むかいえ
2025-07-27 23:22:37
6319文字
Public シャアム
 

星の声が聞こえる

シャアム。アムロが一時的に耳が聞こえなくなりますが治ります。Z軸です。

 とある朝。アムロが眠りの淵から戻ってきた時、違和感があった。不快ではない、が、なんとも言えない奇妙な感覚。首を傾げつつ、着替えのために寝台から起き上がって気付く。
……あ?」
 音が聞こえない。

 この世は案外、音に満ち溢れている。衣擦れの音。人々の足音。風の音。全く音を立てずに動ける人間はいない。どんなに静かな部屋にだって自分の呼吸音があるものだ。しかし、今のアムロには自然に耳に入るそれら音の奔流が聞こえない。
 ーーだが、完全に無音の世界とも言えなかった。耳からは何も聞こえないが、アムロの頭の中は穏やかに騒めいているのだ。木漏れ日の中の葉擦れのような、寄せては返す波のような、遠くに聞こえる誰かの唄のような。ささやかなそれらは明確には『音』ではないけれど、不思議なことにアムロに寂しさを感じさせない。
 とりあえず艦長に報告するか、とアムロは手早く身支度を整えて与えられていた部屋を出る。ドアの開閉音も、自分の足音も聞こえない。これまで気にも留めなかった些細な音が無いことに違和を感じる。

「アムロさん?」
……ィーユ?」

 艦長であるハヤトを捜すため、アウドムラ内の通路を歩いていたところで出会したのは、カミーユだった。アムロを見かけて駆け寄ってくる彼からも、やはり音は聞こえない。カミーユの名前を呼んだつもりだったが、上手く呼べたのかはわからなかった。自分がちゃんと声を出せているのかも、今のアムロには判断できないのだ。

「え?……あれ?……えっ?えっ!?どうしたんです!?」
「カミー、ユ

 目が合った。と思えば、カミーユの表情が困惑に染まる。声は聞こえない。……聞こえないはずなのに、何となく、彼が何を言っているのかわかった。
 特に読唇したわけでもないが、カミーユがアムロを心配している気持ちが、さざなみのように伝わってくるのだ。表情から読み取れる感情、と言うには詳細で鮮明過ぎる。なんなら言葉を交わして会話しているよりも余程、互いの心情を理解できているような気さえした。
 つまり、これはーーニュータイプ特有の交感に近いものだろう。心が直接触れ合うような感覚は、いつかの宇宙でララァと共鳴した時のものとよく似ていた。
 カミーユは優れたニュータイプである。奇妙なことになっているアムロの現状に気付いたからこそ、彼も戸惑っていた。

「アムロさん!あの、本当にどうなっているんです?……?感覚……これは言葉?……あっ!もしかして聞こえてない!?」
……
「って、えっ!?聞こえてないんですか!?俺の声も、今喋ってるのも!?いやでも、やっぱり伝わってますよね……?」
……
「ニュータイプだから?でも、どうしてそんな急に。アムロさん、何か原因とか、心当たりとかないですか?」
……
「突然だったんですね……一体どうしてなんだ?」

 この間、アムロは終始無言である。かくかくしかじか、と考えていたらカミーユに伝わっていた。ジャスチャーすらも最低限である。側から見れば、まるでカミーユが他人の思考を読み取るエスパーのように見えるかもしれない。
 とにかくハヤトに報告、と通路の先を指差せば、「そうですね、艦長ならブリッジにいるはずです」とカミーユが頷いた。やはり正確に伝わっている。
 自然と足早になりつつ、二人揃って艦のブリッジへと向かう。ブリッジが近付くにつれて、アムロの頭の中の騒めきも大きくなっていく。
 内心首を傾げながら、不思議な感覚を無意識に追ううちに気付いた。ーーこの『音』は、人々の思惟だ。誰かの胸裡に抱かれた感情の波だ。
 今のアムロは、恐らく心が剥き出しになったような状態なのだろう。故に感受性も高くなってしまっていて、あらゆる思惟を拾い上げている。ブリッジ周辺には人の通りも多い。普段は感じ取れないような多くの人の零細な思惟を、見境なく拾い上げていれば騒がしくもなろう。
 耳が聞こえない分、ニュータイプとしての側面が補おうとでもしたのだろうか……そう推察して、いい迷惑だな、と眉根を寄せた。
 アムロとカミーユが立ち止まる。ブリッジに通ずる扉は目の前にあった。

……

 この扉の先に、艦長だけでなく因縁の相手もいることは既に察していた。朝からご苦労な事だなと他人事のように思ってみる。立場的にはむしろ当たり前のことなのかもしれないけれど、今はいない方が有り難かったのだが。
 本当にいい迷惑だ、と自分のニュータイプ能力を恨んでため息を吐いた。アムロの、このうんざりとした気持ちはそばにいるカミーユにも伝わっていることだろう。
 心が剥き出しになっているーーつまり、アムロの思惟も伝わりやすいということだ。それはきっと、今はクワトロと名乗っている、シャア・アズナブルにも。

……アムロ?」

 扉の先。ハヤトと何やら話し合っていたはずの金髪の男が、一番最初に振り向いた。

***

 結論から言うと、アムロはなるべくクワトロ、もといシャアのそばにいるように指示された。臨時で行われた対応策会議の内訳は、ほぼアムロの異常事態を知ったシャアのごり押しである。
 もちろん揉めに揉めたのだがーー現状、アムロは自分の声すら聞こえない状態なので上手く喋れず、細かな意思疎通が難しかった。そしてアムロの拒否的な思惟や苛立ちの感情は察しているだろうに、シャアは飄々とそんな提案を通したわけだ。付き添ってくれていたカミーユが噛み付いたり、ハヤトが頭を抱えていたりもしたが、結局どうにもならなかった。
 折衷案として『そばにいるのはカミーユでも良い』という文言が追加されたのが救いかもしれない。ブリッジで幾人かと関わった際、一番正確にアムロの思惟を受け取っていたのはカミーユとシャアだけで、他は曖昧模糊としているらしい。ニュータイプ能力の差異故だろう。
 二人以外にも、アムロはなるべく人のいる場所で過ごすようにと言われている。思惟を受け取ることは出来ても、音が聞こえない以上、一人でいては艦内放送や呼び出しなどの緊急時に対応出来ないからだ。
 一年戦争の英雄という肩書を持つアムロは、ここアウドムラでも有名人である。戦力としても頼りにされている彼の不調は、アムロ自身が考えていたよりも大事になってしまった。事態が発覚してから、わあわあと頭の中が騒がしい。心配するような思惟が多くて申し訳ないほどだった。
 ハヤトの指示のもと、医務室で一通り検査をしたところ、「恐らくストレス性のものではないか」と診断された。吐き気や眩暈などの随伴症状がないのではっきりとは言えない、とも言われた。結局原因不明で、いつ治るのかもわからない。
 芳しく無い状況に辟易としつつ、幾つかの薬を処方された後、自室へと戻る。「今の状態で任せられる仕事は無い」ときっぱり告げられ、休養を言い渡されたのだ。
 自室の前まで辿り着きーーーーそこでようやく、アムロは振り返った。

……なに?」
「そばにいた方が良いからな」

 入れてくれ、と言葉よりも雄弁に、シャアの思惟がアムロの心に触れる。聞こえないが、どうせそばにいた方が都合も良い、みたいなことも口走っているのだろう。
 未だ距離感を掴みかねる宿敵の男を、借り物とはいえプライベート空間に招き入れるのは抵抗があった。……その抵抗感すら気付いているだろうに、シャアも引く気はないようで。

はあ」

 幾度目かのため息を吐き、アムロはシャアを自室へ入れた。嬉々として踏み込んでいく男は、何をそこまで自分に執着しているのだろう、となんとなしに考える。
 この時、耳が聞こえていないアムロは気付かなかった。ーーカチリ。他ならぬ宿敵の手で、内側から扉のロックが閉められた音に。

……ぁ、あー。シャア、おれはーーーー」

 異変を感じたのはすぐだった。
 休養と言われても、音が聞こえない以外に体調は変わらない。アムロは、機械弄りでもするかなあ、と考えていた。自室にシャアがいるという違和感こそあれど、趣味に没頭していれば気になるまい。仲良く話をする仲でもないし、そもそも話題もない。シャアの方も、放置されれば飽きて部屋を出ていくのではないかという期待もあった。
 聞こえないなりに拙く話そうとしたアムロのそんな楽観的な思考が、あっという間に塗り潰される。

「あ!?」
「アムロ」

 ぐわん、と頭を揺らされたように視界がぶれる。何か大きなものにぶつかったような、落とし穴にでも落ちたような。一気に平衡感覚が狂って、気付いたらその場に蹲っていた。
 どくどくと脈拍が上がる。呼吸が浅くなる。明らかな異常事態にアムロは混乱した。

「アムロ」

 無様に床についた手が震えていた。視界の隅に映る足が、アムロへ近付いてくる。
 声は聞こえない。何も聞こえない。しかし、目の前の男がアムロの名を呼んでいることだけはわかった。何度も、何度も、呼んでいる。
 名前を呼ばれるたびに、まるでアムロの心を殴りつけるかのように強い感情が叩きつけられている。ぐちゃぐちゃだった。それがシャアのものなのか、アムロのものなのか、混ざり合ってわからなくなる。

「う、う……っ」
「アムロ」

 赤い軍服が見えた。蹲ったアムロに視線を合わせるようにシャアが膝を折っている。辿るように、のろのろと俯いていた顔を上げていけば、いつの間にグローブを外したのか、白い指先がアムロの頬に触れた。触れた先から電流でも流れたように、また感情の波がアムロを襲う。
 サングラスを外したことではっきりと見える、シャアの青い瞳と視線が交わった。口元が動いている。あむろ、と名を呼んでいる。

な、ぁに!何、なんだよ!」

 漏れ出た悲鳴すら飲み込まれそうな奔流だった。ララァとの共鳴とも、カミーユとの交感とも違う。彼らが穏やかな湖面なら、これは荒れ狂う海だ。大きくて重たい感情は、憎悪も憤怒も悲哀も、何もかもが入り混じっていて途方もない。
 どうして急に。混乱しながらもアムロはどうにか思考を巡らせる。ブリッジで出会った時にシャアから感じた情動は「心配」や「困惑」、「落胆」に近いものだったはずなのに。こんなにもアムロの心がばらばらになってしまいそうなほど、強い心の動きはなかったはずなのに。

「アムロ。君が損なわれることは、我慢ならない」

 ぐっと引き寄せられて、シャアに抱き締められた。相変わらず彼の感情はどろどろとアムロを覆い尽くしている。抵抗する気力も湧かなかった。
 嵐は過ぎ去らない。思わずぎゅっと閉じた瞼の裏で宇宙が光る。
 暗闇の中にララァが見えた。微笑む彼女が遠くを指差す。嵐の中にあってなお見失わない、一等輝く美しいもの。白く光る星。
 星の下には男が立っている。赤い軍服。黄金色の髪。焦がれるように星を見上げる男を知っている。アムロは知っている。
 ああ、これは、この男のーーーー

「しゃあ」

 弾けるように、遠い宇宙の彼方からアムロの心が戻ってくる。
 震える腕を無理やり動かして、己を抱き締める男を抱き返した。シャアの体が驚いたようにびくりと揺れる。受け入れられるとは思っていなかったような反応だった。

「シャア」

 名前を呼ぶ。彼と同じように、幾つかの感情を込めて、心のままに。
 アムロの背に回る腕から、怯えるように力が抜けた。酷い男だ。情けない奴だ。ここまでしておいて逃げようとするのだから。逃がさないようにアムロは自分の腕の力を強める。
 ーー言葉では伝わらないと思ったのだろう、この男は。だからこれを機に己の感情を叩きつけてきた。そうして自分の存在でも刻みつけようとしたのかもしれない。
 今のアムロは微細な感情まで拾ってしまうから、相当重たいシャアの気持ちは、今まさにぶつけられたアムロの反応通りである。強すぎて眩暈がするほどだ。
 いっそ嫌われて憎まれて、傷になりたかったようだった。だから、いざアムロに受け入れられてしまって戸惑い、尻込みしている。

「おれは、星なんかじゃ、ない」

 上手く言葉を紡げているだろうか。相変わらず音は聞こえない。それでもアムロはシャアに語りかける。
 アムロのなかのララァに導かれるように見えた、星に焦がれるシャアの姿。それはアムロに向ける敵愾心や殺意、憎悪の奥に秘めたーー無垢な好意と、憧れの象徴だった。
 あの星を撃ち落としたいという気持ちと、あの星が光り輝いているさまをずっと見ていたいという気持ち。矛盾しながら存在する、シャアが抱くアムロへの執着の一端だ。

「ここにいる、だろ、ちゃんと」

 シャアはそこまで見せるつもりはなかったのかもしれない。……でも、アムロは見つけてしまったから。手の届かない星に見立てて、欲しいものを欲しいと言えない子供みたいな彼の姿を、知ってしまったから。
 つまりーーアムロはあの一瞬で絆されてしまったのだ。
 だから、自分にできる精一杯を返そうと、男を抱き締めている。アムロがシャアへ向ける感情も複雑ではあるけれど、今となっては敵愾心だけではないのだから。

「シャア」

 アムロの思惟が、シャアの心へ手を伸ばす。
 弾かれることはない。しかし、内側まで入らせてはくれない。こんなにも重たい感情を突きつけておいて、アムロの心は受け取ってくれないのか、とムッとする。

だが、君は

 ぼそりとシャアが声を漏らした。アムロには聞こえないが、彼の心が不安定に揺らいでいることに気付く。

「私と共には来てくれないではないか……

 やわらかな心からこぼれ落ちた言葉は、拗ねた子供のようだった。音として聞こえなくても、アムロには届く。ああーーあなたって人は、本当に。
 アムロに届いたことを、シャアもわかったのだろう。力の抜けていた彼の腕が、恐る恐ると動き、アムロを再度抱き締める。一度目よりも力強く、痛いくらいに。
 シャアの心が緩やかに流れ込んでくる。先程までの嵐のように激しい感情とは異なる、祈りのような切なる想い。

 一緒に宇宙に行きたい。君に勝ちたい。ずっと戦っていたい。あるいは、もし共に戦うことができたなら。私を支えてくれたなら。導いてくれたなら。頼れる相手が欲しい。いなくならないでほしい。君がこの先も、隣にいてくれたなら。
 綺羅星のように現れた、私の、運命のひと。

「うん」
「アムロ」
「うん」
「アムロ……

 ーー好きだ。

 まるでその『声』が合図だったかのように、アムロの耳が音を捉えた。
 とくとくと一定のリズムを刻む音。ぴったりとくっついた互いの胸の奥、二つの鼓動が聞こえる。重なり合うことのできない心臓が、二人の関係を示しているようだった。
 アウドムラの駆動音。風を切る音。遠くの誰かの話し声。シャアの心臓の音。自分の呼吸音。きちんと耳に届くそれらの音に、戻ってきたのか、とアムロは静かに目を閉じた。音のない、裸の心だけだった二人きりの世界から、戻ってきたのだ。

 耳が聞こえるようになると同時に、波が引くように、心の感度が下がっていく。溶け合いそうなほど近くにあったシャアの心が離れていく。その寸前に、アムロはシャアへ『声』にならない気持ちを送った。
 ーーぼくも、あなたが好きだよ。
 ささやくようなその返答が届いたのか、それはシャアだけが知っている。