えぬを
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バキサム_さわマル展示小話

マスカレェドパーティに潜入する二人の小話
中途半端に終わっているので続きを書きたい…

一揃えのブラックタイを用意したのはシャロンだった。あらゆる方面に伝手があるらしいシャロンは、何故かバッキーとサムのサイズを把握していて、セーフハウスにはフルオーダーのブラックタイが届いた。値段を確認するのが馬鹿馬鹿しくなるほどの高級感あふれる誂えに、バッキーもサムも改めて今回の依頼内容を思い出し、揃ってため息を吐いた。
今回の任務の依頼主は、ブラックタイをオーダーしたシャロンだった。
マドリプールにあるシャロンの邸宅は今も健在らしく、シャロンはCIAに返り咲いたのちも、裏社会との繋がりを絶ってはいないようだった。
シャロン側に対しての事情について、バッキーもサムも口を出す立場にない。
そもそも彼女を巻き込み、理由はどうあれその後連絡を断つに至った経緯を鑑みれば、シャロンを表舞台に戻すという最重要課題をこなしたとしても、負い目が消えるわけではない。気にしているのは主にサムの方だったけれど、とはいえシャロンからの依頼に関しては、バッキーもサムも断りにくい現状であることだけは確かだった。恩義を感じると同時、純粋に仲間であることも関係する。
そのシャロンの邸宅から、コレクションがいくつか盗まれたというのだ。サムは具体的にその〝コレクション〟がどういったものを指すのか敢えて聞かなかったのだが、バッキーは、『数十年前に所在不明になっていたが、シャロンのところにあったのか』などと、無くしものが見つかったかのような世間話のていで話すものだから、頭を抱えた。つまり、ウィンター・ソルジャーでさえよくよくに知る何某かのコレクションが、何故かシャロンの邸宅にあり、それが盗まれたということだけが理解できた。世界的な大事件である。
「インターポールに連絡してくれよ……
虚しいと理解しながらも、サムが至って常識的な進言をしたとて、当たり前にシャロンとバッキーに鼻で笑われて会話は終了した。
「盗んだ相手はもう捕まえてあるの」
「ちなみにそいつはどうなったんだ」
「聞きたいの?」
サムの現在の立場からして、聞かずにはおれなかった疑問に対し、シャロンは疑問で返答してきた。それが答えだった。サムはわざとらしく両手をあげて天に祈りを捧げると、話の続きを無言で促した。
「三週間後に開かれるオークションに出品される予定なの。取り返したくても、もう無理だったわ。だから、誰かに買われる前に、取り返して欲しいの」
「それでなんで俺達なんだ。部下にでも頼めば良いだろ」
〝あっちの〟、と、敢えて下方を指差し、アンダーグラウンドの仲間を頼れと宣うバッキーに、シャロンは肩を竦めた。
「そもそも、なんでバーンズ議員候補とキャップにこんなハイリスクな盗難案件を打ち明けてると思っているの?うちの部下じゃ顔が割れてるし、あなた達じゃなきゃダメな理由があるからよ」
……議員候補と星条旗背負ったキャップじゃなきゃダメなアンダーグラウンド案件ってなんだよ。すごい嫌な予感しかしないんだが」
サムの顰めた眉に、実に機嫌良さげにシャロンが笑う。
「オークション自体が特殊なの。私のコレクション以外にも、出品されるものには枚挙にいとまがない」
「つまり?」
「絵画や彫像なんてむしろ平凡。神の武器に、超人的な力を手に入れる薬なんかもあるかも」
尋ねたバッキーの眉が跳ね上がった。
「そのほかにも目玉があって──ウィンター・ソルジャーや、翼あるキャプテン・アメリカによく似た人間──とかね」
「──血清に人身売買ってことか?」
低い声で尋ねるバッキーに、シャロンは軽く首を傾げた。
「たらればの話。過去にあった幾度かのオークションでそういった類の物が出品されたらしい、とは聞いてる。真偽は不明。ねぇ?むしろそういった物のほうが、リアリティがあるでしょう?そこに、ウィンター・ソルジャーや、現キャプテン・アメリカによく似た人物が〝出品される側〟に存在することが秘密裏に決まっていて、暗黙の裡に周知されていたら?」
……どういう意味だ?」
シャロンの流れる演説のような説明について行けないことに加え、裏社会の事情に精通しているわけではないサムは、心底に意味がわからず疑問を呈す。むしろ、ウィンター・ソルジャーと現キャプテン・アメリカに似た人物が、もし本物なのだとしたら、違法オークション自体が中止となってもおかしくないだろう。そういった意味で聞き返したサムは、隣に座るバッキーに目をやる。バッキーはちらりとサムを横目で見ると、小さくため息をついた。
……また俺だけ分かってない、って言いたいのかよ」
機嫌を損ねたサムの言葉に、いっそ清々しいほどの笑顔でシャロンが笑う。
「擦れてないってことでしょ。さすが清廉潔白、みんなの希望の星、キャプテン・アメリカだわ」
あからさまな嫌味にサムが詰まると、バッキーがようやく助け舟を寄越した。
「Googleには書いてないだろうな。つまり、俺かお前が本物かどうかなんて別にどうでもよくて。俺かお前に似た人間がオークション会場にわざとらしく存在すれば、本物であるはずがないーー翻って、本物がいたとしても気にしない──そんな豪胆で悪趣味な性癖を持つ金持ち連中ばっかりアングラ的パーティだってことだ。しかも、俺たち自身も〝商品かもしれない〟という触れ込みでその場にいるとなれば?」
バッキーの説明に、サムは、ジモに手引きされて潜入したマドリプールを思い出す。バーでバッキーをウィンター・ソルジャーだと気づいた者達は、彼の伝説的な暗殺者の側面に恐れ慄くというよりも、むしろ見世物的な扱いで彼を扱う素養が強かった。通報するでもなく、ただ、隣と囁き合い、セルフォンでLIVEで録画し、世界に発信することの欲求の方が強い。そしてその後、セルビーとの会合で、ジモは見せつけるように、〝ウィンター・ソルジャー〟であるバッキーを、物のように取引の材料にしてみせた。
つまりはそういう〝価値〟を重要視する場であるのだろう。
ウィンター・ソルジャーに似た人物──実際は本人なのだが──という想定でバッキーがオークションに潜入する状況に合点がいったサムは、思わずバッキーに向き合って、『大丈夫か』と声をかけた。バッキーが呆然として、口をぱかりと開ける。
「おっまえ……俺の心配してる場合じゃないんだぞ……?」
「は?」
心底訳がわからないという風情のサムに対して説明を請け負ったのはシャロンだった。
「今はむしろ、あなたへの興味関心の方がずっとずっと高いのよ、サム。あの感動的なスピーチ!初代スティーブ・ロジャースから正式に盾を受け継いだ、アフリカ系アメリカ人のキャプテン・アメリカ!」
嘲るような物言いのシャロンだが、実際シャロンは差別主義者ではない。彼女はある意味特権階級を持つが故に、サムとは別の意味で差別と誹りを受けた側だ。そのシャロンが言う、感動的なスピーチをし、アフリカ系アメリカ人として星条旗を背負うキャプテン・アメリカを好む嗜好も一部にはあるだろう、と、ようやくサムも自分の置かれた立場を自覚した。
「つまり、マドリプールでど下手くそな演技を披露した俺に、キャップに似た男のフリをしろってこと……だよな?」
自虐するサムに、シャロンは大手を振るった。
「アカデミー賞並みの演技なんて期待してない。だからこそ、今回は、伝手を駆使して趣向を凝らしたパーティも併せて開催するよう、手を回しておいた。可能な限り、正体がバレないギリギリのラインで潜入できるよう手筈は整えてある」
……またおしゃれな遊び人に化けろとかじゃないだろうな」
据わった目のサムの横でバッキーが吹き出す。
「キャップは好物の蛇酒はもう勘弁して欲しいそうだが?」
バッキーからの揶揄いを含んだ言葉をサムが睨みつける。シャロンは満面の笑みで答えるにとどまり、その趣向の説明の明言を敢えて避けた。
そうして届いたのが、ブラックタイ一式に加え、〝仮面〟だった。
「すげぇな、なんだそれ孔雀の羽かよ」
ブラックタイ一式はハイブランドのロゴマークが箔押しされた箱で、バッキーとサム宛にそれぞれ届いた。早々に箱を開けたバッキーが包装紙を取り除けば、羽飾りのついた仮面──マスクが同封されていた。
届いた荷物には封筒が同梱されていて、それは所謂招待状だった。
恐らくシャロンが用意した物だが、正式な招待状ではなく、偽装した物なのだろう。宛名はアンノウンで、内容はパーティへの招致だ。〝潜入〟は荷物を受け取った瞬間に始まっているのだろう。
招待状には、パーティの概要が記載されていて、マスカレェドパーティのような趣向凝らした富裕層向けのパーティである旨が記されている。オークションについてが一切記載されてないことから、それが秘密裏に開催されることが窺える。
……随分と〝趣味のいい〟パーティだ」
招待状の中身を一読し、サムは肩を竦めると、それをそのままバッキーに手渡す。同じ招待状がバッキーの荷物の中にも同梱されているが、バッキーは羽飾りのついたマスクからおおよその予測がついていたようだった。
「なるほど、仮装パーティなら、誰が参加しているかはわからないってことか。これがシャロンが言っていた、〝伝手を駆使した趣向凝らしたパーティ〟、ね」
顔全体を覆うフルフェイスのマスクなどという不粋な物ではない。バッキーは羽飾りについた目元だけを彩るマスクを戯れに目の掲げたままサムを振り仰いだ。
「うっわ……お前なんか映画とかに出てきそうな胡散臭い色男風情だぞ」
「褒め言葉かそれ」
「そう聞こえたなら正しく老化現象だな」
軽口を叩いたまま、サムも自分の荷物の中からマスクを探す。
……なんだこれ」
それは、一瞬タイにも見えるような細長いブラックシルクだった。左右が細く、中央部は幅が広い。光沢あるブラックシルクの上に、黒いレースが施された代物だ。サムはそれを左右の端をそれぞれ手に持って、ようやっとそのブラックシルクの仕様に気づく。
「おいまさか」
嫌な予感ともに左右に端を握りしめる。その手から、バッキーが強引にブラックシルクを抜き取った。さしたる抵抗もなく、細長いブラックシルクはバッキーの手に収まる。バッキーはそのまま、幅広い中央部を天に翳した。
「ふん、なるほど。サム、お前の仮装はそういう嗜好、ってことらしいぞ」
一人納得しているバッキーに苛立ち、サムがバッキーの手元からブラックシルクを奪い返す。天に翳したバッキーの行動と、その形状から、サムにも察しがついている。
「なんで、俺だけこんな」
それは、バッキーの箱に入っていた羽飾りのついたマスクとは全く異なる〝マスク〟だった。
ブラックレースに彩られた細長いブラックシルクは、言うなればただの布である。目隠しに近いーーと言うよりも、目隠しそのものだ。
癪に触りつつも、サムもバッキーがしたのと同様に、ブラックシルクの幅広い部分を天にかざす。すると、表側からはわからないが、裏側──レースのない方から覗き込むと、かすかに向こう側が見える。完全なる暗闇ではなく、潜入に適した仕様にはしてあるようだが、問題はそこではない。バッキーのマスクに比べて、サムの〝マスク〟はセクシャリティに過ぎる、ということだ。そういった性的要素を含んでもいるのだろうが、一番は、サムがこのブラックシルクの目隠しを着けることは、なお一層サムに注目を集めるための変装手段でもあるだろう予測がつくことだ。
『今はむしろ、あなたへの興味関心の方がずっとずっと高いのよ、サム』
シャロンの言葉がサムの脳裏に思い出される。
サムの戦闘スタイルは空だ。ファルコンであった時も、キャプテン・アメリカである今も、凄まじいスピードで空を滑空するサムの視界を守る意味もあって、ゴーグルは欠かせない装備品の一つだ。
アフリカ系アメリカ人の口髭を生やした男が、目元だけを隠した状態でオークション会場に現れたのなら。しかも体格や風貌は、キャプテン・アメリカにそっくり──実際は本人なのだが。シャロンが全てを予測した上で、バッキーとサムの衣装を用意したのなら、彼女の本領を発揮すべき場所はどこになるのだろうか。サムは思わず頭を抱えた。
……シャロンはもう裏社会で生きていく方が性に合ってるんじゃないか……?」
「親子の情を天秤にかけたらそういうわけにもいかないんだろ」
途方に暮れたようなサムの言葉に、バッキーがそっけなく答えた。



パーティ会場前には高級車が入れ替わりに周回し、客が次々に降りて来る。
ドアマンが近づき、ドアを開けると降り立ったのは目立つ羽飾りにブラックタイを着用した青年だ。撫で付けられたヘアスタイルに秀でた額から、目元を覆うマスクで隠れてはいても、美丈夫ぶりが伺える。照明に煌めく薄青の美しい瞳の周りを覆うマスクは、大きな羽飾りが左目にだけ揺れている。細かい意匠が施された黒色のマスクには、瞳の煌めきを落としたように、輝くガラスが縁取られていて、頭の後ろを結ぶ紐はボルドーカラーのベルベットだ。輝き方からして、高価な宝石かもしれない。羽飾りに目を奪われるものの、体格よく、どこか憂えた中に眼光鋭く隙のない様子は彼がただものではないことを裏付けていた。幾人かが、今回のパーティで実しやかに噂されていた来訪者の名を思い浮かべる。
ドアマンを制し、羽飾りのついたマスクの青年が、振り返って車のドアに手を差し出す。差し出した左手は黒い革手袋に覆われていて、右手は手袋を着用していない。噂の人物であるのならば、〝彼〟で間違いないだろう。ならば、その左手を差し出した〝同行者〟は──。
躊躇いがちに差し出された手が、革手袋の左手に乗せられるかと思いきや、それを跳ね除ける。羽飾りの青年はおどけたようにホールドアップして、敬礼するようにそのまま手を胸に添え、一歩下がってみせる。位の高い相手を出迎えるかのように。
クライスラーから、降車するための足先がのぞく。地面についた足先が、ストレートチップで折れて、ブラックのソックスの足首がのぞく。そのまま、車中の人物が降りて来た。
姿を現した瞬間、ドアマンが少し驚いたように顔を引いた。同様に、並列する高級車から降りて来ていた他の来場者達も、目を惹かれるようにそちらに注目する。
ブラックタイを着用した、一人のアフリカ系アメリカ人がその場に降り立った。
髭に覆われた細い顎がセクシーな、体格よく、姿勢もいい青年だった。
何よりも目を惹くのは、その目元。覆われたブラックシルクに総レースが施されたそれは、目隠しそのものであり、マスクとは言い難い。後ろで結ばれた細い紐が、逞しい背に漂っている。目隠しではあるものの、会場に淫靡な彩りを添える、セクシャリティな要素の強い〝マスク〟だ。まるで目隠しをされたような風態に、幾人かが青年を凝視する。
前が見えないのだろう、一歩踏み出したアフリカ系アメリカ人の青年の指先が、誰かを探すように彷徨う。
その指先を、革手袋が掴んだ。同行者である、羽飾りのマスクを着けた青年だ。
羽飾りのマスクの青年は、革手袋の手を引いて、目隠しされた青年の腰に右手を回すと、エスコートをするかのように、会場入口の階段へと誘導する。
まるで映画のワンシーンのようでありながら、淫靡なシチュエーションを見せつけられているかのような光景だった。
目元だけをブラックシルクのタイで覆った──目隠しされた──サムをエスコートするのはバッキーだ。遠くからでも目立つ、片羽の飾りは左側で、バッキーの義手と同じ側。敢えての意匠にシャロンの思惑が込められているし、そのわかりやすい主張からして、ウィンター・ソルジャーを連想させる意図は明らかだ。
少しだけ複雑な顔をしていたサムの表情を、バッキーは思い出す。それよりもなお意図を持ったマスク──目隠しなんぞを指定されたサム自身の方を心配しろと言いたいのだが。
バッキーが階段で手を差し出して、サムを誘導する。
体格のいいブラックタイの男二人が、寄り添って階段を登る姿は大層目を惹くだろう。あからさまな主張や演技が敢えて必要なのは状況からして明白で、注目されることに慣れているバッキーとしては、然して緊張する場面でもない。
はたからならば、仲睦まじげな二人組の成人男性に見えるだろう。しかも体格よく、それほどの差がない。腰に回した腕と、エスコートをする雰囲気から、バッキーがトップで、サムがボトムなのだと印象付けるにも充分だろう。
そういった面でも恐らくは鈍いサムは、バッキーの振る舞いに不満げだろうが、何せ彼は前が見えない想定なのだから仕方ない。せいぜい甘い雰囲気を見せつけてやれば、特殊性癖を好むいけ好かない富裕層も満足するだろう、とはバッキーだけの見解だ。
距離近く、バッキーは笑んだ口元のまま、サムを覗き込むようにエスコートし、サムも身を委ねている──ように見えるだろう。実際のところ、本人たちにだけ聞こえる会話は随分と殺伐としたものだったが。
「足元にご注意を、キャップ」
「うるせぇ」
透かしの入った目隠しを着用したサムは、完全に前が見えないわけではないが、夜間のパーティ会場への移動はサングラスをしているのと同じような視界不良さだ。バッキーの支えと案内がなければ覚束ない足元であるのは自明の理で、とはいえエスコートのていを成している状況を甘んじて受け入れているわけではもちろんない。
「演技下手なキャップにおかれましては、そのまま俺の誘導に従っていただけるとありがたいんだが」
綿密な打ち合わせをしているわけではない。
シャロンから依頼された、シャロン邸からの盗品は、裏社会では名のある人物が所有していて、恐らくはその配下が盗み、雇い主の元に届けられ、出品に至っているだろう、というのがシャロンの見解だ。
その人物はどうやらキャプテン・アメリカに執心していて、今回キャップに似ている──本人が本人に変装しているわけだが──サムが会場に姿を現したのならば、何某かの接触を測って来るだろう、との推測だ。
加えて人身売買の噂もある人物でもあったので、ウィンター・ソルジャーに似た──これもまた本人が本人に変装した──バッキーにも興味を抱くだろうという。
その裏社会に精通した人物は会場に併設されたホテルに部屋をとっていて、オークションに出品する品物は直前まで自らの部屋に置いてあるだろう、というのがシャロンの調べだ。
つまりはその件の人物の興味を惹き、部屋に招待される必要がある。目下一番の重要事項はサムの演技力と相成るわけだが。

バッキーとサムは会場のホールが見渡せる上階へとそのまま登った。見下ろせば、豪奢なシャンデリアの灯りの下、談笑する人々が行き交う。その全員がマスクを着用している。元より内部情報が漏れるようなパーティであれば、オークションなど成り立たない。マスクは今回限りの趣向であろうが、いつも行われているアンダーグラウンド的パーティに、少しのスパイスを足したのならば、参加者たちはより大胆に、また饒舌になるのだろう。いつも以上に口を滑らせる顧客は多いから、情報収集にはもってこいだとシャロンが言っていた。
……あそこにいるの、先月Webニュースで話題になってた慈善活動家の〇〇じゃないか?孤児院に多額の寄付したっていう……
バッキーが会場で談笑する一人を顎で促せば、サムは別の方面に向けて顎を癪った。
……おいおい、あれ、環境保全活動で有名な〇〇上院議員だろ。生態系保護で国連に招ばれてなかったか?」
マスクをしているとはいえ、サムの目隠しのマスクのように、マスカレェドパーティのマスクではなく、モノクルに少しの飾りが着いただけのものを着用する者や、逆に目元を隠すマスクではなく、口元だけを隠す者も中にはいる。
バッキーとサムが見つけた陽の光の元では明るい慈善事業に精を出す件の人物たちは、流石に正体が分からないような厳重なマスクを着用していたが、バッキーとサムからすれば正体を見破るのは容易かった。
同行者も多様で、男性と女性の組み合わせもあれば、勿論同性同士もいて、中には左右に見目麗しげな若い男女を引き連れた高齢の男もいた。
表向き富裕層のパーティにかこつけた慈善事業に因る寄付金集めのパーティと謳ってはいるが、サムとバッキーは暗黙で開かれる裏オークションの件を知っている。つまり、参加者は皆それを理解した上でここにいるのだ。
クリーンなだけの金で賄える世界の弱部を守る範囲は狭すぎる。サムは頭では理解しつつも、その一部を賄う場がこういった社交にあるとすれば、彼らの思惑はどこにあるのか、いまだに判断がつかない。
フラッグ・スマッシャーズを、テロリストと呼べない理由と原因、世界の縮図がここにある気さえする。
きっとこの会場裏では、今日も残飯を漁る孤児がいて、それに施しを与えるのが彼らであり、これが世界の循環なのだろう。
「サム」
答えのない思考に陥りそうになった途端、バッキーが周囲に聞こえない声でサムに耳打ちをしてくる。
「お出ましだぞ」
バッキーがサムの腰に回した腕に力を込めた。バッキーの視線の先にいる一人の男に、サムも目を向ける。
ブラックシルクのタイで覆われた視界不良の中、複数人と談笑しながらも、チラチラとこちらを伺う男と視線が絡まる気がした。
バッキーは給仕を呼び止めると、トレイに乗せられていたシャンパンを受け取り、一つを自分に、もう一つをサムに渡す。
「さて、〝キャップ〟。心の準備はいいか?」
……さっさと品物奪って脱出するぞ」
「完全にヴィランの台詞だな。いい心意気だ」
〝ショウ・マスト・ゴー・オン〟などと嘯くバッキーに、見えていないと頭では理解しつつも、マスクの下でサムはそのニヤケ顔を睨んだ。

複数人と談笑していた男が、愛想良く取り巻きに別れを告げ、こちらに向かって歩いて来る。
バッキーとサムは気づかない振りをして、わざと視線を逸らした風態で向き合う。演技だ。
そもそもサムは〝見えていない〟はずなので。視線が合わなくて当然という風に。
「噂の二人で間違いないかな?元暗殺者で現議員候補と、空飛ぶ盾持つヒーロー?」
男はスタンダードなマスクを着用していた。飾り気のない黒いマスク。
シャロンが手を回したというように、マスカレェドパーティ仕様になったことが通達されたのは直前なのだろう。招待客の中には急誂えの者もいるかもしれない。
それほどに、質素で簡素な誂えのマスクだった。どの道男は会場内で正体を隠す必要もないほどに面が割れていて、マスクを着けていても着けていなくても、あまり関係がないのかもしれない。盗品を堂々とオークションに出品できるだけの権力と伝手のある男だ。
シャロンからの情報によれば、男はアベンジャーズや、〝空飛ぶキャプテン・アメリカ〟に執心しているらしい。それは、コレクション的な意味合いなのか、熱烈なファン心理なのか。どちらにせよ、目的に近いのはサムの方で、ウィンター・ソルジャーとキャプテン・アメリカに似た風態の二人に向かって、男が近づいて来るのは想定の範囲内だった。
そして、ここから男の興味を惹き、サムが男の部屋に招待されるまでを想定した潜入だ。
大層気の進まない任務を請け負った二人は、そんな風情をおくびにも出さず、男に向き合った。
「さぁ。どうだろうな」
答えたのはバッキーだ。男への返答だ。
そうしてバッキーは、手に持っていたシャンパンを煽る。
マスク越しに眼光鋭く男を睨みつけて見せれば、男は不敵に笑った。
男はチラリとサムの腰に回された、バッキーの義手に視線を注ぐ。革手袋越しの手。実際義手を隠した装いではあるけれど、バッキーを〝ウィンター・ソルジャーによく似た男〟と認識しているのだとしたら、大層手の込んだ衣装に男は感嘆しただろう。装衣が細かい、と。
バッキーは近くを通り過ぎた給仕に空になったグラスを預けた。
「私の自己紹介がまだだったかな」
男がバッキーとサムに一歩近づくと、バッキーはシャンデリアにマスクの飾りガラスを煌めかせて、口元だけで笑った。
「あんたのことは知ってる。キャップのファンだって?」
そう嘯いて、バッキーはサムを引き寄せた。顔を近づけて、わざとらしく耳打ちして見せる。
「ファンが目の前にいるぞ、キャップ」
そうしてようやっと、サムが視線を彷徨わせながら、男の方を向く。
実際透かしの入ったマスクから男の表情は窺えていたけれど、サムは少しだけ男を探すように顔を左右に振ってから、男の顔に向かって視線を合わせる振りをして見せる。
フォーマルを着慣れた人間だった。
それに、先程まで談笑していた相手達との会話を切り上げてこちらに向かってやってくる堂々とした雰囲気を見るにつけ、地位も高いのだろう。会場内で優劣をつけるのならば、上流階級者である。
男からの興味深げな視線を感じて、いささか尻の座りが悪くなったサムは、早々に仕事を片付けようと、男から視線を逸らして見せてから、ぱかり、と口を開けた。そのままはくはくと口を動かして見せる。
バッキーが片眉を一瞬だけ上げた。サムの振る舞いに虚を突かれたように。
すぐに理解したバッキーが、サムのグラスに添えられたチェリーを指で摘んで見せる。
「うちのキャップはおねだりも上手で」
サムは喋れないことに徹するつもりのようだった。会話をすればボロが出る可能性がある自覚が充分にあるサムの苦肉の策だ。話さなければ、特段演技をする必要がない。
その作戦にバッキーは心の中でだけ笑った。
──その方が相手の興味を惹いてしまうだろうに。ことごとくこいつは潜入に向いていない。
バッキーは、よりセクシャリティに見えるよう、ぷちゅ、と水音を立てて、サムの厚い唇に、チェリーを押し付ける。
心の中で大きなため息をついたサムが、わずか口を開いた。そのままチェリーを口内に押し込まれる。最初から種を取り除かれたチェリーは、シャンパンの泡を吸っていて、咀嚼したサムの口内を刺激してから喉に落ちる。ふやけたそれは、美味なるものではない。けれど、男がバッキーとサムの一連の行動を凝視していることには気づいていた。ウィンター・ソルジャーらしき人物とキャプテン・アメリカらしき人物とのやり取りはどう映るだろうか。
同じく給仕からシャンパンを受け取った男は、それを携えたまま、先ずはバッキーに握手を求めてきた。バッキーはそれを表面上は快く受け入れる。そして、男がサムに向き合った。
「私が見た中で最高に美しいマスクだ。キャップ、とお呼びしても?」
わざとらしく男が窺いを立てて来る。
ウィンター・ソルジャーとキャプテン・アメリカに似た男、という噂はシャロンによって流されているのだろうし、マスクをしていたとて、その噂通りの風態の二人がいたのならば、自ずと答えは出る。サムはイエスと答えざるを得ない。ノー、と答えたとて、男の中で、サムは既に〝キャプテン・アメリカに似た売りに出されるかもしれない男〟の扱いなのだ。
男の様子から、アベンジャーズに興味があるのであれば、バッキーにも食指が動くかと思っていたが、やはり男の目的はサムのみのようだった。
役目は終了とばかりに、バッキーが一歩下がって見せる。
仲睦まじげに見えたウィンター・ソルジャーとキャプテン・アメリカの距離に対し、まるでウィンター・ソルジャーがその立場を譲るかのような振る舞いを敢えて見せつける。
男はバッキーの行動に片頬で笑い、サムに握手を求めてくる。見えていないとわかっていながら。
バッキーが、男が手を差し出している旨をサムに伝えようとする前に、サムが腕を伸ばした。男の差し出した手を探してサムの手が逡巡する。透かしの入ったサムの視界から、男の手は見えているのだが、見えない振りをして。
彷徨うサムの手を、男自らが捉えにいこうと腕を動かす気配を感じたサムの指先が、少しだけ男の手に触れた。目的のものを見つけたサムの手が、意味ありげに動く。
最初は人差し指で、男の指先を捉えた。順に、指の節をなぞって、手のひらをくすぐるようにしてから、凹凸に嵌め込むように、差し出された手をがっしりと握手する。
男の肩が跳ねた。獣が毛を逆立てるような仕草だった。
バッキーは舌打ちしたい気分だった。
演技でないのならとてつもなくタチが悪い。
サムは、『はじめまして、ミスター』、と唇と吐息だけで象った。
見えない、話せない振りをしたまま。
それでいながら、マスクの深い窪みから連想される大きな瞳と、聞こえていない吐息が甘く、囁かれた挨拶が耳をくすぐるかのような熱を持っているかのような振る舞いで。
──本当に。ことごとく潜入に向いていない。向いていないからこそ、色事的な潜入において、自分が素で振る舞ったら、周りにどう映るかなんて、ちっとも考えちゃあいないんだろう、こいつは。
バッキーは砕けるかと思うほど、無意識に奥歯を噛んだ。笑んだままの唇が歪むのを堪えて。
案の定男は魅了されたようで、しきりとサムを部屋に誘う言葉をかける。
サムが不意にバッキーの方を向く。その行動は、バッキーに対して、男の部屋を訪う許可を得ているかのようだった。
サムが男の部屋を訪うことを拒否する権利など、当然バッキーにはない。だからこそそれは演技である。バッキーとサムは、〝ウィンター・ソルジャーとキャプテン・アメリカに似た、距離の近い、恐らくは深い関係にある者同士〟という設定で潜入を果たしたのだった。
だからサムは、敢えてバッキーを探し、男の部屋を訪うことに躊躇いを見せる演技をしているのだろう。
設定としては、人身売買の商品という触れ込みでシャロンが噂を流しているのだから、バッキーとサムに拒否権はない。
バッキーは少しだけ逡巡する振りをして、敢えて大きくため息をついてみせた。
手放し難い宝物を手放さざるを得ないように見えたろうか。
そうしてバッキーが、憂いを含んだ仕草で床に視線を落とすと、サムのストレートチップが見えた。顔を上げる。目隠しをされたサムが眼前に近づいていた。
サムの指が、バッキーの頬をついた。そのままなにかを探すように、指先が彷徨うと同時、サムの顔が近づいてくる。
「サ、」
思わず名を呼んでしまう直前、サムの唇が、バッキーの唇の端を捉えた。
──探していたのは俺の唇だったか。
ぼんやりと考えが至る。唇へのキスを避けたサムの行動は意図的にだろうけれど、これは逆に男の嫉妬心を見事に煽っただろう。
サムは尚も繰り返し、唇を探す振りをして、バッキーにキスに雨を降らせる。
未だ目の開かない雛鳥が、親鳥の口から餌を受け取るように。その施しを受けなければ死んでしまうかのような必死さで。いっそいとけないほどの仕草をするのは、中年期に差し掛かった体格の良い目隠しをされた男だ。
その合間に、サムがバッキーの耳元で囁いた。
「901号室」
男の部屋番号だろう。
サムは熱烈な別れの挨拶をしたくせに、あっさりと離れた。
振り返った先の男は、つい先程までバッキーを殺すかのような眼差しで見つめていたが、サムが振り返った途端破顔し、その腕をとった。そうして二人はバッキーの前から去った。
妙なところで大胆なサムの行動に、半ば呆然としたままのバッキーは、その後ろ姿を見送るしかない。
サムが一瞬振り向き、そのまま二人はエレベータに乗り込む。マスクで目元が隠されているからこそ、サムの表情はわからない。
入口で身体検査を受けているために、イヤホン無線機などはつけられなかった。
バッキーはサムが耳打ちした部屋番号を脳内で反芻する。恐らくはそこに、シャロンの盗品が収められているのだろう。オークションが始まる前に、それが部屋にあることを確認した上で、持ち出さねばならない。
そもそも騒ぎを起こすこと自体も好ましくはないのだ。
アンダーグラウンド的なパーティに、バーンズ議員候補とキャプテン・アメリカが忍び込み、本来であれば所在不明になっていたコレクション──絵画のひとつを盗み出そうとしているなど、騒ぎになってメディアに嗅ぎつけられたなら、格好の餌となる。
頃合いを見計らって、タイミングよくバッキーも部屋に乗り込むのが最善だが、セキュリティの強固な上階──しかも、上客でもあるらしいあの男の部屋に行くまでに、騒ぎを起こさずに辿り着くのは骨が折れる。
恐らくは世界指折りクラスで潜入暗躍を得意とするバッキーは、スティーブが聞いたら眉を顰めるであろう悪態を吐いて、エレベータとは逆の方向へ踵を返した。



サムは男に連れられて室内へと案内される。
ここに辿り着くまでに、何人かの人相の悪いセキュリティガードがそれぞれの入口を守っていた。サムが案内された階は、男の関係者のみがいるようで、部屋数も少ない。その一番奥の最上級の部屋に案内される。
シャロンから、ターゲット──シャロン邸からコレクションを盗み出した黒幕の眼前の男──の正体は聞き及んでいる。
メキシコの麻薬カルテルのうちのひとつに所属している上層部の人間であること。恐らくは顔出しをし、表側の取引等を担当している男だろう、と。
アベンジャーズ──キャプテン・アメリカに執心しているなどというのも、詐称か皮肉か、そういった嗜好も公にし、それこそ上流階級者や政治関係者とのコネクションもある男だ。
男はサムと同年、もしくは少し年上で、大層目立つ美丈夫でもあった。貫禄もあり、表面上はやり手の経営者か何某かの重役ともいえるような清潔感もある。
つまりは麻薬カルテルの上層部の人間とは思えないほどクリーンに見える、ということだ。
だからこそ、こうして顔出しをし、数々の有名人が参加するパーティに堂々と出席しているのだろう。
部屋に着くなり、サムは早々にマスクを取ろうとするも、男がそれを留めた。
「おっと、それはまだ外さないで。その姿のあなたをもう少し見ていたい」
その言葉に、サムが内心どう答えるべきか迷っていると、男は早々に自分だけマスクを外し、素顔で笑った。
「本当は喋れるんでしょう、キャップ。少しは会話を楽しみたいけどいかがかな?」
男の促しに、サムはマスクを外そうとしていた手を下ろし、素直に答えた。
……主人の許可がないと喋ってはいけないかと」
「〝主人〟っていうのはさっきのウィンター・ソルジャーに似たハンサムな彼のこと?それとも私?」
……今は貴方、ですかね」
サムは演技が下手だという自覚がある。適当な返答に、男はいたく嬉しそうに笑った。満足いく答えだったらしい。
サムは男の部屋を見渡してみる。シャロンのコレクションはどこに隠されているのだろうか。
男の部屋は無防備にも、セキュリティガードがいなかった。好機である。
「俺が貴方にとってのコレクションになるのなら、貴方のコレクションがどういったものか俺が尋ねても問題ないですよね?」
駆け引きする必要もないと判断したサムは、ストレートに尋ねる。
男は目隠しされたままのサムの手を取り、ソファに促して座らせ、ワインクーラーに冷やされていたワインを取りに行き、グラスを二つ携えて戻ってくる。
サムは気配を追って順次顔をそちらに向けた。
透かしから見える男の行動を見るにつけ、攻撃性は見当たらず、逆に忠実な男の印象を受けた。
「キャップ、貴方ほど価値あるものは他にないよ。それこそ比べものにならないくらい。まぁ敢えて言うなら、私の所蔵するコレクションは天使の絵画かな」
間違いない。所在不明になっていて、その実シャロンが所蔵していたらしい、有名画家の天使シリーズのうちのひとつだろう。それがシャロン邸から盗まれたものだ。
実際その絵画は世界に公にされていない作品のひとつでもあるらしく、だからこそサムは頭を抱えてインターポールに連絡を、とシャロンに注進したのだ。
サムの質問に、男が無意識に視線を動かす。オークションに出品する盗品が収めてあるのだろう、部屋の隅にそれが向く。大型クローゼット。
恐らくはその内部に、金庫でも備え付けられているのだろう。
男の視線の先、当たりをつけたサムは、こういった金庫破りが得意そうな男の顔を思い浮かべた。
特に作戦など立てていないバッキーとサムは、流れに身を任せるがまま、こうしてサムが男の部屋に招待されたなら、タイミングを見計らってバッキーが侵入してくる手筈までは一応作戦として打ち合わせてはいた。
待つのがそれほど得意な方ではないサムは、早々に男を気絶させ、目的のものを探しにかかろうとソファから腰を上げる。すると、にわかに部屋の外が騒がしくなった。
「なんだ?」
男もそれに気づき、ドアに目をやる。慌しいノックの音と共に、ドアの向こうから男の部下の声がする。
「何事だ!」
男が苛立たしげにドアに近づき、部下に相対すれば、慌てた様子で部下たちが口々に報告をする。
「オークションの品々が盗まれていたと複数人の客たちが騒いでいます!」
「ボスのコレクションは無事ですか!?」
漏れ聞こえてきた会話に、思わずサムはクローゼットを振り返ってしまう。男が慌てて室内に戻り、部下たちもそれに続く。
予測した通り、大型のクローゼットを男が開けば、そこには金庫が備え付けられていた。
「くそ……っ!」
どうやら絵画は盗まれた後らしい。少し距離を置いて、気づかれないよう覗き込んだサムからも、金庫が破られていることを確認した。
「そう時間は経っていないはずだ!どうせマドリプールのごろつき連中か、パワーブローカーの指示だろう。動員して追え!」
確かにマドリプールのシャロン邸からコレクションが盗まれているのであれば、パワーブローカーが絡んでいてもおかしくはないだろう。
突然のパワーブローカーの名が出たことに、わずかな違和感を感じたものの、サムは部屋を慌ただしく出ていく部下たちの勢いに押されるがまま、ソファに戻される。
男はサムの正面にどかりと座り込んで、苛立たしげに舌打ちをした。舌打ちしたいのはサムの方だった。
──つまりこれは、バッキーと俺は囮にされたってことか。
シャロンが用意した舞台で、バッキーとサムが男の興味を惹いている間に、シャロンの部下が男の室内に忍び込んでコレクションを取り返す──そんな筋書きだったのだろう。
サムは今更に気づいたシャロンの作戦に呆れ、大きくため息をついた。そのまま頭の後ろに手をやり、ブラックシルクのタイの結び目を解く。
「これ以上の茶番に付き合う義理はないな」
ひとりごちて、サムはソファから立ち上がると、ブラックシルクのタイを外して、改めて男を見下ろした。
もう、〝キャプテン・アメリカに似た、売られる男〟を演じる必要もない。
男と目が合う。男は先ほどまで項垂れていた様子だったのに、今は目と口を大きく開いたままだ。
……キャップ……?」
サムは苦笑した。男は確かにサムのファンなのだろう、マスクを外した素顔を見て、すぐに本物だと気づいたようだった。
「はは、素顔の俺もまぁまぁ有名になったってことか?」
「、っ、キャップ?ほ、本物のキャップ……サム・ウィルソンか……!?」
「隠す必要も無くなったからな。おい動くなよ、今、警察を呼ぶからな」
ソファから立ち上がった男が、勢い込んでサムに近づく。警戒したサムは、足を引いて男と距離を取った。
「構わない、そうじゃない、絵画なんてどうでもいい!」
「は?」
予想外の言葉に、一瞬サムの警戒が緩んだ。男はその隙に、距離を縮めて、突然サムを抱きしめてきた。
「おい!」
「キャップ、いや、ファルコン、いや、キャップ!サム・ウィルソン!!」
なんだこいついきなりどれだよ全部俺だけどなんだこいつ、と混乱するサムを置き去りに、男は尚も情熱的にサムを抱きしめてくる。
「あぁ、天使の絵画なんてあなたの比にならない!あぁ、なんて触り心地のいい体……!!」
「ぎゃあ!どこ触って……いや、お前まさかだけどただのストーカーかよ!?」
「そんな低俗なものじゃない!もっと高尚な想いだ!私は!ただの!あなたの!熱烈なファンだ!」
「いや、どこが高尚!?触り方が犯罪だっつーの!」
存外力の強い男の拘束からサムが逃れようと暴れた途端、バランスを崩して男とサムはその場に倒れ込んだ。
「っ、!」
受け身を取ったサムの胸元に男の顔が埋まる。
「あぁ、キャップ……!ここは天国か……!」
男の感極まった声──サムは怖気と共に男を殴り飛ばそうと拳を握りしめた。
瞬間──。
氷のような声が、二人の頭上から降ってきた。
「──ならすぐに貴様を天に送ってやろう」
バッキーだった。というよりも、もう、ウィンター・ソルジャーそのものだった。
感情のこもらない声と、マスクを外したバッキーの据わった眼差しに、サムは遠い記憶の彼方にある、ハンドルをもぎ取られた初邂逅を思い出した。いや、それどころではなかった。
バッキーは銃を構えていて、すでに引き金に指がかかっている。
「待て!待て!殺すなよ!?だめだぞ!?今この騒ぎで確実に警察がこっちに向かってきてるからな!?バーンズ議員候補がこんなとこにいることバレたらどうするんだ!?」
「サム──お前こいつの味方するのか」
「おま、どういう解釈してんの!?」
「あぁ……キャップ……いい匂いがする……
「どけサムこいつ今すぐ殺そう殺す」
「お前らちょっと黙れ!」



パトライトが夜空に映えている。
違法な裏オークションが開催されている情報はどこからか警察に通報されていて、会場外には多くの警察官と逮捕されたパーティ参加者で溢れかえっていた。
男を殺そうとするバッキーとそれを止めようとするサムとが攻防している間に、男と部下たちは早々に撤退していた。
とんだ茶番劇を演じただけの形となったバッキーとサムは、警察に見つからないよう、会場から少し離れた場所に腰を下ろし、互いに項垂れていた。
最も、バッキーは未だ憤慨したままで、サムがその腕を掴んでいなければ、すぐにでも男と部下たちを追って殺しに行くであろうことが予測できるほどの状態だった。
……バック、そこまで怒るようなことじゃないだろ」
……お前、それ本気で言ってるのか」
少しだけ眉の谷を浅くした表情で、バッキーはサムに向き直る。
自覚がないにも程がある。バッキーはため息をつくしかない。サムの言葉に、怒りよりも呆れが先立つ。
「あの男の俺に対するあれこれは、過剰なファン心理だったってことだろ」
「〝過激なファン心理〟、だと?ホアキンはそんなことないだろ。そもそもあれはファン心理じゃなくてただの下心だ」
切って捨てる物言いのバッキーの正論に、サムも反論の言葉を持たない。
「いや、それ言ったら、俺がお前にしたあれだってセクシャル・ハラスメントだよな。悪い」
「あれってどれだ」
サムの謝罪にバッキーがようやっと振り返った。サムはバッキーの腕を掴んだままのことを忘れているのか、バッキーは掴まれた腕に少しだけ視線を落としたけれど、なにも言わず、サムに答えを促した。
「あー、あのほら、パーティ会場で披露した、唇の端への〝あれ〟。幾ら演技とはいえもうしないから、」
「あれはいい」
……よくねーだろ」
……嫌じゃなかったからセクシャル・ハラスメントじゃない」
……嫌じゃないって、」
バッキーとサムが見つめ合う。互いの真意が掴めそうで、掴めないままだ。
嫌悪感のないキスと、他者がその体に触れることへの怒り──その、心裡が覗けるかと、互いが知らぬ間にその目を覗き込んで──。
「ねぇちょっと。いい雰囲気のとこ悪いんだけど今話しかけていいかしら?」
バッキーとサムが、かけられた声に驚いて勢いよく離れた。声の主を振り仰いで、二人が同時に立ち上がる。
「「シャロン!」」
「おかげでコレクションが手元に戻ったわ。囮になってくれてありがとう」
シャロンの言葉に、バッキーとサムは一気に脱力し、再度その場に座り込んだ。やはりこの潜入は、すべてシャロンの手の内だったというわけである。
「手の込んだことしやがって……
「俺なんか目隠しマスクだぞ?どんな趣味嗜好なんだよ……
「すごくすごく似合ってた。サム、あなたああいうの、需要あるわよ」
サムが苦虫を噛んだ顔でシャロンを睨みつけるも、シャロンはどこ吹く風だ。
「おい、シャロン、絵画に関してなんだが、パワーブローカーも絡んでるみたいだぞ」
「えぇ、そうね、知ってる」
数多くのパトライトが翻り、逆光となったシャロンの表情は見えないままだ。
バッキーとサムは、マドリプールの主までもが絡んでいるらしい今回の事態に対し、自分たちが都合よく使われたことに今更ながらに気づき、疲れたように大きくため息をついた。
シャロンに指摘されるまで、サムはバッキーの腕を掴んだまま──。
いつの間にか、夜は明けていた。