予想外に手強い侵入者を我らが大佬龍捲風が撃退した後、オレたちは二手にわかれ、半分は信一さんとヤクの販売所の状況確認に。もう半分、ようはオレたちは理髪店の片付けに勤しんでいた。
大佬は三姑の仕上げをしている。
「久しぶりに見たわ、ボスのあのパンチ」
「すげえよなぁ。あれ多分氣功とかそういうやつだよな?」
「一回ふっ飛ばされてみてぇかも」
「わかるわー」
「ほら、朝になるまで続ける気かい?口じゃなくて手を動かしな。手を」
夢中になっていたら、いつの間にかもう全て終わらせて、帰ろうとする三姑がオレたちのそばに立っていた。
「ちゃんとやりますって!!もう遅いから気をつけて帰ってくださいよ」
「そっちこそ、寝ぼけて必要なもの捨てたりするんじゃないよ」
途中まったくの別件でオレ以外のやつはそっちに行ってしまい。結局残りは一人で片付けることになった。人手が減ったのだから、その分仕事が増える。とにかく黙々と片付ける。大佬は締め作業を始めたらしくタオルを洗っている。上司にあたる人物と二人っきり、お互い無言で作業していても特に気まずくなることはないのが、この人の不思議なところだ。
これでだいたい終わったか?と辺りを見渡す。その時白い紙切れが落ちているのを目の端にとらえて、オレは急いでそれを拾いに行った。
理髪店とか七記冰室とか、大佬がいそうな場所で領収書とかレシートっぽいものを見かけたら拾うようにしていた。というか紙が落ちてたらとりあえず拾ってる。何故かといえば、信一さんのため、城寨の経理のため、ひいては大佬自身のためだ。
それはある日のこと。いつものように七記冰室で食事を終えた大佬が立ち上がると、そのポケットから何かが落ちた。そのまま立ち去ろうとするので、急いでそいつを拾ったら領収書だった。
大佬は領収書を渡そうと冰室に来て、渡す前に信一さんと飯を食い始め、結局当初の目的を忘れて立ち去ろうとしたらしい。
信一さんは怒ったらいいのか呆れたらいいのか困ってた。大佬の目は泳いでた。
それ以来オレは、大佬の落とし物・忘れ物確認係になった。
龍捲風なんてとんでもない通り名を持つこの人が、数字が苦手で意外と大雑把っていうのは割とみんなが知っている。義兄弟の秋哥が、信一が経理を担当するまでこいつの帳簿はひどかったと散々話しているので、昔からずーっとこうで、多分もう直らないんだろうな。
でも、それで良いと思う。
大佬が一番苦手な経理は信一さんが担当してる。オレは別に数字に強くないからそれはできないけど、何か落としてないか確認したり、棚卸しで一緒に在庫数えることはできる。いくらボスだからって全部自分でできなくたっていいんだ。みんなでやればいい。
そのためにオレたちがいて、城寨はそういう場所だから。
だた今回拾ったものは領収書でも、レシートでもなかった。一応身分証っぽくはしてある、なんか雑な紙。
多分そうだと思っていたが、やっぱり密航者か難民だったっぽい。
「偽」身分証というにもあまりにお粗末な紙っきれを前に、髪の毛一本以下だが坊主頭を憐れむ気持ちが生まれる。大ボスに騙されたんだろうな。最初にココに来てりゃヤクなんて盗まなくて生きられたかもしれないのに。可哀想なヤツ。まあこれもあれだな天命ってやつだ。
あれだけ力が強くて、喧嘩もできればここではいくらでも仕事にありつけるのに。
ガスの配達とかどうだろう。ばあさんじいさんの代わりに水汲み。四仔くらいでかい容器でも運べそうだな。夜警もいけるかも。ひょっとしたら惜しい人材を追い返したかもしれない。
大老はバーバーチェアに座って一服している。その横顔はちょっと疲れたように見えた。そりゃ遅くまで仕事して、侵入者の相手までしたんだから当然か。
あのパンチを久しぶりに見て興奮してたけど、そもそもオレたちが捕まえておけばこうならなかったわけで、今更ひどく申し訳ない気持ちになってきた。
でもそのちょっと気だるい感じすらかっこいいと思ってしまう。
片付けが終了したことを伝えると、ついさっき一人ひとりを軽々吹っ飛ばしたとは思えない、年相応のゆっくりとした動作で立ち上がって、軽く周囲を確認した。
「ご苦労さん。むこうの手伝いに行ってこい」
その言葉に頭を下げて、ドアに向かって歩き出した俺のポケットから、ひらりとさっき拾った身分証もどきが飛び出した。
「おい、何か落ちたぞ」
「あぁ、それは」
侵入者の…言いかけて俺は口を噤む。
偽身分証を拾った大佬 の瞳は、色がついたガラス越しでもはっきりとわかるくらい見開かれた。それはほとんど驚愕と言ってもいい表情で、正直見ているオレが驚いた。
なに?どうしたの?あんまりにもお粗末だからびっくりしたんですか?
でもオレが混乱しているわずかな間に、いつもの何もかも見透かすような目と余裕のある笑みに戻ってしまった。
「ひどいもんだな」
つまんでひらひら遊ばせながら、面白がっているような呆れたような調子で言った。
そうですね、と頷く。
「オレだってもう少しまともなモン作れますよ!」
「そりゃそうだ」
そう言った顔には、やっぱりさっき見た表情の欠片も残っていなかった。
「問題なさそうだったら、信一に戻って来るよう伝えてくれ」
販売所に向かう途中、もう一度さっきの表情を思い出す。以前信一さんが「あの人は結構考えてること表に出るぜ」と言っていたが、じゃああれはどんな感情だったんだろう。
あ、そういえばそのままアレ置いてきちまったな。
深く煙を吸い込んで、吐き出す。ソファに座って天井に流れていく煙を一人眺めていると、ようやく頭が冷静になってきた。
信一がいなくて良かった。あの子だったらすぐに自分の動揺に気づいてしまっただろう。誤魔化すのも難しい。理由を聞いてくることはしないだろうが、心配をかけたくはない。
もう一度偽の身分証を静かに見つめる。
書かれた名は「陳洛軍」。
こんな偶然ありえるのだろか。三十年前に自分が逃がした子供が、再び香港に、城寨に戻って来るなんてことが。
「阿占…」
もう一度俺にあの子を救えということか?
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