
…
」
恐怖で体が震える━━━
胸の鼓動がまるで、自分のものでないかのような
………………
ような
…
?
「
…
苦しい
…
です」
「
……
は」
ザードは自分の胸でもがくアテナに今気付いた。
「まったく
…
茶番にもほどがあるな」
ザードとアテナの後ろから呆れたような声がかけられた。
振り返り見ると、ヒサギが冷ややかな瞳を向けていた。
ザードは恥ずかしいやらムカつくやら
…
よく分からないが、ヒサギに怒りを覚えた。
「おい、ヒサギこれは
…
」
「死ぬわけねぇし
…
鍋の中身は『水』だったんだからな」
━━━水?
ザードの言葉を遮るように言うと、ヒサギは足元の白い石を拾って手でもてあそび始めた。
「この石は『蒸発石』
…
水とか液体に入れると水泡と煙を出す性質だ。
これを入れて鍋を熱湯に見せかけて
…
てか俺は一度も『熱湯』とは言ってねぇし」
ヒサギの溜め息と共に、座り込むアテナは彼の言葉を思い返した。
「━━━あ」
…
そうだ。
ヒサギは一度も『熱湯』と言っていない
…
『凄いだろ?』などと遠回しに言葉を濁していた━━
━━しかし、
「どうして、そんな事をしたんです
…
?」
今だアテナの肩は震えている
…
どうして鍋に熱湯を偽り水を入れたのか?
どうしてアテナをそんな水に落としたのか
…
?
「
…
そもそも、処刑なんてここじゃ出来ないしな」
ヒサギはザードを睨みつけた。
「
…
罪人に罪を下し、処刑を行うのは全て『知の国』
それが掟だ。
もちろん、罪を揉み消す事なんか出来ない
…
ザードも知ってるはずだ。国内にはつねに知の国の監視者がいるってことを」
「
……………
あ」
ザードは今初めて思い出したという顔をした。
その様子にヒサギの眉間に皺が寄る。
「お前が『アテナ』を連れ去ったのと領主の事も何とか監視者を買収して、口止めさせたのに
…
処刑も領主に本当の罪の意識を植え付けようと
…
ああぁっ!たくっ!!
お前がいなきゃ全て上手くいったのに!!!
これで知の国にバレた!
全てな!
逝けよ、熱湯かぶって逝け脳筋野郎!!!!」
ヒサギの叫びはどこまでも響いた
…
…
確かに、彼の行動はまどろっこしくて、おかしかった。
…
種を明かせば納得がいくが
…
「
…
まぁ、領主達は今回の罪が分かったみたいだが
…
」
横目で視線を移すと、
領主は白眼を剥いて倒れてリンスロットは泣き、後妻は気絶していた
…
…
アテナが落ちた事がそんなにショックだったらしい。
「皆
…
」
アテナは胸が熱くなった━
「衛兵!」
アテナが呟くと同時に、黒い男が前に出てきた。
藍色の髪を風で揺らし、領主と馬車を指差している。
衛兵は男の声に応えて、
領主に歩み寄った━━
その時ふいに、男の瞳が肩を寄せ合うザードとアテナを捉えた。
「
…
あいつらは知の国で然るべき罰を受けさせる
…
━━お前等がいなければ、まどろっこしい事もしなくて済んだんだが
…
」
男の声は不機嫌そうに腕組みするヒサギにそっくりだった。
「
…
全く
…
面倒事を増やしやがって
…
馬鹿ヒサギが」
「俺は上手くやった」
「お前の行動は不自然にも程があるつってんだ
…
!
━━おい、黄色針ネズミ」
男は突然ヒサギからザードに向きを変え、灰色の瞳で睨みつけた。
「俺はもう少し垂れ目チビ馬鹿ヒサギと話すからな」
「
…
は?」
━━そんな、
わざわざ言わなくても
…
「
……
他の奴の事なんか構ってられないって言ってんだ!
さっさと俺の国から消えろ!馬鹿がっ!」
「はっ?こいつらに責任を
…
って離せ馬鹿親父!!」
男は激怒するヒサギの首元を掴み、ツカツカとその場を立ち去って行った━━
…
いつの間にか広場にはアテナとザードだけが取り残されていた
…
一気に静まる空間に、
ザードは再びアテナを強く抱き締めた。
「
…
ザード様
…
」
「馬鹿やろ
…
う!」
アテナの髪に顔を埋めると抱き締めた腕が自然と震えた。
「城から出るなって
…
言っただろ
…
!?」
「でも
…
」
「お前は俺の側でおとなしく働いてればいいんだよ!」
「━━あ」
━━━
…
まだ
アテナの瞳から大粒の涙が流れた。
まだ、
ザードにとっての自分は━
「俺の為に働け!俺の側にいろ!離れるな!俺だけを見ろ!
━━俺を好きになれ
…
!」
「━━━━!」
その瞬間から、
アテナの胸が一際大きく高鳴り始めた。
「━━
…
ザード様」
「ちくしょう!なんだってこんな
…
ヒルデの方が美人だし欠点ねぇし俺にふさわしいはずなのに
…
!!
なんで
…
なんでこんな奴なんか
……
欲しくて堪らないんだよ
…
!?」
━━刹奈、
ザードはアテナを押し倒し唇を乱暴に奪った。
地面に広がる水で体を濡れるのも忘れる位に、アテナの頭は真っ白になった。
「━━俺を本気にさせた責任をとれ」
暫く
…
否、アテナの感覚でしか言えない為、口付けは一瞬だったかもしれない━━
しかし、彼女にとっては永遠に感じられた。
それから解放されると、
ザードは真剣な口調で言った。
「お前に拒否権はない。
俺の女になりやがれ
…
!」
ザードの瞳にアテナが映っていた。
━━過去の影は消え、
揺らぎない意思で、
アテナただ一人を。
「━━━はいっ」
アテナは、泣きながら頷いた。
…
一体ここまでで幾度涙を流しただろう━━━
恐怖の涙、悲しい涙、苦しい涙、決意の涙
…
全て、全部が今の涙に繋がっているのだろう━━━
もう、
この涙しか流さない。
流さないだろう
…
アテナは微笑んだ。
「私も
…
ザード様が、
好きです
…
!!」
喜びの涙が地面に波紋を作った━━━━
「━━帰るぞ!」
ザードは嬉しそうな声を出し、アテナを抱き上げた。
視線を移す先には、ゆっくりと漆黒の馬が歩んで来ている。
━━帰る
その言葉をどれだけ待ちわびた事か
…
アテナはザードの首に腕を回し、抱き締めた。
「私の帰る場所は、ザード様の隣
…
だからもう帰ってます」
「
…
それもそうか」
二人は顔を見合わせ笑い、どちらといわずに再び唇を重ねた。
━━━優しげに
…
━━ザードとアテナ。
二人の恋物語は幸せに終わる。
しかし、
これが、
五つ国全てを巻き込む
本当の恋物語の始まりだった━━━
【第一話終】
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