アユム
2025-07-27 02:10:08
3980文字
Public khmdワンドロワンライ
 

生の在処

こは斑ワンドロワンライ【幽霊】「もし俺とこはくさん、先に死ぬならどっちだろうなあ?」甘いのとほの暗いのと甘いのと

【生の在処】


「もし俺とこはくさん、先に死ぬならどっちだろうなあ?」
降って湧いたその問に、こはくは訝しげに眉を寄せた。
 
 今日は二人揃ってのオフだ。こそぞとばかりにマンションでのデートを提案したのは、以外にも斑の方だった。
 
「なんや藪から棒に」
リビングの革張りの二人がけのソファ。その左側に座ったこはくが、読んでいた雑誌から顔を上げて聞き返す。
「昨日の本読みでそんなセリフがあったからついなあ! うーん、まあ、もしもの話として鉄板じゃないかあ?」
 キッチンでグラスにミネラルウォーターを注いだ斑は、リビングに入るとこはくの右隣に豪快に座った。どしんとソファが揺らぎ、広げた足の膝と膝がぶつかる距離。
「そんな物騒な話題を鉄板にしてたまるかい」
「んん? こはくさんはとびきり物騒な男の子なのになあ☆」
 そしてため息の後にふんと鼻を鳴らしたこはく。斑の話題には乗り気ではないのがあまりにわかりやすい。そう、手に取るようにわかりすぎて、斑はくすりと笑いを漏らした。そんな少年性も愛らしい。
 そのことに気づいているだろうそこはくは、とうとう視線を雑誌に戻してしまった。記事を読むでもなく、半分は斑の声の続きを待っているのが本当のところではあるのだが。こはくは随分と斑に甘える癖がついたものだ。
 はぁ、ともう一度こはくのため息が立ち昇る。ふふ、と斑の笑い声。サーキュレータの稼働音。
 
「ほんならあえて乗るけどな」
紙面を見ていた紫眼は、
「ん?」
隣の緑眼を射って告げる。
「寂しがり屋の斑はんを置いて死ねるわけあらへんわ」
それはそれは、優しい笑顔で。
 しかしその好意からくるものを、簡単に甘受することができないのが、この男が三毛縞斑たるゆえんでもある。
「誰が寂しがり屋さんだって? それは君の方じゃないのかあ?」
案の定、続いて飛び出した言葉はそれである。
「ああ? なんやて? ちゃうわ阿呆が!」
 こはくの慈愛に満ちた笑顔は早々に崩れさり、きっと強く眉を寄せてギラギラと火のついた紫眼が斑を捕まえる。
「現にわしが夜中にベッド抜け出すときに不安そうな顔するやろがい! バレてへんと思ってるんか!? あ? たかがトイレやトイレ! はぁ、赤ちゃんもびっくりな寂しがり屋はんやねぇ……
まくし立てるこはくはこうして斑の喧嘩を買った。間髪入れずに斑を突く言葉の数々。もっとも、斑も身に覚えのありすぎることだから耳が痛い。それなら。
「君だって十分寂しがり屋さんの怖がり屋さんだぞお? 朝起きて一番にベッドの隣とシーツの温度を確認するだろう! うんうん! ママがいないと寂しいんだよなあ!」
反撃に出た。それでこその関係性ではあるのだが。
「それはぬしはんが勝手に消えた過去が何度もあるからじゃろが! ボケナス!」
「はっはっは!」
「初めてした日の朝! ブラジル行きの搭乗口で腕引っ掴んだの! 流石に最悪すぎるやろが……
「いやあ失敬失敬! でもまあ、俺が先に死んだとしたら幽霊になってもっと君を怖がらせられるなあ!? あっはっは! どんな悲鳴を上げるのか楽しみだなあ!? ある意味これだけでも死ぬ価値はあるかもしれない☆」
「ほんっまにタチが悪いで、 相変わらず……
 大きく胸を逸らして笑う斑の隣。呆れたこはくの声が、ほんの少しだけ途切れた時間。言いすぎたかなあと考えられるだけ成長した斑が、気まずそうに姿勢を正す。
話題も尽きてテレビでも点けようかとテーブルのリモコンにしなやかで筋肉質なその手を伸ばしたた――その時だった。
「わしは……な、」
こはくの小さく頼りない声が、斑の肩から聞こえる。ずしりとした頭の重み。こはくが斑の肩に頭を預けて、甘えるようにすりついた。それはまるで子供がするような、そんな、甘やかなのに切ないなにか。
「死後の世界なんっちもんは無でしかないと思っとったんよ」
 声が続く。このまま身動きを取らずにこはくを受け入れたいと、ふと。自然に湧いた感情に少しだけ戸惑いながら、斑の左手をこはくの右膝に重ねた。こはくの瞼がぴくりと動く。
「なんもない真っ暗闇。その変わり、痛みも苦しみもない。退屈もしない。完全に無……っち、そういうもんやないかと思っとったけど、それでもわしが落ちるのは地獄やっち……矛盾しとるけどな。天国なんぞ行ける人間やない」
路地裏で出逢った頃に聞いていたような、冷めて、後ろ向きで、暗がりを見ているような声に、斑の胸がきつく締めつけられる。こんな話をするために選んだ話題ではなかったはずだ。
「それは俺もだ。消滅か釜茹で、針千本に……なあ」
結局返せる言葉はこれしかなかった。ふと蘇る、嫌な汗をかいた背中の冷たさ。再び味わうことがあるとはなんとも居心地が悪い。
 この話題を切り上げよう、この日のために隠れて買ったジェラートで話を変えて機嫌を取ろうそうしよう! そう、思考の舵を切ったところだった。
「けどな」
 はっきりした声が。まっすぐなこはくの声が。最近少し低くなって、出逢った日から重ねた歳月を知らせてくれるその優しい声が。
「斑はんとなら、どっちが先に死んだとしてもや。毎日幽霊が遊びにきてドタバタ喧しく楽しそうやなっち思う。きっと無になんかわならんのやろね、わしら」
 少し薄い形のいい唇から素直な言葉が形作られ、だんだんと力強さを帯び、そしてたまならいと笑い……
 声が、こはくのその存在が、ふわりと斑を包んだ。居心地の悪かった冷たいソファの上で、桜が綻んだ気がした。
「遺されたものが死者を忘れない限り、死者は本当の意味では死んでいないなんて言い方もするしなあ」
続く斑の素直な声。
……君のことは、忘れないでいようと思っている」
 断言する勇気が、ほんの少しの勇気が出なかったことも、きっと伝わってしまうその距離。斑は次の言葉を探し、やはり押し黙る。
「わしは斑はんのこと忘れへんよ」
 その瞬間の不安を埋めるように放たれるこはくの芯のある声が、ふわりとあたたかい風を吹かせて斑を包み込んだまま。
「死んでもきっと大切なお人やっち覚えとる。せやから、わしも斑はんも無にはならん。地獄からでも這って逢いに行くわ。斑はんのこと大好きな幽霊になって毎日顔出したるから。そうしたら、……なんや、これ天国みたいなもんか?」
言い切ってから頬を緩ませて笑うこはくが上目遣いに斑を見た。
 ――愛おしい。
 この胸に込み上げる気持ちが同じならいいのにと、斑は目を細める。始まりは無意味な雑談で、まさか鼻の奥がきゅっと痛んむなんて思いもしなかった。
……こんな風に」
斑の声。
「ん?」
こはくの声。
「こんな風に……死を、語れるようになったんだよなあ……と、思ってなあ……
 これはきっと溢れ出した斑の生そのもので、
……それもそうやね。わしらは死の近くにいすぎた。せやから死があっけないとか無だとか、地獄やっち思っとったけど……
これもこはくのそれなのだろう。
 肩に預けられたこはくの頭に、ぐり、と頭を預け返す。なぜだか今はそうしたかった。なにも言わずにこはくは斑を受け入れる。少しだけ汗ばんだ髪と髪が擦れて、同じシャンプーの香りが立ちこめた。
……世界っちのは……広いだけやなくて、だんだん変わってくもんなんやなぁ……
 こはくの声に大きな光と喜びが満ちて、斑も大きく息を吸った。あの頃は深呼吸をしてもほんの少しも酸素もあたたかさも幸せも楽しさも、なにも入ってこなかったというのに。
「そうかもしれないなあ……
胸の中があたたかく膨らんで、斑は目を細める。
「こはくさんと出逢って、から……
 思い出される真っ暗闇。表通りから漏れる僅かな明かりを頼りに、ドブ臭い水溜まりを避けて歩いたあの路地裏。
「ああ……わしも、斑はんと出逢ったからやで」
それが今では、こんなにも大切で尊い光に満ちている。
「Double Faceでのかけがえのない毎日があったから、死に近かったわしらが〝いつかの日〟やら〝もしもの話〟ができんねん」
そうきっぱりと力強く言い切るこはくを前に紡いだ言葉は、
「やっぱりこはくさんには死なないでほしい。一生死なないでくれ」
子供みたいな我儘も愛もまぜこぜになったものになってしまった。あまりにも情けなくて、それでもなによりも強い願い。
「その言葉そっくりそのままそっちに返すで、斑はん。一生、死なんでや?」
そうして返るこはくの笑顔。
今この瞬間を、大切に、大切に、なくしたくないと願う笑顔。
 そっと近づいて唇が重なって、そのぬくもりに生を感じてたまらない。あたたかい。生きている。今、ここに、ふたり。
「死んでほしくないよなあ? 幽霊とはキスもできないから我慢できないだろう? お猿さんだもんなあ」
唇の狭間で茶化す斑の上唇を舐め上げて、
「今のうちに、たぁくさん。しとこか? 一生しとこ」
吐息を混ぜたとびきりの声で囁くこはく。
「んん? なあんだ! こはくさんはキスだけで満足なのかあ!」
「あほ! この流れでするわけないやろ。ほら、こっち。おいで」

 隣で腕を広げたこはくの胸に飛び込んで、それから今度はこはくを胸に抱き込んで、どちらからともなく舌を絡めればTシャツの中をまさぐる手が止まらなくなる。

 鼓動。
 体温。
 汗。
 吐息。

 ――ああ、なにもかもが生きている。あの日、死んだようにして生きていた路地裏の子供たちは、確かに、今、ここで。愛に溢れて生きている。

fin.

こは斑ワンドロワンライ
【幽霊】
60min+20min

こは斑ワンドロワンライ
第100回
おめでとうございます!