usagipai
2025-07-28 05:57:40
3837文字
Public 幽世の縁【幻影ノ戦編】
 

【幻影ノ戦編】7話


雪が、血の匂いを包み込んでいた。
夜の帳が降りた山の境界。そこは、誰の時間からも切り離された“戦場の死角”──
まるで、世界そのものが目を背けた場所だった。

……っ、ここか……!」

タカキは息を切らしながら、積雪を踏みしめる。
遠目にも異常がわかった。空気が歪み、熱と冷気がぶつかり合った“爪痕”がある。

──そしてそこに。

…………だろ……

見えたのは、倒れ込む二つの人影。
その一方──朧宮が、雪の上に沈むように、動かず倒れていた。

……朧宮隊長……!」

タカキが駆け寄る。返事はない。
肩も、胸も、かすかに上下しているだけ。
剣はすぐそばに落ちていた。きっと、最後まで手放さなかったのだろう。

「くそ……嘘だろ……
息を呑みながら、タカキは周囲を見渡す。
そしてもう一方──晨焔。こちらも血まみれのまま、動かない。

けれど、あの朧宮が一“倒れている”という事実だけが、タカキの胸を締めつけた。

駆け寄るタカキがそっと顔を覗き込むと、
朧宮はかすかに瞼を震わせー一ゆっくりと視線だけを動かす。
返事はない。唇は血に染まり、呼吸も今にも止まりそうなほど浅い。
「誰と......やりあった.....こいつか.......?」
朧宮の前
一まだわずかに動いている"男”が
いる
晨焔
地面に崩れ落ち、笑みを浮かべたまま、胸には焼けた穴。口元から血が滴っていた。
「こいつを倒したのか.......」
タカキの喉が鳴る。
勝ち負けが重要なんじゃない。
「死なれたら困るんだよ……

声が震えた。
タカキは歯を食いしばりながら、朧宮の身体を抱え直す。
その背に、かすかに残る熱。
まだ──生きてる。

貴方が負けてたら、俺らもう終わってたんだな……

小さく吐き捨てるように、でもどこか祈るように言った。
応答はない。
けれど、手の中の命が、わずかにでもまだ灯っていることに、タカキは心の奥底で救われていた。

──そして。

タカキの視線の先に、朧宮の剣があった。
まだ抜かれたまま、雪に深く突き刺さっている。
その刃には──もう何も映っていなかった。

……クソ

呟いたタカキの目には、もう一度強い光が宿っていた。
「こちらタカキ! ──幽世境界線、エリア冬、雪隠にて"朧宮隊長、戦闘不能”ッ! 繰り返す、朧宮隊長は──!」

通信機に怒鳴る声が、深夜の空にかすれた。

周囲の雪が血で染まり、風の音さえ止まったような静寂が続く。
それでも、タカキの耳には通信の“反応音”がはっきりと聞こえていた。

……了解。全データ受信中。』

低く、凛とした女の声が返ってくる。
その声は冷たくもどこか母性的で、すべてを見透かすような気配があった。

『龍宮院(りゅうぐういん)だ。状況は把握した。第七封域への救援班を即時手配──』

声が途切れると同時に、空に「紙の蝶」が数枚、舞い降りてきた。
細工された“式神”だ。雪の中でも焦げず、濡れず、空気に溶け込むように現れる。

……既に、幽世全域に三百体の紙式神を展開している。
晨焔とか言ったかソイツに関する“起点”と“目的”の特定、急がせてもらう』

タカキは肩で息をしながら、通信機を握る手に力を込めた。

「龍宮院司令……この戦い、やっぱり──ただの一騎打ちじゃ、無いのでは

『分かっている』

タカキが通信を終えたその瞬間──
突然、手から通信機がふっと奪われた。

……っ!? 隊長……!?」

それを掴んだのは、つい先ほどまで意識不明だったはずの朧宮だった。
上体を起こすだけでも苦しそうなはずなのに、彼は震える手で、しっかりと通信機を握っている。

……はは……すみません……どうしても、伝えたいことが……

『朧宮……無理をするな』

通信の向こうから、龍宮院の声が低く響く。

……いえ……気になることがあります龍宮院司令……

その声はかすれていた。
けれど、言葉の芯には確かな“確信未満の危機感”が宿っている。

……三千年前……我々の先祖がこの幽世を創った際の記録──
保管されている文献を、もう一度すべて洗い直してほしい」

『三千年前……陰陽師の初期資料か。なぜ? 今回の戦いと関係が?』

……確信は、まだありません……ですが──」

朧宮の目が細くなり、言葉を繋ぐように浅く息を吐く。
それでも、どうしても伝えたいという“意志”だけは、途切れずに残っていた。

……晨焔が、最後に……
──“この戦いの発端は、幽世側が吹っかけたものだ”と……

……!』

通信の向こうで、わずかに息を呑む音が聞こえた。

……龍宮院司令……本格的な初期資料に触れれるのは、龍宮院家の子孫である、貴女にしか……頼めません……

そこまで言い終えると、朧宮の身体がぐらりと揺れ、タカキが慌ててその身を支える。

けれど──

その場に残されたのは、“疑念”だった。
これは、ただの局地的な戦闘ではない。
三千年の沈黙が、今──音を立てて揺らぎ始めている。

……状況は把握した情報感謝する、その件、私に任せておけ』

静かな声と共に、通信が切れる。

その瞬間──
空を舞っていた無数の紙の蝶たちが、音もなく四方へと散っていく。

「さて……落ち着いたことだし、もう一踏ん張りするかな……

「隊長ッッ!? そんな状態で、どこに行くつもりですか!」

タカキが声を上げた瞬間、朧宮は無言で視線を逸らした。

……あいつの拘束。終わってないだろ、まだ。」

そう言って顎をしゃくった先──
そこには、晨焔が後ろ手に縛られ、倒木の幹に括りつけられていた。
意識は朦朧としているが、まだ微かに息はある。

……あの状態でやったんですか……?」

……癪だったんだよ。せっかく勝ったのに、捕縛もできないってのが……

ぼろぼろのまま、それでも目を細めて笑う朧宮。
タカキは呆れたように肩をすくめ、頭をかいた。

「どんだけ勝ちにこだわるんですか……もうちょっと自分を労ってください……

「こだわるさ。“勝ち”だけじゃダメなんだ。“責任”まで取らないと。」

短くそう返すと、朧宮はそっと視線を落とした。

……この戦いの始まりが、もし幽世の側にあるのなら──
 ……俺たちの“正義”も、見直す必要があるのかもしれないな」

沈黙が流れる。
不思議な感覚を胸に、晨焔へと視線を向けた時──
そこで、死にかけていたはずの彼の姿が、跡形もなく消えていた

しんしんと降り積もる雪が、その痕跡すらも静かに覆い隠していく。
雪に刻まれた足跡と、破れた術符の残骸。
それだけが、彼の存在を証明している。

……嘘だろ……

タカキが呟く。焦り、そしてどこか不安げな色を帯びていた。
慌てて辺りを見渡し──その時、ふと視界の端に、何かが舞う。

晨焔がいた場所。
そこに一枚の紙切れが、雪の上にぺたりと貼り付いていた。

 『ざんねんでしたーーーー』

……

……ッッッ
脳内で晨焔のおちゃらけた姿で言われる姿が容易に想像つく
「はははいい感じにコケにしてくれるじゃないか……見つけたらタダじゃおかないぞ」
そういう朧宮の顔は笑っておらず血管をビキビキ立てていた
「(コッ……こぇぇ)」

しばらく無言になった後、朧宮が深く息を吐く。
苛立ちと呆れ、そしてほんの少しの敗北感。

「(逃げられたッ………

その言葉にかぶさるように、かすれた声が届く。

吹き込む風が、逃げた晨焔の痕跡すらもかき消していく。
ただ、残された紙切れの言葉だけが、微かに雪上に揺れていた。

──◇── 

政府直轄 幽世監理庁 妖異鎮撫機関
《あやかし特殊部隊》 本部司令室

空気がひとつ、別の密度で張り詰める。
あらゆる音が吸い込まれるような、白磁の間。

無数の蝶の形をした紙が、ふわりふわりと天井から舞い降りる。
一つひとつが、幽世全土から集まった“情報”──式神たちの報告だ。

その光景を、静かに見上げる女がいた──

本部司令官、龍宮院(りゅうぐういん)。

幽世において、“最上位の観測者”であり、数百の式神を操る陰陽師。
無感情のような表情に、わずかな緊張が走る。

……見えた、朧宮。よく生き残ったものだ」

指先が一つ蝶を挟むと、それは朧宮と晨焔の戦いの断片を映し出す。
剣の軌跡。血の飛沫。
魂と魂がぶつかるような一撃。

だが──

……問題は、最後の言葉」

“この戦いの発端は、幽世側から吹っかけたものだ──”

彼の言葉が、龍宮院の思考を射抜いて離さなかった。
真偽はともかく──気づかぬふりは、もはやできない。
 
龍宮院家に伝わる古文書──
本来は「当主継承後」にしか触れることのできない、極秘中の極秘資料
だが今回は、元当主である父に頭を下げ、無理を通して、特例として“そのデータ”を譲り受けた
 
整然と積まれたファイル群。封印の紋。
そして、誰の手にも触れられたことのない、最奥の一冊。
 
指が、静かにその封に触れる。
 
──その瞬間、記録が息を吹き返す。
 
歴史の影に封じられていた、“始まりの真実”。
その扉が、今、開かれようとしていた。