レイ・オブ・ライト

【OVER THE SAME SKY】秋芳洞の巌窟王を元ネタにした巌ぐだ♀。全部やり切った後巌窟王と現地に観光に行ってます。星がずっと眩しいことを再認識するだけの話。

 鍾乳洞が有名な県に小旅行したい、と言い出したのはマスターだった。
 マスター――既にそう呼ばれることはなくなった藤丸立香、であるが――に付き合う形で車を走らせている間に、旅の目的を問えば、

『キミの名前がついた石筍があるんだよ!』

 だそうだ。
 よもやそれだけが理由ではあるまいな、などとはとても問い返せない。興奮気味の笑顔を向けられた時点で、ハンドルを握る未来が決まっていた。
 真の意味での平和を取り戻したマスターは、短い旅行を好む。
 遠くに行くのでなく、国内の、身近にある小さな興味を拾い集めては、手のひらに乗せて笑う。そして、その収集物を巌窟王と共有できることが、幸せで仕方がないらしい。
 此度の掌上の幸福は山口県にある。専用駐車場から現地まで、家族連れにツアーにカップル、多様なる観光客でほどほどに賑わう空間はいかにも日本国らしい。腕を組んで歩くマスターも自国の「らしさ」に、じんわりとした喜びを感じている様子だった。

「特別天然記念物に指定されてる鍾乳洞なんだって」
「そうか」
「地底湖のツアーもあるんだよ。未開放エリアまで行けるの。ちゃんと装備整えてね!」
「ほう」
「行きたかったけど、今回の目当てはキミの名前の石筍だからねえ」
「では次の機会に」
「いいね! そしたらおしゃれは無しになっちゃうけどさ」

 雑談を交わしながら、決められた道を進んでいく。
 暗い内部は天が高く、しとしとと水滴が垂れてくる。冬季の乾いた空気が徐々に重たく変わり、気温と湿度が変化していく。
 ぶる、と震えたマスターの肩にコートをかけると、見上げる瞳がひとつ瞬いてからありがと、と細められた。それから勢い任せに、組んだ腕にぎゅっとしがみつく。暖気欲しさを言い訳にした密着に、巌窟王も目を細めるのみで返した。

 改めて、前方に目を向ける。
 ――洞の内の空気は、懐かしくさえあった。
 吸い込む酸素に絡みつく、湿気と呼ぶには余りにも水気を含んだそれを肺に落とした時。

(かの島に隠された宝。全て、すべておまえに託す――

 第二の父と慕った神父の声が、響いていた。
 そう、この空気は、父に託された財宝のありかに似ている。
 踏み出すつま先はストレートチップでなく、ぼろ布を足に巻き付けただけの、汚れ痛んだ脱獄者の素足に変わっていた。
 分かっている。幻だ。この鍾乳洞の石質は花崗岩でもなく、道中には緑柱石の色をした蜥蜴も居ない。かき分けたのはミルトとオリーブの茂る葉でなく人混みであったし、腕にあるのはつるはしよりも柔らかい、愛しい女の腕である。

(それでもやはり、ああ)

 地の底。巌窟の底に繋がる場に踏み入れた時、あの未踏の地より薄まっているにせよ、地上にない異質な空気と匂いを感じた時、身体は思い出した。
 自らの名そのものとなった場所を。
 そこを探し当てるに至るまでの道程を。得た宝を。
 その先に在る――復讐と苦悩と、昏き歓喜、妄執、迷い、そして、

「アヴェンジャー?」

 そう、呼ばれる理由を。

「どしたの、無言だね。ひょっとして疲れた? 運転しんどかったとか」

 ライトアップされた洞内とはいえ、暗闇の中だ。だからこそ輝いて見える蜂蜜色の瞳の中に、巌窟王は幻の続きを見た。
 脱獄者から復讐者に変わる。もう裸足ではない、黒革のベルトを巻いたショートブーツだ。整備された岩の道でなく、傷んだ煉瓦の感触を踏みしめている。濃緑の外套を翻し、恩讐の炎を振るう復讐鬼だ。
 復讐鬼は、橙色の星に射抜かれた。七日間を駆け抜けた。振り返らない薄い背を見た。
 彼女に降り積もる悪性を焼き払う日々を望んで選び、暗がりから見上げた先で星がきちんと輝けているかを、残り香のようなまろい明るみの中に見出しては喜んだ。
 その光を失わない為に、別離を選んだ。
 共に駆け抜けたショートブーツの像が歪む。硬質な漆黒のつま先が歩む先には何もない。失った左目と左腕。これにて終幕と、星を見送った充足感を思い出す。
 暗闇――暗黒――の、中で。
 在り得るはずのない再会をする。輝きの中から差し伸べられた手。掴んだ瞬間、結んだ自らの形。だれのための何なのか、再認識は全て、光の中で行われた。

 光。光。光だ。

 幻視する。覚えている。
 暗く深い場に在ってこそ、降る光の美しさを巌窟王は知っている。

(忘れられるはずもなかろうよ。オレの、俺の、私の、存在そのものに焼き付いた輝きだ)

 巌窟王という存在は、星に灼かれ続けている。
 平和を取り戻した今でさえ、甘い星光に炙られ、その熱で生きている――

 そう実感した時、ついに立ち止まっていた。
 マスターは心配げにこちらを見上げている。その視線で幻が消え去り、現実感がざっと身を覆った。
 ずれていた眼鏡を上げる。剣を持つ必要のない世界であればと、その分の魔力で繕った見せかけの左目だ。視力は無いが、マスターの傍らを歩くためには不格好であってはならない。動きの鈍い左腕も、彼女が組む為ならば繕うに足る。

「どっかで休む? 引きかえそっか」

 問いかけに、巌窟王は首を振った。止めていた足を再び動かす。

「不要だ。ただ、思い出していた。おまえに喚ばれた日の事を。或いは出会った瞬間を」
「へ? なんでいま」
「この場、この地の底に相違を見出しだが故に。
 私は脱獄者であり、永遠の復讐者であり――おまえの炎であり、伴侶である。何れも違わず、闇を引き裂く光を知る者だ」
「おおう……

 マスターの顔には意味不明が書いてある。普段から物言いが分かりづらい、長い付き合いでだいぶ理解できるようになったけれどそれでも難解だからできるだけ柔らかい言葉にして欲しい、という願いに反してしまった。
 巌窟王は少しばかり頬を緩め、首を振った。

「後に説明する。そら、おまえの目当てが近いぞ」
「え、あ、ほんとだ! 巌窟王って書いてある! 光ってる!」

 顎をしゃくって指して見せると、マスターの興味は当初に戻った。闇の中でひときわ目立つ自らの通り名の看板。腕を解いてかけていくマスターが一瞬転びかけ、持ち前の体幹の良さで立ち直る。見事なバランス感覚だった。
 橙色を三歩先に見、巌窟王の頬は緩んだままだ。
 鍾乳洞の散策コースは、そう長くもない。行って帰ってくる道のりだ。帰路の果てに見る外界の明るさは、誰の目にも眩く見えることだろう。暗闇から見る光の意味を説明するには、最適のタイミングに違いない。
 歩む先が薄明るくなってきたならば、その時に、教えてやろうと思った。

(地の底にも光は届くのだと)

 私にとってのおまえが、何時如何なる時もそうだったのだと。
 自分こそが、誰よりも――その尊さと、美しさを知っているのだと。